たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2018年ミュージカル『ジキル&ハイド』(9)

2021年05月25日 16時17分55秒 | ミュージカル・舞台・映画
2018年ミュージカル『ジキル&ハイド』(8)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/5d09e42d1fa15cc22f458d61e40b52f7

(東京国際フォーラム公演プログラムより)

「-『ジキル&ハイド』にまつわるロンドン・マップ-

この物語はイギリスの首都ロンドンが舞台で、結構具体的な設定がなされている。現実のロンドンはどんな景色なのか、辿ってみよう。

🏠カムデン・タウン🏠

ルーシーが働くパブ”どん底”は、リージェント・パークの北にあるカムデン・タウンにある。1960年代に反体制文化がこの地で盛り上がり、今では芸術家が集う”パンクの街”として知られている。リージェント・パークへと流れるリージェント・カナルの運河が通っており、ルーシーはこのあたりを彷徨ったに違いない。大きなマーケットがいくつかあり、古着やヴィンテージのショップ、アンティーク店、家具店など1000軒ほどが立ち並ぶ。

🏞リージェント・パー🏞

ジキルとエマの婚約パーティが開かれたダンヴァース卿の邸宅は、リージェント・パーク地区にある。500エーカーの美しい王立公園には、3万本のバラが植えられた庭園、野外劇場、運河、スポーツ施設等があり、ロンドンっ子の憩いの地となっている。この公園を囲むエリアは高級住宅街として知られ、南側にはギリシャ風のイオニア式やコリント式の邸宅が建ち並ぶ。個人の邸宅とは思えない宮殿のような佇まいで、公園の緑を見下ろしている。

🏠シャーロック・ホームズの家🏠

コナン・ドイルが書いた小説『シャーロック・ホームズ』で、私立探偵ホームズが住んでいた下宿の住所が”ベーカー街221B”。ジキルの事件時に住んでいたことになる。実は当時、ベーカー街は85番地までしかなく存在しない住所だったが、1930年に番地が増えて実在するように。すると世界中からホームズ宛の手紙が届くようになったという。今ではシャーロック・ホームズ博物館として、多くの人が訪れるスポットになっている。

🏠ジキルの家🏠

ジキルの名刺には、住所「ハーレー・ストリート46」と書かれている。ルーシーは心躍らせてカムデン・タウンからこの地へ向かったことだろう。ハーレー・ストリートは上流層の地区で、ロンドンの名医街として知られている。1700年代から医者が集まり始め、今では開業医や医学関係者が多数住み、病院が多いことで有名だ。一見、病院とはわからないタウンハウスで、最先端の研究が行われるという。もしかしたらジキルみたいな人も実在するかも?

🏠メイフェア・クラブ🏠

ビーコンズフィールド侯爵夫人が出席した慈善晩餐会は、メイフェア・クラブで開かれた。実在のレストランがどうか定かではないが、メイフェアは名士や有名人の豪邸、一流ホテル、高級ブランド店、大型デパートなどが建ち並ぶロンドン屈指の一等地。上流階級のイベントにはぴったりの地区だ。このメイフェア界隈の土地所有者は富裕貴族のグロブナー一家で、300年以上も前から代々この土地の開発を担っている。

🏢ロンドン警視庁🏢

サページ伯爵は警察の一隅でハイドに襲われる。どこの警察署かはっきりしないが、ロンドン警視庁が切り裂きジャック事件を担当していたことを考えると、可能性が高いかもしれな。ロンドン警視庁は”スコットランド・ヤード”、1890年頃はノーマン・ショウ設計によるクイーン・アン様式の赤レンガの建物が使われていた。現在ではこの建物はノーマン・ショウ・ビルと呼ばれ、議員宿舎として使われている。

💇スウィーニー・トッドの理髪店💇

『ジキル&ハイド』に並ぶ、ロンドンの猟奇的な物語といえば『スウィーニー・トッド』。トッドはフリート・ストリートに理髪店を構え、訪れた客を殺害。パイ屋の女主人が遺体をミートパイに混ぜて売りさばいていた。元は都市伝説らしいが、今では映画やミュージカルで知られている。フリート・ストリートはシティ・オブ・ロンドンの主要道路のひとつで、印刷業が栄え、多くの新聞社がこの通りにあった。チャールズ・ディケンズの小説にもこの通りはしばしば登場する。

⛪セントポール大聖堂⛪

ベイジングストーク大司教の葬儀が行われた壮麗なセントポール大聖堂。葬儀に出席したグロソップ将軍が帰りがけに襲われた場所でもある。ロンドンの金融街シティ・オブ・ロンドンに位置。607年頃に建立され、その後焼失と再建を繰り返し、1710年に今のバロック様式の建物となった。1981年にはチャールズ王太子とダイアナ元妃の結婚式が開かれた。また2013年にはマーガレット・サッチャー元首相の葬儀がお壊れた。

🏠切り裂きジャック🏠

1888年にホワイトチャペルで怒った連続殺人、その犯人は切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)と呼ばれ、ロンドンの人々を震撼させた。史上最も有名な未解決事件として今でも時折話題にのぼる。犯人は娼婦を狙い、5人が切り裂かれた無残な姿で発見された。年や内容を見ると、『ジキル&ハイド』はこの事件を下敷きにしていると言えるだろう。現場となったホワイトチャペルにはバングラデシュ系イギリス人を中心に多様な人種が住む。

✳1888年のロンドンって?✳

19世紀のイギリスは産業革命による工業化により、その生産力を増大。圧倒的な経済力を背景に、世界各地に植民地を広げていた。一方、ロンドンは公害がひどくスモッグだらけで貧民労働者が増加。格差に対する市民の不満が渦巻き、1887年には市民と警察隊が衝突し、”血の日曜日事件”として多くの負傷者を出した。ダイナミックに変動する社会のもと、人々の価値観や考え方にも変化が現れ始めていた・・・。」





旅の思い出写真-アルプス登山電車

2021年05月25日 00時32分39秒 | ドイツロマンティック街道とスイスアルプス
旅の思い出写真_グリンデルワルドとユングフラウ鉄道
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/ea0f6916ebf842f50dc557c18e4d323c

旅の思い出写真_ユングフラウ鉄道
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/4638c183d59c746c125bf48557c1016b

旅の思い出写真_ユングフラウヨッホ駅
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/aedef9b2770bd8b6eef56e4af2996a02

 2007年10月24日にスイスアルプスを訪れました。『ホテルスヴィッツラハウス』のライブ配信を視聴しながら思い出しました。ユングフラウ鉄道に乗り、今井道子さんの『私の北壁』の舞台、アイガーのおなかを通り抜けました。今となっては遠い日の夢、幻のように思えますが、たしかにわたし自分で稼いだお金でいきました。この世にいる間に今一度という気持ちがありましたが、体力的にも経済的にも無理で、この時行っておいてよかったと心の底から思います。写真家の吉村和敏さんは今年の夏スイスへの取材旅行を断念せざるを得ないという結論になったそうです。ブログを拝見していると、そうとうきびしいご様子。誰もがきつい時。もう無理だとわかっていても、この時を超えられたら、またいつか、またいつか、この世にいる間に今一度地球の裏側を目指して大空に飛び立ちたいです。


パンフレットの写真が美しいのでいつかブログに載せたいとずっと思っていました。