九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

「音楽」生活の一断面   文科系

2009年05月23日 12時15分50秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
ギター友達と最近書きあった文章を転載してみたい。彼女のブログ文章と、そこからのコメントのやりとり1回分を。ここに「ギター遊び兼飲み会」のことを何回か書いたが、そのメンバーの一人です。

まず、ブログ本文。
【ガボットー11  2009年05月20日 (水)
新しい弦に張り替えたアルトギターでレッスンを受けた。弦の張りが気になったが先生は「聞いていてそんなに気にならないからいいんじゃない」と言われ、いよいよこの状態で本番に向かうことに決定した。
綺麗に無傷で弾くか 荒くてもパフォーマンスを加え演技するか 色々弾き比べて聞いてもらった。
私は失敗しないように(この曲を今度の発表会で弾くんです。文科系)無難を選ぶので、先生は不服だった。もっと、どう表現をしたいのか、何をやりたいのかはっきりメリハリを付けるようにと、強く希望された。失敗すると引きずる性格なので・・・とブツブツと言い訳していた。
Oさんからの電話で 里山歩きの会(名前を変えてあります。文科系)のTさんがすい臓がんで亡くなったと聞いてびっくりした。彼女は1940年生まれで同世代。才女で編み物教室の先生をしたり 色々なサークルで活躍していた。海外旅行暦60回で会うたびに旅行の話を聞くのが楽しみだった。モロッコのカサブランカの話が面白かった。私がキューバや九寨溝・黄龍へ行ったのを興味深げに聞いていたがあれから行かれたのか聞いていない。ご冥福を祈ります。
そんな電話を受けてから人生って分らないものだ。来年のミニミニだって私もどうなっているか分らない。ガボットはロンド形式なので 間違えても次のフレーズで立ち直れる。 先生の言われるように思い切り表現してみようかな?と思った。 】

僕のコメント
【 興味深い箇所がある。一つはこれ。
「綺麗に無傷で弾くか 荒くてもパフォーマンスを加え演技するか。色々弾き比べて聞いてもらった。私は失敗しないように無難を選ぶので 先生は不服だった。もっと、どう表現をしたいのか、何をやりたいのかはっきりメリハリを付けるようにと 強く希望された。失敗すると引きずる性格なので・・・とブツブツと言い訳していた」
僕の「がちゃがちゃ」が直らない原因の一つは、これだと思っている。上手く書けているし。以下、勝手なことを言うよ。

プロじゃないんだから、弾きたいように弾こうよ。『良い音楽』にする必要すら、アマの場合あるのかどうか。アマがプロの真似して、傷なく無難にを中心にして弾くだけでどうするの? 僕が1日4~5時間も弾けるのは多分、好きな曲の隅々に僕の好みを入れようとしてきたからできることなんだろうなと振り返ることが出来る。ただ年寄り発心者がそればかりだと、なかなか『がちゃがちゃ』がなくならないけどね。
でも一生それらしく人前で弾けなくても、自分がこれだけ楽しめて、没頭できたことで、僕は何よりも十分過ぎるほどに幸せだね。他人の発表会前のように毎日いつも弾けてきたと言えるほどだし。

もう一つはこれ。
「そんな電話を受けてから人生って分らないものだ。来年のミニミニだって私もどうなっているか分らない。」
前にも言ったように、僕がいろんなものに真剣に取り組んできた理由がこれ。僕は、若い頃いつか死ぬと強く意識したが、僕にとってこれは『明日死ぬ』と変わらなかった。悔いのないように生きたかったということになるよね。ここから、3人の兄弟妹と全く違った生き方になってきたんだと振り返ることが出来る。

その今の「悔いのないように」と、「大好きなギター曲」のことで報告が一つ。習い始めたバリオスの「郷愁のショーロ」の全貌が、初めて今日見えてきた。僕のギター生活で最もうきうきする時なのだが、なにか、なんというか「もの凄い曲」だと感じる。例によって狂ったように弾き続けるのではないだろうか。大昔の月光、04年のローボスのプレリュード、05~6年のマリエタ、07年バッハのサラバンドと、これらレベルの「好きさ」かも知れないと、今感じている。

アグスティン・バリオス・マンゴレ。1885年にパラガイに生まれて、1944年にエルサルバドールで死す。
1906年 パラガイのアスンシオンで演奏活動開始。
1910年 アルゼンチン、ウルガイで演奏活動。
1916年 ブラジルに移り、以降15年この国を本拠とする。
1931年 大好きな放浪(演奏)の旅へ。ベネズエラなどで演奏。翌年、ニッガ・マンゴレと名乗る。ニッガはアグスティンの逆さ読みで、マンゴレは昔のパラガイ・グアラニー・インディオ酋長の名前。パラガイ人は皆、この部族の血を受けている。(文科系注 この人、オランウータンに似た容貌魁偉な大男だったらしい。パラガイ人だったことや、インディオの血を誇りにしていたようだ)
1934~36年 ヨーロッパ演奏旅行で、名声を博す。その後エルサルバドール音楽院ギター科教授
1938年 コスタリカで心臓病発作
1944年 エルサルバドールで死す。

バッハ、ソル、ショパンを好きで、影響を受けた。パラガイ、ブラジル、アルゼンチン、チリの民族音楽も取り入れている。その他の代表曲 大聖堂、フリア・フロリダ、ワルツ
2009/05/20(水) 23:42:49 】

