たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『私自身のための優しい回想』より-「サルトルへの手紙」(4)

2022年06月15日 00時17分01秒 | 本あれこれ
『私自身のための優しい回想』より-「サルトルへの手紙」(3)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/70b62894e2d14fc559574923921e5627





「この盲目で不具となり、作家としての仕事を奪われていまった男にたいしてじつに要求の多い、じつに独占欲の強い、しかも彼に依存しきっていたと私に感じられた女たち(サルトルのかつての恋人であり、彼が一生涯物質的援助を与えつづけたワンダたちのことと思われる)。しかし彼女たちこそ、まさにその度外れた思い上がりによって彼に人生を取り戻させていたといえる、それまでの彼の人生を、浮気で、嘘つきで、同情深くまた演技家でもあった、女好きの男としての彼の人生を彼に取り戻させていたわけだ。

 それから、彼は夏の休暇(バカンス)に出かけた。あの最後の年、三月(みつき)にわたって三人の女性と分かち合うバカンス、彼はそれに完全無欠な優しさと諦念をもって立ち向かっていった。夏のあいだ中、彼は私にとっていくらか失われてしまったように思われた。それから彼は戻ってきて、私たちは再会した。そして今度こそは、私は《永久に(いつまでも)》の存在になるだろうと信じた、これからは、いつまでも私の自動車、彼の家のエレヴェーター、お茶、カセット、そしてあの陽気な、ときおり優しくなる声、あの確固とした声・・・。しかしこの時すでに或る別の《永久に》が、悲しいことに、ただ彼ひとりのために、その準備をおえていたのだ。

 私は彼のお葬式へ行った、ほんとうとも思えずに。でもそれは立派なお葬式だった。何千という人々が、種々雑多ではあるがしかし彼を愛し、尊敬する人々が、何キロにもわたって彼の最後の土地にまで彼に従(つ)いて行った。彼を識るという不運を持たなかった人々、まる一年彼と会いつづけ、彼について数々の胸を張り裂けさせる映像を脳裏に持たない人々、10日ごとに、いや毎日、彼に会えないのを淋しく思うことのない人たち、私が羨むと同時に可哀想にも思った人たちが・・・。

 そしてもし、その後、彼の周囲の幾人かの人によってなされた、「耄碌したサルトル」についての恥ずべき思い出話に私がむろんのこと憤慨したとしても、また彼についてのある種の回想を読むのを途中でやめたとしても、私は彼の声、彼の笑い、彼の知性、彼のゆうき、そして彼のあたたかい心を忘れることはなかった。私は、ほんとうにそう思うのだが、彼の死から立ち直ることは決してないだろう、なぜなら、時どき私は自分に訊ねる、いったい何をしたらいいのか、何を考えたらいいのか、と。それを私に言うことのできるのは、この雷に打たれた人しかいなかった。私が信じることのできるのは彼だけだったのだ・・・。サルトルは1905年6月21日に生まれ、私は1935年6月21日に生まれたが、しかしこれから30年のあいだ、私はこの地球上に彼なしで過ごすだろうとは思わない、それにそうしたい気持もない。

               ジャン=ポール・サルトル 1905年6月21日-1980年4月15日」

(フランソワーズ・サガン、朝吹三吉訳『私自身のための優しい回想』新潮社、171-173頁より)

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