九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

内田樹さんのツイッターより   らくせき

2016年12月17日 10時05分58秒 | Weblog
北方領土問題は「南方領土」問題との関連問題です。
沖縄を米軍が「占領」している限りロシアがそれを放置したまま
北方領土の「占領」を止めることはありえません。
ソ連時代にそう明言しています。
誰が考えても北方領土問題は沖縄からの米軍基地撤去とセットでしか議論にならないのに。
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書評「ルポ 難民追跡 バルカンルートを行く」(3)   文科系

2016年12月17日 01時50分17秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 書評「ルポ 難民追跡 バルカンルートを行く」(坂口裕彦・毎日新聞外信部ウィーン特派員 著)の3回目である。今回は、15年のEUだけでも100万人という難民が生まれる背景、受け入れ側の立場、やり方などを見て、この書評を終わっていくということにしたい。

「世界総人口の113人に1人が強制移動」
 これは、2016年6月20日の国連難民高等弁務官事務所発表の見出しである。2015年末で紛争や迫害で追われた人々が過去最多の6530万人を、世界総人口73億4900万人で割り出した数字だ。その内訳は、先進国の庇護を求めた人320万人、自国に戻れず難民と認められた人2130万人、国内難民4080万人とあった。この三区分のなかで15年度の新しい数字はそれぞれ、200万人、180万人、860万人とあって、この合計が1240万人である。よって、15年度末難民総数の5分の1近くが、15年度に生まれたことになる。
 この15年度に生まれた難民の出身国内訳の54%が、シリア(490万人)、アフガン(270万人)、ソマリア(110万人)の3か国で占められているともあった(P125)。また、いわゆる地中海ルートなどを除いたこの本の舞台・バルカン半島北上ルートで多い順を見れば、シリア、アフガン、イラクの順になる。よって、難民が、戦争、内乱などから家族の命を守るために生まれるというのも明らかだろう。ただ、この本に書いてあったことだが、「豊かな人しか国外脱出難民にはなれない」のである。家など全財産を売って旅費が作れる家族、一族郎党の金を全部集めて先遣隊として出てきた父子などが多いともあった。

 さて、これを受け入れる側には明確に2種類の国がある。その両巨頭がドイツとハンガリーなのだが、この本の4,5章の題名が「排除のハンガリー」と「贖罪のドイツ」となっている。貧しいハンガリーは15年秋に4メートルのフェンスを設けてセルビア、クロアチアとの国境を閉ざしてしまった。クロアチア国境のそれは約300キロにも及ぶもの。
 他方のドイツは、「ドイツ、ドイツ!」、「メルケル、メルケル!」との掛け声が出る局面もあるような凄まじさだ。だからこそ、難民に悩む国ほとんどすべてがドイツへ、ドイツへと列車でバスで流し込んでいくという有様になるようだ。この管理された素速さについてはその(2)で見たところである。なぜドイツか。その理由はここでは語らず、想像にお任せする。ドイツの他は、オーストリアやスエーデンなども希望されていた。

 断る国の理由は当然理解できる。が、関ヶ原の戦い直前に、岐阜や三重に逃げてきた人々が居るとしたら、人としてどう接するべきか。その答えもまた、自明だろう。いわゆる経済難民との区別も難しいし、とても難しい問題だ。そして、この難問に向けて今の日本政府が世界一遅れた先進国だということだけははっきりしている。上記「排除のハンガリー」でさえ、排除策実施前の15年夏時点では、首都ブダベスト東駅がシリア、アフガン難民の「難民キャンプ」と化していたという事実もあったのだと書き留めておきたい。


 最後に、この本末尾における、アリさんら3人家族の置かれた状況を、報告しておこう。著者は、第1回の最後で書いた仮収容の土地、ドイツ南部メスシュテッテンで再会してから、約4か月ぶりにチュービンゲンの家族の仮住まいを訪れている。当時チュービンゲンに身を寄せた難民は約1200人で、その9割はシリア、イラク、アフガンの人々という。3人家族は街の中心部からタクシーで10分程の閑静な住宅街の古い二階建て住宅に住んでいた。1階には3部屋があって、シリア人など他の2家族と10畳一間ずつをルームシェアしている。この3家族皆が難民申請が認められる日を待ってドイツ語教室にバスで通いながらいろんな猛勉強をしているということだった。
「フェレシュテちゃんは、相変わらず快活だ。ギリシャのレスボス島で、ボランティアにもらった象のぬいぐるみは、ベッドに大切そうに置かれていた。二週間前から、バスで五分程の幼稚園に、午前八時から午後一時まで通っているという。こちらも無料だ」(P204)

 なお、こう言う難民受け入れ状況などの事実はすべて、仲間の難民や出身国に残された親類などに瞬時に伝わっていくのである。現代の難民らは皆、スマートフォンを持参し、ワイファイなども使いこなすから、これが難民行程などの導きにも使われているのである。


(終わり)
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琉球新報

2016年12月16日 09時46分02秒 | Weblog
【ワシントン=問山栄恵本紙特派員】沖縄県名護市安部の海岸で13日夜に起きた米軍普天間飛行場所属のMV22オスプレイ墜落事故で、米海軍安全センターが事故の規模について最も重大な「クラスA」に分類し、機体は大破したと評価していることが15日分かった。クラスAは被害額が200万ドル以上や死者が発生した事故。米軍や米国防総省は「不時着」「着陸」と説明しているが、説明とは程遠い、激しい事故だったことが今回の評価でも裏付けられた。

