愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

「台湾は日本の生命共同体」と述べた李登輝元総統は「君が代少年」だった!

2020-08-01 | 台湾朝鮮植民地

「台湾が日本の統治下にあった」とは「植民地」だったということだ!

その植民地台湾の戦前・戦後の果たした役割を担った李登輝元総統!

NHK 「台湾は日本の生命共同体」李登輝元総統 日本への思いは… 2020年7月31日 21時15分おくやみ 

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200731/k10012544391000.html?utm_int=news_contents_news-main_002

台湾の李登輝元総統は2015年に来日した際、NHKの単独インタビューに応じ、日本語で日本への思いを語っています。
この中で、李元総統は、日本に対する思いの源について「22歳まで、日本人としての教育を十分に受けてきた」と答えたうえで「台湾は、日本の持っている『自由と民主』という考え方を持たなければならない」と述べています。
アジアにおける日本の役割については、中国が沖縄県の尖閣諸島や南シナ海などをめぐってみずからの領有権を主張する動きを強めていることに触れ、「日本がアジアの平和を保たなければならない。アメリカがやれないことは日本が率先して解決していくことが大切です」と述べて、安全保障などで積極的に役割を果たすことに期待を示しています。
一方、日本と台湾の関係については「日本の今までの内閣や指導者は台湾に対する考えをあまり強調していません。私もだいぶ苦労しました」と述べて、かつて病気の治療のために日本への訪問を希望した際に、ビザの発給がなかなか認められなかったことなどを振り返り「台湾と日本の関係を積極的に進めるという考え方を持つべきだと思います」と述べています。
その上で、「台湾は日本の生命共同体であり、日本に頼らなければいけないという面が非常に強い」と述べて、関係を強化する必要性を強調しています。
日本の統治下での経験 人生に大きな影響
李登輝元総統は、台湾が日本の統治下にあった1923年に台北近郊で生まれ、旧制台北高等学校を卒業後、日本に渡り、京都帝国大学、現在の京都大学に入学しました。
太平洋戦争中に旧日本陸軍に入隊し、日本で終戦を迎えました。当時は「岩里政男」と名乗り、著書の中で、「私自身、日本の教育で生まれ育ってきましたから、その価値観は骨の髄まで染みこんでいます。戦前の日本の高度な教育が、いまの私の思想・知識の基礎になったことは疑うべくもありません」と記すなど、日本の統治下での経験がその後の人生に大きな影響を与えたとしています。
李元総統は、敬愛する人物の1人として新渡戸稲造を挙げ、日本の「武士道」を世界に紹介した新渡戸の著書に関する本も出版しています。
この中で李元総統は「『日本精神』、すなわち『義』を重んじ、『誠』をもって、率先垂範、実践躬行するという『大和魂』の精髄がいまなお脈々として『武士道』精神の中に生き残っていると信じ切っているからこそ、日本および日本人を愛し、尊敬しているのです」と記し、みずからが台湾の改革を推し進めたのは、人の先頭に立って模範を示し、みずから実行するという武士道に対する崇敬や信頼の念があったからだと強調しています。
総統退任後はたびたび日本訪問
李登輝元総統は、2000年に総統を退任してからは、たびたび日本を訪れていて、最後の訪問になった2年前の2018年までにあわせて9回に上ります。
退任後、初めて日本を訪れたのは2001年で、岡山県を訪れ、心臓病の治療を受けました。
その後、2004年には名古屋、金沢、京都などを訪問し、母校・京都大学の恩師と再会しました。
また、2007年には、長年望んでいた松尾芭蕉の「奥の細道」をめぐる旅を実現させたほか、台湾が日本の統治下にあった1945年、第2次世界大戦で旧日本軍の兵士としてフィリピンのマニラ沖で戦死した兄がまつられている靖国神社を参拝しました。
最後に日本を訪れたのは2年前の2018年で、沖縄県の平和祈念公園で戦争で亡くなった台湾出身の人たちを追悼する慰霊碑の除幕式に参列しました。
一方で、李元総統は2002年、慶應義塾大学の学園祭で講演を行うことを理由にビザの申請を行いましたが、学園祭を主催する実行委員会が講演会の開催を取り消したため、一旦、申請を取り下げました。
その後、会場変更の動きを受けて、再びビザの申請を検討したものの、外務省が再申請があっても認めない意向を示したことから訪日を断念しました。(引用ここまで)

