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美し過ぎる柿谷曜一朗に望む  文科系

2021年05月18日 12時36分02秒 | スポーツ

 グランパスに来たこの選手、その何戦かを観て、天才という言葉が使われてきたその理由がよーく分かった思いだ。

 先ず何よりも、低速で走っている姿でさえ、誰が観ても美しい。表現すれば、こんなふうになる。美しく背筋が立って膝を伸ばした着地フォームに乗って、最小限の力でスピード豊かに走っている。そのプレーが柔らかく速いのは、あるプレーに不必要な力が全く入らず、必要な部分にだけそれも最少限の力でプレーできる運動神経の極意というもの。あれだけ脱力して、速く、合理的なプレーができれば、先の清水戦のゴールのように、ゴール前混戦では格別に強いだろう。人よりも一歩速く、かつ正確に動けるのではないか。因みに、鈍才岡崎慎司が若い頃に杉本コーチについて苦労して磨き上げてその今を築き上げた「走り出し」が、柿谷の場合は凄まじく速い。脱力した状態からの最初の一歩、二歩の身体の使い方がうまいからだろう。

 さて、あれでは、「当たり弱く育ったのではないか?」などと思うのだが、近頃は左に非ずで、相手ボールにも時に格別に力強く踏み込んでいく場面も多い。でも・・・、
 早熟なドリブル天才などは、広い視野や走力を鍛える時期を失って消えていくことが多いと聞いてきたが、これだけの天才・柿谷がそれに見合う成績を上げることが出来ていない弱点は一体、何なんだろう。やはり、ゲーゲンプレス発明以来の世界サッカーでひときわ高く要求されるようになった「デュエル」の力が足りないのではないか。なんせこんな柿谷ならば、見えている相手との1対1の競り合いなんぞは軽々と交わしてこれたはずだから。今の柿谷に必要なのは、相手1人を制する力ではなく、2~3人を制し、すり抜ける力ではないか。今や大復活した川崎の天才・家長が持っている力である。今のグランパスには幸い、米本、稲垣、長澤というデュエルの天才たちがいる。柿谷には、彼ら二人ほどに協力してもらって、彼らをすり抜ける練習を重ねたら良いなどと思う。筋肉の強さは、アジリティーや持久走力とは違って、生理学上最も遅くまで鍛えられるもと分かっているのだし。これだけの天才が、その能力を十分に発揮できないでこのまま終わっていくのは惜しすぎる。

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覚えておこう、「五輪強行」は「破廉恥の領域」 文科系

2021年05月18日 09時51分53秒 | 国内政治・経済・社会問題

    中止・延期が世論調査7割の五輪をなぜまだやろうとしているのか。はっきり言って、国民の命そっちのけでも、政権維持で権力にしがみつく輩だからなのだ。今年かならずある国政選挙に向けて、自民浮上の五輪をどうしても狙いたいのである。テレビに度々出てきて「令和です」とか言っている人に投票してきたというような国民も愚かなのだが。この選挙に向けてこそまた、五輪中止なら起こりうる安倍官製バブルのツケ・日本売りも避けたい、とか。これは政治としてはもはや破廉恥の領域の「選挙勝利だけ政治」と言えるが、そんなことはもう分かっていた。という拙稿を再掲したい。戦後長く政権にしがみついてきた自民政権とは、結局こういうものに堕落したと覚えておくために。


【 「破廉恥の領域」、安倍前首相  文科系 2021年01月14日 

 政治家としての安倍前首相はもはや、破廉恥の領域に入っていると思う。「国権の最高機関」・国会において、これまで嘘を吐き通してきた桜前夜祭。その会場であるホテルの明細書、領収書を国会に提出するのを改めて拒んだと、昨日今日ニュースが流れている問題だ。こう、応えたのだそうだ。
「事務所にはない。(ホテル側が)再発行もしない」
 こんな国会対応がそもそも一体、許されるのか。日本国家の最高機関に対して、ふざけすぎた応えと言える。ちなみに、この問題には、明細書、領収書が出れば示されるはずの公職選挙法違反よりもはるかに大きい破廉恥が重なっているのである。
 桜を観る会は「国家功労者を称える行事」と聞いているが、こんな場に安倍を筆頭として自民党議員たちの「個人選挙功労者」らが呼ばれ、その数が年々増えてきたと報道された。国家行事、国家予算の私物化なのである。この問題は、選挙違反よりもその意味も、規模もはるかに大きいものと愚考した。

 ところが、それ以上に大きいと思われる安倍の破廉恥がもう一つ存在する。森友にかかわる「財務省ぐるみ忖度・殺人」事件だ。局長以下の財務省が組織ぐるみで首相忖度執行を行い、彼の国会答弁一言によって今度は一転、この忖度執行の「取り消し」、証拠改ざんに邁進したのである。安倍のこの一言「私か妻が関係していたら、議員も辞めます」は言いっ放し、忖度と改ざんの先頭に立った局長は栄転したままだ。国家公務員・官僚組織が国民のためはそっちのけで、政治家利権やその悪行の尻拭いに走りまわる政治って、一体何なんだ!

 さて、こんな全てが、現在まで放置されているのである。放置どころか、「何が悪い!」、「(口だけではなく)暴露、追及できるならやってみろよ!」と、明らかに開き直っているのである。反社会的勢力並みの暴力だが、これも国会における絶対多数派を背景にした暴力なのである。国会野党の質問で自分がやりたくない応答を迫られた時「(それを行うかどうかは)国会がお決めになることです」。政党が暴力団になっている、こんなのが政治であるわけがない。絶対多数派政治がこんなに怖いものって、ヒトラー、東條を思い出させるような実は暗い世の中なのである。こういう行為を重ねてきた連中から、国民生活に真に思いを馳せるコロナ対策など出てくるわけがない。コロナ対策においても、選挙で勝つための道だけを探っているはずだ。

 こういう政治すべてを人は権力亡者と表現してきた。「五輪をやるためにこそ、やっとぎりぎりコロナ対策に励みはじめた」、権力亡者らしい発想が垣間見えてならないのである。

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