 同センターは事故原因については言及していないが、算定では被害額は8060万ドル(約95億円)。オスプレイの機体価格は2015米会計年度(14年10月~15年9月)の米国防予算では1機約7210万ドル(約85億円)となっており、被害総額は機体価格を上回った。

 17米会計年度(16年10月~17年9月)に入り、米海兵隊所属航空機によるクラスAの事故が頻発している。センターによると、今回のオスプレイ墜落事故や7日に高知市沖で起きた米軍岩国基地(山口県岩国市)所属FA18戦闘攻撃機の墜落事故を含め、年度内で発生した米海兵隊のクラスA事故件数はすでに6件に上る。

 同センターによると、米海兵隊航空機による17米会計年度の10月1日~12月13日までの10万飛行時間当たりのクラスA事故発生率は12・36件で、前年同時期の4・45件と比べ高くなった。











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「よたよたランナーの手記」(181) ちょっと好調だけど・・・   文科系

2016年12月15日 11時49分24秒 | スポーツ
 現在好調である。

 ぎっくり腰のことを書いたら、アクセスが急に増えた。お悩みのランナー、方々が多いのだろう。そこで、僕の長い腰痛経歴と、その都度の対処を前回にもう一度書いた。何かの参考にして頂けたらと思ったから。こういう経歴があるから、前々回書いたように11月24日に起き上がれないようなぎっくり腰をやって5日後に7キロ、10日後にはほぼ平常通りのランニング生活を取り戻せるというリハビリ上手にもなれたのである。

 その結果がこうだ。、12月1日が7・5キロで、6日には7・9キロのあと、8日8・1キロ、11日8・3キロ、13日8・4キロと走ってきた。

 こんなふうにスピードを高めていく日々には、いつもこんなことを強く感じるのである。75歳と年とっていても人間の身体って面白い物で、この程度のスピードアップを重ねていく時は、走行中の疲れが日々少なくなっていくのである。スピードが上がった日が、その前の遅い走りよりも疲れないと感じて、どんどん強くなっていく感じがするということだ。これもランナーズハイの一種かも知れないとさえ解釈してきた程。もっともこの新春1月11日辺りの1時間10・3キロというラン再開後最好調のころに比べれば全体的に遅くしか走れていないのだが、この急な回復には前立腺癌への女性ホルモン剤服薬6か月の終了が絡んでいるのだろう。これからがちょっと楽しみだ。ただ、癌治療の陽子線照射通院が開ける新年5日までは、まだまだセーブしなければならない。
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ハリルジャパン(77) 鹿島、歴史的1勝  文科系

2016年12月15日 08時09分09秒 | スポーツ
 Jリーグの鹿島アントラーズが、世界各大陸チャンピオンクラブ大会(クラブワールドカップ)で歴史的1勝を挙げた。アジア代表がどうしても崩せなかった西欧、南米の一角、南米チャンピオン、コロンビア・メデジン市のアトレティコ・ナシオナルを3対0で破って、この両地域以外から決勝戦に進んだごく珍しいチーム、国に仲間入りした。アジア・ちーむとしては初のはずだ。18日決勝戦の相手は西欧・スペイン代表のリアル・マドリッド。
 去年の広島がやはり、南米代表のアルゼンチンはリーベル・プレート相手に優勢だったのに0対1で惜敗するまで、次第に「勝てるかも知れない」と思い始めてきた僕だったから、ついにという感じだ。なお、去年の広島の健闘は、15年12月14、18、21日と当ブログ・エントリーで扱ったので、ご覧いただける。リーベルの監督は後半顔面蒼白であったと書いてあるはずだ。
 さて、昨日のゲーム、僕のゲーム観戦ノートを振り返ってみる。

 前半は、準々決勝のアフリカ代表戦と同じで、明らかに押されていた。相手は脚も速いなど身体能力も個人技術も高く、そもそもシュート力が凄くって、正にゴールに向かってダイレクトなサッカー。対する鹿島の特長は、組織的守備の一語に尽きる。ゴール前が特に堅かったし、中盤などでも組織的ボール奪取力が光ったので、メデジンは中盤のボール回しなどで焦り始めていたように見えた。その焦りが単調な攻撃・特にシュートを生んだのではなかったか。凄いシュート力だが、攻撃にもう一工夫必要だという感じがしたもの。33分のPK得点は、敵ゴール前でDFの1人がマークした日本選手(西?)について行けず反則を犯したことによってもたらされたもの。PK場面からはちょっと遅れてのビデオによるPK判定と、とても興味深いシーンを観られた。

 後半もメデジンが攻めたが、攻め疲れという感じから後半20分過ぎの僕のノートにはこう書いてある。
「メデジンに疲れも出て来たのか、ゴール前のボール受け走りが少なくなるなど、得点への組織的意欲が減ってきた?」
後はもう、攻め焦る敵に、鹿島のカウンターだけというサッカーでは良くある場面の連続だ。鹿島のカウンターに敵が振り切られている感じが増えて、38分には2対0、直後に3対0。まー、あれだけ攻めて得点できなければ、そりゃ疲れるだろうというゲームになった。ただ、勝った鹿島だが、準決勝のアフリカ代表戦でも前半は確かシュートはゼロで敵シュートは無数に浴びていた。「守備組織」に自信があって「守備から入って、相手攻撃がよく見えるチーム」と評することもできるはずだ。一つの面白い戦い方を築き上げたなという感じがした。

