九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

随筆紹介  「夏」    文科系

2016年12月07日 07時07分30秒 | 文芸作品
 夏  H・Tさんの作品です

 私は岐阜県の小さな村で産まれ育った。夏半ばまでうぐいすが裏山で鳴き、夜は蛍が蚊帳の中。前の田んぼではいつもかえるが鳴いているという夏だった。
 窓は開けっぱなし、涼しい風がいっぱい。梅雨が開けて夏になると、母は部屋中いっぱいに着物を拡げて、虫干し。その間を走り回って叱られたことも。そう言えば″梅雨開け十日″という晴天続きの日もあった。
 むし暑い夏の日には、決まったようにやって来た気っぷのよい夕立。さっと涼しくなって、私は雷や夕立が大好きだった。名古屋に住んで、雷や夕立が大きらいという人に出会って驚いたもの。そう言えば、子どもの頃に出会ったような雷や夕立には、このごろ出会えない。ふる里の夕立も変わったかしら。梅雨開けも定かではなく、暑い暑い夏。猛暑ということばも飛び出している日々。
 あの田んぼの上を通ってきたさわやかな風は……。ふる里の家々にも冷房機が音を立てている。

 数年前の夏の日、カイロの遺跡を訪ねた。案内してくれたK青年の日本語はすばらしく、流ちょうな説明と案内。私が日本語のうまさをほめると、「僕はカイロ大学で日本語を学びました。そして方丈記に出会い、日本の古典に感動しました」と言って、方丈記について話し出した。私の方丈記の知識はテストのための暗記だけしかない。
 でも、聞いていてどうも落ち着かない。これは日本人同士でもあること。違いがあっても「あっ、そうか」と自分の考えを正すことも、意見を言い合いわかり合うことも出来る。けれどもK青年の方丈記はどうも違う。確かに古典は日本の風土の中で書かれたもの、日本人にしか分からないという人もいて、そういう考えに反発してきた私なのだが。K青年の方丈記から話題を変えようと、近くに咲いているキョウチクトウの赤い花を指さして言った。
「この花の名はエジプトでは?」
「エジプトでは、花は花。木は木であって、名前はありません。この花は一年中咲いています」
 花も木も一律にそう呼ばれているのか、いぶかっていた。そう言えば、カイロを流れている川の水も澱んで、黄土色。流れているのが分からないくらいで、ゆったりとした川面。大きな観光船ものんびりと浮かんでいる。
 方丈記を教えてくれた師もK青年も、日本へは行ったことがないとのこと。それを聞いた私は、落ち着けない理由が分かったような気がした。

 日本の夏も、大きく変わった。夕立も、台風も、雨さえも大変化。今年も、驚くこと多しの暑い暑い夏であった。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

随筆  「ザ・ボディビルダー」    文科系

2016年12月06日 04時59分18秒 | 文芸作品
 僕が通っているジムには、ボディビルダーさんたちの一群がランナーと同じほどいる。皆熱心なのだが、なぜかそのうち多くの方は下半身がトレーニング不足から貧弱で、筋肉が良く付いた上半身も人様々に脂肪が被さってぷっくりと見える人が多い。いくら筋肉を盛り上がらせても、有酸素運動をしないと脂肪は落とせないのである。何故走らないのだろう。こんなに熱心にやっていることが、望みと矛盾している……。

 さて、よく見たら、ボディビルダーさんたちにもいつもきちんと走っている一群がいる。その内お一人の走行フォームがどうにもずっと気になって仕方なかったので、先日とうとう初めて声をおかけした。人もまばらで殺風景な、更衣室での会話である。
「一応ランナーの端くれとして、お宅のフォームのこと、ちょっと喋っていいですか?」
 五五歳ほどとお見受けしたその胸には胸筋が三センチも浮き出ていて、割れた腹筋に覆われた腰はギリシャ神話の「豹の腰」。背は低めだが細めの身体がむしろ気に入って、かつ本格的ボディビルダーに見えたから、声をおかけする気になったのだろう。予想通りににこやかに「どうぞどうぞ、お願いします」と来た。向こうは向こうで当然、僕がマシン隣同士も含めて、いつも十キロほどを走る者と知っているはずなのである。
「あのーですねー、ちょっと上半身が二重に前に曲がっていると思います。腰の上辺りからヘソを前に出すような感じで起こして、他方顎をこう引けば首の下の背中もこう伸びます。アマチュアはこのように上半身が自然に立った姿勢の方がうんと楽に走れるはずなんで、僕はいつも心拍計を付けて走ってますが、これだけのことで同じスピードでも心拍が十近く下がりますよ」
「ありがとうございました、確かに、覚えがあります。普通でも猫背と言われますし。そうですか、そうすればそんな楽に走れると」
「ビルダーさんも、コンテストの前は特に走らないといけないと聞きました。脂肪を削がないと筋肉が浮き出ないから成績が落ちると……」
「そうですそうです、確かにその通りなんで、長く走れないといけないんです。助かりました。やってみます」
 快く、聞いていただけた。そこで、改めて僕から、
「あなた、毎日来られてますよね。それであれだけのトレーニングと、ランまでやられるって、ご立派。まだ現役でしょうに」
 次の返事には、とにかく驚いたのなんの、こう返ってきた。
「いやーっ、とっくにリタイアーしてますよ。…… 七一歳です」
 他人の年でこれだけ見誤ったのは、僕の人生まず初のこと。一五歳は若いのである。脂肪はないし、筋肉があるぶん顔も引き締まってつややかな小顔、その上の髪も僕よりもかなり……と、とにかく改めて仰ぎ見ていた。そんな僕は口をポカンと開けたような苦笑いだったはずだ。彼も僕の眼を見て笑っているから、二種の微笑みの交錯という絵だ。その歳までこの身体を維持してきたって、ランナーとしても僕よりはるかに大先輩。大先輩にたかだか十数年の僕が説教たれてきたってことになると、その時に気付いた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「100年に1度の危機」とは何だったのか(8)  文科系

2016年12月04日 10時12分10秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
第3章 金融グロ-バリゼーションの改革
 
 第3節 平和に生きて行ける世界を目指して

 岩波新書、西川潤早稲田大学大学院教授の著「世界経済入門」(07年第5刷版)は、1988年に初版が出て、『大学や高校の国際経済学、国際関係論や政治経済の副読本としても広く使われ』たというベストセラーだった。この第5版はグローバリズム経済への抵抗運動を見る点を終始問題意識の一つとして書き直された『新しい入門書』という重要かつ珍しい側面を持っている。
『経済のグローバル化』は、『人権や環境など、意識のグローバル化』を進展させずにはおかなかったと語る。そして、この書は、この両者の『相関、緊張関係を通じて、新しい世界秩序が生成しているとの視点に立っている』と解説される。これに呼応した回答として述べられているのは、最終章最終節のこんな記述であろう。
『この経済のグローバル化が世界的にもたらす不均衡に際して、ナショナリズム、地域主義、市民社会、テロリズムといくつかのチェック要因が現れている』
『これらの不均衡やそれに根ざす抵抗要因に対して、アメリカはますます軍備を拡大し、他国への軍事介入によって、グローバリゼーションを貫徹しようと試みている』
『(アメリカの)帝国化とそれへの協力、あるいはナショナリズムが、グローバル化への適切な対応でないとしたら、残りの選択肢は何だろうか。それは、テロリズムではありえない』
『これまでの分析を念頭に置けば、市民社会と地域主義が私たちにとってグローバリゼーションから起こる不均衡を是正するための手がかりとなる事情が見えてくる』
 とこう述べて、結論とするところはこうなる。
『1999年にオランダのハーグで、国際連盟成立のきっかけとなったハーグ平和会議1世紀を記念して平和市民会議が100国1万人余の代表を集めて開催された。この宣言では「公正な世界秩序のための10の基本原則」として、その第一に日本の平和憲法第9条にならって、各国政府が戦争の放棄を決議することを勧告している』
『2001年には、多国籍企業や政府の代表がスイスで開くダボス会議に対抗して、ブラジルのポルトアレグレで世界のNGO、NPOの代表6万人が集まり、世界社会フォーラムを開催した。このフォーラムは「巨大多国籍企業とその利益に奉仕する諸国家、国際機関が推進しているグローバリゼーションに反対し、その代案を提起する」ことを目的として開かれたものである。(中略)その後、「もうひとつの世界は可能だ」を合言葉とするこの市民集会は年々拡大し、2004年1月、インドのムンバイで開かれた第4回の世界社会フォーラムでは、参加者が10万人を超えた』

 上記文中の世界社会フォーラムに未来を見るアメリカ人大哲学者の言葉も上げておこう。ノーム・チョムスキーの著作「覇権か生存か アメリカの世界戦略と人類の未来」(集英社新書2004年刊)からの抜粋である。。
『非常に力強い展開として、一般の人々の間に人権という文化がゆっくりと育っていることが挙げられる。そうした傾向は1960年代に加速し、大衆運動が多くの分野に目覚ましい啓発の効果をもたらし、その後も長期にわたって拡大していった』
『1980年代にアメリカの本流の中で生まれた連帯運動は、特に中米について考える運動であり、帝国主義の歴史に新生面を切り開いた。帝国主義社会の多くの人々が悪質な攻撃の犠牲者のもとで一緒に暮らし、援助や保護の手段を提供することなど、それまでは一度もなかったのである。(中略) そこから正義を求めるグローバルな運動が生まれて、世界社会フォーラムを毎年開催しているが、これは運動の性質、また規模においてもかってない全く新しい現象だ』
『今日の歴史の中に、人は二本の軌道を見出すはずだ。一本は覇権に向かい、狂気の理論の枠内で合理的に行動し、生存を脅かす。もう一本は「世界は変えられる」──世界社会フォーラムを駆り立てる言葉── という信念に捧げられ、イデオロギー的な支配システムに異議を唱え、思考と行動と制度という建設的な代案を追求する』

 西川、チョムスキー両氏が注目する世界社会フォーラムは現在も続いており、当然国連の役割を重視する。ここには、チョムスキーや、リーマンショックの総括書「国連スティグリッツ報告」を出したジョセフ・スティグリッツ(ノーベル経済学賞受賞者)も一報告者として参加している。彼らは、国連のイニシアティブによる金融(暴力)規制を切望している。


(終わり)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「よたよたランナーの手記」(178) ランと、心臓病と手術となどの経歴   文科系

2016年12月03日 00時19分16秒 | スポーツ
 最近ここを読んでいて下さる方が結構いらっしゃると分かりましたので、今日は標記のことをご紹介させて頂きます。同じような心臓病を抱えた方もいらっしゃるかも知れませんし。

 このブログ・ランナー手記はこんなことが書いてある
 ここまで178号だけではなく、これ以前の当ブログ日記も09年11月2日から11年2月26日25号まであります。そちらの題名は「不整脈ランナーの日記」というもの。これを今振り返れば、10年の慢性心房細動手術2回のあと、最終25号になって「医者の指示でラン断念」に至るとも知らずに書き始めた日記でした。期せずして、「心臓カテーテル手術前後。ランナーに執着するも断念という日記」になってしまったわけでした。
 さらにその後、医者に内緒で再開、実績を作って強引に承認を得て以降の記録が、この「よたよたランナーの手記 178回」です。これも今思えば、前の「不整脈ランナーの日記」全25号に書き込んであるような執念、体力維持が、「医者の指示による3年間ほどのラン・ブランク」に抗して実を結んで行っただという形です。

 こんな経歴の者が、現在ランナーとしてこのように走れているということが、同病の人などに何か参考になるかも知れないと思ってここまで書き続けてきました。特に、不整脈が手術をするまでと酷くなっても、僕の場合は今こうして走れているということを、世に広めたいんです。

 ランナー経歴
・ランナー開始、00年4月58歳
・00年5月、5キロ完走。12月、7キロ。初の10キロは01年1月で58分。 
・初の10キロレース出場、01年3月(59歳)岩倉五条川マラソン、49:22。
(不整脈があったから、この間ずっと薬も飲んでいた。むしろ、「だからこそ、他のスポーツを止めて、走り始めた」のである。)
・01年9月からは常に心拍計装着で走る。欠かしたことはない。
・01年11月、走行中に突発性心房細動発生。以降、だんだん酷くなる。心房細動になっても歩きだせ ば1分もしないうちに平常に戻るから、走り出すというやり方で走っていた。
・02年3月10キロレースで2度歩いて、51:51
・03年11月豊橋マラソンは心房細動で何度か歩いた。56:13
・最後の10キロレースは07年1月。これも何度か歩いて、54:18。
・10年2月、慢性心房細動でカテーテル手術。以降何度かゆっくりと走るも、10月再手術でランナー 断念。ただし、以降も速歩など体力維持には努めていた。
・速歩きを重ねた末の12年9月、怖々とラン再開。現在に至る。
・「よたよたランナーの手記」は、13年5月4日開始、5日、7日、18日・・・・178号までと、 続く。

・なお、これまでのスポーツ経歴は以下の通り。
 小学校時代はスポーツ苦手。中学で得意になってきた。陸上部とバレーボール部。高校、大学はバレーボール。以降はPTAバレーを45歳から48歳まで4年間。48歳から60歳ほどまで、テニス。

 以上2つの連載の中には、こんな体験が書いてあります
①ランナーには不整脈が多い。それでも僕の場合は走れたし、今も走れる。それはこんなふう。対策は?
②ランナーは、心房細動からその慢性に進む場合も多いと、医者が言っていました。ただ、走っている人にこの病気が起こったらすぐに手術をすれば、走れる場合が多いとも、医者が語っていました。僕は、慢性になったらすぐに手術をしようと決めていたわけです。
③慢性心房細動に対するカテーテルアブレーション手術は、僕のように完治もある療法である。
④もちろん医者の診断を仰ぎ、相談しながら以上は進めた。が、いろんな決断は自分でする。医者よりも、自分の身体の日常症状は良く掴んでいたとの自信もある。


 以上、何か質問がおありでしたら、いつでもどうぞ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

随筆紹介 「スーパーの講義おじさん」   文科系

2016年12月02日 10時29分00秒 | 文芸作品
 スーパーの講義おじさん  H・Sさんの作品です


 胡桃パンを食べたくなってショッピングセンターに行った。パン売り場で、何種類もあるパンに見とれていた私の側に、カートを押しながらおじさんが近づいて来た。おじさんの籠の中には、刻み野菜二袋、ヨーグルト一パックと、六個入り胡桃パン二袋を棚からとり、籠の中に入れた。それで、パン売り場から立ち去るのかと見ていたら、棚の前から動かない。近づいて来たおばさん達の前に、籠の中からわざわざ取り出した胡桃パンを示し、
「私は、元女子大の教授で、栄養学の専門家です。食べ物の事なら何でも聞いて下さい。胡桃パンはいいですよ。女性に特にお勧めしたい食品なのですよ。お肌つるつる。シミを作らない優れものをぜひ食べてくださいね」と、おばさん達相手に自説をご披露し始めた。
「私の朝食は、このパンにヨーグルト、野菜を食べれば完璧です。この袋の刻み野菜をいつも愛用しています。一人分の袋のなかに六種類の野菜が入っています。食べた後、袋を捨てるだけですから、ゴミも出ません。私のやり方を実行して下されば、お肌にシミなど作らなくてすみますよ」と、大演説。

 棚から胡桃パン一袋をとって私は籠に入れた。もともと、このパンを買う予定で売り場にいた私なのだが、おばさん達から見れば、おじさんの講義を聞いて買っているようにも思える。これって、集まってきたおばさん達を誘導している「サクラ」の役割を担っているわけだ。いやだな。なのに、おばさん達が、争うように胡桃パンを籠の中に入れる買い物競争が始まってしまった。
「さっそく私の理論に共感して、胡桃パンを買って下さった奥様。ありがとうございます。ほら売り切れましたよ。胡桃パン」と、おじさんは得意げに言った。

