たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

日本経済復活のために消費税廃止は一丁目一番地

2024年09月20日 15時30分47秒 | 気になるニュースあれこれ

安藤裕チャンネル、

(286) 【20240918あんどう裕京都6区初街宣・怒涛の8か所!】JR宇治駅→近鉄大久保駅→近鉄寺田駅→京阪石清水八幡宮駅→近鉄新田辺駅→近鉄新祝園駅→JR木津駅→近鉄高の原駅 - YouTube

 

参政党京都支部チャンネル、

参政党京都 あんどう裕 第6区内初街頭演説めぐり #あんどう裕 ♯前衆議院議員  #宇治市 #城陽市 #八幡市 #京田辺市 #木津川市 #精華町 #高の原市 #消費税廃止 (youtube.com)

チャプター:

0:00 オープニング

0:14 JR宇治駅前

7:36 近鉄大久保駅前

17:39 近鉄寺田駅前

23:55 京阪石清水八幡宮駅前

40:38 近鉄新田辺駅前

55:07 JR祝園駅前

1:07:55 JR木津駅前

1:19:20 近鉄高の原駅前

 

2024年9月18日東スポ、

参政党 京都6区に自民党元職・安藤裕氏出馬へ「参政党さんと共に日本をたて直す」 | 東スポWEB (tokyo-sports.co.jp)

「参政党の神谷宗幣代表は18日、京都市内で記者会見を開き、元衆院議員・安藤裕氏が次の衆議院選挙の京都府第6区から出馬すると発表した。

 出馬予定だった堀田悦子氏が足をケガし、本人が出馬を辞退したため、党員から推薦された安藤氏が出馬することになった。

 神谷代表は「堀田さんから安藤さんにバトンタッチする形で新たに公認を取っていただいて、京都の6区から立候補していただく」と紹介。「京都という場所は、日本人の精神の中心。大きな歴史を作ってきた場所でもありますので、政治的なメッセージを送っていただきたい」とし、さらに「近畿が最重点ブロックで、新人含めて合計25~26名で2議席を狙う」と方針を明かした。

安藤氏は、2012年に自民党から衆院選に出馬し、初当選した。3期9年間、国政に関わったが、21年に行われた衆院選に出馬しなかった。以降ユーチューブチャンネルでの配信や講演活動、「M―1グランプリ」に出場するなどの活動を行ってきた。

 安藤氏は「国政を離れた3年間、自民党の政治を見ていると、日本がますます衰退していくなと思っており、国会に議席を持たなきゃいけないなと感じておりました」と切り出した。

 なぜ参政党から出馬するのか聞かれた安藤氏は「神谷代表にお会いし、思いを共にできるなと思いました。日本国民が、日本への誇りを取り戻して、子どもたちが『日本人で良かった』と思えるような政治を取り戻したい。本来、自民党がやるべきことだったと思いますが、自民党がやらない政党だとよく分かった」と語った。

自民党所属時は、復興大臣政務官兼内閣府大臣政務官などを務めた。「総裁選にも機会があれば出て、自民党を変えていこうと思っておりましたけど、それができない立場になりましたので、新しい政党かもしれないけど、参政党さんと共に日本をたて直す仕事をやっていきたい」と語った。

 会見後の街頭演説で安藤氏は、消費税廃止を訴えた後、神谷代表と両手で握手を交わしていた。」

 

 


『アンナ・カレーニナ(中)』-第四篇-19より

2024年09月20日 00時29分11秒 | 本あれこれ

『アンナ・カレーニナ(中)』-第四篇-12より

「カレーニンの犯した誤りは、彼が妻に会う心がまえをしたとき、妻の悔悟が真実なものであり、自分がその罪を許し、しかも妻が死なずにすむ、という偶然の場合を予想しておかなかったことにあった。この誤りは、彼がモスクワから帰ってから二カ月もたつと、あますところなく明らかになった。しかも、彼の犯した誤りは、この偶然を予想しなかったためばかりでなく、彼は瀕死の妻と会うその日まで、自分の本心を知らなかった、ということにも起因していた。彼は妻の病床で、生れてはじめて、優しい思いやりの感情に身をまかせてしまった。この感情は彼がいつも、個人の苦痛を見るたびに、呼びさまされたものであり、以前は有害な弱点として恥じていたものであるが、妻に対する哀れみと、自分の妻の死を願ったという後悔の思いと、それになによりも、許すということの喜びのために、彼は急に、おのれの苦悩が癒されるのを覚えたばかりでなく、以前には一度も味わったことのないこころの安らぎすら感じたのであった。彼は思いがけなく、自分の苦悩の原因そのものが、精神的な喜びのみなもとに変ったのを感じた。いや、彼が非難したり、責めたり、憎んだりしていたときには、とても解決することができないように思われたものが、許しかつ愛しはじめるや、たちまち、単純明白なものになってくるのを感じた。

 彼は妻を許し、その苦悩と悔悟のために、妻を哀れんだ。彼はヴロンスキーを許し、彼が絶望的な行為をしたといううわさを耳にしてからは、いっそう彼を哀れんだ。彼はまたむすこをも、以前にもまして哀れんだ。そして、今まではほとんど子供をかまってやらなかったことを、自分に責めるありさまであった。しかし、新たに生れた女の子に対しては、ただ哀れみばかりでなく、優しさのいりまじった、なにか特殊な感情をいだいていた。はじめのうち彼は単なる同情の念から、実の娘でもない、母親の病気で放りだされて、もし彼が心配しなかったら、死んでしまったかもしれない、生れたばかりの弱々しい女の子の世話をやきはじめた。彼はこの女の子を愛しはじめたのを、自分では気づかなかった。彼は一日に何度も、子供部屋へ行き、長いことそこにすわりこんでいたので、はじめはご主人の前でおどおどしていた乳母や婆やも、じきに慣れっこになったくらいであった。彼はときには、30分あまりも、産毛におおわれて、しわだらけなサフラン色がかった赤ん坊のかわいい寝顔を、黙ったままのぞきこんで、妙にしかめた額の動きや、指を握りしめた、ふっくらした小さな手の甲で、目や鼻筋をこすっている様子を、じっと観察することがあった。そんなとき、カレーニンは自分の心がまったく落ち着いていて、自分自身にぴったり調和しているのを感じ、自分の境遇になにひとつ異常なところも、またなにひとつ変更しなければならないところも認めなかった。