「組織能力対個人能力」、サッカーでは特にある対戦をこう評することが多いが、まさにそんな闘いだった。個人の技術技能、体力などの劣位を、組織力でカバー出来たという典型的なゲームということだろう。3位決定戦がこのメデジンとアジア代表全北現代になって興味深いが、この鹿島が決勝で、世界のレアル・マドリッド相手に前半をどこまで守れるか、興味が尽きないところ。
 この鹿島というチーム、Jリーグでは年間3位。それも2位に凄く離されていた。それが川崎、浦和を破って、この大会でここまでのし上がったのだ。石井監督の、対戦相手研究、対策というのがいかに優れているかが分かるというもので、レアルとの対戦も凄く楽しみになっている。


 なお、このチームの得点源・金崎を、僕は昔から代表で今注目されている原口とダブらせてきた。いずれも、日本人には珍しく、闘志を身体中で表現しているような攻撃的選手という意味だ。この金崎(は鹿島としては外様だがその彼)と言い、最近代表に呼ばれる永木、昌子、植田、柴崎と言い、鹿島では良い若手、選手が育つ。皆がジーコ・秋田・小笠原と受け継がれてきた勝負への執念を体現しているということなのだろう。練習でも身方選手の位置取りなどで、小笠原や曽ヶ端を筆頭にどんどん言い合いを繰り返しているに違いないのである。代表先発ボランチとしての柴崎の株もグッと上がったのではないか。
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書評「ルポ 難民追跡 バルカンルートを行く」(2)   文科系

2016年12月14日 15時09分29秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
「ルポ 難民追跡 バルカンルートを行く」(坂口裕彦・毎日新聞外信部ウィーン特派員 著)の書評、2回目を続ける。今回は、アリさん家族の行程ということになる。またどうも、今回では終われそうもないということも、予め申し上げておきたい。

 アリさんは、ほぼ1ヶ月半のこういう旅をした。
 まず、イランからトルコに入るまでが約1か月。ここには書いてないが、歩いたり、国境越え待機をしたりの長い旅だったのだろう。そして、トルコとのギリシャ国境の島、レスボス島でアテネへの船待ち行列の中で坂口さんの同行取材を快諾したのが、15年11月2日。以降の旅はこう続いていく。
 レスボス島・アテネ(ギリシャ)・マケドニア・セルビア・クロアチア・スロベニア・オーストリア・ドイツである。この旅程を何日で通ったか。まず、11月2日にレスボス島で取材を始めてから8日の出航までは船がストライキで決行。8日8時に出発して18時にアテネ・ピレウス港に着いている。以下ドイツまでアリさんらが旅した行程はこうなっていく。

 アテネには10日まで居て、11日がマケドニア、12日がセルビアで、13日にクロアチア、スロベニアを経て14日には目的のドイツは南部メステュテッセンに着いている。マケドニア、クロアチア、スロベニアなどは特別列車を仕立てて、他は難民用バスで、1000人単位以上を次の国に送り込んでいく。なんせ15年に欧州に渉った中東難民は約100万人とあって、オーストリア、ドイツ、スエーデンなどの大量受け入れ国へと、どんどん送り込んでいくというやり方である。他方、受け入れを好まぬハンガリーのような国はこんなことをした。初めはセルビアとの国境に、次いでクロアチアとの国境にも塀を作って、難民の流れ、つまり彼らの通過の流れを2度も変えさせた。初めセルビア国境を封鎖して以降、この流れがクロアチア経由でまたハンガリーから、ドイツ方面へと変わったから、クロアチアとの国境も封鎖したということだ。

 さて、アリさん家族のこの流れの後半は後に分かったこと。著者は不運にも途中ではぐれてしまって、再会は11月20日、前記のドイツは南部メステュテッセン市ということになる。マケドニアで難民・一般と分けられた国境通路において互いを見失い、次のセルビアでは難民区画を外から見た遠くにアリさんを見つけて写真も撮っていながら、警官の制止で面会できなかったのである。難民特別列車には作者は乗ることが許されないという問題もあった。ドイツでの再会は、坂口さんが手渡した携帯が料金切れからやっと機能を回復して果たすことが出来たということだ。

 ともあれ坂口さんは、アリさんを捜し回って難民とともに同じコースを移動していったことには変わりはない。レスボス島アリさんの仲間を見つけてはアリさんの行方を質問したりしながら。見つけられなかった理由は、アリさんらの旅が予想以上に速かったこと。なんせセルビアからドイツまでの間の最後3国を難民特別列車などによって2日で通り過ぎていたのである。

 次の3回目を終わりとするが、そこでは難民に対する考え方、あるべき態度のようなことにも触れてみたい。 
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書評 「ルポ 難民追跡 バルカンルートを行く」(1)   文科系

2016年12月13日 14時01分38秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
「ルポ 難民追跡 バルカンルートを行く」(坂口裕彦・毎日新聞外信部、ウィーン特派員 著)の書評を書きたい。

