愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

2013年を前に来年参院選で、安倍自公政権を倒し、暫定連合政権構想が現実のものとなるように!

2012-12-31 | 日記

今年も終わります。個人的には様々なことを経験しました。とりわけ昨年12月23日にブログ「愛国者の邪論」を開設し、爾来記事を書き続けてきました。たくさんの方々のご訪問をいただき、またコメントもいただきました。感謝申し上げます。

 一年間、2011年12月23日~2012年12月22日の365日間でみますと、記事数315件、トータル閲覧数94,574  訪問者数41,949でした。

 来年も宜しくお願い申し上げます。

 さて、年末の総選挙で歴史が反動したかのように思われました。しかし、議席の上では、マスコミも煽っている「圧勝」「大勝」ですが、「永田ムラ」の外では、歴史の胎動が着々と次の時代を準備しているのではないかと思います。

 それは平安時代、道長・頼通の時代(伊周と道長の政争の結果道長に内覧の宣旨が下った995~1072年頼通出家・74年没)の時代、平安京の外では、百姓らが中央から派遣された国司の非法を訴え首にしている事件、平忠常の乱(1028~31年)、前九年の役(1051~62年)が起こるなど、次代の息吹(武士の時代)が、天皇や貴族たちの力に依存しながら芽を大きくさせるために活発に動いていました。そうした時代の動きを「末法時代」としてひたすら浄土教にすがっていたのが、平安貴族たちでした。

 もう一つは、室町時代、足利氏や守護大名がまだまだ「中心」であった時代の応仁の乱(1467~1477年)より前に、新しい時代を象徴する正長の土一揆(1428年)が起こっていました。その二年前に近江坂本の馬借一揆が起こっていました。これらの一揆の中心に農村などの生産物を運ぶ馬借・車借たちの情報伝達が大きな威力を発揮します。その生産地には惣村のリーダー(土民)たちがいました。彼らは「掟」をつくり、「一味神水」「一味同心」して自らの利益を守ろうとしていました。柳生の里にある「疱瘡地蔵」に銘記された文字は民衆の勝利宣言として日本の民主主義、自治の歴史の金字塔でしょう。

 ちょうどこの頃琉球では「万国津梁」の鐘(1458年)が製造されていました。

 以上のような日本の輝かしい歴史を踏まえると、1990年代から今日までの歴史は、後世の史家によってどのように書かれるのでしょうか?という問題意識で、今年を考えてみたという訳です。

 それは戦後最低の投票率でも政権交代が起こったこと、自民党の獲得票と議席の乖離が見られ、選挙制度の問題が一票の格差と民主主義との関連でようやく取り立たされるようになったこと、選挙公約と政治の乖離が厳しく指弾されはじめてきたことがあります。

 ところで、この件に関して、以下のブログを見て驚きました。これは、今回の選挙の正当性からみて、一票の格差問題、小選挙区制の問題と合わせて問題としていかなければならないでしょう。

【投票時間繰上げ】 全国1万6千ヶ所で 自・公が得するイカサマ選挙の匂い2012年12月17日 01:47

http://tanakaryusaku.jp/2012/12/0005874

 以上のようなことが論じられるようになってきたのは、東日本大震災で被害にあった人々の悲痛な叫び・訴えがあったように思います。多くのアジア・欧米人を殺害し、日本人も犠牲になった、あのアジア太平洋戦争の責任問題が曖昧なまま、喉下過ぎれば熱さ忘れるという諺のとおり、原発安全神話にどっぷり浸り、日米安保の安全保障神話に浸かり、日本の危機が叫ばれているという点において言うならば、虚構の繁栄を謳歌してきた日本を日本国憲法の原点に戻れとの警告であったように思います。

 選挙後の安倍自公政権の諸事実をみると、そうした悲痛な叫び声・訴え・警告を無視した政治が行われようとしています。これは歴史の流れを見誤ったものと言わねばなりません。

 しかも、安倍自公政権の経済政策によって株価が値上がりしたという嘘八百が暴露されたことにみるように、今後偽りの政権交代劇の台本ノデタラメさが浮き彫りになってくるででしょう。

株高の仕掛け人は海外投機筋「アベノミクス」の虚構2012年12月28日(金)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-12-28/2012122801_02_1.html

 このことに関連して、1000兆円もの「赤字」と言われている「税金」が、どこへ消えたか、誰のところに血税が集中的に集められたか、また非正規労働を余儀なくされ、ワーキングプアーに落とされ、生活保護者が史上最高を記録する一方で、富裕層の資産はドンドン膨らんできている経済大国ニッポンの矛盾は、今後劇的な形でアウフヘーベンされなければなりません。この矛盾を運動によって、選挙によって、劇的に変革していくことが求められています。このことが、現実的課題であることは、この間の日本の歴史を観れば明瞭です。

 原発再稼動にしても、米軍基地にしても、TPPにしても、強靭化法案にしても、増税と社会保障削減にしても、誰にとっての利益となり、不利益となるか、そのことがいっそう問われてくることは間違いありません。

 そのためにも、中国・北朝鮮脅威論にもとづく「軍事抑止力」論を横行させることで憲法の平和的抑止力論を軽視し否定する偽りの日米安保繁栄論や国家の基盤である国民生活を破壊しても平気でいる大企業繁栄の景気回復論などのデマゴギーを吐くイデオロギーを一つ一つ解きほぐして、苛められている国民が団結し連帯すること、中国や北朝鮮国民などとの友好と連帯を育む取り組みを強化していく必要があるように思います。

 来年も、こうした視点で、学んでいきたいと思います。宜しくお願いします。

 

新しき時代(とき)の来たるを願ひつつ民の団結信じてキィーを

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日米同盟深化派「朝日」の姑息な集団的自衛権容認論の記事に大大喝を

2012-12-30 | 日記

29日付「朝日」は、2面で、以下の記事を掲載しました。この記事を読むと、安倍首相の論理を紹介する形をとりながら、それに対する憲法上の「制約」を述べながらも、全体としては「国際法上の権利を保持していても、それを行使できないのはおかしい」という「俗論」(豊下楢彦「集団的自衛権とは何か」岩波新書)に流し込む意図をもった記事と言えます。以下愛国者の邪論風に記事を解釈してみます。

http://www.asahi.com/news/intro/TKY201212280790.html?id1=2&id2=cabcbccj

 

一つには、「集団的自衛権は密接な関係にある他国が攻められたとき、自国が攻撃されたとみなして反撃する権利だ国連憲章は加盟国に自分を守る個別的自衛権とセットで認めている」というウソを平気で述べていることです。加盟国に無条件で認めているような表現に意図的な狙いが透けて見えてきます。 

二つには、自民党の選挙政策を紹介しながら、それを批判するのではなく、「日米同盟の絆」を理由に、「米国向けのミサイルを迎撃しようにも自衛隊の能力では届かない」と姑息にも「迎撃」=集団的自衛権行使を事実上認めていることです。これでは能力を向上させれば、すなわちアメリカの兵器を購入することで能力を向上させれば、安倍首相の主張する集団的自衛権の行使は可能になります。 

三つには、「日米安全保障条約で、『極東の平和と安全』のために、米国が日本国内の基地を使うことを認めた。その代わり、日本は米国のために集団的自衛権を行使しなくても、米国が守ってきた」と平気でウソをついているのです。これも日米安保条約の行使にも憲法上の制約があることは、条約の中に明記されていることです。一般的な「絆」論という「感情論」で片付けることはできません。ここにも「朝日」の姑息さが浮き彫りになります。 

四つ目には、安倍首相のホンネである「改憲して武力行使の禁止を取り去ると、世界各地で米軍とともに武力行使ができる」とする狙いを紹介していません。「論座」(04年2月号) 

以上のような集団的自衛権容認の先導的記事を掲載する「朝日」を憲法擁護の立場から批判し、変えていかなければならないでしょう。 

そのためには、国連憲章の紛争の解決のための方法論、憲法第9条の国際紛争の解決の方法論を豊かなものにしていくことが大切ではないでしょうか?こうした視点と方法・内容について、戦後の自民党政権は、ことごとくサボタージュしてきました。そのことで日本国民の中に、紛争の解決方法についての「思考停止」状態が生じて、それを良いことに「脅威」論と「武力抑止力」論が憲法の「平和的抑止力」論以上に横行してきた、横行させてきたのではないでしょうか?

こうした状況を何としても根本的に改善していく時期に来たというのが愛国者の邪論の思うところです。

〈ニュースがわからん!〉集団的自衛権ってなんじゃ?

同盟国などへの攻撃に反撃できる権利  

ホー先生 新首相の安倍晋三氏は集団的自衛権の話に熱心なようじゃな。

A 集団的自衛権は密接な関係にある他国が攻められたとき、自国が攻撃されたとみなして反撃する権利だ。国連憲章は加盟国に自分を守る個別的自衛権とセットで認めている。だから日本にも国際法上の権利はあるけど、憲法上の解釈で使うことはできないというのが政府の立場なんだ。

ホ なぜじゃ?

A 憲法9条の戦争放棄の解釈で、政府は自衛権の行使に3条件をつけている。①日本への急迫不正の侵害がある②排除のため他に手段がない③必要最小限度の実力行使にとどまる、だ。これだと、日本への攻撃ではないから集団的自衛権は行使できない。

ホ 米国との約束も関係あるんじゃろ。

A うん。日米安全保障条約で、「極東の平和と安全」のために、米国が日本国内の基地を使うことを認めた。その代わり、日本は米国のために集団的自衛権を行使しなくても、米国が守ってきたんだ。

ホ 安倍首相は、行使を認めようというわけだな。

A 自民党が衆院選で公約した。「日米同盟の絆」を強めるとして、二つの例を挙げている。公海で離れて、ともに活動する米艦が攻撃された場合と、日本周辺で発射されたミサイルが米国に向かう場合だ。図。

ホ ニつの例―。

A 2007年に第1次安倍倍内閣が設けた有識者懇談会は、この2例で行使できると提言した。首相は就仕後初の記者会見で、有識者から改めて意見を聴いて「また検討を始めていきたい」と語った。

ホ ホホウ。

A でも、米艦攻撃には個別的自衛権で対応可能とみる専門家も多い米国向けのミサイルを迎撃しようにも自衛隊の能力では届かない。限定的でも、行使を認めれば[専守防衛]の日本の方針が大きく変わりうるだけに、落ち着いた議論が必要だ。   (野上祐)

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存在を黙殺しておきながら、「存在感示せず」論を振りまいた「毎日」などマスコミに大喝!いい加減にしろ!

2012-12-29 | 日記

昨日は、「大勝」「圧勝」に驕る自公政権を批判するかのような社説を書いている毎日・東京・沖縄タイムス・琉球新報の社説を紹介しましたが、今日も、その続きを見てみたいと思います。

 まず、この記事です。この記事については、

「不公平・ウソとペテンの「朝日」の「公約を問う」は真の対立軸と負担者を覆い隠し、有権者分断と対立に」2012-12-08 08:44:44)」へのコメント欄に、2012-12-17 08:48:04付けで「毎日新聞」さんに紹介していただいております。

http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/e3bdfad5508e5b8e380a275cfef9ac41

衆院選:共産と社民、存在感示せず 改憲論議にも影響か 毎日新聞 2012年12月16日 23時45分(最終更新 12月16日 23時55分)

http://mainichi.jp/select/news/20121217k0000m010204000c.html

 共産、社民両党は憲法改正反対、原発即時ゼロなどを訴え、2大政党や「第三極」勢力との違いを打ち出そうとしたが、近年の退潮傾向に歯止めをかけるのは難しい状況だ。老舗の護憲政党の衰退は、自民党などが意欲を示す改憲論議にも影響しそうだ。…社民党も公示前の5議席を大きく下回るのは確実。「元祖・脱原発」や格差是正などを訴えたが、「卒原発」を掲げる日本未来の党の登場で、存在感が薄れた。(引用ここまで)

 

とありますが、「毎日」をはじめ、どれだけの新聞が、両党の政策を他党と比較して論じたか、が検証されなければなりません。

 

さらに、民意切り捨てトリックの小選挙区制度を前提とした自民の「圧勝」「大勝」の裏返しとして、以下のような論調で共産党の「全敗」を論じています。

 

同党は小選挙区の候補者数を152人に絞り込んだ09年衆院選から方針を転換し、299人を擁立した。小選挙区と比例代表の運動を連動させて票の掘り起こしを図るのが狙いだったが、小選挙区では全敗。比例代表でも改選前の9議席維持が微妙な情勢だ。(引用ここまで)

 

愛国者の邪論が強く主張しているのは、こうした見方を振りまく大手全国紙の視点・思想・イデオロギーが憲法で明記された平等の原則・表現思想の自由、国民に政党の真実を報せる情報公開の原則など、民主主義の根幹から大きく逸脱していることです。このことは放送法や公選法にも違反していることは、すでに記事にまとめてきました。

 

このことについて、国民的議論を巻き起こし、マスメディアをととおして社会の公器である新聞、とりわけ大手マスコミの責任を正していく必要性と実現を図っていくこと、このことが日本の劣化を食い止め、国民生活の向上とアジアにおける信頼ある地位を占めていくことになると確信するものです。

 

中国や北朝鮮の「自由」度をあげつらう前に、またこれらの国へのイチャモンをつけることで、国民的ストレスを癒し、溜飲を下げている昨今の風潮から決別していくことです。

 

勿論、共産党や社民党に何ら問題がないなどと言うつもりは毛頭ありません。こうしたマスコミ包囲網のなかで(初めからわかっていることですが)、どのような戦略戦術を立てるか、マスコミの戦略を逆手にとった政党活動の駆使と発展を具体化していくこと、このことこそ、両党に求められているのだと思います。そのことは両党の国民に対する責任の問題でもあります。

 

その点で「政権批判票の受け皿になることはできなかった。志位体制は当面維持される見通しだが、運動方針の見直しを迫られるのは必至だ」などと言わせておくのは問題です。

 

このことは、「負け惜しみ」などというレベルの問題ではないからです。先に述べたように日本国憲法を具体化していくかどうかのレベルの問題です。このことを系統的に追求してこなかった共産党のあり方の転換を強く求めていきたいと思います。

 

共産党はマスコミによる共産党はずし報道を野放しにして、言わばサンドバックになりさがっています。昔風の言い方をすれば、イデオロギー闘争が極端に弱められているのです。だからこそ、そこに点けこまれて橋下氏のプロパガンダを許しているのです。

 

そのことは、「政策そのものは国民の利益にかなっている。党の地力をもっと付けないといけない。党勢拡大の点では道半ばで衆院選になった」(16日夜、NHKの番組で志位和夫委員長)などと、マンネリ的「総括」を述べてしまっているのです。

 

そうではなく、「自民型政治」からの脱却を最大の争点として掲げたにもかからわず、小選挙区制を前提とした偽りの世論調査にもとづく政権の枠組み論の「風」「風評」を撒き散らされたことに対する「批判」と、憲法尊重擁護の立場から、正々堂々と、マスコミの問題点を指摘すべきですし、その点での「自力不足」をこそ「総括」すべきです。

 

このことは「憲法改悪、改正(反対)といっても有権者にはちょっと遠かったかもしれない」(16日夜の福島瑞穂党首記者会見)は反面教師です。しかも「毎日」に「悔しさをにじませた」などと言われてしまっているのですから、オメデタイ政党と言えます。

 

今回の選挙で検証してきたように、1日の党首討論会を企画した日本記者クラブを頂点とする大手マスコミ界に巣くう二大政党政治の擁護、自民党型政治温存勢力、すなわち「日米同盟」「基軸」派・「容認」派・「深化」派、さらには財界の利益擁護派の本質を、今後は国民の前に浮き彫りにし、この二つの巨悪に苛められている国民、まじめに働いても働いても彼らに、その富を吸い取られている国民のエネルギーを総動員する戦略と戦術を編み出していく必要があると思います。

 

最後に昨日掲載しておいた「毎日」「東京」の「社説」のうち、選挙期間中に書かれたものをみると、「原発即時ゼロ」を掲げた共産党の政策などは、完全に「黙殺」されていることがわかります。どこの政党が論じられているかを見れば明瞭です。

 

愛国者の邪論が言いたいのは、こうした政策・ベクトルを公平に、国民に提示し、問題提起し、国民的議論を喚起するマスコミの態度・姿勢です。

 

こうした努力を怠り、「存在感示せず」などというのは、大問題です。「存在感」を「黙殺」するアンタが問題だ!ということです。

 

もう、そろそろ、こうした手法に国民からノーを突きつける時がきたように思います。国民の命と暮らしを、そうして、この国の民主主義を発展させるために、そうして国際的に信頼ある国に認められるために、です。

 

毎日社説:衆院選・脱原発と再稼働 説得力ある工程表示せ 2012年12月07日 02時31分

http://mainichi.jp/opinion/news/20121207k0000m070128000c.html

 

【東京社説】2012選択(2) 脱原発 変革は誰が起こすのか2012年12月6日

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012120602000106.html

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早くも安倍自公政権の本性が出たにもかかわらずまともな批判ができない東毎沖琉社説に呆れつつ大喝を!

