愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

元タイガース瞳みのるさんの平和哲学「政治や国境の壁があっても共通のメロディーでコミュニケーションすれば地球はもっと狭くなり、お互いもっと理解しあえるでしょう」これぞ憲法平和主義!

2017-09-15 | 芸能人と平和

青春時代が蘇る!

憲法思想は永遠だな!

日本の2千年の歴史の最高到達点が、我が憲法!

森本タローとスーパースター『ロンググッバイ』

https://www.youtube.com/watch?v=1Ad-VbLD0yg

道(길) / 瞳みのる(히토미 미노루)

https://www.youtube.com/watch?v=93BECB7rk-M

沢田研二 我が窮状

https://www.youtube.com/watch?v=7qnCuckLIbA

【特集】ザ・タイガースのピー、日中台で活動     教師からドラマーに     2017/9/14 16:02

https://this.kiji.is/280956455937867780?c=39546741839462401

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台北市内のライブハウスで、ドラムの音を確認する瞳みのるさん=8月(共同)
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瞳みのるさん(共同)
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2016年10月に北京で開いたコンサートの様子(オフィス二十二世紀提供・共同)
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台北市内のライブハウスでドラムをたたく瞳みのるさん=8月(共同)

 1960年代後半にグループサウンズの頂点に立ったザ・タイガースの元メンバーで、「ピー」の愛称で人気を博したドラマーの瞳みのるさん(70)は人生の第3ステージとして日本、中国、台湾をまたぐ音楽活動を展開している。昨年の中国に続いて12月16日に台湾で初のコンサートを開く。音楽や当時の仲間と関係を断っていた瞳さんが交流を復活し、音楽の世界へ戻っていく人生の軌跡はドラマチックだ。

 ▽アイドル路線に反発

 「10年後に会おう、君らはきっと乞食になっているだろう」。71年1月24日、日本武道館での解散コンサートを終えた後の送別会で瞳さんは仲間にこうたんかを切って別れた。家財道具一切を積んであったトラックでそのまま郷里の京都へ出発。その後、30年以上会うことはなかった。

 ザ・タイガースは瞳さんを中核に生まれた。森本太郎さん(タロー)は瞳さんの小学校の同級生、岸部一徳さん(サリー)は中学校の同級生、加橋かつみさん(トッポ)は高校の同級生。4人でバンドを組んだ後、沢田研二さん(ジュリー)が最後にボーカルとして加わった。後に加橋さんの後釜として入った岸部四郎さんは一徳さんの弟だ。京都・大阪で「ファニーズ」として名をはせた後、上京。渡辺プロダクションから「ザ・タイガース」としてデビューし、大ブレークする。

 だが瞳さんはプロダクションのアイドル路線や商業主義に反発があった。仲間同士も仕事に対する考え方の違いなどからけんかが絶えなかったようだ。70年安保闘争やベトナム反戦運動が盛り上がっていた時代だった。

 瞳さんは作家の柴田錬三郎さん(故人)と知り合い、中国文学に引かれていく。進学を決意し、解散後に定時制高校に復学、翌年には慶応大文学部に入学。卒業後は慶応高校で漢文・中国語教師を33年間務めた。ほかのメンバーがいずれも歌手や俳優などとして芸能界で活動を続けたのとは対照的だった。

 柴田さんや妻から、芸能界とは縁を切るよう言われていたこともあり、元メンバーとは一切接触しなかった。2人の子どもたちは高校を卒業するまで父親がザ・タイガースで活躍したことを知らなかったという。

 仲間たちの間にどんなわだかまりがあったのか。それぞれに語り尽くせない思いがあるだろう。だが人生では時間が解決することもある。

 岸部一徳さんと沢田さんが作詞し、森本さんが作曲した「ロング・グッバイ」は瞳さんへの思いを伝える歌だった。

 「こんなに長い別れになるなんて あの時は思わなかった…僕らはきれいな大人になれたかな…30年以上すきまは重いけど 今なら笑いあいたい…本当に 本当に 君のこと いつも いつも 気にかけてる…一度酒でも飲まないか♪」

 ▽現代の相聞歌

 2008年、瞳さんは職場の同僚からNHKの歌番組で沢田さんがこの歌を歌っていたと教えられた。以前見知らぬファンから贈られ、聴かずにそのまま引き出しにしまってあったCDを初めて聴いて、再会へと気持ちが動いた。

 ソロ歌手として一時代を築いた沢田さんにも当時の別れがしこりになっていたようだ。瞳さんと偶然出会うことを期待して瞳さんの行きつけの居酒屋に時々顔を出していたというが、店ではすれ違いのままだった。

 ちょうどこのころ、瞳さんは次の人生のステージを考え始めていた。おでん屋をやろうかと調理師の免許も取った。だが「自分がかつて熱中した音楽や、仕事にしてきた中国や文学など全てを生かせることがしたい」と考えるようになっていた。

 そして08年12月、渋谷で仲間たちと37年ぶりに再会。森本さんは店先で会うなり泣きだしたという。

 瞳さんとしては、かたくなに仲間を拒否していたということでもないようだ。自著「ロング・グッバイのあとで」(集英社)では、「メンバーに対する怒り」があったという臆測に「そんなに単純ではない」と反論している。ラジオ番組では、子育てなど日々の生活に追われて忙しかったとも語っている。

 教員時代は、中国語のテキストを出版。生徒たちの奇術部などの顧問も務めたが、音楽の世界には近づかなかった。

 09年、瞳さんは返歌として「道」をつくった。

 「しばらく 独りいて 風雨 過ぎ去った 思えば 昨日のよう 時に誤り 涙した…道はある 君がいる 僕の心に君がいる♪」

 相聞歌のように互いに気持ちを表現するなかでわだかまりは解きほぐされていった。

 10年、定年まで2年を残して教員生活に終止符を打ち、再びスティックを握った。11年に沢田さんのライブに参加。13年にはザ・タイガースのオリジナルメンバーによる全国ツアーコンサートが実現した。

 ▽国境超える曲

 瞳さんは教員時代に中国と向き合うなかで、さまざまなメロディーが日中台で共有されていることに気がついた。例えば米国由来の唱歌「旅愁」は明治期に来日した中国人留学生が中国に持ち帰り「送別」という題で広まった。「仰げば尊し」も原曲は米国の卒業歌で日本や日本統治下の台湾で定着した。

 流行歌では沢田さんが70年代に歌った「時の過ぎゆくままに」が台湾で中国語カバー曲がつくられた後、中国でも流行した。「アジアの歌姫」と呼ばれた台湾人テレサ・テンさん(故人)の曲は日本に続いて中国でもヒットした。メロディーは国境を越えていく。日本や中華圏に共通する唱歌や流行歌を双方の言葉で歌うことは瞳さんだからこそできることだ。

 昨年は北京で公演を行い、「旅愁」のメロディーが流れると中国人客が「送別」を歌いだし、会場が一つになった。

 12月16日の台北での公演では瞳さんが自分でつくったり、訳したりした中国語や日本語の歌詞も披露する。8月末には準備のため訪台し、会場となるライブハウスでドラムの音を確かめた。

 日中関係は歴史や領土の問題でぎくしゃくし、中台は台湾の政権交代で冷え込み、日台は良好だが外交関係がない。だが瞳さんは音楽の力を信じている。「政治や国境の壁があっても共通のメロディーでコミュニケーションすれば地球はもっと狭くなり、お互いもっと理解しあえるでしょう」

 グループサウンズ、中国文学研究者、高校教師というプロセスを経て再び音楽の世界に帰ってきた。そこにはたどってきた人生の全てが詰まっている。(共同通信=台北支局長・塩沢英一)(引用ここまで)

 

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窪塚洋介さん、大アッパレ!この国の政府の連中は、ほかの国に1兆円とかバラまくのに、この国の弱者に目を向けようとしない!震災で、弱者がたくさん生まれました。原発再稼働も「この国を切り売りしてる」!