日本帝国主義の同化政策の象徴的教材

資料179 国民学校国語教科書『初等科國語三』(本文)

http://sybrma.sakura.ne.jp/179syotoukakokugo3.html 

四 君が代少年
 昭和十年四月二十一日の朝、臺灣(たいわん)で大きな地震がありました。
 公學校の三年生であつた德坤(とくこん)といふ少年は、けさも目がさめると、顔を洗つてから、うやうやしく神だなに向かつて、拜禮をしました。神だなには、皇大神宮の大麻がおまつりしてあるのです。
 それから、まもなく朝の御飯になるので、少年は、その時外へ出てゐた父を呼びに行きました。
 家を出て少し行つた時、「ゴー。」と恐しい音がして、地面も、まはりの家も、ぐらぐらと動きました。「地震だ。」と、少年は思ひました。そのとたん、少年のからだの上へ、そばの建物の土角(どかく)がくづれて來ました。土角といふのは、粘土(ねんど)を固めて作つた煉瓦(れんぐわ)のやうなものです。
 父や、近所の人たちがかけつけた時、少年は、頭と足に大けがをして、道ばたに倒れてゐました。それでも父の姿を見ると、少年は、自分の苦しいことは一口もいはないで、
 「おかあさんは、大丈夫でせうね。」
といひました。
  少年の傷は思つたよりも重く、その日の午後、かりに作られた治療所(ちれうじよ)で手術を受けました。このつらい手當の最中にも、少年は、決して臺灣語を口に出しませんでした。日本人は國語を使ふものだと、學校で敎へられてから、德坤は、どんなに不自由でも、國語を使ひ通して來たのです。
 德坤は、しきりに學校のことをいひました。先生の名を呼びました。また、友だちの名を呼びました。
 ちやうどそのころ、學校には、何百人といふけが人が運ばれて、先生たちは、目がまはるほどいそがしかつたのですが、德坤が重いけがをしたと聞かれて、代りあつて見まひに來られました。
 德坤は、涙を流して喜びました。
「先生、ぼく、早くなほつて、學校へ行きたいのです。」
と、德坤はいひました。
「さうだ。早く元氣になつて、學校へ出るのですよ。」
と、先生もはげますやうにいはれましたが、しかし、この重い傷ではどうなるであらうかと、先生は、德坤がかはいさうでたまりませんでした。
 少年は、あくる日の晝ごろ、父と、母と、受持の先生にまもられて、遠くの町にある醫院(いゐん)へ送られて行きました。
その夜、つかれて、うとうとしてゐた德坤が、夜明近くなつて、ぱつちりと目をあけました。さうして、そばにゐた父に、
「おとうさん、先生はいらつしやらないの。もう一度、先生におあひしたいなあ。」
といひました。これつきり、自分は、遠いところへ行くのだと感じたのかも知れません。
 それからしばらくして、少年はいひました。
「おとうさん、ぼく、君が代を歌ひます。」
 少年は、ちよつと目をつぶつて、何か考へてゐるやうでしたが、やがて息を深く吸つて、靜かに歌ひだしました。
  きみがよは
  ちよに
  やちよに
德坤が心をこめて歌ふ聲は、同じ病室にゐる人たちの心に、しみこむやうに聞えました。
  さざれ
  いしの
小さいながら、はつきりと歌はつづいて行きます。あちこちに、すすり泣きの聲が起りました。
  いはほとなりて
  こけの
  むすまで
終りに近くなると、聲はだんだん細くなりました。でも、最後まで、りつぱに歌ひ通しました。
 君が代を歌ひ終つた德坤は、その朝、父と、母と、人々の涙にみまもられながら、やすらかに長い眠りにつきました。(引用ここまで)

日本支配の構造22 皇室財産は長州勢による特別資金?2009年01月30日
世界史の窓「文化政治」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

義兵闘争=反植民地闘争の義士安重根をテロリスト呼ばわりする大東亜戦争正当化派を応援する新聞!

2014-01-22 | 台湾朝鮮植民地

前回の記事で安重根をテロリスト呼ばわりするのは、桂太郎内閣と同じ思想であることを検証しました。こうした思想は、植民地を正当化するものであること、同時に、反植民地闘争は敵視することが浮き彫りになったのではないかと思います。伊藤博文は、第四次内閣の時、片山潜・幸徳秋水ら6人が結成した社会民主党を禁止・解散させました。その社会民主党の綱領などをみると、現在の日本国憲法の源流が見えてきます。

日本において植民地化に反対し、戦争に反対する愛国者、朝鮮において、日本の植民地主義に反対する安重根などの愛国者を菅官房長官が、どのような思想を視ているか、どちらの立場にたっているか、明瞭です。だからこそ、テロリスト呼ばわりするのです。日本の愛国者については、一貫して無視をするのです。

2-20 社会民主党の結成(初期社会主義) | 史料にみる日本の近代

日本の歴史に輝く憲法9条の源流――歴史をかえりみて 民主法律協会  2013年6月25日

日本社会主義運動の前史

では、日本の各紙の記事をご覧ください。共通しているのは、中韓が連合して「安倍政権に圧力をかける狙い」があるとしているのです。この評価は、日本国民にどのようなメッセージを与えることになるでしょうか。中韓の国民には、どうでしょうか。

「中国が歴史問題で韓国との連携を強化し、日本に圧力をかける意図」と解釈する前に、中韓が何故、「日本に圧力をかける」のか、読売は不問です。しかも、「「安重根は犯罪者」と日本の立場」についても、解明すらしていません。「テロリスト」発言は黙殺です。そう言えば、石破氏も特定秘密保護法に反対する国民を「テロリスト」呼ばわりしました。

読売 ハルビン駅に安重根記念館、開館…伊藤博文暗殺 (2014年1月20日07時30分)

