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掌編小説 「日本精神エレジー」   文科系

2020年07月12日 10時56分19秒 | 文芸作品
「貴方、またー? 伊都国から邪馬台国への道筋だとか、倭の五王だとか・・・」
 連れ合いのこんな苦情も聞き流して、定年退職後五年ほどの彼、大和朝廷の淵源調べに余念がない。目下の大変な趣味なのだ。梅の花びらが風に流れてくる、広縁の日だまりの中で、いっぱいに資料を広げている真っ最中。
「そんな暇があったら、買い物ぐらいしてきてよ。外食ばっかりするくせにそんなことばっかりやってて」
「まぁそう言うな。俺やお前のルーツ探しなんだよ。農耕民族らしくもうちょっとおっとり構えて、和を持って尊しとなすというようにお願いしたいもんだな」

 この男性の趣味、一寸前まではもう少し下った時代が対象だった。源氏系統の家系図調べに血道を上げていたのだ。初老期に入った男などがよくやるいわゆる先祖調べというやつである。そんな頃のある時には、夫婦でこんな会話が交わされていたものだった。
男「 源氏は質実剛健でいい。平氏はどうもなよなよしていて、いかん」
対してつれあいさん、「質実剛健って、粗野とも言えるでしょう。なよなよしてるって、私たちと違って繊細で上品ということかも知れない。一郎のが貴方よりはるかに清潔だから、貴方も清潔にしてないと、孫に嫌われるわよ」
 こんな夫に業を煮やした奥さん、ある日、下調べを首尾良く終えて、一計を案じた。
「一郎の奥さんの家系を教えてもらったんだけど、どうも平氏らしいわよ」
男「いやいやDNAは男で伝わるから、全く問題はない。『世界にも得難い天皇制』は男で繋がっとるんだ。何にも知らん奴だな」
妻「どうせ先祖のあっちこっちで、源氏も平氏もごちゃごちゃになったに決まってるわよ。孫たちには男性の一郎のが大事だってことにも、昔みたいにはならないしさ」
 こんな日、一応の反論を男は試みてはみたものの、彼の『研究』がいつしか大和朝廷関連へと移って行ったという出来事があったのだった。

 広縁に桜の花びらが流れてくるころのある日曜日、この夫婦の会話はこんな風に変わった。
「馬鹿ねー、南方系でも、北方系でも、どうせ先祖は同じだわよ」
「お前こそ、馬鹿言え。ポリネシアとモンゴルは全く違うぞ。小錦と朝青龍のようなもんだ。小錦のがおっとりしとるかな。朝青龍はやっぱり騎馬民族だな。ちょっと猛々しい所がある。やっぱり、伝統と習慣というやつなんだな」
「おっとりしたモンゴルさんも、ポリネシアさんで猛々しい方もいらっしゃるでしょう。猛々しいとか、おっとりしたとかが何を指すのかも難しいし、きちんと定義してもそれと違う面も一緒に持ってるという人もいっぱいいるわよ。二重人格なんてのもあるしさ」
 ところでこの日は仲裁者がいた。長男の一郎である。読んでいた新聞を脇にずらして、おだやかに口を挟む。
一郎「母さんが正しいと思うな。そもそもなんで、南方、北方と分けた時点から始めるの」
男「自分にどんな『伝統や習慣』が植え付けられているかはやっぱり大事だろう。自分探しというやつだ」
一郎「世界の現世人類すべての先祖は、同じアフリカの一人の女性だという学説が有力みたいだよ。ミトコンドリアDNAの分析なんだけど、仮にイブという名前をつけておくと、このイブさんは二十万年から十二万年ほど前にサハラ以南の東アフリカで生まれた人らしい。まーアダムのお相手イヴとかイザナギの奥さんイザナミみたいなもんかな。自分探しやるなら、そこぐらいから初めて欲しいな」
男「えーっつ、たった一人の女? そのイブ・・、さんって、一体どんな人だったのかね?」
一郎「二本脚で歩いて、手を使ってみんなで一緒に働いてて、そこから言語を持つことができて、ちょっと心のようなものがあったと、まぁそんなところかな」
男、「心のようなもんってどんなもんよ?」
一郎「昔のことをちょっと思い出して、ぼんやりとかも知れないけどそれを振り返ることができて、それを将来に生かすのね。ネアンデルタール人とは別種だけど、生きていた時代が重なっているネアンデルタール人のように、仲間が死んだら悲しくって、葬式もやったかも知れない。家族愛もあっただろうね。右手が子どもほどに萎縮したままで四十歳まで生きたネアンデルタール人の化石もイラクから出たからね。こういう人が当時の平均年齢より長く生きられた。家族愛があったという証拠になるんだってさ」
妻「源氏だとか平氏だとか、農耕民族対狩猟民族だとか、南方系と北方系だとか、男はホントに自分の敵を探し出してきてはケンカするのが好きなんだから。イブさんが泣くわよホントに!」
男「そんな話は女が世間を知らんから言うことだ。『一歩家を出れば、男には七人の敵』、この厳しい国際情勢じゃ、誰が味方で誰が敵かをきちんと見極めんと、孫たちが生き残ってはいけんのだ。そもそも俺はなー、遺言を残すつもりで勉強しとるのに、女が横からごちゃごちゃ言うな。親心も分からん奴だ!」