2017-01-23 | 芸能人と平和

今の日本に一番大切なことを語った窪塚洋介さんに大拍手!

この目線を全ての弱者に!

沈黙を破って声をあげよう!

 日刊スポーツ  窪塚洋介「悪魔のような連中」政府の原発対応を批判 2017年01月22日 05:01 

http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=voice&id=4395774

マーチン・スコセッシ監督(74)の新作映画「沈黙-サイレンス-」が21日、日本公開初日を迎え、窪塚洋介(37)ら日本人出演者が東京・日比谷のTOHOシネマズスカラ座で舞台あいさつを行った。

“弱者”の隠れキリシタンを演じた窪塚は「東北大震災でたくさんの弱者が生まれました。他の国に何兆円もばらまき倒しているのに、自分の国の弱者に目もくれない。福島の原発は人災。あれだけのことがあっても再稼働なんて、危ねーっつうの。悪魔のような連中たちが、この国を切り売りしている」と事実上、政府の対応を批判。続けて「映画のように神が沈黙してるし、自分自身の心の中の答えを出して生きていかないといけない。今、この時代に必要な映画だと思う」とPRした。浅野忠信、塚本晋也、イッセー尾形、小松菜奈が出席。

窪塚洋介、スコセッシが命をかけた『沈黙』初日に思いのたけを語る!

シネマトゥデイ     2017年01月21日 16:42  

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=4395407&media_id=14

俳優の窪塚洋介が21日、TOHOシネマズスカラ座で行われた映画『沈黙-サイレンス-』初日舞台あいさつに出席、公開の喜びと共に、本作が持つ弱者へのまなざしが政府にはないと痛烈なメッセージを送った。この日は浅野忠信、イッセー尾形、塚本晋也、小松菜奈らも来場した。

キリシタン弾圧の嵐が吹き荒れる江戸時代を舞台とした遠藤周作の小説「沈黙」にほれ込んだ巨匠マーティン・スコセッシ監督が、28年間、映画化を熱望してきた本作。日本を代表する実力派俳優たちがオーディションで役柄を獲得した。満席の会場を見渡した窪塚は「(本作に出演する)リーアム・ニーソンです。なんちゃって」とジョークで沸かせると、「映画をご覧になっていただいた後にお話をするのは初めて。一言で言えるような作品ではありません。舞台あいさつを楽しんでもらう中で、映画を思い出してもらえたら」とあいさつした。

一方、アカデミー賞前哨戦となる第42回ロサンゼルス映画批評家協会賞で、助演男優賞次点に選出された井上筑後守役のイッセーは「映画を見終わった後も言葉にならなかったが、3日くらいたってポツポツと言葉になった。そういう感動ってあるんだなと、生まれて初めて感じました」としみじみ。塚本も「長かったですね。(参加が決まってから)8年くらいかかって。ついこの間もアフレコをやっていてそわそわしていましたけど、その心配がなくなるんですね。ホッとしたような、もっとそわそわしていたいような」と晴れやかな顔をみせた。

また、社会的弱者をテーマとした本作にちなみ、「本作が社会に問いかけるメッセージをどう考えるか」という質問を投げられた登壇者たち。小松が「いろんな人に観てもらいたいですが、特に自分と同世代の若い人に観てもらいたい。自分もそうなんですが、普段は明るくてハッピーな映画を観に行きがち。でも、こういう考えさせるような、映画も体感していただけたらうれしいなと思います」と呼びかけた。

そして窪塚は「今から話すことはきっと新聞に載らないと思いますが聞いてください」と切り出すと、「2011年3月11日に震災が起こって、そこでたくさんの弱者が生まれました。それなのにこの国の政府は、海外にお金はばらまくのに、この国の弱者には目も向けない」とキッパリ。「俺も菜奈ちゃんが言った通り、ハッピーな映画が大好きです。でもこの映画は今の時代に必要な映画だと思うし、スコセッシ監督は命をかけてこの映画を(特別上映された)バチカンに届けて戦った。その気持ちをくんでくれたら俺はうれしいし、より良い明日が届くことを信じてやみません」と会場に呼び掛け、会場からの拍手を浴びた。(取材・文:壬生智裕)    映画『沈黙-サイレンス-』は全国公開中

窪塚洋介、『沈黙』と日本の現状を重ね「いまの時代に必要」と訴える

http://www.cinemacafe.net/article/2017/01/21/46480.html

マーティン・スコセッシ監督が遠藤周作の小説を映画化した『沈黙-サイレンス-』が1月21日(土)に公開を迎え、日本人キャストの窪塚洋介、浅野忠信、イッセー尾形、塚本晋也、小松菜奈が舞台挨拶に登壇した。

【画像】初日舞台挨拶に登壇したキャスト陣

窪塚さんはスコセッシ監督の演出について「(自身が演じた)キチジローの人となりについて、具体的に演出された記憶はない」と明かし、既にオーディションの時点で「冗談で『カメラを回せ』と言い、『お前はもうキチジローだから』と言ってくれるくらい、僕の中のキチジロー像を信頼してくれていた」と語る。実際、現場でも「Amazing!」「Great!」などと称賛されていたそうだが「1月5日のL.A.でのプレミアで作品を観て初めて気づき、ハッとしたんですが、キチジローがピュアにイノセントに見える芝居の部分は一切、使われていなかったし、僕が(ハリウッド映画ということで)アピールしているような部分も一切、カットされていた。ダメでも『Amazing! もう1回』とうまく役者をノセることが骨身に染みついてて、あの人の手のひらで踊らされて、帰ってきたんだなと思いました」と俳優の個性を尊重しつつ、しっかりと撮るべき部分を引き出していく、名匠の演出に感嘆していた。

浅野さんは「絶対にこの監督とやらなきゃ!」との思いでオーディションに臨んだそうだが「実は、一度、オーディションに落ちた」という。それでも「あきらめずにいたら、(今回演じた)通詞の役をいただけました」と明かす。

塚本さんは「最初のオーディションは8年くらい前。それからずっと関わり、つい最近までアフレコなどをやっていて『まだアフレコがあるよ』と言われる気がして、ソワソワしてます(笑)」とようやく公開にこぎつけたことがいまだ、信じられぬよう。予告編でも登場する、海の中で十字架に磔にされるシーンはどのように撮影されたのかを尋ねられると「引き潮のシーンは本当に海で撮っていて、満ち潮は危ないので、巨大な波のプールで撮った」と明かした。プールとはいえ、何度も水をかぶる過酷な撮影だったそうで「波で付け歯が割れて吹っ飛んで、よく見ると最後は白い歯で叫んでます(笑)」とその凄まじさの一端を明かした。

小松さんは撮影時19歳だったが、初めてのハリウッドの現場は「日本と全然違っていて、たくましくなった気がします」とふり返る。「吸収し、得るものが多かったと思います」と力強くうなづいた。

イッセーさんは、隠れキリシタンたちを棄教させる奉行の井上を演じ、海外でも高い評価を得ているが、特にリアム・ニーソン演じる宣教師を穴吊りの拷問にするシーンに言及し「人間が“終わっていく”ところを目撃した」と語る。「人間をモノとして扱い、それを見ている自分もモノになった気がしました。だから、井上も決して勝者ではないと思います。この撮影を潜り抜けて、自分は『人間として生きているはずだ』と問い質す時が来ると思います」と語った。

窪塚さんは、本作が“弱者”を描いているという点について「これから言うことは明日の新聞には載らないと思いますが…」と前置きした上で「2011年3月11日の震災で、弱者がたくさん生まれました。なのに、この国の政府の連中は、ほかの国に1兆円とかバラまくのに、この国の弱者に目を向けようとしない」と激しい口調で語り、原発再稼働についても「この国を切り売りしてる」と強く批判する。そして、映画の中で苦しむ人々、そして神の沈黙する状況に、こうした日本の現状を重ね「だから、自分の心の中に答えを見つけて、生きていくしかない」と訴える。最後に「重い映画かもしれないけど、いまの時代に必要だと思います」と呼びかけると、会場は拍手に包まれた。

『沈黙-サイレンス-』は全国にて公開中。(引用ここまで)

 

 AbemaTIMES  窪塚洋介、スコセッシ監督『沈黙』の魅力を熱く語る 2017年1月12日 23時29分

http://news.livedoor.com/article/detail/12534259/

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黒柳徹子さん、平和憲法を変えることは絶対してはいけない!沖縄の方はみんな嫌だって言っているなら造るべきじゃない!

2017-01-03 | 芸能人と平和

民意を否定する安倍政権に

声をあげた黒柳徹子に大あっぱれ!

次にあげるのは誰でしょうか!

琉球新報 黒柳さん「辺野古、住民意見尊重を」 9条「変えてはいけない」  2017年1月3日 08:30

http://ryukyushimpo.jp/news/entry-421285.html

女優でユニセフ(国連児童基金)親善大使を務める黒柳徹子さん(83)がこのほど、琉球新報のインタビューに応じ、沖縄への思いや平和の大切さについて語った。米軍普天間飛行場の返還に伴い政府が建設を強行する名護市辺野古の新基地建設について「沖縄の問題は難しい」と前置きしつつ、「住んでいる人たちの意見を尊重すべきだと思う。沖縄の方が嫌と言っているなら造るべきじゃない」と述べた。

辺野古新基地建設について、県知事選や名護市長選などの選挙で反対の民意が示されたことを「知っている」と述べた上で「私は、住んでいる人たちの意見を尊重すべきだと思う。どんなことがあってもね。沖縄の方はみんな嫌だって言っているなら造るべきじゃない」と述べた。

「あんなきれいな海が荒らされていくのは、ジュゴンだってかわいそう。(建設)しないで済むなら、こんないいことはない」とも述べた。

憲法改定については「絶対戦争はしない国とし、それを誇りとしている憲法を変えようという動きは心配している」と述べた。特に憲法9条について「平和憲法を変えることは絶対してはいけない。先の戦争で300万人もの人が死んだ。将来ある若い人たちも」と力を込めた。

黒柳さんは小学校高学年で体験した東京大空襲や青森に疎開した経験を語り、「食べる物がなくて栄養失調で痩せて、体中におできができた。タンパク質の不足だった。ユニセフの活動で世界を回ると栄養失調になっている子どもたちがいる。親善大使になったのも自分がそんな経験をしたからだ」と述べ、「100歳まで親善大使を続けたい」と話した。(島洋子)(引用ここまで)

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笑いで人をつなぎ戦争のない世界にしよう!憲法9条を落語で語る笑福亭鶴瓶師匠に大アッパレ!

2016-08-15 | 芸能人と平和

テレビが絶対に報道しない鶴笑師匠の「芸」!

【笑福亭鶴笑公式サイト】笑う門には福来る

http://kakushow.sakura.ne.jp/

http://kakushow.jp/jp-contents.html

鶴笑さん平和願う落語 松山

2016年08月14日(日)

http://www.ehime-np.co.jp/news/local/20160814/news20160814052.html

【写真】手作りの仕掛けを使った落語を披露する笑福亭鶴笑さん
 笑いで人をつなぎ戦争のない世界にしようと、イラクやアフガニスタンなど36カ国で落語を披露している笑福亭鶴笑さんの寄席がこのほど、松山市北持田町の愛媛県生活文化センターであり、子どもからお年寄りまで105人がパペットを使った落語などを楽しんだ。
 国際支援に理解を深めてもらおうと県ユニセフ協会が主催
 鶴笑さんは落語を前に「国と国がけんかしていても、人と人は仲良くなれる。一緒に笑うと偏見がなくなる」と話し、手作りのパペットを使い熊本県の民話や映画のゴジラを基にした落語を口演。子どもらは独自のストーリーや仕掛けに終始笑顔だった。伝統芸能の南京玉すだれや紙切り芸もあり、拍手と歓声が上がっていた。(引用ここまで

「笑いで国際貢献を」
~和歌山県立向陽中学校を国境なき芸能団が訪問しました!~

2011年2月16日

http://www.jica.go.jp/kansai/topics/2010/110216.html

「笑いで国際貢献」を合言葉に、世界各国で公演を行い、笑いを届けているNPO法人「国境なき芸能団」が、和歌山県立向陽中学校(和歌山市)で公演を行いました。

【画像】

「元気出さなあかんときは笑いが必要。」、と鶴笑さん(左)

この日の公演は、向陽中学校の山田浩史先生が、「国境なき芸能団」を立ち上げた落語家の笑福亭鶴笑さんのパペット落語に出会ったことがきっかけでした。パワフルな舞台に圧倒された山田先生は、その後、鶴笑さんがイラクの人々に笑顔を届けるボランティア活動をされていることを知ります。そして、「ぜひ、子供たちに話を聞かせたい!」と、早速、鶴笑さんに連絡を取り、鶴笑さんから快諾を得て、公演『イラク報告~イラクの子ども達に笑顔を送りたい~』が実現しました。

この日は、鶴笑さんは、一緒にイラクを訪問された手品師の阪野登さんと共に向陽中学校を訪問されました。公演が始まると、楽しみにしていたという生徒たちは、2人の楽しい話術にどんどん引き込まれているのが伝わってきます。

【画像】

初めて見る「パペット落語」

そして、ひとしきり笑った後は、イラクでの活動を映像で見ました。化学兵器によって多くの人々の命が奪われた町・ハラブジヤにある平和祈念館や、それら化学兵器の影響と見られるがんを患う子供たちが多く入院するスレイマニア大学病院を訪問する鶴笑さん一行。平和祈念館には被害に遭った人たちの写真や、当時を再現した町の様子が紹介され、映像を通じてでもその恐ろしさが伝わります。

病院では、入院中の子供たちの要望に答えて、イラストを描いたり、マジックを披露したり、みるみる子どもの表情が嬉しそうに変わります。しかし、中に一人、全く表情を変えない男の子がいて、医師は、「この子は笑うことを止めてしまっている。」と話します。こんな幼い子どもから笑いが奪われる現実。

【画像】

公演が進むにつれて、会場からの笑いはどんどん大きくなります。

現在の日本では分からない「戦争」が、イラクでは身近でした。「戦争」はなぜ起こるのか、なくならないのか。

文化は違っても一緒に笑うこと。笑いは人間だけにできること。笑うことは人間らしさを取り戻すこと。」とおっしゃる鶴笑さん。生徒からは、「いつも家でテレビを見て笑うけれども、今日はみんなが一緒だったので、1つになれたように思います。映像の中のイラクの子ども達も、みんなで笑えたことが良かった。」と感想がありました。

実際にイラクを訪問した鶴笑さんたちの楽しいお話と演芸に、皆で一緒にたくさん笑って、そして、改めて「平和」について考える1日になったのではないでしょうか。

【画像】

和歌山県立向陽中学校では、これまでにもハイチ大地震の際などに募金活動を行っており、今後、生徒たちがJR和歌山駅前などで募金活動を行う予定です。集まった募金は、鶴笑さんが次回イラクを訪問するときに持って行き、現地の人の要望を聞いて、毛布や衣料品など必要な物資を購入するそうです。板橋校長先生は、「県内国内から世界に視野を広げて、生徒たちにはさまざまな体験をしてほしいと願っています。これらの経験はひとりひとりの将来に生きてくるものですから大事にしたい。」と話されていました。

併設する向陽高校からは、青年海外協力隊など海外で活躍する卒業生がたくさんいます。世界に目を向けて興味を持つ、そして、実際に行動する生徒たちの姿に頼もしさを感じました。イラクの人たちにその思いが届けられる日の来るのが待ち遠しいです。


<NPO法人「国境なき芸能団」>
2006年設立。以来、ドミニカ共和国・ブラジル・カンボジアなど世界31カ国で公演を行い、笑いを届けてきました。そして、2010年11月末から12月にかけて、仲間3人とともにイラク訪問を敢行。比較的復興の進んでいる北部・スレイマニアで公演を行いました。笑福亭鶴笑さんは、誰でも参加できる国際協力の応援団なんとかしなきゃ!プロジェクト 見過ごせない55億人の著名人メンバーのひとり。

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テレビを育てた大橋巨泉さんが自らの命を掛けて民主主義擁護の立場から安倍首相を批判したのにテレビは隠ぺい!

2016-07-21 | 芸能人と平和

巨泉さんの生と死を特集するも

巨泉さんの『遺言』は黙殺・隠ぺいした!

 テレビの巨人がテレビに裏切られた!

だが、だからこそ、巨泉さんの意思を具体化せねば!

憲法を活かすテレビを!

テリー伊藤、大橋巨泉さん悼む「テレビを作った方」「遊びを持ち込んだ」

[2016/07/20]

http://news.mynavi.jp/news/2016/07/20/071/

共演者ら追悼 萩本欽一「今のテレビは巨泉さんが開拓した道継承」

2016年7月21日 05:30

http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/07/21/kiji/K20160721013006220.html

 大橋巨泉の遺言

「安倍晋三に一泡吹かせて下さい」がテレビの追悼特集でことごとくカットに!

その政権批判を改めて聞け

LITERA7月21日(木)7時30分

http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0721/ltr_160721_1360097702.html

<・・・大橋巨泉死去!82歳>
大橋巨泉さん◆遺言◆
安倍晋三の野望は恐ろしいものです
選挙民をナメている安倍晋三に 一泡 吹かせて下さい
7月の参院選挙 野党に投票して下さい 🔴最後のお願いです。。。 

Release Date:2016年07月20日

 http://sharetube.jp/article/3630/

 大橋巨泉「週刊現代」コラム最終回

「安倍晋三に一泡吹かせたい。野党に投票を」

2016/6/28 12:54

http://www.j-cast.com/tv/2016/06/28270855.html

 テレビは決して報道しない・・・死期の迫っている大橋巨泉さんの遺言。

Release Date:2016年06月29日

http://sharetube.jp/article/3302/

 大橋巨泉が臨死の床で綴った“最後の遺言”

「安倍晋三に一泡吹かせて下さい」

しかしテレビは巨泉の思いを一切報じず…

2016.07.01
 
 巨泉さん、自己主張する司会先駆け 「遺言」で首相批判

2016年7月20日11時54分

http://www.asahi.com/articles/ASJ7N3GHDJ7NUCLV00H.html

朝日も記事は「のべ20年にわたって書き続けた週刊現代での連載コラムは、体調不良のため今春から休載。最終回とした7月9日号では『今のボクにはこれ以上の体力も気力もありません』などと病状を説明し、『最後の遺言』として安倍晋三首相を批判。読者に向けて『長い間ありがとうございました』とつづっていた」としか書かれていません。

この中身について、すでにネットではたくさん流されていますが、巨泉さんが育ててきたテレビは全く、この『遺言』について、報道していません。選挙中だったからでしょうか。だからこそ、巨泉さんは『遺言」した!しかし、日本の情報伝達手段のマスメディアである新聞とテレビは、黙殺・抹殺・隠ぺいしたのです。朝日にして、この程度です。しかも、永眠してもなお!

このことは、中国・北朝鮮の独裁政治と情報操作・管理・抑圧政治を批判する日本の情報伝達手段のマスメディアは疑似民主主義の下、国民に真実を報せない堕落・劣化した安倍応援化装置となりさがっているということです。これを国民的運動によって民主的に改革していかなければ、「政治不信」=「政治風評」を垂れ流す装置を温存し、その被害を国民が享受しなければならないことになるでしょう。

  日刊スポーツの主な記事

徳光和夫「司会者地位上げてくれた」/巨泉さん悼む[7月21日11:19]

巨泉さん“最後の視聴率”「とくダネ」上昇9・4%[7月21日10:31]

おくやみ巨泉さん、民主主義訴え参院当選もわずか半年で辞職[7月21日8:17]

おくやみソフトバンク王会長「人生のお手本」/巨泉さん悼む[7月21日8:17]

おくやみ巨泉さんアッパレ!競馬、お色気…テレビ常識覆した[7月21日7:54]

おくやみテレビの申し子巨泉墜つ「11PM」が大ヒット[7月21日7:54]

おくやみ愛弟子小倉智昭が巨泉さん通夜参列「面影なかった」[7月21日7:54]

おくやみ巨泉さん意思継ぐ人指名…筑紫さん、久米宏/悼む[7月21日7:53]


芸能西郷輝彦「粋で洒脱な一家言」/永さん巨泉さん悼む[7月20日17:55]
 
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高倉健さん、芹洋子さん、無名の音楽家が憲法9条の実践者であることをもっと強調すべきだな!

2015-11-15 | 芸能人と平和

中国「脅威」論煽動より友好報道が席巻すれば!

高倉健さんを慕う心は日本人と同じなはず!

NHK 高倉健さんしのぶ 北京で主演作の上映会  11月14日 23時33分http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151114/k10010306461000.html

高倉健さんしのぶ 北京で主演作の上映会
 
k10010306461_201511150009_201511150112.mp4
今月、一周忌を迎えた俳優の高倉健さんの主演映画を上映する催しが中国の北京で開かれ、たくさんの中国人ファンが高倉さんをしのびました。
 
これは国際交流基金が主催した日中の文化交流事業で、北京市内の大学の講堂には高倉健さんのファンや学生などおよそ700人が詰めかけました。
 
催しでは、1970年代後半に中国でも公開されて大ヒットした高倉さんの主演映画「君よ憤怒の河を渉れ」が上映されました。
 
上映後、映画で共演した女優の中野良子さんがステージに上り、撮影で高倉さんと一緒に馬に乗ってとても緊張したという当時のエピソードや、中野さんが映画の公開後に初めて中国を訪れた際、大勢の人に取り囲まれて熱烈に歓迎された思い出などを披露しました。
訪れた23歳の中国人女性は「初めて見た映画でとても面白かった。高倉さんの映画や日中の交流を通じて日本の文化への理解が進むと思う」と話していました。
 
また53歳の中国人男性は「きょう改めて映画を見て初めてみたときの思い出がよみがえった。私にとって高倉さんは、男はかくあるべきだという目標で永遠に忘れることはありません」と話していました。(引用ここまで)
 
日本の心=「四季の歌」で30年も交流ができるのに!
尖閣国有化による無用な対立扇動が交流の弊害だ!
友好と交流の素材はたくさんあるはずだ!
こんな実践がたくさんあれば
中国人=チャンコロ、日本人=東洋鬼は無用だな!
 
NHK 芹洋子さん 北京で8年ぶりに公演 11月14日 5時20分http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151114/k10010305231000.html
芹洋子さん 北京で8年ぶりに公演
 
k10010305231_201511140516_201511140516.mp4
30年以上にわたって中国との民間交流を続けている歌手の芹洋子さんが、13日夜、北京で8年ぶりに中国公演を行い、現地でも広く知られている代表曲「四季の歌」などを披露しました。
 
芹洋子さんの公演は、中国で日本の文化行事を集中して開催する「日中交流集中月間」のイベントの一つとして開かれたもので、北京市内の会場にはおよそ600人が集まりました。
 
芹洋子さんの代表曲「四季の歌」は、今からおよそ35年前にNHKの国際放送を通じて中国に紹介されて以来、広く知られるようになり、芹さんはこれまで各地で18回のコンサートを開くなど、30年以上にわたって中国との民間交流を続けてきました。
13日も芹さんが「四季の歌」を歌い出すと、観客は手をたたきながらリズムをとったり、一緒に口ずさんだりして、盛り上がっていました。
 
公演を聴いた中国人の女性は感動した。日中関係がどうなろうと民間レベルの交流は続けるべきだ」と話していたほか、別の女性は、「日本語を勉強していたので、ほとんどの歌を知っていた。感無量だ」と話していました。
芹さんは3年前にも北京で公演を行う機会がありましたが、沖縄県の尖閣諸島を巡って日中関係が悪化したため、実現せず、今回は8年ぶりの中国公演となりました。公演後、芹さんは「新しいスタートができたと思う。これからも中国各地でコンサートができればうれしい」と今後の活動に意欲を見せていました。
 
たった30人の若手音楽家の交流が
日本とロシアの友好と平和の大河に!
これでは…「露助」意識はないな!
日本人・アイヌ・朝鮮人・ロシア人の友好と連帯の日は?
 
NHK サハリンで平和願い若手音楽家がコンサート 11月9日 5時24分http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151109/k10010298851000.html
 
かつて日本とソビエトの間で激しい戦闘があったロシア極東のサハリン・元の樺太で8日夜、日本とロシアの若手音楽家が平和を願ってコンサートを開きました。
 
コンサートはことしで戦後70年となったことを機に、日本の総領事館と地元の州政府がサハリンの中心都市ユジノサハリンスクで開きました。会場は日本がサハリン南部を樺太として統治していた時代に北海道の銀行の支店として使われていた建物で、日本とロシアのアマチュアの音楽家およそ30人が参加しました。
 
コンサートでは日本の音楽家たちが「この曲を聴いて温かい気持ちになってください」とあいさつしたあと、ソプラノ歌手がロシア語で「暖炉」を意味する童謡「ペチカ」をピアノやバイオリンなどの演奏に合わせて披露しました。また、ロシアの少女たちが童謡「赤とんぼ」を日本語で合唱すると、会場から大きな拍手が上がっていました。
 
童謡を披露した北海道の大学生の佐藤奈央子さんは音楽を通した交流が平和を考えるきっかけにつながればと願い、歌いました」と話していました。また、会場を訪れたロシア人の男性はなじみのなかった日本の童謡を聴くことができて感激しています。日本とロシアがこうした交流を進めることは大事だと思います」と話していました。(引用ここまで
 
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芸能人がフツーに政治と平和を語りメディアに出続ける日本がいい!田村淳さん大アッパレ!

2015-10-04 | 芸能人と平和

田村さんって、イケる!

日本が独立国になるために、マジで考えよう!

日米の屈辱的関係から対等の関係になるためには

何もケンカすることなどない!

仲良く対等になればいいのだ!

圧倒的多数の米国国民は日米は対等だと思っているよね!

アメリカを支配している勢力が国民に報せていないだけだ!

日本だって同じだ!

対等だと、国民を想わせているだけだ!

永遠に「敗戦」が続く国で

  • 田村淳 (お笑い芸人(ロンドンブーツ1号2号))
  • 2015年10月2日

戦後70年にあたり、僕がいま、自分の中でどうもうまく腑に落ちていないことを、みなさんに聞いてもらいたいと思います。それは「日本はいつまで敗戦国なんでしょうか?」ということです。

僕は1973年生まれなので、敗戦国である日本に生まれ育ち、敗戦国というのが何なのかわからないまま大人になりました。どうしたいきさつで日本が戦争に負けたのか、そうしたことにはっきりと関心を持つようになったのは、35歳になってからです。

僕は山口県の出身で、広島と長崎に親戚がいます。子供のころ、夏休みになるとどちらかの親戚の家に遊びに行きました。そうすると、いとこのおばちゃんとかから当然のように「ここに原爆が落ちた」という話を聞く。あとは『はだしのゲン』の漫画を学校で読んだり、終戦記念日には意味がわからないながらも黙とうを捧げたり、育った環境からか戦争への意識は高いほうでした。

それでも、子供の僕が持っていた戦争のイメージは、「爆弾を落とされて、人がたくさん死んだ」ということだけ。「負けてしまった」ことに対する認識はほとんどありませんでした。子供の頃は全然リアルに感じられなくて、漫画やアニメの世界の話のように感じていたと思います。

だけど大人になっていろんなことを知れば知るほど、70年前に戦争で負けたことが、いまを生きる僕たちの背中に未だに重くのしかかっていて、それを、さらに先の世代にも伝えていかなきゃいけないのかということに、違和感を感じるようになりました

あるとき、仕事で六本木の街を上空から見る機会があり、街の真ん中にあるヘリポートを見つけました。「へぇ、こんな場所にヘリポートがあるんですね」と言ったら、あれは在日米軍のものだと人から教えてもらいました。米軍はそのヘリポートから自由に離発着できると知って、「こんな六本木のど真ん中で?」と驚いたことを覚えています。何でアメリカはよその国でこんなに自由にヘリを飛ばせるのか。ああそうか、それは日本があのとき戦争に負けたからなんだ……と気づいてものすごくショックを受けました。


Photo by Itoshin87

自分が乗った飛行機が、羽田空港に着陸できずに旋回していることに気付いたときに、「横田基地から米軍機がスクランブル発進するからだ」と教えてもらったこともありました。

普段僕たちはあまり気づかないけれど、ちょっと目を向けてみれば生活のあちこちに、「敗戦」があるんです。

戦後70年というと、ものすごく月日が流れたように思いますよね。でも、実はまったく状況は変わってなくて、むしろ70年間それが当たり前になっているからこそ、この状況が打ち破れないものになっているんじゃないか。僕は次第にそう思うようになりました。

結局、戦争をするってことは、70年位ではすべてが鎮火しないんだろうなと思います。

日本は戦後、先進国に追い付こうと国民が一丸となって努力し、見事にオリンピックを迎えて経済大国になった。そんな日本のサクセス・ストーリーを、かつての僕は疑ったことありませんでした。

それが実は、戦後の復興はアメリカという国に守られていたからできたことだった。むしろ日本の実態はアメリカの言いなりで、本当の意味での独立国とすら言えないんじゃないか――。僕がそうした考えに至ったのはだいぶ大人になってからですが、自分にとってはそれが一番、戦争の重みを感じた瞬間でした。

外に目を向けてみると、イタリアは既に敗戦国というイメージがあまりないし、ドイツはしっかり反省をして未来に向かっていった結果、現在はEUのリーダーとなり、国も潤っています。なのに、日本だけが未だに「敗戦」に留まったまま負の遺産を抱え、戦争経験のない世代までその煽りを食らっている。それはやっぱり、アメリカとの関係によるものが大きいんじゃないかと。対米従属という屈辱を抱える一方で、アメリカの後ろ盾があるからこそ日本の安全が守られている。このゆがんだ構造が問題を複雑にしているのでしょう

僕たちは毎年、8月15日を迎えます。1年に1回、日本人が戦争への反省と、原爆を落とされた悲しみを共有する日です。確かにこの日があることは大事なんですが、ほとんどの国民は「この日に終戦を迎えた」ということをその1日は考えるけど、翌日、8月16日には何もなかったかのように日常に戻っていきます。昔の僕もそうでした。

でもいまの僕は8月15日を過ぎても日々戦争のことや、日本が敗戦国であるということを意識するようになってしまった。このギャップが苦しいんですね。それは、「日本はいつまで敗戦国なのか」という疑問に対して、自分のなかで答えが出ていないからというより、簡単には出せない状況に日本が置かれているからだと思います

日本人は「敗戦国である」という戦後背負わされた重い荷物をまだ降ろすことができていません。簡単には降ろせないからこそ、日本人は特有のあいまいさでこの問題と向き合うことを極力避けてきたのだと思います。実際には見ているんだけど見てないふりがうまい日本人は、時間の経過とともにこの本質的な問題が風化することを望んでいたのかもしれません。しかし、沖縄の基地問題などを見てもわかるように、敗戦国としての問題は時間が経過したことで、むしろややこしくなっていまも続いています。

僕が沖縄でタクシーに乗ったときに、運転手さんと「ここの右側も基地で左側も基地で」という話になって「基地問題は大変ですね」と言ったら「いや、私は辺野古に移して欲しいんです。単純にタクシードライバーとしての意見を言わせてもらうと、那覇で遊んだ米兵を普天間に送るのと、辺野古に送るのだったら、倍以上お金が違うから」と返ってきたことがあります。


Photo by 初沢亜利

みんな、基本的に生活が一番大事だから、それが世論を二分するような問題だということは知っていても、知らないことにするのが都合がいいことが多い。でも、そうやって70年間見て見ぬふりをしてきたツケはしっかりと70年分溜まっていて、とても根深いものになってしまいました

だから、8月15日のときだけ反省を述べて、悲しみをみんなに伝えて、ということの繰り返しだけでは、一歩も前に進めないのだと思います。

僕はこの状況を変えたい。いまここで諦めてしまったら、将来の日本の社会はさらに混沌とした、ねじれたものになってしまう気がするからです。いまを生きる子供たち、そしてこれから生まれてくる子供たちに、負のバトンを渡したくない。いま僕たちが背負っているものを、次の世代ではちょっとでも軽減できるようにしたいと思うのです。

そのためにはどうすればいいか。辛いかもしれないけれど、「敗戦国である」という現実に向き合うことしかないのだと思います。終戦記念日が近くなったときだけ何となく戦争のことを考えるということを、みんなでやめませんか。次の8月15日が来るまでの365日間、「日本は敗戦国である」ということをそれぞれの人が心に持っておくしかないのです。普段からみんなが意識し、考え続けることからしか、敗戦の影響から脱却するアイデアは出てこないと思います。

戦後100年目を迎えるとき、この国が「敗戦」から一歩踏み出していることを強く強く、願います

田村淳
たむら・あつし

お笑い芸人(ロンドンブーツ1号2号

1973年山口県下関市生まれ。レギュラー番組に『ロンドンハーツ』『淳ぱるるの○○バイト』『淳と隆の週刊リテラシー』『ごぶごぶ』など。週刊プレイボーイ「天空のブランコ~田村淳の脳内両極論」連載中。

 
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芸能人は赤旗に登場して意見を述べることはいけない?芸能人の政治的な色はタブー?日本はどこの国か?

2013-12-01 | 芸能人と平和

藤原紀香さんが、赤旗日曜版(11月24日付)に「“知ることで人は動く” 信念もって発信しつづけてきた 社会貢献も女優も自分の中では一つ」というテーマで登場したことに対して、以下の産経がとんでもない言いがかりをつけ、一部で話題になっているようです。

12月1日付16面には「転機になったアフガニスタン訪問 無力じゃない 何かできる」というテーマで「スマイルプリース藤原紀香世界子ども基金」を立ち上げ、日本各地でチャリティーの写真展や講演会を開催し、他団体とも協力しあい、その入場料などで学校建設や教師へのトレーニング、教材配布などの教育支援をしています。学校はアフガニスタンに1校、カンボジアに2校の計3校を建設し、いま4校目を計画中だそうです。

産経も、「週間文春」の「芸能関係者」「芸能デスク」も、その他の記事にあるように、藤原紀香さんの活動を素直に丸ごと捉えるのではなく、「秘密保護法」と、その反対運動をしている共産党と結び付けることで、難癖的解釈をしているように、愛国者の邪論には思えるのです。しかし、というか、だからこそ、藤原さんの活動を丸ごと、どのように捉えるのでしょうか、ということを強調しておきたいと思います。まだ2回続くそうです。是非ともよく読んで解説してほしいものです。

さて、そこで、産経などの偏屈解釈について、いくつかの点を指摘して検証しておきます。

1.共産党の活動を「ソフトイメージ戦略」と表現することで、産経は何を狙っているのでしょうか。

2.では「ソフトイメージ」の逆は何でしょうか。共産党の活動は「ソフト」ではないということを強調することで、何を狙っているのでしょうか。 

3.では他の政党の活動は、「ソフト」なのでしょうか、或いは「ソフト」とは言えないということなのでしょうか。

4.それにしても、産経の「ソフト」の定義が曖昧です。藤原さんが赤旗に登場すること、「無党派層への支持拡大」が赤旗の「ソフトイメージ戦略」ということのようです。これが「ソフト」の「基準」のようです。

5.赤旗「1面のほぼ半分と3面全面」に掲載されたことをもって「共産党の力の入れようは相当なものだ」と評価しているのですが、この記事を書いた記者は、赤旗を日常的に読んで研究していないようです。何故か。このような形式は、藤原さんだけではないからです。

6.「特定秘密保護法案」に賛成の産経は、何としても「特定秘密保護法案」「反対」を「赤旗で叫ぶ藤原紀香」という構図を強調したいようです。ウソも言ってしまえば、またネットに流れてしまえば、「メッケ!」なのでしょうか。もしそうだとそれば、卑劣です。違うとすれば、この記事を書いた記者は、新聞記者として最低のルールすら実践しないトンデモナイ記者だということになります。 

7.「藤原さんはなおも『廃案キャンペーン』を繰り広げる共産党の応援団となった形」というのも難癖産経の特徴を大変良く顕しています。それは、「特定秘密保護法」賛成の産経にとってみると、藤原さんが赤旗に登場して、自分の考えを述べていることが、よほど癇に障ったのでしょうか。しかも、記事の内容をよく読まないで、「共産党の応援団」などと、大ウソを付いているのです。逆に言えば、「共産党の応援団」になってほしくないという腹黒さ、「特定秘密保護法案」反対世論が大きくなってほしくないという思惑が透けて見えてきます。 

8.しかも、産経お得意のレッテル貼り、「『非党員の有名女優・タレントが登場するのは異例」「『元共産党員』の野中広務元自民党幹事長」という区分けがなされているのです。こうしたレッテル貼りの意味は何でしょうか。「芸能人は政治的な色がつくのはタブー。いくら法案に反対でも、まさか共産党の機関紙で語るとは、本当に驚いた」(芸能関係者)など、前近代的思考回路を吐露していることでご理解いただけるのではないでしょうか。

9.産経や芸能関係者のネライは明白です。「ニュースを知らないことは一番危険だし、知らない間に国の大事なことが決まるなんてことにならないように、ひとりひとりがその事を知り、判断し、意見を出していく。そんな世の中になればいい」と言っている藤原さんと秘密保護法に反対している共産党を結びつけることで、「共産党の応援団になると損するぞ」「芸能人は政治的な色がつくのはタブーだぞ」と脅し、反対運動の発展を阻み、また共産党への人気上昇を抑えようとしているのです。

11.ここに、マスコミ、メディア界における「政治的な色」「タブー」視、その中で特に「共産党の応援団」とみなされることの「恐怖」観的世界が浮き彫りになったように思います。だから、共産党の活動がニュースで紹介されないのでしょう。これは、戦前の「国賊」「非国民」「アカ」が、今もって蔓延っていることが判ります。

12.このことは、弾圧などはないものの、レッテルを貼ることで、「仕事から干す」「村八分」という攻撃を加えることで、「国民の知る権利」を制限するマスメディア・マスコミづくりが、陰に陽に行なわれていることが判ります。

13.これが自由と民主主義の国ニッポンで、未だまかりとおっている現実でしょうか。産経は中国や北朝鮮の人権問題を繰り返し批判していますが、実際は、人権を抑圧政治を断行しているとしている中国や北朝鮮と、本質的には何ら変らない体質を有しているアホなジャーナリズムであるということです。このことは国内外の人権と民主主義を否定した大東亜戦争を正当化していることからも、判ることです。

14、以上の検証を踏まえ、芸能関係者の皆さん、マスメディアの世界で働く皆さんは、前近代的な偏見に満ちた世論誘導装置を、社会の隅々から克服していくために「勇気」を持って行動してほしいと思います。これは戦前的なものを克服するという意味からも重要だと思うのです。

このことについては、以下の記事を書いておきましたので、ご覧ください。

徴兵忌避者三國連太郎さんの思いを正確に伝えないマスコミに大喝 ... 2013年4月16日

それでは、以下の問題記事をご覧ください。

秘密保護法“反対派”藤原紀香が 赤旗に登場で広がる波紋 週刊文春 2013年12月5日号掲載) 2013年11月28日(木)配信http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/bn-20131128-3393/1.htm

 藤原紀香(42)が“政治マター”でまた話題になった。発端は産経新聞が11月21日にウェブ配信した「あの藤原紀香さんが『赤旗』に登場 共産党のソフトイメージ戦略象徴」という記事だ。内容は、24日付の赤旗日曜版に紀香が登場して、「ニュースを知らないことは一番危険だし、知らない間に国の大事なことが決まるなんてことにならないように、ひとりひとりがその事を知り、判断し、意見を出していく。そんな世の中になればいい」などと語り、特定秘密保護法案への反対を訴えていることが分かった、というものだった。
 芸能関係者が語る。
芸能人は政治的な色がつくのはタブー。いくら法案に反対でも、まさか共産党の機関紙で語るとは、本当に驚いた
 もともと紀香はこの法案について、9月に自分のブログで「日本は民主主義国家ではなくなってしまうのかな」などと書き、これを朝日新聞などが「藤原さんも反対」と取り上げていた。
 ところが、これで騒ぎは収まらなかった。「紀香が自分のブログで産経の記事に反論したのです。紀香が登場したのは赤旗日曜版の『この人に聞きたい』というコーナーで、過去にいろんな芸能人が登場しています。そのため、芸能ページの取材を受けただけで、産経が引用している言葉も、法案の事とこじつけられただけだと主張しているのです」(芸能記者
 しかし、「それは苦しい言い訳では」と芸能デスクは語る。「たしかに記事のなかに『特定秘密保護法案』という言葉は出てきません。しかし今は、赤旗が法案への反対意見を連日大きく取り上げている。実際、紀香の記事は1面の左半分に出ていましたが、右半分は野中広務元自民党幹事長が法案を巡る状況について『大政翼賛会のようだ』などと語っている。一方、紀香の記事も女優の話はなく、社会貢献活動やネットでの政治や社会問題への発信についてばかり。そのなかであのような発言をすれば、どうとらえられるかは明らか。反響が思いのほか大きくて、“火消し”のため反論したのではないでしょうか。誤解されたくなければ、女優の話題に限定して取材を受ければいいだけの話です」 そういえば、最近はこんなことや男関係でしか話題にならないが、女優業は何処へ?文/「週刊文春」編集部(引用ここまで

あの藤原紀香さんが「赤旗」に登場 共産党のソフトイメージ戦略象徴 2013.11.21 21:25 [共産党

 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131121/stt13112121270009-n1.htm

 藤原紀香さん

 共産党の機関紙『しんぶん赤旗』日曜版24日号に女優の藤原紀香さんが登場し、特定秘密保護法案への反対を訴えていることが分かった。関係者によると、共産党からのアプローチに藤原さんが応じたというが、共産党機関紙に「非党員」の有名女優・タレントが登場するのは異例だ。無党派層への支持拡大に向けて同党が展開するソフトイメージ戦略を象徴している。

 藤原さんが登場した赤旗日曜版の看板インタビュー「この人に聞きたい」は、同紙1面のほぼ半分と3面全面にわたり掲載されており、共産党の力の入れようは相当なものだ。

 このなかで藤原さんは「ニュースを知らないことは一番危険だし、知らない間に国の大事なことが決まるなんてことにならないように、ひとりひとりがその事を知り、判断し、意見を出していく。そんな世の中になればいい」などと語り、特定秘密保護法案への反対を主張している。

 同党は9月、藤原さんが自身のブログで同法案への反対を表明した際に『しんぶん赤旗』日刊紙の一面コラム「潮流」で紹介するなど“接近”を図っていた。

特定秘密保護法案は26日に衆院を通過し今国会での成立は揺るがない情勢だが、藤原さんはなおも「廃案キャンペーン」を繰り広げる共産党の応援団となった形だ。ちなみに、赤旗日曜版24日号には「元共産党員」の野中広務元自民党幹事長も登場し、特定秘密保護法案の廃案を訴えている。赤旗日曜版編集部のツイッターは“大物2人”のそろい踏みに関し「イデオロギーを越えて反対表明」「秘密保護法反対で高まる世論」などとつぶやいている。(引用ここまで

藤原紀香さんが「赤旗」に登場、一体なぜ? | THE NEW CLASSIC2013年11月22日

同法案に「反対」しているわけではないという立場を強調しているが、一方で多くの国民が「十分な審議がおこなわれていない」と懸念するなかで、維新やみんなの党が次々と修正案に合意する中で、こうした問題提起を影響力の大きい藤原さんがおこなったことの意味を評価する声も少なくない。引用ここまで

「赤旗」1面登場の藤原紀香が怒る 産経「共産党『応援団』」の指摘に 2013年11月22日 -

共産党は11月2日に「LINE」の公式アカウントで、「共産党もいま、全国で反対の声をひろげようとキャンペーン中。宣伝に出くわしたらぜひチラシ受け取ってね」と法案反対運動をアピールしているが、このメッセージの冒頭には、「先月、藤原紀香さんが『秘密保全法案って?』ってタイトルでブログを書いてる紀香さんは『これがこのまま通ると大変なことになると書かれており、もしその可能性があるとしたら、国民の一人としていかがなものかと心配しています』と書いているよ」とある。藤原さんのブログを「枕詞」として利用している形だ。

藤原紀香さん「赤旗で秘密保護法反対」は虚報  2013年11月25日

http://gohoo.org/alerts/131125/

また、産経の記事は「同党は9月、藤原さんが自身のブログで同法案への反対を表明した際に『しんぶん赤旗』日刊紙の一面コラム『潮流』で紹介するなど“接近”を図っていた」と伝えています。これは、藤原さんが9月13日に公式ブログに掲載した「秘密保全法案って?」という見出しの記事に言及したものとみられますが、産経が報じたように、藤原さんがブログで法案への反対を明言した事実はありませんでした。藤原さんはブログで「日経や朝日など各新聞の社説でも、これがこのまま通ると大変なことになると書かれており、もしその可能性があるとしたら、国民の一人としていかがなものかと心配しています」などと法案への懸念を示す一方、「もちろん、日本を陥れるべくスパイ行為を働いた輩には罰を与えるべきだと思うし、そのようなスパイ行為が起きないよう なんらかの法案が必要となるとは思います」とも言及。9月17日期限のパブリック・コメントに向け、「それぞれ、賛成、反対などの意見を書きましょう」と呼びかけていましたが、法案反対を明確に表明してはいませんでした。

産経の記事は冒頭で「共産党機関紙に『非党員』の有名女優・タレントが登場するのは異例だ」とも書かれています。しかし、当機構が調べたところ、加山雄三さん(11月17日付)、仲代達也さん(11月10日付)、中村雅俊さん(9月15日付)、田中圭さん(7月21日付)、稲森いずみさん(7月7日付)、野際陽子さん(6月30日付)、佐藤浩市さん(3月3日付)、釈由美子さん(2月3日付)など多数の俳優・タレントが赤旗のインタビュー記事で登場しており、藤原さんの登場は「異例」とはいえないと考えられます。

藤原さんは11月22日、公式ブログで、産経の記事を念頭において遺憾の意を表明。赤旗日曜版編集部の松宮敏樹編集長は、当機構の問い合わせに対し、「シリーズ企画の趣旨、取材の経緯は藤原さんのブログで書かれている通りです。記事に書かれているように『社会貢献活動』から『社会や政治のことまで』、『自分の意見を』発信している女優として、その思いを語っていただきました」とコメント。産経が紙面の取扱いについて「共産党の力の入れようは相当なものだ」と評した点も、11月10日号の1面全面と2面で仲代達也さんのインタビュー記事を取り上げた例を挙げ、「今回の扱いは、通常ととくに異なるものではありません」と答えています。

この人に聞きたい "知る"ことで人は動く 女優 藤原紀香さん 2013年11月24日号

 信念持って発信し続けてきた  社会貢献も女優も自分の中では一つ(この部分は愛国者の邪論が挿入しました)

まず知ること

〈藤原さんはインターネット上で、さまざまな政治や社会の問題についても発信しています〉
欧米の俳優などはテレビの前などでも堂々といろんな発言をしています。日本ではそこまでは難しい風潮なのは知っていますが、自分が気づいたことはブログなどで、書いていこうと思っています。自国の大事なニュースにもかかわらず、意外に知らない人が多いことに驚きました。自分の国の政策はこのようにして決まるのですよ、とまず知ることが大事なのではと思い、書きました。でも、私は自分の意見はこうだからみんなもそうして! などと書いたことはありません。何にしても賛否両論はあります。でも、そのニュースや事柄を知らないことは一番危険だし、知らない間に国の大事なことが決まるなんてことにならないように、ひとりひとりがその事を知り、判断し、意見を出していく。そんな世の中になればいいなと。

私のありのまま、素直な気持ち。 (藤原紀香さん公式ブログ 2013/11/22)

赤旗日曜版の芸能ページの取材をうけたことで、あるメディアに、話題になっている法案の事とこじつけられ、各方面に誤解を受ける書かれ方をしていてとても悲しいです。

これまで、素晴らしい芸能の先輩方や著名人の方々が赤旗新聞日曜版芸能ページに出られていますし、私も今回、そのお仲間に入れたようで光栄に思っていただけで、皆さんと同じように特定の政党に偏っていません。取材では10年、これまで続けてきたチャリティーやボランティアの話を誠意をもって語りました。とてもいい記事になっていると事務所共々喜んでおりました。 なのに、なぜこのように 書かれるのかとても遺憾に思いますし、きちんとその赤旗日曜版の記事を読んでいただければ、私の真意が伝わることと思います。 そして、以前のblogを読み返して頂けたら分かると思いますが、私は法案に関して反対とか賛成とか書いていません。私がはっきりと書いたのは、「法案を決めるため国民の意見を聞くパブリックコメントというものが、たった二週間しかないということ、これは知らない方が周りでも多かったので、まずはそのことを知りましょう、そして、法案に関しても理解した上で、賛否両論それぞれ声をあげましょう」と書きました。あと、「私はこの法案に反対と言っているのではなく、大事な我が国 日本のことをスパイなどされないようになんらかの対策は必要だと思う。ただ、その秘密となるものが どこまでの適用範囲なのかは、決めるべきでは。」と書いています。それをいつのまにか、一文だけ切り取られ、無断使用の写真もくっつけられて片方だけの意見の広告のように、作ってもいないポスターまでが作られてしまい、それが一人歩きしています(>_<)(以下、略)(引用ここまで

 

赤旗日曜版(12月1日付) 「シリーズ この人に聞きたい」  女優 藤原紀香さん 「無力じゃない 何かできる」「転機になったアフガニスタン訪問」 http://www.jcp.or.jp/akahata/web_weekly/ 

以上の産経などの記事に関係する共産党の記事です。比べてみてください。

きょうの潮流 2013年9月16日(月) - 日本共産党中央委員会 2013年9月16日

ぶれない共産党に期待/俳優 仲代 達矢 さん/作家 瀬戸内 寂聴 さん/「赤旗 2012年12月13日

俳優仲代達也さんの生き様に共感して~しんぶん赤旗 ... - みたおさむblog2013年11月9日

日曜版「しんぶん赤旗」 - 日本共産党中央委員会

インタビュー - 日曜版「しんぶん赤旗」 

藤原さんの言っていることから何を学ぶか、それは「知る」ということの大切さです。「知る権利」の意味です。ということはマスメディア・マスコミが、国民の知る権利を擁護し、事実を報せることが、如何に大切、かつ重要か、これに尽きると思います。

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