【済南(中国山東省)=蒔田一彦、ソウル=吉田敏行】中国国営新華社通信によると、朝鮮独立運動家・安重根(アンジュングン)が1909年に初代韓国統監の伊藤博文を暗殺した中国黒竜江省ハルビン駅に19日、「安重根義士記念館」が開館した。韓国外交省も同日、記念館の開館を「歓迎し、高く評価する」と発表した。中国が歴史問題で韓国との連携を強化し、日本に圧力をかける意図の表れとみられる。同通信や同省によると、記念館は、ハルビン市が駅の貴賓室内につくった。暗殺現場のホームを見渡すことができ、安重根に関する資料や写真が展示されている。地元関係者によると、20日から一般公開されるという。

 安重根を巡っては、昨年6月の中韓首脳会談で訪中した韓国の朴槿恵(パククネ)大統領が、同駅に記念碑を建てることを、中国の習近平(シージンピン)国家主席に要請した。同省によると、現場に記念碑は建てられていないが、韓国の聯合ニュースは「中国政府は記念碑の設置を格上げし、記念館の設立で応えた」と報じた。

 ◆安重根=朝鮮半島の独立運動家。1909年、伊藤博文を射殺したその場で逮捕され、翌年処刑された。韓国では「抗日義士」として英雄視されており、昨年11月には、「安重根は犯罪者」と日本の立場を説明した菅官房長官の発言に、韓国側が激しく反発した。(引用ここまで

「初代の韓国統監を務めた伊藤博文を1909年に暗殺した」のは何故か、不問です。「韓国の独立運動家」と書いていますが、何故「独立運動」をする必要があったのか、不問です。日本国民も、この点については不問です。世界で一番危険な沖縄の普天間基地が、何故、そこに配備され、継続されているのか、何故撤去しなければならないのか、不問であることと同じです。

「中国は安倍晋三首相の靖国神社参拝などを踏まえ、韓国と連携し歴史問題で日本に圧力をかける狙いとみられる」とありますが、何故「踏まえ、…圧力をかける狙い」が出てくるのか、ここでも説明していません。このことは「かつての日本の残虐行為を宣伝するプレスツアーを実施」と、「宣伝」されてしまう背景についても何も語っていません。そのことは安倍首相の靖国参拝のネライと同じであることも、同様沈黙です。

日本経済 中国·ハルビンで安重根記念館が開館  2014/1/19 19:08 (2014/1/19 22:13更新)

伊藤博文元首相を暗殺した韓国の独立運動家、安重根の記念館が中国のハルビン駅に開館した(19日)=聯合共同

 初代の韓国統監を務めた伊藤博文を1909年に暗殺した韓国の独立運動家、安重根の記念館が19日、中国東北部のハルビン駅内(黒竜江省)に開館した。記念館をめぐっては、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領が昨年、ハルビン駅内に安の石碑を建立することを習近平国家主席に要請していた。中国は安倍晋三首相の靖国神社参拝などを踏まえ、韓国と連携し歴史問題で日本に圧力をかける狙いとみられる。中国の国営新華社通信によると、駅の待合室を改造したもので広さは100平方メートル。暗殺に関する資料や写真を展示し、窓からは暗殺現場が直接見える。建設費はハルビン市などが負担。開館式には黒竜江省の孫尭副省長が出席した。入場料は無料で、延べ1000万人が同駅を利用する春節(旧正月)を前に開館した。中国外務省は16、17日には北京駐在の外国メディアを対象に、遼寧省の九・一八歴史博物館などを回り、かつての日本の残虐行為を宣伝するプレスツアーを実施した。(大連=森安健)(引用ここまで

共同の配信記事をそのまま掲載している琉球新報です。しかし義兵闘争として位置づけた安重根のたたかいを沖縄の米軍基地撤去のたたかいと結びつけるとすると、どのように評価できるでしょうか。勿論、非暴力的手段と暴力的手段の違いを踏まえて、ということは当然の前提です。戦前の大日本帝国主義の「捨て石」思想、戦後の「反共の防波堤」思想に冒された沖縄の視点と日本帝国主義の植民地主義に反対する朝鮮人民のたたかいをどのように結びつけるのでしょうか。

琉球新報 中国で安重根記念館開館 暗殺現場のハルビン駅 2014年1月19日 

中国のハルビン駅に開館した安重根の記念館=19日(聯合=共同)

【ソウル、北京共同】韓国外務省は19日、初代韓国統監の伊藤博文を暗殺した独立運動家、安重根の記念館が、暗殺現場の中国黒竜江省のハルビン駅に開館したと発表した。中国国営通信の新華社も安重根の記念館がハルビン市で19日午後に開館したと報じた。韓国の朴槿恵大統領が昨年6月に訪中した際、習近平国家主席に安重根の石碑建立を提案。記念館はこの提案に基づき設立された。中韓が歴史問題で協力して日本政府に圧力をかける狙いがありそうだ。 韓国外務省は「記念館の開館を歓迎し、高く評価する」としている。新華社は記念館の規模や形態などは伝えていない。(共同通信)(引用ここまで

安は韓国で、日本の植民地支配への抵抗を象徴する「英雄」、日本では、「犯罪者」と「不快感」の対象、この認識の違いについて、解明していません。しかも、「テロリスト」呼ばわりしたことについては、触れていません。他のマスコミと同様「安倍政権に圧力をかける狙い」があるとしています。

朝日 中国、ハルビン駅に安重根の記念館 韓国「高く評価」 2014年1月20日10時27分

19日、黒竜江省ハルビンのハルビン駅に開館した朝鮮独立運動家、安重根の記念館。安はハルビン駅のホームで1909年、初代韓国統監だった伊藤博文を暗殺した=関係者提供

 中国政府は19日、初代韓国統監だった伊藤博文を暗殺した朝鮮独立運動家安重根(アンジュングン)の記念館を、暗殺現場の黒竜江省ハルビン市のハルビン駅に開館した。昨年6月に韓国の朴槿恵(パククネ)大統領が中国の習近平(シーチンピン)国家主席に同駅での記念碑設置を求めていた。韓国外交省は同日、「開館を歓迎し高く評価する」と談話を出した。

「安重根の記念碑、ハルビンに」韓国大統領、習主席に

 中国の国営新華社通信や関係者によると、記念館は市政府と国鉄当局が出資し駅の貴賓室に開いた。安の胸像や、経歴の紹介などを約100平方メートルの室内に展示。ホーム上の暗殺現場にも、事件の日付(1909年10月26日)を示したプレートが新たに掲げられた。理由は不明だが、朴大統領の要請した「碑」を格上げした内容になっている。19日の開館式典でも黒竜江省の副省長が「安重根は1世紀以上、人々に慕われてきた」と持ち上げた。ハルビンでは過去にも博物館に安の彫像や資料が展示されたり、公園に石碑が建てられたりしていたが、駅構内に表示はなかった。

 安は韓国で、日本の植民地支配への抵抗を象徴する「英雄」とされている。朴大統領は昨年11月、訪韓した中国の楊潔篪(ヤンチエチー)国務委員(副首相級)に碑の設置計画について感謝の意を表明。菅義偉官房長官が直後に「安重根は犯罪者」と不快感を示しており、日韓の新たな外交問題に発展する可能性をはらむ。一方の中国政府は尖閣諸島問題に加え、安倍晋三首相の靖国神社参拝に批判を強めており、記念館開設で韓国との連携を示し、安倍政権に圧力をかける狙いがあるとみられる。 (瀋陽=石田耕一郎、ソウル=中野晃)(引用ここまで

産経の記事が一番露骨というか、正直です。何故か。この問題の日本政府のネライを象徴しているからです。「中韓が日本側の歴史認識に共同で対抗する意図」と述べていますが、中韓が、「日本側の歴史認識」に拘る理由については不問です。しかも、「これを契機に北東アジア地域の国家が安義士が主張した『東洋平和論』の崇高な精神を振り返り、正しい歴史認識に基づく真の平和・協力の道に歩み出すことを期待する」(韓国外務省)のコメントと安倍首相や新藤総務相の靖国参拝の際のコメントを比較し、韓国側の意図を分析して論じていません。

このことは、「朝鮮の日本への従属に反発し、抗日活動を展開した人物」という安重根論に、日本国民に対するゴマカシが透けて見えてきます。「従属」とは何か。その内容は何か、反発とは何か、抗日活動とは何か、抗日活動に対して日本政府、伊藤博文がやったことは何か、など、一切不問です。この記事を読んで日本国民に、どのようなメッセージを与えようとしているのか。明瞭です。

この種の記事を読んだ日本国民がどのような視点で、この問題を考えていかなければならないか、よくよく考えてみる必要があります。それは、沖縄県民への思い、東日本大震災で避難する住民への思い、いじめに苦しむ少年、ブラック企業で働く若者への思い、非正規雇用でワーキングプアに落されている労働者への思い、などなど、弱者への視点です。

産経 伊藤博文暗殺の安重根記念館が中国で開館対日で中韓が共闘 2014.1.19 18:52 韓国

【ソウル=加藤達也】初代韓国統監だった伊藤博文を暗殺した朝鮮半島出身の安重根(アン・ジュングン軍)の記念館が19日、暗殺事件の現場となった中国北東部のハルビン駅に開館した。韓国外務省が同日、報道資料で明らかにした。聯合ニュースによると、記念館は黒竜江省のハルビン市と、同市鉄道局が駅の貴賓室の一部約200平方メートルを改造して設置した。事件現場のホームが直接見えるように設計され、安の生涯や事件に関する資料、写真を展示し、一部の展示物にはハングルの説明文も付けられているという。同ニュースは開館を「電撃的」と報道。中韓両国が「水面下で調整してきた」とし、記念館の工事も秘密裏に進められ、19日の開館式には黒竜江省の副省長をはじめ中国側の人々だけが参加したと伝えた。 韓国外務省は報道資料で「(韓国政府は)韓中両国民から広く尊敬される安義士の記念館が義挙の現場に設置されたことは意味がある」と歓迎を表明し、「これを契機に北東アジア地域の国家が安義士が主張した『東洋平和論』の崇高な精神を振り返り、正しい歴史認識に基づく真の平和・協力の道に歩み出すことを期待する」とコメントした。日本を念頭に「正しい歴史認識」を持つよう要求し、中韓が日本側の歴史認識に共同で対抗する意図があるとみられる。朴槿恵(パク・クネ)大統領は昨年6月の訪中時、中国の習近平国家主席に記念碑設置の協力を要請。習主席側が関係部署に検討を指示していた。