 ところが、時がたつにつれて、彼には、こうした境遇が今の自分にとってどんなに自然であろうとも、世間は自分をここに長くは止めてくれないだろう、ということがしだいにはっきりとわかってきた。彼は自分の魂を導いている幸福な精神力のほかに、彼の生活を導いている、もう一つの荒々しい力があり、それは前者と同程度に、いや、それ以上に支配的な力であり、この力は、自分の望んでいる和やかな安らぎを与えてはくれまいと感じた。彼は、みんながけげんそうな、びっくりした顔つきで自分をながめ、自分を理解してはくれないで、なにものかを自分に期待しているのを感じた。とりわけ、彼は、妻に対する自分の関係のもろさや不自然さを痛感した。

 死を間近にして、アンナの内部に生れた心のやわらぎが去ってしまうと、カレーニンはアンナが自分を恐れ、自分をはばかり、自分の顔をまともに見つめることができないでいるのに気づいた。アンナはなにか彼にいいたいのに、それをいいだしかねているようで、やはりふたりの関係がこのままつづくわけにいかないのを予感して、なにやら彼に期待しているようであった。

 二月の末に、やはりアンナと名づけられた赤ん坊が、たまたま病気になった。カレーニンは朝のうちに子供部屋へ行って、医者を呼ぶようにさしずをし、役所へ出かけて行った。彼は仕事をおえて、三時すぎに家へもどった。控室へ通ると、金モールに熊の皮の飾り衿をつけた美男の召使が、スピッツの毛皮で仕立てた白い婦人外套を手にして立っているのが目に映った。

「だれが見えているのかね?」カレーニンはたずねた。

「トヴェルスコイ公爵夫人でございます」召使は答えたが、カレーニンには、相手がにやっと笑ったような気がした。

 この耐えがたい数か月のあいだずっと、彼は社交界の知人、とりわけ、婦人たちが、自分たち夫婦のことに特殊な関心を示すうになったことに気づいていた。彼は、これらすべての知人が、なにかうれしいことがあるのに、それをやっとの思いでこらえているように思われた。彼はそれと同じ喜びの色をかつてあの弁護士の目にも見たし、今またこの召使の目にも認めたのであった。まるでみんなは、だれかを嫁にでもやるように、有頂天になっているみたいであった。そして彼に出会うと、やっとのことでその喜びの色を隠して、アンナの健康をたずねるのであった。」

(トルストイ『アンナ・カレーニナ(中)』昭和47年2月20日発行、昭和55年5月25日第16刷、新潮文庫、338-341頁より)

 

 

 


なぜ信憑性のわからないレプリコンワクチンの個体間伝播説にこだわりつづけるのだろう

2024年09月19日 19時14分55秒 | 気になるニュースあれこれ

Xユーザーの原口 一博さん: 「【深夜零時レプリコン緊急特番】激震重要情報。製薬会社チームK公益通報の勇気。遺伝子製剤の真実。STOPレプリコン。解説② https://t.co/Dwogd4Ikuj」 / X

 

 アカウントのフォローを外してはいないので久しぶりに聴きました。国会議員というお立場で素性のわからないインフルエンサー・実証されていない、研究者のレプリコンワクチン個体間伝播説を鵜吞みにして拡散しまくっているのはかなりマズイと思いますが忠告の声が届かないみたいで非常に残念です。コロナワクチンの中止を訴えるなら、すでに800名以上の方が厚労省によって死亡認定されている、健康被害を訴えている方がたくさんいるという歴然とした事実を全面に強く出し続ければいいのになぜまだ起きていないことを全面に出しているのでしょう。総理大臣になっていただきたいと一度は思ったこともあったので残念でなりません。他の話がもう全く入ってきません。こんなこと書きたくありませんが残念すぎます。

 

告発本でも公益通報でも個体間伝播説を煽るための本でもないそうです。

私たちは売りたくない!”危ないワクチン”販売を命じられた製薬会社現役社員の慟哭~チームK 寄稿文 | 全国有志医師の会|Volunteer Medical Association (vmed.jp)

 

 

 

 mRNAワクチン中止を求める国民連合、最初は信じてしまいましたがおかしなことやっています。これによって今まで地道にコロナワクチン中止を自治体や学校に訴え話し合いの場を持ってきた方々が、このお手紙作戦によって自分たちのやってきたこと水の泡となることを懸念しています。おかしな方向へおかしな方向へと流れていて、それを国会議員が煽っているという・・・、悪いのは騙している研究者であり騙されている人たちは悪くないと宮沢先生はやさしい。

XユーザーのmRNAワクチン中止を求める国民連合さん: 「♯お手紙作戦 連合サポーターさんに呼びかけて、全国の医療機関、福祉施設、自治体、学校に向けて「レプリコンを含む、mRNAワクチン中止を求める」お手紙作戦を展開中です! https://t.co/1UFKIiFZE5 サポーターさんの活動内容を紹介していきます。」 / X


ミュージカル『モーツァルト』-2024年9月11日

2024年09月19日 18時31分54秒 | ミュージカル・舞台・映画

2024年9月11日(水)17時45分~、帝国劇場

 無事観劇することができました。気温がぐんぐあがり湿度も高くて体にこたえましたが荒れることはなく、不安神経症に打ち勝って汗だくになりながらなんとか15時半ごろには部屋を出てバスと電車に体を乗せることができました。外は日本人ってほんとに陰険だなあと思うことが多いこの頃、劇場内は杖ついてあるいているばあさんに譲ってくれたり声をかけてくれたり、スタッフさんにもお世話になりました。幕間お手洗いに並んだとき優先的に案内しましょうかという案内に今回は甘えました。ありがとうございました。ロビーの椅子を譲ってくれた30代ぐらいの女性の方もありがとうございました。終演後階段下りるまで鞄持ちましょうかと後ろから声かけてくれた30代ぐらいの女性の方もありがとうございました。素直に持っていただけばよかったかなとあとから思ったりしています。甘え下手、心遣い本当にありがとうございました。きっと、ゆん(古川雄大さん)が優しいからファンも優しい方が多いのでしょう。客席は鏡だあと思いました。ありがとうございました。

