わたしのソビエト紀行(「母と生活」1963年10月号静岡教育出版社)
「-花でうずめられた第一歩-
しゃくやく、あやめ、ライラック、スズラン、やわらかな緑の葉をたくさんつけた花束のむれが、六月のさわやかな光に映えていました。明るい素朴な瞳のおとなや子どもたちが、附近の野や山からつんできて、私たちを迎えてくれたのです。ここはナホトカの港、私のソビエト旅行の第一歩はこうして、野趣のあふれた花束に顔をうずめることからはじまりました。
ソビエトの東の果ての小さな港町ナホトカは、小高い丘の上にひらけています。どの家も三、四階建ての多くは桃色の建物で、ゆたかな樹木の中に、静かに並んでいました。日の長い一日がやっと暮れてきて、ベンチに休んでいる人たちもいっしょに、やさいい色に沈んで見えるころ私たちは大きな汽車にのりこみました。ハバロフスクまでのるシベリア鉄道でした。
-砂漠の中に立つ近代都市-
飛行機はモスクワから東南に五時間とびつづけました。雲の切れ間から見える青い原野が、だんだん茶色になってアラル海の上をとびました。まん中の水の深いところだけあやしいブルー、まわりは茶色っぽく水が澄んでいて人気のない不気味な湖に見えました。
アラル海をこえるともうすっかり黄土色です。道もなくなり砂漠にはいったことがよくわかりました。私たちはウズベック共和国の首都タシケントにきたのです。東はチベット、南はアフガニスタンに接し、そのとなりはペルシャなのです。西洋と東洋の文化の交流点、12世紀から15世紀ごろ回教の文化の栄えていた、いわゆるシルクロードといわれるところです。
私はこの砂漠の中にこつ然とある近代都市におどろきました。六月中旬、日中は40度をこえる暑さです。けれど木かげにはいると、すーっと涼しい風がよぎります。湿度が少ないのです。
ひと足ふみ入れたホテルの部屋の、オレンジジュース色の光ったカーテンとベットカバーに、私はまだ見たことのないペルシャを感じました。
四日間の滞在は短すぎて、少し離れているサマルカンドの古い回教のお寺は見にゆかれなかったけれど、ピヨニール宮殿(子どもの文化施設)、コルホーズの工場、病院と、できるだけ見て歩き、婦人が、みんな顔を黒いベールでおおっていたというおくれた国の革命後のすさまじい発展に目をみはらないわけにはゆきませんでした。
病院はただ、パンはただ、学校は大学までただ、住宅費は収入の3、4%などという社会主義の国のどこにでもあることは別としても、砂漠の中にこれだけの近代文化をどうしてつくったのか、しかも古い中央アジアの文化や民族性が、なぜうしなわれずに現代にうまく生かされているのか。
私は社会主義という体制の国のゆたかな力が、一軒一軒の古い土塀の農家の案内にまであふれているのを見たのです。
-豊かな水と美しい友情と-
レニングラード(現在はサンクトペテルブルク)の街角に腰をおろして私はスケッチです。第二次世界大戦え大方こわされてしまった街がすっかり復元されて、古都の面影がただよっています。タシケントと反対に、こんどは北のはて、白夜といって、沈みかけた太陽が、沈まずにそのまま朝を迎えます。
スケッチする私のまわりにはおとなや子どもがたかって見ていました。前を人がゆっくり通ると「いまそこを描いているんだから早く通れ」とか何とか、いってくれてたいへん親切な見物のしかたです。
レニングラードは水の都、美しいたくさんの川が市内をあみの目のように流れています。私はそのどれかの川のスケッチがしたくなりました。大きな街なので川までゆくのにも乗り物にのらなければならないと思い、さきほどから、いっしょうけんめいに私の絵を眺めている13-4才の少年に、道をききました。
ことばが通じないので、川の絵を描き路面電車の絵を描きました。電車がいちばん庶民的な乗物だろうと思って、それにのろうと思ったのです。手まねも加えて説明し少年に電車の停留所までつれていってもらうと、少年は、電車をまっている2-3人の婦人となにやら相談しました。婦人たちはロシア語で私のスケッチブックに道順か何かをかいてくれました。少年はていねいにも電車の通るらしい図面までかいてくれました。そしてみんなで③という番号の電車に私をのせて、大声で何か車掌さんにたのんでくれました。
電車のいすにすわった私は、川が見えたらどんな川でもいいからおりようと、ときどき、うしろの窓を見ます。そのたびに両隣りの乗客は私の肩をたたき、”降りるときはおしえてあげるから後を向くな”といっているようです。車掌さんもなんとかいってくれます。もうこうなったらみんながおりろというまで乗っていようと。
いくつもの河を過ぎて30分ものったでしょうか。みんなが口ぐちにおりるように言ってくれました。私がおりると車掌さんは電車から首を出してそこをまがっていきなさいというように、手まねでおしえてくれました。大きな建物をまがると、はっとしました。美しいネヴァ川が目の前にひらけました。ああ、これこそあの遠いレニングラードなのだ、この河といい、この古い街なみといい、むかし読んだロシアの小説の中の、まさにベテルブルグなのです。現代のナターシャが白いリボンをつけて、かすかに香水の匂いをただよわせてすれちがってゆきました。
日ぐれが近づき、ひんやりとした風が、寒く感じられるまで私はネヴァ川のほとりを歩いておりました。ひとこともロシア語を知らないのに、人のいい市民たちの親切だけをたよりに、こうして生まれてはじめての街をさまよっていることが、何だか身ぶるいするほど、しあわせでした。」
宙組『アナスタシア』-「ネヴァ河の流れ」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/323ecd86fb60d3f228dd78d5470956d4
なつかしの雪組『虹のナターシャ』『ラ・ジュネス』
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/848ee7e253a18603290893ee10b407a1
(画像は「キエフ老人たち」、ちひろ美術館公式ツィッターよりお借りしています。)