 僕がこの本を読もうとした動機は、こうだ。
 右翼論者が苦手な「世界を」、「100年単位で観る」時、現在中東・西欧を揺るがせているこの問題が日本を含めた世界の人々の未来に影響するところは計り知れぬと考える。それ以上に、100万人単位どころか1000万人にも及ぶ昨今の民族大移動・大事件を気にかけることは、人として最低の義務の一つだろうと考えるのである。つまり、この問題をよそ事とする頭脳には、何か政治論議を語る資格さえ無い、とも。この二日間書いてきた立派なノーベル賞物理科学者(益川敏英)さんでさえこう語っていた。「科学者である前に先ず人間であれ」。これは、普通の道義を備えた人々には、常識に属することだろう。


 さて、2015年に西欧への難民大移動が特に激しかった時期、作者はウィーン特派員。記者として避けて通れない問題と考えた。ルポとはルポルタージュの略で、「現地報告」を決意したのである。それも、西欧への入口トルコ・ギリシャからドイツへという典型的ルートを通るだろう1家族に密着同行取材を認められて、その家族が属していた1000人程の一団を追跡していくことになる。なお、「その日のことはその日の内にに書きとめる」と心に決めて来た坂口氏は、この本を「同時進行ルポ(現地報告)」と名付けている。

 いろいろ断られた揚げ句の取材相手は、イランから来た3人家族と決まった。アリ・バグリさんはアフガニスタンはバーミヤンの出身で32歳、蒙古人の血を引く日本人に似た容貌のハザラ人。彼がイランに亡命したのが2010年、そこで同じアフガン出身のハザラ人、タヘリー・カゼミさん(この15年で)30歳と結婚した。一人娘のフェレシュテちゃんが4歳になったこの年に、ドイツへの移民を決意したのである。
 こういう彼らに坂口さんが出会ったのは2015年11月2日。約1か月前イランを後にしてドイツに向かうべく移動し続けた末に、ギリシャ領レスボス島からアテネ・ピレウス港行きの難民船乗り込みを待って延々数百メートルも続いた隊列の中のことだった。なんとか英語が話せるアリさんが密着取材要望を快諾してくれたと、これがこのお話の始まりなのである。
 ちなみにレスボス島とは、トルコ領北西端の沖10キロにあるギリシャの島で、この島への渡航が密航業者で有名なすし詰め、決死のゴムボート。ここからアテネのピレウス港までは1日がかりのフェリー航海とのことである。

 それからのこの一団の行程は、結果的にこうなっていく。アテネ(ギリシャ)・マケドニア・セルビア・クロアチア・スロベニア・オーストリア・ドイツである。このルートは、2015年春から2度変更された末に自然に出来あがったものと述べられている。9月14日までは、セルビア・ハンガリー・オーストリアというルートだったのが、セルビア・ハンガリー国境をハンガリーが塞いでしまったことから以降2度大移動の流れが変わっていたということだ。この難民大移動は、なぜドイツを目指すのか。アリさんらは、11月14日にはドイツに着いているが、どういう運命が待っていたか。この書評は次回で終わると申し上げておきたい。

 乞うご期待として一言。彼らは希望を求めて難民の旅に出たのである。掲載された写真にある顔はほぼ全部、明るく笑っていて、僕が持っていた難民というイメージとはかなり隔たっている。もっとも、一定裕福であるとか、親族の「希望」を背負った金を掻き集めて「先遣隊(後には「本国に残った親族などの呼び寄せ隊」に変わる)」として出かけてきたという人々が中心と言われていた。

 2015年国連調査によれば「新しい避難民」1240万人。出身国内訳で多いのは、シリア490万人、アフガン270万人、ソマリア110万人とあって、アリさんらのバルカン半島ルートで3番目に多いのはイラクとあった。受け入れ国トップは、トルコの250万人、次がパキスタンで160万人である。アフガン戦争、シリア内戦(工作)、イラク戦争と打ち続いた戦乱の歴史の罪の重さを痛感せざるを得なかった。
 
(続く)
 祝、昨日のアクセス390人!
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ありまさんへ、実践概念を巡って その2 文科系

2016年12月12日 08時39分56秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 このテーマが原因なのだろうが、昨日のアクセスが200を越えた。この昨日のエントリーの元となった一昨日の『益川敏英さんの著書から』もこのアクセス増に繋がったと見ている。この機会に、実践というこの概念から見ても右翼とかナショナリズムというものが人類を不幸にする必然性を持っているということを改めて展開してみたい。あれまさんもこのような心配していることだし。

『 私が懸念するのは、トランプ現象に見られる世界史的な狭隘価値観の蔓延です。ヨーロッパでの排除の論理の拡大、わが政権に於いての危険な綱渡り的対外対内政策などがそれに相当します。
 要するに、100年、200年の時代が浄化作用をもたらすという楽観論はさておき、いまここでのアゲインストの営為を抜きにしては、人類の悲惨は決してなくならないということです。』

 文中の「世界史的な狭隘価値観」をあれまさんと同じように恐れている僕は、これに関わってこそ、こんなコメントをここでずっと書き続けてきた。直近のそれは、同じエントリー『益川敏英さんの著書から』に付けられたあれまさんの上記コメントのすぐ一つ上に、こう書いたものがある。

