今回の発言が中国の民衆の心をどれだけ傷つけ、同時に中国大陸で様々な分野で活躍している日本人のこころをも傷つけていることを、想像できないことを証明した。同時に中国のなかにあるナショナリズムを刺激してしまったのだ。こういう事態を想像できない政治家はさっさと辞めるべきだろう。国民にとっては迷惑千万だ。
だが、河村発言が、実は高等戦略として意味づけられるとどうだろうか。それは中国国内のナショナリズムを煽ることで慎重に対応しようとする中国政府を「愛国心教育」を受けた世代によって政府を転覆するという考え方だ。ここまで見通しての発言だったとしたらそうだろうか。ま、あり得ないことではないだろう。
もう一つは、今回の発言に対して強硬に出てくるだろう中国政府に対して、沈殿している日本国内のナショナリズムを煽り、憲法改悪・自衛隊の国軍化、日米安保条約の強化を狙ったものという考え方だ。
これはソ連崩壊後の90年代以降、それまでソ連脅威論を煽ってきた日本のナショナリズムは、今度は中国と北朝鮮をターゲットにしてきたことを見れば明瞭だ。
今回の発言に対して、マスコミは河村発言で迷惑している人の発言を掘り起こすべきだが、そういうことをしているとは思えない。中国のサッカーチームの監督を引き受けた岡田監督や卓球の愛ちゃん、中国に進出している日本の企業やそこで働いている日本人はどう思っているだろうか。
今日中関係は米中関係より比重は増してきている。貿易額を見れば明瞭だ。日本の正月のお飾りですら中国製だ。人もカネも、今や日中は日米より固い「絆」で結ばれてきているのではないか?こういう事実に対して思わしくない勢力は「日米同盟を基軸に」「日米同盟の深化」を強調している。
このことは政治学者の五百旗頭真・防衛大学校長の発言(「朝日」21日付け)と評論家屋山太郎氏の発言(「正論」23日付)をみるとよくわかる。以下掲載してみる。
宇野 中国とはどう付き合うべきでしょうか。歴史的にみても、日本の対中国世論はブレがあり、感情論に流されがちです。
五百旗頭 私は中国は二つあると思います。一つは「改革・開放」から30年間、世界の市場経済のなかで高度成長を続ける中国。国際協調が基本。です。もう一つは20年間軍拡を続ける中国。帝国主義列強の支配と戦い、「銃口」から生まれた新中国です。軍事力は中国の存立に不可欠な装置で、今では古めかしくみえるパワーポリティクスを信奉する。どちらか一方だと思うと認識を誤ります。 日本とすれば、中国が「第1列島線」と呼ぶ南西諸島で無軌道な力の行使をさせないよう、自らの防衛能力を整える一方、相互利益の関係も進める必要があります。米国のプレゼンスを失えば、日本単独の防衛は難しいでしょう。日米同盟プラス日中協商が私の持論です。
宇野 日米基軸が揺らぎ、中国は存在感を増す。震災復興の負担を社会でどう分かち合うか議論が定まらず、政治は迷走を続ける。再生バネは容易ではありません。
五百旗頭 復興だけでも大変なのに、財政再建や税と社会保障の一体改革、TPP(環太平洋経済連携協定)など超弩級の問題が山積みです。いずれも時間的な余裕は乏しい。政治が厄介な問題を先送りしてきた結果です。 例えば消費増税を野田政権にやらせ、次に政権を担当するときにやりやすくする。自民党がそうした達観を持だなければ、2大政党は共倒れでしょう。対外面では、20世紀の日本が滅んだのは両側の中国、米国と戦争したからです。21世紀は両超大国との関係をこなし、一緒にやっていかねばなりません。
評論家・屋山太郎 橋下氏の突破力は小沢氏の対極「正論」2012.2.23 03:04
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120223/lcl12022303050000-n1.htm
小沢氏は中国を慮(おもんぱか)って、かつて国連第一主義を標榜(ひょうぼう)し、国際政治に関する無知をさらけ出した。一方の橋下氏の「船中八策」では、「日米同盟の強化」が打ち出されていて、日本外交の軸を外してはいない。
以下ポイントについてコメントしてみる。
>帝国主義列強の支配と戦い、「銃口」から生まれた新中国です。軍事力は中国の存立に不可欠な装置で、今では古めかしくみえるパワーポリティクスを信奉する。どちらか一方だと思うと認識を誤ります。
「銃口」から生まれたのはアメリカも同じ。「今では古めかしくみえるパワーポリティクスを信奉する」のはアメリカも同じだろう。中国だけではない。では日本はどうするか。憲法9条がある。ダガ、「自らの防衛能力を整える一方、相互利益の関係も進める必要があります。米国のプレゼンスを失えば、日本単独の防衛は難しいでしょう。日米同盟プラス日中協商が私の持論」というのであるから、9条は想定外ということになる。こういうことでは「戦争の危機」「軍事費のムダ」は省くことはできない。
屋山氏の場合は「日本外交の軸」は中国や国連第一主義ではない。「日米同盟の強化」だということで、もっとはっきりしている。
以上のような日中関係の見方を踏まえてみると、河村発言はどのように意味づけられるか。
河村発言は、「日本の対中国世論はブレがあり、感情論に流されがち」の最たるもので、「日米基軸が揺らぎ、中国は存在感を増す。震災復興の負担を社会でどう分かち合うか議論が定まらず、政治は迷走を続ける。再生バネは容易ではありません」という言葉が出てくるようななかで出された確信犯的問題提起だ。何故か、以下の事実を見れば明瞭だ。
いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問主意書 提出者 河村たかし
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a164335.htm
衆議院議員河村たかし君提出いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。内閣総理大臣 小泉純一郎
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b164335.htm
一議員の時に「解決済み」の「議論」を市長として蒸し返したのだ。今の局面のなかで、何故か、だ。陰が薄くなった河村氏のパフォーマンスかもしれないが、奥にはもっと政治的な意図があるように思うのは、思い込みだろうか。
それについては、ともあれ、だが、愛国者の邪論からすると、河村市長は、さっさと市長を辞任すべきでだ。またそのような動きが名古屋市民から起こることを願っている。「あなたに投票したが、こういう馬鹿げたことを言うことをも認めたのではない」とね。それに関連して以下の動きを紹介しておこう。名古屋の共産党は、河村氏に申し入れをしたようだ。当然だ。
河村発言 南京虐殺否定 撤回せよ 名古屋 共産党市議団が抗議2012年2月23日(木)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-02-23/2012022304_01_1.html
・・・申し入れでは、「日本軍による非戦闘員を含めた殺害、略奪行為があったことは否定できない歴史的事実だ。日本政府も06年に、当時衆議院議員だった河村氏が提出した質問主意書に対する答弁書で、『旧日本軍による南京入城後、非戦闘員の殺害又は略奪行為等があったことは否定できない』と認めている」と指摘。「市民を代表する市長が、個人の特異な歴史観によって、歴史的事実とも政府見解とも異なる発言を公式の場で行うことは許されない」と厳しく抗議し、撤回を求めました。
河村市長は、09年の9月議会でも「銃撃戦で市民が亡くなったことが誤解されて伝わっている」と発言し、南京大虐殺記念館(南京市)についても、「今のままの展示だと日本人に対して大きな誤解をうむと危惧する」と言及。昨年の教科書選定問題にからむ議会質問や地域集会でも同様の発言を繰り返し行い、市民から批判を浴びています。
河村市長は22日、「私は私の意見を言う」と述べ、発言を撤回しない意向を明らかにしました。
南京大虐殺否定発言 歴史の事実 直視すべきだ
河村たかし名古屋市長の南京大虐殺についての発言は歴史の事実に反するものです。
南京大虐殺とは、37年12月、中国への侵略戦争の中で旧日本軍が当時の中国の首都・南京を攻略・占領し、中国軍兵士だけでなく、一般市民を虐殺した事件です。市民の殺害、婦女の強姦(ごうかん)、放火、略奪などの残虐行為は占領後2カ月にわたり続きました。
犠牲者は30万人以上ともそれ以下とも言われていますが、日本軍による虐殺は国際的にも認められた紛れもない事実です。
それは当時の日本政府・軍の当局者の証言でも明らかです。当時の外務省東亜局長だった石射猪太郎は回顧録『外交官の一生』の中で、日記の一節を紹介し、「上海から来信、南京に於(お)ける我軍の暴状を詳報し来る。掠奪(りゃくだつ)、強姦、目もあてられぬ惨状とある。嗚呼(ああ)これが皇軍か」と書いています。
外務省外交史料館に所蔵されている当時の中支那方面軍司令官だった松井石根陸軍大将の日誌には、南京入城の際、「幾多我軍の暴行奪掠(だつりゃく)事件を惹起(じゃっき)し、皇軍の威徳を傷くること尠少(せんしょう)ならさるに至れるや」という事実が記されています。
日本政府も公式見解として、「多くの非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」(外務省ホームページ)と述べています。日本政府が認めている事実に背を向け、南京事件は「なかった」などというのは政治家としての資質が問われる問題です。
今年は日中国交正常化40周年です。日中両国は「日中国民交流友好年」と位置付け、両国各地で交流と友好のイベントを企画しています。今年を真の日中友好の年にするためにも、歴史を直視しない政治家の発言を許してはなりません。(小林拓也)
ところで質問がだされたので、高校生向けに書かれた岩波ジュニア新書由井正臣著『大日本帝国の時代』では「南京大虐殺事件」について、以下のように叙述している。
・・・こうして二十万の日本軍が南京に殺到した。
国民政府は首都を南京から奥地の四川省重慶に遷し、十二月七日には蒋介石も南京を脱出して漢口にに移った。そのあとには十五万人の南京防衛軍と一般市民四十―五十万人が南京にいたと推定される。そして十二月十三日、日本車は南京城を陥落させた。それから約二ヵ月にわたって、南京城内外における日本車の略奪、放火、強姦、虐殺などの蛮行が繰り返された。
南京防衛軍は完全に崩壊し、先を争って城外に逃れようとして多くが射殺され、あるいは捕虜となった。ある者は戦意を失って武器を棄てて民間人にまぎれこんだ。しかし日本車は、捕虜、投降兵、敗残兵などの殺傷を禁止した国際法(一九〇七年調印のハーグ陸戦法)にそむいて、捕虜を片端から虐殺した。第十六師団(京都)長中島今朝吾の陣中日誌には、「大体捕虜はせぬ方針なれば、片端より之を片付くることとなした…」と記されているが、これか中支那方面軍の方針だった。また非戦闘員である市民は、家屋にひそむか、在南京の外国人宣教師や金陵大学教授などが設置した「南京難民区」に避難した。しかし、日本兵士は民家に押し入り、女性を強姦し、家財を略奪し、家族に暴行を加え、そのうえ放火した。難民区やあるいはアメリカ人経営の病院などにも押し入り、民間にまぎれこんだ兵士をさがすことを理由に、多くの市民を捕らえて虐殺した。虐殺された捕虜や民間人の数は、十数万人から二十万人近くに達するものと推定されている。
どうだろうか?「数」について、正確な数字がないからということで、日本軍の恥ずべき蛮行がなかったとか、免罪できるような視点は大間違いだ。人間性に悖るということだ。そもそも敗戦を決定してから連合軍が上陸するまでの間に、どれだけの書類=記録が焼却されたか、そのことをどう思うか、語るべきだろうし、そのことを抜きに「証拠」を盾に負の歴史の抹殺を図ろうとするのは、知的退廃と言えよう。
それにしても、北朝鮮政府が拉致を認めながら、真相を解明も関係者の処罰もせず、拉致被害者を帰国させないことに日本国民が怒っている。これは当然だ。こうした事実をみると北朝鮮の指導者達の理不尽ぶりと人間に対する想像力の欠如ぶりは目にあまるものがある。こうした政府が自国民の人権をないがしろにするのも当然だな。
そうした事実を踏まえたうえで、今も尚、かつての日本軍の蛮行を曖昧にし、その責任を取らず、日本のナショナリズム発揚に利用している勢力の知的レベルは、北朝鮮政府のレベルと同じではないか、と思っているところだが、どうだろうか。
要するに、拉致問題を通して見えてくる北朝鮮と日本の関係は、南京大虐殺をはじめとして三光作戦や731部隊などなど、日本と中国の関係に置き換えてみるとどうだろうか?
そういう想像力を働かせてみる必要があるだろうということだ。日本人には。特に河村氏とその周辺の人間たちは。
それにしても日本軍の蛮行を免罪する見解が拡大再生産されているのは何故だろうか。その解答は、以下の事実がよく示しているように思う。
それは「戦争及び人道に対する罪に対する時効不適用条約」が1968年11月26日(国連総会決議2391(XXIII)に採択され、1970年11月11日に効力が発生したが、日本国政府は今もって参加していないのだ。
日本のマスコミも教科書もいっさい触れていない。何故か?それはやはり「天皇の戦争責任」が断罪されるからだろう。
あまり賛成できない「論」だが、敢えて言っておこう。愛国者の邪論だから許されるだろう。
これは日本人の「潔さ」であり、よく言われている「サムライ」精神の欠如だ。やってしまったことを深く反省し、解明し、二度と同じ過ちをしないためにはどうしたら良いのか。そのような視点こそ、本来の「潔さ」であり「サムライ」精神ではないか?
だが、しかし過去の過ちを、グダグダ言ってゴマカシ、曖昧にしてしまう日本人(一部だと思うけれども)の「愛国心」は、この問題に関しては全くデタラメだなと思うが、如何か?
こういう「世論」が今も尚あり、あとは無関心があり、根本的に解決するために、政府が腰を据えて取り組まない。果ては大東亜戦争肯定論さえ闊歩しているのだ。このへんで再生産を断ち切る必要があるだろう。新しい時代を築くためにも。
反省はサルでもできる人ならばなおさらのことサルにまけるな
彼の国の蛮行批判するならばこの国の過去学ぶべきは何