九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

こんな人事で、ヒラメ官僚ばかりに   文科系

2018年05月06日 12時15分08秒 | 国内政治・経済・社会問題
 官僚たちがヒラメになって、退廃している現状ばかりが目立つ。その背景、原因になった「事件」をここに二つばかり挙げてみたい。過去の拙稿から抜き出した物だ。こんな人事ばかりをやってきたのは、政治主導ならぬ、官僚の私物化である。忖度多発というのは、そんな結末なのだと思う。
 与党内でも心ある政治家はこう語って止まない。
「憲法改定は、安倍さんの趣味!」



【 前法制局長官、内閣に反発  文科系 2013年08月24日

 日刊ゲンダイが、安倍晋三内閣の、内閣法制局長官・集団的自衛権解釈改憲問題に絡んで、非常に面白い記事を載せた。阿修羅掲示板から、紹介したい。

『 憲法解釈で首相に“10倍返し” 最高裁判事が見せたプライド2013年8月22日 日刊ゲンダイ
 思わぬ伏兵に安倍政権がじだんだを踏んでいる。憲法解釈を変更して「集団的自衛権」を行使しようと画策している安倍首相に対して、内閣法制局長官を退き、最高裁判事に就いた山本庸幸氏(63)が、「待った」をかけたからだ。20日の就任会見は明快だった。
(今日6日の文科系注 山本氏が退けられたのは、この時の解釈改憲を認めなかったからである。安倍はこの時、こんな慣行破りの挙に出たのだった。従来の内閣法制局長官はすべて、法制局からの内部昇格。それを史上初めて外部の外務省から、長官を連れてきたのだった)

〈集団的自衛権の行使は、従来の憲法解釈では容認は難しい〉
 政権内からは「もう憲法解釈の変更は不可能だ」という声が上がっている。実際、最高裁の判事に「ノー」と否定されたら強行するのは難しい。よほど頭にきたのか、菅義偉官房長官は「発言に違和感を覚える」と、21日批判している。

「首相周辺は、これは意趣返しだとカンカンになっています。というのも、安倍首相は解釈変更に消極的だった山本庸幸さんを法制局長官から外したばかりだからです。簡単に言ってしまえば更迭した。ただ、世間からは更迭ではなく、出世に見えるように、最高裁判事というポストに就けた。それでも、法制局長官という職にプライドを持っていた山本庸幸さんは、安倍首相のやり方を許せなかった。首相に一泡、吹かせたのでしょう」(霞が関事情通)

 たしかに、憲法解釈を最終判断する最高裁判事の発言は重みが違う。首相に「10倍返し」するなら、最高裁判事の就任会見は絶好の舞台だ。

 首相の出はなをくじいた山本庸幸氏は、どんな男なのか。
「山本さんは愛知県出身、旭丘高、京大法卒、73年に通産省に入省しています。正直、省内では次官候補ではなかった。でも、法制局には各省から優秀な職員が送られる。山本さんも融通は利かないが、頭脳明晰だったのは確かです。本人は、法制局長官を天職だと思っていたようです」(経産省OB)

 最高裁の裁判官は、憲法で「身分の保障」が規定され、70歳の定年までつとめられる。官邸周辺は、「最高裁判事にしてやったのに」と悔しがっているらしいが、法制局長官を代えることで憲法解釈を変更しようという姑息なやり方が、完全に裏目に出た形だ。』

 官僚にも、骨のある人はやはり居るものだと、ちょっと意を強くした。フクシマ問題では火中の栗を拾わないと決め込んでサボタージュばかりの官僚体制に見えるので。サボタージュ官僚たち、はて日本を滅ぼしかねないと、そんな気がしてきた昨日今日である。】


【 なんと愚かな「国防」人事!  文科系 2014年01月16日

 新設された国家安全保障局の局長に、谷内正太郎氏が着いた。去年新春の中日新聞で、内閣官房参与(元外務次官)として以下のようなインタビューを語った人だ。その末尾のこんな言葉から彼の人格が分かるのだが、こんなイーカゲンな人が国家防衛の中枢?! まるでペテン師のような人格、お人だと思う。こんな人物を内閣の「目玉」新施策の責任者にする?! 日本、安倍内閣って本当にトロイ国、政府だなと思うしかない。
 自民党幹事長は軍事オタクの国防族。近ごろしきりに「国防精神」を上から目線のように説かれている方だが、その思考程度も手に取るように分かるというものだ。こんな人事を敢行したのであるから。

