14年ブラジルW杯については、当ブログ14年6月25、26日に2回にわたる総括がある。それをまとめたのが、以下の拙稿だ。文中特に注目して欲しいのが「ザック監督と選手とのすれ違い」と「本田の後悔、反省」の部分である。この前者の「すれ違い」は06年大会のジーコ・ジャパンでも起こっているが、日本人の心、対人関係文化が世界的にかなり特異なものということなのだろう。
1 ① 先ずはとにかく、ギリシャにおめでとう!(と言うしかないよね)このギリシャは強豪に敗戦、次が引き分け、最後は2位チームを引きずり下ろしてのロスタイム勝利だ。とにかくご立派! 最後のゲームで日本がやりたかったことを最下位予想のギリシャが日本が負けた相手に敢行したのだから、褒めるしかないのである。まーヨーロッパでいつも格上、強豪に揉まれていることに一日の長があるのだろう。アジア、アフリカはその点ではどうしても厳しさが続かないから、不利なのだろう。日常の世界順位も上がりにくいのだし。
② さて、返す返すも残念なのが、誰でもが口を酸っぱくして予告した重要な初戦、あの敗戦の痛さ。前半40分過ぎから続けざまにシュートを浴びたあの情けなさ! あれだけ腰が引けてはボールは奪えず、たまに奪えても攻撃にもならず、到底勝てないという見本であった。なんであんなことになったのか、協会に徹底的な聞き取り調査などを要求したい。もちろん今後の為にである。
③ 腰が引けると言えば、これが肝心の今日も出た。敵の2得点目だが、4人も居た味方の誰もが味方ペナルティーエリア外左サイドでの長いドリブルに体をぶつけられずに抜かれてしまった。あのドリブルが始まった直後に、僕は思わず悲鳴を上げていた。シュートまで行くとの予感からだが、ペナルティーエリアの左外サイドからというあそこでドリブルスピードを上げさせてしまってはメッシでなくとも止められない。5人目の内田があわててシュートコースを消しに行った時は微かに当たっただけで、コースはほぼ変わらず。あれには内田が一番驚いたのではないか! どうしてあんなことになったのか。ドリブル体勢に入った時の周囲の味方がもたれ合ったとしか思えない。1対1の覚悟を避けているようにさえ見えた。
この失点からはもう攻めに行くしかなくなったのだが、後のカウンター2得点は既によくあるオマケみたいなもんだ。2得点目で終わっていたのである。つまり、あんな得点をされては味方への自信喪失、疑心暗鬼のようなショックは計り知れないし、勝つ権利はなくなったと言いたい。
対するギリシャはどうだ。追いつかれても、ロスタイムで決勝点。『我らの「ドリブル5人抜かれ」にギリシャのロスタイム決勝弾』が、コートジボアール戦に次ぐ情けなさと言える。この二つの情けなさを前にすると、今日のコロンビア戦前半にこのWCで初めて見えた攻める姿勢も影の薄いものになる。
④ 個々の選手を取り上げて何度も言ってきたように、選手の力としては世界20位ほどのチームだと思う。コンパクトプレスが効いて、ショートパス攻撃が好調な時は10位ほどとも。ただいかんせん、強豪とやる機会が少なく、厳しさが不足している。それが特に守備に現れていると思う。脚の速いセンターバックが欲しい。もちろんコンパクトプレス用のCBであるが、敵カウンター選手に追いつくような内田みたいな脚力が欲しい。今回の敗戦もおそらく、CBにコンパクトプレスの自信がないからつい間延びしてボール奪取が上手く行かず、かつ攻めの時の距離も遠くなってパスが繋がらなかったと、そういう側面があると思う。他方世界を見れば、この大会でこんなことが示されたと言える。ボール奪取力とショートカウンターとの組織的個人的両様の飛躍である。下手をすると日本は取り残されるというようなそれだ。