 直径5センチ厚さ3センチの大きさのこのパンに入っている胡桃は、小指の先ほどの大きさ6粒ぐらいだ。これでお肌つるつる、シミを作らないとは大げさだが、それよりも、私の気持ちにひっかかったのは、袋入りの刻み野菜の方だった。おじさんは多分独り暮らしなのだろう。早速、野菜売り場に引き返し、冷蔵棚を見回した。あるある。刻み野菜は、二列の棚いっぱいに並べられていた。一袋を手に取った。キャベツ、キュウリ、水菜、玉葱、人参、ピーマン等を刻んで混ぜ合わせ、二百グラムを専用のポリ袋に詰めたものだ。一袋一八〇円。これを二袋摂取すれば一日の野菜の必要量は賄えると説明がついている。消費期限三日。手軽だから売れ筋なんだろう。元女子大の先生が持ち上げた野菜袋には三〇%OFFの値段表示がついていた。売れ残り防止のため値下げした。そういうことだ。もし、独り暮らしになったとしても、私は、最小単位で売られる野菜を、自分の目で見て選び調理する習慣を捨てたくない。私には刻み野菜は必要のないものだ。

 暫く日がたったある日。ショッピングセンターを訪れた。パン売り場で元女子大教授のおじさんが、おばさん達に胡桃パンを勧めていた。胡桃パンが売れたとしてもこのおじさんが儲かるわけではないのによくやるなあと眺めていた。
「これは、優れものですよ」と勧められても、どこが優れているのか、どんな栄養素がお肌をつるつるにするのか、誰も尋ねる人はいない。勧めるから買っている、買わないとそこを離れづらいからとか、いろんな思いを込めて、おばさん達の胡桃パンの争奪合戦が今日も繰り返されていた。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「100年に1度の危機」とは何だったのか(7)  文科系

2016年12月02日 08時20分59秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 第3章 金融グローバリゼーションの改革

 第2節 各国などの対応や議論

「金融危機国への外貨融通制度」が各地域で国家連合的に作られた。世界大金融の各国通貨空売り搾取から、中小国家を守る互助会のような側面も持ったものだ。
 アジア通貨危機から学んだASEANプラス日中韓が、日中等の支出でより大きな資金枠を持つことになった例がある。岩波新書「金融権力」(本山美彦京都大学名誉教授著)は、南米7カ国が形成したバンコ・デル・スル(南の銀行)に注目している。
 こういう独自の外貨融資制度が国際通貨基金(IMF)に対抗する側面を持つとすれば、世界銀行に対抗する動きも起こった。最近アジア開発銀行に対抗して創られたアジア・インフラ開発銀行がそれだ。
 前節にも見たように、『独自のBRICS格付け機関を設けることを検討する』とBRICS諸国が最近発表したが、これも同じ一連の趣旨のものと言える。
 IMFや世銀が金融グローバリズム寄りになり過ぎているという非難が中小国家に多いが、以上はそれらを取り込んでいく取り組みと言いうる。南米とアフリカの代表、および大国インドが入っていることが注目だろう。

 世界的不況で日米欧それぞれに内向きの動きが大きくなっているだけに、BRICS諸国などの反ワシントンコンセンサス方向と実体経済重視方向との動きが、その賛否は別問題として、注目される。
 金融中心主義を排して実体経済中心へと回帰せよとの声が強くなっている。まず、「グリーンニューディール」政策などの新実業開発を強調する人々は、そこに新たに雇用を求める。雇用問題・格差の解消一般をなによりも強調する人々は、金融規制、実業開拓の方向と言えよう。なお、「グリーンニューディール」とはこういうものだ。
『用語の起源は、イギリスを中心とする有識者グループが2008年7月に公表した報告書「グリーン・ニューディール」である。ここでは、気候・金融・エネルギー危機に対応するため、再生可能・省エネルギー技術への投資促進、「グリーン雇用」の創出、国内・国際金融システムの再構築等が提唱されている。
 同年10月には、国連環境計画(UNDP)が「グリーン経済イニシアティブ」を発表し、これを受けて(中略)オバマ大統領は、今後10年間で1500億ドルの再生可能エネルギーへの戦略的投資、500万人のグリーン雇用創出などを政権公約として打ち出した。(中略)』(東洋経済「現代世界経済をとらえる Ver5」、2010年発行)

