国家試験受験のころ
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/78ea9a77f14029c5d1b0ea0cfb0dfd8e
自分の歴史を記した古い手帳、このブログに書くことでようやく捨てられそうです。国家試験に合格したのは2007年3月、登録証は平成19年5月8日付。ささやかな自分の歴史を整理していくにあたっては西暦と和暦の混在も大変です。ネットを開けば対比表があるのはありがたい。
2月3日(土);乳がん検診、△△医院、岩盤浴、近所の美容院、
2月7日(水);◎◎整骨院
2月10日(土);友・遊・勇、ピュアカフェ
2月11日(日);岩盤浴
2月15日(木);◎◎整骨院
2月17日(土);△△医院、ボランティアセミナー
2月21日(水);◎◎整骨院
2月24日(土);◎◎整骨院、スポーツクラブ
2月26日(月);確定申告書投函
3月3日(土);△△医院、◎◎整骨院、カフェコラージュでバイオリンコンサート
3月4日(日);カウンセリングスクールで精神医学‐神経症・人格障害、Kさんとピュアカフェ
3月10日(土);友・遊・勇の最終回、ピュアカフェ
3月11日(日);近所の美容院
3月17日(土);△△医院、岩盤浴
3月18日(日);Kさんたちと北岳、ロープウェイで山頂まで行って坪庭・北横散策、
温泉と蕎麦屋。
3月20日(水);整体
3月24日(土);ケータイ買い替え、カフェコラージュでジャズコンサート
3月31日(土);△△医院、山岸先生講演会・懇親会
4月2日(月);国家試験合格通知を受け取る!!
4月7日(土);◎◎整骨院
この頃、カフェで飲み物をいただくためにカップを持ち上げると、眼の神経があると言われる首の後ろがあまりにも硬くて、持ち上げた瞬間ぴりっとなり手元に小さく震えがきていたことを思い出します。春頃にはおさまっていたのでそれほどまでに体が疲労していたということでしたが、そこまでしないと自分を許すことが、納得することができませんでした。3月末付で都内から発送された合格通知証書がわたしのところに届いたのは4月に入ってから。早い方は3月31日に届いたようです。合格すると登録に必要な書類が同封されているので封筒が大きいときいていました。大会社で目一杯働いたあとの月曜日、ドキドキしながら集合住宅のポストに近づくとA4サイズの大きな封筒がはみだしていました。カウンセラーの先生にすぐさまお電話しました。誰よりも喜んでくださいました。合格証書と登録証のコピー、PDFにして保存しているのと同時に紙をセカンドバッグに入れて今も毎日持ち歩いています。
4月29日の祝日一日でどうにか仕上げて書類を送ったところから、連休明けに電話がはいり、5月11日に面接へと出向きました。この事業所自体は、求人票では詳細がわからなかったバス便を調べたところ駅から17駅もあることがわかった時点で通うことは無理だとわかり、気持ちはもうあがりせんでした。半分もうよかったのですが4月末までの疲労とストレスをたっぷりとひきずったままなんとか面接に行きました。気温が下がった日に雨の中、予想はしていましたが丘の上でお手洗いを使えるコンビニはなくお手洗いを貸してくださいとも言えず、3時間ほど我慢しながらの面接でつらい一日となりました。バスで向かう道すがら、懐かしい場所たちを通りました。かつて午前中の自死遺族の会に参加したあと、高ぶった気持ちを休めるべく、ゆっくりとお茶をのみながらパスタをいただいたお店が見えました。シートに覆われていました。新しいようにみえたので、クローズしてからまだそれほど経過していないようにみえました。広々した店内にゆったりソファ、一日数万円の補助金?では到底無理でしょう。コロナを、緊急事態宣言を乗り切ることはできなかったのだと心が傷みました。涙が出そうになりました。働いていた方々はどうしているのでしょうね。自分を慰めてくれた場所たちがなくなってしまうのというのは本当につらいです。
この時面接にいった事業所から、他の人に決まりましたと電話連絡があったのはやっと二週間後。4月末で逃げるしかなかったところからは今日になっても離職票が届きません。なにも進まないまま5月が終わろうとしています。緊急事態宣言の延長で不安ばかりの毎日で、こうした日々を過ごすのはさらにつらいものがあります。気持ちがあがったりさがったり、自分は誰にも必要とされていない、この世にいる理由はどこにもないのだと考え始めてしまうとさめざめと涙があふれてきます。部屋にいる間はタブレット端末でオンデマンド配信されている宝塚の動画などを流し続けながら過ごしています。静かになる夜がどうにも落ち着きません。眠剤半錠ずつでなんとかもちこたえています。3月が誕生日だったのでまたやってきた年金定期便と自分の手持ちはいくらかを整理した手帳を落ち着いて見返してみると、帰るところのなくなったわたしがたどり着く先はもうみえていると思わざるを得ません。これまでどっさり税金も年金保険料も納めてきているのだから、それは恥ずかしいことではないです。最後はそこですけどね、観劇のチケットを買うためにもう少し自力でやってみようとするしかありません。この世にいる間に今一度だけ地球の裏側に旅することへとかすかな望みもつないでいきたい。いったん帰省する道を選んでしまったことを悔やんでも時間は戻らないのでこれ以上やめましょう。4年前に2カ月半だけ働いたところ、遠くないし、お昼食べるところがたくさんあります。その時一緒に働いた方々に悪い印象はのこっていません。額面どおり補助の範囲なのであれば戻りたい、そのあとも週3日か4日で使ってもらえるなら大変だとわかっていますが経験値の範囲でやれるなら続けたい。わずかばかりの手当もある?全く知らないところでまた最初からはじめるのはもうきついのでその方が幸いなのかもしれません。すごくきついですけどね、そのあと1年の経験があるからちょっとまた違うはず。こんな苦しいことはもう終わりにしたいです。永遠にこの時が続いていくように思えてしまいます。ほしいものはなにもありません、観劇しながらできるだけ普通の生活を続けていきたいだけです。どうかもう終わりになりますように、終わりたいです、終わらせてください・・・。
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/78ea9a77f14029c5d1b0ea0cfb0dfd8e
自分の歴史を記した古い手帳、このブログに書くことでようやく捨てられそうです。国家試験に合格したのは2007年3月、登録証は平成19年5月8日付。ささやかな自分の歴史を整理していくにあたっては西暦と和暦の混在も大変です。ネットを開けば対比表があるのはありがたい。
2月3日(土);乳がん検診、△△医院、岩盤浴、近所の美容院、
2月7日(水);◎◎整骨院
2月10日(土);友・遊・勇、ピュアカフェ
2月11日(日);岩盤浴
2月15日(木);◎◎整骨院
2月17日(土);△△医院、ボランティアセミナー
2月21日(水);◎◎整骨院
2月24日(土);◎◎整骨院、スポーツクラブ
2月26日(月);確定申告書投函
3月3日(土);△△医院、◎◎整骨院、カフェコラージュでバイオリンコンサート
3月4日(日);カウンセリングスクールで精神医学‐神経症・人格障害、Kさんとピュアカフェ
3月10日(土);友・遊・勇の最終回、ピュアカフェ
3月11日(日);近所の美容院
3月17日(土);△△医院、岩盤浴
3月18日(日);Kさんたちと北岳、ロープウェイで山頂まで行って坪庭・北横散策、
温泉と蕎麦屋。
3月20日(水);整体
3月24日(土);ケータイ買い替え、カフェコラージュでジャズコンサート
3月31日(土);△△医院、山岸先生講演会・懇親会
4月2日(月);国家試験合格通知を受け取る!!
4月7日(土);◎◎整骨院
この頃、カフェで飲み物をいただくためにカップを持ち上げると、眼の神経があると言われる首の後ろがあまりにも硬くて、持ち上げた瞬間ぴりっとなり手元に小さく震えがきていたことを思い出します。春頃にはおさまっていたのでそれほどまでに体が疲労していたということでしたが、そこまでしないと自分を許すことが、納得することができませんでした。3月末付で都内から発送された合格通知証書がわたしのところに届いたのは4月に入ってから。早い方は3月31日に届いたようです。合格すると登録に必要な書類が同封されているので封筒が大きいときいていました。大会社で目一杯働いたあとの月曜日、ドキドキしながら集合住宅のポストに近づくとA4サイズの大きな封筒がはみだしていました。カウンセラーの先生にすぐさまお電話しました。誰よりも喜んでくださいました。合格証書と登録証のコピー、PDFにして保存しているのと同時に紙をセカンドバッグに入れて今も毎日持ち歩いています。
4月29日の祝日一日でどうにか仕上げて書類を送ったところから、連休明けに電話がはいり、5月11日に面接へと出向きました。この事業所自体は、求人票では詳細がわからなかったバス便を調べたところ駅から17駅もあることがわかった時点で通うことは無理だとわかり、気持ちはもうあがりせんでした。半分もうよかったのですが4月末までの疲労とストレスをたっぷりとひきずったままなんとか面接に行きました。気温が下がった日に雨の中、予想はしていましたが丘の上でお手洗いを使えるコンビニはなくお手洗いを貸してくださいとも言えず、3時間ほど我慢しながらの面接でつらい一日となりました。バスで向かう道すがら、懐かしい場所たちを通りました。かつて午前中の自死遺族の会に参加したあと、高ぶった気持ちを休めるべく、ゆっくりとお茶をのみながらパスタをいただいたお店が見えました。シートに覆われていました。新しいようにみえたので、クローズしてからまだそれほど経過していないようにみえました。広々した店内にゆったりソファ、一日数万円の補助金?では到底無理でしょう。コロナを、緊急事態宣言を乗り切ることはできなかったのだと心が傷みました。涙が出そうになりました。働いていた方々はどうしているのでしょうね。自分を慰めてくれた場所たちがなくなってしまうのというのは本当につらいです。
この時面接にいった事業所から、他の人に決まりましたと電話連絡があったのはやっと二週間後。4月末で逃げるしかなかったところからは今日になっても離職票が届きません。なにも進まないまま5月が終わろうとしています。緊急事態宣言の延長で不安ばかりの毎日で、こうした日々を過ごすのはさらにつらいものがあります。気持ちがあがったりさがったり、自分は誰にも必要とされていない、この世にいる理由はどこにもないのだと考え始めてしまうとさめざめと涙があふれてきます。部屋にいる間はタブレット端末でオンデマンド配信されている宝塚の動画などを流し続けながら過ごしています。静かになる夜がどうにも落ち着きません。眠剤半錠ずつでなんとかもちこたえています。3月が誕生日だったのでまたやってきた年金定期便と自分の手持ちはいくらかを整理した手帳を落ち着いて見返してみると、帰るところのなくなったわたしがたどり着く先はもうみえていると思わざるを得ません。これまでどっさり税金も年金保険料も納めてきているのだから、それは恥ずかしいことではないです。最後はそこですけどね、観劇のチケットを買うためにもう少し自力でやってみようとするしかありません。この世にいる間に今一度だけ地球の裏側に旅することへとかすかな望みもつないでいきたい。いったん帰省する道を選んでしまったことを悔やんでも時間は戻らないのでこれ以上やめましょう。4年前に2カ月半だけ働いたところ、遠くないし、お昼食べるところがたくさんあります。その時一緒に働いた方々に悪い印象はのこっていません。額面どおり補助の範囲なのであれば戻りたい、そのあとも週3日か4日で使ってもらえるなら大変だとわかっていますが経験値の範囲でやれるなら続けたい。わずかばかりの手当もある?全く知らないところでまた最初からはじめるのはもうきついのでその方が幸いなのかもしれません。すごくきついですけどね、そのあと1年の経験があるからちょっとまた違うはず。こんな苦しいことはもう終わりにしたいです。永遠にこの時が続いていくように思えてしまいます。ほしいものはなにもありません、観劇しながらできるだけ普通の生活を続けていきたいだけです。どうかもう終わりになりますように、終わりたいです、終わらせてください・・・。