『当ブログ議論史から (文科系)2016-12-10 18:29:29
 このブログはブログ名に反応するのだろうが、今活発なネットウヨク諸君が思い出したように次々と訪れて来る。彼らと一〇年やり合ってきて、今振り返ってつくづくと感じることが、上記益川さんの思考、発想のちょうど逆の思考だなということだ。
 まず、日本のことしか知らない。例示すれば、日朝史を知らないで朝鮮嫌い、批判の言葉だけを語る。世界的な金融グローバリゼーションの大きな流れを何も見ないで、日本の目先の景気、否、単なる株価だけを、基本安心なものとして語る。さらには、世界史の近代民主主義の流れにもほとんど触れることがないからこそ、国連さえ踏みにじるアメリカの所業が全く見えないことになっている。
 国連と言えば。この世界組織が、平和組織として発足したことも知らないし、そもそも国連のことは何も語らない。
 なによりも、それでいて(むしろそれだからこそ)彼らは「人間世界から戦争は無くならない」とだけは暗黙の「自明の理」としているのである。
 上のような益川さんの言葉をエントリーにしたのは、ネトウヨ諸君の脳内をこのように照らし出す積もりもあった。』


 さて、ありまさんも今問題にされた保護主義や、これと結びついて当面伸張していくはずのナショナリズムは、こう言う意味でも誤りを宿命付けられていると言いたい。アメリカだろうが、イギリス、ドイツだろうが、もちろん日本であろうが、自国をしか見ていない目が正しい政治的実践などをもたらすわけがないのである。時はグローバリゼーション時代であって、イギリス、アメリカの動向が1日で日本の政経を激震させるのである。
 ただ、こう語っているだけでは、有馬さんも心配するようなナショナリズム、「狭隘価値観」が歴史的に犯してきた大罪、歴史的大悲劇の数数が今後もう無くなると保証されるわけではない。

 でもまーありまさん、僕はここで10年、こういうことを語り続けてきたんですよね。入れ替わり立ち替わり入ってくる元気な右論客の方々をお相手として。そんな歴史からは、彼らのことが実に多く学べました。どういう「理論」を背景に持ち、どこがどう誤っているかなどなどを誠実にきちんと語って来た積もりです。「問題外」と切って捨てるのではなく、こんな付き合い方も大事だと思いましてね。
 ありまさん、こんな僕の10年も一つの社会的実践と思うのだが、どうでしょう。政治的かつイデオロギー的実践であって、このネット時代には特に重要になっていると考えてきました。「九条」の名をくっきりとさせた諸個人のブログとしては、案外健闘しているとさえ自負してきました。そうでなければ、これだけの根気良い勉強は自分でも出来なかったと思います。
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あれまさんへ、実践概念を巡って   文科系

2016年12月11日 11時52分46秒 | その他
 昨日のエントリーに、あれまこれまさんから大事なコメントがあった。彼がここで指摘した「実践」という概念は、青年マルクスの思想を彼の哲学的出生地・青年ヘーゲル学派から旅立たせた当のものと言いうるキー概念。さらには、旧社会主義国が潰れた原因をめぐる旧左翼の誤りの解明とか、人類史における自然成長性と目的意識性との正しい関係把握とかをも左右するようなもの。当面重要と思い付く範囲で、きちんとお応えしようと考えて、エントリーに替えることにした。

『 自然過程ではなく (あれまこれま)2016-12-11 02:20:41
 益川さんや文科系さんのいうところはわかります。
 確かに人類史は大まかには悲惨の減少として経過しています。しかし、これとて、そのために尽力してきた人々の営為を抜きにしては語れません。
 つまり歴史的過程は自然史的過程とは異なり人為を介在するのです。したがって、戦争を始めとする悲惨の減少を当為として実践する人々の営みを抜きにして事態を楽観することはできません。
 私が懸念するのは、トランプ現象に見られる世界史的な狭隘価値観の蔓延です。ヨーロッパでの排除の論理の拡大、わが政権に於いての危険な綱渡り的対外対内政策などがそれに相当します。
 要するに、100年、200年の時代が浄化作用をもたらすという楽観論はさておき、いまここでのアゲインストの営為を抜きにしては、人類の悲惨は決してなくならないということです。
 つまり、平和も民主主義も、常に来たるべきものとして、それを志向する人々の営為に支えられているということです。』


 あれまさん、何よりも先ずご応答に深謝。それも、重要すぎて、しかも実践概念が持つ広い守備領域から言って、軽々には触れられないような。今日は、次の範囲のお応えに留めておきます。

① 言われるところは、基本的に大賛成だというだけではなく、万人が賛成するはずだとも申し上げたい。つまり、人間の明日は人間自身の「実践」が作るもの。「アゲインストの営為」も「それを志向する人々の営為」も僕だけではなく左右どんな人も否定しないはずです。

 ただそういう「実践」の理解について、誤りやすい3点程を述べておきたいと思います。
② まず「実践」概念を、なんというか「(狭い意味の)行動的なもの」とだけ解することは誤りだと言いたい。普通の人々自身が行う政治論争なども含んだ理解が不可欠かと思います。このことは例えば、従来型の社会主義革命というものの理解だけ取ってみても分かるはずだ。この革命は、人類史これまでの国家権力移行が自然成長的に起こったのとは違って、イデオロギー闘争に勝って国家権力を握ってしか成されないものと論じられてきたはずです。普通選挙制度が世界に広がってからは、この思想闘争の重要さがなお進んだのだし、先進国革命はここで躓いてきたとさえ言えるはずだ。