 何度目かの『モーツアルト』、ゆんは最後との思いでやっているだろうし、初演から出演している市村正親さん、山口祐一郎さん、アンサンブルキャストの数名の方が年齢を考えると最後だろうし、わたしが帝国劇場で観劇するのも最後。3月30日の研音イベントでゆんの「僕こそ音楽」を聴くのは最後かと思いましたが、こうして帝国劇場で見届けることができました。

KEN RADIOの時間

 まずはアマデが素晴らしい。初日に舞台稽古なしのぶっつけ本番だったと紹介されていた若杉葉奈ちゃんでした。小柄でこましゃっくれてちょっと生意気な感じがなんとも可愛い。アマデはヴォルフガングの一部で、やがて憎しみの対象となっていくというところがよく出ていました。2幕終盤、銀橋でおちゃらけたヴォルフガングがアマデの宝石箱を取り上げてしまうとそれはお前が触れることのできないものだから返しなさいと言うように右手を出すところ、ぞっとするような静けさ。ヴォルフガングが幼い日に皇帝陛下からいただいた箱はアマデだけのものでヴォルフガングは持つことを許されない=ヴォルフガングは神童と呼ばれた幼い日の自分を超えることができなかったということか。としたら人生はとてつもなく残酷で切ない。最後に箱を開いたナンネールは何をみたのか、答えは観た人それぞれの中にあるのでしょう。毎回思うことですが子役ちゃんたち、どう作品世界を理解し動線を覚えているのか、指導されている方が力を引き出すのに長けていて有能なのでしょう。アマデがヴォルフガングと拮抗する存在感を出せないとこの物語は成立しないのでお見事でした。アマデがみえているのはヴォルフガングだけ、そりゃコンスタンツェにしれみればヴォルフガングは一人で喋っているようにしかみえないわけで気が狂ったのかと驚くの無理ない、終盤コンスタンツェは怯えるように坐り込んで頭抱えているのだと今さらの気づき。

 コンスタンツェがどういう人だったのか、なかなかとらえづらく演者にも答えはないのかもしれません。真彩希帆ちゃん、その時々の相手との呼吸、空気感を感じながらコンスタンツェとして生きているんだろうなと思いました。ヴォルフガングと出会ってときめいた少女時代から死後墓場を暴く場面に立ち合うところまでの演じ分けがとてもわかりやすかったのは宝塚で培ったヒロイン力、ワンスで少女時代から晩年までを演じた経験が見事に生きていると感じるコンスタンツェでした。「ダンスはやめられない」を聴きながらコンスタンツェもまたとてつもなく孤独だったのだと感じました。夫とのすれ違いをダンスで埋めようとする苦しい歌ですね。退団公演では細い針に糸を通すような繊細な歌声をとウエクミ先生に求められた経験も生きていると感じた歌声。天才であるヴォルフガングを支え力にならなければとあがくも自分にはできなとわかっているはがゆさ、至らない自分との葛藤。素敵なコンスタンツェになっています。天使の歌声がコンスタンツェとして帝国劇場に舞い降りたのもまた奇跡。プラター公園でヴォルフガングもくるくるとバレエのように回っていたのは真彩だから?演出が変わった?前回まで黄色だった衣装が美しい黄緑色になっていたのも真彩ちゃんの個性にあっているか。 

 何度目かのたーたんヴァルトシュテッテン男爵夫人、「星から降る金」の物語るような、まろやかな歌声はより熟成されてきました。星組OGの華鳥れいらさんが歌っているのを動画にあげているのをみて、歌いこなすのはものすごく難しい歌なのだとあらためて思いました。自分がどう考え歌うか、軸がしっかりしていないと振り回されてしまう歌。歌う人によって見事に違ってくる歌。ヴォルフガングをウィーンへと誘うヴァルトシュテッテン男爵夫人、女神のような微笑みの裏に策略があるようにみえたたりみえなかったり。キラキラドレスの着こなしは男役だっと思えず、でも男役時代の映像みると今も大好きだし退団後大活躍し続けている姿も大好き。客席は男役時代をリアルタイムで知っている人が少なくなってきているか、でもまだわたしのようにいますね。

 ヴォルフガングを待つパパとナンネールが切な過ぎたこと、ゆん渾身のヴォルフガングの人生、生きることはほんとに難しくて闘いの連続で残酷なものなのだと感じたこと・・・長くなってきたのであらためます。まだまだ気づいていないことがたくさんあるであろう、壮大な作品。思わず力が入ってしまうので演者も観客も心身共に健康度高くないと成立しませんね。

 オーケストラ、お姿はみえませんでしたが今回もカーテンコールが終わると観客のために演奏してくれました。ゆんは最後一人で幕前に登場して三方向にとっても丁寧にお辞儀していました。

 

 

 


必死な顔をみられたくないからマスクをつける

2024年09月19日 10時56分31秒 | 気になるニュースあれこれ

Xユーザーの花咲く頃さん: 「2024年8月 必死な顔を見られたくない 歌い終わったらすぐマスクをつける 全国にはこのような子供達が少なくないのでしょうね 感染対策から別のものになってます 明らかにマスク生活が長過ぎたんだと思う https://t.co/8RH914KVb9」 / X

「2024年8月 必死な顔を見られたくない

歌い終わったらすぐマスクをつける

全国にはこのような子供達が少なくないのでしょうね

感染対策から別のものになってます

明らかにマスク生活が長過ぎたんだと思う」

 

コロナ専門家?たちは間違った対策を続けてきたことを認めて訂正し、子どもたちに謝罪すべきです。

子どもだけでなく、スーパー、デパート、コンビニの店員さん、バスの運転士さんらもこの異常な暑さのなかほぼほぼマスク、今外せないのはもうカウンセリングが必要なレベルでしょう。認知行動療法でマスクなし生活に戻っていく練習をしていかないと永遠にもう外せないおそれあり、危機的状況だと思います。

 

消費税廃止・減税を訴える安藤裕さんが参政党より出馬表明

2024年09月19日 01時09分49秒 | 気になるニュースあれこれ

 かねてよりご自身の動画で消費税の正体を訴えている安藤さんが元自民党ということで注目され、消費税は廃止すべきという認識は広まっていけばと思います。

 

2024年9月18日参政党京都記者会見 (youtube.com)

 

【参政党】神谷宗幣 あんどう裕 京都街宣 京都府国政改革委員 2024/09/18 (youtube.com)

 

(277) 安藤裕チャンネルひろしの視点 がライブ配信中! - YouTube

 

安藤裕チャンネルひろしの視点 がライブ配信中! (youtube.com)

 

2024年9月18日東スポ、

参政党 京都6区に自民党元職・安藤裕氏出馬へ「参政党さんと共に日本をたて直す」 | 東スポWEB (tokyo-sports.co.jp)

「参政党の神谷宗幣代表は18日、京都市内で記者会見を開き、元衆院議員・安藤裕氏が次の衆議院選挙の京都府第6区から出馬すると発表した。

 出馬予定だった堀田悦子氏が足をケガし、本人が出馬を辞退したため、党員から推薦された安藤氏が出馬することになった。

 神谷代表は「堀田さんから安藤さんにバトンタッチする形で新たに公認を取っていただいて、京都の6区から立候補していただく」と紹介。「京都という場所は、日本人の精神の中心。大きな歴史を作ってきた場所でもありますので、政治的なメッセージを送っていただきたい」とし、さらに「近畿が最重点ブロックで、新人含めて合計25~26名で2議席を狙う」と方針を明かした。

安藤氏は、2012年に自民党から衆院選に出馬し、初当選した。3期9年間、国政に関わったが、21年に行われた衆院選に出馬しなかった。以降ユーチューブチャンネルでの配信や講演活動、「M―1グランプリ」に出場するなどの活動を行ってきた。

 安藤氏は「国政を離れた3年間、自民党の政治を見ていると、日本がますます衰退していくなと思っており、国会に議席を持たなきゃいけないなと感じておりました」と切り出した。

 なぜ参政党から出馬するのか聞かれた安藤氏は「神谷代表にお会いし、思いを共にできるなと思いました。日本国民が、日本への誇りを取り戻して、子どもたちが『日本人で良かった』と思えるような政治を取り戻したい。本来、自民党がやるべきことだったと思いますが、自民党がやらない政党だとよく分かった」と語った。

自民党所属時は、復興大臣政務官兼内閣府大臣政務官などを務めた。「総裁選にも機会があれば出て、自民党を変えていこうと思っておりましたけど、それができない立場になりましたので、新しい政党かもしれないけど、参政党さんと共に日本をたて直す仕事をやっていきたい」と語った。

 会見後の街頭演説で安藤氏は、消費税廃止を訴えた後、神谷代表と両手で握手を交わしていた。」

 

地獄の自民党総裁選、この国にまだ希望が残されていると思いたい。

 

XユーザーのHiromi1961さん: 「ご自身が総裁になった場合、統一教会との関係について何らかの再調査を行うという方は挙手をお願いします。 シーン、、、 はい全員、アウト! https://t.co/lpuC4wdwAQ」 / X

 

Xユーザーのお豆さんさん: 「小川:推薦人13人が裏金議員。 高市:裏金議員との言い方は正しくない。(間違ってないし、イヤなら脱税議員で) 星:三ッ林、杉田と役職停止者が2人いるのは如何か。 高市:誰が推薦人か知らない。 (はっ??) #news23 https://t.co/2byVQGwUE6」 / X


第六章OLを取り巻く現代社会-⑨時は金なり

2024年09月18日 13時33分43秒 | 卒業論文

 働きがいの喪失について記してきたが、そもそも私たちから労働の楽しさ(遊びの要素)を奪ったのは、資本主義経済である。それは二つの面から言える。第一は人間関係が商品交換という物的関係に帰してゆくこと、さらに労働力商品の売り手と買い手という立場を探っていくことによって明らかにされた経済的階級性、これによって生きた人間同士の交流が喪失し、しかも労働の楽しさを存続させようとしても可能なはずがない。第二は、機械的大工業の発展と労働の技術的従属による働くことの味気なさが深刻化することである。清水正徳は二つの視座を示す。一つには「物化」。「物化」とは、人間のエネルギー、活動力が「物」として処理されるに留まらず、人間と人間との自由な関係であるはずのものが、ある自然過程=物的過程のような法則性に従属させられることを指す。物的とは主体的でなく客体的であり、自由でなく必然的であることを言う。経済行為を行う個々の人間は自由に行為していると思っているが、それは社会的には決定された動きしかできない。さらに彼らの生活が経済行為の目的なのではなく、目的は価値の増殖であって、働く人間はその手段とされてしまっているということ。二つ目が物神性。これはマルクスが商品経済の特殊な神秘的店頭製を明らかにするために利用した語で、例えば机という使用価値(質)としてある物が、商品価値という量的要素に支配されてしまうことを示している。マルクスによる「商品の物神性」は、貨幣・資本が捨象されていても、すでに使用価値(質)が価値(量)に従属させられるという資本主義における倒錯の雛形が、抽象的な流通形態の中ですでに見られるからである。流通形態のなかで物神性が見られるというのは、貨幣が「価値尺度」及び「流通手段」という媒介・手段としての本来の役割から、さらに「貨幣としての貨幣」と呼ばれた性格のものへと転態していくからである。それは、貨幣が手段としての役割から、さらにそれ自身この上なく価値ある存在として現われることである。貨幣の流通圏が拡大し、一定の貨幣流通が持続して貨幣の信用が保たれることになると、より多くの貨幣さえもっていれば、より多くの諸商品がさらにより多くの価値あるものが何でも私のものになる、という貨幣への崇拝・愛情・欲求の気持ちが人々に浸透していく。貨幣としての金(きん)は、金(きん)であるというその使用価値自身が価値であるように幻想される、そして他の商品を買うための手段としてではなく、それ自身のために、蓄蔵の対象となる。[1]この二つの面は、どちらもフロムの言う「持つこと」であると思われる。現代社会が持つ存在様式に支配されているという面を象徴的に現すものとして「時は金なり」ということに注目してみたい。

 フロムの文脈に沿えば、ある存在様式においては、私たちは時を尊重するが、時に屈服することはない。しかし、この時の尊重は持つ様式が支配する時には屈服となる。この様式では、物が物であるばかりでなく、生きているすべてのものが物となる。持つ様式においては、時が私たちの支配者となる。ある様式においては、時は王位を失い、もはや私たちの生活を支配する偶像ではなくなる。産業社会では、時が至高の支配者となる。現在の産業様式が要請することは、全ての行為が正確に「時間どおり」であること、流れ作業のベルトコンベヤばかりでなく、活動の大部分が時に支配されることである。そのうえ、時は時であるばかりでなく、「時は金なり」である。機械は最大限に利用されなければならない。それ故、機械は自らのリズムを労働者に強要する。機械を通じて時は私たちの支配者となった。自由時間にのみ、或る選択ができるように見える。しかし、私たちはたいてい、仕事を組織化するように、余暇をも組織化する。あるいは、完全になまけることによって、私たちは自由であるという幻想を抱くが、実際には時の牢獄から仮釈放されているに過ぎない、とフロムは述べる。[2] 私たちが時間によって、圧迫を受けているのであればそれは問題だ。

 私たちは「時間がない」とよく言うが、それは近代の職業人に特徴的なことである。ヨーロッパの19世紀中ごろまでの伝統主義的な社会の生活は一般にゆとりのあるものであった。これまでと同じだけの報酬を得、伝統的な欲求を満たすためにはどれだけの労働をしなければならないかという考え方で生活を営んでいたのである。できるだけ多くの貨幣を得ようと願うものではなかった。ところが、近代になって、できるだけ多く労働すれば、一日にどれだけの報酬が得られるか、という考え方がみられるようになった。そうした生活態度の変化は、労働が絶対的な自己目的、いわば職業すなわち使命とみなされるようになったことによる。時間を区分して生活するようになったのである。[3]フランクリンの「時は金なり」は、時間を貨幣の尺度で捉えるようになった近代社会を象徴的に現す。

 フランクリンの「時は金なり」に最初に注目したのはマックス・ウエーバーである。ウエーバーは、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のなかで、「時は金なり」は、何もしないで時間を空虚にしておくこと、無為に時間を消費してしまうことを損失として考える、そういう近代資本主義の精神を象徴的に含みこんでいることを指摘した。フランクリンの言葉には、正当な利潤を使命、すなわち職業として組織的かつ合理的に追求するという精神的態度が見られる。それを、ウエーバーは近代資本主義の精神と呼んだ。「時間は貨幣だということを忘れてはいけない。一日の労働で10シリング儲けられるのに、外出したり、室内で怠けていて半日を過ごすとすれば、娯楽や懶情のためにはたとえ6ペンスしか支払っていないとしても、それを勘定に入れるだけではいけない。本当は、そのほかに5シリングの貨幣を支払っているが、むしろ捨てているのだ。貨幣は繁殖し子を産むものだということを忘れてはいけない。貨幣は貨幣を生むことができ、またその生まれた貨幣は一層多くの貨幣を生むことができ、さらに次々に同じことが行われる。」こうしたフランクリンの言葉を引用して、ウエーバーは、この「吝嗇の哲学」に顕著な特徴だと感じるのは、自分の資本を増加させることを自己目的と考えるのが各人の義務だという思想だ、と述べている。ウエーバーは特にフランクリンの勤労と節約に注目しているが、それがすなわち「資本主義の精神」そのものではなく、個々の様々な特性を一つの統一した行動のシステムにまで纏め上げているようなエートス、倫理的雰囲気、あるいは思想的雰囲気、そうしたエートスこそが「資本主義の精神」なのである、とウエーバーは言う。[4] ウエーバーが明らかにしようとしたのは、近代資本主義が形成されていくにあたって、ピューリタリズムの禁欲的職業倫理が果たした役割についてである。ピューリタリズムにおいては、禁欲的な職業労働の忠実さも「隣人愛」を実践するという信仰心と結びついて耐久力のあるものに練り上げられていく。職業について、社会の「合理化」への奉仕こそがその実践であるという方向に導かれて行く中で、先ず有意義な職業を選ぶことが問題となる。同じ営利・収益を獲得するといっても、社会に奉仕できる道が、すなわち民衆層での生産を確実に高めることにおいて、世の中に広く福祉をもたらし、しかもこれによって得た営利をいたずらに浪費することなく、さらに積極的に生産につぎ込んでいく、こうしたピューリタリズムの宗教=職業倫理こそが、能率的に働き、生産し、収益を上げていくという産業資本主義への道を開く生活態度ともなり、やがて年月を経て宗教的な職業倫理が抜け落ちても、フランクリンなどに典型的に見られるような資本家の精神として長く行き続けるものなったことをウエーバーは強調する。[5] 日本では「勤労・勤勉の精神」は二宮尊徳に象徴されていると思うが、ここで、勤労の倫理と資本主義の関係、日本の二宮尊徳流の勤労精神とプロテスタンティズムの勤労精神との類似性に立ち入ることはしない。それはまた別の機会に譲ることとし、時間は希少な資源だという考え方に注目したいと思う。

 フランクリンに見られる次の三つの生活態度と時間との関係は興味深い。一点目は、時間を「経済資源」と考える点である。半日の娯楽のために放棄した収入は娯楽の費用とみなされる。つまり、娯楽の費用はそれにかかる直接費用6ペンスと放棄所得の5シリングの合計になる。この放棄所得を現代の経済学では、機会費用と定義する。二点目は、時間を生活倫理の実践に結びつけている「技術的」発想である。時間が日常の生活場面を具体的に秩序づけるための、技術的方法であることが示された。倫理を言葉として表現するのではなく、日々の生活の中で習慣化させなければならない。三点目は、「未来志向」の生活様式を重視する生活観の発想である。近代社会と特徴づける重要な価値観の一つは、個人の生まれ育ち(属性)よりも、その人のアチーブメント(業績)を尊重する発想である。この価値観が現在の生活よりも未来に豊かな生活を期待する生活態度を生み出した。[6] 目標の達成を未来におき、そこに到達するためのタイムスケジュールを綿密に作成し、それにのっとり目標に向かって課題を一つ一つ解決していく、これが近代人の基本的な生活態度である。[7]

 「前のめりの時間意識」についてすでに記しているが、ウエーバーが指摘した近代資本主義の精神が、人間の活動は絶えず価値を生産しなければならない、それも常により多く、より速やかに、つまりはより効率的に、という脅迫観念を生み出してくる。ここで私たちの日々の行為が何らかの価値を生産する活動として規定され、その合理性が効率性を基準として規定される。この「生産性の論理」が「前のめりの時間意識」と結びつくとき、「時は金なり」という言葉がもつ「道徳的訓戒」としての含みが顕わになるのであり、時間を無駄に使用することを一つの損失として意識させるような一種脅迫的な心性が発生する。時間の空白は埋めなければならない、しかも意味と価値のあるものによって、という西欧社会にかつて根深くあった「真空恐怖」にも擬せられるような神経症的な意識が生み出されることになるのである。時間の真空状態への恐怖は、現代社会にゆとりのためにゆとりなく働くというアイロニーも生んでいる。ゆとり・くつろぎが現代ではきわめて大きなビジネス・チャンスになるのだ。何もしていない時間を無為の時間として感じさせる、無駄をなくし少しでも効率の良い活動を、という精神に対する批判的な意識は1970年代に起こった。財にではなく「ゆとり」や「余裕」のうちにこそ、真の価値、豊かさがある。その意味では「時は金なり」が逆の意味で復活したのである。「仕事中毒」という言葉が生み出され、「仕事」や「労働」という言葉が急に色あせてみえるようになった。かつて労働の喜びであり本質であったものが、労働でない活動のなかに求められるようになった。ここで、労働は「労苦」であり、その労苦からの解放として、労働の対極として「自由」がイメージされる。「自由」は、「非労働」という逆倒した場面で探すほかなくなる。束縛された時間に対して、もっと自由な時間を、余暇をいう考え方である。非労働のうちにこそ「労働の純粋な形式」が輝くというパラドクシカルな現象に私たちは遭遇することになる。この純粋な形式としての「自由」は、質的な内容を持たない。「空虚」な時間としての「自由」な時間は、無内容な空っぽの時間として空洞化されていく。余暇は単なる退行的な活動へと縮減させられるのである。ここには労働を人生の軸とした近代的な勤労の精神が見てとれる。[8] 効率性を追求し、無為と怠惰を忌避する「勤労・勤勉の精神」は、余暇にも浸透していく。

 バブル期には、大会社ほど、壮年の男性社員に対して「余暇講座」なるものを開いていた。余暇とか遊びとかは、会社や仕事や他人の目を気にしてやるものではないと思うのだが、余暇に関しても「恥ずかしくない、聞こえのいい余暇」ということになるのだろうか、と清水ちなみは述べている。[9] 現代人の「きまじめな心性」は、このように余暇をも組織化した。「勤労・勤勉の精神」は、空き時間をもまた隙間なく活用し、開発するように私たちを駆り立ててくる。余暇(自由時間)そのものが消費の制度のなかに組み込まれ、絶えず新たな欲望で埋められるだけでなく、さらには何か実のあること、例えば自己学習や家庭奉仕、ヴォランティアなどといった、労働とは別の意味で価値生産的な活動で充填しなければ・・・という強迫的な意識が私たちのなかに芽生えてきた。あるいは、レジャー産業の隆盛に見られるように、労働からの免除という意味での余暇には、気持ちのいいこと、愉しいことをこそしなければ、という意識に煽り立てられる。快楽までもが義務のように感じられる。仕事も遊びも、手を抜くことなく全力投球してこそよろこびはあると考えるのだ。[10] 絶えず何かをしていないと不安になる。現代人の持つ様式に支配された時への屈服に対して、フロムは次のように言う。ある様式は今ここにのみ存在する。画家や彫刻家の創造行為は時を超越する。愛することの、喜びの、真理を把握することの経験は、時の中で起こるのではなく、今ここで起こる。この今ここは永遠である。すなわち時を超越している。[11]

 

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引用文献

[1] 清水正徳『働くことの意味』162-168頁、岩波新書、1982年。

[2] E・フロム著、佐野哲郎訳『生きるということ』177-178頁、紀伊国屋書店、1977年。

[3] 山岸健『日常生活の社会学』76-77頁、NHKブックス、1978年。

[4] M・ウエーバー著、大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』26-29頁、284頁、岩波書店、1988年。

[5] 清水、前掲書、94-101頁。

[6] 矢野眞和編著『生活時間の社会学』10-12頁、東京大学出版会、1995年。

[7] NHK放送文化研究所編『現代日本人の意識構造[第五版]』216頁、日本放送出版協会、2000年。

[8] 鷲田清一『だれのための仕事』33-49頁、岩波書店、1996年。

[9] 清水ちなみ「OLから見た会社」内橋克人・奥村宏・佐高信編『就職・就社の構造』123頁、岩波書店、1994年。

[10] 鷲田、前掲書、52-54頁。

[11] E・フロム、前掲書、176頁。


2012年『エリザベート』ルドルフの強さが次第に崩れていく様を描き、最終的には希望が残るような演技にしたい-古川雄大さん

2024年09月18日 01時23分00秒 | ミュージカル・舞台・映画

 

『エリザベート』の思い出(4)

また本を思いきります

ルドルフ

(2012年『オモシィ・マグ』創刊号より)

ルドルフの強さが次第に崩れていく様を描き、最終的には希望が残るような演技にしたい-古川雄大さん

「-ルドルフ役をどう演じたいとイメージしていますか?

ルドルフは自分の中に孤独を抱えている人物だと思いますね。そして、ハプスブルク家を救うために自分でいろいろとトライしていくところがある人だから、本来は精神的にも強いものを持っていたと思うんです。でも、その強さが次第に崩れていく様子を描き出したい。そして、最終的には希望が残るような演技にしたいですね。

 

-希望ですか?

ルドルフが亡くなった後、ルドルフが思い描いていたように時代は変わっていったところもある。ルドルフもただ無為に亡くなったわけでなく、何かを残せた人だと思うんです。その希望の部分も描けたら、と思います。

 

-なるほど、これは今までのルドルフ役の方の解釈とは大分違うような・・・?

僕は先輩の方がどう演じているかも気になるのですが、僕にしかできないことをやりたいと思っているので、新しい発想を取り入れていきたいなと思います。

 

-小池先生からはオーディションのときなどに、何と言われましたか?

「歌い方や表現方法が他の人とは違うから面白いね」と言っていただきました。

 

-自分でもそう思います?

 うーん、どうだろう? 僕はオーディションのときはありのままでいこうという意識があって、いい意味でリラックスしてできたから、小池先生もそう感じられたのかもしれないですね。

 

-ルドルフ役が決まってから、どんな準備をしていましたか?

 まず、歌のレッスン。ボイストレーニングと、自宅だと近所迷惑になるので毎日カラオケボックスに往って歌ってました。時代背景が難しいので理解することから始まり、ミュージカルの台詞や歌詞を理解することに時間をかけましたね。

 

-『エリザベート』の稽古が始まっての感想は?

 いよいよ動き始めてきたんだなって感じでした。自分としては受かった瞬間から動き始めていたんですけど。

 稽古が進んでいくにつれ、自分が思い描いたものとは違うものへと変わっていくと思っています。でも、最終的には自分の思いのままにまっすぐにぶれないで演じたい。台本を読んでいろいろ調べた限りでは、いろいろなルドルフが存在するなと思っていて、そこに今回も前回もトリプルキャストだった意味がある気がしているんです。その中で自分のルドルフを作らないといけない。いろいろな意見に耳を傾けながら、最終的にはまっすぐにルドルフを演じたいと思っています。

 

-稽古や本番で、楽しみにしていたことは?

(平方)元基君から「小池先生の演出は厳しいよ」と聞いていたんですが、すべてが勉強になると思うので楽しみにしていました。経験が浅い僕がベテランの素晴らしい方々に混ざってやるわけですから、大変なことがあったとしても、まず自分から楽しむことが必要だなと思いますね。一つ一つを楽しみながらやる。多分、心が折れそうなこともあると思うんですけど・・・。

 

-共演者で今まで関わりがあった方はいらっしゃいますか?

 高嶋政宏さんとは人を通したご縁があって、製作発表のときから気さくに話しかけてくださって。「稽古期間が短いけど、頑張ろうね」と話してくださったので、少しホッとしました。

 

-では逆に大変だなと思うことは?

 歌、お芝居、ダンス、コミュニケーション・・・すべてにおいて大変だと思いますね。体調管理も気をつけないと。

 

-長丁場の公演ですからね、体調管理はどうしていますか?

 はい、以前ミュージカル『テニスの王子様』で今回と同じくらいの期間で全国を公演したんですが、それとは全然雰囲気が違うので。その経験がプラスになればいいと思いますが。体調管理は基本的なことですね。手洗いとうがい、喉飴なめたり加湿器を使ったりして、喉の調子が常にいい状態でキープするように気を配ろうと思います。

 

-『エリザベートという作品で魅力を感じるところは?

 『エリザベート』が長く続いているのはちゃんと理由があることだと思いますね。魅力もとてもたくさんあると思う。内容としてエリザベートという強い女性の生き方が描かれているところ、そしていろいろな登場人物が運命の渦に巻き込まれていくところが魅力だと思いますね。もちろん、歌のナンバーも素晴らしいし、魅力を言い出したら言いつくせない。ルドルフという存在もとても魅力的だと思います。

-作品しては最後のほうに登場して、ルドルフの生涯を約20分の出番ですべて生き切る、という役ですものね。

 そうなんです、そこですべてを表さなければいけない。難しいですが、挑戦していきます。

 

-最後にお客様へメッセージをお願いします。

 今回はルドルフ役はトリプルキャスト。三者三様のルドルフになると思うので、ぜひ三人とも見ていただきたいと思います。ほかのキャストの方々ともいろんな組み合わせで見られるのも魅力の一つと思うので、楽しみにご覧いただけたらうれしいです。」

 

2012年、帝国劇場では『エリザベート』に続いて『ルドルフ・ザ・ラスト・キス』が上演されました。井上芳雄さんとルドルフ3人衆によるルドルフトークもあり盛り上がりました。(司会は宝塚OGの久路あかりさんでした。)この時は声も体の線も細かった古川さんが成長していった姿に『ルドルフ~』を演ってほしいなあと思うようになりましたが、年齢を考えるともうないかな、わたしの中で勝手に心残り。

『Rudolf THE LAST KISS』(4)

 


『現代日本文化論6-死の変容』より-死への準備-死への準備が困難となった時代

2024年09月17日 17時09分31秒 | 本あれこれ

「死への準備が困難となった時代

「あすは死ぬと決めて、兵士は今日どう過ごしたろうか。」

 レイテ湾海戦で散った特別攻撃隊員の心情を想い、1995年10月20日付け朝日新聞夕刊コラム「きょう」の筆者はこう記している。今からわずか半世紀前の我が邦には、眼前の確かな死を前にして、今の時をとにかく生き抜いた若者達がいた。その生き様は十人十色であろうが、その一つ一つが死に逝く者にとっては、死への準備であったに違いない。だが、その時から50年経った現代を生きる我々にとって、死への準備はいかに困難となったことであろうか。そもそも人生80年の時代においては、いのちに限りがあることすら人々は忘れ去ったのかもしれない。人生の春夏を生きるものが、人生のはるか彼方に存在する死に対して思いを寄せることは、至難の業となった。また人口の高齢化は国を挙げての重大問題ではあるが、この問題を論じるにあたって、老いへの準備は同時に死への準備でもあるという、根本的な視点が欠落しがちである。その結果、人々は当然来るべき死から目を背けて、老いた生の無批判な長らえに固執することすら稀ではなくなった。こうして、平均的な人生を誰もが平凡に歩むことができるようになった現代では、日々の生に対する人々の緊張感は乏しくなり、死は日常生活から疎遠となるだけではなく、老いと抱き合わせた形で老人固有の問題へと変質していった。

「死は死んだ」と嘯(うそぶ)く現代人にとって、かくして死への準備はきわめて困難な作業となり、その意義を論じることすら一見不毛の感がある。この点は、ほとんどの人が生を終える病院においても同じである。と言うのは、病院における死は、患者にとっても医療者にとっても敗北であり認めがたいことゆえ、死に逝く者にも看取る医療者にも、死への準備を整えることは至難の業だからである。ところが、死が人々から疎外され、死への準備が死後と化した現代においても、死への準備を見事に整えて死に逝く人々が、わずかではあるがたしかに存在する。その実例は、在宅ホスピスケアを選択する末期がん患者に見ることができる。

 がん死する患者の平均年齢はその他の原因による死と比較して若く、しかも現代医療の水準で「不治」と宣告されてから死までの期間は平均数ヶ月と短い。しかも在宅でのホスピスケアを希望するほとんどの患者は、自分の命が限られていることを自覚している。このような状況下にあっては、かつての特攻隊員がそうであったように、「今の時をいかに生きるか」を患者や家族は真剣に問わざるをえない。従って、患者や家族が選択する在宅ホスピスケアは、死への準備の一つの形であると同時に、その実践の中に、当事者の死への準備の具体的な姿を我々は見ることができる。」

 

(河合隼雄・柳田邦男『現代日本文化論6-死の変容』岩波書店、252~253頁より)

 

 


父の亡くなった翌年・東日本大震災のあった年‐2011年8月

2024年09月17日 13時09分12秒 | 祈り

「2011年8月1日(月)

夜半、静岡県沖で地震。いつでかいのがくるかと不安でたまらない。」

 

「2011年8月2日(火)~5日(金)

ムシムシする日が続く。夏らしくカッと晴れない。

真面目にやろうとすればするほど馬鹿をみて、自分の負荷も増えてイライラがつのるばかりでつまんない人生を送っているんだなと思う。なんかそんなに一生懸命やんなくてもいいんだな。バカみたい。」

 

「2011年8月6日(土)

県のPSW協会+Y市・F市自殺防止ネットワークの専門職研修会に参加。

14時~F市産業センター

思いばかりが強すぎるのかもしれない。私には重すぎる。いってよかったのかどうかよくわからない。夜になるとあまり眠れず。」

 

「2011年8月7日(日)

川和グループ、暑いしだるくって行きまでが遠くて辛かった。N島さんはきつい。おじさんのどこかエリートっぽい優越感みたいなものにも腹が立つ。」

 

「2011年8月8日(月)

太陽光チームの中期ご苦労様会に参加した。」

 

「2011年8月9日(火)

6日に行きそこねた○○医院へ行ってから出社、ものすごい暑さで辛かった。」

 

「2011年8月10日(水)

5時に退社してボランティアバスの説明会に参加、at県民センター。

仕事帰りはへばっているなあ、やっぱり。東京からは遠かった。」

 

「2011年8月11日(木)

久しぶりに有給休暇取得。ボランティア保険に加入。銀行の貸金庫利用。

なんか一生懸命働いても報われないんだなと思うこの頃。真面目にやるだけばかをみているような・・・。考え始めれば転がるように不安のかたまり。これからどこに向かっていけばいいのか、いっこうにわからない。」

 

「2011年8月13日(土)

美容院でカット&カラー、整骨院で全身マッサージ45分」

 

「2011年8月16日(火)

ボランティアバス¥4,000 迷った末振り込み。」

 

「2011年8月18日(木)

有給休暇取得、銀行で豪ドル建ての個人年金保険を申し込む。」

 

「2011年8月19日(金)

有給休暇取得、スカイスパで溶岩浴、夜21時ターミナル駅発宮城28便に乗車」

 

「2011年8月20日(土)

車中泊、石巻市でボラ活動、涼しくて助かった。午後陽がでて暑くなってきたが幸い作業中はまだ雲が隠してくれていた。はじめて目にする現実。3月11日は終わっていない。そこで時が止まったままだった。心が痛い。夜22時30分頃ターミナル駅着。」

 

「2011年8月21日(日)

涼しい。ぐっすりと7時間は眠った。整骨院で30分のマッサージ。足の痛みがまだ残っている。

自分のおかれている現実が実に内向きでばかげているのがもどかしい。また被災地のために何かしたいし、もっと荷物を減らしてふらっと旅に出たいなあ。」

 

「2011年8月22日(月)~26日(金)

足元から疲れがきてつらかったが、なんとか乗り切った。意味のわからないまま真面目にやろうとすると忙しくばかをみているだけのような。自分の内側にある思いと現実の愚かさとのギャップについていけず・・・。」

 

「2011年8月27日(土)

○○医院、蒸し暑い一日だった。」

 

「2011年8月28日(日)

昼間は暑かった。お月見の季節はまた辛い季節でもある。自分がこわれないよう時には忘れたい。それにしても感性で一生懸命わかってくれようとする援助職に今のところ会っていない。残念な現実だ。」

 

「2011年8月29日(月)

イビキだったり洗濯機の音だったり振動だったり、色々で平日はあまり眠れない。これが続くとこわれるなあと思いながら変えられそうにない。いつ大きな揺れがくるのかと不安で仕方ない。土日にちょっと出かけてしまうとスキャンと片付けが全く進まない。読みたい本がいくつかある。行きたい場所もある。生きてる間にやり遂げられるかなあ。NKにいる場合ではないのが仕方ない。仕事がなくてもみじめだ。」

 

震災ボランティア

 

この頃右足股関節の軟骨がどの程度摩耗して何センチ右足が短くなっていたのかわかりませんが、すでにかなり両方の足先とも反っていたと思われるし足腰、いや体全体がそうとう辛かったはず。振り返るとマッサージに頼らざるを得なかったし、右足が短いと言ってくれた施術師がいたけれど根本的に幼い日のギブスから治癒していないとわかっていなかったので病院に行くなど考えもしませんでした。そもそも平日に休みをとって病院に行くなど相当な自覚症状がなければいかないし紹介状がなければ相手にされないか。整形外科にいくことも考えたことありませんでした。