『集団的自衛権については、自らが攻撃された時は他の国に助けてもらう、その国が攻撃された時は「われ関せず」という態度は責任ある大国としてありえない。集団的自衛権は国家の品格、品性に関わる問題だ。米国も、そのような日本の貢献を期待している』

 谷内氏は「国家の品格、品性」などと語ったが、相手を見て物を言えと言いたい。
 最近の米国というのは、嘘の理由で国連の反対を押し切って有志国だけでイラク戦争を起こした国だ。この戦争で無数の自国、他国の50万人だかを殺し、後になって大統領が『あれが嘘だとは全く知らなかった』とテレビで堂々と泣き言を語った国だ。因みに、我が日本政府・外務省は、嘘の理由に丸め込まれて参戦し、莫大な出費で今問題の国家累積赤字をさらに積み上げることになったのだが、なお「もっと汗も血も流せ」などと侮蔑的言葉まで浴びせられたのだった。
こんなふうに二重に踏みにじられた侮辱について、外務省などからその後、何か釈明とか、相手への抗議でも、あったっけ?

 さて、こういう相手に「国家の品格、品性」をもって対せなどとは、馬の耳に念仏、蛙の面にナントカで、一銭つぎ込む価値もないどころか、ペテンに掛けられるのが落ちというもの。谷内さんに尋ねたい。集団的自衛作戦に品格をもって付き合っていく今後に、またしても嘘の理由で戦争を起こされて、日本や世界の若者などが無為に殺されることはないという保証がどこにあるんです? そういう保証をどこで確認できたのです? 当方が品格をもって遇するべきは、品格のある相手でしょう。こんな重大な背信行為国相手に「国家の品格、品性」を国民にお説教とは。貴方のこの言葉、まるで騙りのようなものだ。

 さらに加えるに、こんなトロイ言葉を新聞という公器でもって不特定多数国民に説いて恥じないこの神経! これは、凄く意識して国民にお説教しているのである。これほどアメリカにコケにされてもなお「着いていきます」と応え、「それが品格(婦徳)だ」と子ども(国民)に説く健気妻! 放蕩亭主アメリカにすがりつき続けるどんなアホ妻なのかと、その顔が見たくなった。
 こんなのが、外務次官! 外務省ってこんなのばかりなのだろう。一時マスコミで騒がれたことだが、ほとんどの国の日本大使館に超高級ワインを山のように揃えて国家の金でただ酒飲んでいると、こういう人格が育つということだろう。それにしても、恥知らずである。】
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

過去W杯の代表戦総括① 06年ドイツ大会

2018年05月06日 11時39分59秒 | スポーツ
 いよいよロシア大会である。そこで思い立ったのがこの事。このブログが始まったのが2005年末。以来このブログに書いた過去3大会の僕なりの総括を順に転載していきたい。初めは、ジーコ監督のドイツ大会である。


『 ドイツ大会総括  文科系  2006年06月28日

まず三ゲームそれぞれの概括である。

オーストラリア戦は完全な負け試合だった。最後九分間の三点を差し引いても、全ての数値がそれを示している。ボール保持率、シュート数(六対二十)、枠内シュート数(二対十一)、パス総数(二六九対三六〇)、ペナルティーエリア進入数(十対二九)などなど。これらは全て毎日新聞掲載の数字である。ただ、運良く取れた点を守って勝つという道はあったのかも知れない。それにしても、最後十五分間に日本があのように攻めに出るなら、前と後が意思一致して一緒に攻めねばならなかった。あのように前線と後陣が間延びして攻めては、ボールを奪われて逆襲にあいやすく、危ないこと甚だしい。
クロアチア戦は先に見たような数字の上では勝ち試合だったが、枠内シュートが五対六と互角なのだから、勝ちきれなかったというところだろう。オーストラリア戦とは全く違って、攻守両方を繋ぐ役割を担う中田が前線に行けて、彼がマン・オブ・ザ・マッチになったのが勝勢の証拠だ。中田が、予選リーグ敗退の十六チームから大会役員選出ベストイレブンに日本人ではただ一人選ばれたのは、このマン・オブ・ザ・マッチが大きかったと、僕は思っている。その中田も「勝ちきれなかったゲームだった」と語った。
ブラジル戦は二点差をつけねばならないのだから、あーなってもしかたない。普通なら一点取ったらちょっと守りに入る時点でも、攻めに出て行かねばならなかったのだ。精一杯攻めて負けたというところだろう。