 【安重根】

朝鮮の日本への従属に反発し、抗日活動を展開した人物。1879年、朝鮮半島の黄海道海州の両班(ヤンバン=支配階級)の家に生まれ、17歳でキリスト教に入信。中国の上海やロシアのウラジオストクで義勇軍を組織するなど抗日活動を行った。1909年、現在の中国黒竜江省のハルビン駅で、伊藤博文・初代韓 国統監を短銃で射殺。翌年に死刑判決を受け、旅順刑務所で処刑された。(引用ここまで

ZAKZAKは、「日本の侵略の野心」「正しい歴史認識」について、何も触れていません。

ZAKZAK  中国で安重根記念館開館 暗殺現場のハルビン駅 2014.01.19

11月22日、ソウルの日本大使館前で、抗議集会をする民族団体や安重根の顕彰団体の会員ら(共同)【拡大】

 韓国外務省は19日、初代韓国統監の伊藤博文を暗殺した独立運動家、安重根の資料や写真を展示した記念館が暗殺現場の中国黒竜江省のハルビン駅に開館したと発表した。中国国営通信の新華社も安重根の記念館がハルビン市で19日午後に開館したと報じた。韓国の朴槿恵大統領が習近平国家主席に安重根の石碑建立を提案。中国側は石碑より大掛かりな記念館の設立で応じた。韓国外務省によると、記念館はハルビン市が暗殺現場となったホームが見渡せるハルビン駅の一角に造った。韓国外務省は安重根が唱えた「東洋平和論」の精神を踏まえ、北東アジア各国が「正しい歴史認識に基づき平和と協力の道に進むことを期待する」としている。新華社は伊藤博文暗殺に関する背景記事を別稿で配信、安重根を「朝鮮半島の近代化史上、著名な独立運動家」と称賛。暗殺で「世界に向けて日本の侵略の野心を暴こうとした」と説明した。(共同)(引用ここまで

時事 ハルビン駅に安重根記念館を開設=中国、韓国と対日圧力強化 (2014/01/19-23:39)

【ハルビン(中国黒竜江省)時事】新華社電などによると、初代韓国統監の伊藤博文元首相を1909年に暗殺した独立運動家・安重根の記念館が19日、事件が起きた中国北東部黒竜江省のハルビン駅に開館し、式典が行われた。韓国政府は歓迎の意を表明した。記念館は貴賓室の一部を改造して、事件現場のホームが直接見えるように設計され、安重根の生涯や暗殺に関する資料、写真を展示している。

〔写真特集〕高速鉄道で縦断する韓国の旅~安重根の銅像~

黒竜江省の孫堯・副省長は開館式で「歴史を記憶させ平和を大切にし、過去を改めて見直し、未来を展望することを目指すものだ」と強調した。韓国の朴槿恵大統領が昨年6月に訪中した際、習近平国家主席にハルビン駅への安重根の石碑設置を要請、両国が協議を続けていた。中国としては、石碑よりも大規模な記念館の開設で、歴史や領土問題で対立する日本に対し、韓国と足並みをそろえて圧力をかける狙いがあるとみられる。記念館建設に当たっては、ハルビン市の政府と鉄道部門が出資。韓国の聯合ニュースによると、19日に開かれた開館式には黒竜江省幹部ら中国側だけが出席した。現場のホームには地面に簡単な表示があるだけだったが、天井から「安(重根)義士による伊藤博文銃殺事件発生の地、1909年10月26日」と記された説明板が掛けられたという。韓国外務省報道官は「韓中両国民から尊敬される安義士の記念館が義挙の現場に設けられたことは意味がある」と歓迎の意を表明。「これを機に東北アジアの国家が安義士の提唱した『東洋平和論』の崇高な精神を振り返り、正しい歴史認識に基づく真の平和・協力の道を進むことを期待する」とコメントした。安重根は伊藤博文暗殺の翌年、30歳で死刑を執行された。日本政府は「犯罪者」と見なしているが、韓国では「抗日の義士」として英雄視されている。(引用ここまで

中国:安重根の「記念館開館 韓国「歓迎する」−−ハルビン駅 - 毎日新聞

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安重根は犯罪者?テロリスト?こんな視点がメディアを通して流れてきた!加害と被害の倒錯した日本!