⑤ このことにつきもっと大きい問題があった。そういう弱点がテストマッチでも度々現れていたのだが、それが監督選手が一致して直視し対策することができていたのか。それができていたならば、対コートジボアール決戦で両ウイングに敵サイドバックの上がりを追いかけさせ、陣型を間延びさせるなどということが起こるはずがないではないか。その意味では、ドイツ大会敗戦と同じ事が起こったようにも見ている。この間延びが、ドイツの時は前から問題視されていたが、今回は監督自身がこれを許容していたというような結末。このことには凄く割り切れぬ思いが溜まってしまった。
2 これだけの激流と結末を簡単に総括など出来るわけもないものだが、ここまで書いて来たことの続きとして、若干の資料をあげておく。この間に書いた三つのコメントを列記することにした。
【 皆さんへ (文科系)2014-06-26 13:23:03
この論議は非常に難しいものと考えています。23日に書いた随筆「世界サッカーに異変」をも合わせてお読み下さい。
なお、ザックのことですが、今の正直な気持ちを吐露しています。「驚いている。なんでこうなったのか、まだ分からない」と。責任は感じていると第一に語った上でこう言っているのであって、彼らしい率直さ、温厚さと思います。事態はジーコの時とうり二つ。彼も人格者でしたが、やはり日本人が分からなくて、選手と監督とがすれ違ったのだと反省していたはずです。ジーコについては、彼の戦術に最も忠実であったヒデが「人格者である」と尊敬しているところ。負けたからという理由でこういう人間を貶めることはないと思います。ドイツ大会敗戦直後あれだけ悲嘆に暮れていたヒデが、ジーコと今でも友達であることを僕は好ましく思っています。
ザックの呆然、特にこのことの今後を見つめていきたいとも。
「練習ゲームでは選手らは言いつけを必ずしも守らずかなり自由にやってきたのに、本番では私の言葉にがんじがらめって、どうして?」】
【 ザック (文科系) 2014-06-26 13:55:15
ザックは選手、スタッフを一言も批判しないどころか、もう一度やれと言われても同じメンバーでやると語った。そんな監督を、長谷部と長友などは溜まらなく好きらしい。長友は「勝たせてあげたかった」と泣きだしたほどだ。長谷部は、多分正式なものだが、こんな談話を出している。こういう監督について、釜本などが例によってトロイ発言を連発している光景は面白い!以下は、長谷部の言葉。
『 「結果が出なかった時に監督や選手が批判される事は当然の事と思います。しかし、四年前に言葉も文化も全く異なる国に来て、日本という国・日本人の心を理解しようと最大限努力し、その心や文化を尊重し日本を愛してくれた素晴らしい人間性をもった方であった事は、日本人として忘れないでいて欲しいです」
主将としてザック監督とは何度も会話を交わし、その人間性も理解してきた長谷部だからこそ、自然とそんな言葉も出てくるのだろう。』 】
【 本田の反省 (文科系)2014-06-26 16:08:16
ゲキサカからの記事だが、一夜明けて本田がこう語ったとのこと。正式会見においてみたいだが。
『「(昨夜は)いろんなことを考えた。やはり一番考えて辛かったのは、4年間正しいと思って貫いてきたことを、結果として否定せざるを得なくなったこと」
今まで見せたことのなかった弱気な表情があった。ブラジルでの3試合で示された現実はそれほどに重く、痛みを伴うものだった。だからこそ、素直に受け入れられる。
「負けて、内容でも自分たちの納得のいく試合ができなかった以上は、時間をかけて自分自身の物差しづくりを一からやり直さないといけない。オランダ時代に一度だけ今回と似たような状況があったけど、そのとき以上の精神的改革、目標の改革、物差しの改革が必要になるのではないか」』
以下、この言葉への僕の若干の思いを書いてみる。全く彼を批判するというのではなくって。
まず、このチームは自分のチームだというように振る舞えていたのだということだけははっきりと分かる。それが攻撃的パスサッカーへの拘りであることも、言外に分かる。これを結果的にどこか反省して、次の代表基準を作り直そうと言うのだが、それがどういうものかはまだ分からないと、こういう事だろう。僕もこの結末は是非全面的に総括しておきたい。今後協会の総括文などに注目していく積もりだ。】