さて、このチームはゲームの好不調にムラがあり過ぎるとは、前からテストマッチで示されていたことだった。攻めるときに後陣が引き気味になると、日本の「走る長所」が「無駄走り」にされるということについて前後陣間で論争があって、最後まで意見が一致しなかった。不一致なままで下がり気味という事実は残されてしまった。これがムラの正体だ。引いていてロングボールで攻めるというチームにはこの欠点を突かれるのである。それについてジーコは最後まで、選手の自主的論争を微笑みつつ見守っていた。第一戦ではそれが裏目に出てしまい、第二戦でジーコが初めて監督強権を発動した。四バックにしてDFラインを上げさせたのである。それによって、中田の守備が第一戦より劇的に減って、ムラのある日本の「勝ちパターン」となったのだった。
さて、強権発動を第一戦にやったら確かにこういう結果にはならなかったと思う。が、その方が良かったかというと僕はそうは思わない。監督抜きの選手間の自主的論争というのが、日本スポーツ界の歴史に最も欠けていたものだったのだから。選手二三人が本戦の一つまで犠牲にしてその事を学んだのだ。結果的にはジーコがそうさせたということになる。日本人監督だったら論争を黙って見ているなんてことは絶対にないし、とっくに強権発動もしていたはずだ。しかし強権で隠した弱点はゲーム中のちょっとした要素からずるずると露出させられる時が必ず来る。結局、ジーコがその日本全体の弱点を骨身にしみるように教えてくれたということになる。
日本が目指すべきは「なるべく接触を避けるパスサッカー。そのための組織と、死ぬ気の走力」、「組織も死ぬ気の走力も選手の自主的判断からしか育たない」、こういうことなのだと思う。これらは中田が、日本サッカーの長所として言い続けてきたことである。

それにしても、あの第一戦、ムラがある日本チームにしても最悪のゲームぶり!あれは、一体どういうことなのか。ジーコにも全く意外だったようだ。「終盤の、あんなに疲れ切った選手たちを見たのは初めてだ」と語っていたのだから。このジーコの表現にこそ、あのゲームの「敗因」が潜んでいると思う。
 あのゲーム序盤のオーストラリア、体当たりが凄まじかった。それに対して通常のゲームのようには審判がファールを多く取ってくれなかった。特に中村と中田がちょっとパスの出し所を探していると、すぐにドカーンと来た。また、二人がボールを持ったときは、受け手全員にぴったりマークが付いて、蓋をされていた。二人があんなにパスの出し所を探していたのは見たことがないぐらいだ。強くて球離れが速い中田はなんとか耐えていたが、当たり弱く球を持ちがちの中村は恐がり、さらには自信を喪失し始めていたはずだ。こんなふうにして序盤から度々ボールをカット・逆襲されたからこそ、その結果として後陣が怖がってずるずる下がることになってしまったのだ。接触プレーに弱い日本への、敵将ヒディングの作戦でもあったと思うのだが、この「怪我も覚悟の肉弾戦」という点でもワールドカップは特別な闘いなのだ。オーストラリアはさらに、日本戦用の「ファールになりにくい体当たりの仕方」なども随分研究してきたようだった。例えば地面に置かれた足の甲を踏みに来るなどというのを、僕は少なくとも三、四回は見た。やられた日本選手は次の動作がもう完全に止まってしまう。ワン・ツーのワンを放った選手の足が踏まれると、その受け手はもうツーが放てないからドリブル、そこへまたガツンッだ。

 さて、こうして日本の弱点は世界に知れ渡った。どう対処したら良いのか。組織的パスカット、パス交換の精度を上げるという以外には無いだろう。走り回って敵ボールにプレスをかけあう、受け手が走り回って味方ボールを受けてあげあう。そういう組織的精度と走り続けることでは絶対にどこにも負けないこと。幸い次のオシム監督は「走るサッカー」の日本に、さらにその「走りの自主的組織化」を教えてくれた監督である。最適任者だと思う。あのボスニアのサラエボの出身。旧ユーゴ最後の黄金期の代表のような人。子飼いの選手たちが民族毎に分かれていった悲劇と平和の尊さとを誰よりも知っている人でもある。特に熱い拍手を送りたい!』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする