書評「ルポ 難民追跡 バルカンルートを行く」(坂口裕彦・毎日新聞外信部ウィーン特派員 著)の3回目である。今回は、15年のEUだけでも100万人という難民が生まれる背景、受け入れ側の立場、やり方などを見て、この書評を終わっていくということにしたい。
「世界総人口の113人に1人が強制移動」
これは、2016年6月20日の国連難民高等弁務官事務所発表の見出しである。2015年末で紛争や迫害で追われた人々が過去最多の6530万人を、世界総人口73億4900万人で割り出した数字だ。その内訳は、先進国の庇護を求めた人320万人、自国に戻れず難民と認められた人2130万人、国内難民4080万人とあった。この三区分のなかで15年度の新しい数字はそれぞれ、200万人、180万人、860万人とあって、この合計が1240万人である。よって、15年度末難民総数の5分の1近くが、15年度に生まれたことになる。
この15年度に生まれた難民の出身国内訳の54%が、シリア(490万人)、アフガン(270万人)、ソマリア(110万人)の3か国で占められているともあった(P125)。また、いわゆる地中海ルートなどを除いたこの本の舞台・バルカン半島北上ルートで多い順を見れば、シリア、アフガン、イラクの順になる。よって、難民が、戦争、内乱などから家族の命を守るために生まれるというのも明らかだろう。ただ、この本に書いてあったことだが、「豊かな人しか国外脱出難民にはなれない」のである。家など全財産を売って旅費が作れる家族、一族郎党の金を全部集めて先遣隊として出てきた父子などが多いともあった。
さて、これを受け入れる側には明確に2種類の国がある。その両巨頭がドイツとハンガリーなのだが、この本の4,5章の題名が「排除のハンガリー」と「贖罪のドイツ」となっている。貧しいハンガリーは15年秋に4メートルのフェンスを設けてセルビア、クロアチアとの国境を閉ざしてしまった。クロアチア国境のそれは約300キロにも及ぶもの。
他方のドイツは、「ドイツ、ドイツ!」、「メルケル、メルケル!」との掛け声が出る局面もあるような凄まじさだ。だからこそ、難民に悩む国ほとんどすべてがドイツへ、ドイツへと列車でバスで流し込んでいくという有様になるようだ。この管理された素速さについてはその(2)で見たところである。なぜドイツか。その理由はここでは語らず、想像にお任せする。ドイツの他は、オーストリアやスエーデンなども希望されていた。
断る国の理由は当然理解できる。が、関ヶ原の戦い直前に、岐阜や三重に逃げてきた人々が居るとしたら、人としてどう接するべきか。その答えもまた、自明だろう。いわゆる経済難民との区別も難しいし、とても難しい問題だ。そして、この難問に向けて今の日本政府が世界一遅れた先進国だということだけははっきりしている。上記「排除のハンガリー」でさえ、排除策実施前の15年夏時点では、首都ブダベスト東駅がシリア、アフガン難民の「難民キャンプ」と化していたという事実もあったのだと書き留めておきたい。
最後に、この本末尾における、アリさんら3人家族の置かれた状況を、報告しておこう。著者は、第1回の最後で書いた仮収容の土地、ドイツ南部メスシュテッテンで再会してから、約4か月ぶりにチュービンゲンの家族の仮住まいを訪れている。当時チュービンゲンに身を寄せた難民は約1200人で、その9割はシリア、イラク、アフガンの人々という。3人家族は街の中心部からタクシーで10分程の閑静な住宅街の古い二階建て住宅に住んでいた。1階には3部屋があって、シリア人など他の2家族と10畳一間ずつをルームシェアしている。この3家族皆が難民申請が認められる日を待ってドイツ語教室にバスで通いながらいろんな猛勉強をしているということだった。
「フェレシュテちゃんは、相変わらず快活だ。ギリシャのレスボス島で、ボランティアにもらった象のぬいぐるみは、ベッドに大切そうに置かれていた。二週間前から、バスで五分程の幼稚園に、午前八時から午後一時まで通っているという。こちらも無料だ」(P204)
なお、こう言う難民受け入れ状況などの事実はすべて、仲間の難民や出身国に残された親類などに瞬時に伝わっていくのである。現代の難民らは皆、スマートフォンを持参し、ワイファイなども使いこなすから、これが難民行程などの導きにも使われているのである。
(終わり)