文中こうある事への補足説明をします。
『論理国語がどれだけ優秀でも文学国語(の世界)に弱ければこうなる。営業が出来ない。組織を動かせない。力のある政治家にはなれない。そもそも、人育て、子育てさえ苦手になるはずだ』
ここで、「文学国語(の世界)」と書いて、単に文学国語とだけ書いてないことを説明します。言葉にはその対象がある。そして、文学的言葉の対象は心の中に(その態度、傾向、感じ方などの現象として)存在するもの。よって、人の心に通じていかないと、この言葉を上手く使って人間を分析し、考えることは出来ない。そして、人の心に通じるとは、相手と自分とを(比較)観察しつつ、それを言葉に表しながら、精密になった言葉を組み合わせていろんな人間に気づき、認識を豊かにしていくこと。つまり、幼い時から人と真剣に付き合って来なければ、身につくものではない。
この点で、ネットやゲーム世界隆盛へと邁進してきた40代以下日本人は、人文科学が大変苦手になっていると言えないだろうか。人間関係が苦手であったり、安倍やトランプに騙されるというのも、そういうことだろう。この二人などの質疑応答を聞いていると、いかに独善の馬鹿、要するに自分勝手なボンボンかということが分かるのだが。
「それもこれも、私の責任です」とさも殊勝そうに連発しながら、何の責任も取らぬ、人として軽すぎというだけでなく、「選挙目当てヤッテル感『政治』だけ」で悪辣な、安倍。
嘘や約束破りの常習犯で、口から出任せを、自分だけ大事と吹きまくる、トランプ! 最近彼は、大学入試さえ替え玉を使ったと、兄の娘から暴露されたという、そんな人物だ。
彼らに投票する人って、こういう人間論を持っているとしか思えないのである。「彼らが特別なのではなく、人間ってみんな安倍やトランプのようなもの。その上で、俺にとってここを何かしてくれそうだから・・・・」。誠実な人という中身を持って重く、ヒューマンな行為の人に出会った事がないのかも知れないとさえ考えてしまう。
もっともまー、人間社会に民主主義が叫ばれ始めて以降いつの時代もこういう時はあったのだが。「自由、平等、博愛」のフランス革命はナポレオン戦争地獄に替わったのだし、身分制、人種差別や搾取打破のヒューマニズム目指したソビエトは、「官僚独裁恐怖政治」に変質していった。19~20世紀の人種問題を除いた「民主主義」代表国アメリカも、今や世界各地で戦争を仕掛ける戦争暴力(その脅迫を含む)国家になり果てている。こういう不条理国家が人文科学退廃を自然に生んでいくというのは、自明である。なお、これらの間中、こういう人文科学の反面もまた真実であり続けた。フランス革命の「自由、平等、博愛」も、ソビエトが目指した「ヒューマニズム」理想も、アメリカの民主主義も、これらを目指した無数の名もなき人々の中では、真実なのであった。でなければ、それぞれの歴史が興るわけもないものである。が、こうして築き上げた民主主義国を、その支配に慣れた人々が間もなく裏切っていく。そんなことが示されていると思うが、こういう歴史全体としては、民主主義は進んできたと、そうは言えるだろう。問題は支配者を変質させぬ仕組、やり方なのだと思うが、普通選挙も、マスコミで金を使った宣伝次第のような随分いい加減なものになっている。
『論理国語がどれだけ優秀でも文学国語(の世界)に弱ければこうなる。営業が出来ない。組織を動かせない。力のある政治家にはなれない。そもそも、人育て、子育てさえ苦手になるはずだ』
ここで、「文学国語(の世界)」と書いて、単に文学国語とだけ書いてないことを説明します。言葉にはその対象がある。そして、文学的言葉の対象は心の中に(その態度、傾向、感じ方などの現象として)存在するもの。よって、人の心に通じていかないと、この言葉を上手く使って人間を分析し、考えることは出来ない。そして、人の心に通じるとは、相手と自分とを(比較)観察しつつ、それを言葉に表しながら、精密になった言葉を組み合わせていろんな人間に気づき、認識を豊かにしていくこと。つまり、幼い時から人と真剣に付き合って来なければ、身につくものではない。
この点で、ネットやゲーム世界隆盛へと邁進してきた40代以下日本人は、人文科学が大変苦手になっていると言えないだろうか。人間関係が苦手であったり、安倍やトランプに騙されるというのも、そういうことだろう。この二人などの質疑応答を聞いていると、いかに独善の馬鹿、要するに自分勝手なボンボンかということが分かるのだが。
「それもこれも、私の責任です」とさも殊勝そうに連発しながら、何の責任も取らぬ、人として軽すぎというだけでなく、「選挙目当てヤッテル感『政治』だけ」で悪辣な、安倍。
嘘や約束破りの常習犯で、口から出任せを、自分だけ大事と吹きまくる、トランプ! 最近彼は、大学入試さえ替え玉を使ったと、兄の娘から暴露されたという、そんな人物だ。
彼らに投票する人って、こういう人間論を持っているとしか思えないのである。「彼らが特別なのではなく、人間ってみんな安倍やトランプのようなもの。その上で、俺にとってここを何かしてくれそうだから・・・・」。誠実な人という中身を持って重く、ヒューマンな行為の人に出会った事がないのかも知れないとさえ考えてしまう。
もっともまー、人間社会に民主主義が叫ばれ始めて以降いつの時代もこういう時はあったのだが。「自由、平等、博愛」のフランス革命はナポレオン戦争地獄に替わったのだし、身分制、人種差別や搾取打破のヒューマニズム目指したソビエトは、「官僚独裁恐怖政治」に変質していった。19~20世紀の人種問題を除いた「民主主義」代表国アメリカも、今や世界各地で戦争を仕掛ける戦争暴力(その脅迫を含む)国家になり果てている。こういう不条理国家が人文科学退廃を自然に生んでいくというのは、自明である。なお、これらの間中、こういう人文科学の反面もまた真実であり続けた。フランス革命の「自由、平等、博愛」も、ソビエトが目指した「ヒューマニズム」理想も、アメリカの民主主義も、これらを目指した無数の名もなき人々の中では、真実なのであった。でなければ、それぞれの歴史が興るわけもないものである。が、こうして築き上げた民主主義国を、その支配に慣れた人々が間もなく裏切っていく。そんなことが示されていると思うが、こういう歴史全体としては、民主主義は進んできたと、そうは言えるだろう。問題は支配者を変質させぬ仕組、やり方なのだと思うが、普通選挙も、マスコミで金を使った宣伝次第のような随分いい加減なものになっている。