「一人息子のルドルフが死に、末娘のマリー・ヴァレリーがフランツ・サルヴァートルと結婚すると(1890年7月31日)、シシィはこの世にほとんど執着がなくなってしまった。
1891年10月、コルフ島に念願の別邸アキレイオンが完成したが、ときどき滞在するだけでやがてこれにも飽き、
売り払ってしまおうなどと考える。ひんぱんに地中海を周航し、北アフリカにまで足を延ばすのはいいとして、根が人づきあいを避けての旅だから、その姿はいかにもおぼつかなく落ちつきがない。さながら漂白の鴎といった趣きである。
シシィの晩年(1890年代)は、大部分ウィーン以外の地で過ごされた。ウィーン滞在は年間合計しても二、三週間にしかならなかった。もちろん皇妃としての務めなど一切かえりみず、政治にもすっかり関心を失って、つのるメランコリーに鬱々としていた。
陸路は専用のお召し列車、海路は帝室の豪華ヨットで彷徨を重ねる。それは逃避行以外の何ものでもなかった。若いころのように敵対する環境から逃れたいのならまだしも、晩年のシシーは自分自身から-魂の不安から-逃れたかったのである。好んで荒海に乗り出し、ずぶぬれになるのもいとわず漂流したのも、そうした不安を鎮めたいという願いの現れだったろう。
(1898年9月10日)、「皇妃暗殺さる」の報はもちろんヨーロッパじゅうにセンセーションを蒔き起こし、身内に深いショックを与えたが、シシィをよく知る身内は内心ほっとさせられもした。心身ともに衰弱した不幸な女性にとって、死は救いのように思われたからである。
げんにマリー・ヴァレリーは言っている。
「母のかねがね望んでいたことが、やっと到来しました。
あっという間に、苦痛もなく、診察も受けず、不安にさいなまれもせず身まかったのですから」と。
フランツ・ヨーゼフはシシィ死去の報に愕然とし、マリー・ヴァレリーが駆けつけるとさすがに涙を流したが、決して取り乱しはしなかった。ルドルフが情死したときもそうだったように、ほどなく平静を取りもどし、三日後にはまた執務に打ち込んでいた。だだし、その皇帝にして次のせりふがあった。主席副官パール伯爵にもらしたものであるー
「私がシシィをどれほど愛したか、そなたにはわかるまい」
(マリールイーゼ・フォン・インゲンハイム 西川賢一訳
『ハプスブルクの涙』集英社文庫、1996年発行より)
ルドルフの棺にすがりながら、トートの姿をみたシシィは「あげるは命を、死なせて」と頼みますが、トートは「まだ私を愛していない」と拒みます。そして棺の上で、シシィをあざ笑うかのようにのけぞってみせます。トートのひんやり感と頽廃的な感じがかもし出されている感じがします。
ルドルフ亡き後、逃避行の旅を続けるシシィが女官たちに、こっちよさあ早くついていらっしゃいといった感じの仕草をする時の、黒い手袋をした手つきに、なにか人生を急いでいるような鬼気迫る焦燥感が現れていて印象的でした。喪服の上に、黒い扇子と日傘がシシィの服装。
トランクをもった女官たちは、身がもたずにふらふらになりながら必死にシシィについて行こうとすることを現わす振付が流れるようになっていて、みんなで倒れてしまいそうな雰囲気がよく出ていたと思います。
シシィの中に内在化されていた、あがないきれない死への彷徨。それをトートという擬人化した存在として登場させて恋愛物語としているところが『エリザベート』の魅力ですね。
人はだれもみんないつも死と隣り合わせ。死も含めて生なんだと、私自身が家族との突然の別れを三回経験して思います。シシィだけじゃない。みんなそう。この作品の普遍性はそんなところにあるのかな。でも、ビジュアルは少女漫画の世界。やっぱり豪華絢爛な世界に浸りながら観たいですね。
娼婦館のシーンで、マデレーネを演じているのはどなたかなとプログラムをみると可知さんなんですね。大変な役どころだと思います。
女官から民衆、娼婦まで何役もこなされるアンサンブルの方々はすごいです。
狭い舞台装置の上で、だれか落っこちたりしないかなと少し心配しながらの二度目の観劇でした。
現実に戻ってニュースをみれば、社会のカオスに言葉がないこの頃。
足の先から権力に吸い上げられた健康なエネルギーを取り戻して、やりおなすことができるのかな。一カ月後にはもう少し笑顔になれるのかな。
今は全く自信がありません。
今日もまたちょっと気持ちがつらい感じになっていて、自分のことと重ね合わせて書いているので、観劇日記というよりは徒然日記になっているかもしれません。
『夜と霧』を読み始めました。
希望を失わなかった人が生き延びた。
希望が見えなければ前を向いていきていくことはできない。
希望をみつけたいです。
シシィが自分の手で育て多くの時間を共に過ごした末娘のヴァレリーが、幸せな結婚生活を送ったというのは気持ちが救われます。
舞台写真は東宝の公式フェイスブックよりお借りしました。
花總さんシシィの結婚式。手前が尾上さんルキーニ。
城田さんトートと尾上さんルキーニ。
1891年10月、コルフ島に念願の別邸アキレイオンが完成したが、ときどき滞在するだけでやがてこれにも飽き、
売り払ってしまおうなどと考える。ひんぱんに地中海を周航し、北アフリカにまで足を延ばすのはいいとして、根が人づきあいを避けての旅だから、その姿はいかにもおぼつかなく落ちつきがない。さながら漂白の鴎といった趣きである。
シシィの晩年(1890年代)は、大部分ウィーン以外の地で過ごされた。ウィーン滞在は年間合計しても二、三週間にしかならなかった。もちろん皇妃としての務めなど一切かえりみず、政治にもすっかり関心を失って、つのるメランコリーに鬱々としていた。
陸路は専用のお召し列車、海路は帝室の豪華ヨットで彷徨を重ねる。それは逃避行以外の何ものでもなかった。若いころのように敵対する環境から逃れたいのならまだしも、晩年のシシーは自分自身から-魂の不安から-逃れたかったのである。好んで荒海に乗り出し、ずぶぬれになるのもいとわず漂流したのも、そうした不安を鎮めたいという願いの現れだったろう。
(1898年9月10日)、「皇妃暗殺さる」の報はもちろんヨーロッパじゅうにセンセーションを蒔き起こし、身内に深いショックを与えたが、シシィをよく知る身内は内心ほっとさせられもした。心身ともに衰弱した不幸な女性にとって、死は救いのように思われたからである。
げんにマリー・ヴァレリーは言っている。
「母のかねがね望んでいたことが、やっと到来しました。
あっという間に、苦痛もなく、診察も受けず、不安にさいなまれもせず身まかったのですから」と。
フランツ・ヨーゼフはシシィ死去の報に愕然とし、マリー・ヴァレリーが駆けつけるとさすがに涙を流したが、決して取り乱しはしなかった。ルドルフが情死したときもそうだったように、ほどなく平静を取りもどし、三日後にはまた執務に打ち込んでいた。だだし、その皇帝にして次のせりふがあった。主席副官パール伯爵にもらしたものであるー
「私がシシィをどれほど愛したか、そなたにはわかるまい」
(マリールイーゼ・フォン・インゲンハイム 西川賢一訳
『ハプスブルクの涙』集英社文庫、1996年発行より)
ルドルフの棺にすがりながら、トートの姿をみたシシィは「あげるは命を、死なせて」と頼みますが、トートは「まだ私を愛していない」と拒みます。そして棺の上で、シシィをあざ笑うかのようにのけぞってみせます。トートのひんやり感と頽廃的な感じがかもし出されている感じがします。
ルドルフ亡き後、逃避行の旅を続けるシシィが女官たちに、こっちよさあ早くついていらっしゃいといった感じの仕草をする時の、黒い手袋をした手つきに、なにか人生を急いでいるような鬼気迫る焦燥感が現れていて印象的でした。喪服の上に、黒い扇子と日傘がシシィの服装。
トランクをもった女官たちは、身がもたずにふらふらになりながら必死にシシィについて行こうとすることを現わす振付が流れるようになっていて、みんなで倒れてしまいそうな雰囲気がよく出ていたと思います。
シシィの中に内在化されていた、あがないきれない死への彷徨。それをトートという擬人化した存在として登場させて恋愛物語としているところが『エリザベート』の魅力ですね。
人はだれもみんないつも死と隣り合わせ。死も含めて生なんだと、私自身が家族との突然の別れを三回経験して思います。シシィだけじゃない。みんなそう。この作品の普遍性はそんなところにあるのかな。でも、ビジュアルは少女漫画の世界。やっぱり豪華絢爛な世界に浸りながら観たいですね。
娼婦館のシーンで、マデレーネを演じているのはどなたかなとプログラムをみると可知さんなんですね。大変な役どころだと思います。
女官から民衆、娼婦まで何役もこなされるアンサンブルの方々はすごいです。
狭い舞台装置の上で、だれか落っこちたりしないかなと少し心配しながらの二度目の観劇でした。
現実に戻ってニュースをみれば、社会のカオスに言葉がないこの頃。
足の先から権力に吸い上げられた健康なエネルギーを取り戻して、やりおなすことができるのかな。一カ月後にはもう少し笑顔になれるのかな。
今は全く自信がありません。
今日もまたちょっと気持ちがつらい感じになっていて、自分のことと重ね合わせて書いているので、観劇日記というよりは徒然日記になっているかもしれません。
『夜と霧』を読み始めました。
希望を失わなかった人が生き延びた。
希望が見えなければ前を向いていきていくことはできない。
希望をみつけたいです。
シシィが自分の手で育て多くの時間を共に過ごした末娘のヴァレリーが、幸せな結婚生活を送ったというのは気持ちが救われます。
舞台写真は東宝の公式フェイスブックよりお借りしました。
花總さんシシィの結婚式。手前が尾上さんルキーニ。
城田さんトートと尾上さんルキーニ。