昨日の「朝日」の「社説」「オピニオン」「朝日世論調査」(24日付)やNHKの週刊ニュース深読みを見ていて感じたことは、こじれた日中関係を根本的に改めていくためには、やはり加害国日本の歴史認識を本気になって改めていくしかないなということだった。
http://www.nhk.or.jp/fukayomi/backnumber/120929.html
その理由は、世論調査から。
まず機動特派員 五十嵐倫義氏は、日本人が中国の軍事力を脅威に感じ、中国との安全保障の対話を重視しながら、中国人の反日感情根が強いのは、日中戦争について、ほぼすべての中国人が侵略されたと思う一方、侵略したと思う日本人が半数強であり、潜在的な摩擦要因という指摘だ。日本を独裁国家と思っている中国人が少なくないとの指摘を日本像のゆがみとして指摘し、中国の愛国教育の影響として、日中の「不理解」の根の深さを強調している。
こうした指摘の奥深くに何があるか、そこを解明する必要がある。
「オピニオン」の遠藤誉氏は「反日デモの底流に格差の不満」の中で、激しい市場原理の中で取り残され、格差社会を生んだ中国政府に不満を持ち、金持ちを恨んでいる若者が今回のデモの暴徒化の原因であり、それは政府の愛国主義教育にあると指摘している。すなわち天安門事件の再来を警戒し始まった愛国主義教育は、中国では反日教育ではないと言っているが、実際は反日感情を醸成していると指摘している。学習指導要領の中で「抗日記念館」などの見学を義務付けていると、その理由を述べている。だから、若者の目には、日本政府による尖閣諸島の国有化が、日本がいまだに侵略戦争を続けている象徴と映るとしている。しかも、愛国無罪を旗印にして、守り札のようにして政府に対する不満を表現しているとも。
次に「社説」、遠藤氏の言葉と同様に、ここに描かれた中国観はそのまま、日本国に当てはめていかなければならないのだ。だが、多くの日本人は、これらの指摘に頷きながら、そのことが日本国自身の問題として映っていることに気づいていないのではないか。それが、結論だ。以下要点をまとめてみた。
ここまでこじれた背景には、互いの体制や文化への無知や無理解がある。…中国に挑発的な石原慎太郎・東京都知事の購入計画を防ぎ、火種を取り除こうという日本政府の思惑を、「中央政府は地方政府を抑えられる」と考える中国は理解しようとしなかった。…「中国が他人に虐げられた時代は去り、二度と戻らない」 中国のメディアではこんな論調が繰り返された。列強に踏みにじられた苦い歴史の記憶にあえて触れ、愛国意識を高めた。…1972年の正常化後、最初の20年は、戦争から急速に復興した日本が、途上国・中国の成長に手を貸す構図だった。…日本ではバブルがはじけて経済が滞り、中国は改革開放路線をひた走って急成長期に入った。2008年の世界金融危機で景気を下支えした中国は、大国としての自信を固め、10年には国内総生産(GDP)で日本を抜いた。自信は外交の強硬姿勢となった。古代ローマや大英帝国のように、新しい大国の登場は時代の地殻変動となって、周辺や先行する大国との摩擦を生んだ。だが足元の中国社会では、貧富の格差や汚職といったさまざまな矛盾が噴き出している。…共産党は11月、指導部が入れ替わる党大会を開く。だが激しい人事や路線の駆け引きが繰り広げられたとされ、大会日程の発表は大幅にずれこんだ。異常な事態だ。…中国では市場経済で共産主義の理念が薄れた。共産党はかわりに経済成長と愛国主義で国内の団結を図った。党の原点は抗日戦争の勝利であり、愛国は反日の感情を強めた。…負の関係から抜け出すためには、中国での対日感情の改善が必要だ。中国にとっても、反日は反共産党に変わりかねない。外に敵を作り、中をまとめようとする手法は必ず行きづまる。中国は反日の政治利用をやめるべきだ。日本も、相手に実像を伝える努力が必要だ。総額3兆円超にのぼる対中円借款で、中国の成長の基盤づくりに尽くしたという事実も、中国ではほとんど知られていない。官民を問わず、人の交流をこれまで以上に厚くするしかない。そして日本は、歴史にしっかり向きあう必要がある。日中戦争は、日本が中国の国土でおこした。大勢の中国の人たちが犠牲になったのは、逃れようのない事実だ。
浮ついた「愛国」は人々を豊かにしない。それは中国も日本も同じだ。歴史と今を冷徹に見つめ、立て直しを始めよう。(引用ここまで)
まず歴史問題について
近代日本が清国と関係したのは日清修好条規(1871年9月13日)だ。これは欧米の力を背景に、李王朝の「鎖国政策」を打ち破るためには、清国との宗族関係を断ち切ることが必要だった日本が清国との対等な関係を印象付けるために結んだものだった。
こうした欧米の力を背景に、日本によって江華島事件が引きこされ(1875年9月20日)、李王朝は翌年調印された日朝修好条規によって開国を余儀なくされる。まさに、日本の開国と同じ構図で朝鮮政府の「近代」が始まったのだ。
以後、日本は隣国への侵略を開始する。日本はそれを「進出」として描く。欧米によって不平等条約を押し付けられた日本は、福沢諭吉の「脱亜入欧」論に象徴されるように隣国を踏み台にして「坂の上の雲」を見上げ、「一等国」にのし上がっていく。
こうした「進出」(実際は侵略だが)に抗議する隣国人民の「反日」運動を軍事力で徹底的に押しつぶしていく。どれだけの人民の生命・財産が踏みにじられたか、日本国民は想像できない。
まず日清戦争の発端となった「反倭」「斥倭斥洋」「斥倭洋唱義」を掲げて起ち上がった朝鮮人民のたたかいである甲子農民戦争(1894年)、日本など欧米の「進出」に抗議して「掃清滅洋」を掲げて起ち上がった義和団事件(1900年)と朝鮮の進出抵抗する「義兵運動」、これらは「極東の憲兵」として、軍事力によって蹴散らしたのだ。これらは日英軍事同盟を調印(1902年1月)することで、極東や極東に進出を狙うロシアやアメリカに対して無言の圧力(今風に言えば「抑止力」)をかけていくのだ。とりわけ義和団事件後に調印された北京議定書(1901年9月7日)によって北京に駐在した駐屯軍が盧溝橋事件(1937年7月7日)の原因になる。それはともかく、
以上の進出の歴史を、現政権はどう見ているだろうか?その際たるものが安倍・橋下氏に象徴される河野談話見直しを唱える、いわゆる自虐史観グループの跋扈である。こうした動きを隣国の自民はどうみているだろうか。そうしたことを抜きに中国の「愛国主義教育」を云々することは、ナンセンスだろう。
中国の「愛国主義教育」を「批判」する手法そのものは、実は日本の「愛国主義教育」を唱える輩に鋭く突き刺さってくるのだ。だが、そのことに対する反省は微塵もない。それらぼ史観は教科書に書かれ、子どもらに提供され、それらに反対する教師や市民たちは、行政から、教育現場からはじかれている。
侵略戦争の象徴だった「日の丸」「君が代」に対する国民の認識も日本における「愛国主義教育」の成果だ。中国政府と国民のことは言えない。
さらに言えば、遠藤氏の言うように市場原理主義によって作り出された格差社会の弊害は、まさに今日の日本の姿ではないか。だが、日本ではどうか?民主党政権の裏切り、野党自民党の作った憲法案、自民がダメだから、民主党政権をつくった、だがその民主もダメだった。では、ということで、維新の会を持ち上げていないだろうか。
独裁国家でない日本ではあるが、また一見自由に見える日本の言論界だが、果たして本当にそうだろうか。勿論単純に中国と比べるなどということ言っているのではない。日本を独裁国家と思っている中国人が少なくないとの指摘を日本像のゆがみと指摘している日本人であるが、中国人からすれば、ある意味当然の日本像ではないのか?隣国に侵略したことを反省せず、正当化している勢力がずっと政権を担当しているのだ。
その政権が国民世論とま逆の政策を「決められない政治からの脱却」として「責任をもって」実行しているのだ。大手マスコミもそれを扇動している。一見自由に見える日本だが、「日の丸・君が代」になんら疑問を持たず、敬礼をし、斉唱しているからと言って、「日の丸・君が代」の歴史がなくなるわけでない。そういうことと同じように「独裁国家ではない」が、中国に求める民主化や自由を要求するほど、日本は偉そうなことは言えないという日本の現実がある。
日本国政府に対して日本国民が、全国各地で何をしているかについて、中国の反日運動のように報道しているか、そのことが中国の国民に正しく伝わっているかどうか、そのことの検証をせず、中国政府や中国の民衆に対して、また「共産党」政権に対して、一方的に要求する日本の言論界は、意図的であるといわなければならない。
最近で言えば、その象徴的事件として位置づけなければならないのは、「発足したばかりの原子力規制委員会が記者会見から「しんぶん赤旗」の記者を排除した問題」である。中国政府と中国共産党に対する目線は、国内の共産党に対する目線となるとどうだろうか?中国共産党の報道規制に対してはここぞとばかり騒ぎ立てるのに、日本の共産党に対する報道規制に対して、同じように騒ぎ立てているだろうか?
こうした目線は歴史問題に対する目線の不公平さと、根っこは同じだろう。「この40年の積み重ねは何だったのかと、嘆かざるを得ないような行き違い」を作り出してきた歴史の検証こそ、「朝日」をはじめとしたマスコミに求められているのだ。
こうした目線にたって、中国と韓国・北朝鮮・アジアの目線に立って考えてみることこそ、日中韓のねじれをまきなおしていく重要な視点だと思うのだ。
その改善の視点については、これまでも書いてきたが、潮目が変わってきたことも事実だ。そのことについては、別項で書くことにする。長くなりすぎたので・・・。
では最後に「朝日」の「社説」を掲載しておこう。
日中国交40年―交流広げ、信頼立て直せ2012年9月29日(土)付
祝賀の雰囲気はない。
日中国交正常化から40周年を迎えた。だが、日本政府が尖閣諸島を所有者から買ったことに対し、領有権を主張する中国が激しい批判を続けている。 中国共産党序列4位の賈慶林(チアチンリン)・全国政治協商会議主席は、訪中した日中友好団体代表らに、両国の関係を「これまでになく厳しい局面」と評した。 日本でも愛読される中国の古典、論語に「四十にして惑わず」とある。 ところが、同じ年月がたった日中関係は全面停滞の様相だ。日本企業は操業停止などの大きな影響を受け、さまざまな交流事業が中断した。 ここまでこじれた背景には、互いの体制や文化への無知や無理解がある。 野田首相は、ウラジオストクで中国の胡錦濤(フーチンタオ)国家主席と話しあった直後に尖閣諸島の購入に踏み切った。体面を重んじる中国には受け入れがたかった。 中国に挑発的な石原慎太郎・東京都知事の購入計画を防ぎ、火種を取り除こうという日本政府の思惑を、「中央政府は地方政府を抑えられる」と考える中国は理解しようとしなかった。 この40年の積み重ねは何だったのかと、嘆かざるを得ないような行き違いである。
■大国の自信と不安
「中国が他人に虐げられた時代は去り、二度と戻らない」
中国のメディアではこんな論調が繰り返された。列強に踏みにじられた苦い歴史の記憶にあえて触れ、愛国意識を高めた。 1972年の正常化後、最初の20年は、戦争から急速に復興した日本が、途上国・中国の成長に手を貸す構図だった。 関係が大きく変わり始めたのが、90年代初めだ。 日本ではバブルがはじけて経済が滞り、中国は改革開放路線をひた走って急成長期に入った。2008年の世界金融危機で景気を下支えした中国は、大国としての自信を固め、10年には国内総生産(GDP)で日本を抜いた。 自信は外交の強硬姿勢となった。古代ローマや大英帝国のように、新しい大国の登場は時代の地殻変動となって、周辺や先行する大国との摩擦を生んだ。 だが足元の中国社会では、貧富の格差や汚職といったさまざまな矛盾が噴き出している。 コネがなければ機会さえ与えられず、年間600万人近くにもなる大学卒業生の就職難は深刻だ。成長の原動力だった人口増は急速な高齢化に転じ、社会保障の不備が目立っている。 先々週末、中国各地で起きた反日デモでは、毛沢東の肖像を掲げる参加者がいた。貧しくても平等だった日を懐かしむのだろう。それは現政権への批判でもある。 その共産党は11月、指導部が入れ替わる党大会を開く。だが激しい人事や路線の駆け引きが繰り広げられたとされ、大会日程の発表は大幅にずれこんだ。異常な事態だ。
■「反日」利用はやめよ
日本が向きあっているのは、不安定さを抱えこんだまま大国になった中国だ。 つきあい方は難しさを増しているのに、双方で関係を進める力が弱まっている。 中国では市場経済で共産主義の理念が薄れた。共産党はかわりに経済成長と愛国主義で国内の団結を図った。党の原点は抗日戦争の勝利であり、愛国は反日の感情を強めた。 折に触れて繰り返された反日デモの過激さは、日本の対中観を冷えこませた。中国指導者と個人的な信頼関係でつながる政治家の姿も見えない。 だが、両国が重要な隣国同士だと言うことに変わりはない。グローバル化で日中の経済は相互依存を深め、切り離すことはできない関係だ。 このまま対立が続けば、中国に進出した日本企業の損害は巨額となり、現地で働く中国人の雇用不安にもつながる。世界第2、第3位の経済大国の争いに世界も気をもんでいる。 負の関係から抜け出すためには、中国での対日感情の改善が必要だ。中国にとっても、反日は反共産党に変わりかねない。外に敵を作り、中をまとめようとする手法は必ず行きづまる。中国は反日の政治利用をやめるべきだ。 日本も、相手に実像を伝える努力が必要だ。総額3兆円超にのぼる対中円借款で、中国の成長の基盤づくりに尽くしたという事実も、中国ではほとんど知られていない。官民を問わず、人の交流をこれまで以上に厚くするしかない。
■歴史と、今を見る
そして日本は、歴史にしっかり向きあう必要がある。日中戦争は、日本が中国の国土でおこした。大勢の中国の人たちが犠牲になったのは、逃れようのない事実だ。 浮ついた「愛国」は人々を豊かにしない。それは中国も日本も同じだ。歴史と今を冷徹に見つめ、立て直しを始めよう。(引用ここまで)
今日もまた「朝日」の「声」欄を参考に、領土問題の解決の道を探ってみたい。
ところで、今日の「朝日」には、作家村上春樹氏が大変示唆に富んだことを言っていた。またジャーナリストの池上彰氏も中国人の良い所を記事にしている部分をよく突いていた。そういうことを踏まえながら、昨日とは違ったやり方で述べてみたい。
まず、「平和5原則に帰れ」「憲法の平和主義の危機憂える」という意見だ。これは極めて原則的な意見だろう。そこから述べてみたい。
1.憲法の平和主義、すなわち非暴力・非軍事的的手段で紛争を解決するという人類の到達した叡智を使うということだ。日本国憲法第9条そのものだ。
2.この原則は、20世紀になって一歩一歩作られてきた。まさに国連憲章の以下の部分にその思想が見える。
国連憲章前文 われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認…・
これを受けて日本国憲法第97条は
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
と述べ、紛争の解決を非暴力・非軍事的手段で解決することは「永久の権利」として、国連憲章の理念を受け継いでいる。
こうした原則が、その後の冷戦のなかで発展させられてきた歴史的背景の学習にこそ、日本を含めて人類が相当の覚悟と努力を傾けなければならないことを教えている。
3.平和五原則とバンドン十原則の「原則」こそ、「権利があるなら使わなければならない集団的自衛権」を叫ぶ輩が最も学ばなければならない原則なのだ。それは何か。以下掲載しておこう。
(1)基本的人権と国連憲章の趣旨と原則を尊重する。
(2)全ての国の主権と領土保全を尊重する。
(3)全ての人類の平等と大小全ての国の平等を承認する。
(4)他国の内政に干渉しない。
(5)国連憲章による単独または集団的な自国防衛権を尊重する。
(6)集団的防衛を大国の特定の利益のために利用しない。また、いかなる国も他国に圧力を加えない。
(7)侵略または侵略の脅威・武力行使によって、他国の領土保全や政治的独立をおかさない。
(8)国際紛争は平和的手段によって解決する。
(9)相互の利益と協力を促進する。
(10)正義と国際義務を尊重する。
4.中国も参加してつくられた、これら原則、憲法第9条をもつ日本こそが、中国に向かって、日本に向かって正々堂々と、主張すべきことを、両国の国民は自国政府に迫るべきだろう。
5.だが、その際にやっておかなければならないことがある。それは「政府の行為によって戦争の惨禍」が引き起こされたという事実に対して、どのような態度を取るかということだ。
8.「柳条湖事件 日本も歴史教育を」は極めて原則的な意見だ。日本国憲法は「310万人とされる日本人の犠牲を出した先の戦争を受けた、国民の決意と願いを表した」ものだけではない。アジア人民2000万人と言われている人びとを殺した発端となった柳条湖事件について、日本国民は深めていく必要がある。
9.「中国『民主国家』「」への脱皮を」の中で述べられている「抗日記念館」が何故作られたか、また「『不忘九・一八年記血仇』と朱文字で記されて」いる事実をどのように受けとけるか、だ。「戦後、平和国家の道を歩む日本の姿について中国人はどのくらい真実を知らされてきたのだろうか」と問う前に、昨日の記事で紹介した「声」、「『慰安婦』否定発言の冷たさ」(9月12日)のような政治家の無反省な動きが、どれだけ被害国の国民、とりわけ子どもを傷つけているか。愛国教育もさることながら、いや、愛国教育の実施を「口実に」させてしまう原因は、戦後の逆コース以後の日本の歴史、戦後レジームを変えると叫ぶ安倍元首相の総裁再選などの事実にあるとみなければならない。そのことをどのように総括するか、そのことが日本国民に求められている。
10.だが、日本国憲法を持つ国として、それだけ言っていても仕方ないのも事実だ。ではどうするか。「日中の懸け橋を絶やさない」のような民間の交流を、とりわけ、文化・スポーツ・歴史認識などの分野、観光業をはじめとした経済交流などを民間レベルで活発にすることではないだろうか。「中国人」を、「日本人」を「好き」にさせるような交流、顔と顔の見える関係を具体化することではないだろうか。
11.その点、作家の村上春樹氏が言っていることであるが、また「日本製品不買 中国考え直して」でも書かれていることだが、店頭から日本の文化が消えることは残念だが、これは暴徒から守るためという側面もあることを忘れてはならないだろう。だが、もう一つ忘れてならないことは、日本商品ボイコット運動というのは、非暴力運動の一つの形態でもあることだ。1919年5月4日、第一次世界大戦の戦後処理をめぐって山東半島の割譲に対して、中国の民衆が取った行動は日本商品ボイコット運動だった。このことを日本国民は忘れてはならないだろう。
12.日本国民は、自らの国家と国民が犯した加害の事実を忘れてしまう性癖がある。これはまさに、中国とは逆の意味の「愛国教育」の「成果」かもしれない。「自虐史観」などといった言葉がもてはやされるのも、戦争責任を曖昧にしてきた歴史と無関係ではない。このことは米軍の侵した犯罪に対しても、中国や韓国の国民と比べると、非常に寛容なことが多すぎないだろうか?「宮森の悲劇」や、その際たるものだろう。
以上、長々と下記の「声」を読んで気づいたことをダラダラと書いてきた。時間がきたので、これくらいにしておこう。続きは、後日に。
9月25日
尖閣解決へ平和5原則に帰れ 団体役員 松永 昌治 (静岡市葵区74)
広大な領土をもつ中国は、過去に何度も侵略された経験を持ちます。戦後は、アジアーアフリカ諸国の独立運動を積極的に支援してきました。ところが最近では経済成長を背景に各地に進出して摩擦を起こし、自国周辺では南シナ海でベトナムなどと国境や島の領有権を巡っていざこざが絶えません。東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国の一部からも、その覇権主義を懸念する声が高まっています。
今改めて、国境問題を抱えていたインドのネルー首相と中国の周恩来首相が会談して発表した平和5原則(1954年)を思い起こします。領土・主権の尊重、相互不可侵、内政不干渉、平等互恵、平和的共存の五つで、翌年のバンドン会議でこれを踏まえて打ち出された原則が、その後の国際政治全体に大きな影響を与えてきました。しかし、最近の中国の指導者は、この原則を忘れてしまっているようです。
今回の尖閣問題では、わが国の対応の遅さと拙劣さは否定できませんが、日中両国は初心に帰り、この原則を生かし粘り強く交渉することこそ必要ではないでしょうか。暴力騒ぎでは何の解決にもなりません。
9月26日
憲法の平和主義の危機憂える 団体職員 平井信和 (東京都世田谷区61)
野田佳彦首相が圧倒的多数で民主党代表に再選された。一方、自民党の総裁選は接戦が予想される。世論調査などによれば、総裁に選ばれた人がいずれ首相になる可能性が高いようだが、多くの候補が集団的自衛権行使容認、国防軍明記などの憲法改正を明言しており、勇ましい。
野田首相が集団的自衛権の憲法解釈変更に意欲を示したこともあって、見逃せない動きだ。平和主義は日本国憲法の基本原則だが、戦争の放棄および戦力の不保持を定めた第9条はその象徴である。310万人とされる日本人の犠牲を出した先の戦争を受けた、国民の決意と願いを表したものである。
憲法制定時に生まれた者が高齢者の仲間入りをした今、それが揺らいでいる。政治が、憲法の精神にある「国際社会において名誉ある地位を占めたい」との努力を怠った上に、平和主義そのものを葬ろうとしている。
また、国民が9条で「お気楽な教育」を受けた、と批判した政治家がいる。実態は9条で私たちは戦争と無縁な日常生活を守られてきた。その中で平和の大切さを忘れた、それこそ「お気楽な」発言だが、自民党総裁選侯補者たちも同レベルだ。彼らにこの国の将来と平和を託すのはあまりにも不安が大きい。
9月21日
柳条湖事件 日本も歴史教育を 無職 天野 博之 (横浜市旭区76)
満州事変の発端となった柳条湖(中国東北部、現瀋陽郊外)で満鉄線路が爆破されてから、18日で81年となった。日本企業は民衆の暴発を警戒して工場や商店を休業し、今後も予断を許さないようだ。
私は事変50周年の1981年9月18日に、線路爆破の現場を現代史の第一線の研究者らと訪ねた。周辺は野菜畑で作物が青々と実り、車1台が通れる踏切があるだけの田園地帯だった。事変後に日本が建てた「満州事変記念碑」が林の中に引き倒され、「不忘九・一八年記血仇」と朱文字で記されていた。
1時間近く現場にとどまったが、その間に訪れた中国人は、人民軍の制服姿の数人と、遼寧大学の研究者数人だけだった。実はその朝、毛沢東像に面している宿舎の瀋陽・遼寧賓館前で、通行人に「今日は何の日か知っているか」と問いかけたが、誰一人、事件のことを知らなかった。人民日報でも10行ほど簡単に報じているだけで、拍子抜けした記憶がある。
それが今、中国人の心に柳条湖事件が焼き付いたのは、中国の教育の結果であろう。翻って日本の歴史教育を考えるとき、事なかれ主義で大切な事柄を置き去りにしてきたと思うのは、私一人だけではないだろう。
9月21日
中国人を嫌いにならないで 無職 中潭 直美 (横浜市保土ヶ谷区 64)
3月まで四川省成都の外資系ホテルに勤めていました。中国では合わせて20年間、ホテルのスタッフとして働いたことになります。
日本人男性と上海人の友人夫妻が5歳の長男を「貴族幼稚園」(学費が大学並み)に通わせていたときのお話です。寄宿舎に迎えに来た母親の顔を見て、泣きながら訴えたそうです。「僕の血の半分はお父さんのなの?お母さんの分だけでいい、お父さんの分をお父さんに返して」。盧橋事件記念日に先生のお話を聴いたのが原因でした。
中国では早朝から深夜まで日中戦争や国共内戦をテーマにしたドラマがあふれています。「この屈辱を忘れるな」で終わります。
今、暴徒化した人たちは、学生や失業青年でしょう。残酷な戦争ドラマがあふれる日常と早すぎる愛国教育が暴挙に駆り立てているように思えます。彼らは中国人民の一部にすぎません。中国人を嫌いにならないであげてください。
9月25日
「宮森の悲劇」を繰り返すまい 契約社員 安里政嗣 (沖縄県うるま市 32)
オスプレイ配備に反対する9日の沖縄県民大会には炎天下、家族連れを始め、老若男女問わず多くの方が参加した。主催者発表で10万1千人。私も加わった。
オスプレイの低空飛行訓練ルートは沖縄だけでなく、九州や中国、四国、信越、東北などと推定されており、日本中の空を飛び交うことになる。沖縄だけの問題ではない。
事故が続き、米国でも安全性に疑問をもつ意見があるにもかかわらず、配備を強行するのはなぜか。正義を振りかざし軍事力を全世界に誇示する米国への追従をいつまで続けるつもりなのか。
また、緑豊かな沖縄本島北部・高江では米軍のヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)の建設が強行されている。
児童11人を含む17人の命を奪った1959年の「宮森小ジェット機墜落事故」の起きた地元(現・うるま市)に住む者として、「宮森の悲劇」を全国どの場所においても繰り返してはいけないと決意している。どうか本土の皆さんにも関心を持ってもらいたい。
9月23日
反日デモ 子どもが傷ついている 主婦 佐々木 佐恵子 (東京都大田区37)
「ママ、チャンネル変えてよ」。小学6年の娘が小さく言った。テレビでは夕方のニュースで、中国の反日デモの様子が大々的に映っていた。
怒りの表情でペットボトルを投げつける男性、笑顔ではしゃぎながら日の丸を破き、踏みつける若い女性、それを見て周りを取り囲む数百人が歓声を上げていた。
「私、政治とかってまだよくわからないけど、こんなに乱暴なことしていいの?ムカつくからって物を投げていいの?国旗って大切に思うものでしょう?オリンピックでもそうだったじゃん…」・娘は涙をこぼした。
強烈に伝わってくる日本と日本人への嫌悪と憎悪。大人の私でさえ、理性を刺激されるような映像に胸をざわつかせていたのだから、思春期の子どもにはよりショックだったようだ。国内の政治は今にも崩れ落ちそうなほどゆがみ、生活が良くなる兆しも感じられず、震災の爪あとはまだまだ深い。そんな時に降ってわいたとも言える尖閣問題。お互いの様々な負の感情が、これ以上、子どもたちの心を傷つける前に、理性的な解決を目指す努力をしていただきたい。