最後が、これに対するお返事。
【  Re: バリオス
Tちゃん(僕の名前です 文科系)、バリオスすごくいいでしょ。私も大好きです。”大聖堂”と”クリスマスの歌”を練習しましたが どちらもいくら弾いても飽きないです。”郷愁のショーロ”もいつか弾いてみたい曲です。憧れが”森に夢見る”ですがこれはとてもとてもですね。

ガボットは いつもよりは冒険してみますね。バッハの曲なのでバロックの世界に浸りきってみたいです。
2009/05/21(木) 18:22:19  】
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こんな歌も     落石

2009年05月23日 09時50分30秒 | Weblog

   アメリカのようだな水戸の御老公内政干渉しては立ち去る

    (これなど傑作!)

  核発射ボタンをだれも見たことはないが誰しも赤色と思う
 
    (そうだよな。赤いと思っていました。)

  奥行きのある廊下など今は無く立てずに浮遊している、なにか

    (最後は、渡辺白泉の俳句「戦争が廊下の奥に立つてゐた」の
    本歌取り。いまの戦争感を捉えてみごと。)

作者は、松木秀さん、1972年生まれ。もともと短詩作家としての出発は川柳。
皮肉とユーモアが面白い。

好き嫌いはありそう。でも、なかなかの名歌では?





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憲法を道具としてどれだけ使えるかが重要」       田村理さんへのインタビューから

2009年05月21日 10時41分14秒 | Weblog
★私は最近「金科九条族」と言われて、護憲派・護憲運動について振り返ってみようといろいろな辛口の意見を探して勉強し、反省することにしました。
 そうした中で、マガジン九条のインタビュー記事に出会いました。   http://www.magazine9.jp/interv/tamura/index2.php
 専修大学の憲法学者・田村理さんとのインタビュー記事です。
 「最近の護憲論や運動は「条文至上主義」になっている」と批判する氏の主張には耳を傾けるかちがありました。是非上記のアドレスにアクセスしてみてください。(まもる)

 <インタビューの一部>
『9条に限ったことではないのですが、憲法論議でありがちなのは「条文ではこう書かれている」とか「こういう条文にすべき」というレベルの話で終わってしまうことです。肝心なのは「憲法の条文で定められているとおりに国家=権力を動かせるかどうか」「国家=権力に条文どおりに行動させるにはどうしたらよいか」です。憲法は「使ってなんぼ」なわけで、僕たちが道具としてどれだけ使えるかが重要なんです。
 9条も同じこと。本来ならば、護憲派のほうから、9条の理念と自衛隊が海外に派遣されている矛盾をどうやって解消するのか、自衛隊や日米安保を将来どうするのかといったことについて問題提起をすべきです。ところが、現状(自衛隊や日米安保)を全て肯定しながら、とにかく「素晴らしき9条は変えてはいけない」と言う。こうなると、9条はまるで拝礼の対象です。「教育勅語」がそうであったように。何かを拝み、すがりたい気持ちは分かります。でも、9条を拝んだら国家=権力が日本を平和にしてくれるのでしょうか?』
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したくない事をさせる権利は?裁判員制度は憲法違反だ!!        まもる 

2009年05月21日 09時45分49秒 | Weblog
★グループメールの仲間から次のようなメールが届きました。
 まったく賛成です。

『シンプルに言って、「人を裁く義務」は、憲法のどこにも書かれていません。
ゆえに、「人を裁くこと」は、国民の義務ではないと考えます。
基本的人権と公共の福祉(みんなの幸福)を破壊する
裁判員制度を強行実施しようとしている
最高裁と法務省は、憲法違反の重大犯罪者になるのではないでしょうか?

現代の赤紙・召集令状とも言える裁判員制度を廃止させることが、
私たち国民の『義務』であると考えています。』

この制度が国民の義務なら憲法を変えてからにすべきだろうと思うのですが。70パーセント以上の国民がしたくないという制度を強行するのは、司法の独善的なファッショではないでしょうか。(まもる)

★別のブログでのこの記事へのコメントも紹介しておきます。

結論大賛成 (Unknown)

憲法37条1項「すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する」
裁判所という概念は建物を指すわけでなく、具板的には裁判官、その裁判官は、憲法と法律にのみ拘束され自己の良心に従って独立して職権を行う裁判官です(憲法76条3項)。

憲法上、専門的知見を持ち独立した良心的な裁判官の裁判を受ける権利が被告人に保障されているのに、市民感覚なるもので有罪・無罪が左右され量刑が決められるのは、「被告人の憲法上の権利の侵害」だと私は考えています。その意味で憲法違反であると。

あなたが何か犯罪を犯したか、侵した疑いで法廷に立たされて、素人の市民を前にしたと想像して下さい。
「裁判員殿!、あなたたちが私を裁くのか。あなたたちは被告人を裁く権利があるのか、私に死刑を宣告する権利があるのか。どういう責任をもって、それを行い得るのか」と言いたくなりませんか。

国民は、その意に反する苦役に服させられない(憲法18条)。

九条の問題ではありませんが、是非、みなさんの意見をお聞きしたいと思います。
時機ににかなった投稿ありがとうございます。



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「9条教」信者たち、いいかげんに目を覚ませ・・という意見

