グランパスに来たこの選手、その何戦かを観て、天才という言葉が使われてきたその理由がよーく分かった思いだ。
先ず何よりも、低速で走っている姿でさえ、誰が観ても美しい。表現すれば、こんなふうになる。美しく背筋が立って膝を伸ばした着地フォームに乗って、最小限の力でスピード豊かに走っている。そのプレーが柔らかく速いのは、あるプレーに不必要な力が全く入らず、必要な部分にだけそれも最少限の力でプレーできる運動神経の極意というもの。あれだけ脱力して、速く、合理的なプレーができれば、先の清水戦のゴールのように、ゴール前混戦では格別に強いだろう。人よりも一歩速く、かつ正確に動けるのではないか。因みに、鈍才岡崎慎司が若い頃に杉本コーチについて苦労して磨き上げてその今を築き上げた「走り出し」が、柿谷の場合は凄まじく速い。脱力した状態からの最初の一歩、二歩の身体の使い方がうまいからだろう。
さて、あれでは、「当たり弱く育ったのではないか?」などと思うのだが、近頃は左に非ずで、相手ボールにも時に格別に力強く踏み込んでいく場面も多い。でも・・・、
早熟なドリブル天才などは、広い視野や走力を鍛える時期を失って消えていくことが多いと聞いてきたが、これだけの天才・柿谷がそれに見合う成績を上げることが出来ていない弱点は一体、何なんだろう。やはり、ゲーゲンプレス発明以来の世界サッカーでひときわ高く要求されるようになった「デュエル」の力が足りないのではないか。なんせこんな柿谷ならば、見えている相手との1対1の競り合いなんぞは軽々と交わしてこれたはずだから。今の柿谷に必要なのは、相手1人を制する力ではなく、2~3人を制し、すり抜ける力ではないか。今や大復活した川崎の天才・家長が持っている力である。今のグランパスには幸い、米本、稲垣、長澤というデュエルの天才たちがいる。柿谷には、彼ら二人ほどに協力してもらって、彼らをすり抜ける練習を重ねたら良いなどと思う。筋肉の強さは、アジリティーや持久走力とは違って、生理学上最も遅くまで鍛えられるもと分かっているのだし。これだけの天才が、その能力を十分に発揮できないでこのまま終わっていくのは惜しすぎる。