オスプレイ 不明なことだらけ 農業 阿部 義雄 (新潟県新発田市 54)
米軍の新型輸送機オスプレイが米軍岩国基地の周辺で試験飛行を行っている。プロペラと一体のエンジン部分を動かしてヘリコプターモードにしたり、飛行機モードにしたりして飛ぶ様子がメディアで報道された。しかし、日米両政府間の交渉で安全性などの問題がクリアされたとは到底言えないと思う。
まず、軍用機である以上、民間機にはない危険な飛行をする場合がある。米フロリダ州で墜落事故を起こした際は民間機はまずやらない編隊飛行をしていた。前を飛んでいた僚機の生んだ気流に巻き込まれたオスプレイがバランスを崩したのだ。日本では、訓練飛行でどんな飛び方を想定しているのか。
夜間の飛行訓練についても明らかにされていない。沖縄ではかつて軍用ヘリが夜間、ライトを消して飛行訓練を行った。敵にみつからないようにするための軍用機独特の飛び方だが、オスプレイだってやりかねない。
また、明らかになっている七つの訓練飛行ルート以外にも全国の自衛隊基地や民間空港を使い、騒音をまき散らすことはないのか。沖縄はじめ各地の反対を振り切って本格運用する以前に、不明なことが多すぎる。
9月26日
日中の懸け橋を絶やさないで 専門学校職員 小林 史一 (埼玉県川越市 57)
尖閣諸島問題を発端とした中国でのデモや日系企業への法外な行為が伝えられた。案の定、修学旅行の中止、音楽祭の延期など国際交流の機会がどんどん減っている。さらに今、日本に住む中国人留学生への影響も色濃く出てきた。
私が勤務する専門学校では、多くの中国人留学生が旅行業者や通訳を目指し学んでいる。夢は「日中の懸け橋になること」だ。来春卒業する留学生には何社か
だが、その内々定を取り消す動きが出始めた。理由は、日中双方の旅行客が減り、回復の見通しもたたないことだ。原発事故以来低迷していた中国人旅行客が戻り始め、留学生の採用も活発になったと喜んでいた矢先である。
政治任せでなく、私たち一人ひとりが日中友好に努努力しよう。両国で不買運動や過激な行動は慎むこと。これが歴史のわだかまりを越える一歩だと思う。
9月27日
中国「民主国家」への脱皮を 無職 長田 公明(東京都府中市 62)
私は日本企業の北京駐在員として6年間滞在し、帰国と同時に退職しました。今回、北京にある日本企業の駐在員OBと社員の懇親会のため、17日から4日間北京に滞在しました。
反日デモで日本食レストランは臨時休業したり、ブラインドを下ろしたまま営業したりしていました。勤務していた会社では、中国人社員が「なぜ日本企業で働いているのか、と抗議を受けた」と嘆いていました。
北京駐在中は各地を訪問し、旧日本軍が進出した多くの場所で「抗日記念館」を目にしました。ミャンマーとの国境に近い雲南省の小さな村でも記念館を見たときは、複雑な気持ちになりました。旧日本軍との戦闘や残虐行為について若い説明員が涙ながらに説明していました。
これらの記念館は天安門事件後、1990年代に指導部により建設や増築が推進されたようです。戦後、平和国家の道を歩む日本の姿について中国人はどのくらい真実を知らされてきたのだろうか、と感じました。
ヂモの参加者は、1980年代以降に生まれ「反日教育」を受けた人たちが多いようです。
指導部のデモヘの対応などを見ると、中国が「民主国家」に生まれ変わる日が来ることを祈らざるを得ません。
9月27日
日本製品不買 中国考え直して 会社員 竹 歩夢 (東京都西東京市44)
尖閣諸島問題にからんで、中国が日本製品の不買運動を始めた。私はとても残念な行為であると思う。
不買運動をしなければならないということは、それだけ日中の経済関係が密接であることの裏返しである。中国の国民が日本製品を評価し、愛用している証拠ではないか。
日本製品は中国の日系企業の工場でも作られている。不買運動はこれらの工場で働いている中国人の雇用などにも悪影響を及ぼすだろう。不買運動で日本が尖閣諸島の領有をあきらめると思っているのでもあるまい。品質の劣る製品を作っている企業を利するだけで中国にとってあまりメリットはないのではないか。
もちろん、対抗措置として日本で中国製品の不買運動などをすべきではない。中国製品は我々の日々の暮らしの中に浸透しているが、不買運動で日本の品格を失ってはいけない。
中国は不買運動をすぐにやめるべきだ。(引用ここまで)
二大政党の党首選挙が終わった。そして維新の会の政党化もほぼ終わった。呆れ返っていたのは、愛国者の邪論だけではなかった。多くの国民も同じだったように思う。
そこで、この間、「朝日」の投書欄に出されたいくつかの国民目線を紹介して、現在の二大政党政治が、国民にどのように見られているか、考えてみたい。橋下日本維新の会についても、あるが、少しだけ。別の日に譲ることにした。
自民や民主に期待する国民が、この間の体たらくを見せられどのように変わっていくか、未だ変わらず、期待を寄せる声もある。だが、本質は同じであろうから、早晩不信に変わるだろう。
だが、二大政党政治への不信の声をいくら紹介したところで、それに代わる政党のことを紹介しなかったら、どうなるか、これまた明らかだ。そうした「声」も最後の方で出されている。
以上の「声」が新聞に掲載されるのは、「朝日」の意図があるようにも思う。と同時に、掲載しなければならないほど、民自に対する不信の「声」が多いのかもしれない。こうした「声」を通して政治の発展方向を探るのも、意味のあることだろう。
ではよ~くご覧くだされ!
9月2日
理解できぬ自民の支離滅裂さ 大学非常勤講師 桑山 俊昭 (神奈川県二宮町 62)
このところの自民党の行動は支離滅裂だ。まず参院で他の野党が提案した野田佳彦首相の問責決議案に賛成したことが理解できない。決議案は民自公3党の合意で成立した消費増税法に反対の立場から提出されたものだ。同法に賛成した自民党は一体、首相の何を問責するというのか。
次に、いま問責案に賛成するくらいなら、なぜ衆院で内閣不信任案に賛成しなかったのか。賛成していれば消費増税法は成立せず、同法に政治生命をかけると明言した首相は衆院を解散して国民の信を問うか、総辞職するしかなかったのではないか。さらに消費増税法賛成の見返りに首相に解散時期を「近いうちに」と約束させた一連の駆け引きは一体何だったのか。自民党の問責案賛成で、民主党は「近いうちの解散は白紙」と主張し始めた。自民党は増税に手を貸しただけで、何も得るところはなかったことになりかねない。
自民党がこんな事態に陥っているのは、民主党が自民党化したため、自分たちの立ち位置を見つけられないからだろう。政策は大差ないのに権力は取り戻したい。この無理が党全体をメチャクチヤにしているようだ。このままなら自民党に存在価値はない。
9月12日
あきれた自民党の浮かれぶり 無職 渡辺 哲次 (長野県飯綱町 62)
自民党とは何とあさましい政党だろうか。割の合わない野党としての総裁には名乗りをあげようともしなかった人たちが、政権復帰、首相就任の可能性が出てきた途端に我も我もと手をあげ始めた。谷垣禎一総裁はとうとう、総裁選立候補の断念にまで追い込まれた。まだ曲折がありそうだ。
うまみのない時は、誰かにやらせて自分自身は傷つかないところに引っ込み、あるとわかれば人数を集めてその役を奪い取ろうとしているようにみえる。恥ずかしくないのだろうか。
とりわけ元首相の安倍晋三氏にはあきれる。自ら政権を投げ出した人がどういうつもりで再登場しようというのか。ここ数年の日本政治の混乱をつくりだした責任の一端をどう考えているのか。しかもそのウリが大阪維新の会との連携というのでは開いた□がふさがらない。ならば自民党総裁選ではなく、大阪維新の会に入ればいいだろう。安倍氏に限らず、なぜ自民党が国民から愛想を尽かされたか、何の反省もないようだ。総裁になる資格があるのは例えば、かつての自民党政権による原発推進政策を反省し、党本部を売り払ってでも原発被災者に賠償をするくらいのことを言える人だろうと私は思う。
9月12日
「慰安婦」否定発言の冷たさ 主婦 茶谷 千穂 (静岡県長泉町 49)
「慰安婦問題に女性の目線を」(5日)に同感です。1993年に当時の河野洋平官房長官が「おわびと反省」を表明し、95年に政府主導でアジア女性基金が設立されてもなお、強制的にさせたわけではない、文書で確認できない、などと発言する政治家を見る度に思うのです。女性を暴行して逮捕された人が「同意の上だった」などと弁明するのと似ているな、と。そこに被害女性を思いやる気持ち
膚匙屯屁島匿眉屯日本の占領政策を思わせる暗い歴史を象徴するもので、両者を切り離して考えることはできないのではないでしょうか。日本政府の謝罪は心からのものではない、日本は全然反省していない、との認識が韓国民の間でくすぶり続けているのです。
元慰安婦の心を傷つけ続けているのに、「我々は冷静に対処する」と言う野田佳彦首相の言葉が私にはとても冷たく響きます。
9月14日
長老支配の自民党に未来はない 会社役員 栗田 厚平 (山形市 67)
私が住む山形県は自民党の加藤紘一衆院議員の地元である。かつて加藤氏は名門派閥を率いて首相への道を着実に歩んでいたが、森喜朗内閣の不信任決議案に賛成しようとして失敗した「加藤の乱」と共に、加藤氏の夢は消えた。
賛成票を投じようとした加藤氏を「あんたは大将なんだから」と、涙ながらに止めたのが、今回、自民党総裁選への立候補を断念した谷垣禎一総裁である。報道によれば次の総選挙では自民党が第1党に復帰し、次の総裁が首相になる可能性大とのこと。谷垣氏の無念さは察するに余りあるが、私が問題だと思うのは、谷垣氏が立候補断念に追い込まれた理由だ。
報道によると谷垣氏は党長老の支持が得られなかったとのことだ。党長老とは森元首相、谷垣氏の出身派閥・古賀派の古賀誠元幹事長、政界を引退した青木幹雄元参院議員会長と聞き、自民党は救いがたいところまでに落ちたと思った。党長老の思惑通りに事が運ぶようでは自民党に未来はないと言うべきだ。
総選挙では民主、自民の2大政党に限らず、各候補の考えをよく聞き、自分の判断で投票したい。選ぶ方も選ばれる方も地に足をつけて臨まなければ、国を過つことになると思う。
9月15日
自民党総裁選、正々堂々戦え 無職 木原 陽一郎 (山口県周南市 66)
自民党総裁選に立候補予定だった谷垣禎一総裁が出馬を取りやめ、14日の告示日には執行部から石原伸晃幹事長が立候補を届け出た。谷垣氏は石原氏との一本化の調整がうまくいかず、党の長老が石原氏を支援することがはっきりしたため、出馬を断念せざるを得なかったという。
直前に石原氏から「谷垣さんを支えるために政治をやってきたわけではない」との発言があった。この言葉を聞いて、もっともらしいと思いながらも、何か引っかかるところがあった。執行部のナンバー2として総裁を支えている立場の人が、上司に対して発言した言葉としては好事しくないと思ったからだ。
候補者が絞り込まれる前に、政策や人物よりも党内力学が目につくのは残念だった。総裁選ともなれば、いろんな力や思惑が絡んでくるのは不思議ではない。だが、次の政権の中核を担う可能性の高い党のリーダーを選ぶのだから、見識、資質、政策実行力、人間力のある人を選んで
ほしい。
石原氏を含め、候補者には、26日の投開票日まで国民に見える形で正々堂々と戦ってほしい。その際、前回衆院選でなぜ負けたのかを真摯に反省し、新たな決意をどう表明するかを見守っていきたい。
9月19日付
看過できぬいい加減な代表選 無職 村上 武 (埼玉県東松山市 74)
私は民主党の党員でもないしサポーターでもない。それなのに民主党代表選の投票用紙が送られてきた。結党時、知人の誰かが私の名前を書いたのか、あるいは当時、私がサポーターの義務も権利もよくわかっていないままに登録してしまったのか、よくわからないが、党費などは一切出したことがない。結党後しぱらくして鳩山由紀夫氏の写真付きあいさつ状が届いたので、手紙で差出人あてにサポーターになる意思がないから名簿から削除するよう要求した。ところが今回も代表選の投票用紙が、野田佳彦首相の写真付きあいさつ状と一緒に送られてきた。多分、民主党の国会議員が幽霊党員・幽霊サポーターを届け出て、削除要請があってもごまかしているのだろう。
柳田稔選挙管理委員長の文の中に「党員またはサポーターをやめたという方にも届く可能性があります」とある。そして「意思確認」「資格の確認」が困難と弁解し、その場合は「投票用紙を廃棄していただきますようお願い致します」とある。
場合によっては首相選びに直結する大切な選挙が、このようないい加減な党員やサポーターの選挙名簿によって行われているのだ。これを看過していてよいのだろうか。
9月19日付
原発から逃げる総裁候補 無職中島 一浩 (千葉県流山市 60)
自民党の総裁候補5人が出そろった。その中で最有力候補と言われる石原伸晃幹事長のテレビでの発言に非常に違和感を覚えた。原発の今後のあり様について聞かれ「私、原発は素人ですから」とひとごとのように述べて明確に答えなかったのだ。次の総選挙の結果次第では首相に選出されるかもしれない総裁候補が、素人だからという理由で重要問題にまともに答えないことが許されるのだろうか。
石原氏としては原発問題は専門家に任せ、その結論を尊重したい意向のようだ。しかし、原発は国民の最大の関心事の一つだ。将来のエネルギー政策はもちろん、福島第一原発の廃炉や放射性廃棄物の処理、被災者への賠償など課題は多く優先度も高い。しかも石原氏が丸投げしかねない専椚咳集団とは「原子カムラ」と節楡されるように原発の甘い汁を長きにわたり吸い続け、福島の悲劇を引き起こした張本人たちではないか。
首相たる人には常にあらゆる分野の問題がのしかかる。専門家だろうが素人だろうが日本にとって重要なら、どう対処するか考え、国民に明らかにすべきだ。その覚悟がないのなら直ちに立候補を取り下げるべきだ。
9月20日付
脱原発に逆行する民自両党 無職 河内 清 (神奈川県葉山町 85)
野田政権が「2030年代に原発稼働ゼロ」にするという戦賂を14日にまとめた。同じ日に自民党総裁選が告示され、5人の候補がテレビ出演したが、ほとんどの候補が脱原発戦略を明確に否定した。民主党の選挙対策の一環にすぎないとか、脱原発で起こる電気料金値上げに備えた経済対策がない、などと異論を述べたのだ。支持基盤である経済界への配慮であろう。
だが、脱原発戦略が決まった背景には、官邸前の大衆デモや、政権主導の世論調査といった新たな民主的なプロセスがあつた。野田政権が国民の側にたった政治決定をしたと、いったんは歓迎する気持ちになった。
ところが、ここへきて、政権内の風向きが変わった。野田内閣は「原発ゼロ」の戦略の閣議決定は見送り、「戦賂を踏まえ、不断の検証と見直しを行う」という趣旨の短い文章だけを閣議決定した。事実上の原発ゼロ政策の先送りではないか。
その理由は、原発がある自治体や経済界の反発に配慮したため、という。これでは、原発増設を進めた過去の自民党と変わりない。脱原発は国民の命に直結する問題で、野田政権はここでふらつくべきでない。
9月20日
「サティアン」発言 県民を侮辱 アルバイト佐藤 正人 (福島市 51)
自民党総裁選の有力候補である石原伸晃幹事長が、福島第一原発事故による汚染土壌について、「運ぶ所は福島原発の第一サティアン」と述べた。原発事故の被災地に住む私には、あまりにも配慮を欠き、政治家としての発言の重みを知らない言動に思えて、強い怒りが今も収まらない。言うまでもなく「サティアン」はオウム真理教が山梨県内に造った施設だ。無差別殺人に使われた化学物 質サリンもそこで造られた。それと福島県民が負担を引き受けた福島原発を混同する発言をするような人物が、将来、首相になる可能性のある選挙戦を戦っていることにあきれてしまう。
福島県民は、原発事故は自民党政権が東京電力に津波対策をきちんとするよう指導していたら防げた可能性があると思っている。それさえ怠った政党の幹部が今またこんな発言をするなんて、政治家としての適性に大きな疑念を抱かざるをえない。
9月21日
自民党 なぜ過去の反省しない 日本語教師 野崎 斐子 (東京都武蔵野市73)
新聞やテレビは自民党総裁候補者5人を並べての意見発表だらけで、さながら同党広報担当にも見える。
どの候補者も似たり寄つたりの意見を述べており、5人も立候補する意味は何なのか。いずれも経験主義で、長く政権に関わってき者に任せればうまく処理できるという論法だ。だが、理想に向かい新しい道を模索する姿勢が見られなにい。さらに、国民に政権交代を決断させた自民党政治に対する反省が、みじんも感じられないことには驚かされる。
民主党政権がマニフェストを守れないことを批判するが、自らの長きにわたる政権運営について何も思うところはないのだろうか。政権奪還の可能性が高くなった途端、似たような意見を掲げて候補者乱立とは、開いた□がふさがらない。
政治家は当面の問題解決能力はもちろん、常に自らをフィードバックする姿勢と向かうべき高い理想を忘れず前進してほしい。
9月25日
どこが「決められる政治」か 会社員 佐佐木賢二 (埼玉県吉川市 48)
尖閣問題を巡るドサクサの間に、原子力規制委員会のメンバーが決まった。田中俊一委員長は「原子カムラの住人」といわれ、国会の同意が取りつけられなかった野田佳彦首相が例外規定で任命、19日に発足させた。その手法にはさすがに民主党内からも「脱法的」との批判が出たという。
同じ日、米軍の新型輸送機オスプレイについても政府は「安全性は十分に確認された」と宣言。森本敏防衛相らは、何か起きたら辞めればいい、と高をくくっているのではないかとしか思えない無責任さだ。
2030年代では遅すぎるとの批判はあるものの、一応打ち出した「原発ゼロ」も、経済界からの反発を受けると閣議決定を見送つた。何か「決められる政治」か。結局野田政権が決めたのは、消費増税と尖閣国有化くらいではないか。その尖閣問題でも、エスカレートする中国の攻勢にどう対処するのか、全く見えない。
こうした状況について、国内外への明確なメッセージを発することもなく党首選挙に明け暮れる民主党、自民党とは一体何なのか。
9月25日
政局報道なんてもう要らない 主婦 佐藤 貴子 (神奈川県伊勢原市64)
テレビや新聞を見ていると、民主党、自民党、維新の会しか政党はないのかと思うくらい、この3党の報道に集中している。民主党に対する当初の期待は裏切られた。特に、「原発ゼロ」を打ち出しながら新設を認めるような矛盾した対応にはがっかり。自民党の総裁選の顔ぶれは、タカ派ばかりでぞっとする。維新の会の勢いは驚くほどだが、政策を見てみると、一般市民が幸せになれるとは思えない。
原発はイヤ。再生可能なエネルギーの振興で雇用の創出を。高速道路などの公共事業より、震災復興事業や福祉、医療に重点を置いて―。
こうした願いは、ごく普通の市民のごく普通の願いだと思うが、これらの政党にはそんな視点が欠けているようにみえる。
他にも政党はあるのに、社民党や共産党などの取り組みはなぜもっと報道されないのだろう。日本版「緑の党」が発足したと聞くが、どうしているのか。
政局のごたごたより、国民の切実な要望に応える政治の動きをもっと報じてほしい。
自民党総裁選が終わった。民主と同じように、予想通りの結果だった。同じ狢同士の選挙なので、誰がなっても同じだが、これほど民意と離れた党首が選ばれるのも珍しい。
まず野田首相。圧倒的多数になってきた原発ゼロの民意を無視して、大飯原発再稼動と同じように2030年代まで先延ばした原発再稼動計画。これは世論を無視して消費税増税を「決めた」ことと同じだった。オスプレイ配備とその運用についてもこれまた民意を無視して、ま逆の「安全宣言」「決定」だった。
これは国民の中にある「強いリーダシップ」に依拠した自惚れ「決定」だった。だが、その背後に米倉経団連をはじめとした財界の意向があったことは、前後に「赤旗」「東京」によって暴露された。
以上のように、内政問題においても、外交問題においても、国民の意向より財界とアメリアの意向を貫く、いわば代理人として野田政権が存在していることが国民的に明らかになったことは大きな「成果」と言える。
以上の意味で、民主党野田政権は、自民党野田派政権と言える。こうした状況を一切無視して、民主党国会議員が野田代表を選んだということの意味は大きい。党員・サポータの多くは選挙に参加しなかった、拒否したなかで、民意を代表していない国会議員によって選ばれたということの意味は、民主党の今後を象徴している。
次は自民党安倍総裁の誕生について。そもそもこのお人。総理大臣の仕事を投げ出して病院に引き篭もり政権を投げ出したという前歴がある。これは国際的にみても情けない「実績」だ。こうしたお人を、これまた国会議員たちが選んだ意味は、野田代表の選出と併せて大きな意味がある。
両者とも、民意を代表しない国会議員たちによって、すなわち、党内の派閥の力学というお仲間たちによって、「選挙の顔」として選出されたということだ。超復古主義者を全く古い体質によって誕生させてしまったことを国民の前に暴露してしまったということだ。
まず自民党総裁選で明らかになったことは、原発ゼロについて、いずれも否定したこと、沖縄ではオスプレイ配備については語ることもできず、普天間基地の辺野古移設を強弁したことだ。これは「オール沖縄」の到達点を無視した暴挙だった。全く頓珍漢の演説だった。そういう人間力を示した人間たちの一人である安倍元首相が「選挙の顔」として選ばれたのだ。
もう一つ。いわゆる従軍慰安婦問題についての安倍元首相のコロコロ変わる態度が、今度もまた見られることになるとは、日本の国際的信用もガタ落ちになるだろう。そういう人間を自民党国会議員たちが選んだことの意味は大きい。自民も民主の国会議員たちも、そういう人間を選ぶということを自覚できずに選んでしまったのだ。
拉致問題や北朝鮮ミサイル問題など、「仮想敵」に依存して登場してくる安倍元首相の素性は、国民的にも、国際的にも明らかになったというのが、今回の総裁選再登場だ。安倍元首相がせいぜい国内では、いわゆる「内弁慶」ぶりを発揮して口先でいくら強いことを言っても、国際社会は黙っていないだろう。
当選後の安倍元首相は、民自公3党合意を尊重する、中国とも、ま、上手くやっていくようなことを言っている。派手なパフォーマンスは薄まった。そういうもんだ。彼の本性は、ここにある。できるだけナショナリズムを煽ることで存在感を打ち出すのだ。
こうした手法は、国民の眼にどのように映るか。明瞭だ。
事実、党内から批判の声が起こった。以下の記事が、今後の安倍元首相を示している。
自民総裁選】「民意反映されていない」秋田県連4役が辞意2012.9.26 19:10
自民党秋田県連の大野忠右エ門会長ら4役は26日、安倍晋三元首相が選ばれた党総裁選の結果について「民意が反映されていない」として県連の役職辞意を表明した。 大野会長は記者団に「改革の必要があったにもかかわらず、旧態依然の党体質が変わっていない」と指摘。渋谷正敏幹事長も「地方の声を考えていない。国会議員が何を基準に投票したのか疑問だ」と述べた。 秋田県連の持ち票は4票で、石破氏が3票、安倍氏が1票だった。 総裁選では地方票で石破茂前政調会長が過半数を確保してトップに立ちながら、国会議員による決選投票で安倍氏が逆転勝利した。http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120926/stt12092619100019-n1.htm
全国各地の地方紙を一覧してみて、改めて気づくことがあった。日米軍事同盟深化論・繁栄論にたつ全国紙は仕方ないにしても、日米政府のオスプレイ安全宣言を批判しいている地方紙までも、行き着く先は日米軍事同盟擁護なのだ。
日米軍事同盟を廃棄して日米平和友好条約を締結することこそが、日米の関係を、対等で、友好的で、平和的な関係にしていくという展望、想定も現在の地方紙は持っていないことが判る。日米軍事同盟そのものが、日本国憲法の上に立ち、憲法を形骸化させる権化であること、喉に刺さったトゲとしての日米軍事同盟に対して廃棄という大手術をすること、こうした発想に立てないことをみていると、麻薬に取り付かれた麻薬患者のように、また原発がないと生きていけない原発立地の自治体と住民のように、悪魔のサイクルに取り付かれていることが判る。こうしたマスコミの実態をみると、これらの病魔から解放されることを、さらに強調していかなければならないだろう。
以下みてみよう。
北海道 オスプレイ 安全宣言は住民軽視だ 9月20日
「安全な空」への願いを踏みにじってはならない。 森本敏防衛相は沖縄県や山口県を訪れて地元の説得に余念がない。反発を抑え込んで、配備計画を強行しようとしているように見える。 日本政府は米国よりも日本の国民の声に耳を傾けるべきではないか。
東奥日報 安全に程遠い、見切り発車 オスプレイ9月21日(金)
日本政府は日米安保条約上も配備を拒めないと主張してきた。領土問題で中国、韓国との関係が緊張し、頼みとする日米同盟のきしみは許されないと、日米協議を急いだのは明らかだろう。…沖縄の不信は募る。問題の根底には、普天間返還の道筋が一向に示されないことがある。…沖縄の声を無視し、このまま配備を推し進めて定着させるならば、日米同盟は抜きがたいトゲをまた一つ抱えることになる。
信濃毎日 オスプレイ 懸念だらけの見切り発車 09月20日(木)
万が一、深刻な事故が起きたときにはどうするのか。安全宣言を出した以上、事故の責任は日本政府も負うことになる。 オスプレイの開発などに関わった米専門家からも危険性を指摘する証言が出ている。政府はこうした声に耳を傾け、国民が納得できる対策を再提示すべきだ。
新潟日報 オスプレイ運用 安全宣言の根拠はどこに 年9月20日
仲井真弘多知事が「われわれは安全だと思っていない。理解不能だ」と不信感をあらわにするなど、過剰な基地負担を強いられている関係自治体の反発は根強い。 深刻な事態が起きてからでは遅い。こうした懸念の声に、謙虚に耳を傾けるべきではないか。… 安全の根拠は何か。その提示が日米双方に求められている。
岐阜新聞 オスプレイ安全宣言沖縄の理解、得られるか 9月21日(金)
沖縄の声を無視してはいけない。オスプレイの配備をこのまま推し進め定着させるなら、日米同盟は抜きがたいトゲをまた一つ抱えることになる。それは、万一事故が起きたりしたら致命的な傷となる。
京都新聞 オスプレイ運用 安全宣言は沖縄無視だ 09月20日
米軍は、普天間の安全確保のための約束を裏切り続けてきた。日米地位協定を理由に、日本政府は対米配慮ばかりがにじむ。2010年の普天間爆音訴訟の高裁判決は「国は米軍に調査を求めるなど適切な措置を取っていない」と国の不作為を批判した。政府の安全宣言への沖縄の反発は強い。
神戸新聞 オスプレイ/誰のための「安全宣言」か (2012/09/20
再発防止策として訓練の徹底などを挙げるが、人的ミスは起こり得る。求められるのは、ミスを防ぎ、復元するシステムの構築である。 日米合同委員会が合意した安全確保策も、抜本的な対策とは言い難い。… 日米両政府ともオスプレイ配備で「抑止力の向上」を強調する。それが発揮できるのも、安全性が保証されてこそだ。 誰のための安全宣言なのか。両政府とも、配備される側の沖縄の目線に立って再検討してもらいたい。
山陽社説 オスプレイ 見切り発車の「安全宣言」 9月20日
日米両政府が合意した安全確保策は「付け焼き刃」の印象が否めず、地元の理解を得られるめども立っていない。米側の計画に間に合わせるための“見切り発車”と言わざるを得ない。…日本各地での低空飛行訓練には、これまでも使用してきた中国山地を横断するルートも使うとみられている。…飛行が頻繁に行われる可能性がある。安全策が順守されるかどうかも危惧される。
中国新聞 オスプレイ「安全宣言」 低空飛行の容認許せぬ'12/9/20
沖縄県の仲井真弘多知事は「われわれは安全と思っていない。理解不能だ」と厳しく批判した。無理に進めるなら沖縄の反発がうねりとなり、安全保障政策に禍根を残すことになろう。…今回の合意も、基本的には努力義務にすぎず、米軍の腹一つで形骸化しかねない。
このまま配備され、訓練が始まった段階でどこかで事故が起きればどうなるか。 日米安保体制の信頼性は揺らぎ、日本政府の責任が厳しく問われよう。そこまでの覚悟が求められることを野田佳彦首相はもっと認識する必要がある。 まずは岩国の試験飛行を強行すべきではない。…全国知事会も7月、オスプレイ配備に懸念を表明する異例の決議をしている。もはや沖縄や岩国だけの問題ではないことを忘れてはならない。
愛媛新聞 オスプレイ飛行強行 努力規定で安全は守れない 09月23日(日)
いったい日本の空は誰のものなのか。… 日程ありき、配備ありきと言わざるを得ない。…米軍の言い分そのままの安全宣言と試験飛行容認は、沖縄の思いを踏みつけ、戦前から続く沖縄への構造的差別をさらに強めるものだと政府は気づくべきだ。
徳島新聞 オスプレイ初飛行 配備ありきで強引すぎる 9月23日付
配備後は国内各地で低空飛行訓練が予定されている。徳島をはじめ不安を抱く関係自治体は多い。政府は安全性に対する住民の納得が十分得られるまで、米側に配備の凍結を要求すべきだ。…あいまいな表現が目に付き、抜本的な安全策には程遠いと言わざるを得ない。…沖縄県の尖閣諸島や島根県の竹島をめぐり、中韓両国との関係が緊張しているだけに、日米同盟のきしみは避けたいところだ。 とはいえ、万一、事故が起きれば取り返しがつかないことになる。日米両政府は沖縄の声に耳を傾けなければならない。このままでは沖縄との溝はいつまでも埋まらない。 野田政権は東アジアの安全保障体制を含め、オスプレイの運用について、米側といま一度しっかりと話し合ってもらいたい。
高知新聞 【安全宣言】配備ありき、に欠ける視点 09月20日
米紙ニューヨーク・タイムズはオスプレイの普天間配備に関する社説で、配備は過重な基地負担に苦しむ県民にとって「傷口に塩を塗り込むようなものだ」と指摘した。安全宣言にはこの視点が抜け落ちている。
西日本新聞 オスプレイ 沖縄無視の配備は無理だ 2012/09/20
今回の運用ルールにも「可能な限り」「運用上必要な場合を除き」など、米軍の判断次第だと読める表現が並んでいる。確実に守らせる担保がなければ、ルールも空文化しかねない。…しかし、これ以上基地の負担を押しつければ、沖縄は忍耐の限界を超えかねない。配備強行は日米両政府への県民の不信を増大させ、かえって日米安保を損ねる。オスプレイも含めた基地負担の分散を、真剣に考えるべき時がきている。
宮崎日日新聞 オスプレイ試験飛行開始「安全宣言」は安心できない 09月23日
沖縄や山口だけではない。今後の低空飛行訓練のルートには本県を含む九州山間部、本州北部、四国も入っている。沖縄でこれまで発生したジェット機やヘリコプターの墜落事故を思い出せば、強い不安を感じる国民は多いはずだ。…米有力紙が最近、普天間配備を急ぐ米政府の姿勢を「沖縄の懸念に耳を傾けねばならない」と批判する社説を掲載した。過重な基地負担に苦しむ沖縄の「傷口に塩を塗り込むもの」とし、配備先の変更を求めている。…日米両政府は、米紙が指摘する当たり前の認識を共有することから始めるといい。
輸送ヘリに比べ5倍以上、約3900キロもの航続距離を生かしてグアムの海兵隊基地などに後退配備し、いざというときに前方展開するなどの知恵の絞り用はあるはずだ。そして、それらが普天間返還につながるよう努力すべきだ。 オスプレイの配備をこのまま推し進め、万が一事故が起きたとしたら、日米同盟は致命的な傷を抱えることになる。沖縄の声を無視してはいけない。
佐賀新聞 「オスプレイ安全宣言」普天間返還への努力を 2012年09月25日
日米安全保障条約上、日本政府にオスプレイ配備を拒否する権限はなく、野田佳彦首相は当初、「配備自体はどうしろ、こうしろという問題ではない」と発言して野党などから批判を受けた。法的にはそうであっても、国民の安全を守るため交渉に全力を尽くすのは、政治家の重要な仕事であるはずだ。…可能な限り」「必要最小限に」などあいまいな表現が多いのは、米軍の運用を優先せざるを得なかった事情を物語っている。…日米協議で超低空の訓練はしないことになったが、安全宣言に盛られた取り決めが守られるのか保証はない。ただ、安全宣言によって日本政府も責任を担うことになったのは明らかだ。
南日本新聞 [オスプレイ] 疑問を残した安全宣言( 9/20 付 )
地元への配慮を欠いたまま、配備ありきの安全宣言や日米合意では受け入れようがあるまい。
以上北海道から九州までの地方紙の社説の要約の引用だ。どこの社説も「安全宣言」に対して批判しながら、沖縄に寄り添う社説を書いている。中には飛行ルートの当該県の社説は自分のこととして書いている。だが、日米軍事同盟を廃棄せずとも、命と財産の安全安心は保てると思っている。
そうして、万が一事故がおこれば、日米軍事同盟に致命的な傷を与えると日米政府を脅している。脅しの大合唱だ。脅しの掛け合いで成り立つ日米軍事同盟ということが判る。
では、現地沖縄の二つの会社の社説を全文掲載しておこう。一番痛めつけられている現地の新聞なのに、負担の「根絶」「根本的解決」ではなく、あくまで「軽減」なのだ。負担の「全国化」なのだ。そこには日米軍事同盟という「トゲ」を抜こうとする社説はない!ここが最大の問題だろう。
「日米の厚い壁を崩すため、ためらわず、粘り強く自己決定権を取り戻す主張を続けたい」のであれば、「一日も早い危険性の除去と負担軽減を実現するため」であるならば、全国民に向かって日米軍事同盟を廃棄し日米平和友好条約の締結を呼びかけるべきだ。
琉球新報社説 「安全宣言」と沖縄 「空飛ぶ恥」を飛ばすな2012年9月20日
日本の戦後の基軸をなしてきた日米安全保障体制は、その土台を支えてきた沖縄から崩壊しかねない危機的な状況を迎えた。 米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの米軍普天間飛行場への配備をめぐり、政府は見切り発車で「安全宣言」を出した。努力規定ばかりで実効性が乏しい代物である。安全だと納得する県民はいまい。 日米両政府は、21日にも一時駐機先の山口県岩国基地で試験飛行を始め、沖縄への配備を遮二無二強行しようとしている。 ごく限られた地域に、他の大多数の地域が恩恵を受ける安全保障の犠牲を負わせ続け、その重圧に苦しむ人々の叫びを無視して恥じない為政者の姿がくっきりした。 仲井真弘多知事は「今の首相、今の政府が責任を全て持つということだ」と突き放し、翁長雄志那覇市長は「日本が沖縄に甘えているのではないか」と問い掛けた。 もはや、沖縄と政府の溝は埋め難い。基地に向けた県民のまなざしは敵意を帯び始めた。
万が一、県民の命を脅かす事故が起きれば、沖縄の民意はたちどころに日米安保の根幹と在沖基地閉鎖に矛先を向けるだろう。 基地の島・沖縄からは、この国の成熟度がよく見える。統治機構の差別的対応をもはやこれ以上甘受できない。国際社会に向けて、より強く、より徹底的に日米の差別的政策を告発せざるを得ない。 普天間飛行場の県内移設とオスプレイの配備をめぐり、県知事と全41市町村長が反対し、県議会と全市町村議会が反対を決議した。 県民は、間接民主主義の手立てを誠実に尽くした。そして、直接民主主義を生かす手法として、10万人超が結集した県民大会を催し、強固な意思を発信した。それからわずか10日しかたっていない。 沖縄には生身の人間が住み、声を上げている。決して政治的無人島でも植民地でもない。だが、日本政府の処し方は、米国の意向一辺倒に物事を進める呪縛にとらわれている。 米メディアが「空飛ぶ恥」と称したオスプレイの配備強行は、沖縄への構造的差別を帯び、民主主義の価値を破壊する愚行である。
だが、私たちは諦念を抱いたり、打ちひしがれることはない。日米の厚い壁を崩すため、ためらわず、粘り強く自己決定権を取り戻す主張を続けたい。民主主義の正当性は沖縄の側にある。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-197090-storytopic-11.html
沖縄タイムス [オスプレイ安全宣言]民意踏みにじる暴挙だ2012年9月20日 09時47分
政府は、米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの日本国内での運用に正式にゴーサインを出した。 森本敏防衛相と玄葉光一郎外相は19日、官邸で記者会見し、「オスプレイの運用の安全性は十分確認された」と、事実上の安全宣言を発表した。21日から山口県・岩国基地で試験飛行を開始し、10月から普天間飛行場で本格運用する方針である。 「安全性が十分確認された」とは、よくもまあ言ったものだ。事故が起きたとき、一体誰が、どのように、責任を取るつもりなのか。 できるだけ規制を設けず自由に運用したい米軍と、地元説得のため目に見える規制を打ち出したい日本政府。今回、日米合同委員会でまとまった安全確保策は、あれやこれやの合意事項を集め、努力の跡が見えるように繕ってはいるものの、合意内容が順守される保証は何もない。 そもそもオスプレイ配備は、自家撞着(どうちゃく)に満ちている。普天間での運用がほんとに安全であれば、巨額の税金を投じて辺野古に移設する必要はないはずだ。16年前、日米が返還に合意したのはなぜか。市街地のど真ん中に位置する普天間飛行場の危険性を認め、一日も早い危険性の除去と負担軽減を実現するためだ。 なのに、普天間でのオスプレイ運用を「安全」だと強弁し、長期使用を想定して滑走路の改修計画まで立案するのは、自家撞着である。政府の負担軽減策は破綻した。 現在、進行している事態は負担の軽減ではなく負担の継続強化、危険の拡大である。
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日本政府はこれまで、オスプレイ配備について、ウソと隠蔽(いんぺい)を重ねてきた。日米交渉の場で政府は、交渉結果を外部発表する際、オスプレイの表記を見合わせるよう米側に求めた。国会質疑でも、知らぬ存ぜぬ、を通し続けた。オスプレイ配備の事実は環境影響評価(アセスメント)の最終段階になって、ようやく評価書の中に盛り込まれた。
低空飛行訓練について安全確保策は、米軍機には適用されない航空法の安全高度150メートル以上の高度を順守し、「人口密集地は回避する」としている。回転翼を上向きにする「ヘリモード」の飛行は米軍施設上空に限定し、回転翼を前に傾けた「転換モード」での飛行時間は、飛行が不安定になるためできる限り短くする、という。 オスプレイは「ヘリモード」で飛行しているときやモード転換時に事故が起きやすいといわれている。机上の合意通りに運用されるとは限らない。この種の合意で「安全性が十分に確認された」と結論づけるのは早計だ。
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政府と地元沖縄の関係は、1996年の普天間返還合意以来、最悪の状態である。
県民大会直後に事実上の「安全宣言」を発表し本格運用を認めたことは、住民の切実な声を土足で踏みにじるものだ。 基地の負担は本来、全国で公正に負担すべきなのに、それさえ実現できない政府とは一体、何なのか。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-09-20_39211
あの「東京」新聞でさえも、日米軍事同盟廃棄から目を背ける「社説」しか書けないことがよく判る社説を書き続け、国民の苦しみに本当により添えないことを明らかにしてしまった!これが日本のマスコミ・マスメディアの現状だ。
日米安保の弊害を書いても、書いても、それを「廃棄しよう」とならないのはなぜか。そこが現在の日本の最大の問題だろう。日本国民の意識状況を反映していると言ってしまえば、それまでだ。そんな国民意識を形成してきたのは誰か、そこまで突き詰めていく必要があるだろう。
では、どういうことか、以下、21日から24日までの「社説」を比較してみてほしい。問題を突き詰めていっても、最終的な段階で、日米軍事同盟擁護なのだ。以下、ポイントになる部分を抜き出してみた。
原発建設再開 矛盾ではなく欺瞞だ 2012年9月24日
新戦略発表の翌日に、原発ゼロを骨抜きにするような経産相発言が飛び出すとは、国民の過半がゼロという目標に込めた思いを、あまりにも軽んじてはいないだろうか。これ以上不信が広がれば、この国の未来に大きな影が差す。
野田民主代表が再選 「原点」へと舵を切れ 2012年9月22日
民主党代表選と並行して行われている自民党総裁選で、各候補は原発稼働継続や集団的自衛権の行使容認をそろって訴えている。 民主党が自民党に擦り寄り、同様の主張をするのなら、もはや存在価値はない。例えば「三〇年代の原発稼働ゼロ」を最低限の目標とすることや、集団的自衛権の行使を禁じる政府の憲法解釈は変えないことを掲げてはどうか。自民党との対抗軸に十分なり得る。民主党政権の三年間、国民は期待し、落胆もした。それは「お任せ」民主主義を脱し、主体的に政権を選択した故の痛みでもある。国民の生命と財産を守り、生活を豊かにする政権を選び抜く。…それは主権者たる国民の権利であり、義務でもある。
オスプレイ 理解得られぬ安全宣言 2012年9月21日
「可能な限り」とか「運用上必要な場合を除き」などの留保がつく。厳守される保証はない。…政府の努力はこの際、多とする。同時に、オスプレイ配備は日米安全保障条約が事前協議の対象としている装備の重要な変更に当たらず、日本側がその配備を止められないという現実からも目を背けるわけにはいかない。オスプレイ配備は在日米軍基地の74%が集中する沖縄県民にさらに負担を強いる問題だけでなく、安保条約上の課題も惹起する。 日米安保が日本を含む東アジアの平和に必要だとするのなら、基地提供という条約の義務を誰がどの程度負い、米側にはどこまで主張すべきなのか。沖縄県民に任せるのでなく、国民全体が自らの問題として考えなければならない。
グアム共同訓練 陸自の海兵隊化を疑う2012年9月21日
陸上自衛隊はグアム島で沖縄の米海兵隊との共同訓練を開始した。米艦艇からゴムボートに移り、強襲上陸する。自衛隊の海兵隊化は必要なのか。そもそも日本になじむのか議論が欠かせない。…訓練は今回がほぼ最初の一歩であり、装備は来年度予算で水陸両用車四両を二十五億円で参考品として購入する。運用構想を練るのはこれから、というのにもう買い物だ。海兵隊は必要か否か、という国会での議論は始まってもいない。防衛省の独走である。…米国がグアムに陸自を受け入れたのは新国防戦略の「アジア太平洋の戦力強化」に合致するためとみられる。国防費の大幅削減を打ち出した米国は、地域の安全保障を地域に委ねる考えを示している。自衛隊が平和憲法の制約なく、海外で軍事行動できるようになるなら、海兵隊のノウハウを伝えることなど、お安いご用だろう。 八月に発表された米国の知日家グループによる第三次「アーミテージリポート」は一次、二次に続いて日本に集団的自衛権行使に踏み切るよう求めた。共同訓練に「自衛隊の米軍化」の狙いが潜むなら断固、反対する。(引用ここまで)
どうだろうか?「断固反対」しなければならない最大の要因、権化である日米軍事同盟の是非を問うこともなく、勇ましいことを言っても、結局追認していくことになるだろう。その被害は国民が受けることになる。この間の歴史を見れば明瞭だ。
だが、「東京」でさえも、「基地提供という条約の義務を誰がどの程度負い、米側にはどこまで主張すべきなのか。沖縄県民に任せるのでなく、国民全体が自らの問題として考えなければならない」と「責任」を国民にすり替え、アメリカへの義務を止めさせるための国家主権の表明は求めていないのだ。そればかりか、国家主権行使のための問題提起、情報公開と提起など、国民の権利をどう保障し、その権利行使の義務をどのように果たしていくか、この記事を見る限り、全くの想定外であり、勇ましいことを言っても、日米軍事同盟追認なのだ。
「東京」は22日の朝刊一面に、「閣議決定回避 米が要求」「原発ゼロ『変更余地残せ』」「政務官ら訪米時 安保に影響懸念か」「米の圧力で譲歩 政府は説明責任を果たせ」と大見出しで書いた。原発再稼動にも、日米軍事同盟があることを「認めている?」のに、廃棄は主張しない。「多くの国民の切実な思いを置き去りに、日米の安全保障を優先させたことに対して、日本政府はきちんと説明責任をはたすべき」と書いてゴマカスのだ。
以上の視点で、以下の「社説」を検討していただきたい。日米軍事同盟の国民への「要請」を断り、独立国として知恵を出し、国際法と日本国憲法に基づく独自の外交、安全保障論を展開しない、マスメディアの致命的弱点をみてほしい。このままでは、いくら沖縄県民の苦しみを書いても、真に沖縄県民に寄り添い、国民的苦しみをなくしていくことはできないだろう。
せいぜい、基地の苦しみ・放射能の苦しみは「全国民が平等に分かち合おう」程度の「提案」ぐらいしか出てこないだろう。それほど腐敗しているマスコミというのが、現在の実態ではないだろうか?
自分たちは、基地などの苦しみから別のところにいて、記事を書いていると言われても仕方ない!と、今日は厳しいことを言っておこう!
それでは「社説」をご覧いただきたい。
原発建設再開 矛盾ではなく欺瞞だ2012年9月24日
「不断の見直し」は、もう始まってしまったのか。政府は「二〇三〇年代原発ゼロ」の看板を書き換えて、原発の建設再開を認めるつもりらしい。新増設なしは基本である。例外は許されない。 矛盾というより欺瞞(ぎまん)である。何枚、舌があるのだろうか。 枝野幸男経済産業相は、経産省が工事許可を出した原発に関しては、それを変更する考えはないと、明言した。
着工済みの原発は、青森県大間町で電源開発(Jパワー)が建設中の大間原発(進捗(しんちょく)率37・6%)、青森県東通村の東京電力東通原発1号機(9・7%)、そして松江市の中国電力島根原発3号機(93・6%)である。 このうち、福島第一原発事故収拾のめどがつかない東電の東通を除く二基については、東日本大震災で中断していた建設工事の再開を認める方針という。 「二〇三〇年代に稼働原発ゼロ」は、十四日に政府が決めたエネルギー・環境戦略の看板だ。それを実現するための二本柱が、原発の稼働期間を四十年に厳しく制限すること、そして原発の新増設はしないことではなかったか。 例えば一〇年代に稼働を始める原発を四十年間運転できるとすれば、五〇年代まで寿命を保つことになる。誰にでもわかる足し算だ。大間と島根は新増設にほかならない。 雇用を守ることは大切だ。だからといって、政府の大方針を簡単に曲げるというのは情けない。原発や再処理施設に代え、新たな廃炉ビジネスや電源ビジネスの創出を図るのが政治の仕事である。 そもそも「二〇三〇年代にゼロ」という期限の切り方が極めてあいまいなものであり、意見聴取会などを通じて脱原発を選択した多くの市民の不興を買った。 使用済み核燃料からプルトニウムを取り出して再利用する核燃料サイクルは、核のごみの排出元である原発の存続が前提になる。そのような“実験”の継続を認めたことも、安全と倫理を求める国民を落胆させた。 その上、新戦略発表の翌日に、原発ゼロを骨抜きにするような経産相発言が飛び出すとは、国民の過半がゼロという目標に込めた思いを、あまりにも軽んじてはいないだろうか。 これ以上不信が広がれば、この国の未来に大きな影が差す。民主党内でも異論はある。四十年廃炉、新増設なしの大原則は、例外なく堅持すべきである。
【社説】野田民主代表が再選 「原点」へと舵を切れ2012年9月22日
野田佳彦首相が党代表に再選された民主党。政権交代を果たした三年前とはすっかり変質してしまった。今こそ「政権交代の原点」へと舵(かじ)を切るべきだ。 国会・地方議員、党員・サポーター合わせて三分の二の支持を集めて勝ち抜いた野田氏にとって、圧倒的な支持とは裏腹に、厳しい代表選だったのではないか。 「辞めろ」「帰れ」「原発やめろ」。選挙戦終盤の十九日に行われた唯一の街頭演説会で、野田氏を待っていたのは、激しいヤジの嵐だった。就任後初めて街頭に立ち、民主党を取り巻く現状の厳しさを思い知らされただろう。
◆国民の視線厳しく
二〇〇九年夏の前回衆院選で、国民の熱い期待を担って誕生した民主党政権への視線が、なぜこれほど変わってしまったのか。 それは、野田民主党が国民の期待する方向とは全く違う針路を進み始めたからだろう。 官僚丸投げの政治から政治家主導の政治へ、中央集権から地域主権へ、税金の無駄遣いと天下り根絶、コンクリートから人へ、国民の生活が第一、緊密で対等な日米同盟関係、などなど。 民主党が三年前の衆院選マニフェストで掲げた理念・政策は、時を経て色あせるばかりか、ますます輝きを増して見える。それは、民主党政権の力不足か、やる気が足りないのか、なかなか実現しないことと無縁ではないのだが。 その一方、マニフェストには明記されず、やらないと約束していた消費税率引き上げを、自民、公明両党と組んで強行した。
野田氏は「マニフェストに書いていなかったことは、国民に率直におわび申し上げなければならない」と述べるのだが、必ずこう付け加える。「国民を守るために先送りできないと判断した」「その意義を丁寧に説明していく」と。
◆選択肢を示す必要
もちろん日本は代議制民主主義である。選挙前に想定しなかった事態に的確に対応することは必要だ。その際、公約がどうの、マニフェストがどうのと、文句を付ける国民はいまい。 例えば、東日本大震災復興のための公共事業積み増しや、東京電力福島第一原発事故後の脱原発政策などだ。しかし消費税増税は、これらとは全く異なる。 少子高齢化社会の本格到来を迎え、社会保障制度を持続可能なものにすることは避けて通れない。その際、財源をどう確保するのかは幾つかの選択肢があるはずだ。 その中で、国民は消費税増税ではなく、税金の無駄遣いをなくして財源を創り出すと訴えた民主党に政権を託した。 主権者たる国民の負託を受けた政権がマニフェストの約束を実現する。この契約関係が平然と破られては、民主主義を危うくする。十年近くをかけて、せっかく根付き始めたマニフェスト選挙が廃れていくのは何とも悲しい。 そんな野田氏を「選挙の顔」に頂いて戦う次期衆院選は民主党にとって厳しい戦いになるだろう。橋下徹大阪市長率いる日本維新の会の伸長によっては、第三党転落の可能性すらささやかれる。解散時期を多少遅らせたからといって状況はさほど変わりあるまい。 だからこそ、野田氏の代表再選は、グリム童話の「ハーメルンの笛吹き男」を思い出させてならない。笛を吹く野田氏に率いられ、民主党議員がいなくなる…。 政権交代は常に起こりうるとはいえ、民主党が消えてなくなったり、極端に縮めばいいというものではない。次期衆院選後は自民党が政権を取る可能性が高いとしても、自民党に代わる勢力は必要だ。国民が政権の選択肢を持たない政治は、暴走を許す。 民主党代表選と並行して行われている自民党総裁選で、各候補は原発稼働継続や集団的自衛権の行使容認をそろって訴えている。 民主党が自民党に擦り寄り、同様の主張をするのなら、もはや存在価値はない。例えば「三〇年代の原発稼働ゼロ」を最低限の目標とすることや、集団的自衛権の行使を禁じる政府の憲法解釈は変えないことを掲げてはどうか。自民党との対抗軸に十分なり得る。 同時に、マニフェストで掲げた民主党の原点に、いま一度立ち返らねばならない。代表選で各候補が違いこそあれ、党の原点を口々に語ったのも、原点から遊離した現状への危機感からだ。
◆「お任せ」を脱して
民主党政権の三年間、国民は期待し、落胆もした。それは「お任せ」民主主義を脱し、主体的に政権を選択した故の痛みでもある。 国民の生命と財産を守り、生活を豊かにする政権を選び抜く。長い道のりであっても、地道に、粘り強く、決して諦めずに、成し遂げたい。それは主権者たる国民の権利であり、義務でもある。
オスプレイ 理解得られぬ安全宣言2012年9月21日
米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイに関する日本政府の「安全」宣言を信じる国民がいるのだろうか。普天間飛行場への配備ありきでは、国民、特に沖縄県民の理解はとても得られない。 操縦ミスで度々墜落する軍用機を安全と言えるのか。安全性に疑念が残るその飛行機を、かつて米国防長官自身が「世界一危険」と指摘し、日米両政府が日本側への返還で合意した米海兵隊普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)になぜ配備できるのか。 解せないことがあまりにも多すぎるが、日本政府の「安全」宣言を受け、米海兵隊は一時駐機している岩国基地(山口県岩国市)できょうにもオスプレイの試験飛行を始め、十月から普天間飛行場での本格運用を開始するという。 日本政府は安全性を確認するため、今年起きた二件の墜落事故原因を独自に調査するにはした。 しかし米側から提供された情報の検証が中心で、米側が墜落は「機体自体の要因でない」「人的要因が大きい」と結論づけた以上、それを覆す材料は出ようがない。 十月の普天間配備方針を追認する形だけの調査と言ってもいい。それで沖縄県民に配備受け入れを迫るのは無理というものだろう。 日本側はオスプレイの運用に注文をつけてもいる。事故の危険性が指摘される低空編隊飛行や「垂直離着陸モード」での飛行は米軍施設上空に限定する、低空飛行訓練は航空法の安全高度百五十メートル以上を順守し、原発や史跡、人口密集地の上空は避ける、などだ。 ただ「可能な限り」とか「運用上必要な場合を除き」などの留保がつく。厳守される保証はない。 玄葉光一郎外相は「過去に特定の装備の導入について合意したことはない。率直に言って非常に難しい交渉だった」と胸を張った。 政府の努力はこの際、多とする。同時に、オスプレイ配備は日米安全保障条約が事前協議の対象としている装備の重要な変更に当たらず、日本側がその配備を止められないという現実からも目を背けるわけにはいかない。 オスプレイ配備は在日米軍基地の74%が集中する沖縄県民にさらに負担を強いる問題だけでなく、安保条約上の課題も惹起(じゃっき)する。 日米安保が日本を含む東アジアの平和に必要だとするのなら、基地提供という条約の義務を誰がどの程度負い、米側にはどこまで主張すべきなのか。沖縄県民に任せるのでなく、国民全体が自らの問題として考えなければならない。
グアム共同訓練 陸自の海兵隊化を疑う2012年9月21日
陸上自衛隊はグアム島で沖縄の米海兵隊との共同訓練を開始した。米艦艇からゴムボートに移り、強襲上陸する。自衛隊の海兵隊化は必要なのか。そもそも日本になじむのか議論が欠かせない。 共同訓練は、沖縄駐留の第三一海兵遠征隊による強襲上陸訓練を体得する目的で、九州・沖縄の陸自西部方面隊四十人が参加した。 防衛省は「特定の国、地域を想定した演習ではない」というが、尖閣諸島をめぐり、中国との関係が極端に悪化する中で「殴り込み部隊」の海兵隊から手ほどきを受けるのだ。中国を刺激するのは間違いない。日本との領土問題を抱えるロシア、韓国も注目することだろう。 上陸作戦は力ずくで部隊を押し上げ、占拠または奪還する強襲にあたり、陸上自衛隊は訓練の経験、装備ともゼロに等しい。 訓練は今回がほぼ最初の一歩であり、装備は来年度予算で水陸両用車四両を二十五億円で参考品として購入する。運用構想を練るのはこれから、というのにもう買い物だ。海兵隊は必要か否か、という国会での議論は始まってもいない。防衛省の独走である。 海に囲まれた島しょへの上陸作戦は、上陸部隊を運ぶ艦艇ごと攻撃される危険をはらむ。制海権、制空権を失った状態での上陸は自殺行為に等しいし、攻撃される危険がないなら、そもそも強襲上陸など不要である。 海兵隊構想は、四月の北朝鮮による弾道ミサイル発射事案に対応して、落下地点とはおよそ無関係の沖縄本島、宮古島、石垣島、与那国島へ陸自部隊を機動展開させ、おおむね地元から歓迎された成功体験を原点にしていないか。 「防衛計画の大綱」の南西防衛、島しょ防衛を陸自の生き残り策に利用されてはかなわない。 米国がグアムに陸自を受け入れたのは新国防戦略の「アジア太平洋の戦力強化」に合致するためとみられる。国防費の大幅削減を打ち出した米国は、地域の安全保障を地域に委ねる考えを示している。自衛隊が平和憲法の制約なく、海外で軍事行動できるようになるなら、海兵隊のノウハウを伝えることなど、お安いご用だろう。 八月に発表された米国の知日家グループによる第三次「アーミテージリポート」は一次、二次に続いて日本に集団的自衛権行使に踏み切るよう求めた。共同訓練に「自衛隊の米軍化」の狙いが潜むなら断固、反対する。(引用ここまで)
昨日と今日の「朝日」の社説について、以下の述べておきたい。
まず、「朝日」自身が大きな矛盾を露呈している。以下その部分だ。
「3年前の総選挙では『やらない』と国民に約束していた」「消費増税を決めたことは評価できる」としながら、さらにひどいことには、「何よりも、政権交代時のマニフェストを裏切る形で消費増税を決めた事実は重い。できるだけ早く国民の審判を仰ぐべきなのは当然のことだ」「早い時期に解散・総選挙に踏み切り、政治を動かす環境をつくる」と、本来ならば、「マニフェストを裏切る」前に、すなわち悪政推進前に「国民の信を問え」と言わなければならないのに、「とはいえ『動かない政治』を続けることが、国民にとって望ましいとは言えまい」「政治を前に進めていくには、3党の協調態勢が欠かせない」などと、「国民にとって」と国民を出汁に使って、悪政推進の奨励し、増税を煽ってきたことを正当化しているのだ。
さらに「総選挙後も、一体改革の3党合意を堅持することを再確認」せよと、増税反対の国民世論無視の政治を続けろと言っているのだ。
このことは「原発事故を受けて『2030年代の原発ゼロ』を掲げたことはよかった」などと、ウソを書いている。「掲げた」はウソではないのか!さらに言えば、「2030年代」とは「2040年まで」ということでもある。しかも「一方で、財界などに批判されるや、閣議決定を断念したのは情けないかぎりだ」と「など」を使って日米安保体制深化のための原発再稼動であることを黙殺している。まさにうそつき「朝日」と言える。
「赤字国債発行法案は、予算と一体で成立させ」、さらに「国会同意人事は衆院の議決を優先させ」るなど、「衆参の多数派がねじれても合意形成ができる国会のルールづくりを、与野党で精力的に詰め、結論を出」せと、悪政推進のための翼賛政治を奨励しているのだ。まさに民主主義に名を借りたファッショではないのか?
「国民から不信の目を向けられているのは、民主党だけではない。既成政党全体の姿勢が厳しく問われていることを、自民党など野党も自覚すべきだ」と述べる「朝日」の立場は、選挙になった時は、どういう報道になるか。もはや明瞭だ。
「財界など」と日米安保体制深化論を前提にした記事がちりばめられ、国民を日米安保の枠の中に押し込めていくことだろう。日米安保批判、日米安保体制を変革論は無視・黙殺することになろう。
同時に「自民党など野党」を「既成政党全体」として枠をはめ、「自由貿易の枠組みをどう築くかも結論を急ぐ必要がある」などとTPP参加を煽り、日米安保体制と財界擁護という既成の枠組みを免罪し、擁護し、それらを批判し、変革する勢力を国民の眼から遠退かせていくことになるだろう。
これは情報の管理・鎖国化であり、中国を批判する「朝日」は、その批判する視点で自分を批判しなければならない。だが、それすら正当化する支離滅裂な新聞と言える。それが「朝日」と言わなければならない。
「総選挙に向けて、各党は現実的で説得力ある公約を国民に問うべく、作業を急いでほしい」などと、あたかも「各党」は現実的で説得力のない公約しかつくっていないと、いわんばかりだ。ホントか!?「朝日」は「各党」の公約を公平に国民に報せていると胸を張って言えるか!
「国民から不信の目を向けられているのは」、「朝日」だけではない。既成のマスコミは、いまや真実を報道しないマスゴミとして、国民から見られているのだ。
以上、まさに支離滅裂の「朝日」の社説子というか、「朝日」の経営者は、こんな一貫性のない、いや支離滅裂さにおいては一貫しているのだが、新聞を放置しておいていいのだろうか?と言いたくなるような「社説」だ。
こんな馬鹿げた新聞が大手を振って全国各地で読まれていると思うと、まさに「国民にとって望ましいとは言えまい」だ。
以下支離滅裂「社説」第一番目をあげておこう。
野田首相が代表再選―早期解散へ、環境整えよ2012年9月22日(土)付
民主党代表選は、野田首相が大差で再選を決めた。 政権交代から3年。民主党政権の歩みは曲折を重ねた。 予算の組み替えで16.8兆円の新規財源を生み出すとしたマニフェストは破綻(はたん)した。消費増税を決めたことは評価できるが、3年前の総選挙では「やらない」と国民に約束していたことも事実だ。 原発事故を受けて「2030年代の原発ゼロ」を掲げたことはよかった。一方で、財界などに批判されるや、閣議決定を断念したのは情けないかぎりだ。
■3党の枠組み維持を
代表選で、首相が「最大の成果」と胸を張ったのが、民主、自民、公明の3党合意による社会保障と税の一体改革だ。 政権が交代しても、安定的に維持できる社会保障制度をつくる。そのパートナーのはずの谷垣自民党総裁が総裁選に立候補できなかったことは、首相にとって誤算だったに違いない。 それでも、総裁選に立った5候補は、それぞれ「3党合意は守る」と表明している。 一体改革だけではない。政治を前に進めていくには、3党の協調態勢が欠かせない。 先月、首相は谷垣氏、公明党の山口代表と「近いうちに信を問う」ことで合意した。党首どうしの約束は重い。 もし首相が衆院解散をさらに先送りすれば、3党の信頼関係は完全に崩れるだろう。 先の国会会期末、民主党の強引な国会運営や、自民党などによる首相への問責決議可決によって、赤字国債発行法案や衆院定数の是正法案などが廃案に追い込まれた。 このままでは、次の国会でも同じことの繰り返しになりかねない。肝心の一体改革も空中分解する恐れさえある。
■消費増税に審判仰げ
本来なら、衆院議員は4年の任期いっぱい仕事をするのが筋だ。とはいえ「動かない政治」を続けることが、国民にとって望ましいとは言えまい。 早い時期に解散・総選挙に踏み切り、政治を動かす環境をつくる。政権の最高責任者として、首相はそのことを決断すべきときである。 民主党内は解散反対論が大勢だ。代表選の前に、首相が解散時期を明示したら、みずからの再選も危うくなりかねない。その揚げ句、一体改革も頓挫したかもしれない。 だが、そんな言い訳はもはや通用しない。 何よりも、政権交代時のマニフェストを裏切る形で消費増税を決めた事実は重い。できるだけ早く国民の審判を仰ぐべきなのは当然のことだ。 もちろん、総選挙をしても、それだけで政治が動くという保証はない。与野党が足を引っ張り合う政治がふたたび繰り返されるなら、迷惑を受けるのは国民だ。
■政治の悪循環を断つ
次の総選挙を、そんな悪循環を断ち切る契機とする。そのために、首相に提案がある。
自民党の新総裁が決まったら速やかに3党首会談を呼びかけ、次の3点を解散前に実行することで合意するのだ。
(1)総選挙後も、一体改革の3党合意を堅持することを再確認する。社会保障をめぐる国民会議はただちに設置する。
(2)秋の臨時国会で、赤字国債発行法案と、最高裁に違憲状態と断じられた衆院の一票の格差をただす「0増5減」の自民党案を成立させる。定数削減をふくむ選挙制度改革は、首相の諮問機関を設置して参院とあわせて検討をゆだねる。
(3)衆参の多数派がねじれても合意形成ができる国会のルールづくりを、与野党で精力的に詰め、結論を出す。
国民から不信の目を向けられているのは、民主党だけではない。既成政党全体の姿勢が厳しく問われていることを、自民党など野党も自覚すべきだ。 注目されるのは、自民党総裁選に立候補している石破茂・前政調会長が、赤字国債発行法案を「政争の具に使うべきではない」と語っていることだ。 まず自民党が、次いで民主党が「ねじれ国会」に苦しんだ。そんな政治にはさすがに懲りたということだろう。 赤字国債発行法案は、予算と一体で成立させる。国会同意人事は衆院の議決を優先させる。衆参の議決が異なる際に設ける両院協議会に、結論を出せる仕組みを導入する。 与野党がこうしたルールで合意できれば、国会は動き出す。首相が1年ごとに交代する惨状も改善するに違いない。 震災復興や原発事故への対応を進め、新しいエネルギー政策の計画をつくる。こじれた近隣外交の立て直しも急務だ。自由貿易の枠組みをどう築くかも結論を急ぐ必要がある。
政治が答えを迫られている課題は目白押しだ。総選挙に向けて、各党は現実的で説得力ある公約を国民に問うべく、作業を急いでほしい。(引用ここまで)
「人気の高い」と言われて「維新の会」を持ち上げ、「政党乗り換え」を許してきたのは「朝日」ではなかったのか?!日本新党・民主党に対する報道はどうだったか、検証してみろ!と言いたい。
「党員を集め、綱領や政策を練り、政治家を育てていく。政党がこうした地道な努力を怠ってきた」のは、どんな政党であり、そうでない政党はどんな政党か、また「もっとも、民主党をふくめ離合集散を繰り返してきた日本の政党史を振り返ると、多くの新党にそうした側面があったことは否めない」などと、一貫している政党があることを、どれだけ報道してきたのか、検証してみろ!と言いたい。
以下、支離滅裂「社説」第二番目をあげておこう。
政治家と選挙―いいのか政党乗り換え2012年9月23日(日)付
政党とはなんだろう。そう考えさせられるようなことが、また起きている。
民主、自民の2大政党の党首選のさなか、両党の比例区選出の衆院議員2人がそれぞれ離党し、新党「日本維新の会」に合流する意向を示した。 これで、維新の会に参加する見通しの国会議員は民主、自民、みんなの3党の9人になった。このうち、6人が衆院と参院の比例区選出だ。 参院比例区では候補者名の投票もできるが、基本的に政党への投票だ。そこで当選した国会議員が、ほかの党に移ることが許されるのか。
そう思う人も多いだろう。この疑問には、維新の会を率いる橋下徹大阪市長が、ネット上でこう答えている。 「日本維新の会は新党なので、政党間移動にはあたりません。比例議員が新党をつくるのは許されています」