2009年05月20日 23時28分43秒 | Weblog
★上記のような表題のメールを友人からもらいました。
 こうした主張がネットにも巷にも喧伝されています。ある九条の会のブログにも同様の主張を紹介しましたが未だ反論はありません。馬鹿馬鹿しいから反論しないのかとも思いますが、護憲運動を進める立場ならばこうしたレベルの主張にこそ反論または評価すべきなのですが?どうお考えでしょうか。(ネット虫)
**********************************
「9条教」信者たち、いいかげんに目を覚ませ
      平和主義維持して自衛権認める憲法改正が可能だ

日本では「憲法9条は世界の宝」と豪語する護憲派が過半数を占める。来年にも、国民投票法により改憲が可能になるなか、各地で「9条改憲阻止」の運動が繰り広げられている。しかし筆者は、9条は是非とも改正すべきではないかと国民に問いかけたい。
 国際関係学を専攻していた大学時代、まず最初に教えられたのが、「世界は無法地帯」だということだった。つまりは弱肉強食のサファリに各国が自己責任で生きている。話し合いによる解決は、限度を超えれば機能しなくなり、力による解決に最終的には頼らざるを得なくなる。だからこそ、世界のほとんどの国は正式な軍隊を保持している。

★ 抑止力としての軍事力

 だからといって、簡単には戦争にならないだろう。戦争には多大なコストがかかるので、誰でも避けたいと思う。だが、考えなければいけないのは、軍事力というのは、必ずしも実戦のためにあるのではないということだ。もしぶつかりあって戦闘になれば、それなりの損害を被るかもしれない。それなら折れた方がましだと相手側に思わせ交渉を有利に進めさせたり、相手側の侵略の意志を削ぐことにもつながる。いわゆる「戦わずして勝つ」ということを可能にする役割だ。
 こちら側が貧弱であることが相手側の侵略行為を誘発させる要因にもつながる。軍事力を保有していることこそが通常の平和維持に役立つ。治安がよく事件が起こってないから、警察を廃止してもいいとは、誰も言わないのと同じことだ。

 ★パリ不戦条約の後に第2次大戦が起こった

 いや、それでも、話し合いでやっていくべきだ、として9条の元になった1928年締結のパリ不戦条約を持ち出すのが護憲派のパターンだ。だがご存知のとおり、その後、第2次世界大戦が勃発したのはいうまでもない。崇高な理想は結局叶わず、現代に至っているのだ。持ち出すには、あまりにも説得力に欠ける。

 ★コスタリカと日本では違いすぎる

 護憲派が次に持ち出すのは、非武装中立の国・中米のコスタリカだが、あまりにも国情が違い過ぎる点を見過ごしている。コスタリカは人口が400万人と、日本とは2ケタもの規模の違いがある。
 また、コスタリカにはこういう事実があることをご存知だろうか。隣国のニカラグアから100万人もの難民を受け入れ、その子供たちを学校に通わせている。政治への参加意欲もとても強い。軍事力を放棄したとして日本が、それだけのことを出来るかどうかには大いなる疑問が残る。

 ★虐殺行為を放置してもいいのか

 「どうせ軍隊は市民を守らない」と過去の軍隊の暴挙を挙げる人々がいるが、それは事実だとしても、同時にこんな過去の事実も見逃してはならない。それは、アフリカのルワンダで1994年に起こったルワンダの虐殺だ。100日間で100万人もの人々が、民兵に虐殺された事件だが、その時、被害を受けたルワンダ人は「国連が我々を見捨てた」と虐殺を誰も止めに来なかったことを非難している。

 「現場で戦争反対」「9条の精神を活かせ」とプラカードを掲げて、虐殺が止められたと護憲派の人々はお思いなのか。結果、見殺しにすることになる。「専守防衛」は、一国平和主義でしかなく、人類全体の平和に貢献することになってない。

★「世界が9条を選び始めた」というウソ

 護憲派の主張するそんな潮流が本当に流れているのだろうか。中国は、空母を建造する計画だし、オーストラリアは、今後の中国の軍拡に対抗して軍備増強計画を発表している。抑止力として軍事力を機能させるためにはパワーバランスをとらないといけないのは常識だ。

★田母神氏更迭と9条

 昨年、航空自衛隊の幕僚長の地位を更迭された田母神氏は、「文民統制を問題にするのなら、自衛隊を軍隊として認めろ」と、その後、方々で発言している。自衛隊という定義は、専守防衛という概念とともに、非常にいびつな存在なのである。装備がありながら、いざ使うとなると憲法違反になる。過去において、領空侵犯や領海侵犯があったとき、政府から「ことを荒げるな」と指示を受けたため、ろくな対応ができず現場の自衛官がつらい思いをしたことを田母神氏はじめ、元自衛隊幹部は語っている。

 不審船を沈めたり、領空侵犯した飛行機を撃ち落とす行為を1度していれば、それが抑止や威嚇になる。その後の侵犯を防ぎ、大きな戦闘を未然に防ぐことにもつながる。また、そのようなことを、堂々とする、できることを宣言することも、立派な抑止なのだ。いざとなったら超法規的措置しかないでは、相手に隙を与えることになる。
 集団的自衛権に関しては、同行した他国の軍隊を日本が守れない状態では、敵側は、まず他国軍を攻撃することになり、友軍を危険にさらすことになる。それでは対等に扱ってもらえない。そのことで、米国からは代償を求められ、属国的な立場を強要される結果となっている。