③ ②をもたらすような思想的欠陥として、実践概念そのものの理解で、従来の主流唯物論哲学では誤りがあったと愚考しています。その理論で動いていたはずの旧社会主義国家がなぜ潰れたか、この正しい総括に関わってくる重要問題だと考えています。これについては今は、問題提起に留めておくしかありません。
 いわゆる土台と上部構造の関係理解に誤りがあったと考えています。土台の規定性に偏り、上部構造の独自性と言われてきたものの正しい把握がなかったかと。ここからは、「目的意識性」や「指導」も、つまり政党の実践が必然的に歪んでくるものと考えてきました。

④ ③末尾の「誤り」は、こういうものだったと見てきました。土台偏重が左翼の政治論争を狭いものにした、と。文化軽視とか、政治経済偏重とかをもたらしたと述べても良いと思います。


 今日は、これくらいで失礼します。
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益川敏英さんの著書から  文科系

2016年12月10日 07時37分07秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 益川敏英さんの本「科学者は戦争で何をしたか」(集英社新書)を拾い読みしました。ある箇所を引用して、皆さんに広めたい。このブログで常に問題になってきた重要思考、発想法が何点もこの箇所に入っていたから、思い立ったことです。
 なお、このノーベル賞物理学者は、知る人ぞ知る、このブログがその姉妹ブログとして発足した「(名古屋市)昭和区九条の会(ブログ)」に極めて縁の深い方。昭和区、鶴舞公園の傍で育ち、昭和区内の名古屋市立向陽高校から、名古屋大学大学院物理学科を出られたんです。子どものころから読書が好きでいろんな種類の本を読むために図書館通いをしたと述べておられるから、鶴舞図書館の常連お子様だったなどと想像するのです。また同時に、九条科学者の会の呼びかけ人も引き受けられているお方だからまた、ここと縁が深いというわけです。

『私は、後二〇〇年経ったら戦争はなくなるとあちこちで発信しています。仲間内からは、「また始まった。何を寝ぼけたこと言ってんだ」と笑われることもしばしばです。あるいは、「益川、その頃はお前が生きていないから、今何言っても大丈夫だと思ってんだろう」と、どやされたこともあります。
 確かに二〇〇年後は生きていませんが、私はこの持論をかなり本気で信じています。今、多くの人々は直近のことばかりを話題にしますが、一〇〇年、二〇〇年のスパンで世界のことを考えてみてください。今、見えている世界ではなく、そのずっと先を考えてみる。それは、普遍の法則や本質を見抜くことを本懐としている科学者にとって必要欠くべからざる視点です。
 しかし本来、科学者だけでなく、誰にとってもこのような長期的視野で物事を考えることが重要なのです。
 科学者も含め、政治家も国民も、目の前の課題に振り回されて、対症療法しかできなくなっています。それではなかなか人類全体のことが見えません。
 人間の寿命よりも遙かに長いスパンで考察してみると、いろんなことが見えてきます。そのスパンで見ると、人類の未来はそう悲観したものじゃない。我々の社会が確実に進歩してきているのが分かります。』

 益川さんはこう述べた上で、この「進歩」の内容をかなり長く述べていきます。
 世界大戦のようなことがなくなったということ。植民地が例外的になって、大国による暴力的な収奪が減ったこと。一応、8時間労働が実現したこと。オバマ大統領実現が示すように、人種差別が減ったこと。これらの人類「進歩」を挙げた上で、益川さんはこう結論を結んでいます。
『このように世界は、ある局面において、「後退」を見せることもありますが、それでも、少しずつ前進してきた歴史があります。
 つまり、一〇〇年単位で見れば、人類はつまずきながらも、おおむね正しい方向に進んでいると言えるのではないでしょうか。』
(以上のうち『』の引用は、全て一六九~一七二ページから取りました)

 上のお話の中には、このブログで主張されてきたのと同じ発想、思考、事項が多く含まれていると、ここをずっと読まれてきた方はすぐにお分かりになるはずです。
『戦争はなくなる』
『一〇〇年、二〇〇年のスパンで世界のことを・・・』
『(科学者だけでなく)誰にとってもこのような長期的視野で物事を考えることが重要』
『一〇〇年単位で見れば、人類は・・おおむね正しい方向に・・・』
 このように世界を見て、世界大戦(が無くなったこと)、植民地、8時間労働制度、人種差別などに人類の前進を見ている事もここと同じですよね。
 

 そう。この金融グローバリゼーション時代の下では特に、科学者だけではなく、日本を大事にする誰もが、こう発想していく必要があると益川さんとともに言いたいものです。「(日本だけでなく)世界を」、「長いスパン、一〇〇年単位で見る」、「(日本人だけでなく)人類を」、「人類はつまずきながらも前へ進んできた・・・こんな点で」。
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内部告発硬骨漢を潰す国?   文科系

2016年12月09日 07時32分10秒 | 国内政治・経済・社会問題
 中日新聞本日朝刊に、極めて腹立たしいお話が載っていたので、ご紹介したい。25面の内部告発者問題「特報」から、そのほんの一部、一つの独立したお話。


 2002年1月に起こった雪印食品の牛肉偽装事件を告発した(取引)会社社長がその後こんな目にあってきたという。なお、雪印食品はその後解散ともあった。

『水谷さんは、輸入牛肉を国産牛肉の箱に詰め替え、虚偽の在庫証明書を作成するよう雪印食品の社員から指示された問題を公表した。だが、公益通報をした側だったのに、国土交通省から在庫証明書の改ざんで営業停止処分を受け、同年十一月に自主廃業した。
「悪事を働いている食品会社は他にもあり、雪印食品は氷山の一角だった。告発の後で、うちは警戒されて、取引先の三分の二が、波のようにさーっと引いていった。それが廃業の最大の原因」と振り返る。
 水谷さんはカンパによって〇四年に営業を再開したが、一四年に再び廃業に追い込まれた。現在、再起のために活動中』

 それにしても、上の国土交通省の遣り口! 雪印食品の解散はともかく、告発した側のこの下請社長を「国土交通省から在庫証明書の改ざんで営業停止処分を受け、同年十一月に自主廃業」に追い込んでしまったとは! アメリカ映画などでは、内部告発者には「司法取引」が適応される。それをしないで、強制されて嫌々やっていたからこそ告発内容となったその在庫証明書改ざんで営業停止!