 それから一ヶ月ほどたったある日曜日、一郎がふらりと訪ねてきた。いそいそと出された茶などを三人で啜りながら、意を決した感じで話を切り出す。二人っきりの兄妹のもう一方の話を始めた。
「ハナコに頼まれたんだけどさー、付き合ってる男性がいてさー、結婚したいんだって。大学時代の同級生なんだけど、ブラジルからの留学生だった人。どう思う?」
男「ブ、ブラジルっ!! 二世か三世かっ!?!」
一郎「いや、日系じゃないみたい」
男「そ、そんなのっつ、まったくだめだ、許せるはずがない!」
一郎「やっぱりねー。ハナコは諦めないと言ってたよ。絶縁ってことになるのかな」
妻「そんなこと言わずに、一度会ってみましょうよ。あちらの人にもいい人も多いにちがいないし」
男「アメリカから独立しとるとも言えんようなあんな国民、負け犬根性に決まっとる。留学生ならアメリカかぶれかも知れん。美意識も倫理観もこっちと合うわけがないっ!!」
妻「あっちは黒人とかインディオ系とかメスティーソとかいろいろいらっしゃるでしょう?どういう方?」
一郎「全くポルトガル系みたいだよ。すると父さんの嫌いな、白人、狩猟民族ということだし。やっぱり、まぁ難しいのかなぁ」
妻「私は本人さえ良い人なら、気にしないようにできると思うけど」
一郎「難しいもんだねぇ。二本脚で歩く人類は皆兄弟とは行かんもんかな。日本精神なんて、二本脚精神に宗旨替えすればいいんだよ。言いたくはないけど、天皇大好きもどうかと思ってたんだ」
男「馬鹿もんっ!!日本に生まれた恩恵だけ受けといて、勝手なことを言うな。天皇制否定もおかしい。神道への冒涜にもなるはずだ。マホメットを冒涜したデンマークの新聞は悪いに決まっとる!」
一郎「ドイツのウェルト紙だったかな『西洋では風刺が許されていて、冒涜する権利もある』と言った新聞。これは犯罪とはいえない道徳の問題と言ってるということね。ましてや税金使った一つの制度としての天皇制を否定するのは、誰にでも言えなきゃおかしいよ。国権の主権者が政治思想を表明するという自由の問題ね」
妻「私はその方にお会いしたいわ。今日の所はハナコにそう言っといて。会いもしないなんて、やっぱりイブさんが泣くわよねぇ」 
男「お前がそいつに会うことも、全く許さん! 全くどいつもこいつも、世界を知らんわ、親心が分からんわ、世の中一体どうなっとるんだ!!」
と、男は一升瓶を持ち出してコップになみなみと注ぐと、ぐいっと一杯一気に飲み干すのだった。