★右翼、左翼で9条を論じるな

 上記の理由で憲法9条を改正するのは当然のことだと分かるはずなのに、なぜ今まで日本では、それが行われなかったのか。

 それは、冷戦構造における左翼と右翼というイデオロギーの綱引きのせいではなかろうか。左翼は概念的な絶対平和主義を掲げ、右翼は復古主義を掲げる。どちらも現実的には受け入れられない。どちらも自分たちの情緒的な空間を守るために護憲・改憲を論じていたような感覚だ。その結果、議論がいつも停滞する。

★ 自衛権と多国間平和維持活動明記を

 来年にも憲法は改正の手続きが可能になる。そのうえで筆者は以下のような改正案を素人ながら提案したい。9条2項以降の改正だ。これまでの条文は生かしており、平和主義を保ちながらも、現実的な対応が可能な案だと思う。

(改正案)
 2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、(自衛及び多国間の連携による世界の平和と秩序の維持を目的とする場合を除いて)、これを保持しない。国の交戦権は、(他国の主権を脅かす侵略目的としては)、これを認めない。

 以下の2項は「加憲」である。

 3、軍の統帥権は内閣総理大臣にある。
 4、いかなる事情があろうと非核原則を守る。
(以上が改正案)

 第4項は、被爆国・日本ならではの人類平和に対する大いなる貢献になると思う。より平和主義が強化された形だ。

 真に平和を実現したいのならば、ただ祈るのではなく、一歩一歩着実にそれを可能にしていく行動を起こすべきだろう。そのためには、外交と共に、それに連動する軍事や戦争のことをよく知り、現実的な対応策を考えるべきなのである。

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是非この歌声を聴いてください     まもる

2009年05月19日 22時57分49秒 | Weblog
★この冬「アメリカばんざい」というイラクの戦場に送りだされるアメリカの青年の悲劇を描いた映画を見ました。
 内容もさることながら、サウンドトラックとして流れる「全ての世界の母親のために」という切々とした歌声に心をうたれました。
 是非もう一度聴きたいと思っていたところ、次のHPで聞くことができると知りました。
これは歌い継がれていく名曲になるような気がします。
 ぜひ一度お聞きください。

☆「「アメリカばんざい」オフィシャルサイトhttp://www.america-banzai.com/
上記のサイトでこの歌を聴くことができます。

画面の左側にあるコンテンツの中から「SOUND TRACK」を選択すると聴けます。
英語の歌詞と日本語訳が表示されます。

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前線の句の迫力         まもる

2009年05月18日 21時38分53秒 | Weblog
★戦時中の俳句、いわゆる「戦火想望俳句」に関心があり捜しているのだがなかなか見つからない。
 とりわけ従軍中の最前線の句というのには御目にかかれない。そんなとき俳句ネットをうろうろしていたら、次の様な句に出会った。
 作者は三橋敏雄。

  射ち来たる弾道見えずとも低し
  嶽々(やまやま)の立ち向ふ嶽(やま)を射ちまくる
  嶽を撃ち砲音を谿に奔らする
  砲撃てり見えざるものを木々を撃つ
  そらを撃ち野砲砲身あとずさる
  戦車ゆきがりがりと地を掻きすすむ
同じように戦時俳句を作って有名な敏雄の師渡辺白泉は戦争を次のように詠んでいる。
  三宅坂黄套わが背より降車         
  遠き遠き近き近き遠き遠き車輪      
  銃後と言ふ不思議な町を丘で見た      
  憲兵の前で滑つて転んぢやつた       
  戦争が廊下の奥に立つてゐた        
  玉音を理解せし者前に出よ         
  新しき猿股ほしや百日紅
両氏とも優れた戦争句であるが、そのリアルな緊迫感という点で私は敏雄の句が好きである。
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マスコミの越権  文科系

2009年05月17日 08時52分53秒 | 国内政治・経済・社会問題
14日のエントリーで僕はこう書いた。この動きが、民主党党首選挙のなかでさらに拡大されていると思ったものだ。怖い感じすらする。


【 こんな場合の世論って、一体なんだ。「検察が3重のルール破りをし」、このルール破りを黙認するだけでなく検察の一方的リークだけを世に垂れ流してまで形作られたこの世論って。そしてマスコミは今やこの世論でもって、民主党の中にまで大々的に手を突っ込み、かき回し始めたらしい。今朝の毎日新聞1面トップ大見出しに、こうあった。
「民主党次期代表 『岡田氏を』最多25%」、「本社世論調査 鳩山氏は13%」

こんな大見出しの「世論」を錦の御旗とした関連記事は、こんなふうに一方だけを持ち上げて見せている。すべて、上の「小沢問題世論」を持ち出してのことなのである。
「『非小沢』派の目には、『鳩山後継』を狙う小沢氏が『世論は岡田氏』と見て国会議員のみの投票を急いだと映る」
「一方、岡田氏を支持する前原誠司副代表は『国民的人気がある代表を選ぶことで、より政権交代の可能性が高くなる』と調査結果を歓迎する。党内情勢と世論の『ねじれ』については『(党所属議員は)こういった調査結果を重く受け止めて判断するのではないか』と語り、世論に合わせた流れが生まれることに期待感を示した」