 グリーンニューディール政策には雇用対策も含まれているわけだが、雇用対策自身を現世界最大の経済課題と語る人の中には、こんな主張もある。
『私は非自発的雇用の解決には労働時間の大幅な短縮が必要だと考えている。具体的には、週40時間、1日8時間の現行法定労働時間数を、週20時間、1日5時間に短縮するように労働基準法をあらためるべきだと考えている。企業による労働力の買い叩きを抑止するためには、年間実質1~2%の経済成長を目指すよりも、人為的に労働需要の逼迫を創り出すほうが有効だからだ。経済学者は、そんなことをしたら企業が倒産すると大合唱するかも知れない』(高橋伸彰立命館大学教授著「ケインズはこう言った」、NHK出版新書2012年8月刊)
 8時間労働制とは、歴史的には既に19世紀の遺物とも言えて、20世紀の大経済学者ケインズが現状を見たら8時間労働制が続きさらに時間外労働までふえているとことに驚嘆するはずだ。これだけ豊かになった世界がこれを短縮できない訳がないと。ただ、これを実現するのは、金融グローバリズムの抵抗を排してのこと。国連などがイニシアティブを取って世界一斉実施を目指す方向になろうが、イギリス産業革命後などの10数時間労働時代が世界的に8時間制度になったことを考えれば、空想という事でもあるまい。近年使われる言葉では労働時間短縮はワークシェアとも言えるのである。
 同じ時間短縮、ワークシェアを語るもう1例を挙げる。
『こうした格差拡大の処方箋としては、まず生活保護受給者は働く場所がないわけですから、労働時間の規制を強化して、ワークシェアリングの方向に舵を切らなければなりません。
 2012年の年間総労働時間は、一般労働者(フルタイム労働者)では、2030時間となっており、これはOECD加盟国の中でも上位に入る長時間労働です。サービス残業を含めれば、実際はもっと働いています。ここにメスを入れて、過剰労働、超過勤務をなくすように規制を強化すれば、単純にその減少分だけでも相当数の雇用が確保されるはずです。(中略)
 私自身は、非正規という雇用形態に否定的です。なぜなら、二一世紀の資本と労働の力関係は圧倒的に前者が優位であって、こうした状況をそのままにして働く人の多様なニーズに応えるというのは幻想といわざるを得ないからです。』(『資本主義の終焉と歴史の危機』、水野和夫・元三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミスト著。2014年刊)。


(次回その8で終了です。全体の目次と引用文献一覧は、第一回目にあります。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「100年に1度の危機」とは何だったのか(6)  文科系

2016年12月01日 07時49分23秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 第3章 金融グローバリゼーションの改革

 第1節 国際機関などの対応

 金融グローバリゼーションの主は『アメリカ型の市場経済至上主義に基づく政策体系』で、これが主導する世界的合意がワシントンコンセンサスと呼ばれてきたもの。これにめぐって「100年に1度の危機」直後にはこんな状況があった。
『2009年のロンドンG20で、当時の英首相ブラウンは、「旧来のワシントン・コンセンサスは終わった」と演説しました。多くの論者は、ワシントン・コンセンサスは、1970年代にケインズ主義の退場に代わって登場し、1980年代に広がり、1990年代に最盛期を迎え、2000年代に入って終焉を迎えた、あるいは2008~09年のグローバル金融危機まで生き延びた、と主張しています。IMFの漸進主義と個別対応への舵切りをみると、そうした主張に根拠があるようにもみえます。
 しかし、ことがらはそれほど単純ではありません。1980年代から急速に進行した金融グローバル化の歯車は、リーマンショックによってもその向きを反転させることはありませんでした。脱規制から再規制への転換が実現したとしても、市場経済の世界的浸透と拡大は止まることはないでしょう』(前掲書、伊藤正直著「金融危機は再びやってくる」)

 ここで言うロンドンG20の後2010年11月のG20ソウル会議では、こんな改革論議があった。①銀行規制。②金融派生商品契約を市場登録すること。③格付け会社の公共性。④新技術、商品の社会的有用性。これらの論議内容を、前掲書「金融が乗っ取る世界経済」から要約してみよう。