2013-11-19 | 台湾朝鮮植民地

今日、以下のニュースが流れました。その時は、たまたま車の運転中でした。そこでラジオを聴いていました。

時事 安重根石碑、日韓関係に悪影響=菅官房長官  11/1910:52

菅義偉官房長官は19日午前の記者会見で、韓国が中国に対し、初代韓国統監の伊藤博文元首相を暗殺した独立運動家、安重根に関する石碑を設置するよう求めていることについて「わが国は安重根については犯罪者だと韓国政府にこれまでも伝えている。このような動きは、日韓関係のためにならないのではないか」と不快感を示した。

【特集】日中韓で建造相次ぐ「空母型」艦艇

 安重根の石碑をめぐっては、6月に韓国の朴槿恵大統領が中国の習近平国家主席と会談した際、中国ハルビン駅の元首相暗殺現場への設置を要請している。(2013/11/19-10:52)(引用ここまで

 日経 官房長官、安重根石碑問題で韓国大統領を批判  2013/11/19 11:54

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1900C_Z11C13A1EB1000/

菅義偉官房長官は19日の閣議後の記者会見で、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領が初代韓国統監の伊藤博文を暗殺した安重根をたたえる石碑の建立計画が進行中だと表明したことに関し「日韓関係のためにはならない」と批判した。朴氏は18日、韓国訪問中の中国の楊潔●(ち)国務委員との会談で、中国黒竜江省ハルビン駅での建立計画を「うまく進んでいる」と説明した。(引用ここまで

菅氏 韓国の独立運動家の石碑に不快感  11月19日 11時39分http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131119/k10013165481000.html

K10031654811_1311191220_1311191239.mp4

菅官房長官は記者会見で、韓国のパク・クネ大統領が、伊藤博文元総理大臣を暗殺した独立運動家、アン・ジュングン(安重根)の石碑の設置が中国国内で進んでいることを歓迎する考えを示したことに対し「日韓関係のためにならない」と述べ不快感を示しました。韓国のパク・クネ大統領は18日、ソウルを訪れている中国の楊国務委員と会談し、初代韓国統監を務めた伊藤博文元総理大臣を暗殺した独立運動家、アン・ジュングンの石碑の設置が中国国内で順調に進んでいるとして、感謝の意を示しました。これについて、菅官房長官は会見で、「わが国は、韓国政府に対して、『アン・ジュングンは犯罪者である』とこれまでも伝えている。そうしたなかでこのような動きがあることは、日韓関係のためにはならないのではないか」と述べ、不快感を示しました。(引用ここまで

こんな身勝手なことを平気で言ってしまう日本国の官房長官はどうしようもない人物、政治家です。国際的には有用しないでしょう。こんな人物が政権を担当していることそのものは、全く恥ずかしい限りです。何故か、です。

1.安重根は犯罪者ではないということです。犯罪者に仕立てることそのものに、歴史を偽造する日本の政治家というか、加害者としての日本を、伊藤博文を被害者扱いにスリカエる、まさに偽装と言えます。

「日本が」などと、主語がイマイチ不明なところがありますが、ウィキを参照してみてください。

1907年7月に日本がハーグ密使事件の責を負わせて高宗退位させて、第3次日韓協約を結んで韓国軍を強制的に解散させると、解散命令に服しない韓国軍部隊があちこちで蜂起した義兵韓国駐剳軍司令官長谷川好道は「南韓討伐大作戦」を断行し、徹底的な焦土作戦や包囲作戦などによって鎮圧した。これによって義兵側に1万7千人の死者が出たとされているが、実際にはもっと多かったとも言われている。一部は日韓併合後も抵抗を続けたが1914年頃には鎮圧され、生き残りは満州(間島地区など)や沿海州などに逃れて朝鮮独立運動を継続するようになる。(引用ここまで

中村新太郎『日本と朝鮮の二千年下』(東邦出版昭和52年11月刊)より

日本側は、さらに共犯者として七人の朝鮮人を逮捕し、禹徳淳(ウドクスン)、曹道先(ソンドセン)、劉康夏(ユカンハ)の三人を公判に付した。旅順地方法院の公判廷で、安重根は、「それは三年前からの考えを実行したのにすぎないので、それも私は義兵の参謀中将として独立戦争をハルビンでやって伊藤公を殺したのであるから決して個人としてやったのではありません。参謀中将の資格で決行したのでありますから、実は捕虜として取扱うべきにもかかわらず、今日こうして殺人一被告人としてここで取調べを受けるのは、だいたいまちがっていると思います」(満州日日新聞記者速記『安重根事件公判記録』)とのべ、義兵として行動したことを強調している。

 安重根は、死刑の宣告を受け、一九一〇年三月二十六日、刑死した。近代朝鮮の史家朴殷植パクダンシクは、その最期を、つぎのように記している。

「その公判に際して、重根は伊藤の十三の大罪をあげて痛駁すること数時間、その雄弁淡々としてひびき、眼光は稲妻のようで、傍聴する者で顔色を変えないものはなかった。……庚威(一九一〇)陽歴三月二十六日午前十時、重根は刑場にたち、欣然として、『私はみずから、朝鮮独立のために、東洋平和のために死ぬと誓った。死をどうしてうらもう』といった。ついに朝鮮服に着かえて従容として死についた。年三十三有歳であった」(『朝鮮独立運動の血史』)

 禹徳淳は徴役三年、ほかの二人は一年半の刑をうけた。そのあと、安重根にたいする朝鮮人民の愛敬の念は、ながくつづいた。(引用ここまで

安重根と千葉十七の記念碑を訪ねて - [PDF]

安重根記念碑…みちのく悠々万歩計

2.どうでしょうか。安重根は、韓国では三大英雄の一人だそうです。一人は、ハングル文字をつくった世宗 (朝鮮王)、二人目は「朝鮮征伐」を謀った秀吉軍を撃破した李舜臣将軍、そして三人目は、韓国の植民地化を韓国統監として推進した伊藤博文を「暗殺」したとされている安重根参謀中将です。豊臣秀吉と伊藤博文、同じ人物でも、加害国と被害国ではまるで違ってみえてしまうのです。これは教訓です。

3.愛国者の邪論は、かつて安重根義士記念館を3回ほど訪れたことがあります。以下の記事が、内容を伝えていますのでご覧ください。

安重根義士紀念館·アンジュングン·伊藤博文暗殺·大韓義軍参謀中将 ...

安重根義士記念館 - FC2

伊藤博文射殺犯·安重根の小伝

4.そこを訪れて考えたことは、日本で義士と言えば、何でしょうか。日本風に言えば、安重根は、あの靖国神社の「英霊」かもしれないということでした。その時に気づいたことは、もう一つ。それは韓国の大極旗は抵抗のシンボル、日の丸は侵略のシンボルということでした。

吉岡吉則『「韓国併合」100年と日本』(新日本出版社09年11月刊)より

そして、二〇〇七年四月、ソウルの「安重根義士崇慕館」を訪問しました。総務部長の李恵錆さんの大変丁寧な案内と説明をうけました。

 「私たちは安重根を敬い、安重根から学ぼうとしています。安重根のどこを、なぜ学ぶのか。それは、伊藤博文を射殺したからではありません。安重根が『東洋平和論』者だったからです。安重根は処刑されるまで『東洋平和論』の執筆を続けていました。私たちは、いま実現しようと思う東北アジア共同体によるアジアの平和と繁栄に安重根の思想をいかそうと思っています」―こういう話を聞きました。

 私は、この話を聞いて、[われわれは、歴史の教訓、先輩の教訓、われわれの侵略の反省明日のアジアのために生かさなければならないのだ]と考えました。

 大林寺をおとずれた際、斉藤住職から毎年供養と日韓連帯の集会がひらかれていることを知り、参加を約束しました。ソウルの「安重根義士崇慕館」でも李恵錆さんから、「九月二日に大林寺でおこなわれる供養と日韓交流集会に私も参加します。そこでまたお会いしましょう」と呼びかけられ、○七年と○八年の供養と集会に参加しました。中身のあるとてもいい集会でした。さまざまな形で侵略の歴史の反省に立つ、日韓の交流がすすんでいることを知りました。(引用ここまで) 

5.日本国民というか日本人は、台湾出兵(1874年)から、あの8月15日まで、71年間、どのような戦争・武力行使をしてきたか、これらが、防衛のためだったか、どうか、そして、どれだけの人間を殺してきたか、傷つけてきたか、国内の人権と民主主義を抑圧してきたか、今一度検証する必要があると思います。

6.安重根を暗殺者、テロリストと呼ぶ前に、安重根の主張に耳を傾けること、日清・日露戦争と植民地化に反対する人たちが台湾にも朝鮮半島にもたくさん存在し、抵抗闘争が展開されていたこと、そしてそれらの抑圧・侵略に反対する日本人は少ないながらいたこと、それらの声を押しつぶして、抑圧してはじめて戦争と殖民地下が成し遂げられたことを検証してみることです。その際に、どのような論理が使われたか、それは現在進行形であることに気づくべきです。何故ならば、これらの戦争と殖民地下を推進してきた勢力の亡霊が、政権を担当しているからです。

7.特に、日清戦争以後朝鮮で日本がやったことを、日本がやられる側にたって考えてみる想像力が必要です。例えば、戦後直後の沖縄や本土の米軍基地反対闘争に対して米軍はどのようなことをしたか、或いは日本政府は軍隊に何を命じてやったことは何か、です。更に言えば、閔妃明成皇后)を殺害した三浦梧楼はどのような判決を受け、その後どのような処遇を受けたか、検証することが必要でしょう。このことは、あの皇居の皇后美智子氏を閔妃明成皇后)に譬えてみて考えてみれば、どれだけの事件であったか、浮き彫りになることでしょう。

8.以上のことを踏まえてみると、菅官房長官に代表される歴史認識が否定されなければならないことは明らかです。菅官房長官の「日韓関係のためにならないのではないか」論が、如何にデタラメ、スリカエであるか、判ると思います。しかも、菅官房長官は、気づいていないのか、或いは意図的に使っているのか、どちらかですが、安倍政権の閣僚や徒党を組んで参拝する非常識政治家たちの靖国参拝に対して、韓国や中国が批判する際に使うフレーズと論理は、そのまま菅官房長官に当てはめられることです

9.侵略戦争を正当化するために、英霊に感謝するなどとゴマカシ、偽りの英霊合祀をしている靖国神社に参拝する安倍氏や閣僚、政治家たちの論理は、実は安重根を尊敬する韓国人と同じであるということです。「日韓関係のためにならないのではないか」論は、実は、靖国に参拝する政治家・閣僚そのものに浴びせられることでもあるのです。