2012-12-28 | 日記

安倍政権は発足の、ほんのわずかの合間に、その本性が出ました。それは、以下の記事です。

経産相、30年代原発ゼロ見直し 核燃サイクル継続も2012/12/27 05:22  

http://www.47news.jp/CN/201212/CN2012122701000483.html

防衛省が普天間アセスの縦覧開始 政府、埋め立て申請へ2012/12/27 11:40

http://www.47news.jp/CN/201212/CN2012122701000770.html

従軍慰安婦、河野談話見直しも 菅氏「検討重ねる」2012/12/27 12:28

http://www.47news.jp/news/2012/12/post_20121227123000.html

 

同時に、これらの発言に対して、まともな(護憲的)批判的社説を書くことすらできない毎日・東京・沖縄タイムス・琉球新報に呆れました。これでは議席の上で「大勝」「圧勝」した安倍自公政権の強引さにズルズルと引き込まれ、そのうちに母屋を乗っ取られることになることは明らかです。以下各紙の社説を一覧しておきます。

 

安倍新内閣始動 政策の説明責任を果たせ20121228 

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-200810-storytopic-11.html

社説[崩れる「抑止力論」]基地削減へ本質議論を2012年12月28日 10時33分

http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-12-28_43289

 

12衆院選 在沖米軍基地/不条理継続は許されない2012125

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-199935-storytopic-11.html

沖縄タイムス社説一覧

http://www.okinawatimes.co.jp/category/%E7%A4%BE%E8%AA%AC/1/

 

毎日社説:原発ゼロ見直し 議論を白紙に戻すな 2012年12月28日 02時30分

http://mainichi.jp/opinion/news/20121228k0000m070131000c.html

毎日社説:衆院選・脱原発と再稼働 説得力ある工程表示せ 2012年12月07日 02時31分

http://mainichi.jp/opinion/news/20121207k0000m070128000c.html

 

【東京社説】原発維持方針 3・11をもう忘れたか2012年12月28日

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012122802000108.html

【東京社説】2012選択(2) 脱原発 変革は誰が起こすのか2012年12月6日

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012120602000106.html

 

以上の各紙の社説を一読してみて、愛国者の邪論風にまとめてみました。原発についても、米軍基地についても、慰安婦問題に象徴される戦争責任問題についても、マスコミは各党の主張・政策を国民の前に公平に明らかにして、本当の意味で「争点」化してきたのかどうか、そのことが鋭く問われてくるようにしていきたいと思います。一つ一つを指摘することはせず、特徴点をもとめてみました。

 まず第一には、以上の問題について、総選挙時、各紙はその社説でどのようなことを述べていたか、とりわけ自民党と公明党の政策、各党の政策の違いを有権者に報せていたかどうか、鋭く問われてくることは必至です。とりわけ有権者比からみても、得票率からみても、少数派である自公政権にもかかわらず、議席面からのみ強調し「大勝」「圧勝」報道をしたことで、国民の目を選挙制度の矛盾から遠ざけていったことが、安倍自公政権の横暴を許すことになっていることについて、許されるものではありません。

 第二に、各紙の社説は、原発即時ゼロを掲げる政党と脱原発を掲げる政党の違いを有権者に示したかどうか、さらには、自民党と公明党の民主党政権前の原発政策について、さらには原発事故後の対応について厳しく問いかけたかどうかが、鋭く問われてくるでしょう。

 第三に、各紙の社説は、普天間基地の「移設」問題に対して、「撤去」掲げている政党の主張を、公平な立場から報道し、有権者に、その違いを明らかにしてきたかどうか、そのことも鋭く問われてくるでしょう。

 第四には、従軍慰安婦問題に係わって、戦争責任問題について、各党の違いを有権者に明らかにしてきたかどうか、このことも鋭く問われてくることは明らかです。このことは国際社会において、安倍自公政権のような態度が決して多数派ではないことは、第一次安倍自公政権時に浮き彫りになったことをみても明瞭です。しかし、このことを強調せず、アジアの、特に中国の主張(反発)を強調することで、中国脅威論を煽ってきたことによって日本国民のなかに醸成されてきたナショナリズムを逆に対峙させることで、安倍自公政権の非常識で横暴な態度に市民権を与える効果を与えていること、このことの持つ意味について、マスコミは厳しく指弾されなければならないでしょう。

 第五には、以上のようなマスコミ報道が、安倍自公政権の主張や態度の宣伝に手を貸すことで、日本国憲法の改悪の方向に国民を導く役割をマスコミが担っていっていること、このことについても、厳しく批判していかなければなりません。まさにオセロゲームで言えば、安倍自公政権に四隅を与えるための布石を打っている、或いは打たせていると言える!というのが、愛国者の邪論の考え、推論・立場です。

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日本共産党の政権論について 不破哲三委員長に緊急インタビュー

2012-12-27 | 国民連合政権

日本共産党の政権論について 不破哲三委員長に緊急インタビュー『しんぶん赤旗』1998年8月25日

いま、政権論がなぜ注目されるのか

 ――日本共産党の政権論がかつてなく注目されています。不破委員長がこの問題でマスコミのインタビューにこたえた記事も、ずいぶん反響をよんでいますが、まずこういう反響のひろがりをどうみているか、といったあたりからうかがいたいのですが。

 不破 現実には、野党間でそういう協議がはじまっているわけではないし、私たちのところに政権協議のよびかけがあるという状況でもないのですが、いわば状況を先取りする形で、マスコミから問いかけがある、それに答えるとそれが反響をよぶ、というのは、やはり背景に、政治情勢のそれだけの進展があると思います。

 一昨年の総選挙でわが党が躍進し、昨年の都議選では首都東京で自民党につぐ第二党になりました。そしてこんどの参院選ではまた大きな躍進をして、ここで得た得票数、議席数では、自民、民主につぐ第三党の地位を得ました。 その一方、自民党は大敗して、参議院では過半数回復どころか、それをさらに大きく割り込む状態になりました。 いま解散・総選挙が政治の焦点になっていますが、それがおこなわれて、自民党が衆院でも多数を失うことになったら、野党の連合政権という問題が、いやおうなしに日本の政治の現実の日程にのぼってきます。これが、第一の条件ですね。

 第二に、その野党の側では、日本共産党の躍進と並行して、20年近くつづいてきた「共産党をのぞく」という異常な体制が崩れ、いろいろジグザグはあっても、日本共産党を一つの柱にした野党共闘が、国会で現実に展開されている、という状況があります。 5年前の総選挙で自民党が過半数を失った時には、日本共産党をふくむ野党共闘などが問題になる条件はまったくなく、いわゆる「非自民」連合という形で、細川内閣が成立し、自民党政治をうけついだのでした。いまは、当時とは、そこが大きくちがっています。 いま自民党が総選挙で多数を失ったときのことを考えると、以前のように、「共産党をのぞく非自民」政権という問題だけでなく、日本共産党をふくむ野党の連合政権ということが、政権の一つの方向として、いやおうなしに問題にならざるをえない情勢がすすんでいる。参院選後、マスコミの方から、しばしばそういう問いかけがおこなわれてくるのも、情勢のそういう進展のなかに一定の根拠があるわけです。 ですから、この問題は、私たちの側からいっても、ただマスコミに聞かれるから答えるというだけの意味をもつものではありません。こんご、日本の政局を国民の立場できりひらいてゆく展望の問題として、私たちが責任ある答えをもって対応すべきことなのです。

4月の全国地方議員会議での報告から

 ――そういう話をきくと、情勢の進展のはやさ、はげしさにあらためて驚かされますね。参院選のさなかでは、政権問題というのは、まだそこまでの現実的なひびきをもちませんでしたが。

不破 そうですね。自民党の逆立ち政治の横暴な支配をいかにして打ち破るかが、中心問題でしたからね。 ただ、私たちとしては、情勢の発展とともに、政権問題が日程にのぼってくる、という問題は、選挙の前から予想していました。4月に、全国の地方議員約4000人をあつめて、党史上最初の全員会議をやりましたね。あの会議での報告のなかで、私は、この問題についての予告的な問題提起をしました。 報告をする前の日に、朝日新聞に、私たちの野党共闘論にたいする批判的な社説(「野党共闘というけれど」)がのったのです。それに答える形で、野党共闘にたいする私たちの方針を説明したのですが、そのなかで、野党連合政権への態度について、つぎのように話しました。

 「政権問題についても、だいたい日本の政治のなかで、連合政権という方針を、戦争直後の時期の片山内閣、芦田内閣を別とすれば、それ以後の情勢のなかで連合政権という方針を最初に提唱したのは日本共産党であります。そして、その連合政権も、民主連合政権という政治の根本的な転換の政権だけではなく、選挙管理内閣あるいは、政治腐敗の根絶をおもな任務にする暫定政権など、政治の重要な局面局面で、それにふさわしい連合政権の提唱をおこなってきたことも、思い出していただきたいと思います。70年代のことでしたが、そういうことを考えていただければ、わが党が、情勢におうじて原則をふまえて弾力的に対応するという、その対応のあり方がどんなものかを、ご理解いただけると思います」。

 ここでの説明で大事な点は、わが党は、民主連合政府という目標を一貫して追求しているが、この政権ができる条件が成熟するまで政権問題にはふれないで、ただ待っているという消極的な立場ではない、その局面の状況に応じて、選挙管理内閣とか暫定政権――これは「よりまし政府」ともよんできましたが――など、政局を民主的に打開する政権構想をも積極的に追求するんだ、という点にありました。「情勢におうじて原則をふまえて弾力的に対応する」というのは、そのことなんですね。

70年代、80年代の政治局面のなかで

 ――そういう提唱は、70年代には、実際に何回もおこなってきたことなんですね。

不破 そうなんです。70年の第11回党大会で、民主連合政府の樹立についてあらためて具体的な展望をしめし、73年の第12回党大会では、民主連合政府の政府綱領についての提案まで討議決定しました。 こうして「70年代のおそくない時期」の民主連合政府の樹立をめざして奮闘しながら、その間、田中内閣の末期に金脈問題が表面化して、政府が危機的な状態におちいったときには、1974年10月でしたが、自民党内での政権たらいまわしでなく、腐敗政治に反対する全議会勢力によって選挙管理内閣をつくることを提唱しました。 このときの政府の危機は、自民党内の政権交代で三木内閣ができて終わりました。その三木内閣のもとで、ロッキード事件が暴露され、また小選挙区制の問題で日本の民主主義がおびやかされるという情勢がすすんだとき(76年4月)、私たちは、小選挙区制粉砕、ロッキード疑獄の徹底究明、当面の国民生活擁護という三つの緊急課題で「よりまし政権」をつくろうではないか、という暫定政権構想を、当時の宮本委員長の提唱で提起しました。これは、緊急の三つの課題で実際の改革的な措置をやろうという提起ですから、選挙管理内閣よりも、さらにすすんだ問題提起でした。この時、広範な勢力の合意をはかる前提の条件として、安保条約の問題などでの見解の相違は保留するという立場を明らかにしました。 こういう提起をおこなったのは、70年代だけではありません。9年前の89年参院選の時にも、私たちは、この選挙戦で最大の問題となった消費税問題を中心に、(1)消費税廃止、(2)企業献金禁止、(3)主食であるコメの自由化阻止の三つの緊急課題での暫定連合政府の樹立を提唱しました(常幹声明、89年7月13日)。私は、この政権構想についての記者会見(同年7月15日)で、この政府の性格やその意義について、つぎのように説明したものです。

 「わが党が提唱している暫定連合政府は、体制的な意見の相違はもちろん、安保条約などの問題での立場や見解の相違は留保しながら、国民の緊急の熱望である三つの緊急課題で共同し、その実現をはかることを、最大かつ主要な使命とする政権を、共同で樹立しようというものである。この連合政権の任務がこういうかぎられたものであっても、その政権のもとで、国民の要求が実現するならば、それは文字どおり、主権者である国民が、国民自身の力で国民の利益にたって国政を動かすという史上最初の壮挙となり、日本の政治のまったく新しい局面をひらくものとなるだろう」(「三つの緊急課題での暫定連合政府こそ 国民の期待にこたえる道理と現実性をもった選択」『赤旗』89年7月16日付)

 私たちが、こういう提唱をした70年代、80年代という時代は、政界の状況からいって、私たちのよびかけが現実に政界に影響をおよぼすという条件は、実際的にはまだありませんでした。マスコミからも、いまのような積極的な関心は向けられませんでした。私たちの党に近い部分でも、はっきりいって、こういうよびかけを理論的な提唱としてはうけとめても、政権問題を現実の政治問題として身近にとらえるという問題意識は弱かったと思います。そういう時代的な背景だったんですね。 はじめにものべたように、現在の政治情勢は、そこがちがってきています。 まだ、目の前で野党の連合政権が現実の問題になるという状況ではないのだが、近い将来の解散・総選挙を想定すると、自民党から野党への政権交代を、かなり大きい確度で考えざるをえないほど、自民党政治が破たんしている。 また、日本共産党は、参院選の得票と獲得議席では野党第二党を占めるという状況が、一方にある。他の野党と日本共産党とのあいだで政権協議がすすむには、まだまだとりのぞくべき障害はたくさんあるのだが、しかし、日本共産党はそもそも、こういう状況のもとでの野党の連合政権あるいはそのための協議に、どんな立場、どんな態度でのぞむのだろうかという問題、またその日本共産党が、どんな政権構想をもっているのか、それは現実の政治に対応できるだけの力と内容をもったものか、こういうことが、先取り的ではあるが、これからの政治の動きの大事な要素として注目されてくる。 こういう情勢が、わが党の政権論への関心、注目、またこの問題での報道への反響としてあらわれているのだとおもいます。

民主連合政府の成立のための政治的条件は……

 ――さきほど、民主連合政府と暫定政権の関係について、歴史的な説明はうかがったんですが、現在の情勢に即して、説明してもらえませんか。

不破 現在の段階での私たちの基本的な政権目標は、民主連合政府です。昨年の第21回党大会では、「21世紀の早い時期に、政治革新の目標で一致する政党、団体、個人との連合で、民主連合政府を実現することをめざして奮闘する」(党大会決議)という方針を決定しました。この政府は、政治革新の目標、すなわち国づくりの根本的な転換を実現する政府です。私たちは、いま自民党の国づくりの破たんを問題にしていますが、公共事業に50兆円、社会保障に20兆円という逆立ち政治の転換や、日本をアメリカの戦略基地にしている安保条約の廃棄をはじめ、自民党政治をおおもとからきりかえることが、この政府の任務となってきます。 なかでも、日米安保条約の廃棄というのは、革新三目標の一つであり、民主連合政府の政策では不可欠のものとなってきます。民主連合政府をつくる国民的な条件としては、日米安保条約反対が国民多数の世論になり、安保条約をやめ、軍事同盟からぬけだすという国民的合意ができることが、大事な条件の一つになります。この点では、沖縄で米兵による少女暴行事件が起き、日本中が怒りにわいた当時には、安保反対の声が四割をこえたという世論調査もありましたが、最近の世論調査では、質問の立て方でも変化しますが、だいたい安保反対の声は三割前後かそれ以下という場合が多い。この面からも、国民の世論がもっともっと成熟してゆかないと、民主連合政府をいまの問題として日程にのぼせうる条件はできないのです。 また政党関係でいうと、国会に一定の議席をもっている政党で、日米安保条約の廃棄という立場に立っている政党は、日本共産党以外にありません。昨年の党大会では、民主連合政府への条件をかちとってゆくために必要な課題の第一に、当面の第一段階の目標として、わが党が「衆議院に100をこえる議席、参議院に数十の議席をもち、国会の力関係のうえでも自民党と正面から対決できる力量をきずきあげる」(第21回党大会での中央委員会報告「三、民主的政権への接近のために何が必要か」)という課題をかかげましたが、ともかく、国会の議席のうえでも、安保反対の勢力がもっともっと大きな力量をもつようにならないと、この面からも、民主連合政府に接近する条件は生まれません。 そういう意味では、現在は、民主連合政府を現実にめざす条件が、国民世論のうえでも、政党関係のうえでも、まだないことは明白です。その情勢を変革してゆくために、党大会では、「民主的政権への接近のために何が必要か」という角度で、一連の課題を提起し、その実現に全力をつくすことを決定したのです。

暫定政権構想の現実的な意味は?

不破 では、そういう条件をつくりあげ、民主連合政府をつくりあげる条件が成熟するまで、私たちは、政権問題にノータッチでいいのか、民主連合政府以外は頭から問題にしないという一本槍(やり)の態度でいいのかということが、つぎの問題になります。それでは、国民に責任を負う立場で、実際の政治に前向きにとりくむことはできません。そこで、暫定政権あるいは「よりまし政権」という、以前から私たちがとってきた立場が、重要になってくるのです。 実際、いまの情勢を見てみましょう。民主連合政府を問題にするには、まだまだ遠い状態にあるが、つぎの解散・総選挙で自民党の多数支配が崩壊するという可能性は、かなり色濃い現実性をもって、現に存在しています。総選挙の結果、自民党が多数を失い、野党がまとまれば自民党政権を終わりにできるという条件が生まれたとしたら、そのとき、野党のなかで有力な地位をしめている日本共産党が、政権問題にどういう態度をとるのか。これは、国民の先頭にたち、国民の立場で日本の政治を変えてゆくことをめざす政党としては、たいへん重要な、大きな問題です。 もっとはっきりいうと、

 ――自民党が多数を失って、野党の連合政権をつくりうる条件ができたとしても、民主連合政府以外は問題にしないという態度で、いまの政権問題には無関係だという立場をとるのか、

 ――それとも、国民の生活や民主主義にかかわる重大な点で、自民党政治を少なくとも部分的には打破できる、そしてその分野では国民の利益にかなう政策を実行する政府をつくれるという条件があるなら、その実現に積極的に力をつくすのか、

 この選択が、具体的に問われるのです。 そして、この問題に、日本共産党は答えをもっていないのかというと、さきほど歴史的な説明をしたように、以前から、はっきりした明確な答えをもっているのです。それが、暫定政権構想でした。 4月の全国地方議員会議で報告したように、私たちは、現在の政権問題に積極的に対応する立場をしっかりともっています。つまり、こんごの情勢の発展のなかで、野党の連合政権の協議が問題になるときには、われわれは積極的な提案をもってその協議に参加する用意があります。そして、その協議によって、政権の基礎となる政策協定その他の合意ができれば、それにもとづいて、政権にも参加する用意があります。これが、私たちの立場です。

野党間では政策共闘の積み重ねが大事

 ――いま暫定政権を問題にするとすれば、この政府はどのような政策を実行する政府になるのでしょうか。

 不破 それにお答えする前に、いま野党間の共闘でなにが重要か、ということからお話ししたいと思います。 自民党にかわる野党政権をどうやってつくるか、という問題で、野党のあいだにもいろいろな議論がありますが、私は、自民党の悪政に反対する政策共闘の積み重ねが、いまいちばん大事だと思っています。 1月~6月の通常国会以来、日本共産党をふくむ野党共闘の前進に一つの前向きの特徴がありましたが、それは、橋本内閣の不信任案を民主党、自由党、日本共産党の三党で共同提案し、新党平和・改革が賛成したこと、臨時国会冒頭の首相指名の選挙で、民主党の党首を民主、自由、共産の三党が最初から共同でおし、参院の決選投票で公明その他の会派がこれにくわわったことなどが、おもな内容でした。この共闘は、それぞれ政治の重要な局面で実現し、重要な意義をもったものでしたが、一方、政策面での共闘は、まだ本格的には展開されてきませんでした。いわば相手をどう倒すか、どう追いつめるか、こういう共闘は前進したが、政策的な一致点で共同するという政策共闘はまだ本格的に実っていない、ということです。 いまどの野党をとってみても、それぞれの党が持っている政策体系はずいぶんちがった内容をもっています。しかし、政策体系がちがう政党のあいだでも、国民の利益にかなう一致点というものはありうるわけです。たとえば、日本共産党と自由党は、それぞれがもっている将来の税制像はたいへんちがっていますが、参院選では、両党とも、景気打開のための当面の緊急政策として、消費税の3%への減税を一致して公約にかかげました。だから、それぞれの公約を実現する活動として、消費税の3%への減税を要求する政策共闘をおこないうる条件は、理論的にも、実際的にも、現にあるわけです。 こういう一致点は、さまざまな党のあいだで、また減税の問題にかぎらず、金融対策の問題についても、ガイドラインなど安保条約にかかわる問題についても、それを探求できる可能性と条件があります。 そういう一致点をひろい視野で探求し、その点を共同で追求する、あるいは共同でその実現をめざすという政策共闘は、当面の国会活動のうえで、たいへん重要な意味をもっています。同時に、この政策共闘は、政権連合への足ならしとしても、意義が大きいと思います。 共闘とは、そもそも政策や理念のちがう政党が、国民の利益にかなう一致点で共同することなのですが、政策共闘を積み重ねることは、この共闘の論理を政党間で血肉にしてゆくことにも役立つでしょう。また、一致点での共同という問題に、たがいに誠実に対応しあう経験を通じて、政党間の信頼関係をきずくことにもつうじるでしょう。また、この党とのあいだではこういう種類の政策問題ではここまで共闘が可能だといった判断をおたがいにもって、いわば政策面での政治地図をたがいに見定めることにも役立つでしょう。 こういう経験をへてこそ、政権共闘が問題になる段階での議論の足場もしっかり定まってくると思います。

どんな問題が政策協定の内容となるのか

 ――そのうえで、暫定政権の政策問題を聞きたいのですが。

不破 国会でいろいろな政策共闘を積み重ねる。そういうなかで、解散・総選挙をかちとり、総選挙になれば、そこでは、自民党政治への審判と同時に、野党それぞれも国民の支持を競い合います。 この選挙戦は、21世紀を目前にした総選挙として、当然、各党が、当面の諸問題の解決策を示すだけでなく、日本のどんな進路をめざすかという国づくりの大方向を国民の前に明らかにし、その判断と選択を求める政治戦という性格を強くもつでしょう。 日本共産党は、不況打開、消費税減税など緊急の諸課題とともに、安保条約の廃棄、大企業中心主義からの根本的な転換など、国政革新の方針とそれを実現する民主連合政府の樹立への展望を大きく打ち出して、日本共産党の国政革新の路線への支持を国民に訴えてたたかいます。 同時に、日本共産党が、21世紀の早い時期の民主的政権という長期的、根本的な政権目標をめざしてねばりづよく奮闘するだけでなく、選挙後の現時点の政局についても、現実に可能な野党の共闘によって、これを前向きに打開する用意があることを、公然と明らかにして、国民の理解を求めます。 いまのような激動の時期には、選挙戦においても、長期的な政権目標とあわせて、当面の政局打開の積極的な構想ももつ、こういう政治的な態度が、まさに必要になっているのです。 そして、この選挙戦で、日本共産党が、新たな躍進をどれだけかちとるか、国会でどれだけ大きな議席をもつかを中心に、政党間にどのような新しい政治的力関係が生まれるかは、長期的な政権目標(民主連合政府)への接近の展望を左右するにとどまらず、選挙後の政局――当面の政権問題に決定的な影響をあたえるものとなります。 とくに、この選挙戦をへて、新しい国会が生まれたとき、自民党が衆議院でも過半数を失うという結果が生まれれば、そのときこそ、野党間での政権協議がほんとうに現実の問題になってきます。 どういう政策を暫定政権の柱にするか、ということも、そのときの情勢、なかんずく選挙にしめされた国民の審判の結果に大きくかかってくるでしょう。 私たちはこういう展望をもっていますが、いまの時点でいえば、消費税減税を中心に、私たちがことしの春発表した「深刻な不況から国民生活をまもる緊急要求」などは、協議のさいに私たちの側から提案するたたき台になりうると思っています。また、金融問題で、国民の税金の不当な投入をやめさせる問題も、当然、大きな柱になってきます。

安保条約の取扱いはどうするのか?

 ――現在の政党状況のなかで意見のちがいがもっとも大きい安保条約の問題をどうするか、という問題があります。いろいろな意味で注目されているところですが、この点はどうでしょうか。

不破 安保条約廃棄の立場をとっている政党はわが党だけですから、いまの状況下で他党と連合する政権を問題にする以上、それは、民主連合政府とはちがって、安保廃棄論者と安保維持・堅持論者のあいだの連合政権ということになります。この意見のちがいへの対応策は、76年、89年の提唱のときにものべたように、政権としては、「安保条約などの問題での立場や見解の相違は留保」する、ということ以外にありません。 安保条約の問題を留保するということは、暫定政権としては、安保条約にかかわる問題は「凍結」する、ということです。つまり安保問題については、(イ)現在成立している条約と法律の範囲内で対応する、(ロ)現状からの改悪はやらない、(ハ)政権として廃棄をめざす措置をとらない、こういう態度をとるということです。 もちろん、安保廃棄の立場に立つ政党が、政党として安保条約の廃棄をめざす主張や運動をやる、あるいは安保賛成の立場の党がその立場での主張、運動をやる、これらのことは、政党としてのそれぞれの権利に属する問題です。しかし、政権そのものは安保賛成の党派と安保廃棄の党派の連合政権ですから、政権としては「凍結」した対応をする、という意味です。 いま問題になっているガイドラインは、既定の条約にも法律にもなっておらず、改悪の作業が進行中で関連立法が国会に提出されている問題ですから、当然、「凍結」の対象にはいります。また、これは、問題の性質上、かりにこれから自民党政権のもとで強行成立させられるようなことがあったとしても、暫定政権のもとで、そのまま既成事実扱いするわけにはゆかないものです。 政権として、留保あるいは「凍結」という基本態度を明確にすれば、安保問題での意見のちがいを連合政権づくりの障害にしないですみます。現実に起きてくるいろいろな問題も、「凍結」という基本態度の枠内での協議によって、具体的に解決できるでしょう。 そしてこの基本態度が確認できれば、安保問題の解決を留保した政権であっても、この暫定政権の成立によって、日本の政治は、国民生活や民主主義にかかわる一連の問題で、自民党政治の内容を崩し国民の声にこたえる新しい道に踏みだすことができるでしょう。そして、こういうことができれば、この連合政権が、日本の政治の歴史のうえで、未来ある大きな役割をになうことも確実だと思います。

細川内閣や村山内閣の失敗のくりかえしにならないか?

 ――安保問題について「凍結」するということになると、そういう野党連合政権ができた場合、細川内閣や村山内閣の失敗をくりかえすことにならないか、こういう心配の声もあるようですが……。また、日本共産党がその政権に参加して、村山内閣の社会党みたいなことにならないか、という懸念の声も聞こえます。

不破 細川内閣にしても、村山内閣にしても、最大の問題は、それが、自民党政治の枠のなかで自民党政治をうけついだ政権、ただその担い手だけを変えた政権だったというところにありました。だから、この政権は、政権交代で新しい政治が生まれることを期待した国民を裏切ることになったのです。これにたいして、私たちが問題にしている暫定政権は、少なくともいくつかの重要な点で、国民の要求を実現するために自民党政治の枠を突きやぶる政権、そういう意味で、自民党政治からの転換の大きな一歩をふみだす政権です。ここにまず、大きなちがいがあります。 もし、国民生活や民主主義にかかわる大事な点で、自民党政治のわく組みを突きやぶるという保障がなければ、日本共産党がこの政権に参加したり協力したりすることは、もちろんありえないことです。

 政権の性格というこの点が、第一の問題です。

 第二に、もっと具体的に見ますと、細川内閣をつくるとき、これに参加した諸党は、「非自民」八党派の合意書を確認しました(93年7月29日)。その特徴は、「外交および防衛等国の基本施策について、これまでの政策を継承し」と、自民党政治のわく組みを変えず、これを継承することを、公然と宣言したことです。これが、細川内閣の基礎になった政策協定であって、そこには、自民党政治のどこがまちがっていて、どこを変える必要があるか、ということは、ただの一ことも書かれていませんでした。つまり、細川内閣とは、自民党政権の基本政策の継承を方針とした内閣であり、その一方、自民党政治を改革するプログラムはまったく持たなかった内閣だったのです。 暫定政権は、そこが根本的にちがいます。新しい政権にわが党が参加する場合は、この政権は、国民の利益にたって、自民党政治のここをこう変えるんだという明確なプログラム、政策協定をもって生まれる内閣となります。安保問題でも、政権として留保するということは、自民党の安保堅持政策を継承することとは、根本的にちがいます。そして、この分野でも、現在進行中の改悪が阻止されれば、それが国民にとって「よりましな」役割をはたすことも明白です。

 第三に、政党の態度という問題です。私たち日本共産党は、合意が成立して政権に参加するときには、政策協定の合意事項の全面的で積極的な実施のために、力をつくします。それは、その分野で、国民の立場で自民党政治を変えてゆくということです。 また、安保問題を、政権として留保する、「凍結」するということは、まだ国民的な条件の熟していない段階に成立した政権として、安保問題の根本解決を将来にもち越すということです。日本共産党として、安保条約廃棄という方針を凍結するということではありません。だから、私たちは、たとえ暫定政権であっても、私たちが関与するこの政権が、安保改悪内閣にならないということを、政権問題でなによりも重視するものです。社会党の場合には、この基本態度が根本的にちがっていました。社会党の場合には、政権に参加できたということで、ほとんど全分野で、自分の基本政策も選挙の公約も投げ捨てて、自民党政治の基本政策をまるまる継承してしまい、消費税増税の実行者にさえなったのです。安保問題についても、留保どころか、自民党の安保政策に「右へならえ」をして、安保批判の立場を安保堅持政策にきりかえ、日米安保共同宣言や新ガイドラインまで安保改悪路線を自民党と共同で推進してきたのです。アメリカの「東アジア戦略」に追随して「周辺事態」問題を先取り的に書きいれた「新防衛計画大綱」も、ほかならぬ村山内閣のもとで決定されたものでした。 同じ連合政権への参加といっても、自民党政治の延命・補強の応援団となるのか、それともその自民党政治を打破して21世紀の新しい政治への新たな一歩の担い手となるのか、そこには天地のちがいがあります。

路線変更という疑問にこたえて

 ――政権問題で、いま話されたような考え方は、党の路線変更ではないかという見方も一部にはありますね。

不破 マスコミでも最近「ソフト路線」とかいって、こういう考え方を、共産党が最近にわかにいいだしたかのように見るむきもありますが、これは、さきほどものべたように、私たちの以前からの一貫した方針であり、考え方なんです。私たちの党では、活動の基本をいちばん大きく基礎づけているのは、党の綱領です。この綱領は、政権問題について、身動きのとれないような「かたくな」な方針は、まったくとっていないのです。党の綱領は、いろいろな問題を社会科学の言葉で書いていますから、表現はすこしむずかしいのですが、私たちがいまどんな政府をめざすかというところで、つぎの二つの型の政府をあげています。

 一つは、「党は、アメリカ帝国主義と日本独占資本の支配を打破していくのに役立つ政府の問題に十分な注意と努力をはらう」。これは、いいかえれば、自民党政治を打ちやぶってゆくのに役立つ政府ということで、これは、いろいろな条件のもとで、さまざまな形で問題になるだろうが、よく注意して対応しよう、ということです。選挙管理内閣、暫定政権などは、大きくいえば、綱領のこの文章に対応する性格の政権です。 そのつぎに、「一定の条件があるならば、民主勢力がさしあたって一致できる目標の範囲で、統一戦線政府をつくるためにたたかう」。これが、民主連合政府に対応する文章です。 綱領では、政権の問題をそこまで考えて方針化しているわけで、さきほど紹介した70年代や80年代のいくつかの政権構想の提唱も、そのときどきの情勢におうじてのその具体化でした。だから、私たちの場合は、どこかの党がかつて叫んだように、政権につくようになって、「思いもかけないことになった」とため息をついたり、「予想もしなかったことが起きた」といって舞いあがったりするいわれは、どこにもないのです。

60年安保闘争の政治的経験が今日に生きている

不破 少し歴史の話になりますが、実は、政府問題についての綱領のこの規定は、第7回党大会(1958年)に提案された綱領の最初の草案には、なかったものでした。大会での報告では、「よりましな政府」の可能性という問題も提起されていましたが、綱領草案にこの規定をもりこむことまではしませんでした。 その後、1960年に安保改定に反対する国民的な大闘争が展開されました。その闘争の政治的な経験を整理して、問題の重要性をあらためて明らかにし、第8回党大会に提案した綱領草案に、政府問題についての規定が具体的にもりこまれました。そして、それが採択されて、今日にいたっているのです。 60年安保闘争の経験とはどういう経験だったかといいますと、60年5月2日に自民党が国会で強行採決の暴挙をおこない、日本中が怒りにわきたちました。条約の承認問題ですから、参院で採決しないでも、1カ月たてば、安保改定案は自然成立します。自民党はそれをまつ態度でしたが、そのたくらみを打ちやぶるために、わが党は、5月の末に党の声明を発表して、この暴挙をやった「岸一派をのぞく全議会勢力」による「選挙管理内閣」をつくろう、そしてこの内閣の手で国会解散をやり、安保強行成立の暴挙をただそう、ということをよびかけたのです。わが党が、選挙管理内閣を提唱したのは、これが最初でした。その後、総選挙が日程にのぼってきた段階で、わが党は、安保条約反対の民主連合政府という政府構想をはじめて提唱しました。安保闘争は、安保改定阻止国民会議という統一戦線組織によって全国的にたたかわれた国民的規模での闘争でした。そして、民主連合政府のスローガンは、この統一戦線を大衆運動の次元にとどめず、政治闘争の分野に発展させる意義をもちました。 あの嵐(あらし)のような闘争の時期に、わが党は、こういう形で、それぞれ性格のちがう二つの政府スローガンを提起したわけで、その政治的経験をふまえ、理論的にも総括して綱領に書き込んだのが、政府問題についてのさきに紹介した文章です。この規定が、今日に生きているというところに、たいへん大事な意味がある、と思います。 いま振り返りますと、安保闘争のとき、わが党は、大衆運動のなかでは、統一戦線の一翼をになって大きな力を発揮しましたが、国会勢力としてはまだ小さな力しかもちませんでした。議席は、衆議院1議席、参議院3議席で、選挙の得票も、直前の選挙で衆院選101万票(58年)、参院選・全国区55万票、地方区99万票(59年)という水準でした。 しかし、そういう条件のもとでも、大衆運動の先頭に立ちつつ、政治闘争のうえでも、ひろい視野で正確な方針や政府スローガン、政権構想を打ち出すことにつとめた、その成果がその後理論化されて、綱領にもりこまれ、わが党が、いろいろな局面で、原則的でかつ弾力的な対応をできる理論的・政治的な基礎になっているのです。 わが党の政権論というのは、それだけの歴史をもっている方針です。これがソフト路線だというなら、わが党はもともとソフトなんですよ。(笑い) 変わったことといえば、そのソフトさが、それとして、政治的にも、マスコミ的にも、世論的にも、自然体でうけとめられる条件がひろがってきた、ということでしょうね。

綱領の違いは政権共闘の障害になるか?

 ――共産党がそういう立場をとっていても、ほかの野党からは、「綱領がちがうから」とか「将来、社会主義をめざしているから」とかの理由をあげて、政権協議を最初から否定しようという話もよく出ているようですが。

不破 野党共闘を前進させてゆくためには、のりこえてゆかなければならない障害は、まだまだいろいろあります。いま出ている話も、その典型的な一つですね。 この点では、まず政党間の共闘とは何なのか、その共闘のあり方というそもそも論が、問題になりますね。 政党というのは、それぞれ理念もちがえば、それぞれがめざす日本社会の将来像もちがいます。だから、それぞれが独自の政党を結成しているわけでしょう。そういう政党が共闘するということは、理念もちがえば社会の将来像の見方もちがうものが、社会発展のいまの段階で、国民の今日の利益にかなう当面の一致点で、どう力を合わせるか、ということです。ここに、野党共闘の基本的な立場がある、と思います。 政権連合になると、共同で政権をつくり、共同で国政を動かすわけだから、当面的な共闘よりはもっとすすんだ形態の共闘になりますが、それでも、社会発展の現在の段階で、今日の国民の要求にこたえる政治をどうやるかが、中心問題であることに変わりはありません。そこに政権構想の根本があるわけで、そこで一致すれば、日本社会の将来像がちがう政党でも、一致点での協力はできるはずです。そこに、連合政権とか統一戦線政府というものの、よってたつ基本的な論理があるといっていい、と思います。 これにたいして、ある党が、自分のもっている将来像と合わない、理念がちがうといって他の党との当面の共同も拒否する、あるいは、他の党が自分の党の理念や将来像に同調することを共同の条件とするとすれば、これは、政党間の共闘というものの基礎をくずす自党第一主義ということにならざるをえません。共闘ということは、政党の合同とはまったくちがう問題ですから、ここには一種の共闘論の混迷があるわけで、この状況をのりこえないと、自民党政治を本気で打破する野党政権への道は、なかなかひらかれないでしょう。 70年代には、この共闘の論理という問題が、野党間の論争の大きなテーマになりました。論戦で解決した問題もあれば、論争のままで終わった問題もありましたが、共闘の論理をめぐる論点の整理はかなりできたように思います。 ところが、その後、「日本共産党をのぞく」の時代がかなり長くつづき、本格的な共闘論があまり問題にならないで、政界的にはいわゆる「政界再編」論ばかりが論議されてきました。だが、「政界再編」論というのは、政党の合同や新党の結成が議論の中心ですから、これは、共闘論とはまったくちがった性格のものです。 新しい政治状況のもとで、野党共闘を本格的に発展させる、あるいは野党連合政権の問題に本気で接近してゆくためには、私は、共闘の論理の整理を今日的な内容でやることが、いまとくに必要になっていると思いますね。私たちも、そういう議論を大いにすすめるつもりです。

日本共産党がめざす将来の社会像をめぐって

 ――将来像のちがい一般ではなく、日本共産党が、社会主義を将来像としていることを特別に問題にする議論がありますね。

不破 それは、崩壊したソ連が社会主義そのものだという、古い思い込みにとらわれているからじゃないですか。この機会に、私たちのもつ将来像の問題について、誤解を解くために、いくつかの点を話しておきましょう。

(1)私たちは、社会発展の段階論者です。

 日本社会のいまの発展段階では、私たちは、「資本主義の枠内の民主的改革」が中心任務だということを、きちんと提起しています。しかし、日本の社会発展が、将来、いつまでもその段階にとどまるものではないという認識も、私たちはあきらかにしています。それは、将来的には、日本の国民がより高度な社会をもとめる段階に前進してゆくだろうという見とおしを、私たちがもっている、ということです。 そのより高い段階というのは、大企業優先の政治の転換や大企業への民主的規制にとどまらず、資本主義の利潤第一主義そのものをのりこえ、国民の利益の増進が社会の経済活動の直接の目的になるような社会形態、すなわち、社会主義の段階です。党の綱領にも、また『自由と民主主義の宣言』にも、そのあらましの発展方向はのべられていますが、私たちは、この社会形態では、国民が主人公ということが、民主的な改革の段階よりも、もっと豊かに花ひらき実をむすぶだろうという、展望をもっています。 もちろん、私たちが展望している社会主義というのは、日本の社会に根ざし、日本的な特徴をもった社会主義であって、旧ソ連の社会体制とはまったく別のものです(注)。

 (注)私たちは、旧ソ連とは何であったかについて、4年前の第20回党大会で、くわしい研究にもとづいて徹底した結論をだしました。旧ソ連とは、「社会主義」の看板こそかかげていたものの、その体制は、社会主義とはまったく無縁なものでした。「人間が主人公」が社会主義の基本精神です。ソ連社会は、人間が主人公どころか、人間抑圧型の専制社会でした。これが、旧ソ連社会についての私たちの結論です。 日本は、世界でも、もっとも高度に発達した資本主義の国の一つです。その日本が、民主的改革の段階をへながら、将来、より高度な社会形態である社会主義へすすんでゆくとしたら、これは世界史的、あるいは人類史的な意味をもつ新しい事業にふみだすということにほかなりません。それはまさに、日本の国民の英知と努力を結集してこそ成功を期待できる壮大で長期的な事業です。

(2)私たちは、日本社会の将来像として、以上のような展望をたしかにもっています。しかし、日本が将来、この道をすすむかどうか、その道をすすむ場合でも、いつどこまですすむのか、これは、社会の主人公である国民がきめることであって、政党が勝手に決定できることではありません。 私たちは、そのことを、『自由と民主主義の宣言』のなかでも、つぎのように明記しています。「社会進歩のどのような道をすすむか、そしてその道を、いつどこまで前進するかは、主権者である国民の意思、選挙で表明される国民自身の選択によって決定される問題である」。 日本共産党が、いまのべたような将来像をもっているということは、日本社会の現状とその矛盾の解決方向についての分析から、社会の発展方向についての見とおしをもち、その展望を国民に語るということにほかなりません。 社会発展の前進の一歩一歩が現実の問題になるかどうかは、そのときどきの国民の選択によって決せられる問題です。

(3)もちろん、私たちがもっている日本社会発展の将来像について、賛成できないという方は、多くおいででしょう。くりかえしのべたように、政党のあいだには、将来像のちがいがあることは、当然だからです。問題は、将来像がちがっていることを、共闘の障害とするという立場が、野党の共闘によって自民党政治の害悪をくいとめ、国民の利益にたった政策の実現をもとめている国民的な要望にかなっているかどうかです。 私たちは、昨年の党大会において、私たちが日本社会の現段階でもとめているのは、「資本主義の枠内での民主的改革」だから、その改革内容に賛同がえられるなら、資本主義賛成派の勢力、たとえば修正資本主義派でも、共同の対象になりうる、という立場をあきらかにしました。

 「将来の問題ですが、共同が可能となる民主的党派はいろいろありえます。いま私たちが日本で問題にしているのは、資本主義の枠内での民主的な改革ですから、理論的には、資本主義体制そのものを擁護する修正資本主義の立場にたった政治勢力でも、賛成できるはずの課題であります」(第21回党大会での中央委員会報告)。

 この時、私が報告で問題にした「共同が可能となる党派」とは、民主連合政府の問題にかんしてでした。いま、政局の展望として問題になってくるのは、もっと当面的な、緊急の改革のための野党連合政権にかかわる共同の問題です。 今日、当面する国民の切実な要求の実現のために、日本社会の将来像として、資本主義の体制的な永続を希望しているものも、資本主義の部分的な修正をもとめているものも、日本的な社会主義の実現をめざしているものも、その将来像のちがいをわきにおいて大同団結する――いわば”大異をこえて大同につく”という共同と連合の立場に大胆にふみだすこと、私は、ここに、いま野党にもとめられている最大の課題があると考えています。(引用ここまで)

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多党化の下で東日本大震災の復興と国民生活の疲弊の再建、勇気ある平和外交を推進する暫定連合政権こそ!

2012-12-26 | 日記

国民の圧倒的支持を得ず、小選挙区制と偽りの世論調査、野党の分断というトリックで議席を獲得した「お坊ちゃま内閣」、安倍政権が成立しました。マスコミが安倍首相の「暴走」を気にかけた記事を掲載しているように、不安定な政権となるでしょう。当面は、以下の記事のような「安全運転」で参院選を乗り切っていこうという腹積もりでしょう。

 しかし、閣僚や党の人事をみると、安倍「暴走」首相にブレーキを踏むお仲間というよりアクセルを全快させようとする「お調子者」議員が取り囲んでいるので、早晩ほころびが出てくることでしょう。民主党の前原「お調子者」元代表と同じように本人の「脇」も甘いところがあります。米倉経団連会長のお墨付きもいただきましたので、これからは、以下のような記事がたくさん出てくることでしょう。

安倍総裁の「政治とカネ」企業・団体献金、政党助成金にどっぷり 3日に1回飲み食い 758万円支出2012年12月25日(火)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-12-25/2012122515_01_1.html

 ま、それにしても、消費税増税を何としても実現するための「デフレ脱却」、大企業を優遇して労働者の懐を一層冷えさせる「愚策」にまい進していくことでしょうから、国民との矛盾は拡大することでしょう。そうすれば、選挙中に掲げた「取り戻す」コピーは、実は政権党としての体質を「取り戻す」ことであることが国民の前に明らかになって、再び政権を「投げ出す」ことになるでしょう。不幸なのは、小選挙区というトリックと偽りの世論操作を行ったマスコミによって国民的政権を逃した国民です。投げ出した後に、同じような政権づくりだけは何としても阻まねばなりません!