一つの野党内部問題での、もの凄い世論誘導ではないだろうか。そして、これらの記事を前にするとき、官僚・政府・マスコミ一体のこんな雰囲気を改めて強く感じてならない。
「官僚出身の岡田克也ならば、小沢とは違って官僚制度に対して節度を心得ているはずだ」

みなさん、こう思われないだろうか。この「国策捜査」と、それに先導された「政府・官僚・マスコミの同調」と、これらに動かされた「世論」とがラセン状に相乗しあい、ファッショの雰囲気がどんどん醸成されていると。】

欧米などの旗幟鮮明を旨とするマスコミはいざ知らず、中庸を装ってきた日本のマスコミのなんという激変かと思う。一つの野党内の選挙の一方をこれだけ持ち上げ、他方をこれだけ貶めてみせる。しかもその間中、小沢よりも遙かに酷い自民・二階などには、検察に同調して言及なしなのだ。
この全てが「世論」を根拠にしてのことなのであった。その世論など自分らが軽く左右出来ると思っているくせに。こういう、マスコミが世論を我田引水していく様はもう、何と語ったらよいのだろうか。これら全ての内容が検察に同調しているのだから、ファッショと語っても良いのだ。

「大本営発表」を思い出して、怖すぎる。


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高校生の心配    落石

2009年05月16日 09時00分28秒 | Weblog
新型インフルエンザに罹っていないことが
分かった高校生たちが、家に帰りました。

NHKによると高校生のなかに
「私達は菌でない」というものがありました。
これから学校に帰って差別されたり
虐められたりすることに対する恐れです。

はじめの大阪府の知事がマスクについて
コメントしているのを見て
???でしたが、誹謗中傷に対するコメントだったとは。

直感的に思うのは、これって寛容の精神を
失った戦中の「銃後」の世界ににているのでは?
というものです。
私はまだ幼児だったのでワカリマセンが。

敵をつくって自分たちの陣営を固めようという
防衛本能が今のニホンにも蔓延し、
過剰な反応を引き起こしているかな?
という直感ですが・・・

簡単に敵をつくる空気コワイですね。
  


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小沢代表辞任後の混乱と真の政界再編        天木ブログより

2009年05月16日 08時52分49秒 | Weblog
★私の愛読する天木ブログhttp://www.amakiblog.com/blog/で小沢辞任以降の日本の政治的展望について書いている。天木氏は「小沢一郎は機を見て民主革命新党を立ち上げるべきだ」の持論を展開している。教えられるところも多いので紹介したい。 (ネット虫)

小沢代表辞任表明のインパクト
         ―政界大混乱と真の政界再編の予感


・・・・ 国家権力を甘く見てはいけない、権力に群がる者たちの卑劣さを軽視してはいけない、果たしてそれで闘いきれるのか、という疑念は私の中に常に底流としてあった。それが、官僚として国家権力を内側から見てきた私の考えであった。
 果たせるかな、権力側の必死の小沢つぶしと、その使い走りである官僚とメディアの小沢攻撃は執拗かつ強固なものだった。それが奏功して小沢辞任の世論は強まりこそすれ、おさまることはなかった。

 しかし、それを見ているうちに、私の小沢支持はますます強まって行った。
小沢問題は私の中で、より大きな政治問題に発展して行ったのである。
 小沢事件はもはや政治家小沢一郎だけの問題ではない。民主党による政権交代の話でもない。この国の将来を左右する一大権力闘争であり、国民を分断し、国民の支持を手中にしようとする権力者の卑劣さと、それに抗う闘いとなった。
 この国に生きる以上、誰もが小沢問題から逃げるわけにはいかなくなった。
それはもはや自分自身の問題でもある。すべての国民の問題である。

 小沢民主党が敗れても、もちろん日本と言う国は存続し続ける。それどころか権力の近くにいる者たちは、ますます結束を固め、そうでない国民を踏み台にしてうまみのある生活を送るようになる。彼らにとって、日本はますますいい国になる。
 しかし、その一方で、おびただしい数の国民が踏みつけられて生きる国になる。
格差社会がさらに進み、弱者が決して浮かばれない国になる。

 そんな日本にしていいのか。いいはずはない。ならば誰かがそれを国民に気づかせなければならない。そんな日本になることを阻止しなければならない。

 小沢にその資格があるのか。小沢はそんな政治家か。
 過去の小沢は知らない。しかしいまの小沢は過去の小沢ではない。その役割を託す事ができる政治家は、いまや小沢一郎しかいない、だから私は小沢一郎にエールを送るのだ。

 小沢一郎は民主党代表を辞任した。そしてその事によって舞台は一変した。
しかもその舞台はまさにこれからめまぐるしく回る。回り続ける。
 その認識に立って、小沢一郎には最後に桧舞台に立ち、喝采の中で舞を踊ってもらいたい。
 これから起こりうる政治ドラマを想定しながら、あらためて私は小沢一郎にエールを送りたい。
 最初に指摘したい事は、小沢の辞任は早晩不可避であったということだ。それは
小沢自身が一番知っていたに違いない。そうである以上、ベストのタイミングを選ぶ事こそ小沢一郎の唯一、最大の仕事だったという事だ。
 そして結果的に小沢一郎はベストのタイミングを選んだ。その事は与党やメディアの狼狽ぶりが如実に示している。

