https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/192cab578f606376fbe0d33cc3f1d671
東京宝塚劇場には「ノゾミ!!」がいっぱい(2)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/eed20897ddb8cd367c7f1911f0ae7fab
東京宝塚劇場には「ノゾミ!!」がいっぱい(3)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/7b911cb67108705c2ecfba0355ef3f8e
コンサートなので舞台上でZOOMバンドによる演奏。早い段階で、ジェンヌさんたちのリレーによるメンバー紹介があったと思います。ドラムの元気な音が東京宝塚劇場に響き渡った時、涙が出そうなほどに心がふるえました。バンドのみなさんも楽器もほんとうに嬉しそうだったし、劇場の壁もふるえていました。生オケ復活の日が待たれます。オケボックス密に見えるけど、密なのは楽器で演奏者は密ではないと上垣聡先生がブログに書かれています。
昨日の千穐楽、井上芳雄さん知念里奈さんご夫妻が観劇だったとのこと。芳雄さん、妹がだいもん(望海風斗さん)と同期だし、もともとは出演予定でしたからね。OGとの共演も多いし宝塚との縁深し。
断片的にもう少し、おぼえていることを。
2幕でリクエスト曲を歌うコーナー、2月に募集したのをおぼえていますか、リクエストしてくれた人手を挙げてください、リクエストするのわすれちゃったわっていう人手を挙げてくださいとだいもん。海外ミュージカルのリクエストがすごく多かった、いちばん多かったのは「ひとかけらの勇気」、そして「かわらぬ愛」「愛の旅立ち」の3曲でした。オンデマンド配信で視聴したこっちゃん(礼真琴さん)との対談。だいもんは譜面をもらったとき自分のものにしていくために移動ドという作業をするそうな。「移動ド」とは楽曲の調に関わらずそのキー(調)の主音を「ド」として「ドレミファソラシド」の位置を移動させて音を読むこと。譜面にドからの音を全部書くそうな。そんな面倒くさいことする人はいないと太田先生に言われる。自分は絶対音感の持ち主ではない。面倒くさいことが好き。愛情をかけてかけて自分のものにしていくという内容の話。すごい努力ですね。
「アヤナギ先生」で金八先生みたいな鬘をつけて新しい引き出しを開いた彩凪翔さん。入団15年目でなお新境地開拓中!!とプログラムにありますが、トップで歌う場面もダンスも全身かっこよかった。スーツの着こなし、動きが頭のてっぺんから手の先、足の先まで美しくて男役としての魅せ方を極めていると思いました。凪様の「愛は勝つ」、こんなコンサートならでは。客席にウィンク飛ばしてマダムたちをときめかせている凪様。オンデマンド配信で視聴した波瀾爆笑我が人生では子どもの時人前に出るのが恥ずかしくて恥ずかしくていつも声が小さかったダンスができればいいと思っていた、そんな自分が芝居したり歌ったりしているのは嘘みたいだと。このあとすぐライブ配信されるディナーショーの稽古ですよね。
雪組びんぼうのパロディ場面で、真地佑華(まちゆうか)くん演じるケン坊が、ちょっとわかっていない。出番が少なかった、やっと出られるみたいな?すごく可愛かったんですけど、ごめんなさい、残念ながら知識不足、『星逢一夜』かな、たぶん。
日替わりのトークコーナー、煌羽レオ、愛すみれ、真地佑華、彩海せら、麻花すわん(敬称略)であっているかな。「だいもん」をキーワードに作文をつくってきましたとレオさん。それぞれ真剣に考えたんですね。だいもんへの愛をうまくまとめていました。いくつか考えてきた中で他の人のをきいてこれにしたっていう方も。面白かったのが愛すみれさんであっていると思いますが”だ”が大学芋、”も”がモンブラン、”ん”がうーん食べたいみたいな?だったかな。”い”があやふや、おぼえきれていないですね、残念ながら。”ん”をうーんとみんな使っていて、やりにくい名前でごめんなとだいもん。こういう場面で優しく気を配りながら仕切るトップスター、すごいと思いました。
髪型決めてバリバリと踊りまくっていた娘役さん、愛すみれさんだったと思います。娘役さん群舞の場面、男役さん群舞の燕尾服場面はすみからすみまでみなさんカッコよく素敵だったし、一幕ではマジックの場面もあったり、盛りだくさん過ぎた2時間35分。これを一日に二回、タカラジェンヌは笑顔満開の美しきアスリート、体力と精神力にあらためて感服。
本日一般前売の東京宝塚劇場はいからさん、友の会の先行抽選で当たったというつぶやきをけっこうみかけましたが完売になっていないのは今までは考えられなかったこと。ライブ配信もあるから、東京はこわいので地方から観劇に来ようという人が減ったと理解すべきでしょうか。コロナの影響、これからさらにどこへどう広がっていくのかみえない感じがします。ほんとうにみえない、休職の実情だってわかりません。コロナもあるのか、ないのか。ただはっきりしていることはおそらく一カ月ぐらい前から休んでいる人がいることによるあおりを食わされている人たちにストレスがたまっていてその圧がわたしに向かっているということ。今食いぶちが見つかるということは他でもきびしい状況下でしかないということかと推察。明日の朝、自分は体が動くのか。食っていくために動かすしかありません。ステイホーム、のんびりまったりスローライフで食っていけるなら無理に動かす必要ないですが食っていけないから動かすしかないです。
昨夜中学校の同級生から3年生の時担任だった先生が亡くなったとラインがきました。校長先生をやるまでになっていたから新聞に載るんですね。それで知ったので告別式にいけなかったのが悲しいとあったのですがわたしにはそうした起こるべきはずの感情が沸き起こっていません。老いていくということはこういう知らせをきくことが多くなっていくということなのだとわかりましたが、老いを感じるはるか以前に人は本当に死んでしまうのだということを知って疲れてしまっているのか、親もいなくなっているし、てんがいこどくとなった自分には起こるべき感情がわいてこない。サパでウエクミ先生が描いたオバクの渇いた心とはこういうものなのか。サパのこともまだまだ書きたいところですが時間切れとなってきました。
希望がみえない現実の中で劇場の中だけは夢をみることができる、舞台の上には希望が、「ノゾミ!!」がある。観劇は生きる糧、生きることそのもの。

















西野淳先生、約6カ月ぶりの指揮のお仕事されたとのこと。
https://twitter.com/JUNNISHINOcond/status/1312066855985504256