岩波新書「シリア情勢」(青山弘之・東京外語大総合国際学研究学院教授著、17年3月22日第一刷発行)の要約を再掲している。中東で何かあればすぐに「日米集団的自衛権」によって自衛隊が引っ張り出されようという日本である。それも、様々な国際的枠組みをひっくり返しているトランプ政権によってだから、怖いこと甚だしい。なんせ、地球温暖化対策とかイラン核合意とか、エルサレムのイスラエル首都認定宣言・アメリカ大使館移転とか、過去の米政府約束をどんどんひっくり返している。そして、2011年から国際的紛争が続いているシリア問題は、今の中東の火薬庫。何故なのか?
【 書評「シリア情勢」(3) 文科系 2017年07月18日
今回は「第5章シリアの友グループの多重基準」を要約する。2011年3月にシリアにも波及した「アラブの春」が、「軍事化」、「国際問題化」を経て、「アル=カーイダ化」からさらには「テロとの戦い」へと進展していく様が描かれる。この展開は、シリア内の反政府軍勢力と、このそれぞれを支えてきた「シリアの友」諸国の離合集散、合従連衡の過程と言って良い。
化学兵器問題によってアメリカ開戦寸前まで行った動向が英仏の消極姿勢によって回避されたのが、2013年夏。2014年6月までには、国連の努力でシリアの化学兵器も国外に撤去された。これはシリア政権の後ろに付いていたロシアがアメリカに持ちかけて実現したものであった。
これらの動きから、シリア政権は言わば、国連、その他関係諸国によって国の代表と認められたに等しくなっていった。この時点から、米国の戦争介入を期待しつつアサド政権を認めないと言い続けたシリア国民連合は、急速に力を無くしていく。2014年1月に国連主催の下にジュネーブに40か国が参加した第2回シリア和平会議では、こんなことも起こっている。アメリカに支えられたシリア国民連合は反政府側の唯一の代表と認めさせることには成功したが、シリア政権の出席を認めないとあくまでも言い張って破れたのである。このことによってシリア国民連合の幹部半分が一時脱会するという大事件にまで発展している。
さてこれ以降は言わば三つ巴の戦争となる。政権軍、イスラム国、後にファトフ軍となるその他無数の勢力と。ただし、イスラム国とその他勢力との間にさえいつも流出入があるし、その他勢力にもヌスラ戦線などアルカーイダ系過激派が大勢力であったから、反政府軍と言ってもいわゆる「穏健派」などとは言えない。アメリカなどが訓練までして何度も育成を繰り返した、シリア国民連合と関わりが深い自由シリア軍などはむしろ弱小勢力と言って良かった。百戦錬磨のイスラム国、アル=カーイダ系列軍に比べれば現に弱かったし、他軍への集団逃亡も絶えなかったからである。
さて、2012年夏頃から激しくなっ戦いには、サウジ、トルコ、カタールが金も人も武器も出してきた。ただ、彼等が頑張るほどに、ロシア、イラン、レバノンのヒズブッラーの政権側支援も膨らんでいった。諸外国の経済制裁によって政権支配地域を縮小せざるを得なくなっていたから、余計にそうなって行った。が、イスラム国の台頭により、事態はさらに変化していく。
シリアのイスラム国が他との違いをはっきりさせ始めたのは、シリア最大のアル=カーイダ・ヌスラ戦線と決裂した2013年ごろからで、アメリカはこのイラク・シャーム・イスラム国をイラク・アルカーイダの別名と見ていた。特にイラク・モスルでバクダーティーが、2014年6月にカリフ制イスラム国を建国宣言した後にはアメリカは、これを「
最大の脅威」と観て「テロとの戦い」の真っ正面に据えることになった。この8月にはイラクで、9月にはシリアで、イスラム国への米軍による爆撃が始っている。
なお米軍によるシリア人軍事訓練キャンプは、以下のものが有名である。一つは、2013年3月の英米仏によるヨルダンキャンプ。2015年1月にはトルコで15000人の長期訓練を行っている。同じ年11月には、またヨルダンにおいて「新シリア軍」なるものの育成、編成に務めた。このようにして訓練した兵士が過激派部隊へ武器諸共に逃亡していくことが多かったとは、前にも述べたとおりである。なお、CIAが独自に行う反政府軍兵士育成キャンプも存在した。
