たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『私自身のための優しい回想』より-「サルトルへの手紙」(2)

2022年06月11日 00時56分38秒 | 本あれこれ
『私自身のための優しい回想』より-「サルトルへの手紙」(1)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/c/6491f8b2784506e08241d92a50063320




「いまやあなたは視力を奪われ、書くこともできないということですから、おそらく時どきは考えうるかぎり最も不幸な思いをなさることもあるでしょう。それで、ことによったら次のことをお伝えすることはあなたを喜ばせるかもしれないと思うのです。私は、20年このかた旅行したあらゆる場所で、日本で、アメリカで、ノルウェーで、フランスの諸地方で、またパリえ、出会ったあらゆる年齢の何人もの人が、男性も女性も、この手紙に託するのと同じ讃嘆の念、同じ信頼、そして同じ感謝の念をもってあなたに語るのを見たのです。

 この世紀は狂気じみ、非人間的で、腐敗していることが明らかになりました。あなたはいままでもそして現在も、つねに明確で、優しく、そして廉直でありつづけました。

 どうか私たちの感謝の気持をお受けください。

 私はこの手紙を1980年に書いて、それをニコル・ヴィスニークの見事で気紛れな新聞「エゴイスト」に発表した。もちろん、私はまず人を介してその許可をサルトルに求めた。彼と私はもう20年近くも会っていなかったのだ。そしてその当時でさえ、私たちはシモーヌ・ド・ボーヴォワールと私の最初の夫と一緒に何回か食事を共にしただけで、その食事もいくらかぎこちないものだった。また、午後の甘美な悪所で何度か滑稽な出会いをしたこともあるが、サルトルも私も互いに気付かぬふりをした。それともう一つ、何やら私に気があるらしい一人の愛想のいい実業家と三人で昼食をしたことがあって、その男は自分が喜んで出費するつもりだというある左翼的な雑誌の編集をサルトルに任せたいと提案した(が、その実業家がチーズとコーヒーのあいだに駐車時間表示標識を替えに席を立ったので、サルトルは拍子ぬけがして、ばか笑いをするほどおかしがった。いずれにしろドゴールが次第に権力を握るようになって、それがこの実現不可能な計画の決定的な結論となった、。)

 
 こうしたいくつかの短い接触のあと、私たちは20年いらい会っておらず、そのあいだじゅう私は彼に負うところのものを彼に伝えたい気持を持ちつづけていたのだった。

 盲目となったサルトルは、この手紙を人に読んでもらって、私に会いたい、二人きりで夕食をしたい、と言ってきた。私は彼を迎えにエドガール。キネ大通りへ行った。いまではそこを通る度に胸に痛みを感じずにはいられない。私たちはクローズリー・デ・リラ(サガンの住居近くの有名なキャフェ兼レストラン)へ行った。私は彼がころばぬように彼の手をとり、気おくれのあまり吃ってばかりいた。私たちは、たぶん、フランス文学界の最も奇妙なカップルを形成していたことだろう、給仕人たちは私たちの前をおびえた鳥のように飛び廻っていた。


 それは彼の死の一年前のことだった。それはそのあと彼と一緒にした長い一連の夕食の第一回目となったのだが、そんなことは私に予知できるはずもなかった。彼がただ親切心から私招んでくれたのだと思っていたし、また私は彼が私より長生きするものと信じてもいた。

 その後、私たちはほとんど10日ごとに一緒に夕食をするようになった。私が彼を迎えにゆくと、彼はすっかり支度ができていて、玄関のホールに例のダッフル・コート姿で立っていた。そして私たちはまるで盗人のように忍び足で出かけた、ほかに連れがいてもいなくても。彼の近親者たちが彼の最後の数か月について語る回想類に反して、私は彼の食事の仕方について嫌悪や憐憫を感じたことは一度もないことをはっきりと言っておきたい。もちろん彼がフォークを口に持ってゆくときはいくらかジグザグに進みはしたが、しかしそれは盲人の動作であって、決して耄碌者の動作ではなかったのだ。私は、新聞雑誌の記事や著書の中で、そうした彼の食事について当惑と軽蔑をこめて嘆いている人たちをきわめて遺憾に思う。その人たちがそれほどデリケートな目を持っているのなら、目をつむってただ聴くだけにすればよかったのだ、あの陽気な、勇気ある、そして男らしい声を聴き、彼の話題の自由闊達さに耳を傾けさえすればよかったのだ。」

(フランソワーズ・サガン、朝吹三吉訳『私自身のための優しい回想』新潮社、165-168頁より)

                                       →続く





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