①の銀行規制に、最も激しい抵抗があったと語られる。国家の「大きすぎて潰せない」とか「外貨を稼いでくれる」、よって「パナマやケイマンの脱税も見逃してくれるだろう」とかの態度を見越しているから、その力がまた絶大なのだとも。この期に及んでもなお、「規制のない自由競争こそ合理的である」という理論を、従来同様に押し通していると語られてあった。
 ②の「金融派生商品登録」問題についてもまた、難航している。債権の持ち主以外もその債権に保険を掛けられるようになっている証券化の登録とか、それが特に為替が絡んでくると、世界の大銀行などがこぞって反対すると述べてあった。ここでも英米などの大国国家が金融に関わる国際競争力強化を望むから、規制を拒むのだ。
 ③格付け会社の公準化がまた至難だ。アメリカ1国の格付け3私企業ランクに過ぎないものが、世界諸国家の経済・財政法制などの中に組み込まれているという問題がある。破綻直前までリーマンをAAAに格付けていたなどという実績が多い私企業に過ぎないのに。この点について、同書中に紹介されたこんなニュースは、日本人には大変興味深いものだろう。
『大企業の社債、ギリシャの国債など、格下げされると「崖から落ちる」ほどの効果がありうるのだ。いつかトヨタが、人員整理をせず、利益見込みを下方修正した時、当時の奥田碩会長は、格付けを下げたムーディーズに対してひどく怒ったことは理解できる』(P189)
 関連してここで、16年10月15日の新聞にこんな文章が紹介されていた。見出しは、『国際秩序の多極化強調BRICS首脳「ゴア宣言」』。その「ポイント」解説にこんな文章があった。
『独自のBRICS格付け機関を設けることを検討する』
 15日からブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ5カ国の会議がインドのゴアで開かれていて、そこでの出来事なのである。
 ④「金融の新技術、商品の社会的有用性」とは、金融商品、新技術の世界展開を巡る正当性の議論なのである。「イノベーションとして、人類の進歩なのである」と推進派が強調するが、国家の命運を左右する為替(関連金融派生商品)だけでも1日4兆ドル(2010年)などという途方もない取引のほとんどが、世界的(投資)銀行のギャンブル場に供されているというような現状が、どうして「進歩」と言えるのか。これが著者の抑えた立場である。逆に、この現状を正当化するこういう論議も紹介されてあった。
『「金作り=悪、物作り=善」というような考え方が、そもそも誤っているのだ』

 伊藤正直氏が「金融グローバル化の歯車は、リーマンショックによってもその向きを反転させることはありませんでした」と語るように、国際機関の対応の鈍さを観る時、こう思わずには居られない。米英など大国国家が金融に関わって「国際競争力強化」を望むから、規制を拒むのだと。さらには、この「国際競争力強化」願望に関わって、以下のような方向さえ観られるようになった。

 初めは現物輸出入の赤字分を金融収支の黒字分で補ってきたという程度から、この「国際競争力強化」願望はいまや金融でもって世界政治経済を制覇できるのではないか、と。世界の主要企業、穀物・食肉・石油・医療・流通など主要産業分野を金融が握りたいというだけではない。諸国家(の独立性)を浸食できるという野望さえ今やうかがわれるのである。通貨戦争に破れて破産した国家には通常ではIMF(国際通貨基金)が出動して、その国家財政方針を、つまり税金の使い方を決めてきた。これを国連(経済正規部隊)が破産国家救援に出動したと観て国連正規軍派遣になぞらえるとしたら、経済版の「紛争国家への有志国軍出動」の道もあるという理屈だ。現に、破産国ギリシャがゴールドマンを指南に入れたという、そんなやり方のことである。国家財政やその税金も世界金融に狙われるだけではなく、国家主権そのものが狙われているのだと言いたい。税金がなくなった国家は未来の税金も自由には支出できなくなる。つまり、施政の自由もなくなる。苦し紛れの窮余の一策にせよ税の使い方を金融に任せた国はもはや自立国家ではあり得ないということだ。ちなみに、中東、アフリカから膨大な難民が発生、流出したのは、こんな背景もあるはずだ。NICSと呼ばれたことがあるタイや韓国の経済・国家規模に比べれば、中東や北アフリカの中小国家から税金を奪うことなどは、国際金融にとっては朝飯前のはずだからである。

 浜矩子が「国家がなくなる」と語るのは、これに近い議論である。あまりにも目に余る紛争国家などには有志国軍出動ではなく国連軍の正規介入をと、またそれに相応しい民主的国連の建設をと、経済戦争についても主張していくしかない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする