愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

終戦直後の文部省の教科書「民主主義」を取り上げた下野新聞に大アッパレ!日本の民主主義の原点とは

2015-06-08 | 時代錯誤の安倍式教育再生

「米国の民主主義」ではなく「日本型民主主義」こそ!

以下の下野新聞の社説に以下の記事がありました。「米国の民主主義」と呼んで、安倍首相のデタラメ演説を想い出しました。

憲法が押し付けられたという安倍首相がアメリカ議会で押し付け憲法改正を論じなかった! 2015-05-03 09:16:15 | 憲法

 安倍首相『希望の同盟へ』米上下両院合同会議の演説全文(原文対訳付き)

 米国連邦議会上下両院合同会議における安倍内閣総理大臣 ... - 首相官邸 2015年4月29日http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2015/0429enzetsu.html

おりしも、違憲法案が審議中ですが、安倍首相のポツダム宣言読んだない発言があり、安倍首相の侵略戦争無反省と正当化がいっそう浮き彫りになったなかで、また安倍首相の「教育再生」主義の強行のなかで、この文部省著作教科書『民主主義』をとりあげることは大変な意義があると思います。そこで、このタイムリ―な記事を、愛国者の邪論なりに考えてみることにしました。問題意識は、以下のとおりです。

1.ここで打ち出されている「民主主義」観が戦後自民党政治の中で形骸化されてきたことを考える。

2.安倍首相の打ち出す積極的平和主義=侵略主義と70年談話問題と結びつける。

3.この教科書とセットで発行された「あたらしい憲法のはなし」と一緒に考える。

4.ここで打ち出された「民主主義」が日本国憲法の中に位置づけられていることを確認しながら、これを活かしていくためには何が必要か、考える。

5.日本国憲法と民主主義は、外国の借り物ではなく、日本の歴史の中で構築されてきたことを考える。

6.この教科書で書かれている日本の「民主主義」を、日本国憲法を使って発展させる展望を考える。

7.特に、現在の自民党長期政権の打破と関係させることと、今後の展望を含めて「第11章 民主主義と独裁主義」にある「プロレタリアの独裁」「共産主義と民主主義」を踏まえて「日本型共産主義」について考える。

米国のデモクラシー

下野新聞/2015/6/8 10:06
http://www.shimotsuke.co.jp/special/raimei/201506/1984550

終戦直後に文部省が著作した「民主主義」という教科書があった。民主主義を日本再建の柱に据えようとの気概が感じられる本だ。「お手本」は当然米国なのだろうが、ことはそう単純でない

▼18世紀末の独立・憲法制定以降長い間、民主主義(デモクラシー)は米国では忌むべき思想と思われていた。建国の指導者の大半は「衆愚政治に堕する恐れのある単なるデモクラシー」に反対だった

▼南北戦争後に共和党は党綱領で「南部のデモクラシー」に触れたが、敵対する民主党が南部で黒人差別を行っていることを非難したもの。共和党にとってデモクラシーは「民主党支配の政治」のことであり、「主権在民の政治」との認識はなかった

▼大正大の倉島節尚(くらしまときひさ)名誉教授によると、日本でも戦前の国語辞典「大言海」は民主主義を「下流の人民」による政治、と説明した。変化が起きたのは、1933年に民主党のルーズベルト大統領が就任してから。大戦を挟んで半世紀の間、民主党優位の時代が続いた

▼民主主義はようやく米国を象徴する理念として定着し始める。共和党が初めて党綱領で民主主義を肯定的に評価したのは米ソ冷戦のさなか、60年の大統領選挙の時だ

▼教科書「民主主義」が発行されてから十数年後だ。日本は国是としての民主主義を米国より先に取り入れたのかも。引用ここまで

文部省「民主主義」には何が書かれているか!

文部省著作教科書「民主主義」を読んで 2012年09月29日 http://blog.livedoor.jp/dammats/tag/%E6%96%87%E9%83%A8%E7%9C%81%E8%91%97%E4%BD%9C%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8%E3%80%8C%E6%B0%91%E4%B8%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%80%8D%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%93%E3%81%A7

第1章 民主主義の本質

第2章 民主主義の発達

第3章 民主主義の諸制度

第4章 選挙権

第5章 多数決

第6章 目ざめた有権者

第7章 政治と国民

第8章 社会生活における民主主義

第9章 経済生活における民主主義

第10章 民主主義と労働組合

第11章 民主主義と独裁主義

第12章 日本における民主主義の歴史

明治初年の自由民権運動 日本で「公議輿論」に基づく政治の発端となったのは、奇しくもペリー来航だった。公議輿論を尊重する機運は、明治政府にも引き継がれた。「四民平等」も民主主義の前進であった。その後、欧米の民主主義や議会制度に対する理解も進み、自由民権運動が盛り上がった。

明治憲法の制定 大日本帝国憲法」は、プロシアをはじめドイツの国々の憲法を土台に草案が起草され、明治22年2月11日に発布、翌明治23年11月29日から施行された。アジアとしては最初の近代的成文憲法であった。日本は立憲君主国としての歩みを始めたのである。

明治憲法の内容 明治憲法は「欽定憲法」である。主権は天皇に存するため、その制定はおろか改正にも国民は参加できなかった。しかし、この憲法には、「天皇の政治」という建前を崩さない限り、民主主義の要素は相当に盛り込まれていた。しかしその一方で、民主主義の発達を抑え、独裁政治を行うことも不可能ではないような「隙」が数多くあったことも否定できない。

日本における政党政治 明治憲法が施行された当初は、多数党をも無視して政治を行う「超然内閣」が主流であった。しかし、政党が力を付け、超然内閣では議会の収拾が困難になると、やがて「政党政治」の時代が訪れた。当時の政治の実権は、依然元老の手にあったが、大正14年に25歳以上の男子には原則として選挙権を認めるという普通選挙法が成立し、最初の総選挙では初めて無産政党も加わった。

政党政治の末路 次第に発達してきた日本の民主主義が破綻した原因は主に3つある。第一に政党政治の腐敗、第二に左翼思想の弾圧に伴う右翼勢力の強まり、第三に軍部の台頭である。当時はテロやクーデターが多発しており、その都度、政治の要人が暗殺されていた。かくして軍閥は独裁体制を確立していき、ついには太平洋戦争にまで拡大されるに至った。

第13章 新憲法に現れた民主主義

日本国憲法の成立 戦後の日本の政治形態を、ポツダム宣言の示した方針に従って確立するには憲法が必要であった。しかし、先述の通り明治憲法は欽定憲法である上に、民主主義の発達を妨げる様々な制度を含んでいたため、憲法を根本から改めることとなり、紆余曲折を経て「日本国憲法」が制定された。

国民の主権 新憲法では主権者は天皇から国民に変更された。われら国民は、もはや臣民ではなく、自由で平等な国民として、自ら主権者となった。一方、天皇は単なる象徴となり、何らの政治的権力を持たなくなった。

国会中心主義 国会は唯一の立法機関であり、立法に際して他の国家機関の協力を必要としない点、国会以外に法律を作ることができる国家機関は存在しない点が、明治憲法とは根本から異なる点である。また、国会は内閣よりも優越した地位を占めており、内閣総理大臣は国会の指名が必要となる。

違憲立法の審査 最高裁判所は、司法権を行使するだけでなく、「違憲立法審査権」をも有している。新憲法では、最高裁判所の裁判官は、10年毎に「国民審査」を受けなければならず、不適任票多数の場合は罷免される。

国民の基本的権利 民主主義は、自立の精神と自助の態度を重んずる。よって、国民の基本的権利を平等に保護し、他人の自由を侵さない限度において各人の人間としての自由を確立する必要がある。そこで、新憲法では、言論の自由・信教の自由・恐怖からの自由・欠乏からの自由などを保障している。

第14章 民主主義の学び方

第15章 日本婦人の新しい権利と責任

第16章 国際社会における民主主義

民主主義と世界平和 民主主義は、世界平和の最も大切な条件となる。なぜならば、民主主義は「国民の政治」であり、国民の多数の意志が政治を動かす仕組みになっていれば、戦争の起こる恐れは非常に少なくなるからである。

国際民主主義と国際連合 「国際連合」は、国際平和の維持を主たる目的とし、経済的・社会的な国際協力を増進しようとする国際組織である。国際連合は、国際連盟に比べると、「安全保障」という点ではるかに強力な制度を備えている。「安全保障理事会」がそれであるが、原則として多数決原理を採用しているにもかかわらず、「大国の拒否権」が認められている。そこで最近では、法律上の拘束力はないものの、国際紛争を「総会」で処理しようとする傾向が生じてきている。また、「経済社会理事会」では国際的な経済・社会・文化・教育・保健の問題についての委員会が設けられて、これらの問題を研究し、それに基づいて総会屋加盟国に対する勧告が行われる。

世界国家の問題 世界国家の思想は古くから存在した。すべての国家が国際法に従い、相互の協約を重んじ、あい携えて平和の維持に協力すべき義務を負っていることは確かだが、現実の問題としては、容易に乗り越えることができない難関が横たわっている。形の上での世界国家の建設よりも、真の民主主義の精神を全世界に広める方が先決であるというべきであろう。

ユネスコ これまで試みられた平和のための努力は、あまりにも政治的な方面にのみ傾き過ぎていた。人間の精神の奥底に平和の鍵を求めることは、今までおろそかにされてきただけに、これからは最も力を注ぐべき仕事であると言えよう。「ユネスコ」は、教育・科学および文化を通じて国際平和に貢献することを目的とする国際協力の組織である。

日本の前途 「戦争の放棄」に対する不安には、国々の協力を信頼し、全力をあげて経済の再興と文化の建設に努めていくほかはない。「狭い国土」に対する不安には、わが国の技術と勤勉、加えて科学の力を活用すれば、海外貿易とあいまって日本国民の経済生活の前途にも明るい希望が輝くであろう。日本国民は、このような文化国家建設への不屈の意志を持って、ひたすらに民主主義的な国際協力の道につき進んでいかなければならない。

第17章 民主主義のもたらすもの

民主主義は何をもたらすか 国民が心を合わせて民主主義的な生活を実行していくためには、民主主義は国民の将来に対して何を約束するか、民主主義のもたらすものは何であるかを、はっきりとつかんでおくことが必要である。

民主主義の原動力 民主主義の原動力は、国民の、自分自身に対する信頼の精神である。自分自身に対する信頼を失った国民は、必ず他力本願の独裁主義に走る。民主主義は国民自らが築く。民主主義のもたらすものは、国民自らの努力のもたらすものにほかならない。生存と幸福と繁栄を求める意欲が、あらゆる人間生活の原動力であるという事実こそ、民主主義によって何がもたらされるかを最も確かに約束する。

民主主義のなしうること 天然資源に乏しく人口過剰に大きな悩みをもつ日本の再建は多難を極めるだろう。しかし、困難な現実を直視しつつ、それをいかに打開するかを工夫し、努力することによってのみ、創造と建設は行われる。そうして、国民こぞっての努力に、筋道と組織とを与えるものが、民主主義なのである。

協同の力 民主主義は、無から有を作りあげることはできない。しかし、一見不可能のようなことを可能ならしめる力を持っている。それは、協同の力であり、組織の力である。

討論と実行 意見の対立も、対立する意見の間の争いも、国民が協同の力を発揮して困難に打ち勝つための討論の範囲を越えてはならない。それが、民主主義の規律である。議論するのもよい。が、まず働こう。やってみよう。(引用ここまで

文部省著作教科書『民主主義(上・下)』(1948・1949年刊)

(1)【学校教育の刷新】(第十四章 民主主義の学び方、二)

http://university.main.jp/blog3/archives/2006/11/19481949.html

・・・(略)・・・これまでの日本の教育は、一口でいえば、「上から教えこむ」教育であり、「詰めこみ教育」であった。先生が教壇から生徒に授業をする。生徒はそれを一生けんめいで暗記して、試験を受ける。生徒の立場は概して受け身であって、自分で真理を学びとるという態度にならない。生徒が学校で勉強するのは、よい点を取るためであり、よい成績で卒業するためであって、ほんとうに学問を自分のものにするためではなかった。よい成績で卒業するのは、その方が就職につごうがよいからであり、大学で学ぼうというのも、主としてそれが立身出世のために便利だからであった。そのような受け身の教育や、手段としての勉強では、身についた学問はできない。それどころか、多くの人々は、試験が済んだり、学校を出たりすると、それまで勉強したことの大半は忘れてしまうというふうでさえあった。

そのうえに、もっと悪いことには、これまでの日本の教育には、政府のさしずによって動かされるところが多かった。だから、自由な考え方で、自主独往の人物を作るための教育をしようとする学校や先生があっても、そういう教育方針を実現することはきわめて困難であった。しかも政府はこのような教育を通じて、特に誤った歴史教育を通じて生徒に日本を神国であると思いこませようとし、はては、学校に軍事教練を取り入れることを強制した。「長いものに巻かれろ」という封建思想は、教育者の中にも残っていたし、政府の権力は反対を許さないほどに強いものであったために、日本の教育は「上からの権威」によって思うとおりに左右されるようになり、たまたま強く学問の自由を守ろうとした学者は、つぎつぎに大学の教壇から追われてしまった。このようにして、政治によってゆがめられた教育を通じて、太平洋戦争を頂点とする日本の悲劇が着々として用意されていったのである。

がんらい、そのときの政策が教育を支配することは、大きなまちがいのもとである。政府は、教育の発達をできるだけ援助すべきではあるが、教育の方針を政策によって動かすようなことをしてはならない。教育の目的は、真理と正義を愛し、自己の法的、社会的および政治的の任務を責任をもって実行していくような、りっぱな社会人を作るにある。そのような自主的精神に富んだ国民によって形作られた社会は、人々の協力によってだんだんと明るい、住みよいものとなっていくであろう。そういう国民が、国の問題を自分自身の問題として、他の人々と力を合わせてそれを解決するように努力すれば、しぜんとほんとうの民主政治が行われるであろう。制度だけが民主主義的に完備しても、それを運用する人が民主主義の精神を自分のものにしていないようでは、よい結果はけっして生まれてこない。教育の重要さは、まさにそこにある。

ことに、政府が、教育機関を通じて国民の道徳思想をまで一つの型にはめようとするのは、最もよくないことである。今までの日本では、忠君愛国というような「縦の道徳」だけが重んぜられ、あらゆる機会にそれが国民の心に吹きこまれてきた。そのために、日本人には、何よりもたいせつな公民道徳が著しく欠けていた。

公民道徳の根本は、人間がお互いに人間として信頼しあうことであり、自分自身が世の中の信頼に値するように人格をみがくことである。それは、自分の受け持っている立場から、いうべきことは堂々と主張すると同時に、自分のしなければならないことを、常に誠実に実行する心構えである。社会共同の生活を営むすべての個人は、それぞれその受け持つ仕事を誠意をもってやりとげていく責任がある。人々が、おのおのその責任を重んじ、そのうえでお互に信頼しあい、協力しあうのでなければ、民主主義の理想はとうてい実現できない。その意味で、われわれは、日本人をこれまで支配してきた「縦の道徳」の代わりに、責任と信頼とによって人々を結ぶ「横の道徳」を確立していかなければならない。・(引用ここまで

文部省著作教科書民主主義」(抜粋)http://homepage3.nifty.com/yeonso/edu3.htm

「あたらしい憲法のはなし」には何が書かれているか!

文部省『あたらしい憲法のはなし』 http://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html

二 民主主義とは

こんどの憲法の根本となっている考えの第一は民主主義です。ところで民主主義とは、いったいどういうことでしょう。みなさんはこのことばを、ほう/″\できいたでしょう。これがあたらしい憲法の根本になっているものとすれば、みなさんは、はっきりとこれを知っておかなければなりません。しかも正しく知っておかなければなりません。
 みなさんがおゝぜいあつまって、いっしょに何かするときのことを考えてごらんなさい。だれの意見で物事をきめますか。もしもみんなの意見が同じなら、もんだいはありません。もし意見が分かれたときは、どうしますか。ひとりの意見できめますか。二人の意見できめますか。それともおゝぜいの意見できめますか。どれがよいでしょう。ひとりの意見が、正しくすぐれていて、おゝぜいの意見がまちがっておとっていることもあります。しかし、そのはんたいのことがもっと多いでしょう。そこで、まずみんなが十分にじぶんの考えをはなしあったあとで、おゝぜいの意見で物事をきめてゆくのが、いちばんまちがいがないということになります。そうして、あとの人は、このおゝぜいの人の意見に、すなおにしたがってゆくのがよいのです。このなるべくおゝぜいの人の意見で、物事をきめてゆくことが、民主主義のやりかたです。
國を治めてゆくのもこれと同じです。わずかの人の意見で國を治めてゆくのは、よくないのです。國民ぜんたいの意見で、國を治めてゆくのがいちばんよいのです。つまり國民ぜんたいが、國を治めてゆく――これが民主主義の治めかたです。
しかし國は、みなさんの学級とはちがいます。國民ぜんたいが、ひとところにあつまって、そうだんすることはできません。ひとり/\の意見をきいてまわることもできません。そこで、みんなの代わりになって、國の仕事のやりかたをきめるものがなければなりません。それが國会です。國民が、國会の議員を選挙するのは、じぶんの代わりになって、國を治めてゆく者をえらぶのです。だから國会では、なんでも、國民の代わりである議員のおゝぜいの意見で物事をきめます。そうしてほかの議員は、これにしたがいます。これが國民ぜんたいの意見で物事をきめたことになるのです。これが民主主義です。ですから、民主主義とは、國民ぜんたいで、國を治めてゆくことです。みんなの意見で物事をきめてゆくのが、いちばんまちがいがすくないのです。だから民主主義で國を治めてゆけば、みなさんは幸福になり、また國もさかえてゆくでしょう。
國は大きいので、このように國の仕事を國会の議員にまかせてきめてゆきますから、國会は國民の代わりになるものです。この「代わりになる」ということを「代表」といいます。まえに申しましたように、民主主義は、國民ぜんたいで國を治めてゆくことですが、國会が國民ぜんたいを代表して、國のことをきめてゆきますから、これを「代表制民主主義」のやりかたといいます。
しかしいちばん大事なことは、國会にまかせておかないで、國民が、じぶんで意見をきめることがあります。こんどの憲法でも、たとえばこの憲法をかえるときは、國会だけできめないで、國民ひとり/\が、賛成か反対かを投票してきめることになっています。このときは、國民が直接に國のことをきめますから、これを「直接民主主義」のやりかたといいます。あたらしい憲法は、代表制民主主義と直接民主主義と、二つのやりかたで國を治めてゆくことにしていますが、代表制民主主義のやりかたのほうが、おもになっていて、直接民主主義のやりかたは、いちばん大事なことにかぎられているのです。だからこんどの憲法は、だいたい代表制民主主義のやりかたになっているといってもよいのです。
みなさんは日本國民のひとりです。しかしまだこどもです。國のことは、みなさんが二十歳になって、はじめてきめてゆくことができるのです。國会の議員をえらぶのも、國のことについて投票するのも、みなさんが二十歳になってはじめてできることです。みなさんのおにいさんや、おねえさんには、二十歳以上の方もおいででしょう。そのおにいさんやおねえさんが、選挙の投票にゆかれるのをみて、みなさんはどんな氣がしましたか。いまのうちに、よく勉強して、國を治めることや、憲法のことなどを、よく知っておいてください。もうすぐみなさんも、おにいさんやおねえさんといっしょに、國のことを、じぶんできめてゆくことができるのです。みなさんの考えとはたらきで國が治まってゆくのです。みんながなかよく、じぶんで、じぶんの國のことをやってゆくくらい、たのしいことはありません。これが民主主義というものです。

三 國際平和主義

國の中で、國民ぜんたいで、物事をきめてゆくことを、民主主義といいましたが、國民の意見は、人によってずいぶんちがっています。しかし、おゝぜいのほうの意見に、すなおにしたがってゆき、またそのおゝぜいのほうも、すくないほうの意見をよくきいてじぶんの意見をきめ、みんなが、なかよく國の仕事をやってゆくのでなければ、民主主義のやりかたは、なりたたないのです。

これは、一つの國について申しましたが、國と國との間のことも同じことです。じぶんの國のことばかりを考え、じぶんの國のためばかりを考えて、ほかの國の立場を考えないでは、世界中の國が、なかよくしてゆくことはできません。世界中の國が、いくさをしないで、なかよくやってゆくことを、國際平和主義といいます。だから民主主義ということは、この國際平和主義と、たいへんふかい関係があるのです。こんどの憲法で民主主義のやりかたをきめたからには、またほかの國にたいしても國際平和主義でやってゆくということになるのは、あたりまえであります。この國際平和主義をわすれて、じぶんの國のことばかり考えていたので、とうとう戰爭をはじめてしまったのです。そこであたらしい憲法では、前文の中に、これからは、この國際平和主義でやってゆくということを、力強いことばで書いてあります。またこの考えが、あとでのべる戰爭の放棄、すなわち、これからは、いっさい、いくさはしないということをきめることになってゆくのであります。

六 戰爭の放棄

そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
 もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、けっして戰爭によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。また、戰爭とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戰爭の放棄というのです。そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。

十五 最高法規

 

このおはなしのいちばんはじめに申しましたように、「最高法規」とは、國でいちばん高い位にある規則で、つまり憲法のことです。この最高法規としての憲法には、國の仕事のやりかたをきめた規則と、國民の基本的人権をきめた規則と、二つあることもおはなししました。この中で、國民の基本的人権は、これまでかるく考えられていましたので、憲法第九十七條は、おごそかなことばで、この基本的人権は、人間がながいあいだ力をつくしてえたものであり、これまでいろ/\のことにであってきたえあげられたものであるから、これからもけっして侵すことのできない永久の権利であると記しております。
 憲法は、國の最高法規ですから、この憲法できめられてあることにあわないものは、法律でも、命令でも、なんでも、いっさい規則としての力がありません。これも憲法がはっきりきめています。
 このように大事な憲法は、天皇陛下もこれをお守りになりますし、國務大臣も、國会の議員も、裁判官も、みなこれを守ってゆく義務があるのです。また、日本の國がほかの國ととりきめた約束(これを「條約」といいます)も、國と國とが交際してゆくについてできた規則(これを「國際法規」といいます)も、日本の國は、まごころから守ってゆくということを、憲法できめました。
 みなさん、あたらしい憲法は、日本國民がつくった、日本國民の憲法です。これからさき、この憲法を守って、日本の國がさかえるようにしてゆこうではありませんか。(引用ここまで


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3 コメント

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Unknown (Unknown)
2018-03-16 15:53:12
「あたらしい憲法のはなし」は、中学生の時に読んだ記憶があるが、改めて、読むと「最高法規」について正しく解説しているね。 憲法が最高法規であるのは、基本的人権について規程しているから最高法規なのだという事を。 共産党支持者の一部は、日本国憲法は最高法規であって、憲法違反の自衛隊!とか言ってきたが、基本的人権の根本である生存権を守るための自衛隊が憲法違反であるはずも無く、そう誤解させる条文、憲法9条こそが憲法違反なんだよね。何でこうなったかは、9条の条文を後から加えたからで、それは、英文和訳のような日本国憲法の中でも9条の条文だけ書いた人が違うのが、文体で分かる。 
返信する
民主主義のウェブページ (藤田伊織)
2021-05-23 15:00:25
民主主義 文部省制定 実際の執筆は尾高朝雄1948年(昭和23年)10月30日発行を著作権保護期間満了のため、電子データ化してウェブページに公開しています。e-book(.epub)でもお読みいただけます。
http://wisteriafield.jp/democracy/index.html
是非多くの少年少女、大人の皆さんに読んでいただきたいのです。フリーです。無料です。
現在英訳を進めております。
返信する
戦後原点は民主主義=憲法! (愛国者の邪論)
2021-05-25 00:01:26
藤田伊織さん
コメントありがとうございます。
拡散したいですね。
ご紹介、
ありがとうございます。
返信する

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