たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

【自民党総裁選】日曜討論の絶望

2024年09月17日 01時22分51秒 | 気になるニュースあれこれ

2024年9月16日安藤裕チャンネル、

(269) 【自民党総裁選】日曜討論の絶望 - YouTube

 

 


『現代日本文化論6-死の変容』より-阪神大震災六千五百人死の傷跡-三次災害・仮設の孤独死

2024年09月16日 16時33分44秒 | 本あれこれ

「孤独死に至るプロセス

 60名の孤独死を分析すると、その死に至るプロセスは大まかに六分類できる。そのいずれもが仮設住宅での孤独な生と密接に関係していることは言うまでもない。

1、もともと健康であったものが予期しない急性疾患で死亡したもの(突然死)

2、震災後、体の不調を覚えていたが、さまざまな理由で医療機関を受診せず、急性の合併症で死亡したもの(未受診死)

3、もともと慢性疾患で医療機関を受診していたが、何らかの理由で治療を中断し、急性合併症により死亡したもの(治療中断死)

4、もともと飲酒はしていたが健全な社会生活を送っていたものが、震災体験や家庭を失い、それをきっかけにアルコール依存症となり、死亡したもの(新規アルコール依存死)

5、アルコール依存症が震災後悪化して死亡したもの(アルコール依存症悪化死)

6、不明(記載不十分)

 孤独死の直接原因の多くは、もちろん病死であるが、自殺が急速な死への接近だとすれば、孤独死のプロセスはいわば緩慢な自殺と言ってもよいかもしれない。具体的には次のような経過をたどるのだろう。

 喪失体験や繰り返す社会的失敗→社会からの戦線離脱→自宅への閉じこもり→対人関係の断絶→過度のアルコール、不十分な栄養、慢性疾患の放置→ビタミン不足、虚弱化、慢性疾患の悪化→衰弱死、急病死。

 このプロセスのどこかに歯止めをかけることができれば孤独死の多くは救える。そのためにこそ行政も隣人もボランティアも手を差しのべるのであろう。しかし、孤独死問題の解決を死の予防という技術操作のレベルでのみ論じるのは逆に孤独死の本質を見失う危険性をはらんでいる。繰り返しになるが、孤独死の原因を一言で(本質的ない意味で)述べれば、孤独な生である。孤独は都市を定義する一つの要素である。社会的にアクティブで、一人で生き抜く能力さえ備えていれば、都市は可読な人を逆にもっとも都会的な自由人に変えてしまう魔力をもっているのだ。」

 

「男の孤独死

 しかし、孤独死が男性に二倍以上多いこと、年齢が余りに若いことは筆者の胸を打つ。なぜ本来頑健なはずの壮年男性が孤独死するのだろうか? その原因として以下のようなことが推測される。

 第一に、実はほとんどの男性は会社人・組織人ではあっても社会人ではないのだ。平日の昼間の時間はほとんど会社に勤め、夜は付き合い、日曜日は接待ゴルフやせいぜい家庭サービスで遊園地といった具合に、極端に公的または私的な領域でしか生きていないのではなかろうか。生活レベルでの地域コミュニティーへの参加は皆無に近く、家族が近隣との関係調整や生活機能のほとんどを代行しているのだ。

 つまり、男の人生のほとんどすべては、家族や地域とは無関係の会社組織に組み込まれ、たとえ単身者であろうとも、集団の秩序に所属しているうちは心身とも安全が保障されるのであろう。

 したがって単身の男性は職がなくなれば必然的に社会との接点を失う。しかも仮設という新興コミュニティーに参加する術をしらない。そもそもコミュニティーの中での処世の術について考えたことがないあ。話し相手がなく、することもなく、金もないのでもっとも安あがりの娯楽、アルコールにのめり込み、健康障害を引き起すのだろう。家庭や住居の喪失と未來への絶望感はそれに拍車をかけるだろう。

 また、震災前からアルコール依存症であった人はもともと既存のコミュニティー組織とはなじめずに暮らしてきたものが多く、疑似コミュニティーによりかろうじて生存してきた。疑似コミュニティーとは、断酒会や医療機関や行政(精神保健相談員)や場合によっては飲み友だちのことである。しかし被災後の仮設住宅は都市の辺縁にあり、疑似コミュニティーもまた実質的に壊れた。彼らの多くは温和で内気で恥ずかしがりやである。見知らぬ土地の断酒会に入り、禁酒仲間を作り、適切なアドバイスを求めるために医療者やカウンセラーを捜すということは彼らにとってはエベレストに登るくらい勇気の必要な行為なのである。

 神戸協同病院(長田区)の中田陽造医師の調査によれば、かつての依存症患者が再び酒に手を出す割合は、震災後、通常時の三倍に増えたという。

 さらに、孤独死した人の多くが高血圧、糖尿病、肝臓病といった慢性疾患を有していた。慢性疾患の特徴は、病気そのものには自覚症状は少なく、病気の合併症が致命的な経過につながるということである。従って、医療機関を受診するためには何らかの動機づけを必要とする。それはたとえば、家族や友人の勧めであるだろうし、病気が悪くなれば仕事ができなくなるといった生活や職業への執着であるだろう。

 ところが震災によって家族や友人や職場を失ってしまえば、治療のための動機を失ってしまい、しばらく未治療の状態が続き、結局、心筋梗塞や脳卒中といった急性合併症が命取りになるのだろう。かかりうけの医療機関が遠く離れてしまったことも関係している。」

(河合隼雄・柳田邦男『現代日本文化論6-死の変容』岩波書店、82~85頁より)

 

 

 

 

 

 


コロナ騒動の大ウソ、

2024年09月16日 13時19分15秒 | 気になるニュースあれこれ

コロナ騒動の真っ只中だった2021年1月、東京新聞が最初に報じ、次にNHKが報じるとさもそれが本当であるかのようにきこえてしまった都営大江戸線の水道の蛇口を介してコロナが広がったとされた件。コロナは空気感染なのでそんなことあるわけないやろ!と宮沢先生はすぐNHKに電話されたそうです。その結果、蛇口を介しての感染は、保健所の職員が可能性としていくつか考えられる中の一つに過ぎなかった、しかも可能性としていちばん低いものを犬HKは一番大きく報じたということがわかったという話。

冷静に振り返ればコロナ恐怖煽りはこんなことばかりでした。スーパーのレジカゴを介して感染するとか、エレベーターのボタンを押すことで感染するという話もありました。国の大臣たち、都道府県知事たちも間違ったこと吹聴し続けました。それらに対してウィルス学者たちが一切おかしいと声をあげたなかったことも大問題。研究費の補助金と職を失うのをおそれて誰も声を上げることがなかったのが日本という社会。

コロナ騒動によってここまでおかしくなったのか、コロナ騒動をとおしてここまでおかしなことになっていることが可視化されたということなのか、どちらなのだろうと個人的には毎日考えています。

 

 

洗面所の蛇口介し感染か 都営大江戸線の新型コロナ集団感染 | 新型コロナウイルス | NHKニュース

都営大江戸線は先月中旬以降、江東区の清澄乗務区に所属する運転士など39人が新型コロナウイルスに感染し、今月11日までの2週間余り通常の7割程度に減らして運行を行いました。

都交通局によりますと、感染経路を調査した保健所から乗務区の庁舎にある洗面所の蛇口を介して感染が広がった可能性が高いと指摘されたということです。

この蛇口は手で回すタイプで、トイレの後の手洗いのほか歯磨きやうがいなどで運転士たちが使っていて、保健所はだ液が蛇口についていた可能性を指摘しているということです。

都交通局は、手をかざせば水が出るセンサー式の蛇口に変えるなどの対策を検討するということで「手を洗うために使う蛇口を介した可能性があると聞いて、対策の難しさを痛感した。感染の拡大防止に努めて運行を確保していきたい」としています。