 第96代首相に安倍氏 デフレ脱却に全力 戦後2人目の再登板2012.12.26 15:13 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121226/plc12122615130016-n1.htm

 うこうしている時、自民党を「助ける建設的野党」の動きが日に日に高まってきています。以下の記事です。「やっぱりな!」というところでしょうか?太陽の陽射しは冬至を境に高度が高くなっていくにしたがって温かくなっていくはずですが、政界は憲法改悪の方向に向かってヒタヒタと歩いて国民を寒々とした日本国づくりの方向に向かっているようにも思います。それだけは何としても阻まねばなりません!

 嘉田氏「小沢さんとは成田離婚」…未来分裂へ

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20121226-OYT1T01124.htm?from=main1

 分裂で「54」の戦略的意義を捨てるな、維新よ!2012.12.23 12:00

http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121223/waf12122312000007-n1.htm

 【日本維新の会】54議席獲得も内部では不満が爆発2012.12.25 

http://nikkan-spa.jp/356206

 

 そうであればこそ、共産党の出番です。この記事が、「赤旗」から報道されるのではなく「産経」から国民に届けられているという「皮肉」に、現在の共産党の姿が象徴しているように思います。明日のお昼ごろまでには直接の「声」が届けられないということの意味を共産党本部は噛み締めてほしいものです。これについては、昨日の記事で書きました。

 「責任を痛感」 共産・志位委員長が異例の言及 衆院選議席減で2012.12.26 14:26

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121226/stt12122614290015-n1.htm

 さて、この記事が正確に志位委員長の発言を報道しているかどうか、明日のお楽しみというところですが、今回のような結果になってしまった最大の要因は、小選挙区制とマスコミの偽りの世論操作、そうしてそのような装置を「先の先」の思想で読み取り、逆手にとった共産党の対応力、共産党の本部の「したたかさ」の欠如からきたものであることは、この間ずっと指摘してきました。

 そこで、今日は、この間書いてきた記事の第二段として、以下の不破氏の記事を掲載しておきます。

 日本共産党の政権論について 不破哲三委員長に緊急インタビュー(『しんぶん赤旗』1998年8月25日)

この記事を書くことで、共産党に考え直してほしいという訴えを出してみたいということです。

 マンネリ的日本改革ビジョンで国民の支持は?共産党の改革ビジョンを質す!現局面は暫定連合政権構想こそ!2012-11-27 10:59:56 

http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/7fed388513c80fd3e5813951ebea763e

自民党型政治からの脱却をめざす向こう4年間の暫定政権構想提唱をこそ!共産党の信頼・共感獲得の道!2012-11-29 09:34:23

http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/d/20121129

政権の枠組論にそらすマスコミに渇を入れながら、それなら自民型政治脱却暫定連合政権構想の提案を急いで!2012-12-05 10:18:48 

http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/d9fb9a434ff21a2a0b43d7dbbcdd6ea4

 東日本大震災の津波・原発被害からの復興の現状や原発再稼動問題、迫りくる直下型大地震や東南海巨大地震の恐怖や不安と対策の遅れをはじめ、劣化した日本列島の建物群、生活保護者の拡大にみるワーキングプアーの増大、石原氏に代表される戦争責任問題を曖昧にした発言がどのような外交結果を招くか、また「日米同盟基軸」論にもとづくアメリカのご機嫌ばかりを伺い、自立した東アジア外交の放棄、沖縄ではオスプレイが日米合同委員会の「合意」に違反していても抗議もできないな避けない政権、というように劣化と制度疲労の極地を示した政党政治、そうして、なかなか議席増を実現できない共産党の「力量不足」問題などなど・・・

 以上のような難問が山積していますが、こうした難問を克服していくことは、実は可能です。

 それは何より、国民の運動があるからです。共産党は、その先頭に立ってきたことは事実ですが、さらに、その先頭に立ったのが原発ノーの運動です。或いはオール沖縄やオール福島の運動、TPP参加反対運動や全国紙が煽って煽って実現を迫った消費税増税に対して反対の世論が少数にならない国民世論と運動に見るように、この国の民主主義と平和は地下水のように脈々と国民のなかに一筋の鉱脈として流れています。

 そこにこそ、依拠した運動が求められています。それは自民はダメ、だから民主に期待した、しかし民主は自民党化してしまったので大ダメ、多くの国民は自民が良いなどと思っていないのに、自民に政権が復活してしまった、だから本当に国民のための政権のあり方が求められてくる!しかし、共産党への信頼は未だ大きな潮流とはなっていません。そこが解決のための最大のキーポイントだと思います。

 だからこそ、その国民のための政権のあり方をたたき台として提案していく必要があるのです。そういう政党が野党から出てこなければ、いわゆる「日和見主義」でしょう!国民への責任放棄でしょう!「民主連合政権」の前段としての暫定政権、自民党や民主党政権「よりましな政権」です。自民と連携しようとする政党を相手にするのではなく、運動に参加してきた国民と連帯し、旧い自民党型政治を温存しようとしている政党や政治家を孤立させる政権です。

 今ある国民生活を改善するために向こう4年間で何をやるのかをハッキリさせた政権です。復興・消費税・原発・福祉・子育て教育・外交など、違いを強調しあうのではなく、一致点を確認し合い、広げていく政党・団体・個人が集まってつくる政権です。既存の政党の連合に囚われない、幅の広い枠組みの集まりです。最大の一致点は、この間の「自民党型政治を変えて国民生活を改善する」「憲法に基づく政治と外交を徹底して実行する」政権です。

 このことが確認できれば、安倍自公連合政権にとっては大きな脅威となります。どっちが国民のための政権か、どっちが諸外国から信頼される政権か、どっちが日本の再生復活に貢献できる政権か、国民的討論を呼びかけるのです。

 その際の理論的方向については、次に掲載しておきますので、ご覧ください。 

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ネット社会で自分の言葉で、想像性と創造性を発揮して国民に向かって共産党員が語る必要性について

2012-12-25 | 日記

半共主義者さんへ

コメントありがとうございます。

 

「日本の科学者」1月号を読んでいませんので、何とも言えないところですが、仰ることはよく判ります。一つは「熟達」への途上であること、もう一つは共産党の規約第5条8項の「党の内部問題は、党内で解決する」という項目への不安・心配、党の本部と違ったことを言ってしまったらどうなってしまうか、という危惧が自己抑制として働いているのかもしれません。

 

まるで、選手が監督の「指示」にビクビクしている姿に似ています。イチローと土井監督の関係です。

 

半共主義者さんのご指摘については、今年の「前衛」9月号に田村一志(宣伝局次長)さんが「インターネットを活用し、社会変革をさらに前へ」というテーマで興味深いレポートをしています。

 

それをみると、比例・小選挙区予定候補者のサイト開設率は、32.1%ということです。共産党の「顔」がこの程度とは…。投票日まで、どれだけ改善されたか、判りませんが、予定候補者をみると、地区委員会の長など、役員が多いこと、高齢者が多いことなどから、これは相当難しい課題だなと思いました。

 

しかも「若者の党員が少ない」ときていますので、ネット分野での大革新は、共産党にとっては、相当の重要課題ではないでしょうか?「赤旗」の拡大以上の重要な課題だと思います。その理由は、田村氏のレポートにもみることができます。

 

田村氏は興味深いことを述べています。それは「ブログやHPは『名刺』や『事務所の看板』のようなもので、それがあれば票がふえるわけではないが、なければ選挙にならない」と言っているのです。しかも「若い世代の多くは、新聞やテレビではなく、ネットからさまざまな情報を入手しており、ネット上に登場しないのでは、そういう人たちには候補者として認知されず、少なくともネットの世界では、たたかいの土俵にすらのぼれないことになる」と言っているのです。

 

今、連日「赤旗」の拡大の記事が掲載されていますが、こうしたレポートを読むと、今「重点」的にやっていることと実際面は随分「違うなぁ~」と思わざるを得ません。疑問を持たない党員の方々はいないのでしょうか?それともこうした指摘は「党内問題」なので「党外」には持ち出せないということなんでしょうか?ま、そうでしたら、「党内」で解決していただければと思います。

 

それにしても、田村氏は、その中で、「政治を変えたい」という国民にとって、インターネットは「なくてはならなくなった」と言っています。「赤旗」以上に、とは言っていませんが、それに近い「評価」をしているようにも思います。本人はそう思ってはいないでしょうが・・・・。

 

もう一つは、インターネットが社会変革の事業にとって、巨大メディアの思想支配から抜け出し、自ら情報を集め、判断し、行動しようとしていること、もう一つは、共産党と「赤旗」との新たな出会いが生まれ、共感と協力・共同が広がっていること、このことが新しい経験だと紹介されていることです。

 

しかし、実際はネット活用に熟達し、必要な法律も作りながら、ネットを健全な方向に発展させるために力を尽くすことが強調されていることをみると、到達点としては、なかなか難しい局面にあることが判ります。半共主義者さんのご指摘は当たっていると思います。

 

そこで注目したのは、「自分の言葉で」書くことが強調されていることです。それと「現場」から発信することと、ネットをとおして「人とのつながりをつくり、生きた関係に発展させる」ことの効果も強調されています。こうしたことが強調されているところを見ると、現実は、そうなっていないことがあるのでしょう。半共主義者さんのご指摘は当然ですね。

 

しかも、一方通行の宣伝メディアではなく、双方向でつながり、要求運動をつくり、党員や読者をふやすためのメディアに、これがネット活用の「効果」だと強調しているのです。これは、結構良いことを言っていますが、一部分では、ちょっとどうかな?と思いました。

 

確かに、田村氏の指摘しているような面があることは事実ですし、双方向などは、共産党全体に言えることでもあります。しかし、「党員や読者をふやすため」というフレーズが独り歩きしていくのではないかというのが心配です。

 

「党員や読者をふやすため」、これはあくまで一面であって、人とのつながり、人と人との豊かな共同関係の構築・発展こそが、人間らしい生き方を保障する社会づくりの基礎であることを強調すべきではないでしょうか?この「党員や読者をふやすため」が自己目的化されていくと、本当の人間関係はどうでしょうか?

 

勿論、田村氏は、「つながりあうメディア」としてのネットの実例として、様々な具体例を紹介していますが、「党員や読者をふやすため」が強調されている共産党の実際の活動をみるまでもなく、ネットの普及は、本質的には「自助」「自己責任」論で悩む人々へのメッセージに力点をおくべきではないでしょうか?そうすることで必然的に「党員や読者をふやすため」ということが可能になるのではないかと思います。

 

何か、共産党は、この10年間で議席も伸びず、党員も、赤旗読者も伸びず、焦っているように思います。「急がば廻れ」の諺もあるように、「党員や読者をふやすため」には、何を広げていく必要があるのでしょうか?

 

田村氏は、エジプト・チュニジアの「革命」のツールにネットが大きな役割を持ったと指摘しています。ネットを使って若者たちが連絡を取って巨大なデモを組織し、専制政治を打倒したと述べています。「政党に所属しているわけでもない若者たちが、この革命を始めた。彼らが私たちに声を上げることを教えてくれたのだ」と語ったことを岩波ブックレットの『現地発エジプト革命』を使って紹介しています。

 

この指摘は大変貴重です。ネットをとおして集まった政党に所属していない国民が日本の官邸前に集まり、果ては官邸で首相と「団体交渉」をしてしまった!しかもネットで公開もされた。こうしたことは、それまでの歴史にはなかったことです。

 

しかし、田村氏の指摘は、本当のところでどうでしょうか?それは国民の運動についての位置づけの弱さがあるように思います。

 

それは、18世紀フランス革命や19世紀のフランス、ドイツ、オーストラリアなどの革命はあらかじめのプランなしに民衆が大挙して街頭にくりだし、バリケードを築いて成し遂げられた。中東ではこのタイプの革命にネットの動員力がくわわって専制政府を崩壊させた。

 

しかし日本はエジプトやチュニジアなどとはまったくちがう社会条件にある。政府が国民の声を聞かないと言う点では同じだが、日本では議会を通じて政治を変えることが可能な条件があるのと同時に、テレビや新聞などのマスメディアによる思想支配ははるかに強いものがあるので日本での変革は、国民の大多数が革命の目的をはっきり理解し、そのために何をなすべきかを自覚して行動してこそ成し遂げられます。それを「多数者革命」とよんでいると説明しているのです。

 

この指摘を読んで、「杓子定規な結論でいいのかと情けなく」なってしまいました。あまりに硬直しているからです。理由は、以下のとおりです。

 

1.「多数者革命」が議会を通して遂行していくことは、当然ですが、国民の運動を抜きにしては考えられないことも事実です。議会と国民の運動との関係が抽象的です。

2.「議会を通じて政治を変える」ことの中身として「日本での変革は、国民の大多数が革命の目的をはっきり理解し、そのために何をなすべきかを自覚して行動」するとありますが、それらの関連が、あまりに抽象的です。

3.しかも「国民の大多数が革命の目的をはっきり理解し」ない行動は「自覚して行動」するものではないのかということか、です。

4.さらには、「革命の目的をはっきり理解し」ない「行動」は、「日本での変革」に値しないのか、ということです。

5.「議会を通じて政治を変える」ことと「革命の目的をはっきり理解」することはそれほど緊密ではないこと、別個の問題であること、

6.「日本での変革」は、「革命の目的をはっきり理解」していなくても、また「何をなすべきかを自覚して行動」しなくてもできること、

7.共産党のいう「多数者革命」は、議会を通して実践していくことは判りますが、「議会を通じて政治を変える」ためには「議会で多数を取る」ことが必要ですし、そのためには、現代ネット社会では、「党員や読者をふやす」ことは一面では理解できますが、最優先課題ではなく、「テレビや新聞などのマスメディアによる思想支配」を打ち破り、議会の多数派となるためには、「国民の大多数」が「何をなすべきかを自覚して行動」することも大切です。そのためには「党員や読者をふやす」ことを含めて、またネットの活用を含めて多様な宣伝・論戦が必要です。

8.先に「逃がした魚は大きい!次まで待てと言うのか!自民の敵失も民主の敵失も活かせない共産党に大喝を!」で紹介した「赤旗」の「主張」にあったように全国民的課題や各地の要求実現運動を「一点共闘」で巻き起こしながら、それらの要求と運動を国会や県議会、市町村議会に届け、反映させる、同時に選挙で勝利することこそ、「議会を通じて政治を変える」ことになるのではないでしょうか?

 

9.そのためにも、「自分の言葉で」語り、時には党にも意見を述べる、そして国民とともに要求実現の活動を展開する。勿論共産党全体の政策的一致がなければ国民の信頼を得ることはできませんので、「党内問題」は党内で解決していただければと思います。そのことと多様な意見を述べ合い、切磋琢磨していくことは別の問題です。意見は異なっても、国民に対しては一致して政策の実現に臨む。民主党が好例です。

 

以上、本日はここまでとします。コメントありがとうございました。参考になりました。

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逃がした魚は大きい!次まで待てと言うのか!自民の敵失も民主の敵失も活かせない共産党に大喝を!

2012-12-23 | 日記

今日の「赤旗」「主張」を読んで、これでは「後退」、目標からみれば「敗北」した今回の選挙の「反省」はないなぁ~、と思いました。それは以下の部分です。

 主張 国民運動と選挙重要性増す政治を動かす行動2012年12月23日(日)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-12-23/2012122302_01_1.html

「消費税増税反対や『原発ゼロ』、環太平洋連携協定(TPP)参加阻止など全国でおこった国民運動が、今回の総選挙結果に十分反映されなかったのではないかという議論がみられます。それは皮相な見方でしょう。むしろ今回の選挙は、国民運動の発展が政治を変える力になることを示したのが特徴だった」というのです。

 確かに一般論から言えば、間違ってはいません。今までも「国民運動の発展が政治を変える力」になっていたからです。問題は、各地で起こった「一点共闘」のたたかいを「650万以上の得票とともに、議席の倍増――現有9議席から18議席以上への躍進を実現」し、「自民党型政治」への「痛打」「衝撃」に結び付けられなかったことです。

 さらに、今回の結果について、18日付「主張」は以下のように述べています。

 主張 師走総選挙の結果確定 論戦生かし新たなたたかいへ2012年12月18日(火)

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-12-18/2012121801_05_0.html

「民主党の歴史的惨敗が、3年4カ月前に自民党政権から交代した民主党政権が国民への公約を裏切り続けたことへの、国民の怒りと批判の表れ」であり、「選挙結果は自民党型政治崩壊の一過程」だと述べていますが、確かにそういう側面があることは事実です。しかし、選挙は短期的結果を出すことで「痛打」「衝撃」を与えていくために、さらには獲得した議席によって国民の命と暮らしを防衛していくために行われているのではなかったのでしょうか?

 そんな「解説」を述べるために選挙をたたかったのではないでしょう。呑気なことを言っている場合でしょうか?こうした「解説」「評価」は、一貫しています。

 自民もダメ、民主もダメ、ではどこへ、何故共産党に期待が集まらなかったのか、最低の投票率、白票や棄権票という国民の行動の奥深いところに何があるか、国民の「怒り」「諦め」の根源に何があるか、今さら言うまでもありません。

自民の「敵失」で民主党政権ができ、今度は民主の「敵失」で自民政権ができたのですが、そうした「敵失」のなかで、ある意味共産党は政権奪取の、あるいはかつての「自共対決」風の争点化ができれば、政権交代への重要な足がかり、国民の要求実現に大きな地歩を築くことができたのではありませんか?そういう意味では絶好の、真のチャンスだったのでは?

 その点で言えば、そもそも共産党はどのような争点と政策と、どのような目標を掲げて臨んだのでしょうか?選挙政策では、以下のように述べています。

 「自民党型政治」か、日本共産党か――ここにこそ真の対決軸があります

http://www.jcp.or.jp/web_policy/2012/11/20121126-1.html

「アメリカいいなり」「財界中心」という「二つのゆがみ」を大本から断ち切る――この大仕事を担える政党は日本共産党しかありません。自民党型政治か、日本共産党か――ここにこそ、今度の総選挙の真の対決軸があります。

日本共産党は、改革ビジョンを掲げ、実現のために全力をつくします。

いまこそ、「政党らしい政党」――日本共産党を大きく躍進させてください

日本の前途を開く綱領を持ち、改革のビジョンを提案し、行動する政党です

 日本共産党は、あらゆる分野で、抜本的で現実的な改革のビジョンを提案し、実現のために行動し…国民の利益に反する政治と正面から対決するとともに、どの問題でも、「二つのゆがみ」を断ち切り、「国民が主人公」の新しい日本をつくる、日本改革のビジョンを示しています。 それができるのも、日本の前途を開く綱領をもっているからです。日本共産党は、資本主義を乗り越えて、すべての人間に豊かで自由な生活を保障する未来社会を展望している党ですが、主権者である国民の意思にもとづいて段階的に発展するのが社会の発展法則だと確信しています。党の綱領は、その立場から、いまの日本に求められているのは、異常なアメリカ従属、大企業・財界の横暴な支配を打破する、資本主義の枠内での民主的改革であるという日本改革の展望を示しています。

日本共産党の躍進で、「国民が主人公」の新しい日本への大きな一歩を

 日本共産党は、消費税増税の中止でも、原発ゼロでも、TPP反対でも、一致するすべての政党、団体、個人と一致点での共同をつくり、たたかいを発展させるために力をつくしてきました。 日本共産党は、「自民党型政治」の「二つのゆがみ」を根本から断ち切り、日米安保条約を解消して本当の独立国といえる日本をつくる、大企業・財界の横暴を抑えて「ルールある経済社会」を築くという、大きな点で一致する、すべてのみなさんとの共同で、「国民が主人公」の民主的政府――民主連合政府をつくるという展望をもっています。 日本共産党の躍進は、古い「自民党型政治」への大きな痛打となり、その衝撃は、「国民が主人公」の新しい政治への大きな一歩を切り開くものとなるでしょう。(引用ここまで)

 以上の「政策」「訴え」をもって党員や支持者の皆さんが、有権者と対話したことで、どれだけ国民に浸透し、共産党の「風」が吹いたのか、しかし、実際は別の風、「わかりづらい」という風や維新やみんなを期待する風が吹いたのです。それは何故か。自民党型の政治を終わらせるかどうか、これが脇に追いやられ、自民党型政治を補完し、憲法を改悪する勢力が議席を伸ばしてしまったのです。これは何故か。こうした問題意識に基づく分析こそ、失敗を繰り返さない道ではないでしょうか?

 そもそも、こうした「共産党の風」を吹かせない装置は、政権政党とその応援団たちによって選挙の度に幾たびも発揮されていました。最も典型的な「事件」「風」は、以下の「風」でした。2つ紹介しておきます。

 第6回中央委員会総会志位書記局長の幹部会報告、結語2000年7月19日

http://www.jcp.or.jp/jcp/21th-kaigi/21-6tyuso/2000721_6_houkoku_ketugo.html

こんどの選挙戦で政権与党の側は、「自公保政権による安定か、民共政権による混乱か」という架空の土俵をつくることによって、みずからの悪政を隠し、日本共産党を「混乱」をもたらす「元凶」として攻撃する戦略をとりました。マスコミも「政権の枠組みの選択」が選挙戦の最大の争点であるとするキャンペーンを大々的におこないました。…この方針にそくして、自公保連立という「政権の枠組み」が国民にとっていかに有害で危険なものであるかを、政治の中身で正面から告発し、わが党への攻撃をはねかえしてその値打ちを押し出す攻めの論戦が必要でありました。しかし、全有権者を対象とした宣伝物などでは、この問題を攻勢的に解明することは十分とはいえませんでした。…出所不明の謀略ビラ・パンフレットが、解散直後、公示直前、投票日直前の三波にわたって、全国でいっせいに配布されました。その宣伝物は、わが党が現在把握しているものだけでも、全国で六十四種類、推定で一億数千万枚にのぼっています。くわえて、ビデオ、書籍、新聞広告、口コミ、政権与党幹部のテレビでの発言や演説などの形で、同じ内容の日本共産党攻撃が大規模におこなわれました。

 第四回中央委員会総会志位委員長の幹部会報告2005年10月12日(水)「しんぶん赤旗」

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-10-12/2005101217_01_0.html

以上の四点の全体をつうじて、とりわけ強調したいのは、総選挙でわが党がえた得票と議席は、「小泉突風」に正面から対抗し、わが党自身の力――自力で「風」をおこして、積みあげたものだということです。自民党は大幅に議席を増やしましたが、それはもっぱらマスメディアを利用した「追い風」に頼ったものでした。マスメディアの「追い風」は、議席を大幅に減らした民主党をふくめて、他党にもさまざまな形で吹きました。「二大政党の選択」というキャンペーンもやられましたが、これは自民、民主双方への「追い風」として作用するキャンペーンです。しかし、わが党には、マスメディア的な「追い風」はいっさいありません。わが党のえた得票と議席は、まったくの自力で、とくに草の根の力によって、一票一票を積みあげた成果だということが、とりわけ重要であります。(引用ここまで)

 この「暴力の風」や「小泉突風」を経験した共産党は、その後も「政権選択風」「政権交代風」に追いやられてしまったのではないでしょうか?今度は「第三極の風」に追いやられてしまった!何度同じ失敗を繰り返したら済むのでしょうか?「先の先」のたたかいはできないのでしょうか?

 こうした「共産党はずしの風」が吹くことは判っていながら、この「風」にやられっぱなしなのです。そうしてこの「風」についての「評価」「解説」「解釈」はあるものの、それに対する効果的たたかいがやられたかどうか、やられなかったら、その理由などの「反省」と「総括」がどうだったか、そうして、その「総括」がその後の活動に活かされたかどうか、実はほとんど活かされていないのです。何故ならば選挙「結果」が如実に物語っているからです。

 もう一つあります、それは、選挙のなかで訴えた活動は、成果には結びつかなかったが、必ず次に生きてくるという「確信」が語られ、そのためにも「自力」をつける「大運動」が基本的には提起されているのです。中間機関と支部の「叱咤激励」です。

 このパターンはまさに「頑固一徹」というほど一貫しています。

 しかし、下記の選挙総括を見れば、方針が次にも活かされていないことが判ります。そうやって10年間共産党は活動してきたのです。こうして党内外の意見に耳を傾けてつくられたはずの「総括」「方針」が活かされていないのです。これは司令本部と、党全体の責任問題の国民に対する責任と言えるのでしょう。

 ということを以下の文書、この間の常任幹部会の「結果について」をみると、判るのです。

長くなるので、一つ一つ指摘はしません。

 第十回中央委員会総会 志位委員長の幹部会報告2003年12月6日(土)「しんぶん赤旗」

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-12-06/B1_01.html

第二回中央委員会総会 志位委員長の幹部会報告2004年8月28日(土)「しんぶん赤旗」

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-08-28/17_00.html

第五回中央委員会総会 志位委員長の幹部会報告2007年9月11日(火)「しんぶん赤旗」

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-09-11/2007091117_01_0.html

第9回中央委員会総会 志位委員長の幹部会報告2009年10月15日(木)「しんぶん赤旗」

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-10-15/2009101501_05_0.html

日本共産党第2回中央委員会総会志位委員長の幹部会報告 参議院選挙の総括と教訓について2010年9月27日(月)「しんぶん赤旗」

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-09-27/2010092701_09_0.html

 

ではどうするか!です。

 一つには、これまで出されてきた「決定」という文書をもう一度読み直し、どこが問題だったか、検討することでしょう。何故ならば、こういう文書を出しても「成功」していないのです。これは「決定」文書に問題があるのか、これを実行する党員、すなわち中央委員会以外の各都道府県の委員会が、或いは各市町村の委員会、支部が問題なのか、ハッキリさせることでしょう。

 改善の芽はどこにあるか、それこそ「科学の眼」で検証すべきです。

 こう言ったからと言って、個人攻撃、個人責任を追及するなどというようなことを言っているのではありません。共産党は、かつては批判というものは、自己批判と相互批判が大事だと言っていたような気がしているからです。何よりも国民の命と暮らしを守るためには、現在日本の政党のなかで、一番まともな共産党がしっかりしなければならないと思うからです。

 もう一つ指摘しておきます。それは、共産党がよく言う「自力」のことです。その「自力」をつける最大の部署と言われている「草の根」の「支部」です。以下に説明しています。これが現在どのような状態になっているかです。

 それでは「支部が主役」の党活動とは?どのように言っているでしょうか?

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-05-17/ftp20070517faq12_01_0.html

 20回大会第4回中央委員会総会―9510月)

三 支部が主役となる選挙を

 つぎに、支部が主役となる選挙戦の問題にっいてのべます。全党の力を全面的に発揮して選挙戦をたたかうためには、支部が主役となる選挙戦に徹することを、ひきっづき重視しなければなりません。

「政策と計画」と 総選挙戦

 党の支部は、職場、地域、学園に責任をおう党の基礎組織であり、長期的には、そこで生活し活動している人びとの多数者を、党と革新の事業に結集するという根本的な任務をもっています。そして、選挙戦はその任務を実現してゆく政治的な節目をなす活動であり、当面、有権者比の得票目標を実現することは、あらゆる選挙をつうじて一貫して追求されるべき課題です。党が「政策と計画」をもった支部活動を重視してきた根本もこの点にあります。……

 「政策と計画」をもっての活動にあたっては、総選挙での躍進を正面の任務にすえ、必要な具体化や補強をはかりながら、自覚的な活動の発展に力をつくしてゆく必要があります。

 そのためにはつぎの点が欠くことができないものとなります。

(1)総選挙戦にむけて、支部のとりくむべき有権者比の得票目標をあらためて明確にすること。

(2)この得票目標の達成のための選挙戦の計画をたてること。このなかでは、数字的な計画だけでなく、(イ)「赤旗」号外や選挙中の法定ビラを確実に配布する段どりや、日本共産党の姿をおしだす政党ポスターをはじめ各種のポスターを機敏に効果的に張りだす段どり、支部主催の演説会や小集会の開催など、全有権者規模での宣伝の計画、(ロ)「赤旗」読者や後援会員に選挙戦への協力をもれなくお願いする段どりをたて、単位後援会がまだできていないところは後援会をつくる具体計画をもつ、(ハ)これまでよりもひとまわりもふたまわりも広い有権者に対話の輪をひろげ、支持をお願いする対話・支持拡大計画、

 こういうことを具体的に話しあい、きめてゆくことが大切であります。

(3)有権者比得票目標実現への重要な柱として、機関紙と党員の拡大の計画をたてること。機関紙は、九三年総選挙時比三割増をめざすことを共通の最低目標にしますが、有権者比、労働者比の現状をはっきりとっかみ、この面で得票目標の達成にせまる積極的な拡大目標を意欲的にたてることを重視します。党員では、青年党員の拡大を重視し、支部活動のなかでも、民青同盟員の拡大と民青班の確立を、意識的な目標としてあわせて位置づけるようにします。

(4)支部がどのような大衆要求をとりあげてたたかうか、大衆活動と大衆組織をどう発展させるかの検討をかならずおこない、この面で「政策と計画」を具体化します。安保・沖縄問題などの国民的なたたかいを草の根でどう発展させるか、「消費税をなくす会」をどう拡大するか、こういう問題は全国的にいよいよ重要になっていますし、経営支部では職場革新懇をつくることも検討する必要があります。

 「政策と計画」をもつという方針の大事な特徴は、それが「二本足の党活勲」の支部での具体化だという点にあり、この面にも大きく目をくばった指導と援助が大切であります。

支部活動の本格的な発展のために

 選挙戦にすべての支部がたちあかって力をだしてゆくためには、「政策と計画」の指導とともに、体制がくずれている支部への援助をはじめ、支部の組織と活動そのものを本格的な発展の軌道にのせる努力と指導を重視すべきであります。

 党中央は、九月に首都圏などの党支部を対象に「すぐれた支部の経験をきく会」をひらき、そこでの教訓をつぎの七つの共通点に整理して、九月の都道府県委員長会議に報告しました。その七つとは、

(1)党の政治単位としての自覚をもち、職場、地域を変える生きた政治目標をもって活動していること、

(2)「政策と計画」をもち、「二本足の党活動」の両方を自覚的・系統的にすすめる努力をしていること、

(3)要求活動に活発にとりくみ、地域・職場新聞やハンドマイク宣伝など、「党の姿が見える活動」を重視していること、

(4)対話などの結果を「政治地図」や台帳に日常的に整理・補充して、大衆とのむすびつきをひろげ発展させる生きた力にしていること、

(5)党勢拡大に持続的にとりくみ、有権者比の機関紙拡大目標をもって、毎月減らさず前進する特別の努力をしていること、

(6)さまざまな工夫と努力をこらして、支部会議の週一回の定例化を支部活動の軸にすえていること。会議では多くの時間を学習にあてるようにしていること、

(7)支部指導部をきちんと確立し、連絡連帯網をつくり、一人ひとりの同志の初心を大切にし、「理性と人間性」のみなぎる人間集団として成長する努力をしていること、

であります。

 これは、すべての支部がめざす目標になるものですが、ここでとくに強調したいのは、週一回の支部会議の確実な開催が、支部活動を軌道にのせるうえで、とりわけ重要な意義をもつという点であります。「経験をきく会」では、この点についても、多くの経験がだされました。ある経営支部は、「会議は絶対に流さない」ことを原則にし、「職場労働者の利益をまもるうえでも、一週間に一回はみんなで顔を合わせよう」「なんでも話せる支部会議にしよう」など、週一回の会議の意義と必要性そのものをおおいに議論し、全党員がその意味をつかむようにして活動していることが報告されました。また、出席した人が元気になるように、会議の時間の半分は学習にあて、担当者がよく準備して、実際に元気がでるような討論をおこなっている経験、困難な同志の条件を考えて、会議場所や交通の車の問題、昼班と夜班に分けるなど、みんなが参加しやすくすることに注意をはらっている経験、会議できまったことはもちろん、会議にでられなかった党員の活動状況も「支部ニュース」で紹介して、みんなががんばっている様子がいつも支部の全員にわかるようにしている経験など、さまざまな貴重な活動がこもごも報告されました。