(当ブログ06年4月7日に初出。そのちょっと前に所属同人誌に載せたもの)
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書評「近現代日本史と歴史学」   文科系

2020年07月12日 06時35分56秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 中公新書のこの本の著者は成田龍一氏、日本女子大学人間社会学部現代社会学科教授で、「専攻・歴史学、近現代日本史」とあった。

 この本の最大の特徴は、本の題名が示す通りで、激しいネット議論が最も多い近現代日本史を通じて歴史学という学問自身を改めて根本から考えてみようという点にある。何よりも初めに、そのことを概論した「はじめに」と「序章 近現代日本史の三つのパラダイム」を要約してみよう。

 歴史とは先ず何よりも「無数の出来事の束」である。その中から何かを選んでものを語っている事自体にすでにその出来事などの「選択」、「解釈」、「意味づけ」などの作業が含まれている。ある解釈に基づいて通史、時代、事項などを叙述したものが「歴史像」であって、歴史学とはこういう歴史像にしていく作業なのである。
 という事自身が、「歴史論とは事実の説明にすぎぬ」とだけ考えているやのネトウヨ諸君にはもう解説が必要だろう。

 明治維新一つとっても、そのなかの例えば開国一つを採ってみても、これらを説明していくのに不可欠な重要な出来事一つずつを採ってみても、まず、当時の「無数の出来事の束」の中からこれらを重要として選び出した選択・解釈やその基準があるということだ。そういう解釈や基準は、日本史全体を動かしてきた要因などにも関わる過去の歴史学(者)らの諸学説などを踏まえれば踏まえるほど、精緻なもの、学問として水準の高いものになってくる。歴史を解釈する方法論が豊かになるほど、歴史の叙述が豊かで、精緻なものになるという事だ。 

 ところで、この解釈という事がまた、変わっていく。重大な新資料が出てくると換わるのは当然としても、解釈者自身らの時代も移り変わるところから歴史事実の束に臨む「問題意識」自身が変わるからである。近現代史における解釈変化の一例として、こんなことを著者はあげる。
 明治維新の基点である近代日本の始まりをどこに観るか自身が、変わったと。1950年代までの基点は1840年代の天保の改革の失政だったと観られていて、1960年にはペリー来航(1853年)がその基点に替わったというのである。歴史学会自身いおいて、そのように通説が変わったと。


 さて、近現代日本の通史を見ていく見方、解釈法、思考の枠組みについて作者は、科学史の用語を借りてパラダイムと呼ぶ。そして、大戦後の日本近現代史学会には、2回のパラダイム変化が見られたと論を進める。つまり、日本近現代史を通した解釈について、戦後三つの解釈枠組みがあったと。もちろん、前の解釈枠組みを踏まえて後の解釈枠組みが、地層が重なるように生まれてきたわけだがと条件を付けて。この三つとは、こういうことになる。
 第一が「社会経済史」ベースのパラダイム。第二が「民衆史」ベース、第三が「社会史」ベースだったと。第一ベースは既に、戦前の30年代からあったもので、第二は1960年ごろに始まり、第三が始まったのは1980年ごろだとも述べられてあった。
 ちなみに、日本史教科書のパラダイムは、第一期をベースにして、第二期の成果も取り入れている程度のものだという説明もあった。

 さて、以上を踏まえた上でこの本の全体はこう進んでいく。日本近現代史の各章名に当たるような重要事項、時期それぞれがこの三つのパラダイム変化によってどのように解釈変更されてきたかと。
 先ず、明治維新には、開国、倒幕、維新政権と、三つの章が当てられる。以降は「自由民権運動」、「大日本帝国論」、「日清・日露戦争」、「大正デモクラシー」、「アジア・太平洋戦争」、「戦後社会論」と、全9章が続く。この9項目それぞれにおいて、三つのパラダイム時代でどこがどう解釈改変されてきたかと説明されていくわけである。

 
コメント (2)
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