 国の制度が奨励する行為を取った硬骨漢を罰する国土交通省! 国が率先してこれでは、その国が内部告発などするなと大音声しているも同じことになる。 いや、これよりももっと悪い。この制度への逆行を国自身が勧めているに等しいのであって、「逆行奨励という、真っ赤な嘘の制度」。これって、一体何なんだ? 驚き桃の木山椒の木。
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随筆紹介 「睡眠・免疫細胞の時代」   文科系

2016年12月09日 06時08分17秒 | 文芸作品
 「睡眠・免疫細胞の時代」  H・Sさんの作品です

 人の外見はその人の細胞年齢と同じだと大まかに考えてよい、女子大で栄養学の教鞭をとりアンチエイジングを研究している医者が言う。実年齢八十歳のAさんが誰が見ても六十歳に見えるのなら、Aさんの細胞年齢は六十歳で、若い体の持ち主だということになる。逆に実年齢六十歳のBさんの風貌が八十歳の人に見えるのなら、Bさんの細胞年齢は八十歳。ずいぶんご老体ということだ。細胞年齢はその人の体の若さを測るための目安と考えてよい。
 細胞年齢は、生活習慣をかえることで若い方に導く事は可能だと、彼は明言する。
 若さを保つ術は、免疫細胞を活発に働かせて老化を遅らせることに尽きる。免疫細胞が疲労した体細胞を修復するのに一番力を発揮するのが、午後十時から午前五時の七時間だ。この時間に合わせて睡眠をとり効率よく免疫細胞に働いてもらうことだと、力説する。

 持論どうりのことを実行しているためか、この医者の外観はどう見ても四十歳前半だ。栄養学の講義を受けるようになって五年になるが、初めて出会った日と容貌は少しも変っていない。頭髪は黒々ふさふさ、顔色よく、体格頑丈、スタイルは抜群だ。ごく最近、
「私、何歳に見えますか」と、様々な年齢構成の四十名の聴講生に彼が質問してきた。
「四十三歳ぐらいでしょう」
「還暦、すぎておりますよ」との答えだ。一同、顔を見合わせた。
 長年自分の研究でうち建てた学説を証明した見本が目の前に提示されるのだから、これは納得せざるを得ない。

 栄養状態も良くなり、運動習慣を身につけた皆様は病気から少しでも遠ざかる生活を手に入れてきた。次は、健康で活躍する時間をすこしでも延ばし、輝くような若さを保つため、質の良い睡眠を心がけ、眠ることを一大事に考える生活を実行してほしいと彼は説く。
 どうやら、睡眠の時代が到来したようだ。

 講義の後、七十七歳の私は自分の姿を鏡に映した。顔には縦横斜め十字に皺が寄り、年相応に背中が曲がり、老けた容貌の全身像がその中にあった。まだまだ元気で出歩きたい。そんな若さは、免疫細胞に元気に働いてもらわないと手に入れられない。
 わたしは十時から床に就くが、寝つきが悪いのでいつも十二時頃まで眠れない。午前三時には目が覚めてしまう。こんな厄介な癖はどう修正すればいいのだ。大いに悩むところとなった。
 彼が提言、実行していることはあくまで仮説ではあるが、試してみる価値はある。
 不眠症が治るかもしれないよ。
 体も頭も疲れて眠くなる時間を午後十時に設定し、五時間ぐらい深い眠りが取れればそれでよい。年とともに動作も鈍くなっている。六時起床を三十分早めた。暑くて外に出れないので部屋の中でこまめに動き回っている。風呂の中で体の屈伸運動の回数をふやした。テレビをやめ読書をすることにした。これを一月ほど続けた。午後九時には眠さが押し寄せ、十時には寝つけるようになった。「この調子」と声援を送り、「睡眠の時代だ。休もう、休もう」と、自分に囁いている。
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奄美大島の奄美市名瀬の街中でみつけました。

2016年12月08日 19時30分00秒 | Weblog
先日、奄美へ行ってきました。
商店のならぶアーケードの入り口にありました。  らくせき


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「よたよたランナーの手記」(180) ぎっくり腰、腰痛の長い経歴から   文科系

2016年12月08日 06時43分11秒 | スポーツ
 ぎっくり腰のことを書いたら、アクセスが急に増えた。お悩みのランナー、方々が多いのだろう。そこで、僕の長い腰痛経歴と、その都度の対処を書いて、何かの参考にして頂けたらと思い立った。こういう経歴があるから、先回書いたようにぎっくり腰をやって5日後に7キロ、10日後にはほぼ平常通りのランニング生活を取り戻せたということだ。