その通りである。00年の国会法改正で、比例区選出の議員が別の党に移ることが禁じられた。一方、その議員が当選した選挙の時にはなかった新党への移動は許されている。
ただ、いくらルール違反ではないといっても、みずから一票を入れた政党を踏みにじるような国会議員のふるまいに、釈然としない有権者も多いのではないか。 新たに維新に合流するという民主党議員は、野田首相の社会保障と税の一体改革の進め方を「評価できない」と語る。 維新の会が掲げる「八策」には共感できる、23日に予定されている維新の会の公開討論会で意見をぶつけてみたいという。
だが、どう言葉を連ねても、結局は近づく選挙を前に、人気の高い維新の会という看板に飛びつこうとしている。そう見られてもしかたあるまい。 それは、選挙区選出の議員にしても、同じことだ。 維新の会に対し、既成政党からは「選挙互助会だ」という批判が出ている。 もっとも、民主党をふくめ離合集散を繰り返してきた日本の政党史を振り返ると、多くの新党にそうした側面があったことは否めない。 党員を集め、綱領や政策を練り、政治家を育てていく。政党がこうした地道な努力を怠ってきたから、議員は党首に「選挙の顔」の役割ばかりを求めたがる。所属する政党が劣勢と見るや、さっさと新しい政党に乗り換えていく。 こんなことでは、政党はますます弱り、政治が細っていくばかりだ。
昨日から先ほどまで妻の実家の墓参に行っていました。今朝の「朝日」の4面の記事を読み、「共産党のやったな!」と思ったのでした。
だが、それにしても、その記事の扱いを考えると、実はとんでもないことが判るので、簡単に。
それは何か。中国共産党のことをいろいろ批判している「朝日」だが、「朝日」の視点を使えば、「朝日」を始め、日本のマスコミは、ある意味、中国共産党の「人民日報」と同じだな、と思った。理由は、この共産党の活動をほとんどのマスコミ・マスメディアは黙殺に近い扱いだと思ったからだ。
「朝日」の一面には、「野田首相、大差で再選」「輿石幹事長に続投要請」とトップ記事。これは仕方ないとしても、その隣に「中国反日広がる波紋」「日本関係の本規制 日系工場スト続発」「中国共産党高官24日から訪日へ 尖閣国有化後で初」の見出しの記事。
今日の「朝日」の記事を読んだ国民、或いは今日のマスコミの記事を読んだり、観たりした国民は、共産党の中国大使との会談のやりとりは、ほとんど知らされないことになる。だが、同じ名前をもつ共産党の日本の共産党に対しては、中国共産党と同じレベルで見ることになる。こういう手法で共産党の伸張を抑えているのだろう。
このことについては、明日の各紙の記事に注目してみたい。ネットにもどのような反応が出ているか、も。
「朝日」 志位・共産党委員長「冷静に解決を」 中国大使と会談
共産党の志位和夫委員長は21日、在日中国大使館で程永華(チョンヨンホワ)駐日大使と会談し、尖閣諸島問題について「暴力はいかなる理由であれ許されない。冷静な態度で解決をはかるべきだ」と申し入れた。志位氏によると、程氏は「これ以上、事態をエスカレートさせないというのは同じ考え。対話での解決が、中国政府の基本的立場だ」と答えたという。
http://www.asahi.com/politics/intro/TKY201209210665.html?id1=2&id2=cabcajcc
同時に、だからこそ、日本の共産党の正念場は、これからだということも、強調しておきたい。大使の以下の言葉を、どのように検証し、日本共産党の立場を訴えていくか。まさに日本共産党の外交能力が試されているのだから。
程大使は、「注意深く聞きました。『提言』は、政府と党に報告します」と表明。「領有権に関しては立場が異なりますが、外交交渉による解決をはかるという点では、お互いの考え方は近いと思います」と述べました。さらに、「暴力行為は賛成しません。中国政府は冷静で理性的な行動を呼びかけ、警察は違法行為を取り締まると発表しています」と述べました。(引用ここまで)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-09-22/2012092201_01_1.html
今日の「赤旗」に「外交交渉による尖閣諸島問題の解決を」との志位委員長が日本国政府の申し入れした文書が掲載された。
この間、対中国問題については、以下の記事を書いた。
自力がないから勝てないと言ってしまった!中国にバシッと言っていないと見られてしまった共産党!2012-09-09 10:01:13
http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/f25834913b05e999789ac077d3c4a01d
日本共産党は「野党根性」を捨て政権担当能力を国民に示せ!そうすれば国民的共感は広がる!(2012-08-24 13:38:36 | 日記) http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/7dd78174c3691d7a523ba15dbdf4659f
日本共産党は科学的社会主義の立場から領土問題の解決を中国共産党へ訴えるべき、日米安保廃棄のために(2012-07-08 15:16:33 | 日記)
http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/cd5b81da432fc1a4253c9258c68725b9
今日は、この間の中国の国民と政府の事態を踏まえて、書いてみたい。
まず第一に、今回の文書は遅すぎた。この文書は「国有化」宣言の前後に出すべきだった。
第二に、尖閣「棚上げ」論に固執してきた自民党政権に対して、日本共産党はどのような態度と行動をとってきたのか、そのことが問われている。
第三に、日中共産党の正常化以後、日本共産党は、中国政府の政権政党である中国共産党に対して、この種の問題についてどのように対話をしてきたか、だ、このことは政府に対してだけではなく、政権をめざす日本共産党の態度も問われている。
例えば、文書の以下の部分を日本共産党に当てはめて考えてみたらどうだろうか。
(1)「見解」では、尖閣諸島問題を解決するためには、日本政府が、尖閣諸島の領有の歴史上、国際法上の正当性について、国際社会および中国政府に対して、理をつくして主張することが必要であることを、強調した。
(2)「領土問題は存在しない」という立場を棒をのんだように繰り返すだけで、中国との外交交渉によって、尖閣諸島の領有の正当性を理を尽くして主張する努力を、避け続けてきたということである。
(3)本来ならば、国交正常化、平和条約締結というさいに、日本政府は、尖閣諸島の領有の正当性について、理を尽くして説く外交交渉をおこなうべきであった。「棚上げ」という対応は、だらしのない外交態度だったといわなければならない。
(4)日本政府は、中国政府に対して、ただの一度も、尖閣諸島の領有の正当性について、理を尽くして主張したことはない。
(5)中国政府は、「釣魚島(尖閣諸島)は、日清戦争末期に、日本が不法に盗みとった」、「日本の立場は、世界の反ファシズム戦争の勝利の成果を公然と否定するもので、戦後の国際秩序に対する重大な挑戦である」などと、日本による尖閣諸島の領有を「日本軍国主義による侵略」だとする見解を繰り返しているが、日本政府は、これに対する反論を一度もおこなっていない
(6)領土に関わる紛争問題が存在することを正面から認め、冷静で理性的な外交交渉によって、日本の領有の正当性を堂々と主張し、解決をはかるという立場に立つべきである。
(7)領土問題の解決は、政府間の交渉のみならず、相手国の国民世論をも納得させるような対応が必要である。「日本軍国主義の侵略」だと考えている中国国民に対しても、過去の侵略戦争にたいする真剣な反省とともに、この問題をめぐる歴史的事実と国際的道理を冷静に説き、理解を得る外交努力こそ、いま求められている。
どうだろうか、この部分は先見性を誇ってきた日本共産党だからこそ、率先して取り組まなければならないことだ。
現在は野党であるというのは、理由にならない。
それは、野党外交の推進を方針としてきたこと、さらに言えば、民主連合政府を実現した場合、まさに、日本共産党の外交路線が問われていること、最後に言えば、こういう外交路線と実行力を示してこそ、統治能力を示してこそ、「政権を任してみるか」という国民的共感を獲得することができるのだ。
このことは民主党の経験が如実に示している。国民は、今回の政権交替劇を目の当たりに、多くのことを学んだ。そのことは政権をめざす日本共産党にとっても同じである。「野党根性」のままでは、いつまでたっても国民の信頼を獲得することはできない。
以上、今日の「赤旗」を見て、思ったことを率直に述べてみた。この間の中国の一部庶民の動きが日本国民に与えた「衝撃」はいろいろな意味で、日本共産党に跳ね返ってくるだろう。それほど国民の意識は敏感になっているのだ。ウソだと思うのであれば、街頭に出て、街の人々の声を訊いてみればいい。或いは独自に世論調査をやってみればいい。
愛国者の邪論が思うには、あの天安門事件の時のような衝撃的結果をもたらす事件であったことを感じているのだ。この日曜日に行われる、或いは来週の選挙でもいい。有権者の動向を敏感に捉えてみる必要があるだろう。愛国者の邪論も注視してきたい。
それにしても、志位・胡会談を北京で、或いは東京で、或いは南京か広島で開催することを呼びかけるような気構えが必要だろう。勿論相手のこともある。実現するかどうか、不明だ。政権党である中国共産党に対して野党である日本共産党が要請するのだから。
だが、もう一度言おう。日本の有権者は、同じ共産党として捉えているのだ。そのことを日本共産党の中央と全国各地で活動している草の根の根っ子の党員は肝に銘じるべきだろう。さもなければ、不幸なことが起こる可能性は大きいということだ。
またまた野田政権がやってくれた。この男、一体全体、どうなっちゃったんでしょうか?原発ゼロについては、政府自身のパブリックコメント(意見公募)で出た答えは、圧倒的国民は一刻も早く原発をゼロにしろという結果がだったじゃないか!
オスプレイ配備と運用も沖縄県ばかりか、当該自治体も反対しているというのに、そんなこといっさいお構いなしに、「安全を宣言」してしまった!
ちょうど大飯原発再稼動の時の「安全を宣言」した野田演説がウソであったように、今回もウソッパチであることは合意文書を読めば判る。
「できる限り」「可能な限り」「最小限に制限される」「基本的に」「運用上必要な場合を除き」「沖縄以外の場所で飛行訓練を行う可能性を検討する」「時間の経過とともに修正され得るものである」「常に、週末及び日本国の祭日における低空飛行訓練を、米軍の運用即応態勢上の必要性から不可欠と認められるものに限定する」「時折、低高度で運用されることから…日本国において低空飛行訓練を行う」「地上から300フィート以上の高度で飛行する。ただし、オスプレイの安全性を確保するために、その高度を下回る飛行をせざるを得ないこともある」「飛行訓練の間…といった場所の上空を避けて飛行することは、合衆国の航空機の標準的な慣行」
これらの言葉を読み取れば、万事好き勝手にできるということだ。そういうアメリカの無法訓練を「安全」と宣言したのだ。オスプレイの安全性の確保のために日本国民が犠牲になってもいいということを、これらの言葉は縷々述べている。やっぱり日本はアメリカの属国だろうな。アメリカ本土ではできない。「慣行」となっていることを、いとも簡単に、上記の言葉を使ってだませると思ったのだろう!だが、日本国民を馬鹿にしてはイカン!
これでお「トモダチ」作戦はチョーケシだな!
もう一つ言っておこう。それは、以上の決定の裏にあるのは、米倉経団連を中心とした財界三団体の記者会見にあったように、「脅し」だ。これぞ、伊イデオロギー攻撃と言える。財界総がかりのイデオロギー攻撃なのだ。
もう一つある。それは、第3次アーミテージ報告を出したアメリカの「脅し」だ。国民の要求より財界とアメリカの脅しに恐れおののいた野田政権は小泉以上のポチ!どじょう以下だな。
どれもこれも、領土問題の裏番組として、また尖閣に迫る中国の「脅威」に国民の眼を向かせている間に、その「脅威」と「抑止力」論、原発エネルギー依存と脅しを口実にした反革命運動の「脅し」の一定の「成果」だ。
だが、革命に対する反革命は、必ずや人民の運動によって真の革命に向けて一歩一歩反革命を包囲していくだろう。多数は国民だし、国民なくして、「権力もなし」なのだ。日本国における真の愛国者とは何か!これではっきりさせようじゃないか!
新宿駅における野田演説に対する民衆の怒りは、反革命に対する人民の革命の姿を示している。また自民党の総裁選挙の共同記者会見における原発ゼロ否定発言や「違いがほとんどない。誰か一人に投票する理由はどこにあるのか?」と外国人記者に言われてしまうような品のない政治家と見透かされている。
一刻も早く人民の代表だという勢力は、その政治的パフォーマンスによって局面を打開する手を打つことだな。それは橋下か、共産党か、公明党か、みんなの党か、国民の生活が第一か、みどりの党か、それとも他の政党か?
どんぐりの居並ぶ永田界隈に霞むムラにも陽のさす党とは