 辞めろ、辞めろ、の大合唱の中で、突然辞めらたわけだから、批判のしようがない。しゃらくさい。そして、今度は世論の矛先は彼らに牙を向けることになる。
 それをおそれているからこそ、与党もメディアも、小沢攻撃を続けようとしている。小沢辞任は遅すぎたとか、辞めてもまだ説明責任を果たしていないとか、離党や議員辞職をしなければ不十分だ、などというのがそれである。
 辞任記者会見における記者の質問や、NHKの7時のニュースで流された小沢批判一辺倒の市民の声などを見ていると、このまま小沢に生き残られ、反撃されてはたまらない、息の根を止めなければ不安だ、という彼らの危機感がありありと感じられる。
 小沢辞任で追い込まれたのは、間違いなく自公政権であり、それを支持してきたメディアなのだ。
 しかし、民主党もまた追い込まれることになる。民主党の対応如何では、民主党は壊滅的に追い詰められる。
 なぜならば、小沢一郎の後を継ぐ党首が誰になるか、またその党首の下で結束を図れるか、という大問題が間違いなく表面化するからである。
 そしてまさしく自公政権とメディアはそこをついてくるに違いない。次なる自公政権の標的はそれしかない。そこを攻めない限り、自公政権は窮地に立たされるからだ。
 私が残念に思ったのは、小沢一郎がこの大問題を放置したまま代表を辞任したと思われる事だ。辞任の記者会見であれほど政権交代を訴え、そのための党内結束を訴えたにもかかわらず、その事を担保しないで代表を辞めたとすれば、大きな誤りだ。
 もしそうであればこれが小沢一郎の限界なのかもしれない。民主党にとって致命的になるおそれがある。そしてその懸念は十分すぎるぐらいある。

 しかし、繰り返して言う。もはや小沢一郎だけの問題ではない。小沢一郎信奉者だけの話ではない。日本の将来がかかっている問題である。民主革命を願う国民すべてにとっての、生き残りをかけた問題である。
 その思いを同じくする読者に向けて私は以下の事を書く。ピンチはチャンスでもある。小沢辞任をチャンスにする大胆な発想がいまこそ求められる。

 重要な事は政権交代を実現することだ。そしてその政権交代は、民主革命的なものでなくてはならない。この二つの課題を達成するためにはどうすればいいか。どう情勢が展開していけばいいか。

 政権交替は早いほどいい。しかし急ぐあまり不完全なものであってはむしろ禍根を残す。小沢民主党による政権交代はもちろん望ましい。しかし、民主革命はなにも民主党でなければ出来ない訳ではない。今度の選挙ですぐに実現しなければならないものでもない。
 結論から言おう。小沢一郎は、状況如何では民主党を離党し、民主革命新党を立ち上げて、政権とりをめざすべきだ。
 私がそう提案する根拠はもちろんある。

 ひとつには今の自公政権ではもはやどうあがいてもこの国を救う事は出来ないということだ。たとえ今度の選挙で自公政権が勝ったとしても、政権を担い続ける事はできない。国民はかならず自公政権を見放す時がくる。
 だからこそ、小沢民主党の動向とは関係なく、自民党内部で麻生おろし、政界再編の動きが出てくる可能性がある。
 ふたつには、小沢なき民主党は、もはや政権政党になれない、たとえなったとしても長続きしない、という現実がある。小沢辞任会見の言葉とは裏腹に、民主党は解体される運命にあるかもしれない。

 今度の小沢辞任は、実は麻生自公政権に向かって放たれた矢であると同時に、前原、仙石などの内なる敵に放たれた矢でもある。もはや民主党は一体になれないのだ。仙石、前原一派は、小沢辞任によってますます民主党に居場所がなくなるのだ。小沢一郎の後任者をめぐって大混乱が生じるだろう。それを見て国民は民主党支持をさらに低めるであろう。いまのままでの民主党による政権交代はない。あっても長続きしない。長続きしても本当の政権交代にはなりえない。

 三つ目には、今度の小沢事件であぶりだされた左翼、護憲政党の限界である。
小沢辞任発表直後の各党代表のインタビューでわかった事は、日本共産党も社民党も国民の期待に沿えない政党であるという事だ。
 日本共産党が自公政権の補完政党であるという事は今度の小沢事件で浮き彫りになった。そして社民党もまた、今度の小沢代表辞任後の福島党首の発言によってその限界を露呈した。この期に及んで政治資金疑惑を追及し、小沢一郎に説明責任を求める福島社民党にはつくづく失望させられた。日本共産党以下である。社民党に
未来はない。
 そう考えた時、小沢一郎は機を見て民主革命新党を立ち上げるべきだ、という私の提案が現実的である事がわかるだろう。
 小沢一郎は、亀井静香の国民新党、田中康夫の新党日本、鈴木宗男の新党大地などを糾合し、官僚支配の打破、天下り廃止、地方分権、情報公開などを掲げた国民の為の民主革命政党を宣言すべきである。
 その公約に、対米自立と平和外交を加える事ができればなお好ましい。
対米自立とは、必ずしもただちに日米同盟を破棄すると言うことではない。
平和外交と言っても、未来永劫憲法9条を変えるべきではないという必要はない。
 戦争国家米国の言いなりになる必要はない、いまは憲法9条を変える時ではない、そういうだけで十分だ。そしてそれは大多数の国民がまさしく思っている事である。
 民主革命新党は大きな数の政党でなくてもいい。民主革命を強烈に願う結束ある集団であればいい。必ず一定数の熱狂な国民の支持が得られるであろう。
そして新しい政界再編の中で、大きな影響力を持つ政党になるであろう。
 結果として政権を左右する政党になれるに違いない。