加藤官房長官「共用で使うものは定期的清掃を」

加藤官房長官は閣議のあとの記者会見で「集団感染の原因に関して、個別の中身まで詳細に承知していないが、一般論として接触感染を予防するために、ドアノブ、スイッチ、手すりなど、手がよく触れる共用で使うものについては定期的に清掃するよう、これまでも周知を図ってきている」と述べました。

そのうえで「共用で使うものへの対応も含め、さらに徹底していただき、感染リスクが高まる5つの場面、さらには3密の回避、手洗い、マスクの着用、換気の徹底など基本的な対策の徹底を改めてお願いしていきたい」と述べました。」
 
2021年1月14日 19時54分東京新聞、
 
 
「東京都営地下鉄大江戸線が昨年末から今月11日まで間引き運行した原因となった運転士間の新型コロナウイルスの集団感染が、共同利用する庁舎の洗面所の蛇口経由で広がった可能性が高いことが14日、都交通局への取材で分かった。手をかざすと自動的に水が流れるセンサー式ではなく、手で回すタイプの蛇口だった。今後はセンサー式への置き換えを検討する。

◆歯磨きの唾液がついた手で蛇口に触れ…

 交通局によると、大江戸線では昨年12月15日以降、江東区の同じ庁舎を使う運転士ら計39人の感染が判明。大江戸線は12月27日から今月11日まで、運行本数を通常の7割程度に減らしていた。庁舎には始発電車の乗務に備えて運転士が泊まり込んでいる。保健所からは「歯磨きの際の唾液が付着した手で蛇口を触れたことにより、感染が広まった可能性が高い」との指摘を受けたという。

◆対策は「蛇口は紙で覆って触れる」「使用後の手指消毒を徹底」

 交通局は以後の対策として、蛇口を紙で覆って触れることや、使用後の手指消毒を徹底するよう職員に指示。日常的な手指消毒やマスク着用、アクリル板の設置などは以前から実施していた。
 交通局の担当者は「今後も感染防止に努めながら、運行を確保していきたい」と話した。(共同)」
 

専門分野の細分化による弊害

2024年09月16日 01時43分19秒 | 日記

9月15日(土)掛谷先生と宮沢先生の講演会、質疑応答の時間に焦点があてられた研究者の専門分野細分化されすぎ問題、自分の専門分野以外のことは知らない、口出ししないとなっているのはよくない、ジェネラリストを育成していくことが必要という掛谷先生の話。宮沢先生の専門はウィルス学の中でもレトロウィルス、ウィルス学の中でも細かく専門分野がわかれているという話と若い研究者が育っていない、学会いってもおじいさんばっかりという話など。

司会の鳥集さんからでた医療も専門分野が細分化され過ぎている問題、整形外科の中でも股関節だけ、膝だけと細分化され過ぎているという現状。まさに今わたしがさらされている弊害、わたしの体はひとつで股関節~膝~足先は神経とうケーブルでつながっていて切り離すことはできないのに関係ないと言える医者ってなんなん、コロナ茶番で命に別状ない股関節の手術など先送りでよいもたいがいですが体切り分けて考えてすぐ隣のことは知らんって、医療ってなんなのよ。こちとら自分でどうすることもできないし、なす術なし、絶望で力が抜けるばかりです。

コロナ茶番劇にしろ、すでに800名以上の方が死亡認定されているワクチンにしろ結局ゆきつくところは全て金、金と利権を手に入れるためなら人はここまでなりふり構わず醜くなれるものなのかとあらためて恐ろしくなります。コロナ騒動を通してみえたきた現実を理解するには、おぞましすぎて耐えられそうにありませんが731部隊のことを知るのは必須なのだと掛谷先生の話からわかりました。まだまだ勉強ではありますが先はありません。

 

 

 


『アンナ・カレーニナ(中)』-第四篇-12より

2024年09月15日 08時43分27秒 | 本あれこれ

『アンナ・カレーニナ(中)』-第四篇-3より

「「でも、あの人はいったい、なにをしたというんですの?」ドリイはいった。「ほんとに、なにをしたというんですの?」

「あれは自分の務めをないがしろにして、夫を裏切ったのです。そういうことをあれはしたのです」彼は答えた。

「いいえ、いいえ、そんなことってあるはずがございませんわ! いいえ、どうぞそんなことをおっしゃらないで。それはたしかに、あなたさまの思い違いでございますわ」ドリイは両手でちょっとこめかみにさわって、両の目を閉じて、いった。

 カレーニンは唇に冷やかな笑いをもらした。彼はそうすることによって、相手にも自分自身にも、自分の確信が揺るがぬものであることを示そうと思ったのである。ところがこうした熱烈な弁護は、彼の気持を動揺こそさせなかったが、かえって彼の傷口をかきたててしまった。彼はますます興奮してしゃべりだした。

「妻が自分からそのことを夫に申し立てているんですから、思い違いをしようにもできませんな。なにしろ、8年間の夫婦生活も、むすこも、みんな誤りだった、自分ははじめから生活をやりなおしたいと、申し立てているんですから」彼は鼻を鳴らしながら、腹立たしそうにいった。

「アンナと不品行-あたしにはどうしても、この二つを結びつけて考えることはできませんんわ」

「奥さん!」彼はもうまともに、ドリイの興奮した善良そうな顔を見つめながら、しゃべりだした。彼は自分の舌がひとりでにほぐれていくのを感じた。「まだ疑いをいだく余地があったら、ワタシとしてもどんなにうれしいかしれませんよ。疑っていたときは、そりゃ苦しくはありましたが、でも、今よりは楽でしたからね。疑っていたときには、ひょっとしたら、という希望がありましたから。しかし、今はもうその希望さえありません。でも、そのくせ、なんでもかんでも疑うようになりました。いや、なにもかも疑わずにいられなくなったものですから、むすこのことさえ憎らしくなりましてね。どうかすると、これははたして自分の子だろうかとさえ疑うようになりましたからね。じつに不幸なことです」

 彼には、こんなことをいう必要はなかった。ドリイは相手が自分の顔を見た瞬間、それを察したからである。彼女は相手が気の毒になってきて、親友の潔白を信ずる気持が動揺しはじめてきた。

「ああ、これはほんとになんてことでしょう、なんてことでしょう!でも、あなたさまが離婚を決心なすったというのは、ほんとなんでございますの?」

「私は最後の手段をとることにしました。ほかにどうしようもないのです」

「どうしようもないんですって、どうしようもないんですって・・・」ドリイは目に涙を

浮べて繰り返した。「いいえ、しようがなくはありませんわ!」彼女はいった。

「いや、まったくその点がやりきれないんでして。この種の悲しみというものは、ほかの、たとえば失敗とか死とかいう場合のように、ただ十字り架を負っていけばいいというわけにはいかなくて、どうしてもなんらかの行動に出なければならないんでして。いや、その点がまったくやりきれないのですよ」彼は相手の気持を察したかのように、こういった。「自分のおかれている屈辱的な立場から、出て行かなければならないのですよ。三人いっしょに暮らしていくわけにはきませんから」

「わかりますわ、そのことはあたしにもよくわかりますわ」ドリイはいって、うなだれた。彼女は自分のことを、自分の家庭の悩みのことを考えながら、しばらく黙っていた。と、不意に、さっと顔を上げて、祈るようなしぐさで、両手を組み合わせた。「でも、お待ちになってくださいまし!あなたさまはキリスト教徒なんですもの。あの人のことを考えてあげてくださいまし!あなたさまに捨てられたら、あの人はどうなりますでしょう?」

「いや、私も考えたんですよ、奥さん。ずいぶん考えてみたんですよ」カレーニンはいった。その顔にはところどころ赤いしみが現われ、どんよりした目は、まともに彼女を見すえていた。ドリイはもう心の底から相手がかわいそうになった。「私もあれの口から、自分の恥辱を告げられたあとで、今おっしゃったとおりのことをしたんですよ。つまり、なにもかも元どおりということにしたのです。悔い改める機会を与えてやったのです、あれを救おうと努めました。それが、どうでしょう? あれは世間体をつくろうといういちばん楽な条件さえ、実行してはくれなかったんですからねえ」彼はかっとなりながら、いった。「そりゃ、破滅したくないと思っている人間なら、救うこともできますよ。しかし、すっかり性根が腐ってしまって、もう破滅そのものを救いだと思っているような堕落しきった人間は、どうにも手がつけられませんよ」

「なんでもようございますが、ただ離婚だけはどうか思いとどまってくださいまし!」ドリイは答えた。

「しかし、なんでもとおっしゃっても、いったい、なにができましょう?」

「でも、それじゃ、あんまりですわ。あの人はもうだれの妻でもなくなって、身を滅ぼしてしまいますわ!」

「私になにができるとおっしゃるんです?」カレーニンは眉と眉をつりあげて、きき返した。妻の最後の仕打ちを思いだすと、彼はまた気持がいらいらっしてきて、話しはじめたときと同じように、冷やかな態度になった。「ご同情には感謝いたしますが、もうそろそろお暇しなくてはなりません」彼は立ちあがりながら、いった。

「いえ、お待ちになってくださいまし!あの人の身を滅ぼすようなことはなすってはいけませんわ。まあ、お待ちになって。あたし、自分のことを申しあげますから。あたしは結婚いたしましてから、夫に裏切られました。もう腹が立つのと嫉妬のために、なにもかも投げ捨てて、出て行く気になりました。自分だけで・・・ところが、はっと正気に戻りましたの。それはだれのおかげだとお思いになりまして?アンナが救ってくれたのでございますよ。ですから、今、あたしは、このとおり、生きていられるんですわ。子供たちもおおきくなりましたし、主人も家庭へもどり、自分の悪かったことに気づいて、今では、前に比べれば、それは潔白な、いい人になってくれました。それで、あたしも生きがいがあるんですの・・・あたしも許してきたのですから、あなたさまも許してやってくださなければいけませんわ!」

 カレーニンは、じっと聞いていたが、ドリイの言葉はもう彼の気持に、なんの作用もおよぼさなかった。彼の胸の中には、離婚を決意したあの日と同じ敵意に満ちた気がまたわき起ってきた。彼はちょっと身震いすると、よく透る、甲高い声でしゃべりだした。

「許してやることはできません。いや、そうしたくもありません。それは正しくないことだと思いますね。あの女のためにはなにもかもしてやったのですが、あの女はそれをすっかり、泥まみれにしてしまったのですから。いや、泥まみれになるのはあれの性に合っているのですよ。私は意地の悪い男ではありませんから、今まで一度も人を憎んだことはありません。しかし、あの女だけは心の底から憎んでいます。許してやることはできません。あれが私に投げつけた敵意に対しては、もう憎んでも憎みきれない思いです!」彼はその声に憤激の涙までこめて、そういいきった。

「なんじを憎むものを愛せよ、と申しますのに・・・」ドリイは恥じ入るような声で、ささやくようにいった。

 カレーニンはさげすむように、にやりと冷笑をもらした。そんなことは、彼もとうに承知していたが、とても彼の場合にはあてはまらないものであった。

「なんじを憎むものを愛せよ、ならわかりますが、自分の憎んでいるものを愛することはできません。お騒がせをしてすみません。だれでも自分の不幸だけでも、たいへんなことですからな!」カレーニンはそれだけいうと、気をとりなおして、静かに別れを告げて立ち去った。」

(トルストイ『アンナ・カレーニナ(中)』昭和47年2月20日発行、昭和55年5月25日第16刷、新潮文庫、290-294頁より)

 

 

 


小泉進次郎氏は天才子役:百田尚樹さん

2024年09月14日 17時44分23秒 | 気になるニュースあれこれ

2024年9月13日宮沢先生チャンネル、

(254) 前半無料【ゲスト:百田尚樹】宮沢孝幸チャンネル第6回放送 - YouTube

 

Xユーザーの土佐の酔鯨さん: 「小泉純一郎が壊しきれなかった日本を、息子の進次郎は跡形残らず壊して、財界と米国からの要求を完成させるつもりだ。20数年前、親の正体が見抜けずに騙されてしまったことは迂闊だった。だが、その息子にまで再び騙されてしまうとしたら、もう底なしの愚か者というしかない。」 / X

「小泉純一郎が壊しきれなかった日本を、息子の進次郎は跡形残らず壊して、財界と米国からの要求を完成させるつもりだ。20数年前、親の正体が見抜けずに騙されてしまったことは迂闊だった。だが、その息子にまで再び騙されてしまうとしたら、もう底なしの愚か者というしかない。」


第六章OLを取り巻く現代社会-⑧現代社会における働きがいの喪失-労働からの疎外

2024年09月14日 12時26分27秒 | 卒業論文

 資本主義経済の成立と定着における労働者の立場を大雑把ではあるが概観した。それは、前述したように、きわめて純粋な一般的な経済構造を対象として考えたものである。場面を現代社会に移せば、国家が大きく経済に介入せざるを得なくなった先進的な資本主義諸国において、資本主義の構造、とくにその階級構成がすこぶる見分けにくいものになった。例えば国家が大きく経済に介入してくる時、国家が自主的な政策をとるように見えたり、中立的な、国民全体のための政策をとるように見えたり、中立的な、国民全体のための政策をとるように見えたりする。自由競争の時代のような好況・恐慌・不況という景気循環に対して、今度は管理通貨制のもと、インフレ政策、デフレ政策をはじめ、巨視的・微視的な操作を加え、政府や中央銀行が大きな役割を果たすことになる。資本家と労働者という二つの経済的階級が社会生活そのものの中で否応なくはっきり判別できた時代に対して経営形態が複雑化し、職務分担が拡散化していくと、経済構造の基本性格、資本主義経済の階級性は一見したところ明確でないものになってくる。こうした中で、働く人間の対象との関係はますます従属的なものとなり、人間的関係も企業の中枢からのリモート・コントロール操作によって、都合のいいように動かされる傾向が強くなる。

組織人の項で記したように、会社という組織の中では、労働者はどうにでもさしかえのきく部品として扱われやすいのである。労働者においては、自分たちはこの世の中で積極的に意味のあることを、自分たちのため世の中のためにやっているのだという働く人間としての実感と納得が極小にまで追い込まれていく。とりわけ、機械技術が発達して生産労働が細かに分化せざるを得ない工業部門では形あるものを造る喜びを、各自があるいは幾人かの仲間が味わうということは事実上困難になってくる。生産物と労働者との間の乖離は、局部的・抽象的な仕事には、自分たちの創意工夫の入れられる余地が全くないというばかりでなく、労働者の働きがいのなさに結びつく。労働者は、何もしていないような実感に捉えられて、この働きがいのなさが繰り返し執拗に自分を悩ますということになる。[1] 社会的不安は工場労働者によって初めて世に現われたのだ。工場労働者は、自分の労働の成果を見ることがあまりに少ない。仕事をするのは機械であって彼はただこれに従属する道具に過ぎない。あるいはいつもただ小さな歯車か何かを作る手伝いをするだけで決して時計全体を作ることはない。しかも時計は楽しい芸術品で人間らしい真実の仕事の成果なのに。このような機械的労働は、どんなつまらぬ者もみな持っている「人間の尊厳」の観念に反し、決して人を満足させるものではない。[2] 

工場労働者の働きがいのなさを、ブラウナーはやはり疎外を鍵として、説明している。先にマルクスの自己疎外を記述したが、疎外は多く中心的な説明理念として伝統的に用いられてきた。ブラウナーは、社会学的ないし社会心理学的な観点から疎外を捉えている。彼の場合、疎外は特定の社会的状態から生ずる個人的経験の質とみなされるという。また、単一的ではなく多次元的に疎外概念を用いている。疎外とは労働者と職業の社会術的状況との間の一定の関係から生ずる様々な客観的条件と主観的な感性状態とからなる総合的な特徴群である。疎外が生まれるのは、労働者が自分たちの直接的な作業工程を統御したり、自分たちの仕事と全体の生産組織とを関連づける目標感や職務遂行感を身につけたり、個々の統合された産業共同体に帰属したりすることができない時であり、また自己表出の一様式である労働活動に熱中できない時である。ブラウナーは高度産業社会がもっている四つの疎外の類型を示している。人間は機械化された社会機構の中の一つの歯車に過ぎなくなってしまったことを説明するために、ブラウナーの疎外についての記述を紹介したい。

