日生劇場にオーケストラの音色が響いていました
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/711e734e64d5c5c21807e2cc3dd5f409
「いのち短し 恋せよ少女
朱き唇 褪せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日の ないものを」
余命半年と知った渡辺勘治が残りの命の時を燃やし尽くして、生き直し、命がけでつくりあげた公園の完成式の前の晩、ブランコをきこきこと歌いながら口ずさんだのは『ゴンドラの唄』。わたしが聴いたことある気がするのは、藤圭子さんの歌唱なのかもしれません。
世界の民謡・童謡というサイトを参照しました。
http://worldfolksong.com/songbook/japan/gondola-song.htm
母親が亡くなったあと誰にも心を開かなくなった一人息子が笑ったのは勘治が連れて行った公園でブランコに乗った時。勘治の最期の時を共に過ごし支えたのはその息子ではなく、初めて入った居酒屋で出会った、全くの赤の他人である小説家でした。同じ屋根の下に暮らす息子に勘治は真実を話しませんでした。公園が完成したら話すつもりだったけれど一日間に合いませんでした。同じ屋根の下に暮らす息子は、公園で命尽きて警察に発見された勘治を、人に迷惑をかけたと葬式の場で弔問に訪れた市役所の面々に頭を下げ続けました。勘治に協力した元市役所勤務の小田切とよを、財産を乗っ取ろうとしていると罵りました。小説家に真実を知らされるまで息子は、父親が生き直しの時を生きていたことを知りませんでした。息子とすれ違ったまま勘治は旅立ちました。観客は真実を知っているので、残りの命の時間が短いと知ったなら自分に言うはずだと信じて疑っていない息子、渡辺光男の姿は実に滑稽でした。息子さんは?と小説家に聞かれて、息子は遠くにいったと答える勘治。
定年退職まであと1年ということは59歳ですかね、おじいちゃん感あふれる風貌に描かれていましたが、まだまだ働け時代の今ならこんなおじいちゃんではいられないし、かつてのいわゆるお役所的なイメージも今は変わりました。そこは1952年に送り出された映画だと思いましたが作品のもつ普遍性はあげあげ時代よりもむしろ先の見えない、右肩下がりの今の時代の方が響いてくるのかもしれません。
一日一日を生きる、できることはそれ以上でも以下でもない、明日のことは誰にもわからないので、一日一日無事に生き延びていく、それだけ。
普通であることはいちばんむずかしくて、平々凡々でつまらない、普通であることがなによりも尊い。
宮本亜門さん演出の舞台をみたのはいつ以来だろう。小説家の小西遼生さん、いい役者味、息子光男の村井良太さんは初見でした、小田切とよの唯月ふうかちゃんのはつらつとした若さと歌のうまさ、ヤクザ役の川口竜也さんは迫力のジャベールの歌声、治田敦さん、林アキラさん、芸達者な役者がそろっていました。勘治が診察を受けた病院でベッドに運ばれていたのは鎌田誠樹さん、お元気そうでよかったです。
公演は28日まで続きます。
無事に千穐楽を迎えられますように・・・。
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/711e734e64d5c5c21807e2cc3dd5f409
「いのち短し 恋せよ少女
朱き唇 褪せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日の ないものを」
余命半年と知った渡辺勘治が残りの命の時を燃やし尽くして、生き直し、命がけでつくりあげた公園の完成式の前の晩、ブランコをきこきこと歌いながら口ずさんだのは『ゴンドラの唄』。わたしが聴いたことある気がするのは、藤圭子さんの歌唱なのかもしれません。
世界の民謡・童謡というサイトを参照しました。
http://worldfolksong.com/songbook/japan/gondola-song.htm
母親が亡くなったあと誰にも心を開かなくなった一人息子が笑ったのは勘治が連れて行った公園でブランコに乗った時。勘治の最期の時を共に過ごし支えたのはその息子ではなく、初めて入った居酒屋で出会った、全くの赤の他人である小説家でした。同じ屋根の下に暮らす息子に勘治は真実を話しませんでした。公園が完成したら話すつもりだったけれど一日間に合いませんでした。同じ屋根の下に暮らす息子は、公園で命尽きて警察に発見された勘治を、人に迷惑をかけたと葬式の場で弔問に訪れた市役所の面々に頭を下げ続けました。勘治に協力した元市役所勤務の小田切とよを、財産を乗っ取ろうとしていると罵りました。小説家に真実を知らされるまで息子は、父親が生き直しの時を生きていたことを知りませんでした。息子とすれ違ったまま勘治は旅立ちました。観客は真実を知っているので、残りの命の時間が短いと知ったなら自分に言うはずだと信じて疑っていない息子、渡辺光男の姿は実に滑稽でした。息子さんは?と小説家に聞かれて、息子は遠くにいったと答える勘治。
定年退職まであと1年ということは59歳ですかね、おじいちゃん感あふれる風貌に描かれていましたが、まだまだ働け時代の今ならこんなおじいちゃんではいられないし、かつてのいわゆるお役所的なイメージも今は変わりました。そこは1952年に送り出された映画だと思いましたが作品のもつ普遍性はあげあげ時代よりもむしろ先の見えない、右肩下がりの今の時代の方が響いてくるのかもしれません。
一日一日を生きる、できることはそれ以上でも以下でもない、明日のことは誰にもわからないので、一日一日無事に生き延びていく、それだけ。
普通であることはいちばんむずかしくて、平々凡々でつまらない、普通であることがなによりも尊い。
宮本亜門さん演出の舞台をみたのはいつ以来だろう。小説家の小西遼生さん、いい役者味、息子光男の村井良太さんは初見でした、小田切とよの唯月ふうかちゃんのはつらつとした若さと歌のうまさ、ヤクザ役の川口竜也さんは迫力のジャベールの歌声、治田敦さん、林アキラさん、芸達者な役者がそろっていました。勘治が診察を受けた病院でベッドに運ばれていたのは鎌田誠樹さん、お元気そうでよかったです。
公演は28日まで続きます。
無事に千穐楽を迎えられますように・・・。