 小沢一郎よ。本当の闘いはこれからである。すべての国民の共感を得ようとする必要はない。民主革命を望む国民とともに歩め。その国民の期待を裏切らずに歩め。必ず道は開ける。
 なぜならば、それこそが正しい政治の方向であるからだ。日本の歴史の大きな流れであるからだ。人知を超えたものがそこにはある。
    
      





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元名古屋市長本山氏のご逝去を悼みます。     まもる

2009年05月15日 11時25分31秒 | Weblog
すでに新聞で報道されたように、私たち昭和区九条の会の呼びかけ人でもあり、名古屋市長を1973年から連続3期務めた本山政雄(もとやま・まさお)氏が11日午前9時6分、急性心不全のため、名古屋市内の病院で亡くなられました。98歳でした。
 名古屋大学の教授の職をなげうち、73年、社会党(当時)、共産党の支援を受ける革新候補として市長選に出馬。保守系で4選を目指した現職の杉戸清氏を破って初当選されました。
 当時の美濃部亮吉・東京都知事ら他の革新首長と同様、高度経済成長までの都市開発を見直し、福祉政策に力を入れました。
 65歳以上のお年寄りが無料で地下鉄や市バスに乗ることができる「敬老パス」制度を73年に導入。乳幼児や高齢者らの医療費助成の拡充、保育園の増設などに力を注がれました。
 退任後も平和・護憲の立場から様々な活躍をされました。
 全国的な革新のうねりのなかで、多くの市民を勇気づけ平和、福祉社会への希望を体験させてもらった方でもあります。

 私たちの昭和区九条の会では発足の呼びかけ人として、最初に名前があがりお願いに行った方でもあります。そして当時九十五歳の高齢にもかかわらず。積極的にお引き受けいただきました。
 そして「昭和区平和平和美術展」には毎回メッセージを寄せていただきました。
 また、昨年八月の「平和の集い」に車いすで参加いただき、マイクを握って「これからも憲法九条を守るために生きていきたい、百歳になってもこの会場であいさつしたい。ともに頑張りましょう。」と元気に挨拶されました。
 そして会場の参加者はその元気さに励まされるとともに、自分たちが革新のうねりの中で市長選に未来を信じ、情熱を託した熱気と感激を思い起こし熱い拍手を送りました。
 病気がちで入退院を繰り返された昨年暮からも、「九条の会ニュース」をお届けするたびに、百歳を超えてもがんばりたいと、会の事を気にかけてくださいました。
 私たち会員も「会の呼びかけ人」に「本山さん」の名をお載せすることに誇りを感じてきました。先生の志を受け継いで「平和・護憲・福祉」に会員一同力を尽くしていきたいと思っております。
 心からのご冥福をお祈りいたします。
                    
 
★写真は昨年八月平和の集いで元気に挨拶される本山氏です。 

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民主党政権期待できそう   落石

2009年05月15日 10時43分38秒 | Weblog
今朝の中日に「名古屋市が導水路撤退」と、
大見出しの記事。
河村新市長が徳山ダムから
木曽川への導水路に反対を表明と・・・

やれば出来るんだ!という感じです。
モチロン紆余曲折はあるでしょうがね。

無駄なこと、今やらなくても良いのに、と
思っていても事態はどんどん進んでいく。
無力感が残る自民党政治。

面白いですね。河村さんにザブトン1枚。

   

また市政への助言者の外からの応援団、
なかに、これまで政府や市が実施してきた
エコ政策に批判的な武田先生もいたり・・・
(エコそのものに反対ではなく、非合理な部分を
指摘している先生です。)

面白い。面白いです。

   

これなら民主党政権も期待できそう。

ガンバレ民主党です。


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憲法の歌ひとつ    落石

2009年05月14日 18時51分37秒 | Weblog
 ニッキあめ平和憲法民主主義シュートを打てばあおあおと空


作者は、大野道夫さん。1956年生まれ。
東京大学文学部卒業、大正大学人間学部で教鞭を執る社会学者。
佐佐木信綱の曾孫にあたり、佐佐木幸綱は母の従兄弟。

  
  
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改めて、「小沢問題」の「拡大再生産」  文科系

2009年05月14日 10時46分59秒 | 国内政治・経済・社会問題
「小沢問題」はなお続いていくと思うし、「世論」次第によってはさらに不公正でさらにファッショ的な方向に進みうると、大変恐れている。

「小沢問題の諸側面」を分けて明確にしつつ、論じてみたい。
この献金の「違法性の有無」は重要な問題であるが、今の段階ではこの違法性を、誰も断言できるものではない。
が、この「検察立件が従来ルールを破った問題点」がこれだけあるとまず指摘しておきたい。
そして、「大マスコミ、政府が一致協力して意識的に違法性を印象づける」よう「世論を作ってきた」側面が強く、こういう「世論」が検察を支えて、ファッショ性をさらに醸成していく現状を、恐れている。