一つ目が無力性。人間が無力感を抱くのは、彼が他者あるいは没人格的な制度によって統御され操縦される客体と化している時であり、またかかる支配状態を変えたり修正したりする主体として自己を主張できない時である。無力な人間は客体として、働きかけるのではなくただ反応するだけである。彼は管理するのではなくて、管理されるかあるいは支配される。大規模な組織に雇用されている労働者は完成された製品に対する自分たちの権利を喪失してしまっており、工場や機械、またしばしば自分たちが使用している道具さえもが、自分のものではなくなっている。こうした大規模組織における「所有における無力性」は近代産業にあっては常識であり、被雇用者は通常、この領域において影響力を行使しようとしない。無力性のもう一つの側面は、意思決定に対する統制力の欠如である。これもまた近代的な雇用関係に共通してみられる現象である。大規模組織は頂点に権力が集中しているヒエラルキーな権威構造であり、そこでは手作業労働者は企業の重大な決定を統御する機会をほとんど与えられていない。またほとんどの雇用者がこの側面を産業における「所与」として受け入れる傾向がある。平均的な労働者は、何を、誰のために、どれだけ生産するか、製品をいかに設計するか、どんな機械を購入するか、仕事の配分をいかにするか、さらにまた仕事の流れをいかに組織するか、といった決定に対する責任をもちたいと思ったりはしない。疎外の第二の次元は、労働者が労働に意味を見出すことができない、無意味性である。とりわけ官僚制的な構造が無意味性を助長しているように思われる。大規模組織において分業がますます複雑になるにつれて、個人の役割は役割構造全体との有機的な連関を欠くようになり、その結果として、労働者は協同的な仕事を理解し、自分の仕事に目標感を持つことができなくなるのである。ブラウナーが述べているところによれば、カール・マンハイムは、「機能的合理化」と「実質的合理性」との間の緊張の結果として、官僚制組織のうちに無意味性が生ずると考えた。機能的合理化という概念は、近代的な組織では全てのものが最高度の能率を上げる方向に向けられているという観念に関連をもっている。先ず、製品ないしはサービスに必要な多数の作業内容と手続きが分析され、それから仕事の流れがスムーズに行くように、またコストも最小限に留まるように作業が組織される。技術的組織及び社会的組織の原理を十分に理解している者がいるとすれば、それは少数のトップの経営者だけである。全体の能率と合理性が増大するのに伴って、システムを構成している個人の実質的合理性は低下する。複雑な組織を持つ工場で、高度に細分化された職務を分担している労働者や、巨大な政府の部局で働いている事務員はきわめて限られた仕事しか知る必要がない。彼らは他人がどんな仕事をしているかを知る必要がないし、自分たちの隣の部局で何が起こっているかさえも知らないかもしれない。彼らは自分自身の仕事が全体の作業工程に、どのように組み込まれているかを知らなくてもすむ。その結果生ずるのが、「所与の状況において、諸現象の相互関連を自分自身で洞察し、それに基づいて知的に行動する能力」の低下である。近代産業社会の中では個々の労働者が完成品に対してなす貢献度はきわめて低い。規格化された生産と分業が基礎にあるため、個々の労働者が分担する責任と作業の範囲が狭いからである。大規模工場であればあるほど、労働者は自分の仕事から意味を引き出すことが困難になる。三つ目の、産業共同体への所属感をもたないという意味での社会的疎外(孤立)については、産業社会の初期の頃には特徴的であったが、今日では減少していると、ブラウナーは述べる。ある一つの産業共同体に労働者が所属しているということの中には、仕事の上での役割の一体化と職場共同体の一つないしそれ以上の中枢に対する忠誠心とが含まれている。他方、孤立とは、労働者が労働環境への帰属感を抱いていないために、組織とその目標に同一化できないか、あるいは同一化することに関心がない、ということを意味している。[3]

ブラウナーの記述に沿って、工場労働者に見られる働きがいのなさについて見てきているが、それは、ブラウナーの疎外の類型に、「被差別者の自由」を主体的に選択するOLの姿を見出すことができると筆者は考えるからである。

四つ目の自己疎隔という概念は、労働者が労働活動において、彼の内なる自己から疎外されることがある、という事実を指している。ことに労働者が作業工程に対する統制力を欠き、企業目標に自分がかかわりを持っているという意識を欠くとき、彼は仕事への直接の専心ないし没入を経験することができず、その結果、自我意識を喪失したある種の離脱状態を経験するかもしれない。このように、現時点で仕事に没入することができないということは、仕事が本来的に手段となってしまっているということ、すなわち仕事それ自体が目的であるよりは将来の報酬を得るための手段となってしまっているということを意味する。労働が自己疎隔を促進強化する場合には、労働者の独自な能力、潜在的能力ないしパーソナリティは、労働の中に表出されることがない。さらには、倦怠感と単調感、人間的成長の欠如、職業を通しての自己確認への脅威などが挙げられる。

近代社会になって労働は直接に、かつ直に満足を与えてくれるものでなければならず、しかも個人の独自な潜在的能力を表出するものでなければならないという見解を我々が抱くようになったのは、産業社会において労働が細分化されたことによると思われる。多くの決定的な社会変動によって、労働の細分化は進められてきた。もっとも基本的な変動は市場経済の登場である。それは生産と消費、努力と欲求充足との間の有機的な連関を切り離すことによって、労働に対する手段的な態度が出現するための契機を与えたのである。第二に、家庭と職場との物理的分離によって、労働生活と家庭生活との間に亀裂が生じたこと、第三に労働の動機付けであった宗教的制裁の重要性の減少、第四に、産業組織によってもたらされた専門化と、都市化によって助長された匿名性とによって、普通の人々の職業上の役割がなんであるかがわからなくなったこと、そして、最後に、労働時間の短縮と生活水準の向上とによって、単なる肉体的な生存のためだけに生活時間をさくことがますます少なくなってきたことが挙げられる。時間、エネルギー及び資源は労働以外の生活領域に利用することが可能となったのである。労働は満足を与えてくれるものではない、労働の場は自己表出の場ではない、自己疎隔の状態にあっては、労働の報酬は主として活動そのもの以外のところにある。労働は手段であってそれ自体が目的ではない。このように手段であり自己疎隔的な仕事になっても安定した仕事であれば、現代産業社会の典型的な労働者はそれに満足するかもしれない、とブラウナーは述べる。彼らにとって仕事とはレジャー、家族、消費などを中心として組織されている生活に必要な給料を稼ぐという、より大きな目的のための手段に過ぎないのである。最後に、労働が自己疎隔的である時、職業は個人の自己確認と自我意識とに肯定的には作用せず、むしろ自尊心を傷つける方向に作用する。現代の産業社会における自己確認の発達は創造的プロセスの発展であると考えられる。生きがいは働きがいと読み換えられることを先に記したが、血縁や地縁と遠くなった現代人にとっては職業が全般的な社会的地位を現す、より重要な要因となる。現代社会においては、全体的な自己確認を構成している諸要素の中で、職業における自己確認がより重要なものとなっているのである。労働が自己実現を促し、個人の独自の潜在的能力を引き出すようなものである時、労働することは労働者の自尊心を形成することに寄与するが、疎外された労働においては、労働者階級を社会的に低い地位に位置づけ、取るに足らないとする社会的評価を正しいものとして受けとめる人々の気持ちをますます強くしてしまう。

これら四つの次元には、それぞれの基礎に人間の存在と意識における断片化という観念が横たわっている。その断片化が経験と活動の全体性を阻害する。そして、それぞれの疎外的状態は、人間が「物として使用される」可能性をますます高める、とブラウナーは述べている。[4]

疎外という概念にもう少しこだわってみたい。現代社会において人間は機械化された社会機構の中の歯車の一つに過ぎなくなってしまったことを繰り返し記しているが、この「機械化」というのは、作業の機械化そのものばかりをいうのではない。これに必要な、あるいはこれから結果される作業の細分化、単純化、画一化、自動化などを含む概念である。機械化の進行に伴って、組織体の働く人々の作業は、ますます切れ切れの断片的作業となり、芸術家的な完成仕事ではありえなくなり、ルネサンス的な労働概念からは遠ざかることになる。大規模組織における「所有における無力性」がブラウナーによって述べられたが、労働者がこうした生産手段を持たないという基本的な特質の故に疎外状態に陥ることしばしば説明される。

尾高邦雄は、「疎外」について次のように述べている。疎外とは、ある人が事実上疎外されている客観的な境遇のことをいうのか、それとも、本人自身が疎外されていると感じている主観的な心の状態、したがって「疎外意識」のことをいうのか。人々が疎外意識をもつのは、彼らが客観的に疎外された境遇に置かれているからか、それとも客観的には少しも疎外されていないのに、本人は疎外されていると感じる場合もありうるのか。逆にまた、客観的には明らかに疎外されているのに、日本は少しも疎外感を持たず、楽しく働き、職場で生きがいを感じていることもありうるのか。そして最後に、疎外された客観的な境遇とは、何を意味し、どこからそれは結果されるのか。これらの問いのうち最後の問い以外は比較的簡単に答えるが出る。疎外とは、客観的な境遇であり、また主観的な意識でもある。では、客観的な事実としての疎外は何ゆえに発生するのか。マルクスの生産手段の非所有から導き出される疎外について、尾高は、ある人々の権力が相対的に小さく、被支配的立場にあること、それ自体が疎外をもたらしているのはなく、そのために生じた組織体内部の一定の状況、特に作業方法や管理機構の上での一定の状況が、人々の疎外状態をもたらす直接の原因になっていると述べる。さらに、今日組織体の中で働く人々の労働が、作業の機械化ゆえに芸術的な完成仕事ではありえないという論点が示される。尾高によれば、疎外とは、マルクスの言ったように、人間が自分の仕事からのけものにされていること、したがって自分の仕事の主人たることができず、また職場の自治的なメンバーであることをこまばれている状態を意味する。疎外意識または疎外感とは、このことを結果としての、のけ者にされているという意識、無力感、自己喪失感、もしくは生きがいの喪失のことであって、それはしばしば誤解されているように、単なる不満や失意の状態や挫折感のことではない。また、このような疎外の客観的状態と主観的意識とを作り出す要因は、組織の巨大化と官僚主義化にある。巨大な組織体が、従業員個々人に対して、彼らの職場の、また組織全体の、活動目標や活動方針に関する意思決定への参画を拒否している中央集権的な組織構造が、人々の疎外の根源である。上からの委任の行動が開始されなかったならば、組織体の末端で働く人々は職場の自治的なメンバーであることも、そこでの仕事の主人であることもできない。もし人々に、意思決定への参画の機会が与えられており、その結果人々が職場の活動目標や活動方針の設定や変更について十分に知らされており、それについて自由に希望や意見や批判を述べることができ、また自らがそれについての意思決定を行う権限の全部もしくは一部を上層部から委任されていたならば、人々が疎外状態に陥ることは極めて少なかったに違いない。[5] 

黒井千次は、労働における全体像の喪失は、労働者に「部分意識」をもたらすことを述べている。黒井が引用しているところによれば、中岡哲郎氏は、エッセイ「生産点の思想」(『展望』1970年2月号)の中で、労働の抽象化に伴う自分と全体との関係の希薄化に触れ、「つまり自分と全体との通路、かかわり方の具体的なイメージを失ってしまった分だけ、人々はとにかく自分はどこかで全体をささえているのだろうという意識で置き換えてゆくのである。我々の社会に本質的な『部分の意識』はここからスタートしている」と述べている。この「部分の意識」は追い詰められたものの悲鳴に似た叫びであり、自己正当化であり、居直りである。さらに部分意識は、部分意識としていかに定着させるかという緊張感と危機意識をはらんでいる。部分意識は、部分と全体の関係をどこかで快復しようと努めているように見えながら、しかし結局は部分を部分の中に押し込めることによって全体の幻影をつかませることにしか役立たないであろう。部分意識の確認は、それの市民権を認めるために必要なのではなく、遥かなる全体像との断絶を明らかにするために不可欠のものであるように思われる。黒井が述べる労働の喪失の二点目は、労働における自主性の喪失である。現代の雇用労働者は、「人に使われる」のではない「自分自身のために働ける」労働を体験することがない故に、働きがいを見失いやすい。誰に命ぜられるのでもなく、自分の身体が進んで労働のほうに立ち向かっていくという自主性と自発性を抜きにして、そこに労働の充実を実感することは困難だろう。今日の管理される労働の中では、どんな自主性をもってそれに参加し始めたとしても、たちまちのうちに彼の労働は命ぜられた労働に転落してしまうことは間違いない。三点目は、創造性の喪失である。創造という言葉の中には「新しく」という要素と「造る」という要素の二つが含まれている。今日、労働に従事するものは「造る」ことはできても「繰り返し」しか造ることは許されない。そういう事態を前提として成立している労働の中で、創造性を見出していくことは絶望的であるように思われる。

さらに、生産物との断絶である。自己の労働が自分に意義あるものとして納得させるためには、労働の生産物が他人によって受容されることを見届ける必要がある。労働の結果の客観的評価が、労働するものの主観的な労働へのかかわり方を保障する。自己の労働の結果に対する使用価値視点からの反応がこだまのように響いて始めて彼は彼の労働の意義を確認することができる。そのためには、労働するものは、自己の労働生産物と対等に全的に結び合っていなければならない。しかし分断された肯定の一部にしか参加できず、労働の全体像を拒まれている労働者にとっては、自己の労働と生産物とが切り離されているのは明らかである。彼には参加した労働の結果の全体について他人に対して責任さえとることができない。労働における生産物との断絶は、労働者にとって労働に内在する社会的広がりを断ち切られることに他ならない。五つ目に連帯感の喪失である。今日の一連の労働過程において、共同作業のイメージは著しく失われているように思われる。むしろ、今日労働に従事するものが具体的に連帯を感じることができるのは、一つのものに向かって積み上げられていく共同作業のなかでよりは、むしろ労働の過程外で、上司の悪口を言ったり、作業の愚痴をこぼしたりしあう中でのほうがはるかに強いに違いない。これは労働における連帯感の結果生じる、一つの防衛的な連帯感でしかないだろう。最後に労働における熱中の喪失である。黒井は、「遊びの喜び」と見間違うような、「純粋な活動そのもの」の喜びを労働の中に見出すことが、労働の全体像を模索する重要な手がかりになると述べている。労働の一瞬の熱中を手がかりにし、その瞬間をストロボ撮影のように連続して意識内で再生させ続け、そこに生じる残像と残像を結び合わせることによって一つの積極的な労働イメージを作り上げようと試みるのである。黒井は統括してこう述べる。「働きがい」の有無や程度に関係なく、人間は労働し続ける存在だという認識の地平に僕らは改めて立ってみることが必要なのではなかろうか。その労働は、単なる需要に応じて生産する労働でもなく、人間を人間たらしめる基本的要因としての労働であることは言うまでもない。人間存在の根底に根ざした労働の本質像、それをどこから汲み上げてくることができるかを考える時、現代の労働そのものの中に立ち戻る以外に道はないのではないか。なぜなら、人間が人間であることを確証する基本的な営みである労働というものは、それ自身の中に内部的な生命とでも呼ばれるような存在論的な継続性を秘めているに違いないと思われるからである。日常の中ではその光をみることはできないが、光を奪われた闇のなかにうがたれた穴を、闇を背景にしてすかしみるようにして労働の実像を探ることは不可能だろうか。今日の労働が様々な意味において苦痛である限り、職場の労働を拒否しようとする意識は、自然発生的に生じてくる。そこが「疎外の出発点」なのだ。これに対して「職場の労働に結びつこうとする意志」の確認は、労働する者にとってより困難な作業だろう。苦痛の泉とも言うべき職場の労働に結びつこうとする意志をもつことは、労働者にとって自己矛盾以外の何ものでもないからである。にもかかわらず、労働者は自分の労働の結果の中に自己自身の投影を見ざるを得ない。この過程は労働を拒否しようとする過程とは逆に、きわめて意識化されにくいものであるように思われる。それだからこそ、むしろ自己の労働に向けて結びついていこうとする傾向の意識化がきわめて重要な課題となるのではなかろうか、と黒井は述べる。さらにそのような意識化のうちに、失われた労働の影を探るという主体的な営みが含まれる可能性があると考えられる。労働の実像への肉迫は労働の苦痛を前提としつつ、なおも労働と結びついていかざるを得ないこの全過程を明確に意識化し続けることによってだけ可能なのではなかろうか。[6]

労働への肉迫には、失われた労働の影を探るという主体的な営みが含まれる可能性があると黒井は述べているが、私たちはなぜ労働の意味を探ろうと苦悩するのか。労働の中に働きがい、つまり生きがいを見出そうとするのか。ここで、人間の主体性、能動性との関連で、フロムの「あること」に触れておきたい。

 私たち人間には、ありたいという生来の深く根ざした欲求がある。それは自分の能力を表現し、能動性を持ち、他人と結びつき、利己心の独房から逃れでたいという欲求である。[7] フロムは、「持つこと」と「あること」という人が生きていくうえでの二つの基本的な存在様式を示し、この二つの生き方の違いから現代社会の様相を探った。フロムによれば、現代産業社会は持つ様式に支配されている。持つ様式においては、私の財産と私自身とは同一である。私は安心感と同一性を見出すために、持っている物にしがみつく。私と客体である持つものとの関係は死んだ関係である。これに対して、ある様式においては、私は何ものにも執着せず、何ものにも束縛されず、変化を恐れず、絶えず成長する。それは一つの固定した型や態度ではなく、流動する過程なのであって、他者との関係においては、与え、分かち合い、関心を共にする生きた関係となる。それは生きることの肯定である。持つ様式においては時に支配されるのに対して、ある様式は今ここにのみ存在する。ある様式における人間の内面は能動的であり、自分の能力や才能を、そして全ての人間に与えられている豊富な人間的天賦を表現する。これは忙しいという外面的能動性の意味ではなく、自分の人間的な力を生産的に使用するという内面的能動性の意味である。[8]

フロムの言う「あること」には、能動的であるという意味が含まれる。普通、能動性は、エネルギーの費消によって目に見える結果を生じる行動の特質と定義される。しかし、フロムの言う能動性には、自分のしていることに内的関係や満足を持つことをも含まれる。フロムは能動性と単なる忙しさとに対応した「疎外された能動性」と「疎外されない能動性」について述べている。「疎外された能動性」においては、能動性の行動主体としての自分を経験しない。また、ほんとうに働きかけはしない。私は外的あるいは内的な力によって働きかけられるのである。これに対して、「疎外されない能動性」においては、私は能動性の主体としての私自身を経験する。それは、何かを生み出す過程であり、何かを生産してその生産物との結びつきを保つ過程である。このことには、私と能動性と能動性の結果とは一体であるという意味も含んでいる。フロムはこうした「疎外されない能動性」を生産的能動性と呼ぶ。この場合の生産的とは、画家や科学者が創造的である場合のように、何か新しいもの、あるいは独創的な門を創造する能力を指すのではなく、能動性の産物を指すのでもない。能動性のもつ特質を指すのである。生産的能動性とは、内的能動性の状態を表す。それは、自分自身を深く意識している人物、あるいは一本の木をただ見るだけでなく、本当に「観る」人物、あるいは詩を読んで詩人が言葉に表現した感情の動きを自己の内部に経験する人物の中で進行している過程を言う。必ずしも芸術作品の創造や科学的創造や何か「有用な」ものの創造と結びつくものではなく、全ての人間に可能な性格的方向付けを指す。生産的能動性に対して、単なる忙しさの意味での「疎外された能動性」は実は生産性の意味においては、「受動性」である。一方、忙しくはないという意味での受動性は、疎外されない能動性であるかもしれない。[9] 尾高は、「職場における生きがい」に限定して、「生きがい」とは、自分でなければできない何かのために、自分の個性能力を十分に発揮し得ているという静かな確信、あるいは自分の仕事の主人であり、自治的な職場グループの尊敬されたメンバーであるという自覚である。このような自覚や確信を持っている場合、人間は必ず幸福である、[10]と述べているが、これこそ、フロムのいう、生産的能動性の状態であろう。

 

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引用文献

[1] 清水正徳『働くことの意味』158-161頁、岩波新書、1982年。

[2] ヒルティ著、草間平作訳『幸福論』(第一部)19頁、岩波文庫、1935年。

[3] R・ブラウナー著、佐藤慶幸監訳『労働における疎外と自由』39-53頁、新泉社、1971年。

[4] R・ブラウナー、前掲書、55-65頁。

[5] 尾高邦雄『職業の倫理』53-62頁、中央公論社、1970年。

[6] 黒井千次『仮構と日常』148-158頁、河出書房新社、1971年。

[7] E・フロム著、佐野哲郎訳『生きるということ』142頁、紀伊国屋書店、1977年。

[8] E・フロム、前掲書、126-128頁。

[9] E・フロム、前掲書、128-130頁。

[10] 尾高、前掲書、69頁。

 


父の亡くなった翌年・東日本大震災のあった年-2011年7月

2024年09月14日 10時13分23秒 | 祈り

「2011年7月1日(金)

22時まで会社。

意味のあることではない。

全く、全く、不愉快なことが多い。イライラする。」

 

「2011年7月2日(土)

ようやくマンション1階の整骨院 ¥2,500

待っている間に冷房で体が冷えてしまった。腰ガチガチ。」

 

「2011年7月3日(日)

川和グループ。Y住先生はまだつらそうだ。N島さん、話がきれてしまうのできつい。

節電のはずなのにけっこうあちこち寒い。外はもあっと暑いので差がこたえる。格好はダサイが脱いだり着たりだ。電車の中などけっこう寒い。いつ終わるかわからにリスクが起っているというのに原発はまた動くのだろうか。一人一人が考えて自分の意見をもつ。そういう社会になっていってほしい。」

 

「2011年7月7日(木)

少し涼し目。30度を下回る。」

 

「2011年7月8日(金)

暑さぶり返し。朝顔が大きくなってきている。」

「2011年7月9日(土)

○○医院、今日も受付時間内に行けなかった。

何もできないまま、本当に今ここにいることが正しいのかどうかわからないまま年をとっていく。今日も晴れて暑い。なんでだかハイテンションであまり気分の落ち込みはなく、つまんないけど可愛い服を買って気分はあがっている。でも3月11日よりあと、間違いなく世界は変わっているんだよね。自分は何をすべきなのか、どんな役割を与えられているのか。このまま50歳を過ぎて恋愛もなく私の人生は終わっていくのか。夏休みとして東北に旅行にいってみる。それだけでもいいではないか。」

 

「2011年7月13日(水)

ブロッコリーの芽を一部プランターに植えかえる。早帰り日、久しぶりに7時前に会社を出た。」

 

「2011年7月16日(土)

美容院でカット、15時~

夜スキャンと家計簿が少し進む」

 

「2011年7月17日(日)

母がお風呂に入らなくて困っているというメール有。気が重いなあ、生きている間縛られ続けるんだ。」

 

「2011年7月18日(月)海の日

清史郎君ザンマイで休日は終わっていく。可愛さにいやされる。ザールせいすいに母のことでTELした。」

 

「2011年7月19日(火)

台風がきたがたいしたことにはならなかった。」

 

「2011年7月20日(水)

涼しくなる。」

 

「2011年7月21日(木)

涼しくなる。母のことを考えるとうつにおそわれ、どんよりと気持ちは重くなる。」

 

「2011年7月22日(金)

母が昨日ようやくお風呂に入ったとのメール有。あくまでもYクンはやさしい。いい出会いがないものか。」

 

「2011年7月23日(土)

○○医院、何も予定がなかったので少し外で風にあたる余裕がもてた。

色々なことに苛立ちをおぼえるばかりで、自分がどこへ向かえばいいのかさっぱりわからない。今こうしてくだらない会社でも一生懸命働いていることはなにかにつながっていくのだろうか。50才になろうとしているのに先がみえないことに苛立つ。もう少し英語ができるようになって旅ができればいいのかな・・・」

 

「2011年7月24日(日)

整骨院¥5,250

ベスト電器で洗濯機購入。8/20以降搬入予定を決めて連絡すること。」

 

「2011年7月29日(金)

イライラストレスもマックスでそれでもいい加減なことはできなくてがんばってしまう私がいる。」

 

「2011年7月30日(土)

ボランティアバスにとうとう申し込んでしまった。大丈夫かな・・・。」

 

「2011年7月31日(日)

未明、福島県沖で地震。

ようやくスカイスパにいってあかすり。だるくておもくてたまらない。」

 

 

 

「2011年7月10日(日)

断捨離でようやくまたリユース。Aさんがくれた手作り人形も手離してしまった。」

 


9/13予防接種健康被害救済制度でコロナワクチン接種後の自殺が死亡認定される

2024年09月13日 17時24分17秒 | 気になるニュースあれこれ

Xユーザーの藤江@日本人、謎の大量死※コロナでは説明できないさん: 「本日厚生労働省公表 予防接種健康被害救済制度 新型コロナワクチン 19名の死亡が一斉に認定 合計死亡認定818名 健康被害全般では8108件認定 25歳男性死亡認定 異常行動、重症頭部外傷 異常行動が認められました。 https://t.co/YAv6sIooUD」 / X

「本日厚生労働省公表

予防接種健康被害救済制度

新型コロナワクチン 19名の死亡が一斉に認定

合計死亡認定818名

健康被害全般では8108件認定

25歳男性死亡認定

異常行動、重症頭部外傷 異常行動が認められました。」

 

Xユーザーの藤江@日本人、謎の大量死※コロナでは説明できないさん: 「ほぼ、この方で間違いないでしょう。 25歳男性、接種4日後に自殺で死亡 この事例が健康被害救済制度で認定されました。 新型コロナワクチン接種後の自殺、実はたくさん事例があります。 https://t.co/RXlc28DwkX」 / X[

「25歳男性、接種4日後に自殺で死亡

この事例が健康被害救済制度で認定されました。

新型コロナワクチン接種後の自殺、実はたくさん事例があります。」

 

「「妖怪のまち」仕掛け人 福崎町職員の小川知男さん死去、自殺か」

ある地方で起こったコロナワクチン接種後の若い男性の自殺、藤江さんが講演会でも話されていました。脳に異常をきたして精神障害をおこして自殺。北海道のどこだったか忘れましたがコロナワクチン接種後やはり若い方が叫び声をあげながら車に飛び込んだという悲しい出来事があったはずです。

昨年秋よりパワハラがあったと騒がれていて雇用主が損害賠償することで決着した自殺の件についても、個人的には考え得る可能性の一つとしてコロナワクチンまたは抗精神薬の副作用が希死念慮を引き起こした可能性があると思っています、わかりませんが・・・。

 

『家の歴史』より-律令制度の家-戸籍がつくられ登録された

2024年09月13日 08時40分38秒 | 本あれこれ

「三律令時代の家 Ⅰ律令制度の家

  7世紀に政治的な変革が起った。大化改新(645)である。成長してきた国家が、さらに改編されねばならぬ段階になり、大陸の強大な国家の制度も知られ、大和国家を中心にして諸国家の権力を否定し、統一国家をつくりあげた。そして氏族的な規範のかわりに法の規範を輸入して律令の制度となった。君主は統一的な君主として天皇のみとなり、諸国家の君主たちの独立性をもった従属関係は失われて、法で規定された官僚となった。そして地方は地域的に国郡里保の行政組織に編成され、長官が任命されて、領域国家の体裁もできたのである。こういう制度の下に家も編入された。家は制度としてはっきり現われ、戸籍がつくられ登録された。

 まず一般民衆が、公民という資格を得た。村または氏の民、すなわち村の君主・氏の君主の民でなく、国家の民となった。部という名称も失われた。それとともに賤民・奴隷などの制度もでき、公民と区別されている。民衆についてそう規定したうえで、家の制度ができた。 

郷戸 律令の制度の家は郷戸といわれる。正倉院文書の中をはじめ、戸籍の原物が残っているので、一番研究されてきたものであるが、解釈はむずかしい。まず戸籍によると大小いろいろの戸があって、簡単なのは筑前川辺里のト部久良麻呂を戸主とし、その妻と三男二女と、長男の妻と孫二人の合計十人の郷戸がある(大宝2年)。これならばもう直系の血縁だけの家で、現代の家と同じようなものといっていい。しかしまた同じ場所でト部首羊の家は、戸主夫婦と一女のほかに寄口一人とその母を含んだ五人の郷戸である。数は前より少ないが、前のような単純な夫婦親子の家ではない。一様にはいえないのであって、この里の他の戸については、人数では5人が1戸、10人台が10戸、20人台が4戸、30人台が3戸、124人のもの1戸という風であり、成員の種類からいうと戸主を中心する直系親だけのもの、それに傍系親が単独または妻子や親とともに含まれているもの、または戸主と血縁関係のない寄口が単独または妻子とともに含まれているもの、同じく非血縁の奴隷が含まれるものがあり、それらが全部または一部含まれた戸がある。だから法的なる家は決して構造においても人員数においても一定していない。しかし成員別に法定の名称はついていて、郷戸の中に含まれた房戸という名称もあり、寄口・奴隷の名称もある。同一の郷戸と決定しながら、その中にさらに単位的な構成員を区別しているのである。それはおそらくは実情の反映であろう。

 そこで最も単純なものとしては直系親だけの戸があるわけだが、それが基本的な家というのでないことが知られ、いわば偶然に直系親だけで戸を構成し得た場合もあるということを意味するのであろう。人数はもっと少なくても直系親以外を含むものがあるからである。それで、系図的にまた姓により、直系とそうでないものと区別し得る段階にはあるが、しかもそういうものを含んでなお、一戸と見る必要があり、またそう扱っても不自然でなかったのである。

 

(略)

 

 戸主はそこで戸の代表責任者であるが、戸口すなわち戸の成員に対して特別の機能をもったり、統一的に支配する不可分の権力をもっていた証跡はないという。これは注意されるべきだが、さらに戸主が女であることは認められなかった。男の戸主ある。一夫多妻が法的に認められ、妾をもつことができたことは実際の戸籍も現われている。そして妾と妻とには大した区別はい。そして夫婦同財といわれ、妻の財は夫の財だという意味も含まれていたが、妻の特有の財も認められていた。財の相続については女は男に多少は劣っていた。

 戸の相続は戸主の身分の相続となるわけだが、祖先の祭の相続であり、戸主の男系の男子一人が選定された。それが嫡子である。嫡妻の長子から順次に選ばれるから、妾腹でも嫡子たり得る。嫡子以外の子は衆子といわれ区別されていた。妾腹の子を庶子という。こうして父権がそう強くないにせよ男系であり、男の優位が決定されたのである。

 法的に定められた戸の制度はかかるものだった。しかし、それは法であり、制度である。そのままに現実の家ともいえぬし、といって現実の家と無関係の制度でもなかったであろう。そこで、この法に現われている性質について検討してみる必要がある。

 父権・父系ということは示されたが、現実においてまだ十分に基盤が熟していなかったらしくもある。まだ氏族的な性格は社会的に強く残っており、それが国家に統一される程度にはなっていたにせよ、氏族から充分に脱却せず、国家組織にも妥協的な性質が見られる。むしろ実際に父権・父系的になっていない故に、法の上でとくに父権・父系に統一しようという意図がみられるようである。先進隣国の唐の法を学び、その組織を輸入しているから、法の上に父系が強く出されているのである。しかし、実は天皇にも女性は現われるし、民間にも母親の習俗は残っていたようである。この時代に編んだ記紀の神話で特に男性優位を強調しているようなふしがある。母権・母系から父権・父系への転換期で、それが法によって父権・父系に統一されるよう促された時代ということになるかと思う。

 そういうように、戸の制度は、現実そのままの表現ではなく、しかも現実を反映してもいたと思われる。その程度が問題である。

 

家の性質 前代からの家の発展について、まず農業の面から見ると、細分経営の方向がますます出てくることは、疑いない。そして集約化するにつれて、分割された土地と家の継続的な結びつきが永くなり、その家の「所有」する土地という性質が強まる。つまり土地所有が強くなるということである。それと同時に、進歩した農法に適応すべき共同作業・共同管理もある。たとえば田植というような特徴的な方法が7、8世紀には明白に行われており、その方法も定まり、一般化して農業は進歩していた。田植という非常に集約的な方法が、短期間にそれをしなければならぬ強い農繁期を生んで、協力して皆の田植を一気にすませようという共同組織を生む。そのほか灌漑設備も発達し、遠い所から水が引かれるようになれば、それだけ水田は安全になるし、また耕地を増すこともできるが、そのかわり広い範囲で協力、共同しなければならない。水田に肥料を入れることも、同じころから著しく見られ、緑肥や厩肥(きゅうひ)を入れて土地が豊かになると同時に、採草地を共同で管理し利用しなければならない。

 こうして農耕地の家々による細分所有化の進展と、家々の共同組織とが、同時に不可分に進むわけであるが、進歩に応じて、家そのものも、その家々の共同する範囲も変ることは当然である。農業経営が進歩しただけに、それに対応する家になり、共同をする必要があるからである。いいかえると家と村は変化する。そこで、氏の変化があり、そのことに国家統一の基礎があったとみられるのであって、氏の君主の権力を国家権力に集中したと解され、そのためには家々を氏の君主のものでなく、直接に国家の家々であり、土地もまた国家の土地で、家々に配分されているという制度が生れる理由があった。そして、独立の小国家であったような全国の土地民衆を、公地公民とし、国・郡・里・保・戸というように制度づけたと考えられる。

 そうすると、家と村の変化、またそれによる国家の変化が、改新で制度的に規定されたということなのである。では実情はどうか。

 土地についての所有は、制度の上で口分田として現われた。そこに個人単位ということと、その人一代の所有ということが見られる。個人単位は実は農業経営上不可能で、土地経営の主体に老若男女が個人ごとになり得るわけではないから、これは氏から国家への統一によって公民という観念をうち出すために現れたもの、また配分の標準を定めるためのものと思われ、実際は家を単位としたにちがいない。(略)

 戸についても、実際をある程度は反映しているのであろう。そこで家の構造が郷戸に近いものとすると、家の構成員については、生物的な血縁者・夫婦の系列が認識されて、互に血縁のない二組またはそれ以上の系列と複合したことになっており、房戸の名称がついて、家の中に家が二つ以上ある。しかも非血縁の個人も含まれているから、血縁のみが家族で、その家族が複数になっているのではなく、非血縁者も含まれることが示されている。それゆえ、血縁家族という観念は生れてきているが、しかもそれに徹していない状態だといってよかろう。そういう一括された集団が家であり、郷戸であって、郷戸主の統轄の下にある。だから、血縁・非血縁を含む家から血縁または夫妻による家が分化して出かかっている形、少なくともそういう単純な家の観念が出はじめている形ということになる。こういう性質は家の発展について不自然ではなく、縮小してゆく家という発展方向の一つの段階と見ることは可能である。しかし一方、そのかなり分化の不明確な、そして郷戸がたがいにかなり甚だしい差のあるところなどから見ると、このままの不揃いの家が現実にあったのではなく、政治的に戸主責任を定めたので、都合により不揃いになったのかも知れない。

 戸の制度において、郷戸主の系統と、房戸・寄口・奴碑と四段階の構成員を含んでいることも注意される。(略)家が縮小しながら結合している傾向に応じて、縮小した家が平等にでなく序列をとって結合しているのである。

 戸主は、その全体の上にあるが、法的に強い父権は規定されていない。しかし相続が、家の祖先の祭りをつぐということで、その点は原始の家の家長と同性質をもっており、法で規定された以上の神権的な力をもっていたのであろう。

 一夫多妻であること、妻妾の間に大した差がなく、相続者にはいずれの子もなり得るということ、またとくに子のない妻を離別し得ることは、家の相続が大切だということ、それにはとにかく血縁者が大切だということになっていることを示している。

(略)

家と村 村落の存在はどうしても肯定しなければならない。家々とその集団=共同体との組織的組み合わせによって、農業経営は発達しているのである。その共同がなくては家の存在は不可能である。

 そこでもし郷戸を家とすれば、郷戸が寄って結ばれた村=共同体は何であるか。制度の上では里がある。この里が村に当るとすれば都合がいいが、実際はかなり機械的で、行政区画としてはわかるが実際の村であるという根拠はない。これも村の存在は前提としているだろうが、その実態の反映は小さいと見られる。とくに班田や租庸調が、郷戸を直接に対象単位としているので、里が村の実態だとすると軽く扱われすぎている。そこで、律令国家において村は消滅し、存在しなかったという説もあるのである。国家の下には郷戸がある。それが社会的に単位だというのである。

(略)

 律令の制度が何ゆえに郷戸を基礎として、村を重視しなかったか。村がなかったのでないとすれば、理由がなければならぬ。それには制度をつくった国家権力が、氏族的村落権力の否定を重要目的としたことが考えられる。

 そうすると、村はあったにちがいないという推定のもとに、郷戸を考えていい。その郷戸の規模は甚だしく不揃いだった。農業経営の基本単位として、そう不揃いが生ずるはずはない。そうすれば、実態の家と村は、郷戸という制度の背後にあったことになる。

  直接の証拠はないので、まず一応のところ、家と村の概念をもう一度確認した上で推定を下すほかはない。家を婚姻または血縁集団とみることはまだできない。自足的な農業経営においては、経営のための構成の方が大切である。(略)生れによる血縁の認識または意識は現われたにせよ、経営の主体をそれのみに頼れるはずはなかった。だから郷戸主の直系親のみとか、房戸主の直系親のみとかの血縁集団を家とみては危険である。郷戸の中にある非血縁の個人も、家の成員であると見なければならぬ。それと同時に、村もまたそういうものとして存在すべきで、小経営体の家が必要数だけ集り共同する組織であるはずである。それは小経営体そのものが、農業の進歩によって変化したのに対応して、その集合体も変化しているはずだからで、自然村落などという固定したものではあり得ないからである。

 家と村という構造を支配してゆくために、班田制や戸・里までの制度をつくったのだと考えられ、郷戸はつまりそうしてつくられた制度であったのであろうから、郷戸は支配の便宜により、家または村、数個の家を一支配単位としたものではないかということになる。そうすると、家と村の実態は郷戸の中から考えねばならぬ。しかもその実態は、今日まだよくわからないといわざるを得ないのであって、結論を下しうるまでにはなっていないのである。」

 

(社団法人農山漁村文化協会『家の歴史』昭和60年8月20日第四刷、65~79頁より)