1 ① 先ずはとにかく、ギリシャにおめでとう!(と言うしかないよね)このギリシャは強豪に敗戦、次が引き分け、最後は2位チームを引きずり下ろしてのロスタイム勝利だ。とにかくご立派! 最後のゲームで日本がやりたかったことを最下位予想のギリシャが日本が負けた相手に敢行したのだから、褒めるしかないのである。まーヨーロッパでいつも格上、強豪に揉まれていることに一日の長があるのだろう。アジア、アフリカはその点ではどうしても厳しさが続かないから、不利なのだろう。日常の世界順位も上がりにくいのだし。
② さて、返す返すも残念なのが、誰でもが口を酸っぱくして予告した重要な初戦、あの敗戦の痛さ。前半40分過ぎから続けざまにシュートを浴びたあの情けなさ! あれだけ腰が引けてはボールは奪えず、たまに奪えても攻撃にもならず、到底勝てないという見本であった。なんであんなことになったのか、協会に徹底的な聞き取り調査などを要求したい。もちろん今後の為にである。
③ 腰が引けると言えば、これが肝心の今日も出た。敵の2得点目だが、4人も居た味方の誰もが味方ペナルティーエリア外左サイドでの長いドリブルに体をぶつけられずに抜かれてしまった。あのドリブルが始まった直後に、僕は思わず悲鳴を上げていた。シュートまで行くとの予感からだが、ペナルティーエリアの左外サイドからというあそこでドリブルスピードを上げさせてしまってはメッシでなくとも止められない。5人目の内田があわててシュートコースを消しに行った時は微かに当たっただけで、コースはほぼ変わらず。あれには内田が一番驚いたのではないか! どうしてあんなことになったのか。ドリブル体勢に入った時の周囲の味方がもたれ合ったとしか思えない。1対1の覚悟を避けているようにさえ見えた。
この失点からはもう攻めに行くしかなくなったのだが、後のカウンター2得点は既によくあるオマケみたいなもんだ。2得点目で終わっていたのである。つまり、あんな得点をされては味方への自信喪失、疑心暗鬼のようなショックは計り知れないし、勝つ権利はなくなったと言いたい。
対するギリシャはどうだ。追いつかれても、ロスタイムで決勝点。『我らの「ドリブル5人抜かれ」にギリシャのロスタイム決勝弾』が、コートジボアール戦に次ぐ情けなさと言える。この二つの情けなさを前にすると、今日のコロンビア戦前半にこのWCで初めて見えた攻める姿勢も影の薄いものになる。
④ 個々の選手を取り上げて何度も言ってきたように、選手の力としては世界20位ほどのチームだと思う。コンパクトプレスが効いて、ショートパス攻撃が好調な時は10位ほどとも。ただいかんせん、強豪とやる機会が少なく、厳しさが不足している。それが特に守備に現れていると思う。脚の速いセンターバックが欲しい。もちろんコンパクトプレス用のCBであるが、敵カウンター選手に追いつくような内田みたいな脚力が欲しい。今回の敗戦もおそらく、CBにコンパクトプレスの自信がないからつい間延びしてボール奪取が上手く行かず、かつ攻めの時の距離も遠くなってパスが繋がらなかったと、そういう側面があると思う。他方世界を見れば、この大会でこんなことが示されたと言える。ボール奪取力とショートカウンターとの組織的個人的両様の飛躍である。下手をすると日本は取り残されるというようなそれだ。
⑤ このことにつきもっと大きい問題があった。そういう弱点がテストマッチでも度々現れていたのだが、それが監督選手が一致して直視し対策することができていたのか。それができていたならば、対コートジボアール決戦で両ウイングに敵サイドバックの上がりを追いかけさせ、陣型を間延びさせるなどということが起こるはずがないではないか。その意味では、ドイツ大会敗戦と同じ事が起こったようにも見ている。この間延びが、ドイツの時は前から問題視されていたが、今回は監督自身がこれを許容していたというような結末。このことには凄く割り切れぬ思いが溜まってしまった。