イスラム国の台頭の結果、サウジとトルコが手を結ぶようになる。2015年1月にサウジに新国王が生まれると、その3月には両国支援のシリア反政府軍の統一が行われて、これがファトフ軍と名付けられた。対シリアで最も強硬姿勢を取っていたカタールもこのファトフ軍を支え始めて、以降しばらくファトフ軍とイスラム国との相互支援的挟撃によって、政権軍はまたまた後退を続けて行くことになった。
(続く)】
【 書評「シリア情勢」(3) 文科系 2017年07月18日
今回は「第5章シリアの友グループの多重基準」を要約する。2011年3月にシリアにも波及した「アラブの春」が、「軍事化」、「国際問題化」を経て、「アル=カーイダ化」からさらには「テロとの戦い」へと進展していく様が描かれる。この展開は、シリア内の反政府軍勢力と、このそれぞれを支えてきた「シリアの友」諸国の離合集散、合従連衡の過程と言って良い。
化学兵器問題によってアメリカ開戦寸前まで行った動向が英仏の消極姿勢によって回避されたのが、2013年夏。2014年6月までには、国連の努力でシリアの化学兵器も国外に撤去された。これはシリア政権の後ろに付いていたロシアがアメリカに持ちかけて実現したものであった。
これらの動きから、シリア政権は言わば、国連、その他関係諸国によって国の代表と認められたに等しくなっていった。この時点から、米国の戦争介入を期待しつつアサド政権を認めないと言い続けたシリア国民連合は、急速に力を無くしていく。2014年1月に国連主催の下にジュネーブに40か国が参加した第2回シリア和平会議では、こんなことも起こっている。アメリカに支えられたシリア国民連合は反政府側の唯一の代表と認めさせることには成功したが、シリア政権の出席を認めないとあくまでも言い張って破れたのである。このことによってシリア国民連合の幹部半分が一時脱会するという大事件にまで発展している。
さてこれ以降は言わば三つ巴の戦争となる。政権軍、イスラム国、後にファトフ軍となるその他無数の勢力と。ただし、イスラム国とその他勢力との間にさえいつも流出入があるし、その他勢力にもヌスラ戦線などアルカーイダ系過激派が大勢力であったから、反政府軍と言ってもいわゆる「穏健派」などとは言えない。アメリカなどが訓練までして何度も育成を繰り返した、シリア国民連合と関わりが深い自由シリア軍などはむしろ弱小勢力と言って良かった。百戦錬磨のイスラム国、アル=カーイダ系列軍に比べれば現に弱かったし、他軍への集団逃亡も絶えなかったからである。
さて、2012年夏頃から激しくなっ戦いには、サウジ、トルコ、カタールが金も人も武器も出してきた。ただ、彼等が頑張るほどに、ロシア、イラン、レバノンのヒズブッラーの政権側支援も膨らんでいった。諸外国の経済制裁によって政権支配地域を縮小せざるを得なくなっていたから、余計にそうなって行った。が、イスラム国の台頭により、事態はさらに変化していく。
シリアのイスラム国が他との違いをはっきりさせ始めたのは、シリア最大のアル=カーイダ・ヌスラ戦線と決裂した2013年ごろからで、アメリカはこのイラク・シャーム・イスラム国をイラク・アルカーイダの別名と見ていた。特にイラク・モスルでバクダーティーが、2014年6月にカリフ制イスラム国を建国宣言した後にはアメリカは、これを「
最大の脅威」と観て「テロとの戦い」の真っ正面に据えることになった。この8月にはイラクで、9月にはシリアで、イスラム国への米軍による爆撃が始っている。
なお米軍によるシリア人軍事訓練キャンプは、以下のものが有名である。一つは、2013年3月の英米仏によるヨルダンキャンプ。2015年1月にはトルコで15000人の長期訓練を行っている。同じ年11月には、またヨルダンにおいて「新シリア軍」なるものの育成、編成に務めた。このようにして訓練した兵士が過激派部隊へ武器諸共に逃亡していくことが多かったとは、前にも述べたとおりである。なお、CIAが独自に行う反政府軍兵士育成キャンプも存在した。
イスラム国の台頭の結果、サウジとトルコが手を結ぶようになる。2015年1月にサウジに新国王が生まれると、その3月には両国支援のシリア反政府軍の統一が行われて、これがファトフ軍と名付けられた。対シリアで最も強硬姿勢を取っていたカタールもこのファトフ軍を支え始めて、以降しばらくファトフ軍とイスラム国との相互支援的挟撃によって、政権軍はまたまた後退を続けて行くことになった。
(続く)】