 支部会議の定例化というのは、それだけの努力をはらう値うちのある重要な課題であります。ここの乱れから支部活動のくずれがおきたということは、全国に多くの苦い経験があります。党機関の側からの支部指導にあたっても、すべての支部が支部会議を軸に生きいきと活動できる状況をつくりだすために、ここに特別の努力をそそぐ必要があります。この問題では、第二十回党大会の規約改正で、「支部会議を原則として週一回定期的に開催する」ことを、規約のうえでの基本問題として明記したことを、あらためて思いおこしたいのであります。(引用ここまで)

 こうした指摘が、現在の共産党の活動でどのように具体化されているか、していなかったら、それは何故か、そうした視点から「科学の眼」で分析研究し、総括し、改善のための方針をつくらなければならないでしょう。さもなければ、同じ失敗を繰り返すことになるでしょう。

 第5回中央委員会総会志位委員長の幹部会報告2012年10月14日

「大運動」をどう成功させるか――「支部が主役」で「四つの原点」にもとづく選挙活動を

http://www.jcp.or.jp/web_jcp/html/25th-5chuso/20121014-houkoku.html

 共産党の活動は、スポーツ選手が大会に出場して敗退、失敗した後にどのような反省をして、それを活かした練習メニューをつくり、次の大会に備えるという営みに置き換えると、或いは、野球なり、サッカーチームが大会で敗退後、どのようにチームとして、個人として反省し、練習を改善して、次の大会に備えるか、それに置き換えてみると、どこが問題か判るような気がします。特に一流選手の練習と試合をよく研究してみる必要があるように思います。そういう視点でみると、「選挙結果について」と今日の「主張」、一連の会議の文書をみると、「甘いな」と思いますが、如何でしょうか?

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自民大勝・共産後退という選挙から学んだこと、どうやって次に向かうかをざっくばらんと叱咤激励を!

2012-12-22 | 日記

上総介宗親さん

コメントありがとうございました。「共産後退」は前回衆議院選挙からみてという意味です。自民党など他党のことは前回総選挙と比較して言っていますが、共産党は前回参院選と比較しています。これはちょっと違うなと思い、「後退」としました。後退の1議席は吉井さんの議席復活が出来なかったことの意味、それは敗北と言った方がいいのではないかと思いますが、いかがでしょうか?

 それでは、ご指摘いただいたことに沿って述べてみたいと思います。

 >1990年第39回衆議院選挙の得票から今回の得票数、おおよそですが96年と98年2000年は組織票以外がたくさん集まった。これは国民的期待感の現れと見ると分りやすい。それ以外の得票の推移は小選挙制度の弊害あえて脇に置いて考えると共産党さんの組織票が正直に見えるのではありませんか、

確かに共産党の獲得票は、頭打ちです。そこで、70年代の「躍進期」と比較しながら、90年代以降の約20年間15回の全国選挙の獲得票の推移をみてみました。

 70年代の中選挙区制下と00年代の小選挙区制下の獲得票と得票率を比べてみると、選挙制度によって民意がどう扱われるか、歴然としています。「政権交代」可能な二大政党制と小選挙区制度は、確かに「政権交代」を実現しましたが、民意は切り捨てられ、政党政治そのものは劣化しました。この間の政治の推移を見ると、よく判ると思います。

 (有権者の単位は万人)

選挙類

獲得票

得票率

有権者比

議席(選挙区)

72年衆

563.7

10.75

7.64

39

74年参

493.1

9.4

―?

8(5)

76年衆

603.2

10.66

7.74

19

77年参

426.0

8.4

―?

3(2)

79年衆

576.7

10.68

7.19

41

80年参

407.2

7.3

―?

3(4)

89年参

395.5

7.04

4.40

4(1)

90年衆

522.6

7.96

5.79

16

92年参

353.2

7.86

3.79

4(2)

93年衆

483.4

7.70

5.12

15

95年参

387.3

9.53

4.00

5(3)

96年衆

726.8

13.08

7.44

24(2)

98年参

819.5

14.60

8.27

8(7)

00年衆

671.9

11.23

6.69

20(-)

01年参

432.9

7.91

4.27

4(1)

03年衆

458.6

7.76

4.49

9(―)

04年参

436.2

7.80

4.25

4(―)

05年衆

491.9

7.25

4.78

9(―)

07年参

440.7

7.48

4.27

3(―)

09年衆

494.3

7.03

4.76

9(―)

10年参

356.3

6.10

3.43

3(―)

12年衆

368.9

6.13

3.55

8(―)

 政権の行方を決する衆院選挙の獲得票の推移をみると、どうでしょうか?身の毛の・・・ということになりませんか?

>日本でなんでこんなにまっとうな論説の党が300万から500万程度に押しとどめられているのか、当然階級闘争ですから敵の反共攻撃の結果というこれまでの論理は理解しています。マスコミ論も承知しています。そこでこれを打開するのが「強大な党」を作る組織論、赤旗拡大推進、「それ以外の論理」が見つかりませんね。

確かに、日々流されている「共産党シフト」をどのように打ち破るか、そのための「強大な党」づくりと「赤旗拡大」、これは高度に発達した資本主義国の革命運動にあっては鉄則中の鉄則でしょう。マスコミというメディアは一貫して無視するわけですから。

 同時に21世紀臨調や日本アカデメイア、ACジャパン、それから日経・CSISバーチャル・シンクタンクなどのイデオログーが日々国民にウソとペテンの情報と思想を撒き散らしていますが、これらに対する理論思想闘争・論戦を行うか、これにかかっているでしょう。

http://www.secj.jp/

http://j-akademeia.jp/

http://ja.wikipedia.org/wiki/

 しかし、それにしても、国民に対して共産党のことを報せるメディアは「赤旗」だけでしょうか?そこはもっと現実を見ていかなければならないでしょうね。もっと多様であるはずです!

 ところで、現在日刊政党機関紙を発行しているのは、共産党と公明党だったと思います。それ以外の政党のメディアは、新聞・テレビ・ネット・議員と支援者・チラシなどが主なものでしょうか?

 それでもって自民・民主・維新・みんななどの政党が共産党以上の支持を得ているのは、何故でしょうか?マスコミが取り上げてくれることが大きいと思います。しかし、そのマスコミが取り上げたからと言って、支持が格段に増えるというものでないことは、今回の自民・民主の票の減らし方や維新の「失速」を見れば明瞭です。やはり政策や体質・イメージ・語り方などがあると思います。

 そういうことを踏まえて、有権者の支持を共産党が広げていくためには何が必要か、です。「それ以外の論理」を大胆に提起していくことです。切れなくなった包丁は捨てるか、研ぐしかありません。

 まずマスコミに取り上げられる、これは放送法や公選法からみても、民主主義のイロハの問題です。もう一つ検討されなければならないのは、単なる「マスコミ頼みの風」論ではなく、「自力で風を吹かせる」論の内容です。マスコミが取り上げざるを得ない政策提起と運動(これまでの経験を診れば、それでも無視すると思います)、「赤旗」を基軸にしながらも、ネットなどを使った伝達手段の質的転換・工夫です。或いはイメージチェンジです。

 例えば全支部・全機関・全議員がネットを使いこなすことがどうでしょうか?かつて80年代に生活相談所を設けることで住民要求実現に大きな貢献をしたことがあります。この発想をネット社会で活かすのです。本部もネットを縦横無尽に使いこなすことは言うまでもありません。発信力の大転換です。そのためには、草の根の運動のあり方を変えていかなければなりません。

 そういう意味で、安倍総裁がネット選挙の解禁に向けて動き出したことは、今後の選挙の、いや政党の日常活動のあり方の大変革が求められてくることでしょう。安倍総裁のネット対策の視点は、90年代に明らかになっていたにもかかわらず、改善が遅れてきたのではないでしょうか?

 本部の提起する全国的課題ばかりをネット上に書いても、信頼は高まらないでしょう。やはり「草の根」は「草の根」として、それぞれの地域の要望や不満を「根こそぎ拾い上げていく」こと、「どぶ板」です。それを政策化し、宣伝し、行政や議会に届ける運動を系統的に起こすこと、これをネット上で報せていくこと、特に携帯サイトに反映できるようにすること、そうして参加を呼びかけることです。

 しかし、これらは各地のNPOがすでにやっていることです。共産党ならではのものが必要でしょう。共産党が被災地に全国から応援に行って生活支援をした、あのやり方を日常活動として全国各地でやりきるのです。結果は自ずと出てくるのではないでしょうか?

 しかしながら、現在の共産党は、これらに関する惰性・マンネリ・保守主義が蔓延しているのではないでしょうか?これは言い過ぎかもしれませんが、半共主義者さんから、そのようなコメントを寄せていただきました。こうした組織の状況を完全に克服しなければ、今後、当面は参院選で壊滅的打撃を受けることになるでしょう。

 ところが、「赤旗」を見ていますと、連日「赤旗」の拡大の活動が紹介されています。共産党の草の根の活動、支部の活動は、「赤旗」の拡大が中心のような感じです。どこで、どのような住民運動が行われ、どのような成果があったとか、どこの職場でどのような活動が行われ、要求を改善したのか、など、支部の活動はほとんど紹介されていません。

 確かに論戦・告発・スクープとしての「赤旗」の存在は光るものがありますが、旧い言葉で言えば、宣伝・扇動・組織、の要として「赤旗」に固執し過ぎたのではないでしょうか?現在はネットで調べれば、結構多彩なことが判ります。「一紙で間に合う」新聞というコピーはかつてのものとなりつつあります。新聞購読者の激減は何を意味しているか、です。

 しかも、増やしても、増やしても減り続けている「赤旗」、増やしているから現状が維持されているのだということも言えますが、そこにばかり力を入れて、先ほど述べた住民要求実現に力が注がれなかったとしたら、どうでしょうか?このことは「赤旗拡大」にも、大きく影響するのではないでしょうか?

 以上のような「赤旗」の拡大活動を運動の発展との関係やカネを支払って「赤旗」を購読していただくことの意味との関係を考えた時、有権者に出費をお願いする訳ですから、それ以上の見返りがなければ、購読を中止するのは当然です。それほど国民の生活は切迫しているのですが、これらの問題(臭い物)については蓋をしてきたのではないでしょうか?

 もう一つあります。それは財源問題です。確かに「赤旗」は財源の要でもありますが、山本太郎氏が1日で供託金を集めたことをみれば、国民との結びつきによって資金問題は解決できるのではないかと思います。

 いずれにしましても選挙の後に、或いは選挙を控えた提起され続けてきた「大運動」なるものが成功していない要因にこそメスを入れて大改造をしていかないと、参院選挙も同じ結果になることでしょうね。この間の「声明」と選挙結果は、そのことを教えています。

 そうした状況を脱却し、ネット社会に機敏に対応した活動の改善こそが求められているのではないでしょうか?どちらが、どのような「情報」を国民に報せていくか、そこにかかっているように思います。

 >今の選挙方針、この国の支配勢力がちっとも怖がらない。小うるさく、論説で公衆の面前で打ち負かされるので「相手になっている」が実はもう怖くない政党、権力を脅かさない「弱小政党」。小選挙区制度がこのまま続く限り、中国の覇権主義が尖閣で暴れてくれる限り「怖くない」。どう思います。

そのとおりだと思いますが、それにしても、あれだけ「無視」をして、土俵・リングに上げなくても、それでも一定の「陣地」を築いているのですから、日米軍事同盟容認・深化派・財界応援団は困っていると思います。

 70年代は自民党自身が「自共対決」の時代と言ったのです。彼らはそこから教訓を引き出して、あらゆる「孤立」策を講じてきたのだと思います。しかもソ連もなくなり、「冷戦」時代が「終焉」。アメリカ一国主義で資本主義の勝利となりました。しかし一向に資本主義は良くない!そこで、「新自由主義」なるイデオロギーを日本に持ち込み、彼らの陣地を必死に守ろうとしているのだと思います。そこにあるのは「小さな政府」と「自助・自立」論です。80年代の「受益者負担」論の焼き直しです。

 そういうイデオロギーをあの手この手と練ることと正当化するために、政財官学一体となって国民分断を持ち込むのです。官民格差、生活保護攻撃はその典型です。

 もう一つは、ソ連崩壊後の90年代以後持ち出してきたのが、北朝鮮と中国の「脅威」論と「日米同盟」論です。「日米同盟」論は鈴木内閣時に言ったものですが、さしたる問題にもならないまま、95年の安保再定義・安保共同宣言で、行動範囲を地球的規模に拡大し、イラク・アフガン戦争に加担し、間違いだったことが明らかいなってもなお、責任を曖昧にしながら、日米同盟を正当化し、深化させようとしているのです。

 それでも不満なのです。日米同盟にとって9条は邪魔だというようなことをアーミテージ氏がNHKニュース9で述べました。驚きました。内政干渉もはなはだしい限りです。これでは中国と同じではないでしょうか?しかし、NHKもマスコミも全く気づきません。呆れます!

 憲法を「押し付けた」とされるアメリカが、今度は「押し付けた」憲法を邪魔だから変えろと要求してきたのです。日本のナショナリストは、その意を具体化するためにマスコミを使って日本国民の思考を停止させるために躍起になっています。ますます中国・北朝鮮の「脅威」を煽っています。

 このような、いわば、戦前で言えば「天皇は神様」というイデオロギーを教育や地域、職場で信じ込ませるための装置を張り巡らし、疑問を言うようなことがあれば、「非国民・国賊」扱いにしたように、日米軍事同盟廃棄論は、議論の中にすら登場させないような装置を張り巡らしているのです。これだけ「日米同盟深化」論が垂れ流されているのに、です。

 「産経」「読売」「日経」は当然のことですが「朝日」「毎日」は、批判しているようなそぶりを見せながら、煽って広めているのです。「東京」、「琉球新報」「沖縄タイムス」ですら、日米同盟容認なのです。「日米同盟」論の嵐の中で、どのように日米軍事同盟廃棄派を圧倒的多数にしていくか、橋下氏の言葉を借りれば、日本を根本的に変えていくことになるのですが、やりがいがあります。

 >あと300万人が「日本共産党」と書いてくれるにはどうしたらいいのかとか、1000万人の味方がバックにつく「脱皮」羽化しないと幼虫のままですよ

日米軍事同盟容認・深化派、米倉経団連擁護派は、国民分断とウソを軸に「共産党孤立」作戦を展開しているのですから、それを利用するしたたかさが必要です。「先の先」論、「オセロの四隅占領作戦」を使うのです。相手の出方に一つ一つ楔を打つのです。

 例えば、「脅威」論、やはり志位委員長が習近平氏とパククネ氏と会談する、いわゆる「野党外交」をすべきですね。議題は、戦争責任・領土・日米軍事同盟のあり方・拉致・核兵器・経済・文化交流でしょうか?「緊張と軍事にカネをかねるのではなく、経済と文化にカネを」というスタンスを率直に共産党の考え方を報せていく、一致点を確認できれば、「脅威」論は払拭に向かうのではないでしょうか?