1 検察立件の問題点
これについては、4月26~28日にここにご紹介した原さんの論文が実に周到に描いている。
【 政治資金規正法による立件は「裏献金」、すなわち献金隠しが通常であり、政治団体の寄付であろうが企業献金であろうが、政治団体からの寄付の出所が企業であるかどうかを寄付を受領する政治家が認識していたかどうか(今回の検察が主張する容疑)も含めて、政治資金収支報告書に記載のある「表献金」は立件してこなかったのである。だから、これまでの検察の立件基準からすれば、小沢への西松からの献金は問題にならなかった。立件対象献金額も3500万円と、従来の目安1億円からはほど遠い。
 「表献金」まで立件すると、捜査の公平性(法の下の平等)という要請からすれば、政権側にある有力政治家(二階だけに限らない)を軒並み立件しなければならず、また、自民党の資金管理団体「国民政治協会」に流れる経団連会員企業の献金29億円(07年度)の中にある”ひも付き献金”(特定の政治家あての献金)も”迂回献金”、虚偽記載として捜査・立件しなければならないことになる。
 そういうわけで、検察の物理的な捜査能力ばかりでなく、自民党全体が大混乱に陥るという政治判断などにより、「表献金」は立件しないという政治資金規正法の運用を検察はおこなってきたのである。この従来の運用を東京地検特捜部はみずから踏み破っている。
 また、立件の時期が問題で、衆議院選間近で政権交代が現実味を帯びてきている時期に、政治的影響があまりにも大きくなることが確実に予想できる時期に行っている。この時期の選択も検察の捜査の政治的中立性という社会的要請を踏み破っている。

 検察の三重のルール破り、すなわち、政治資金規正法による立件・運用ルール、捜査の公平性というルール、政治的中立性というルールを検察みずからが踏み破っているという”異常”捜査が今回の特徴なのであって、この異常捜査を政権交代を妨害する政治的ねらいをもった”国策捜査”と言わずに一体何と呼ぶのか。 】

2 マスコミ、政府が不公正言動
以上のように不公正な「検察の三重のルール破り」に政府も悪のりし、大マスコミが一斉に同調して支えたという問題点がある。これがいわゆる「反小沢世論」をどれだけ大きなものにしたことだろう。そして今は逆に、「これだけの世論があるのだから」というのが民主党への最大の牽制になっているのだ。
①官房副長官がいち早く「自民党には捜査は及ばない」と断言して見せた。この副長官ポストが官僚出身の事務方トップの立場のかたであるとは周知の事実であるので、一時かなり問題になった。
②3月後半に大マスコミが一斉に「大久保秘書が犯罪性認識を自白」とキャンペーンを張ったが、その直後に彼の弁護人によってこれが否定されるという出来事があった。
③検察と弁護士しか知り得ないと言う意味で当事者の一方が欠けたこの作為的・一方的キャンペーンは極めて不公正なものであるのに、現在までのところ何の後始末もなされていず、マスコミの垂れ流し・言い放題になっている。

3 こんな世論ってなんだ?
こんな場合の世論って、一体なんだ。「検察が3重のルール破りをし」、このルール破りを黙認するだけでなく検察の一方的リークだけを世に垂れ流してまで形作られたこの世論って。そしてマスコミは今やこの世論でもって、民主党の中にまで大々的に手を突っ込み、かき回し始めたらしい。今朝の毎日新聞1面トップ大見出しに、こうあった。
「民主党次期代表 『岡田氏を』最多25%」、「本社世論調査 鳩山氏は13%」

こんな大見出しの「世論」を錦の御旗とした関連記事は、こんなふうに一方だけを持ち上げて見せている。すべて、上の「小沢問題世論」を持ち出してのことなのである。
「『非小沢』派の目には、『鳩山後継』を狙う小沢氏が『世論は岡田氏』と見て国会議員のみの投票を急いだと映る」
「一方、岡田氏を支持する前原誠司副代表は『国民的人気がある代表を選ぶことで、より政権交代の可能性が高くなる』と調査結果を歓迎する。党内情勢と世論の『ねじれ』については『(党所属議員は)こういった調査結果を重く受け止めて判断するのではないか』と語り、世論に合わせた流れが生まれることに期待感を示した」

一つの野党内部問題での、もの凄い世論誘導ではないだろうか。そして、これらの記事を前にするとき、官僚・政府・マスコミ一体のこんな雰囲気を改めて強く感じてならない。
「官僚出身の岡田克也ならば、小沢とは違って官僚制度に対して節度を心得ているはずだ」

みなさん、こう思われないだろうか。この「国策捜査」と、それに先導された「政府・官僚・マスコミの同調」と、これらに動かされた「世論」とがラセン状に相乗しあい、ファッショの雰囲気がどんどん醸成されていると。
何度も言うが、現下の世界経済状況などは、「窮余の時だし、背に腹はかえられない」とばかりの乱暴な論理を通しやすい。
僕などは「苦しい時代こそ、体制を厳しく見る目を」と思うばかりなのだが。
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どう変わる民主党   落石

2009年05月14日 10時35分37秒 | Weblog
鳩山さんと岡田さんで、
どう変わるんでしょうね?

政権交代が至上命令なら、
自民党が嫌がる岡田さんですが・・・

NHKの報道を見ていると
その辺りのことがよく分かりません。

相変わらず、誰は誰とという政局ばかりで。

どなたか解説をお願いします。

              
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