 経歴は長くなる。29歳の時に椎間板ヘルニアで手術をした。幸い、60歳以上のこの筋のお医者なら誰でもが知っている名医を求めて、東京は飯田橋の厚生年金病院に入院した。全身麻酔による4時間半の大手術だったと後で聞いたが、患部は左脚付け根の椎間板である。痛みは取れたのだが、その後度々再発した。33歳の時は再手術間際まで行ったし、43歳には1週間寝込んだこともある。これ以外にも「酷い腰痛は、忘れた頃にやって来る」という感じだ。無理もないのである。50歳頃の腰の写真を見ると、問題の椎間とその上下の椎間計三つが真っ黒になっている。逆を言えばこういうこと。これぐらい椎間が痛んでいても、40歳代からきちんと手当てをしていれば、75歳の僕程度のランナーではいられるということだ。

① 大きな再発そのものへの治療は、僕の場合牽引が効いた。腰に対する「ぶら下がり健康法」というのがあるが、これは牽引と同じ腰を伸ばす効果があるもの。同じ理屈で、近づけた二つの机などの間に両手をついて身を立て、腰と膝とを軽く曲げて下半身を宙に浮かせることによって腰を引っ張る方法もある。ちなみに、こういう牽引最大のコツを言っておくと、腰回りの筋肉全てをいかに脱力できるかということだった。牽引によって腰を伸ばす時、筋肉に力が入っていては逆効果にしかならないのである。脱力を確認するためのこんな方法もある。自分で精一杯脱力したと思えたら、次に大きく、ゆっくりと深呼吸を繰り返してみる。これでもって脱力できて、患部がどこかとか、どこに力が入っているかとかが分かる場合が多いものだ。

② 根本的な治療は医者が言うとおり、腹背筋の強化以外にない。これが弱ると必ず腰痛が出てくると言って良い。僕の場合は、48歳でテニスを始めてからは、大きな再発がほとんど無くなったことから、胴回り筋肉強化が最大の腰痛対策だと痛感し直したのだった。逆を言えば、こうだ。ランナーの体幹があるならば、大きい腰痛になる前に予防できて、ずっとランナーで居られると。僕がテニスを始めて、最後は59歳でランナー一本となって今に至るのは、腰痛対策目的もあったと言ってもよい。

③ 腰回りの強化と対(ツイ)にして強調したいのが、このこと。ストレッチが少ないランナーが年を取れば必ず腰痛を繰り返すと言って良い。脚や腰の裏表のストレッチは、ラジオ体操などを思い出して頂けば分かる。

④ 腰の違和感を察知した早めの根本的対策としては、こんなことが大事だと知った。自分の腰の正しい姿勢を、特に自分の脊椎、腰の部分の曲がり具合を思い出すこと。僕の場合、こうやって思い出す。腰の上の背骨の曲がり形が問題なのであるが、調子がおかしいと感じたら、毎日こんなことをやってきた。仰向けに寝て、その部分を中心に大きめの柔らかいボールなどを当て、そのボールに全身を預けるようにして腰回りをすべて脱力させてぐりぐりとやる。これを曲がり部分の上下に移動させたりしてやって、どこが一番気持ちがよいかを確かめる。そこの曲がりがおかしいし、そこに関連した筋肉や腱が違和感になっているということだ。僕の場合は、ソフトボールより大きくてとても柔らかい、おもちゃのボールを使っている。これも、①で述べた脱力が特に大事であって、①の最後の「深呼吸脱力」をよく使っている。

⑤ ただ以上すべてに注意点がある。痛みが酷くなっていて、筋肉のどこか一部分でも脱力できない人には、以上全てが逆効果になる場合があると。ぎっくり腰の急性症状とか、どこか筋肉硬直が起こっていたら、これを鎮めない内は何も出来ないということだ。これを言い換えれば、さらにこういうことが言える。ここまでにならない内に異常を早めに察知した手当が必要なのだと。以上①~④は、そういう手当でもあると言っておきたい。
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「よたよたランナーの手記」(179) ぎっくり腰、その後  文科系

2016年12月07日 07時40分58秒 | スポーツ
 前回「ランナー歴」の前に書いたが、24日にぎっくり腰をやってしまった。寝た姿勢から起き上がるのも怖々、這うようにしてやる痛さだった。ただでさえ前立腺癌への陽子線治療にとりかかることとて走る日が少なくなっている上に、泣き面に蜂である。「もうずっと走れなくなるかも知れない」という、この年になるといつも湧いて来る恐怖からだが、懸命にリハビリに励んだ。それこそ、僕の身体や走りやリハビリに関わる全知全能を振り絞って。

 その結果、リハビリを始めたのが27日、29日には長く歩いたうえにちょっと走ってみたが、何とか走れそう。その日のわずか6・8キロの嬉しかったこと! そして、12月1日が7・5キロで、昨日6日には7・9キロ。まだ左脚の付け根辺りの腰に違和感が残っているが、順調な回復ぶりに現金なもので今度は逆に「俺の身体、まだまだ大丈夫!」と自信が湧いて来る。加齢のいろんな現象って、誰にとっても初体験。当然一喜一憂も激しくなるのだろうが、高齢ランナーなどというもの、「加齢への恐怖」はみんな同じようにこんなに凄いのだろうか。

 さて、それもこれも、陽子線治療のお医者さんが、「治療中も走って良いです」と言ってくれたから出来ていることなのだが、今日今から行く治療で三日目になる。何の痛みも、熱さも感じない治療で、あっという間に終わる治療だ。
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