「年があけて10日もすぎたようにやっと年賀状を書く私、貴方から見たらしみたれやと見えるかもしれんが、老人になった私にとっては、果たして正月がきっと喜んで迎えられるかしらんという不安があると同時に、正月といって手ばなしで喜ぶことができないのですよ、いやーネ、年を取ることは、66才になりました。静かに一人草引きをしたり、本読みをしたり、今朝ふっとNHKの作家の訪問を見たら、86才のおばあさん、まだ小説を書いていると言っておられ感心しました、と同時に自分を反省しました。こんなしみたれてはいけない、父や母、祖母のことを自分の知っているかぎりを作文にして書いておくとよい、ということに反省しました。たんぽぽさんは、小学校1年の時、お母さんがいわれるほど手のかかる児童ではなかったよ、そして自分から言われるほど陰険でもないの、ただお母様やお父さんの躾けでとてもおとなしい子供さんでした。気が小さいように見えたので、現代の社会では要領よくわたる人が一般から良く見られるので、あんまりおとなしく何でも気持ちよくひとにゆずるあなたがかわいそうで、心配だったわ。でも高校で基礎教育をうけられ、社会人となられたら意志をはっきり相手に伝える信念を通して行ってくださいネ。たんぽぽさんはきっと幸せをつかむ人と思います。」
昭和55年1月14日の消印。先生がこのはがきを書いてくださった年齢までにはまだありますが、いかにエネルギーをもって私が送った年賀状にこうして返事を書いてくださったのか、確実に老いてきていることを感じるこの頃になってよくわかります。本当にありがとうございました。先生、要領よく世の中をわたることができないわたしがここまで無事に生き延びてきているなんて奇跡ですね。昨日の朝また大きな地震がありました。ミシミシミシミシと巨大な集合住宅がゆっくり大きく揺れました。いやな揺れ方でした。明日のことは誰にもわかりませんね。だから過ぎた時間を嘆くよりも、今この時を大切に、命さえあれば、生きてさえいればと信じて生き延びていくほかありませんね。
7か月前、一縷の希望を信じて一歩踏み出したところは、結果的にやればやるだけ悪者にされてしまいました。体制の問題、管理職のマネジメント能力のなさからくることが全部私の責任にすりかえられました。なんでこうなるのか意味わかりませんが、とにかくこわくて最後は挨拶もそこそこに「非常につらかった」ということばを残して逃げるように出てきました。なにも言えませんが、さりとてニコニコニコニコ取り繕うこともできませんでした。だってあまりにもひとすぎましたから。試練ばっかり、まだ試練があるのだとしたら、それはこの試練をまた乗り超えろという神様からのメッセージなんですかね。疲れましたが生活あるからまた踏み出していかなければなりません。コロナだからといって年金生活者とか不労収入で暮らしていける人以外は、外に出て働かなければならないの、わたしだけではありません。在宅では絶対にできない仕事が世の中にはたくさんあります。外に出て仕事をしている人たちがいるから社会は回っているわけで通勤7割減とかアホかと思います。連日若い命が死を選ぶ報道に心がいたいです。困っている人に寄り添えると思って踏み出し仕事は全くもって別の世界でなんのために何をしているのかよくわからない、信じられないほど冷ややかなところでした。資格を生かして困っている人の力になりたい、生活できなければどうにもなりませんがその気持ちはより強くなりました。どこかに希望はあると信じていくしかありません。
傾斜家賃ないとわかったのでより家賃の安いところを求めて引っ越しもしなければなりませんがもう少し心身共に休めてから冷静に考えようと思います。
先生と黄泉の世界でまたお会いできるまでに、今一度プリンス・エドワード島に旅立つという夢もまだあきらめきれません。世界がコロナから立ち直らないとわたし終わりなので、一日も早く落ち着いてほしいと祈りばかりです。
昭和55年1月14日の消印。先生がこのはがきを書いてくださった年齢までにはまだありますが、いかにエネルギーをもって私が送った年賀状にこうして返事を書いてくださったのか、確実に老いてきていることを感じるこの頃になってよくわかります。本当にありがとうございました。先生、要領よく世の中をわたることができないわたしがここまで無事に生き延びてきているなんて奇跡ですね。昨日の朝また大きな地震がありました。ミシミシミシミシと巨大な集合住宅がゆっくり大きく揺れました。いやな揺れ方でした。明日のことは誰にもわかりませんね。だから過ぎた時間を嘆くよりも、今この時を大切に、命さえあれば、生きてさえいればと信じて生き延びていくほかありませんね。
7か月前、一縷の希望を信じて一歩踏み出したところは、結果的にやればやるだけ悪者にされてしまいました。体制の問題、管理職のマネジメント能力のなさからくることが全部私の責任にすりかえられました。なんでこうなるのか意味わかりませんが、とにかくこわくて最後は挨拶もそこそこに「非常につらかった」ということばを残して逃げるように出てきました。なにも言えませんが、さりとてニコニコニコニコ取り繕うこともできませんでした。だってあまりにもひとすぎましたから。試練ばっかり、まだ試練があるのだとしたら、それはこの試練をまた乗り超えろという神様からのメッセージなんですかね。疲れましたが生活あるからまた踏み出していかなければなりません。コロナだからといって年金生活者とか不労収入で暮らしていける人以外は、外に出て働かなければならないの、わたしだけではありません。在宅では絶対にできない仕事が世の中にはたくさんあります。外に出て仕事をしている人たちがいるから社会は回っているわけで通勤7割減とかアホかと思います。連日若い命が死を選ぶ報道に心がいたいです。困っている人に寄り添えると思って踏み出し仕事は全くもって別の世界でなんのために何をしているのかよくわからない、信じられないほど冷ややかなところでした。資格を生かして困っている人の力になりたい、生活できなければどうにもなりませんがその気持ちはより強くなりました。どこかに希望はあると信じていくしかありません。
傾斜家賃ないとわかったのでより家賃の安いところを求めて引っ越しもしなければなりませんがもう少し心身共に休めてから冷静に考えようと思います。
先生と黄泉の世界でまたお会いできるまでに、今一度プリンス・エドワード島に旅立つという夢もまだあきらめきれません。世界がコロナから立ち直らないとわたし終わりなので、一日も早く落ち着いてほしいと祈りばかりです。