28日の中日新聞に表記「 」の社説があった。「責任」?? というのはちょっと偉そうな言葉に聞こえる。自分で「公器」と語る場合と同じような、ある抵抗感を僕は覚えたのである。日頃感じてきた「それら」を、公憤という形で、ちょっと辛口の現代新聞批評を書いてみよう。
① まず、スポーツ欄が野球ばかり。野球が2面に対して、他のスポーツをまとめて1面という感じさえ存在する。これは言わば、こういう利権絡みとさえ言えないか。読売、中日、毎日など、現在、過去の新聞社が野球球団運営に携わってきた歴史は誰でも知っている。そういう野球だけを特別扱いをするのでは、「公器」と言えるのか? ちなみに、この野球界をば、放映料金など読売が牛耳っているやに見えるのも、僕の公憤に火を付けるのである。ちょうど、スペインのサッカー界が、バルサ、レアルにだけ放映権料が多く入り、他を圧しているような。
② 宗教欄もおかしい。宗教欄に無宗教つまり無神論も載せてしかるべきだろう。でなければ、進化論を教えず聖書の創世記だけを教えるアメリカのかなりの州の現行教育を笑えないはずだと、僕などは思うのである。
以下の④芸能欄の偏りとともに、宗教や芸能など文化面の記者を大胆に若手に替えるべきなのだろう。年寄りは自分が学んで来たことにどうしても固執するものだから。
③ 芸能欄もおかしい。歌舞伎や能など古典芸能に割くページが非常に多いと感じる。あんなものをかなりの分量で今時定期的に読ませるって、一体どういう読者を想定しているのか。まるで、「そういう記者」の延命策か自己満足かと、そう語ったらどう返すのだろう。ご自分が若い頃に仕入れた専門知識をば、時代が変わった今もご披露し続けたい? 因みに僕は「世襲文化」というものが大嫌いである。友人の尺八吹きが語っていた。
「あの師匠が死んだら、僕よりもはるかに下手なあの息子が俺の先生になるのかナー?」
④ 地球がとても小さくなった国際化の時代である。にしては、外信ニュースが非常に少なく、いつもたった1面分。南米、アフリカにはそもそも、特派員が居るのかさえ疑わしいのである。他方で、金融が跋扈する新自由主義と結びついたナショナリズムが蔓延しているやの世界に対してわが国は狭い島国。これでは今必要な世界史的抵抗力を育てられず、国の発展も国連の発展などにも、世界への民主的貢献もおぼつかないというもの。つまり「新時代の公器失格」である。
⑤ そして最後に最近目に余るのが「新聞の自己宣伝記事」の多さ。「新聞を公教育に使え」という自己主張記事とも言えるから、これは公器をはみ出している。屁理屈付けて強引挿入している自己宣伝広告記事とさえ思うこともある。
斜陽の活字文化の生き残り策の一つなのだろうが、この消費不況で営業はどこも非常に厳しい。そういう読者を尻目に、己の上記①~④の狭さを外って置いてこんな自己宣伝紙面を読者に買わせるのでは、随分身勝手も良い所だと叫びたい。
① まず、スポーツ欄が野球ばかり。野球が2面に対して、他のスポーツをまとめて1面という感じさえ存在する。これは言わば、こういう利権絡みとさえ言えないか。読売、中日、毎日など、現在、過去の新聞社が野球球団運営に携わってきた歴史は誰でも知っている。そういう野球だけを特別扱いをするのでは、「公器」と言えるのか? ちなみに、この野球界をば、放映料金など読売が牛耳っているやに見えるのも、僕の公憤に火を付けるのである。ちょうど、スペインのサッカー界が、バルサ、レアルにだけ放映権料が多く入り、他を圧しているような。
② 宗教欄もおかしい。宗教欄に無宗教つまり無神論も載せてしかるべきだろう。でなければ、進化論を教えず聖書の創世記だけを教えるアメリカのかなりの州の現行教育を笑えないはずだと、僕などは思うのである。
以下の④芸能欄の偏りとともに、宗教や芸能など文化面の記者を大胆に若手に替えるべきなのだろう。年寄りは自分が学んで来たことにどうしても固執するものだから。
③ 芸能欄もおかしい。歌舞伎や能など古典芸能に割くページが非常に多いと感じる。あんなものをかなりの分量で今時定期的に読ませるって、一体どういう読者を想定しているのか。まるで、「そういう記者」の延命策か自己満足かと、そう語ったらどう返すのだろう。ご自分が若い頃に仕入れた専門知識をば、時代が変わった今もご披露し続けたい? 因みに僕は「世襲文化」というものが大嫌いである。友人の尺八吹きが語っていた。
「あの師匠が死んだら、僕よりもはるかに下手なあの息子が俺の先生になるのかナー?」
④ 地球がとても小さくなった国際化の時代である。にしては、外信ニュースが非常に少なく、いつもたった1面分。南米、アフリカにはそもそも、特派員が居るのかさえ疑わしいのである。他方で、金融が跋扈する新自由主義と結びついたナショナリズムが蔓延しているやの世界に対してわが国は狭い島国。これでは今必要な世界史的抵抗力を育てられず、国の発展も国連の発展などにも、世界への民主的貢献もおぼつかないというもの。つまり「新時代の公器失格」である。
⑤ そして最後に最近目に余るのが「新聞の自己宣伝記事」の多さ。「新聞を公教育に使え」という自己主張記事とも言えるから、これは公器をはみ出している。屁理屈付けて強引挿入している自己宣伝広告記事とさえ思うこともある。
斜陽の活字文化の生き残り策の一つなのだろうが、この消費不況で営業はどこも非常に厳しい。そういう読者を尻目に、己の上記①~④の狭さを外って置いてこんな自己宣伝紙面を読者に買わせるのでは、随分身勝手も良い所だと叫びたい。