たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

6月の空の下での徒然

2015年06月23日 13時56分20秒 | 祈り
昨日は夏至だったんですね。一年で一番昼間が長い日。
今日からまた少しずつ短くなっていくのはほっとします。
夕暮れの陽が沈んで行く頃に部屋に一人でいるのはよくないので、
一度外に出たら、真っ暗になるまで部屋には戻らないことにしています。
人の一日のサイクルの中で、ブルーモウメントの時間が一番気持ちが
沈みがちで部屋にいるのがよくないことは、中井久夫先生の本にもたしか
書かれていたと思います。
陽が短くなっていけば、部屋に戻る時間も早くなっていくので、
そういう意味でほっとしています。
去年の今頃はかなり辛かったことを思い出します。
朝から荷物をもって放浪して、股関節を痛めてしまって、
なんだかどん底でした。
それから一年が過ぎ、もう混乱は終わったのだから早く抜け出して
次のことを考えなさいと人から言われても、
そんなに簡単に抜け出せない。
どうやって抜け出せばいいのか、
安心して相談できるところもないまま、
今だにぐるぐると回っています。
自分のしてきたことは無駄ではないと思いたかったのに、
社会の流れは逆行しているのでなんだか言葉がみつからずに、
どう位置づければいいのか
やっぱりわからないまま時間は過ぎています。
話が大きすぎるのでむずかしいです。
自分の無力さを感じるばかりです。
いろいろと思いはあれど、私が今思いのあることは、家賃を払って
自分を食わせていかなければならない者にはやれないことばかりなので、
所詮自分には無理なんだとあきらめのような気持ちをもってしまって
います。
遠からずフルタイムでの社会復帰を目指していくしかないので、
平日の当事者の会には行けないですね。
行政がやっているので、どうしても平日の、しかも午前中だったりします。
むずかしいところです。

一人で考え込み始めてしまうと、自分は社会のどこからも必要とされて
いない存在なんだと、どんどん惨めに思えてきてしまいます。
自分はやり切った、無駄ではなかったと言い切ることができずに
もやもやしているのでなおさらです。
妹はこうやって、もっともっと強く自分を追い詰めていってしまったのかな。
私にはわからないですね。私がそこまでいくことはないはずですね。
ふっと瞬間的によぎったりすることが何度もありますが、私にはあり得ないと
思います。
妹の死を否定するわけではないけれど、私にはあり得ない。
シシィが歌っているように、「生きてさえいれば♪」です。

私は、私に与えられた時間を生き抜いていく。
ここまで生かされていることに感謝しながら、ここまで生き抜いてきた
自分をほめてあげながら、生き抜いていく。
妹の分まで生き抜いていくこと。それが私の役割。
そこがぶれないかぎり、私は大丈夫なんだと言い聞かせます。

花總さんのブログをのぞくと、麻路さきさんと息子さんとのスリーショットのお写真が。
星組の男役で背が高くて男前だった麻路さんよりも、いつの間にか、
息子さんの方が背が高くなっていてびっくり。
麻路さんは憧れの男役さんのひとりでした。
花總さんが書かれているように、時の流れは恐ろしいです。
たしか東宝の『エリザベート』初演の頃に生まれた息子さんなんですよね。

その間私は何をしてきたんだろうなんて思ってしまってはいけないですね。
妹と母のことを受け入れられる自分になりたい一心で、一生懸命に生きてきたんです。
ただ、雇用形態が悪かったために評価されるどころか、権力によって誹謗中傷
される結果となってしまいました。
その悔しさと怒りがまだ深く沈殿していて、自分は間違っていたのかなと
責めたりしています。
悔しいけれど過ぎた時間は戻ってはきません。
まだ取り戻せる、やり直せるだけの時間が私にはあるはずです。
小さな希望の灯りを見つけていきたいですね。
希望の灯りに出会いたいです。
カウンセラーのY先生がおっしゃいました。
「死にたいという話にも希望はある。希望がなければ人の話を聴くことはできない」と。

20年前の自分の日記を振り返るつもりで書き始めましたが、
すっかり長くなってしまいました。
またあらためます。

写真は、6月のプリンス・エドワード島。
遠く遠く、ぐんぐんと雲が流れていきます。
きれいですね。
またいつか行きたい。生きてさえいればきっと行ける。





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