2 これだけの激流と結末を簡単に総括など出来るわけもないものだが、ここまで書いて来たことの続きとして、若干の資料をあげておく。この間に書いた三つのコメントを列記することにした。
【 皆さんへ (文科系)2014-06-26 13:23:03
この論議は非常に難しいものと考えています。23日に書いた随筆「世界サッカーに異変」をも合わせてお読み下さい。
なお、ザックのことですが、今の正直な気持ちを吐露しています。「驚いている。なんでこうなったのか、まだ分からない」と。責任は感じていると第一に語った上でこう言っているのであって、彼らしい率直さ、温厚さと思います。事態はジーコの時とうり二つ。彼も人格者でしたが、やはり日本人が分からなくて、選手と監督とがすれ違ったのだと反省していたはずです。ジーコについては、彼の戦術に最も忠実であったヒデが「人格者である」と尊敬しているところ。負けたからという理由でこういう人間を貶めることはないと思います。ドイツ大会敗戦直後あれだけ悲嘆に暮れていたヒデが、ジーコと今でも友達であることを僕は好ましく思っています。
ザックの呆然、特にこのことの今後を見つめていきたいとも。
「練習ゲームでは選手らは言いつけを必ずしも守らずかなり自由にやってきたのに、本番では私の言葉にがんじがらめって、どうして?」】
【 ザック (文科系) 2014-06-26 13:55:15
ザックは選手、スタッフを一言も批判しないどころか、もう一度やれと言われても同じメンバーでやると語った。そんな監督を、長谷部と長友などは溜まらなく好きらしい。長友は「勝たせてあげたかった」と泣きだしたほどだ。長谷部は、多分正式なものだが、こんな談話を出している。こういう監督について、釜本などが例によってトロイ発言を連発している光景は面白い!以下は、長谷部の言葉。
『 「結果が出なかった時に監督や選手が批判される事は当然の事と思います。しかし、四年前に言葉も文化も全く異なる国に来て、日本という国・日本人の心を理解しようと最大限努力し、その心や文化を尊重し日本を愛してくれた素晴らしい人間性をもった方であった事は、日本人として忘れないでいて欲しいです」
主将としてザック監督とは何度も会話を交わし、その人間性も理解してきた長谷部だからこそ、自然とそんな言葉も出てくるのだろう。』 】
【 本田の反省 (文科系)2014-06-26 16:08:16
ゲキサカからの記事だが、一夜明けて本田がこう語ったとのこと。正式会見においてみたいだが。
『「(昨夜は)いろんなことを考えた。やはり一番考えて辛かったのは、4年間正しいと思って貫いてきたことを、結果として否定せざるを得なくなったこと」
今まで見せたことのなかった弱気な表情があった。ブラジルでの3試合で示された現実はそれほどに重く、痛みを伴うものだった。だからこそ、素直に受け入れられる。
「負けて、内容でも自分たちの納得のいく試合ができなかった以上は、時間をかけて自分自身の物差しづくりを一からやり直さないといけない。オランダ時代に一度だけ今回と似たような状況があったけど、そのとき以上の精神的改革、目標の改革、物差しの改革が必要になるのではないか」』
以下、この言葉への僕の若干の思いを書いてみる。全く彼を批判するというのではなくって。
まず、このチームは自分のチームだというように振る舞えていたのだということだけははっきりと分かる。それが攻撃的パスサッカーへの拘りであることも、言外に分かる。これを結果的にどこか反省して、次の代表基準を作り直そうと言うのだが、それがどういうものかはまだ分からないと、こういう事だろう。僕もこの結末は是非全面的に総括しておきたい。今後協会の総括文などに注目していく積もりだ。】