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愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

「お粗末」と国会論戦を報道するが、二大政党制や抑止力論破綻を示した「お粗末」な「読売」「日経」

2012-01-31 | 日記

「読売」が衆参代表質問 「2大政党の論戦がお粗末だ」という社説を書いた。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20120130-OYT1T01234.htm
実は、お粗末なのは「読売」だ。理由は
「自民がダメなら、民主、民主がダメなら自民」という発想で「政権交代可能な二大政党制」を煽ってきたのは他ならぬ「読売」など全国紙だったからだ。
ところが「民主、自民の2大政党の対立で、国政の停滞がさらに続くことにならないか。そうした懸念を抱かせる論戦だった」「2大政党が政治を前に動かせず、存在感が薄いために、次期衆院選をにらんだ、第3極の主導権争いが目立つという構図だ。両党は、この現状にもっと危機感を持ち、合意を目指す努力を尽くすべき」というのだ。

「読売」の危機感が吐露されてしまっていて、笑ってしまう!だが「読売」などマスコミは、このような二大政党制の劣化現象を作り出してきた張本人なのに、自省することなど微塵もないだろう。自民もダメ、民主もダメなら、次は政界再編に打って出てくるだろう。或いは今度は「第三極」(橋下維新の会・石原新党など)を、新たな二大政党制の一方として煽っていくのだろう。

新自由クラブ・日本新党・新進党・自由党・そして民主党が良い教科書だ。そう言えば、教科書は他にもある。自民党を脱党した東大教授だった枡添氏も賞味期限が切れたのか、世論調査では総理大臣候補にもなっていない。

国民も、こういう歴史を教科書に学び、新しい日本改革の方策を模索する時にきているのだろうな。

このことは徳川政権の矛盾が噴出してきた19世紀をみてみるとわかる。内にあっては資本主義的生産様式等の芽が育ち、外にあっては欧米資本主義の波が押し寄せてきたこと、このエネルギーが封建制を基盤とした武士政権を変革することになったのだ。

今、自民党単独・自公・民主国新政権というの「旧い枠」のなかでのあれこれのゴマカシではすまないような事態が起こってきているのだ。これを必死になって守ろうと、彼らの基盤になっているイデオロギーを、毎日毎日垂れ流しているのだ。

事実、旧い枠組みを改めよと迫った共産党の質疑は、テレビで少し報道された程度でほとんどとりあげていない。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-01-28/2012012804_01_0.html

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-01-31/2012013104_01_0.html

彼らのイデオロギーの好材料の一つが、昨日の春闘を評価する各社の社説であるし、昨日の「米軍削減で増す日本の役割」と題する日経の社説だ。
http://www.nikkei.com/news/editorial/article/g
日経は、財政危機に見舞われている我が日本のお家事情を脇において、「厳しい台所事情から、米軍は世界戦略の『選択と集中』を迫られている。アジアの安定を保つために、日本やオーストラリア、韓国といった米国の同盟国はより多くの役割を果たす必要がある」と述べているのだ。そんなカネがどこにあるのか!と言いたい。「アジアの安定を保つために、日本」は軍事力でなく、非軍事の平和外交を駆使すべきであるが、そのような発想は全くの「想定外」なのだ。「抑止力神話」なのだ。

「米軍の縮小がこれで終わる保証はない。米国の民主、共和両党は、中期的な財政支出の削減案をめぐって決裂したままだ。このままなら国防予算は大幅な追加削減を強いられかねない」と心配しているのだが、アメリカに見習って軍事費を削る=身を切るという発想も「想定外」だ。

「いま大切なことは、米軍のアジア太平洋への関与が後退しないよう、同盟国から米側に働きかけていくことだ。もっとも、言葉で要求するだけでは効果が薄い。同盟国としても行動によって米軍の関与を支援していく必要がある」として、財政難で国民に「痛み」を要求しているくせに、「米軍の負担を肩代わりするため、日本にできることは少なくない。米軍と自衛隊の基地の共同使用の拡大や、対中戦略の要所となる日本の南西諸島の防衛強化もその一例」と沖縄県民の苦悩を無視した対処方法を提案しているのだ。そればかりか、「米国防総省は今回、ステルス戦闘機F35の調達を遅らせる方針も決めた。自衛隊はF35を次期主力戦闘機に選んだばかりだ。その調達に支障が出ないよう、米側としっかり協議してほしい」と、「金属疲労試験の結果、機体に多数の亀裂が生じる恐れが明らかにな」(時事通信12月3日・12月13日付)った不良品に血税を使い、アメリカを助けろと言っているのだ。こういう事実は彼らの「抑止力」論の破綻をも示してしまった。

この軍事費については「週刊東洋経済」(1月21日)の「防衛産業を大解剖! 自衛隊のコスト」が参考になる。
装備調達先のトップは99年から09年まで一貫して三菱重工だ。05年の2417億円から02年の3481億円の間で税金が支払われているのだ。2位は川崎重工、三菱電機、三位は三菱電機、川崎重工、日本電機、4位は日本電機、石川島播磨重工、東芝、川崎重工、5位は石川島播磨重工、東芝、富士通、日本電機、アイ・エイチ・アイマリンユナイテッドである。

三菱重工は2010年では世界の防衛産業の売上げは26位、30億ドル、軍需産業依存度は8.7%となっている。まさに「死の商人」と言える。

だが、さらに、興味深いのは、軍需産業の構造だ。
護衛艦の直接契約社は72社だが、一次下請けは1378社、二次下請けは1073社、合計約2500社
90式戦車の直接契約社は6社、一次下請け329社、二次下請け953社、合計約1300社
F15J戦闘機は直接契約社は13社、一次下請け530社、二次下請け593社、合計約1100社
ペトリオットは直接契約社は4社、一次下請け125社、二次下請け1093社、合計約1200社

これだけ多くの軍需産業が国民の血税をいただいて商売をして儲けているのだ。これらが日本の「抑止力」論を支えているのだ。

このことは危険な艦載機問題よりは生活・まちづくりの候補者を圧倒的に選択した岩国市長選挙における住民の投票行動によっても示された。以下の記事をみると、軍事・平和問題は投票行動の基準にはならなかった。かつて原発の危険が「想定外」として争点にならなかったと同じだ。

岩国市長選3氏がお願い終了 中国新聞 http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201201290012.html

米海兵隊岩国基地への空母艦載機59機の移駐が2年後に迫り、愛宕山地域開発事業跡地は米軍住宅用などとして国に売る方針となった。基地をめぐる状況が大きく動く中、各候補の最重要施策は艦載機問題、まちづくり、減税と多岐にわたり論戦の焦点はかすんだ。

選挙:岩国市長選 きょう投票 3候補、支持の広がりに手応え /山口毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120129-00000114-mailo-l35

吉岡陣営の選挙母体「住民投票を力に豊かな岩国をめざす会」の松田一志代表は「艦載機移転反対、愛宕山の米軍基地化阻止の主張に、手応えを感じた」。「高校教諭を務めた吉岡候補には幅広い年代の教え子がいるのも強み」と支持の広がりを期待した。
 福田陣営の竹中正之後援会長は「『夢をかたち』にをスローガンに五つの政策を打ち出して臨んだ。若者が夢を持て、お年寄りも安心して暮らせるまちづくりの主張も好評」と話し、「投票率が下がると現職有利と言われるが挑戦者なのでアップしてほしい」と気をもむ。
 井原陣営の南部博彦後援会長は「市民税減税の訴えが浸透し手応えはある。草の根運動の成果で、基礎票もあり、期待したい」と述べ、「政策論争が盛り上がらなかったのが残念。公開討論会が実施できれば、主張の違いを明確にできた」と気がかりを述べた。

F35導入にみるように、今後、ムダな軍事費を削らせる、身を切らせるためには論艦載機問題にどのように住民の生活問題をリンクさせていくか、そのことを抜きに基地問題や軍事費問題は国民のなかに浸透していかないのではないだろうか。軍需産業の構造を見て、特に思う。

丸腰の阿波根の知恵暴力の抑止とならむ命どぅ宝に

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消費税増税賛成の連合春闘と大儲け・富裕層に身を切らせないマスコミのスリコミを考える

2012-01-30 | 日記

春闘が始まった。経団連と連合の会談があった。これ関する各社の社説が発表された。そこで、これらの社説を要約したものを一覧してみる。その前に、以下の点について注目して、読んでみた。掲載の順番に拘ってみたが、どうだろうか?

1.日本の労働者の生活実態はどのように捉えているだろうか?
2.労働者の生活実態の政治的、経済的背景・関連は解明されているだろうか?
3.労働者の要求実現の意味は解明されているだろうか?
4.消費税増税のための「身を切る」論の一つである公務員賃金削減と春闘の関連、日本経済の関連は解明されているだろうか?
5.企業業績と労働者の生活実態との関連は解明されているだろうか?
6.経団連VS連合の枠内=労使協調路線を前提にした社説になっている。
7.消費税増税推進の経団連と増税に賛成している連合の関係を問いかけていない。
http://www.jtuc-rengo.or.jp/news/rengonews/2012/20120127_1327650630.html
8.連合以外のナショナルセンターである全労連を登場させない社説となっている。
http://www.zenroren.gr.jp/jp/opinion/2012/opinion120119_01.html
9.春闘を「国民春闘」=国民的な運動として捉える社説になっているだろうか?
10.マスコミは、企業にも組合にも意見を言いながら、自分はどのようなスタンスか、高見で曖昧な社説が多い。

各社の社説、特に強調したい部分をピックアップしてみた。
京都新聞 春闘スタート  雇用と賃金、両立探れ
 多くの日本企業が厳しい経営環境にあるのは疑いない。とはいえ、雇用を広げ、個人消費を伸ばさない限り、景気の浮揚、ひいては企業業績改善の道は見えない。国税庁の民間給与実態調査によれば、サラリーマンの給与は00年から10年にかけて10%余り減少した。一方、この間の消費者物価指数の低下は3%足らず。デフレ以上に賃金水準は下がっている。最新版の労働経済白書も、02年からの景気拡張期に企業は利益拡大や株価増大を志向し「賃金の支払いに向かう部分はあまり大きくならなかった」と指摘。春闘を前に、経営側から「賃上げはできない。雇用を守る取り組みが妥当」(宮原耕治・経団連副会長)といった発言が相次いだ。雇用か賃金か、という安易な引き換え論は感心しない。若者を中心に失業率が高止まりし、社会不安につながりかねない状況にあって、雇用確保に努めるのは企業の社会的責任と言える。同時に、一定水準の生活を維持できるだけの賃金を支払う必要もある。厳しい経済環境にあって、企業経営を健全に保ちつつ、いかに雇用と賃金水準を守っていくのか、春闘を通じて労使で知恵を絞ってほしい。政府は消費税の増税を目指している。1997年に税率が5%に引き上げられた際は消費が落ち込み、景気が失速した。二の舞いを避けるためにも経営側は所得確保に努めてほしい。

新潟日報 春闘スタート 「雇用か賃金か」ではなく 
この10年ほどで会社員の平均給与は1割以上減っており、2010年には年収約412万円まで下がった。02年からの景気拡大局面でも設備投資や株主への還元が優先され、労働への投資は後回しにされてきた。そこへもってきて、家計の負担は重くなる。年金や介護など社会保険料のアップをはじめ、13年からは復興増税が始まる。社会保障と税の一体改革では、政府は消費税を15年度までに2段階で10%に引き上げる方針だ。景気回復には個人消費の拡大が欠かせない。労働者は消費者でもある。可処分所得が細り、将来への不安もあって消費を控える一方では、デフレからの脱却は遠のくばかりだ。過度の賃金抑制は一段と景気を冷え込ませる恐れがある。今春卒業予定の大学生の就職内定率は、1996年の調査開始以降で2番目の低さだ。15~24歳の失業率は9%台である。非正規労働者ら働く貧困層の解消など、格差の縮小に向けた取り組みも急務だ。野田佳彦首相が「日本の底力」と位置付ける中間層の厚みを取り戻し、支えるには、安定した雇用と給与体系が不可欠である。一企業、業界にとどまらず、日本全体を底上げする大局的な視野が求められる。既得権を守ることだけにこだわる労働側の姿勢も問われよう。日本経済は31年ぶりの貿易赤字に陥り、重大な岐路に立つ。

熊本日日新聞 春闘スタート 将来展望した大局的視点で
この10年ほどで給与は約1割減少している。国税庁の民間給与実態統計調査によると、民間に勤める人の2010年の平均給与は約412万円で、10年前から約49万円減。定昇は結婚して子どもができるなど出費がかさむ時期に社員の家庭生活を支えるという、日本的経営を象徴する賃金体系だろう。定昇まで廃止されれば、労使の信頼関係が失われる恐れもある。財務省の法人企業統計によると、金融・保険を除いた企業の経常利益は2000年度の約36兆円から06年度には約54兆円に増加。リーマン・ショックで08年度は大幅ダウンしたものの、10年度は約44兆円に持ち直した。歴史的な円高水準など、企業を取り巻く環境が厳しさを増しているのは確かだ。工場の海外移転による産業空洞化も懸念される。新興国の追い上げに負けない高付加価値の商品・サービスを開発していかないと、日本企業は生き残れまい。だが、それには社員のやる気や労使の協力が大前提となる。経営側は目先の業績にこだわるだけでなく、将来を展望した大局的な視点に立って、働く人々の不安を拭い去り、仕事に専念できる環境整備に向けた方策を探るべきではないか。働く人の3割以上を非正規社員が占め、年収200万円未満の人も労働者の4分の1に達するなど格差が拡大していることに懸念を表明し、改善を提唱する。賃金か雇用かという二者択一の論議だけでは、明るい未来は見通せない。政府は新たな成長に向けた具体的な工程表を伴う「日本再生戦略」を今年半ばまでに策定するが、机上の作文に終わらないよう実現性の高い成長戦略を掲げるべきだ。エネルギー・環境や医療・介護、農業といった分野は、21世紀の成長産業となる可能性を秘めている。そうした産業を官民が協力して、雇用創出と賃金改善の原動力に育てていきたい。

南日本新聞  [春闘スタート] 不安拭う大きな視点で
新興国の追い上げに負けない付加価値の高い商品・サービスを開発していかないと、日本企業は生き残れない。それには社員がやる気を持って仕事に全力投球できる環境が不可欠であり、基盤となるのは労使の信頼関係にほかならない。経営側は目先の業績にこだわるのではなく、将来を展望する大局的な視点に立って、働く人々の不安を拭い去ってほしい。財務省の法人企業統計によると、金融、保険業を除いた企業の経常利益は、2000年度の約36兆円に対し、10年度は約44兆円になった。一方、国税庁の民間給与実態統計調査によると、民間事業所に勤める人の10年の平均給与は約412万円で、00年に比べ約49万円減っている。企業で利益が出ても社員の待遇改善には向かわず、賃金の抑制が進んでいる実態がうかがえる。民主、自民、公明の3党は先日、国家公務員給与の0.23%引き下げを求めた人事院勧告を実施した上で、さらに12、13年度は平均7.8%減額する修正案で合意した。強まる賃金抑制の流れを反転させようと、連合は「人への投資を何より優先すべきだ」と強調する。経団連は経営環境の厳しさを訴え、「ここで踏みとどまらないと雇用も何もない」と一歩も譲らない構えだ。だが、こうした「雇用か賃金か」という二者択一論の対立で、将来の展望が開けるとは思えない。企業が雇用確保という社会的責任を果たしつつ、いかに従業員の賃金水準を守っていくか。働く人の3割以上を占める非正規社員の待遇をどう改善していくか。労使が経営環境の厳しさの認識を共有した上で、働く希望が持てる職場づくりに知恵を出し合う労使協議を期待したい。

毎日 12年春闘 未来につながる交渉を
連合は「非正規雇用の待遇改善」も主張しているが、これまでも春闘の課題に掲げながら成果を上げられなかったのはなぜか。自分たちの賃金が危うい状況の中で、労組のメンバーではない非正規の人々の待遇改善にどこまで本気で取り組めるのだろうか。経営者側も「賃金より雇用」と言うのであれば、具体的な雇用維持・拡充策を提示すべき。企業活動を取り巻く環境が厳しいからといって、収益を内部留保と配当にばかり充てていたのでは社会は納得しないだろう。若者の雇用拡大とともに、出産・育児休暇が取りやすい職場環境の改善、パートなどの厚生年金拡充にも真剣に取り組むべきだ。自由な働き方を求めて非正規雇用を選ぶ人もいる。公的な社会保障の網を非正規雇用にも広げれば、雇用の多様性や流動性を高めることにつながるだろう。いずれにせよ、被用者のうち非正規雇用労働者は35%を占める時代になった。労組の加入者も減り続けている。現状の利害関係の枠を超え、明日のための交渉をしなければ春闘の役割はますます小さくなっていくだろう。

沖縄タイムス [一体改革]格差への対応を怠るな
2010年3月末の日本の個人金融資産残高は1457兆円(負債を含む)。ただし1世帯当たりの平均貯蓄残高を見ると、富が資産家や中高年に集中し、世代間格差が広がっている…都道府県別の1人当たり預金残高は全国平均の約456万円に対し、沖縄は約250万円(10年3月末現在)で42位。地域間格差も無視できない。 県内の地方銀行3行にお金を預けている人のうち「1000万円以上1億円未満」の高額預金者の割合は、全国平均に比べかなり高いといわれる。貧しい沖縄の中でも、地域内格差が顕著だ。 金はあるところにはあるが、ないところにはいつまでたっても回ってこない―というのが格差社会の現実だ。 金の使い方、分配の仕方を改めることが一体改革の前提である。 厚生労働省によると、10年度の国民年金保険料の納付率は59・3%で、過去最低を更新した。沖縄は37・8%で、連続最下位である。 国民年金の加入者の約7割は非正規労働者や無職者が占めているといわれる。最低賃金が全国で最も低く、勤労者世帯の年間平均収入も全国最下位の沖縄では、保険料を払いたくても払えない人たちが多い。 沖縄の国民年金は、本土に比べ9年の遅れがある。復帰特例で追納が認められ一部の人たちは救済された。だが、さまざまな事情で追納額を納めることができず、無年金・低年金となっている人たちが、今でも少なくない。… 高度成長期の1億総中流幻想は完全に崩壊し、「弱者99%社会」という言葉まで生まれるような時代になった。 消費税増税のため公務員制度改革や行政改革などを進めるという考えは本末転倒だ。 国民の税金が一部の「官」の既得権維持のために使われ、富裕層が優遇され、結果として金が広く天下を回らず格差が固定化する。そのような仕組みを改めることが肝心だ。政府の進める一体改革は、現状では将来を見通せない。

神戸新聞 12年春闘/日本再生へ大きな視点で 
総額12兆円の第3次補正予算による復興事業はこれから本格化する。併せて個人消費を拡大させることが日本経済の立て直しに欠かせない。一方で、復興増税により、働く世代は13年1月から25年間、所得税が2・1%上乗せされる。住民税も加算され、厚生年金保険料も引き上げられる。国民の負担が増える中、過度な賃金抑制は景気を一段と冷え込ませる恐れがある。経営側にはこうした状況を十分に考慮することを求めたい。長引くデフレの中で、多くの企業は人員削減と非正規雇用の拡大によって経営安定化を図ろうとしてきた。その間、労働者の雇用と生活は悪化の一途をたどっている。格差社会が深刻化し、貧困層は増え、生活保護受給者は200万人を超える。少子化も進み、国内市場が縮小する状況を生むことにもなった。長時間労働を見直し、生活との両立を図るワークライフバランスを、生産性向上や多様な人材の雇用確保に生かす。その議論を広げる責任は労働側にもある。健康で豊かな生活からの発想は魅力ある商品やサービスの原動力となる。購買力を持つ消費者でもある中間層を分厚くすることが日本の再生には不可欠だ。深刻化するデフレと格差の解消を視野に、労使が交渉の場で知恵を出し合い、議論を深めてもらいたい。

福井新聞 春闘スタート 賃金減、働く不安和らげよ
若い社員への年俸制導入や実力主義の給与体系に切り替える企業が増えている。製造大手にもグローバル化の急進展でこれまで長い歴史を誇ってきた年功序列式の賃金制度を改める動きが広がっている。しかし統計データでは、ここ10年ほどに給与は約10%減少している。結婚、出産など出費がかさむ時期に給与も上げて社員の家庭生活を守り支える役割の定昇は、日本的経営を象徴する「最後の砦(とりで)」である。定昇までなくなれば日本企業の強みといえる労使の信頼関係が置き去りにされる恐れがある。新興国に負けない商品、サービスを開発していかないと、日本企業は生き残りが難しい。それを乗り越えるのは社員のやる気、労使の協力ではないのか。
 賃金抑制の流れは強まるばかりだ。このような「賃金か雇用か」の二者択一論議は明るい未来を見通すものではない。

琉球新報 公務員給与削減 見切り発車はいけない
 公務員給与削減分の年間約2900億円は東日本大震災の復興財源となる。財政危機の折、公務員給与の期限付き削減は国民と痛みを分かち合う観点から致し方ない。復興財源となれば、なおさらだ。だからと言って公務員の声を無視し合意を押し付けるのは乱暴だ。務員給与削減は地方公務員にも波及する可能性がある。経済が低迷する中、公務員給与削減は景気をさらに冷え込ませる危険も伴う。役所に便乗し企業が過剰な賃金抑制に走らないかも懸念される。社会的影響の大きい公務員給与の削減問題を政争の具にしてはならない。国会に慎重審議を求める。

高知新聞 【春闘スタート】先を見通した労使協議を
 ピークだった15年前に比べ、総額が約4%減ったとの分析がその根拠だ。経済状況を考えて11年の春闘方針を踏襲したようだが、給与改善を求める事情は切迫している。年収200万円未満の人が労働者全体の4分の1まで増えた現状を、古賀会長は「日本社会の貧困化が進んでいる」と指摘する。非正規を含めた全体の底上げを求めるのも当然だろう。ただし経営者側が「ベアは論外」などとする経済状況も無視はできない。欧州財政危機の影響で円の高止まりが続き、このままでは国内産業の海外移転や空洞化が加速する恐れがある。そのため経団連は今春闘を「賃上げよりも雇用最優先」と位置付け、労使協調を呼び掛けている。しかしそれを納得してもらうには、雇用の場を確実に保障する経営見通しを示さねばならない。そうでなければ「労使協調」の掛け声も空々しく聞こえるだけだ。業績を上げた企業は賃金の抑制傾向を改め、正規雇用も着実に増やすよう求めたい。働く世代には、所得税や住民税の復興増税が待ち構えている。消費税論議も進んでいる。賃金抑制が続く上に負担増となれば、消費はさらに冷え込むかもしれない。景気回復には消費を伸ばして内需拡大を図る必要がある。消費低迷ではデフレ脱却もかなわない。今春闘は、そうした大局的に先を見通した労使協議も期待したい。

宮崎日日新聞 労使間の信頼関係を失うな 
「賃金か雇用かという二者択一論議では、明るい未来は見通せない。
雇用や賃金状況を改善し、中間層の復活を図るには、民間の努力だけでは限界がある。政府は新たな成長に向けた具体的な工程表を伴う「日本再生戦略」を年央までに策定するとしているが、机上の作文に終わらせないよう、実現性の高い成長戦略を掲げるべきだ。エネルギー・環境や医療・介護、さらに農業といった分野は、21世紀の成長産業となる可能性を秘めている。官民協力して雇用創出と賃金改善の原動力に育てたい。

東京 春闘スタート 問われる経営者の責務 
 連合としてのベア要求は三年連続で見送ったほか、給与総額1%アップもこれまでと同じ。私鉄総連など一部業種でベアを要求するところもあるが、ストライキを構えて闘争態勢を取るところは少ない見込みだ。諸情勢を冷静に分析すれば、今年も多くの組合でベア獲得は難しい見通しだ。定昇確保と一時金の獲得額が焦点となろう。また非正規労働者の処遇改善も小幅にとどまる可能性が大きい。大切なのは経営側が企業の将来像と従業員の待遇についてきちんとした展望を示すことだ。人件費削減だけなら経営者はいらない。新事業の展開や品質向上などで業績を伸ばす。知恵を絞り努力を尽くすことで苦境を乗り切る。それが経営者の責務というものだ。

産経 春闘スタート 労使はまず成長を目指せ
歴史的な超円高の進行などで産業空洞化が加速する中、労使は従来以上に企業独自の成長戦略や新たな雇用の創出に向けた知恵を出し合う必要がある。労使が抱える課題は賃金だけではないはずだ。欧米経済の低迷など日本企業を取り巻く経営環境は厳しい。その中で、いかに成長を確保するかが問われている。新たな雇用を生むためにも新規事業や市場の開拓に向け、社員のやる気を引き出すような柔軟な人事制度や採用形態を労使で考える必要がある。すでに、働く人の3割以上を非正規社員が占め、組合にも加入していない現状に、労使はもっと真剣に向き合うべきだ。少子高齢化に対応していくためにも、パートや契約社員らの処遇改善には労使一体で取り組む必要がある。女性や高齢者が働きやすい「短時間正社員」制度の創設など、多様な雇用形態についても知恵を出し合わなければなるまい。電機や自動車など異なる業種の労使が横並びで交渉する現行の春闘方式は50年以上に及ぶ。だが、同業種でも事業展開で収益に大きな差が出るなど、横並びの交渉は現実に適合しなくなっているのも事実だ。労使には実効性のある協議のあり方も検討してほしい。

日経 労使は世界で戦える賃金制度の議論を
アジア企業の台頭や電力不足も加わって経営環境は一段と不透明になっている。業績好調組を除けば、経営側が賃金引き上げに慎重なのはやむを得ない面がある。労使に求められるのは逆風下でも雇用や賃金を確保できるよう、企業の成長力をどうすれば高められるかという視点だ。法人企業統計によれば従業員一人あたりの付加価値額は1990年度に700万円を超えたが、2000年前後から伸び悩み、10年度は671万円と低迷している。アジアなど成長性の高い地域で収益を伸ばすには、市場開拓の先兵となる若手や中堅社員の力を引き出し、外部から高度な専門性を持った人材を集める必要がある。それには今も根強い年功型の賃金制度の改革が避けられない。海外市場に通じた外国の人材を採る場合はとりわけ、役割や成果に応じた処遇制度が欠かせない。秋入学の大学が広がって、留学生を日本に受け入れやすくなった場合でも、その採用は年功賃金が壁になる。労使にはグローバル競争を戦うための制度づくりへ向けた議論を望みたい。パートなど非正規で働く人たちも企業の成長を支えている。その処遇の改善も、労使は交渉の柱のひとつにして取り組むべきだ。海外要員をどう育てるかなど、人材育成も企業にとってますます重要になっている。賃金以外に労使が話し合うべき課題は数多い。各企業の労使は多面的に議論し競争力の向上につなげてほしい。

朝日 変わる春闘―労使の現場力で変革を 
業績悪化は一時金で調整するのが筋だ。定昇にまで切り込むのなら、雇用の維持に向けた将来への展望や覚悟を、経営側がきちんと示さねばならない。安易な人件費削りは震災からの復旧でも発揮された日本の「現場力」を衰弱させるだけだ。幅広い労働者の実態を正しくつかみ、賃上げ交渉の求心力を高める正攻法の努力が今こそ大切な時はない。賃金が低い人ほど増えた収入を消費に回す傾向が強い。景気への効果も考えれば、もっと重視されるべき取り組みだ。正社員クラブと揶揄(やゆ)される企業別労組の欠点を補い、過去最低水準の組織率のテコ入れにもつなげねばならない。

佐賀新聞 給与削減合意 さらに身を切る努力を
人事院勧告の0・23%下げを実施した上で、2012、13両年度は平均7・8%を減額する。合わせれば計平均8%超の削減となる。消費税増税に国民の理解を得るには、まず身を切る必要がある。公務員だけでなく、国会議員の歳費削減にも取り組むべきだ。合意による削減額は人勧分が約100億円、特例法案分が約2900億円、合わせて約3千億円となる。消費税増税の1%分2兆5千億円と比べ額としては小さいが、こうした身を切る努力を示さなければ増税への国民の理解は得られない。国家公務員の給与削減だけでは不十分だ。国会議員の定数削減は進んでいない。1票の格差是正は小選挙区5議席減の自民党案を丸のみしたが、比例では見通しが立っていない。議員の歳費も国の借金の大きさを考えれば、高額すぎる。選挙にカネがかかるからと交付されている年間約320億円の政党助成金も削減すべきだ。政府は現在102の独立行政法人を65法人に再編する方針を決めた。これも投入する税金が減らなければ意味がない。目に見える身の切り方を示してほしい。

冬なのにゼイゼイゼミの啼くムラの九十九の啼く声は届かず
そろそろか九十九の民声あげよ瑞穂の国の春迎へむと

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増税のための「身を切れ」論を支持する国民が「米びつ」の政党交付金に怒らないのは何故か

2012-01-29 | 日記

河北新報の社説を読んで、「とうとう、こういう主張が出るようになったか」と思った。この社説そのものは大いなる前進だ。だがいくつか問題もある。

政党交付金/国費頼みでは程遠い一人前 河北新報2012年01月21日土曜日
http://www.kahoku.co.jp/shasetsu/2012/01/20120121s01.htm
 「身を削る覚悟」。政党の幹部や議員が最近、好んで口にする言葉だ。
 消費税率の引き上げを含む社会保障と税の一体改革を断行しようというのだから、国会議員が率先して痛みを引き受けなければ国民に示しがつかない。
 これは額の多寡ではなく、信義に関わる問題だ。四の五の言わず、やれることから始める。政治活動を税金に頼るという点で政党の自立を阻み、制度上もさまざまな問題点が指摘されている政党交付金の減額から始めてみてはどうか。
 政党交付金は特定の企業、団体との癒着を防ぐため、企業・団体献金の制限と併せて導入された。1994年に成立した政党助成法に基づいて交付され、国民1人当たりの負担額は年間250円。
 要件を満たした政党の議員数や得票数に応じて配分。昨年は制度に反対する共産党を除いた9党で約319億円を分け合った。ことしは民主党離党議員が結成した「新党きづな」と、国会議員5人で支給対象となった「新党大地・真民主」が新たに加わる。
 政党とは何らかの政治的・社会的志向性を共有する自由な人々によって結成される集団だ。本来は私費で運営すべきだが、あえて「クリーン」な国費を投入することで「政治とカネ」にまつわる問題に区切りをつけようとした、いわば苦肉の策だ。
 政党にとっては要件さえ満たせば自動的にカネが下りてくるのだから、これほどありがたい「米びつ」はない。自助努力を怠った結果、起きたのが「国営政党」化とも言うべき国費依存の体質だ。
 10年分の政治資金収支報告書によると、民主党の政党交付金は171億1千万円で、収入の82.7%を占めた。14年からの企業・団体献金の全面禁止を前に、自粛を打ち出したことも背景にあるが、いびつな収入構造だ。
 自民党は152億3千万円の収入総額のうち、政党交付金が102億6千万円(シェア67.4%)だったが、野党に転落したことが響いて交付金は前年比26.6%減少した。
 この例から明らかなのは、交付金が選挙結果に応じて上下する「ボーナス」のような役割を果たしていることだ。金権打破を目指したのに、「票がカネ」になる皮肉な結果になっていると言わざるを得ない。
 交付金をめぐっては、支給狙いの中小政党の「数合わせ」が頻発していること、政党が解散しても国庫に返納されないなど数々の不備が指摘されている。
 政治活動の自由を保障するためとはいえ、使途の制限がないことも、モラルハザード(倫理観の欠如)を招いている。
 岡田克也副総理は国会議員の歳費削減や国会議員の定数削減に加え、政党交付金の減額の必要性も指摘している。当然だろう。
 政党が国費におんぶにだっこの「親方日の丸」体質にどっぷり漬かったまま、「改革」を口にするのは悪い冗談でしかない。大胆に切り込んでほしい。


この社説は「身を切る」論から発展してきた主張で、人権と民主主義という点からみたのではないという点で物足らない。だから「減額から始めてみてはどうか」とか「政党が国費におんぶにだっこの『親方日の丸』体質にどっぷり漬かったまま、『改革』を口にするのは悪い冗談でしかない。大胆に切り込んでほしい」に留まっている。

だが「何らかの政治的・社会的志向性を共有する自由な人々によって結成される集団」である政党は「本来は私費で運営すべき」だが、「『国営政党』化」したという認識は正しい。

だが、これだけでは足らない。何故ならば、これまでの日本のイデオロギーは、「国営政党」を「一党独裁」と批判してきた歴史がある。この「ものさし」を使えば、日本共産党以外の「国営政党」は批判されなければならない。この場合は「一党独裁」ではなく「他党独裁」だ。

だが、不思議なことに、この「他党独裁」を採用する「国営政党」たちは、実は日米安保条約=軍事同盟と大企業優遇というイデオロギー神話にどっぷり浸かっているという点においては、「一党」である。

ただ社会民主党は、この点で中間にいる。どちらかの立場に立つかどうか、突き詰めていくと、曖昧である。その曖昧さが良いといわれている場合もあるが、彼らは「踏絵」を踏むことはしない政党である。社会民主党も、この「ありがたい『米びつ』」のコメを食べてしまっている。

この「ありがたい『米びつ』」の値段は、「国民1人当たりの負担額は年間250円」だ。「米びつ」のコメを食べている議員は赤ちゃんから年金を払えない国民からも取っているのだが、議員はこのことを想像できないのだろう。「国庫に返納されない」「自助努力を怠っ」ているにもかかわらず、何らの「自己責任」も感じていないのだから。

この事実は、政党や政治家、そして国民の民主主義観を良く示している。

いわゆる「公務員改革」「議員削減」など「身を切る」論を支持する国民、公務員宿舎問題に怒る国民がいる一方で、この「米びつ」を「なくせ」の声は沸き起こらない。投書や社説で出されることはある。だが、少数だ。「廃止」という言葉は一向に出てこない。怒りが感じられないのだ。そもそも支持していない政党にカネを払わなければならないという視点からみれば、大いに問題ありなのだが、そうなっていない。

これは「『クリーン』な国費」論にみるように、私的政党が、公的政党として存在するかのようなトリックがかけられていることによる。公的な装いをもった私的な政党に対して、「無党派層」が「多数派」になる程度なのだ。そのトリックによって旧体制が温存されてきた。

「政党が国費におんぶにだっこの『親方日の丸』体質にどっぷり漬かったまま」というが、そのように漬からせてしまったのは誰だろうか?「悪い冗談」などと言っていられないだろう。ことは国民の思想信条の自由を保障するかどうかの問題なのだ。「大胆に切り込んでほしい」という程度ではなく、力強く「廃止」を主張すべきだろう。

何故マスコミが「廃止」を主張しないのか、政党助成金を広告費としてマスコミ自身が「米びつ」にしているからだ。選挙の時の広告をみれば明瞭だ。原子力ムラの構造を同じだ。

私的集団である政党の資金は利益集団である企業や労働組合などの団体からではなく国民から自前で集める「経営努力」こそ、本来の政党の姿ではないだろうか。そうしてはじめて「国民のための」政治が行われるのだろう。

国民も、どの政党がどのように資金を集めているか、きちんとチェックすべきだろう。自分が働いている企業の利益が労働者に還元されるのではなく、特定の政党に還元されていること、或いは組合費が支持していない政党に持ち込まれていることを厳しくチェックすべきだろう。

そもそも企業や労働組合は多様な思想信条を持った人たちによって運営されているのだから、特定の政党や団体に献金という資金援助をすることは、人権と民主主義という点からみたら大いに問題があるということに、そろそろ気付くべきだろう。

血税に群がる虫の姿見ゆけんきんけんきん鳴かぬ日もなし
ヒル山にけんきんムラの巣をつくる汗と涙と血の滴るを

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子どもの権利をないがしろに、いやむしろ弾圧してきた日本をみる

2012-01-28 | 子どもの権利条約

18歳選挙権が現実的になってきた。が、しかし、この議論の最大の問題点は、国際的水準から見て18歳選挙権をどうみるか、すなわち子どもの権利として何を教えるかということが欠落している。同時に日本における選挙権具体化の歴史が教えられていないことも。

このことは以下2つの指摘を見てみると、よく判る。

1.「産経」にみられる一般的な雰囲気、「権利のまえに義務を」感

選挙権、18歳引き下げの影響は 「権利と義務」功罪相半ば2012.1.26 22:53
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120126/plc12012622540012-n1.htm
社会生活で適切な判断能力をもつとみなされる成人の年齢は民法で「20歳」とされ、そのほかの法令も民法に沿い20歳を基準にしているものが多い。
 最たる例は「未成年者飲酒禁止法」と「未成年者喫煙禁止法」だ。未成年者の飲酒・喫煙は禁じられているが、成人年齢が18歳に引き下げられれば高校生の飲酒・喫煙も可となる。

これをみると、産経の立場が判る。「天皇、皇太子及び皇太孫の成年は、18年とする」(皇室典範第22条)オトナの位置づけと一般ピープルは別物ということだ。
またやはり旧い「権利を与える前に義務を」観だ。健康面からみれば、オトナだって飲酒・喫煙は、その「権利行使」に「責任」が求められるのに、子どもには「責任」は教えず「義務」を負わせる考え方だ。子どもの飲酒・喫煙を問題にするのであれば、大人社会の飲酒・喫煙の習慣・文化を問題にするべきだろう。

そもそも喫煙を禁止する法律(1900年)ができた理由は、徴兵制によるものだ。日清戦争時に兵士に「恩賜の煙草」を配って奮戦させたことに始まる。軍事費を捻出するために煙草税を位置づけたこともあった。その思惑りだった!喫煙の習慣をつけさせられた凱旋兵士たちの喫煙をムラの子どもたちが真似したのだ。だが、それは徴兵軍隊をつくるうえで障害だったから禁止法をつくったのだ。矛盾だ。来るべき日露戦争に供えて軍事費がほしい。だが強い兵士もほしい。

飲酒の禁止法(1922年)については、詳しいことは判らないが、大戦景気(バブル景気)に沸くニッポンに飲酒の習慣が日常的になったことが大きいのではないだろうか?

日本の徴兵制も負け戦がすすんできた1943年大きく変わった。徴兵検査の年齢は満19才、翌44年には満18才に引き下げられた。18歳をどのように位置づけていたか、判る。

2.子どもを権利行使の主体者として捉えないために発生した弊害として、
「加藤としゆき公式サイト」=「成人年齢の引き下げと政治教育の重要性2008年2月26日」が参考になる。以下ポイントをあげてみる。http://www.kato-toshiyuki.com/policy/report/post-27.html
我が国の青少年は、前述のように、政治そのものに関心が無いのみならず、政治の仕組みから、政治参加の意義などにも興味を示さない政治的無関心層が大部分・・・

社会的・経済的な競争が一段と激化しているとか、幸せの追求が家族や小グループ単位に極小化しているといった社会全体の構造的な問題に起因していることも指摘されていますが、教育学者を中心にした研究では、根本的には中高校生に対する公的教育機関での政治教育の貧困に主要原因があると分析されて・・・

社会的知識や判断力などがつき始める高校段階にあっては、「現在社会」「政治・経済」「倫理」の各教科は大学入試センターの選択科目になっており、かなり高度な知識の取得が要求されています。これらの科目を選択する者にとっては、入学試験の準備段階で一定の政治知識を得ることができますが、これらの科目を選択しないもの、あるいは大学進学をしない者にとっては、高校における通常の中間・期末テストに間に合う程度の勉学にとどまる・・・

青少年の政治意識を高揚させ、政治への参加意識を高めているためには、家庭・地域社会・そして公的教育機関において、青少年に社会的関わりを意識させることができる生活態度の養生が必要であると考えますが、我が国の現状からして、まず、公的教育機関による政治教育の充実が最優先して取り組まれなければならない・・・

現在、青少年の政治教育の推進を訴える団体やNPOの活動も徐々に高まってきており、また芝浦工業大学柏中学高等学校のように政治教育に先進的に取り組んでいる私立学校もありますが、公的教育機関において全国的な実践を行うことが求められます。まもなく、誕生日を迎える高校3年生から憲法改正のための国民投票の投票権をもつことになるわけですから、教育効果が表れるまで時間を考えますと対策は急を要するものとなっています。

以上の文を読むと、子どもを権利行使の主体としてみない教育の弊害がよく判る。「日の丸」を礼拝し、「君が代」を斉唱することを愛国心教育として「命令」を課し、憲法教育や平和教育をないがしろにして、戦後民主主義を否定してきた勢力の破綻をみるようだが、そうも言っていられない。

3.日本における子どもの権利観の遅れた実態と不徹底ぶりについて
選挙権の年齢をみると、世界の大勢は18歳選挙権だ。日本は後進国である。16歳選挙権の国もある。選挙権と成人年齢を分けている国もある。

4.子どもの権利条約の批准の歴史や扱い方をみると、これまたよくわかる。そもそも子どもの権利条約では「こどもとは、18歳未満のすべての者」とされている。この条約が採択されたのは1989年11月20日、第44回国連総会だったが、日本は1994年4月22日に批准、5月22日に発効。(世界で158番目)だったことにみるように、子どもの権利観においては後身国だ。「国際化」「多様化」「個性化」「自由化」などと美辞麗句を上げながら、実は全く逆のスタンスの教育が行われてきた結果が、加藤議員のHPにもよく出ているし、「産経」のような「18歳は子どもだから選挙権を与えるのは早い!」観になるのだ。だから子どもの意見表明権などは、とんでもないことになる!!

5.では18歳選挙権を具体化する歴史はどうだろうか。日本で最初に18歳選挙権を主張したのは誰か。それは以下の点を見れば、判る。「選挙権を主張したのはいつごろから?」2000年6月14日「しんぶん赤旗」
http://www.jcp.or.jp/faq_box/001/2000614_18sai_senkyoken.html
 (問い〉 日本共産党は、戦前から十八歳選挙権を主張してきたそうですが、詳しく教えてください。(愛知・一学生)
 〈答え〉 日本共産党が十八歳選挙権を最初に主張したのは、党創立(一九二二年)の直後の綱領草案(一九二三年)です。この草案で、「十八歳以上のすべての男女にたいする普通選挙権」を主張しました。


6.さて、この共産党の方針はどのように具体化されようとしただろうか。実は若者のたたかいはあった!それは、以下の書物に紹介されていた!
森田俊男教育論集第2巻『地域の理論』(民衆社)の「第Ⅰ部地域に住民自治と教育の自由を―沖縄・戦前の二つの遺産 第二章 大宜味村政革新同盟と教育 二 革新同盟の展開―自治・生産の擁護・教育権の要求を中心に」のなかに、18歳選挙権実現の運動があった。
以下ポイントを掲載してみよう。

「青年団にたいする補助金問題に端を発して、村民大衆・青年の税収奪や財政の不当な支出などへの不満といかり、青年団活動の自主化(当時は村長が団長をしていた)の要求が高まり、それがかねてから村政の革新という課題、自らを統治主体に高める課題に集約されていったこと」

具体的には、大宜味村村政革新同盟の以下の綱領にみる。

一、本同盟は村当局の無媒ナル財政々策ニ反対シ腐敗紊乱セル村財政ノ革新ヲ期ス
一、本同盟ハ全村民大衆の社会的経済的政治的利益ノ獲得ニ努力シ其ノ生活向上ヲ期ス
一、本同盟ハ男女青年政治的自由並ニ公民的自由ノ獲得ヲ期ス
一、本同盟は一般青年ト農民大衆ノ固キ結合ヲ期ス
一、本同盟は青年大衆ト農民大衆ノ政治的教育及訓練ノ徹底ヲ期ス

この綱領の中に位置づけられた主な要求項目は以下のとおりだ。

「青年団の自主化と補助金の無条件給付、衛生設備及び体育、娯楽機関の公設と青年による管理権確立、高等学生への貸費の中等学生への振替、字()協議会への男女青年の参加、一般字民による区長公選、字区長の給料の値下げ、消費組合の設置」

「草案と比較すると、「労働青年」「貧農青年」の語がはずされ、草案の最後の一条「村内に於ける青年大衆と農民大衆との組織を図ると共に是が全郡的全県的団結を期す」がかくされている。要求項目はさきに村長に提出された項目戸とほとんど変わっていないが、はっきりと「字共同店」の「改善」(消費組合化)村立実費病院ノ設置」「村医撤廃」がうちだされていることに注目すべきだろう。自治革新の政治運動と結合させ消費組合による生活を守る運動に展開させられていたことがわかる」

「この時期に村政革新の一歩がふみだされた。村会議員らを加えて「刷新同盟」が新しい力で運動を展開していくや、村長は十一月五日の緊急村会で「局面打開」をうちだしたのだ。同盟の提起していた予算修正要求がうけ入れられた。
 すなわち、「村長以下村吏員の俸給々料三割を村へ寄付」「村会議員の費用弁償三割引下げ」「村医二名、助産婦一名の廃止」「その他勧業費の整理若くは節約」「右に依り生ずる財政上の余裕金を以て特別税戸数割から千三百四十三円減額し村民の負担軽減を期すること」が議決された(『琉球新報』一一・二〇)。革新同盟の要求の一部がこうして達せられたのだ。村医廃止で平良県会議長も大きい打撃をうけた。 だが、上里ら青年の追求した「村政革新」はここにとどまることはできない。」

「彼らはすでに村政革新の運動の発展として村民の「生活立て直し」をめざす消費組合運動をめざし、全住民を消費組合員とすることを通して生活を守る、と同時に、生活共同・自治のにない手にしていくみちをえらんでいた。」

「上里らによって意識的にとられた、同盟=消費組合=少年少女組織・婦人組織・青年組織という厚みをもった運動方式は、指導部のたびたびの弾圧にもかかわらず、屈することなく、着実にたたかいをすすめていたった。」

「そして一九三二年二月二十六日、革新同盟の要求のひとつであった「一般字民による区長公選という、地方自治の、いわば原点での民主主義の確立を求める運動にたいする警察権力をもってする弾圧事件となっていくのである。」

「五月一日。大宜味消費組合は二百人のメーデーを組織した。官憲の記録にこうある。(『階級的消費組合の情勢及び運動状況』内務省)「沖縄県大宜味消費組合にありては、警戒の間隙に乗じ、組合員等百六十余は大宜味村字喜如嘉に集合し、闘争によりて解放へ、男女十八歳以上に字代議員の選挙権、被選挙権を与へろ、各字代議員会の消費組合不買決議絶対反対等記載したる旗及婦人会旗を押し立て、大宜味革新同盟歌を高唱しつつ示威運動(無届)を開始し喜如嘉内を一巡して解散せり。」

さてどうだろうか。このような18歳選挙権に関する歴史を、学校で教えているだろうか。教科書に記載されているだろうか?ないだろう!

こうした事実を抜きにしているから「産経」や加藤議員のようなコメントが出てくるのではないだろうか。ひとえに政治の貧困というか、戦前の政治の流れがこんにちまでずっと引き継がれていることが判るだろう。

7.そこで18歳選挙権の具体化にあたって、まずやるべきことをまとめてきた。それは、

1、選挙権・参政権の歴史を公平に教えること。
2.子どもの権利条約にもとづく学校運営、子どもに責任を持たせる習慣の徹底化。
3.子どもの中にある成長しようという積極的な事例を使った教育の徹底。

以上のものさしに沿ってすべてを見直すことだろう。

オトナこそ己の歩み忘るなと肝に銘じて子らに対せよ
輝ける眼の輝き失せるときオトナの鏡捨つる時なり
いつの世も激しく動く時代(とき)にこそ若き力のあるを思えよ
晴れ着きて成人となる子らの目に国の未来を背負う姿を
たたかいを子らに伝えぬオトナあり民のことそはデモのことなるぞ

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「愛国心」を教えるためには「職務命令」=「強制」より「自由」にこそ

2012-01-26 | 日の丸・君が代

「朝日」の投書に興味深い声が掲載されたので、まとめてみよう。

24日
信念貫く教員こそ現場に必要     (東京都)
 日の丸・君が代の義務化で、苦悩する教員の記事(17日朝刊)を読みました。私は、小中学生3人の子どもを育てていますが、学校でどのような先生に出会うかは、彼らの成長に大きな影響を与えると思います。
 懲戒処分を受けた教員は「『考えて行動する人間になれ』と生徒に教える以上、『強制』には従えなかった」そうです。こういう先生こそ教育現場には必要なのではないでしょうか。子どもの心の内を尊重し、自分で考え信念をもって行動する子どもを育て、納得のいかないことはとことん吟味する姿勢を教えてほしいからです。
 一方で、「処分のリスクを冒してまで抵抗することじゃない」「面倒なことは避けたい」という若手教師。こうした教師ばかりになれば、子どもたちが疑問や異論をぶつけたとき、どう受け止めてくれるのでしょうか。
 最高裁が今回示した、処分の行き過ぎに一定の歯止めをかける判断に少しほっとしました。「強制」や「処分」におびえることなく教育に情熱を傾けられる現場であってほしいと心から願います。

25日
過去から学んで被害を軽く  (神奈川県)
 「地震対策 古文書で探れ」 (16日朝刊)を読みました。過去の災害時に起こったことを知るのは、今後の防災対策に大いに役立つと思います。
市役所に勤めている私は先月、事務の支援のため、宮城県石巻市役所で1週間ほど働いてきました。実感したのは、とにかく何もかも「待ったなし」ということです。やるべきことが山積し、いかに速やかに問題を解決していくかでした。
 そこで、戻ってから関東大震災と阪神・淡路大震災について書かれた本を読みました。関東大震災では、避難所での炊き出しや衛生面での苦労など、今と変わらないことが多かったようす。阪神大震災では、神戸市役所が時間と労力をさまざまな国の規制と闘うことに使わなければならなかったことがわかりました。
 私たちは本を通じて、過去を知ることができます。自然災害を防ぐことは難しいですが、被害を軽減するすべはあるはずです。

25日
国旗国歌で愛国心教えたい  (埼玉県)
卒業式などの式典で国旗に向かって起立せず、国歌を斉唱しなかった公立学校の教職員らに対する東京都の懲戒処分について最高裁判決が出た。「学校の規律や秩序保持の見地から重きに失しない範囲で懲戒処分をすることは裁量の範囲内」としたのは、妥当だと思う。
私は親や先生から、国旗掲揚、国歌斉唱時にはしっかりと起立し、国旗に敬意を表しながら歌うことが当然と教えられてきた。教員になった今でもその教えを順守している。
 確かに、憲法において、精神の自由は認められている。しかし私は教員として、国旗国歌に起立斉唱することで、生徒に「愛国心」を教えることも使命の一つと考えている。
 子どもたちが自分が生まれ育った国を愛する気持ちを持つことは、とても大切なことである。成長して海外に行けば、改めて日本の素晴らしさや日本人のりりしさを感じることもできるだろう。日本人としての誇りを持って生きていくことはすなわち、自分自身に対する誇りを持つことにもつながる。
 式典で起立しない教職員や保護者を見て、子どもたちはどう思うだろうか。今こそ学校や家庭、地域が一体となって子どもたちが心から国を愛し、尊敬できるよう教育体制を整えていくのが緊急の課題であると思う。

恐らく、あくまで勝手な予想だが、栢沼 ふきサンの声を読んだ鈴木 沙英子サンが投書したのかもしれない。世相を反映している。保護者の声に、教員が、そして公務員の声が噛み合っていて面白い。

鈴木さんの言うことも一面理解できる。だが、「式典で起立しない教職員や保護者を見て、子どもたちは」立派だと思う子どもがいるかもしれない。それは日々教室で教師が何を教えているかだろう。

「考えて行動する人間になれ」と教えているか、「処分のリスクを冒してまで抵抗することじゃない」「面倒なことは避けたい」「長いものには巻かれろ」と教えるかどうか、個人の尊厳とか、真理とか平和とかを教えているか、どうかだろう。

「新教育基本法」では日本の「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」とあるが、日の丸・君が代の国旗・国歌化を推進してきた政治家たちによって、日本はどうなったのだろうか?

アメリカに従属して原発を推進してきた結果、日本の国土ばかりか太平洋をも汚染し、この国のあらゆる「伝統文化」を破壊してきたのではないか?こうした国を国家はどのように「尊重」しろ、「誇り」を持てというのか?

また「他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」とあるが、日の丸君が代がアジアに対してどのような影響を与えたか?また戦後日本はアジアの一員としてどう振舞ってきただろうか?特に日本の伝統文化に大きな影響を与えた中国と朝鮮文化に対してどのような「態度」をとってきただろうか?

こういうことを踏まえて学校の先生には国旗国歌を教えてほしいものだ。

その点で、栗飯原 なおみサンの「過去から学んで被害を軽く」は、震災のことだけではなく、いやこの日の丸・君が代強制問題に最も当てはまる「声」だ。

この視点で新しい国づくりが国民の力でできた時、はじめて国民は「日本」を愛することができるのではないだろうか?

日の本の白地に赤の旗印子らに教へむ白きこころの
日の丸の血染めの史を伝へむと泥より出づる華のごとくに

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「増税止むなし」論の土俵に持ち込むために財界に身を切らせない必死のマスコミ界

2012-01-25 | 日記

野田首相の所信表明演説について、いろいろ報道されている。増税=「身を削れ」論・「身を切れば生活良くなる神話」の具体化に向けた全国的にキャンペーンが国民に貼られている。まことしやかに同じ論調が語られているのだ。まさにイデオロギー攻勢だ。この攻勢の扇の要はどこだろうか?発信源は何か!それをつきとめなければならないだろう。これは国民的課題だろう。

それはさておき、野田首相の所信表明に対する各社の社説を検討してみた。まずその特徴をまとめてみた。

1.首相の姿勢を決意」は評価しつつも一応批判している。
2.身を削らなければならない一番手である財界に大しては全く語らず、「想定外」に。
3.職を奪われ、賃金が上がらない国民の不満を解決しない政治への不信や不満を利用した「身を削る」論を展開し、いち早く「実施しろ」と要求。
4.だが、公務員改革=賃金・人員カットによる国民への影響は全く語っていない。
(1)日本の賃金決定システムを無視した暴論を振りまいている。
(2)公務員賃金削減は民間に波及し、さらに次年度人事院勧告に跳ね返って、民間に戻ってくるという効果、いわゆる「悪魔のサイクル」を語っていない。
(3)総賃金低下=雇用者報酬の激減による購買力の低下や税収の低下を全く語っていない。消費税創設や税率アップ時の歴史を無視している。
(4)小選挙区制と政党助成金、マスコミの劇場型政治によって劣化した国会議員を野放しにしてきたことや各党の違いを国民に報せてこなかったことを語っていない。
5.ムダ削減論=「身を切る」論に基づいて、もっと早く「身を削れ」と叫んでいる。
6.例えば公務員や比例代表議席を削減し増税したとして、その後の事態に対しては、全くの「想定外」にしている。
(1)増税後、さらなる増税が発表されているにもかかわらず、その無計画・国民騙しぶりなどを追及もしないで、早く増税をしろ!と
(2)増税によって身を削られる庶民の苦悩は全くの「想定外」。特に被災者がどうなるかなどは一言もない。
(3)国会議員削減によって、議会と国民のパイプが削られ、ますます政治が遠くなり、政治不信が助長されることは語っていない。「想定外」。
(4)公務員削減によって住民サービスが低下することも一切語っていない。公務員の仕事を「民間に」回せば、納税や増税に見合うサービスが得られないということも「想定外」。特に教育・福祉は本来は行政の仕事である「民間に」回されることで住民の出費はますます増加していくことは「想定外」。
7.「ムダ」の中味は極めて限定的で、アメリカ貢献の軍事費や低額法人税や富裕層優遇策など、この間大儲けしてきた1%勢力への恩恵は「ムダ」に含めず「想定外」。
8.以上、マスコミの財界応援団ぶりが、いっそう明らかになった。このまま推移していけば、経済大国・政治小国ニッポンはますます閉塞・沈没していくだろう。その意味で、極めて確信犯といえる。
9.野田首相の福田・麻生演説利用は、この間マスコミが政権交代可能な二大政党政治・小選挙区制と煽ってきたことの破綻を意味するものだが、それには触れず、両党に決意を促し、増税を煽るのだ。
(1)民主、自民両党とも消費税増税は必要との点で大きな違いはないはず(徳島)
(2)「消費税10%」を公約した自民党が協議に応じないのは理解に苦しむ(秋田さきがけ)
(3)共同通信の世論調査で「支持政党なし」が43・6%を占め、民主、自公を合わせても41%程度の政治閉塞(へいそく)を恥じるべき(福井・富山)
(4)消費税増税という負担を国民に求めるからには、行政や政治家自身が身を削って、範を示さなければ(徳島)
10.原発再稼動・普天間返還・TPP問題などの追及が弱いことは当然だろう。
(1)一体改革とともに東日本大震災からの復旧・復興、東京電力福島第1原発事故への対応、経済再生を最重要課題に挙げた。首相が述べたように「政策の方向性に与野党の違いはない」だろう。(東奥日報)
(2)安全性が確認された原発の再稼働について、地元自治体を説得する先頭に立つことも首相の責務(産経)
(3)原発の再稼働などの当面の課題を含め、もう少し具体的な説明が必要だ日経。
(4)人類史上まれにみる原発事故を経験したというのに、施政方針に新しい展望がないのは、残念でならない。(信濃毎日)
(5)既存原発の再稼働、米軍普天間飛行場移設、環太平洋連携協定(TPP)、拉致問題など課題はほかに山ほどある。(福井・富山)
(6)米軍普天間飛行場の返還問題については、名護市辺野古移設の日米合意通りの実施を表明し、県外・国外移設、無条件返還を求める県民の期待を早くも裏切った。(琉球新報)
11.閉塞感に満ちた日本の「改革」の展望を語ることはあり得ない。以下に象徴的だ。
(1)「復興を通じた日本再生」「新しい日本を作り出すという挑戦」という言葉は見られるが、それ以上のビジョンが語られなかったのは残念だ。震災・原発事故・超円高を乗り越えるチャレンジは、世界に新しいモデルを示すことになる。そんな気概が、復興を担う政権リーダーに欲しい。(京都)
(2)いま与野党から反対論が噴き出している一体改革は一里塚に過ぎず、さらに財政の手当てが必要なのが現実…消費増税をはじめとする税制改革、歳出を削る政治・行政改革、経済を活性化させる成長戦略の三つを愚直に進めていくしかない。どれか一つで財政再建のメドが立つほど、日本の状況は甘くない。まずは税制改革である。いまは社会保障の財源の多くを国債発行に頼り、将来世代にツケを回している。これを現役世代が負担する税に置き換えていくことは、社会保障制度を安定させ財政再建にもつながる。この構図を、政府・与党はもっと丁寧に国民に語らねばならない。同時にさまざまな政治・行政改革で「自ら身を切る」必要があるのは言うまでもない。忘れてならないのは、経済成長の大切さだ。日本経済のパイ自体を大きくし、雇用や税収を増やして、財政再建に必要な負担増を少なくしたい。処方箋(せん)はすでにある。政府が昨年末に閣議決定した「日本再生の基本戦略」だ。エネルギー・環境、医療・介護、農業などの分野を中心に、新規参入を促して国民のニーズを掘り起こせるかが問われる。カギは、時代遅れになった規制の緩和だろう。既得権を守ろうとする関連業界の抵抗は根強い。それを押し切って消費者の利益を高めることが不可欠だ。(朝日)

「既得権を守ろうとする関連業界の抵抗」とは何かを具体的に語らなければ、無責任というほかあるまい。

各社の社説のテーマ
朝 日 施政方針演説―気合十分、説得力不足、財政見通し―一体改革でもなお赤字
毎 日 通常国会開幕 責任共有し税制決着を
産 経 施政方針演説 言葉だけで信は得られぬ
読 売 施政方針演説 「決断する政治」への戦略持て
日 経 「決められない政治」から脱却できるか
北海道 公約総崩れなぜ語らぬ 
秋田さきがけ 「決断する政治」見せよ
東奥日報 覚悟はいい、問題は実行力
岩手日報 消費税国会 「身を切る覚悟」を示せ
河北新報 遺恨の悪循環を断ち切れ
福島民友 言葉より実行力が問われる
福島民報 真摯な説明、論戦を
茨城新聞 言葉よりも実行力だ
神奈川新聞 野党は真摯に向き合え
東京新聞 正心誠意が欠けている
信濃毎日 消費税国会 苦しさにじむ首相演説
新潟日報 熱意を結果につなげねば
福井・富山 今なすべきは増税なのか
北國新聞 胸に響かぬ不退転の決意
岐阜新聞 今こそ実行力が問われる
京都新聞 決意聞けても視界不良
神戸新聞 決断する政治へ指導力を
山陽新聞 伝わらない身を切る覚悟
中国新聞 口先の「決断」では済まぬ
愛媛新聞 有言不実行から脱却してこそ
徳島新聞 意気込みはうかがえたが
高知新聞 言葉が空回りしている 
西日本新聞 「危機の克服」へ総力を尽くせ
佐賀新聞 もはや先送りは限界だ
熊本日日 聞きたかった首相の覚悟
宮崎日日 国の未来思う大きな政治を
南日本新聞 課題実現の道筋を示せ
琉球新報 決意と独断専行は違う 普天間解決に使命感を
沖縄タイムス [一体改革]格差への対応を怠るな

そんななかで膝を打ったのは視点が定まっていた沖縄タイムスだろう。だが、そのタイムスでさえも「財」については語らず、だ。日本においても99%対1%の構図をもっとはっきりさせていかなければならないだろう!
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-01-23_28878/
国民の税金が一部の「官」の既得権維持のために使われ、富裕層が優遇され、結果として金が広く天下を回らず格差が固定化する。そのような仕組みを改めることが肝心だ。政府の進める一体改革は、現状では将来を見通せない。

豊かなる政官財の殻の中殻を破りて富民にこそ
富と貧貪する猛者の少なきを数多の貧に人の情けを

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いい加減やめたらどうだ! またしても はずれた色眼鏡報道

2012-01-24 | 日記

やっぱりというか、呆れて口が塞がらないところを、舌の動きを変えて、記録しておくことにした。さてこの舌はどのようなお味を感じるだろうか?

北朝鮮の看板女子アナ、姿消す!異例の事態2011.12.12
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20111212/frn1112120904000-n1.htm
 北朝鮮の国営朝鮮中央テレビで金正日総書記の動静など重要報道を担当する女性アナウンサー、リ・チュンヒ氏(68)が10月19日の放送を最後に50日以上、同テレビに出演していないことが分かった。ラヂオプレス(RP)が12日までに伝えた。 力強い口調でニュースを読み上げることで知られるリ氏は、「人民放送員」や「労働英雄」の称号を持つ看板アナウンサー。リ氏がこれほど長期にわたって姿を見せないのは異例という。 リ氏は10月19日夜の定時ニュースで、ロシアのタス通信の書面インタビューに対する金総書記の回答を読み上げたのを最後に出演が途絶えた。金総書記の活動はこれ以降もニュースとして報じられているが、リ氏と交代で担当してきた男性アナウンサーらが読み上げているという。 RPが把握している過去のケースでは、2008年3月に約1カ月間、出演しなかったことがあったが、このうち大半の時期は金総書記の活動報道自体がなかった。(共同)

北朝鮮の看板女性アナウンサー、リ・チュンさんが姿消す?2011-12-13
http://d.hatena.ne.jp/nagisa74/20111213/1323807194
■独特で威圧的な口調で人気?だった、あの北朝鮮の国営朝鮮中央テレビの女性アナ、リ・チュンさん(68)が50日以上姿を見せていないことが分かり、不安が拡がっている。
■リさんは10/19夜の定時ニュースで「偉大な領導者、金正日同志が2011年10月13日にロシア「イタル・タス通信」が提起した質問に答えた内容を送ります」と読み上げたのを最後に出演が途絶えたという。
■リさんは北朝鮮で超のつく"エリート"。1943年7月8日、北朝鮮南東部の江原道に生まれ、平城演劇映画大学を卒業。国立演劇団に入り、女優として活躍する一方、71年2月に朝鮮中央放送のアナウンサーに登録された。テレビデビューは74年で、以後、もっぱら金日成主席、金正日総書記の動静や対外的態度表明など、北にとっての重要なニュースを担当。
■リさんの最大の特徴は、あの独特な口調。金総書記に関しては威厳に満ちて丁寧。米国や日本に対する非難の時は威圧的(ケンカ腰)で強い口調(ド迫力!)。国民を鼓舞するときは絶叫調と、変幻自在だ。
■アナウンサーの格付けは最高位にあり、6人しかいないとされる「人民放送員」の1人。行方知れずの今は、中年男性アナと若い女性アナが交代で担当。
■来年元旦に注目!
リさんは毎年1月1日午前0時に登場している。果たして来年の元旦はどうなるか、注目しようではありませんか。
■一党独裁の北朝鮮、何があってもおかしくない。あの威圧的なテレビ
放送は憎たらしかったが、行方不明?と報じられると心配になってくる。民主化?が進むロシアでもプーチンを批判した著名な女性ジャーナリストが消されたと。共産国は21世紀の今でも依然として不可解だ。

北朝鮮“生き返った”女性アナ…世界のお騒がせな面々配信元: 2011/12/30 15:22更新
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/mideast/540324/
10位の「一時不明の北朝鮮アナウンサー 物真似で批判」から。
 金正日総書記死去が公表された12月19日に“生き返った”人がいる。朝鮮中央テレビの女性アナウンサー、リ・チュンヒ氏だ。力を込めてニュースを読むことで知られるリ氏だが、19日までの丸2カ月、テレビ画面から消え、死去説まで流れていた。

「きれいで若い方がいい」 あの看板アナが出演減少を説明 北朝鮮2012.1.23 19:38
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120123/kor12012319390002-n1.htm
 【ソウル=加藤達也】力強い口調で金正日総書記の動静や重要報道を読み上げてきた北朝鮮・朝鮮中央テレビの看板女性アナウンサー、リ・チュンヒさん(68)が中国中央テレビのインタビューに応じ、後進育成のためニュースへの出演を減らしていることを明らかにした。ラヂオプレス(RP)が23日、同日の中国中央テレビの内容として伝えた。
 リ氏はインタビューの中で、「私がニュースを伝える時間は少なくなった。若い同僚はとてもきれいで、彼女たちはとても若い。(ニュース)画面には確かにきれいで若い人が必要だ」と話した。
 中国中央テレビは北京時間の23日午前11時(日本時間正午)から世界各地の春節(旧正月)の様子を伝える特別番組を放送。インタビューはこの中で平壌特派員の取材で伝えられた。
 リ氏は昨年10月19日の放送を最後に番組出演を休み、動静が注目されたが、12月19日正午の金総書記急死を伝えるニュースで2カ月ぶりに再登場した。

またしても真っ黒な腹さらしたりかける眼鏡の真っ黒なこと
戦前の鬼畜米英いまもなお将軍様の国こととして
彼国を蔑みながら権力の安泰謀る黒き腹あり
彼国を蔑む限り此の国の民の幸せ彼方にありなむ
ものをみる眼鏡の質を思うとき憲法にこそ国のコツみる

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「消費税分を福祉に」という「ごまかし」で二重のウソがバレた!!

2012-01-23 | 日記

「朝日」(21日付)によれば、「1兆円を超える社会保障費を賄うため、孫子の代まで、将来のために消費税の増税を」とするテーゼが全くのウソであったことが判ってしまった!
というか、ゴマカシが効かなくなったということだ。具体的にみてみると、

岡田氏説明の転換主導 増税分を社会保障へ 野党の追及必至
野田政権は20日、社会保障以外の目的には使わない方針を決めた。これまで、増収分はすべて社会保障目的にするとしながら、一部に社会保障以外の支出も含まれていた。
岡田氏は20日の会見で「前の説明(菅政権が昨年6月に一体改革の成案をまとめた時に決めたもの)は、私にはわからなかった」と語った。
1%分の引き上げは、政府の物品調達費の支出増に充てる、支出増に回す2兆2千億円のうち、実際に社会保障費と言えるのは9千億円程度。残りは、地方自治体の支出に7千億円、公共事業費に2千億円、防衛費と文教・科学技術振興費に1千億円ずつ、その他の経費に2千億円程度を配分する、と説明していた。この枠組みをつくったのは財務省だ。
だが、「社会保障の目的化」をうたいながら、公共事業や防衛費にも使われることに、民主党内からの反発が強まる。消費増税法案の素案取りまとめに向けた昨年末の議論では、「戦車の購入などにも増税分を使うのか」といった批判が噴き出した。
こうした声を受け、岡田氏は16日、事務方に従来の説明を見直すよう指示。財務省は当初、難色を示したか、最終的には「5%の全額を社会保障費に充てる」と変えた。財務省幹部は「『全額を社会保障費に使うんじゃないのか』と言われて国会が止まるより、『なぜ説明を変えた』と批判される方がましだ」と打ち明ける。
 消費税の増収分の使い道から外れることになった社会保障以外の支出増について、岡田氏は会見で「他の一般会計の歳入でまかなう」と説明した。
5%引き上げで見込まれる増収は13兆5千億円。このうち1%分(2兆7千億円程度)を子育て対策や医療・介護の充実といった「社会保障の充実」、残りの4%分は基礎年金の国庫負担分や高齢化に伴う社会保障費の自然増分を賄うことなど「社会保障の安定化」に充てる。そのうえで、基本方針に「増税分は全額社会保障財源化し、国民に還元。官の肥大化には使わない」と記し、社会保障目的に使うことを明確にした。

チョッと待った!これで政権として説明がつくのか!まず、これまでのウソをどう説明するのか?消費税増税分を今さら社会保障費に充てるというが、菅政権の、これまで増税分を回すとしていた防衛費などは、どうするのか?止めるのか?そうであるならば、まだマシだ。だが防衛費を削減するとなれば、その分を社会保障費に回せば良いのではないかということになる。そうではないだろう。軍事費を減らして社会保障費や教育費に回すなどということは絶対にあり得ないだろうな、この間の経過をみれば。

しかも、だ。以下のような行き当たりバッタリ策を口走る財務相がいるのだから、この政権の政策は、ホントに信用できない。

消費増税「住宅減免したい」 安住財務相が地方説明会
http://www.asahi.com/politics/update/0121/TKY201201210326.html
財務省は21日、「社会保障と税の一体改革」の地方説明会を始めた。仙台市の会場では、消費増税の住宅購入への影響を心配する声が上がり、安住淳財務相が終了後に「減免措置をしたい」と報道陣に述べた。

安住財務相 社会保障切り明言「すさまじい痛みでもやる」     2012年1月16日(月)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-01-16/2012011602_02_1.html
安住淳財務相は15日、消費税率10%への大増税だけでなく、「トータルで社会保障を抑制していく」「(社会保障で)痛みを伴うものについてもやらざるをえない」と繰り返し強調しました。フジテレビ系番組「新報道2001」での発言。「社会保障の維持・充実のための消費税増税」という政府宣伝のごまかしを認めたものです。

政権のウソ、というか財界の使い走り政権のウソがハッキリしたということだ。
「社会保障充実のためにも消費税増税を」はウソだった。そればかりか、「消費税増税で社会保障の充実」もウソだったことだ。

さらに消費税の福祉目的税化もとんでもないウソだということも、はっきりさせなければならないだろう。
一つには、
憲法は平和と福祉を重視しており、支払った税金を福祉、社会保障など生存の確保に充当することを前提にしている。つまり、租税のすべてが「福祉社会保障目的税」
ということを曖昧、形骸化するということだ。
http://www.cminc.ne.jp/hospital/zaiseiakaji081003.htm

もう一つは、消費税=「福祉目的税」の設置後、今度は社会保障費が不足してくれば、消費税は、また増税されるということになる。同時にピッタリの場合は、これまで社会保障に使われていた予算を他の予算に回せることになる。これでは軍事費や公共事業費を保障する打出の小槌だな。

「財政危機だから社会保障が危ない」と煽ってきたことで、国民の中に「増税は仕方がない」というムードがある一方、「ホントに社会保障に使われるのか」という政治不信を利用した、悪賢い地頭のようなもので大変なゴマカシ、ウソとペテンです。

ま、今後民主党は割れるだろう。仙石氏の小沢批判、小沢氏の首相批判は、エスカレートしていくだろう。

だが、この政界再編の動きの背後にある国民の要求を、どの政党・勢力が担っていくか、それが問題だろう。旧い政治の枠組みを温存したままの再編か、それをホントの意味で打破する枠組みか、だ。
だがこういうゴマカシをマスコミは徹底して追及していくか!しないだろう!!
あとは国民的運動しかあるまい!

腐りかけ卵の黄身の色あせる美味し卵のあるを探さむ
雛一羽殻を破りて出でにけり徳川倒す世直しのごと

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国民の意欲を引き出す政治とは、財界・政治家やマスコミの皆さんの再考を呼びかける!

2012-01-22 | 日記

21日の「朝日」に日野原先生のお話が掲載されていた。納得。同時に政治家や財界・マスコミの皆さんに是非ともお考えをいただきたいと思い、一言二言、言うことに。

「100歳・あるがまゝ行く」日野原重明(聖路加国際病院理事長)
「意欲を引き出す教育とは」
 日本は第2次大戦後に大学教育が広く普及し、いまや男子の半数以上、女子の4割以上が4年制大学に進学しています。しかしながら日本の教育は、小学校から大学まで、今なお教壇からの一方的講義(didactic teaching)が主流ではないでしょうか。
 日本では小学校時代から、教師も保護者もテストの点数が高い優等生に関心を寄せがちだと思います。名門校入学を学習のゴールと定めるのが常識で、学習塾の力を借りて受験術を磨くことに専心するのです。
 ところが、英米などでは、生徒の一人ひとりが特技を持ち、個性を伸ばすようになることを重要視しています。つまり生徒の内にあるものを上手に引き出し、自信を持たせることに教育の主眼が置かれているのです。
 私の孫3人が米国カリフォルニア州で小学生だったころ、小学校を見学したことがあります。ボランティアの助けを借りながら、能力差のある生徒一人ひとりの指導に、教師がとても熱心だったのが印象的でした。
 私が教育を考える時、思い出すのが神戸市立諏訪山小学校時代の恩師、谷口真一先生です。以前もこの欄で触れましたが、5、6年時の担任だった谷口先生は、米国流のドルトン・プランという教育法の実践者でした。
 先生は40人のクラスを8入ずつ五つの小グループに分け、各グループに図書館や動植物園などで動植物の生態などを調べて発表させました。それぞれのグループは他のグループの発表を聞いて質問します。先生は内容については口出しをせず、回答に窮するグループがあると、どのような教材で調べれぱよいかなどだけ助言をしました。
 先生の指導で、生徒は講義を一方的に聴くのではなく、自己学習の方法を学びました。私たちは初等教育の段階で学ぶ楽しさを知り、学習への心構えの礎を築いたのです。
 「白熱教室」が話題になった米国ハーバード大学のマイケル・サンデル教授は、イチローの高額年俸でも、オバマ大統領に原爆投下について問責することの是非でも、少数意見を尊重し、教室全体を厚みのある議論に導きます。自己学習の意欲を高める指導ができる者こそ、本物の教師だといえましょう。

日野原先生の発言は、以下にアクセスすると拝見できます。これも大変参考になる。
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=48541
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=51429&from=yolsp&from=popin

日野原先生の仰ることは、「受験戦争」下の学校現場では一筋縄ではないと思う。それは日本の教育が、戦後教育を次第次第に軌道修正してきたからだ。そこで、以下の文書を思い出した。

 これまでの日本の教青は、一口でいえば、「上から教えこむ」教育であり、「詰めこみ教育」であった。先生が教壇から生徒に授業をする。生徒はそれを一生けんめいで暗記して試験を受ける。生徒の立場は概して受け身であって、自分で真理を学びとるという態度にならない。生徒が学校で勉強するのは、よい点を取るためであり、よい成績で卒業するためであって、ほんとうに学問を自分のものにするためではなかった。よい成績で卒業するのは、その方が就職につごうがよいからであり、大学で学ぼうというのも、主としてそれが立身出世のために便利だからであった。そのような受け身の教育や、手段としての勉強では、身についた学問はできない。それどころか多くの人々は、試験が済んだり、学校を出たりすると、それまで勉強したごとの大半は忘れてしまうというふうでさえあった。
 そのうえに、もっと悪いことには、これまでの日本の教育には、政府のさしずによって動かされるところが多かった。だから、自由な考え方で、自主独往の人物を作るための教育をしようとする学校や先生があっても、そういう教育方針を実現することはきわめて困難であった。しかも政府はこのような教育を通じて、特に誤った歴史教育を通じて生徒に日本を神国であると思いこませようとし、はては、学校に軍事教練を取り入れることを強制した。「長いものには巻かれろ」という封建思想は、教育者の中にも残っていたし、政府の権力は反対を許さないほどに強いものであったために、日本の教育は「上からの権威」によって思うとおりに左右されるようになり、たまたま強く学問の自由を守ろうとした学者はつぎつぎに大学の教壇から追われてしまった。このようにして、政治によってゆがめられた教育を通じて、太平洋戦争を頂点とする日本の悲劇が着々として用意されていったのである。
 がんらい、そのときどきの政策が教育を支配することば、大きなまちがいのもとである。政府は、教育の発達をできるだけ援助すべきではあるが、教育の方針を政策によって動かすようなことをしてはならない。教育の目的は、真理と正義を愛し、自己の法的、社会的および政治的の任務を責任をもって実行していくような、りっぱな社会人を作るにある。そのような自主的精神に富んだ国民によって形作られた社会は、人々の協力によってだんだんと明かるい、住みよいものとなっていくであろう。そういう国民が、国の問題を自分自身の問題として、他の人々と力を合わせてそれを解決するように努力すれば、しぜんとほんとうの民主政治が行われるであろう。制度だけが民主主義的に完備しても、それを運用する人が民主主義の精神を自分のものにしていないようでは、よい結果はけっして生まれてこない。教育の重要さは、まさにそこにある。

この文書は、驚くなかれ、文部省の教科書である。「上」は1948年10月30日発行、「下」は1949年8月26日発行で、高等学校一年生用に編集されたが、のちには中学校三年生にも用いられたそうだ。『民主主義』だ。引用したのは「下」。

では、何をお考えいただいきたいか?

1.センター試験の「不祥事」と東大の秋入学などの根底にあるもの、それは「受験戦争」だ。家庭や子ども、先生たちを追い込んだのだ。これは個性化、自由化、国際化、多様化、などというコピーをつくってゆとりや選択制や中高一貫校の流布、成果主義の採用などの延長線上にある。これらはすべて高学歴と受験を優先させ、「受験戦争」を課してきたことにある。子どもの数の減少によって大学入学者が増えることになった。だが、その結果どうなったか?まさに「大学は出たけれど」現象の復活だ。
高学歴によって賃金は上がったが、それでは企業は儲からない。「ドル安=円高」もあり、企業は賃金の安い海外へ、国内では賃金を下げるために非正規を増やしてきた。95年以後だ。そのため30歳台を中心とした雇用・貧困問題が発生してしまった。

2.「日の丸」を礼拝させ、「君が代」を斉唱させるために職務命令を出すことで教育現場に多様な意見が出せなくなったこと、「ほうれんそう」が横行していること、職員会議が議論の場ではなくなったことだ。文部科学省からの方針(中教審などの審議会で決められた方針)が各県・各市の教育委員会に伝達され、教育現場に流布される、有無を言わせず徹底されるのだ。まさに官僚主義と中央集権主義が横行しているのだ。

こうして硬直した学校現場が醸成されてきたのだ。「受験神話」などを疑うことはタブーなのだ。このために多くの先生たちが、心身を壊し休職や退職を余儀なくされている。形は違うが戦前と同じだ。

そこで一つのたたき台だ。例えば、以下の設問を入学試験に出すとしよう。あくまで例えば、だ。実際は学校で学んでいる「水準」で出題することが望ましいが。

国民に痛みを求める政治と政治家を許して良いのか?
生活保護費受給者・自死者の多さをどう解決するか?
大儲けをしている人たちを支えている貧困層の生活をどう改善するか?
子どもへの放射能汚染をどう解決するか?
万年もかかる放射能を人工的につくる原発を再稼動させて良いのか?
主権在民の選挙制度とは如何にあるべきか?
普天間基地を沖縄の人たちに押し付けておいて良いのか?
日本はアメリカの核の傘にあって、他国の核政策を批判できるか?

どんな回答がでてくるか、解答はないのだ。評価の基準は、テーマに沿って書かれているか。挙げられている事実は間違っていないか。結論が自分の考えとして述べられているか、その考えは、根拠は具体的事実で示されているか、だ。これで採点をするのだ。
この手の問題を各教科で考えてみるのだ。当然授業、先生や生徒の数を含めて学校のシステムも変わってくるはずだ。

3.数々の「神話」から抜け出すために。
今日本は雛が卵の殻を打ち破る段階に来ているような気がする。今まで当たり前だった考え方=殻を、立ち居地を変えてみる必要を感じることが多い。「大阪維新の会」がもてはやされる、一つの根拠があるように思う。だが、愛国者の邪論は少し違う。旧いかもしれないが、その立ち居地とは日本国憲法だ。ないがしろにされ、忘れられてきた、この「ものさし」をもう一度使ってみることだ。それと多様な考え方を交流する場(メディア)が、あるようで、まだまだ不足しているので、これをどのように使うか、だ。
例えば今朝の「報ステ」原発問題は「民主VSみんな」&山本太郎さんだった。みんなの党とは、実に不思議な「VS」だった。また芥川賞作家のインタビューの映像がじゅうたん爆撃のように、今全国に流されているようだで、この手の情報伝達が横行していること。これを変えていくことだ。世界各地の「春」を見れば判るが、日本では、まだまだ、だ。

>少数意見を尊重し、教室全体を厚みのある議論に導きます。自己学習の意欲を高める指導ができる者こそ、本物の教師だといえましょう。

こういう実態が小数であること、それを見ると、どうも今の日本は、ある一つの方向に一直線に突き進もうとするベクトルの方に力が入れられているように思う。それとは逆の、別のベクトルも、たくさんあるのだが。そういうことを考えさせてくれた日野原理論だった。

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小選挙区・二大政党制鼓吹政治の劣化を認めてもなお!その錯覚アートから抜け出すためには!

2012-01-21 | 日記

日本の指導者―政治の根幹変える覚悟を 朝日社説 2012年1月15日(日)付
という朝日の社説に対して、また言いたくなった。
http://www.asahi.com/paper/editorial20120115.html

朝日社説子さん、それ違うだろう!ま、おのれの路線の破綻を認めた社説子さんだから、文句はないのだが・・・。
>「支持政党なし」が圧倒的な最大勢力を占める現状は、果たして「2大政党」などと言えるものなのか。
小選挙区制と二大政党制を「政治改革」として煽ってきたのは、一体誰だった?
リクルート事件など、「政治とカネ」問題。もう一つは、自民党の長期政権のゆがみが頂点に。それを「変える」が口実だった。だが、実際は「既成政党の連中」が「新党」という錯覚アートをつくり、腐敗政治を温存したのではなかったのか?国民は突きつけたのは、政党と政治家だかえではなく、二大政党制を煽ってきたマスコミへのノーなのだよね。実は。

ところで、この腐敗政治は、実は日米軍事同盟と財界の利益を保障する枠組み・錯覚アートだったのだ。何故こんなことを言うか?
一つには、以下のコメントが大変象徴的だ。
政治主導、官から民へ、国から地方へ、日米同盟重視の路線の旗を掲げよう(中川秀直)
2012-01-10 00:20:51
http://ameblo.jp/nakagawahidenao/day-20120110.html
>民意の過半数を超える期待する政権とは、「政界再編した新たな枠組み」である。「政界再編」の意味するところは、政治主導、官から民へ、国から地方へ、日米同盟重視の路線の確立であろう。民主党が、官僚主導、民から官へ、地方から国へ、日米同盟軽視の路線を行くのであれば、反対党は、政治主導、官から民へ、国から地方へ、日米同盟重視の路線をとらなければならない。それではじめて選挙に選択肢がうまれる。

という認識である。これも従来の錯覚アートの焼き直しだ。これについては別項で述べていくつもりだ。

もう一つは、野田政権の手法だ。
それは今消費税増税のために「社会保障の充実」を口実にして錯覚アートをつくっているのだ。

「法人税が高いといって下げろ、さもなければ企業は海外に出て行くぞ」と脅している。それを容認している。マスコミは。だが実は、海外に進出している企業からどれだけ消費税をとってきたか!大勉強してやってきたのではないのか?

「財政危機」というが、法人税率を下げて下げて税収を下げて、その分を消費税で賄って、それでも足らず、赤字国債を発行し、そのカネをどこへ使ってきたか!社会保障費ではないだろう。

そういう事実を錯覚アートで覆い隠してきたのは、ジャーナリズム精神を放棄して「既成の枠組み」にしがみつく政党・代理人の錯覚アートづくりに協力してきたマスコミではなかったのか?

このことは、新たな錯覚アートづくりに躍起になっていることに象徴的だ。日本の指導者―政治の根幹変える覚悟を 朝日社説 2012年1月15日(日)付
という朝日の社説に対して、また言いたくなった。
http://www.asahi.com/paper/editorial20120115.html

朝日社説子さん、それ違うだろう!
>「支持政党なし」が圧倒的な最大勢力を占める現状は、果たして「2大政党」などと言えるものなのか。
小選挙区制と二大政党制を「政治改革」として煽ってきたのは、一体誰だった?
リクルート事件など、「政治とカネ」問題。もう一つは、自民党の長期政権のゆがみが頂点に。それを「変える」が口実だった。だが、実際は「既成政党の連中」が「新党」という錯覚アートをつくり、腐敗政治を温存したのではなかったのか?

この腐敗政治は、実は日米軍事同盟と財界の利益を保障する枠組み・錯覚アートだったのだ。何故こんなことを言うか?
一つには、以下のコメントが大変象徴的だ。
政治主導、官から民へ、国から地方へ、日米同盟重視の路線の旗を掲げよう(中川秀直)
2012-01-10 00:20:51
http://ameblo.jp/nakagawahidenao/day-20120110.html
>民意の過半数を超える期待する政権とは、「政界再編した新たな枠組み」である。「政界再編」の意味するところは、政治主導、官から民へ、国から地方へ、日米同盟重視の路線の確立であろう。民主党が、官僚主導、民から官へ、地方から国へ、日米同盟軽視の路線を行くのであれば、反対党は、政治主導、官から民へ、国から地方へ、日米同盟重視の路線をとらなければならない。それではじめて選挙に選択肢がうまれる。

という認識である。これも従来の錯覚アートの焼き直しだ。これについては別項で述べていくつもりだ。

もう一つは、野田政権の手法だ。
それは今消費税増税のために社会保障の充実を口実にして錯覚アートをつくっているのだ。
「法人税が高いといって下げろ、さもなければ企業は海外に出て行くぞ」と脅している。それを容認している。マスコミは。だが実は、海外に進出している企業からどれだけ消費税をとってきたか!大勉強してやってきたのではないのか?

「財政危機」というが、法人税率を下げて下げて税収を下げて、その分を消費税で賄って、それでも足らず、赤字国債を発行し、そのカネをどこへ使ってきたか!社会保障費ではないだろう。

そういう事実を錯覚アートで覆い隠してきたのは、ジャーナリズム精神を放棄して錯覚アートづくりに協力してきたマスコミではなかったのか?

今また次のような指摘で、新たな錯覚アートづくりに躍起になっていることに象徴的だ。以下社説をみると、
>時代遅れの政党や政治家が、有権者に見限られるのは当たり前ではないか。これほど情けない国政を見せられれば、橋下徹大阪市長のような政治家が存在感を増すのもうなずける。大阪市役所という巨大な組織を批判する言説は、とにかくわかりやすい。大阪府と市の二重行政の無駄をなくす姿勢も、経済が縮んでいく時代の流れに沿うものといえる。敵をつくり、対立の摩擦熱ですすむような手法は、冷静な思考を妨げる危うさがつきまとう。だが、政治が確かに動いているという感覚を有権者に与えているのは間違いない。こんな橋下氏に、従来の主張や政策を省みずにすり寄る既成政党の姿は哀れみさえ誘う。
おいおい、橋下「大阪維新の会」の出現とその評価も細川新党の時と同じではないのか?
「既成政党の姿」を否定するというが、落ち目の自民党から抜け出した政治屋さんたちによってうまれた「大阪維新の会」は「既成政党の姿」の錯覚アートではないのか?

そのことは、以下の記事をみてもわかる。「政治資金パーティー」を開くなんて、「既成」のやり方だ。何故ここにメスを入れないのだ!
勝負させて」橋下市長、維新の国政進出に意欲2012.1.20 22:02
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120120/lcl12012022080003-n1.htm
地域政党「大阪維新の会」(維新)代表を務める橋下徹大阪市長の後援会が20日、大阪市内のホテルで、市長就任後初めてとなる政治資金パーティーを開いた。橋下市長は「(維新は)大阪都構想がゴールではない。大阪がこのように動き始めているのなら、次なる目標として日本国も動かしていこう」と維新の国政進出に強い意欲を示し、「本年勝負させてください」と次期衆院選での候補擁立を示唆した。

朝日社説子さん、もっと「政治資金パーティー」問題にメスをいれてくれませんか?「政治とカネ」問題の根幹で、これこそが政治を劣化させてきたのではないのですか?ところが、
>野田首相が税と社会保障の一体改革で、国民に負担増を求めるのは、時代の変化に向き合う一歩だといえる。行革を断行しつつ、前へ進まねばならない。
と述べると同時に「大阪維新の会」現象に期待を寄せさせ、国民に負担を求める政治を煽る朝日社説子さん、そもそも政治が「国民に負担を求め」てはいけないのではありませんか?納税者は国民なんですよ!

そう言えば、小泉構造改革のときも「備えあれば憂いなし」「改革には痛みを伴う」「自民党をぶっつぶす」を「政治改革」として煽ってきましたね。それでもって森自民党政権を錯覚アートで救ってやりましたよね。

では結論。
実はこれは戦後の枠組みであはるけれども、政権交代が起こった90年代、そして今回の政権交代でも一貫して変わらなかった政治の枠組み、これこそ本当に変えなければならないのではないか?これを変えないあれこれの「政界再編」「政権交代」は同じ穴のムジナでしかない!

このことは、中川さんがいみじくも証明してくれた「日米同盟軽視の路線」か「日米同盟重視の路線」かという選択肢だ。「日米同盟からの脱却の路線」は視野に入っていないのだ。これこそ、錯覚アートを見抜く別の視点なのだ。

錯覚の感覚正すつけどころ立ち居を変えてみることのみぞ

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