10.しかも、安重根自身は、「義兵闘争として伊藤博文を殺害した」のだから「捕虜」として扱えと要求していること、靖国の「英霊」たちは、「天皇陛下のため」「祖国防衛のため」などという理由を植えつけられ、信じ込み、或いは仕方なしに、或いは自分をゴマカシて、皇軍兵士となって、アジア諸国の、米軍兵士やオランダなど、欧米兵士や民衆を殺害したこと、特に日清戦争と旅順大虐殺 という事実を含めて、下関条約をはじめとして日清戦争前後に伊藤博文がどのような役割を果たしたか、などについても総括することが必要でしょう。

11.以上のような事実と視点を踏まえないからこそ、以下のような記事が書かれるのだと思います。

 朴氏、安重根の石碑設置求める 歴史で中国と共闘か - 琉球新報 - 沖縄 .2013年6月29日

 【北京共同】中国訪問中の韓国の朴槿恵大統領は28日、昼食を共にした中国の習近平国家主席に対し、初代韓国統監を務めた伊藤博文を暗殺し死刑になった安重根の行為を記念して、暗殺現場の中国黒竜江省のハルビン駅に石碑を建てることを要請した。韓国大統領府が明らかにした。 大統領府は「習氏は理解を示し、関連する部署によく検討するよう指示すると述べた」としている。日本の朝鮮半島植民地支配や、日中戦争につながった半島・大陸進出への抵抗運動を中韓が協力して顕彰し、研究することを持ち掛けたもので、日本との歴史問題で中国との共闘を強めたい意向の表れとみられる。(共同通信)

安重根の石碑「うまく進行」 韓国大統領が中国高官に謝意 2013年11月19日 00:39

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/11/18/kiji/K20131118007037580.html

安重根・Photo By 共同

 韓国の朴槿恵大統領は18日、中国の楊潔?国務委員(外交担当)とのソウルでの会談で、初代韓国統監を務めた伊藤博文を暗殺し死刑になった安重根をたたえ、中国黒竜江省の暗殺現場に石碑を建てる計画などが「(中韓)双方の協力の下、うまく進行している」として謝意を表した。
 韓国大統領府が発表した。楊氏も「円滑な推進に満足の意を表明した」と大統領府は説明している。石碑の計画がどの程度進んでいるかは不明。朴氏には、日本の朝鮮半島植民地化や中国大陸進出に対する抵抗運動を中韓が協力して顕彰することで、歴史問題で足並みをそろえて日本に圧力をかける思惑があるとみられる。楊氏は同日、韓国大統領府の金章洙国家安保室長との間で、6月に両国首脳が定例化で合意した中韓高官級会談を開いた。韓国側は、両者が、北朝鮮の核保有を許さないとの立場を確認したと説明している。これに先立って楊氏と会談した韓国の尹炳世外相は、中国を「域内の核心パートナー」と呼び、中国を重視する姿勢を強調した。朴氏は6月に訪中した際、北京で習近平国家主席に石碑の設置を持ち掛けた。また、直後に訪れた陝西省西安でも抗日運動を行った朝鮮人部隊の拠点跡に石碑を建てる許可を出すよう中国側に要請。朴氏は18日、西安の碑も進行中の案件の一つとして挙げたという。(共同)

「安重根の記念碑建立進んでる」 朴大統領、中国に謝意 - 2013.11.19 08:03 日韓関係 http://sankei.jp.msn.com/world/news/131119/kor13111908040000-n1.htm

 【ソウル=加藤達也】韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は18日、韓国を訪問している中国の楊潔●国務委員(外交担当)とソウルで会談し、初代韓国統監を務めた伊藤博文を殺害した安重根をたたえる石碑を殺害現場の中国・ハルビン駅に建立する計画について、中韓間で「うまく進んでいる」として謝意を示した。石碑の建立をめぐっては、国内にウイグルなど少数民族の独立問題を抱える中国にとって「テロリストによる破壊活動を称賛することになる」(日本外交筋)として、推進は疑問とする見方もある。半面、実際に建立されれば、提案した朴大統領の強固な反日姿勢が一層明確になり、日本側からの反発が強まることは必至とみられる。朴氏は6月に訪中した際、習近平国家主席に安重根の石碑を建てたいとして協力を要請した。その直後には1940年代に日本統治に抵抗した朝鮮人らの拠点があった西安を訪問し、地元の共産党幹部に対して記念碑建立の許可を出すよう要請している。●=簾の广を厂に、兼を虎に(引用ここまで) 

 

スポーツに政治を持ち込まないルールは遵守すべし!が加害者は被害者を忘れるな!拉致も同じ!打開策は?(2013-07-29 23:35:30)

ナショナリズムを煽る日本のマスコミに大喝!無自覚・無反省の旭日旗掲揚は良心・道徳心に反する!(2013-07-30 09:40:24 )

我が愛する日本国の厚顔無恥無知の中山成彬議員は直ちに議員辞職を!支持者は立ち上がって!
(2013-06-08 10:34:22)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする