6月23日、 沖縄全戦没者追悼式の生中継をNHKテレビで見ました。
私を引きつけたのは、地元の女子高生が朗読した「平和の詩」でした。
自作とはいえ、かなり長い詩を、しっかり未来を見すえるような眼差しで
よどみなく朗読。平和を希求する沖縄県民の強い思いが伝わってきました。
しかし、現行憲法施行70年を迎え、改憲の動きが加速しているようです。
憲法九条の発案者をめぐって、改憲に熱心な安部政権は「アメリカの押し付け」と云っています。これに対して、当時の首相、幣原(しではら) 喜重郎が発案者である とする説があります。
幣原説の根拠の一つになっているのが、所謂「平野文書」である事はうっすらと知っていましたが、元岐阜県知事の平野三郎氏だったとは、知りませんでした。
もう30年も前のことになりますが、私は晩年の平野三郎氏のご自宅(東京世田谷)に取材のため訪れています。
何の取材だったか、どうしても、思い出せませんが、憲法の件でなかったことだけは確かです。帰りぎわに、最近、出版したという自著を頂戴しました。
「昭和を支えた天皇物語」(すばる書房・昭和61年)。
今になって、この本を読んでいますが、私には意外な事ばかりです。
岐阜県郡上郡八幡町(現、郡上市)の大きな造り酒屋に生まれた平野氏は昭和初期、慶応大学在学中に共産党に入党、治安維持法違反で投獄されています。その彼がどうして、天皇について書こうとしたのか、動機を語っています。
「戦後、幣原喜重郎の秘書官となり、氏が憲法作りに精魂を傾けていた姿に直接触れ、間接的に天皇の人となりを知るに及び、次第に畏敬の念を深くしていた。特に、憲法の成立の過程で天皇の果たされた役割が、あずかって極めて大であったことを知った時、私は天皇の大きさ強さ、そしてその純粋なお人柄にうたれた。」
平野三郎氏は、衆議院議員を五期、更に岐阜県知事を三期つとめ、天皇に何回か お会いしている間に、その人となりに直接触れて、すっかり天皇の虜になったと書いて います。
平野三郎氏は衆議院議員時代、幣原喜重郎から強い影響を受けたものと思われます。
彼は昭和39年、政府の憲法調査会に「幣原先生から聴取した戦争放棄条等の生まれた事情について」という報告書を提出しています。これが「平野文書」と云われるもので、公開されています。憲法九条の発案者が幣原氏であるとしているのですが、平野氏が晩年に書いた「昭和を支えた天皇物語」では、幣原説を補足して「源泉は天皇である」「日米合作」とも云っています。
私にとっては、憲法九条の発案者が誰であってもよいのです。少年時代、今の憲法が発布されて「戦争放棄」という言葉にどれだけ希望をもらったことか。皆んな食べるものにも事欠きながら、これできっと、平和な時代になって、日々の暮らしも良くなるものと信じて懸命に働いてきたのです。
この平和憲法が今、揺れています。恐ろしいことです。