 この中国共産党・北朝鮮労働党=日本共産党イメージは相当国民の中に沈澱していますが、本部は、このことに関して無頓着のようです。手を打っていません!昨日も、愛国者の邪論の住む地域のある方が、選挙の話になり、このことを、かなり強く言っておりました。

 >この国に左翼が成長しない国民的体質まで視野に入れた思想、そこに手を突っ込むくらいの「発想」が無いと400万から500万の壁は乗り越えられないと、数字を観ていて思いました。

過去において一時820万もの人々が共産党と書いたのです!この人たちのエネルギーを再び共産党に、です。それは共産党の側にも問題があるようにも思います。共産党に支持が集まった時の教訓は何か、減ってしまったのは何か、を再確認する必要があるのではないでしょうか?「赤旗」がそれなりの部数があったから、820万もの人々が支持をした訳ではないのです。勿論「赤旗」がそれなりの部数がなかったから、その後支持が減ってしまったという考え方もあるでしょうが、それだけではありません。以下の指摘をご覧いただければ明瞭です。

創立90周年の年にふさわしい躍進を志位委員長 新春インタビュー2012年1月1日(日)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-01-01/2012010101_01_0.html

 また96年総選挙で726万票を獲得した後に開かれた第6回中央委員会総会で不破委員長は、躍進の理由に「赤旗」の部数をあげていません。そればかりか、「『得票の半数の読者』をめざす」と言って「これは全国的には、読者の一倍半という目標になります」とも言っているのです。ということは、363万部が、現在の読者の一倍半ということですから、部数は明らかです。しかも各地の読者数が得票の10%、20%、30%、40%台の都道府県を具体的にあげながら、「これらの数字は、総選挙をつうじて、現在の読者数よりもはるかに大きな規模で党への支持がひろがったこと」をあげています。

 ということは、その後の選挙の停滞・敗北の理由が「読者数」を含めた「自力」だけの問題ではなかったことを示しています。

 その後の00年選挙は膨大な暴力ビラは撒かれました。これが最大の教訓ですが、同時に、ここにこそ反転攻勢の眼があるように思います。共産党を追い落とすためには、政策論争はしない!戦前の忌まわしい「事件」や独裁イメージ、中国・北朝鮮の脅威を煽る、無視をする、ここにポイントを絞れば、対策も出てくるのではないでしょうか?そういう意味で支持を失った時の共産党の対応力こそ、検討されなければならないと思います。

 この戦法は一貫としている訳ですから対応策もとりやすい!でも、できなかった!ここに何があるのか、分析研究が必要です。

 >私は徳川泰平の世から明治維新、今日に至る歴史の中にヒントがあると思います。自由民権の歴史は当然ですが敗戦後を除くと民主主義の成果が「選挙」の中にいかされていない。当然歴史の逆向きのエンジンが強い、これを許している国民性まで深めていただきたい。

仰るとおりですが、それだけでないようにも思います。それは10%もの有権者が投票を「忌避」したという表現です。「棄権」ではなく「忌避」です。白票も多かったようです。これを否定的にみるか、肯定的に見るかでしょう。権力者の立場からみればどうでしょうか?

衆院選小選挙区、無効が最多204万票 白票増加か

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1903X_Z11C12A2CC1000/

 日本の歴史をみると、説明がつきます!一つは奈良時代に大宝律令が発布された直後に、人頭税に苦しむ公民である「百姓」が取った行動は「浮浪・逃亡」という形で税金負担を忌避する行動でした。これが奈良時代の政権にとっては、とんでもないことに。ありとあらゆる対策を講じていくのですが、これが、律令制度を変質させることになります。「咲く花の匂うがごとく今盛りなり」と詠まれた有名な和歌に反して奈良時代が血で血を洗う政争の時代だった根底には、こうした民衆の政治に対する抵抗がありました。行基は、こうした民衆の心を捉えたからこそ、鎮護国家としての大仏づくりの責任者を命じられたのです。あの有名な桓武天皇の政治は、こうした民衆の忌避という反抗に対応した行財政改革政治だった訳です。

 今年大河ドラマで登場した清盛も、900年代初頭に廃止された遣唐使による中国との関係を修復再開し日宋貿易を開き、宋銭という銭を使って経済を展開したように、旧来の枠からはみ出しながらも、天皇や法皇の権力の枠からはみ出しきれなかったという意味では政権を発展させることができませんでしたが、400年も続く「平安時代」末期に、後の御家人制度の前段である家人制度を確立し武士政権への橋渡しをしたという意味では革新的だったように思います。

 もう一つは、鎌倉時代後半から畿内を中心に出没した「悪党」。鎌倉幕府の将軍(形ばかりのものでしたが)と主従関係を持たない武士(と言っても江戸時代のように武士と農民の違いは極めて曖昧)が、旧い制度である荘園制度の中から生まれ、そこからははみ出して旧い制度を壊していくのです。

 こういう視点で、現在を捉えると、「赤旗」を読んでいないフツーの国民が参加した官邸前行動や代々木公園集会は、何を示唆しているでしょうか?確かに投票行動という点では選挙に直接的には大きな影響を与えなかったようですが、これが、原発再稼動を狙う安倍政権にとって、大きな鬼門となることは明らかです。またオスプレイ配備の当該地の民衆の運動もどうなるでしょうか?オール沖縄・オール福島が今度の選挙にどのように活かされたか、検証が必要でしょう。

 愛国者の邪論は、今度の選挙は、次の選挙に向けた前哨戦のような気がします。旧い自民党政治を根本から変えると豪語した橋下氏に共感が広がり、真の意味で旧い自民党型政治の変革を政策として掲げた共産党に90年代後半のような支持が集まらなかった。ここに今後の発展の糸口、研究の入り口があるように思います。

 このように、維新の会やみんなに集まった国民的エネルギーをどのようにすれば共産党の支持の方向に引き出し発展させることができるか、自民はダメだから民主に、しかし、その民主も自民党化したのでダメ、ではそれに変わりうる第三極として、「共産党」が躍り出てくるのが必然でしたが、そこに分断を持ち込んだ戦法と維新のエネルギーやみんなのしたたかさにしてやられました。彼らはテレビ時代、ネット時代の国民の心を捉える手練手管に、少なくとも共産党よりは長けているように思います。

 しかし、こうした戦法は、この間の選挙をみれば想像できたはずです。この間の歴史をみれば、です。しかし、それを打ち破る仕掛けができなかったところに、大いなる問題があるように思います。その根本には何があるか!?政治的・思想的・組織的・文化的・人間力的側面から見ていく必要があるように思います。

 これもある人に言われました。「政党助成金、スジをとおしてもらわない頑固さは立派だが、もっと柔軟に、あのカネを利用したらいいのではないか?政府が流用などをしてやっていないのだから被災地に配るとか、世間は曲がったことは嫌いだが、曲がったこともある程度認めているのも世間だ。共産党は名前も頑固に変えないのも良いとは思うが、若者に受けるイメージが、あの名前では良くない。瀬戸内さんの言うことも判るが」というものです。

 さぁ、こうした「ご心配」に対してどのように柳のようにしなやかに応えるか、少なくとも今のやり方が支持者の方にも受け入れられていないのです。「キョーサントー」と聴いただけで、思考の枠外においてしまう昨今、このような「ご心配」をしていただける方々のパワーをどう活かしていくか、まさに原則性と柔軟性が試されているのだと思います。

 ここの感情論に噛み合わないような「頑固一徹の立派さ」という原則性と国民感情の乖離の間にどのような踏み台を置いて、「頑固一徹」をご理解いただくか、それ相当の踏み台がなければ、あがることはできないでしょうね。今のままでは上るだけの足の脚力もないほど高いところに共産党の「頑固一徹」さがあるように思います。

 別の言い方をすれば、教師が教壇で授業をしても、その語り口は内容が判らず、生徒がおしゃべりをしてしまっている、或いは立ち上がって他の教室の授業を受けに行ってしまっているというような状況にあるのではないでしょうか?そういう時、教師はどうすれば、生徒を自分の教室に呼び戻し、椅子に座って授業を受けるような状態をつくることができるのでしょうか?

或いは、日本共産党株式会社の商品をショーウィンドに並べ、宣伝もしました。しかし売れない場合はどうやって売れるようにするのでしょうか?そんなことを考えてみました。

 もう一つは「暫定連合政権構想」論でしたが、旧来の統一戦線論、「政策協定と組織協定」論の枠内でしか見なかったという点で(勿論選挙直前の離合集散論とは違う意味ですが)、あの官邸前行動のエネルギーや被災地の住民の思い、原発被害を受けた人々の思い、農村破壊に危機感を感じた農民や医療関係者の思い、そうして米軍基地の有り様を転換する沖縄の人たちの思いなどなど、これらの思いを暫定統一戦線政府に結集できなかった硬直性にこそ、最大の教訓があるように思います。

 >こっちに振り向かせ手を取り合える戦術が、いや戦略も含め構築しないと「闘ってこそ人生」が少数者では悲しいですよ

「振り向かせる」のではなく、国民の意識や動向に教えていただく、或いは学ばせていただくというスタンスでしょうね。今回も1千万人対話運動が提起されたようですが、これもこれだけ真実(政策)を宣伝するというような視点であったように思います。そうではなく「共産党ってどう思いますか?」「共産党に何を期待しますか?」「共産党にやって欲しいことは何ですか?」式のアンケートをもって各家に訪問する。応えていただいた方には、「赤旗」を進呈する。こんな形での運動ができていたら、いろいろなことを教えていただけたのではないでしょうか?

そうしなかったから、これだけ国民の不満が鬱積し、閉塞しているのに、「共産党に票が来なかった!」のです。多数者革命を演じる共産党としても投票率が下がるのは政治の改革を「国民が主人公」を具体化するうえで、大きな問題であり、課題なはずです。そういう点で、共産党の活動に対しても、国民からの「しっぺ返し」があったように思います。

 共産党がいつも言っているように主人公は国民なのです。圧倒的多数の国民の動向こそが、歴史をつくるのです。そこを見間違うと政権も取れないし、維持もできないでしょう。政治は国民の幸福と生活の安全・安心のためにあるということです。そこが最大の戦略ではないでしょうか?そこが自民党などと根本的に違っているところではないでしょうか?

ま、各地の地べたに這いつくばって活動しても全局で間違った方針が、というか、国民と噛み合わないことがなされてしまっては、「少数者」は「殲滅」されますよね。戦闘のイロハです!局地戦で勝っても大戦規模で負ければ、敗北するのは必至ですから。ま、こういう時こそ、よく学べですね。共産党は党内外の意見に耳を傾けると言っていましたが、結果はどうだったでしょうか?こういうやり取りを見ていれば、次は期待できそうですが、どうでしょうか?ま、見ていれば、さらにはどのような意見が出されるか、の話ですが、どうでしょうか?

  以上長くなりましたが、今日のところは、これくらいにしておきます。

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棄権10%にみる自民大勝の真の要因を探らないマスコミの確信犯的役割を断罪し、その変革を探る!その1

2012-12-21 | 日記

今回の選挙は、現代日本の民主主義の到達点を、実に良く示したと思います。それは、 

一つには民主主義の根本中の根本である平等の原則(=一票の格差是認)を否定する選挙であったこと、

 二つ目は、有権者の4割が選挙に参加しなかったという戦後最低の投票率のなかで行われたこと、しかも、前回の選挙から10%、約1千万人もの人々が投票を忌避した選挙であったこと、

 三つ目は、政権交代後の政党活動の検証と政党選択の最大の指標である政策の検証を曖昧にして選挙後の政権の枠組み論を最大の争点と喧伝したことや二大政党政治と小選挙区制度を前提とした偽りの世論調査による世論誘導によって、「暮らしを何とかして欲しい」という国民の願いの争点づらしが意図的に行われた選挙であったこと、具体的には、以下の争点ぼか市と偽りの争点づくりが行われました。

東日本大震災後の国政選挙であったにも係わらず、原発事故の反省も責任も曖昧にしたまま、さらには復興の遅れの責任を問うこともなく、また公約違反の消費税や憲法25条に明記された国家の責任放棄放棄を糾すことや普天間基地やオスプレイ配備、TPPなど日米同盟=日米軍事同盟の是非や貧困と格差が広がる一方、一人勝ちを納めている財界や富裕層へ課税問題、財政危機=財源問題を曖昧にしたまま、自民党化した民主党政権の失態にばかり目を向けさせ、そのことによって自民党の政権奪還を争点化していったこと、

 四つ目には、こうした偽りの争点づらし・争点づくりが、二大政党政治と小選挙区制度による「政権交代」を扇動してきたマスコミによって、また消費税増税を扇動してきたマスコミによって、意図的に仕組まれ、「政党が多くて違いが判らない」というムードを有権者のなかに醸成させ、投票行動を弛緩させ、忌避させた選挙であったこと、

 五つ目には、このような偽りの争点ぼかしや争点づくりによってつくられる「政権交代」「政権奪還」論は、選挙制度に助けられている虚構の、国民不在の「政権」であることが一層明確になった選挙であったこと

 以上の選挙の特徴に共通すしているのは、憲法の空洞化、乃至無視・黙殺です。主権者である国民目線はことごとく否定乃至無視されているのが、各紙の報道でした。

 そうした視点の根拠となる諸事実を、以下述べてみたいと思います。

 1.今度の自民党の政権奪還を選挙制度の問題とはしない「朝日」の姑息について

(1)12月17日夕刊一面の図(「数字で見る自民圧勝」)をみると、議席が強調されていることが判ります。その下に愛国者の邪論が獲得票と率、議席占有率を比較しました。制度の問題であることは歴然としています。しかし、「朝日」の記事を見る限り、自民党の圧勝・大勝と民主の大敗は強調するものの、その背景にある有権者の投票行動と制度の問題点には触れないのです。ここに「朝日」の姑息さと特殊な立ち居地が見えてきます。

 数字で見る自民圧勝

 

今回

09年民主

05年自民

獲得議席数

294議席

308議席

296議席

うち小選挙区

237議席

221議席

219議席

議席占有率

61.3%

64.2%

61.7%

 

 

(有権者数・獲得票の単位は万人)

 

12年選挙

09年選挙

05年選挙

第一党党首と政党

安倍自民党

鳩山民主党

小泉自民党

有権者総数

1億395.9

1億434.4

1億298.5

投票率

59.32

69.28

67.51

獲得議席総数

294

308

296

獲得議席占有率

61.3

64.2

61.7

獲得議席数

237

221

219

議席占有率

79.0

73.7

73.0

得票率

43.0

47.4

47.8

獲得票

2564.3

3347.5

3251.8

獲得議席数

57

87

77

議席占有率

31.7

48.3

42.8

獲得率

27.6

42.4

38.2

獲得票

1662.4

2984.4

2588.7

 (2)「朝日」17日付1に掲載された「優先順位見定めよ」(政治部長 曽我 豪の記事は、「有権者が悩みの末に出した解」は「その経験と反省のほどを信じてもう一度、自公政権に当面の未来を託」したと平気でウソをつく国民無視の「朝日」の立ち居地を如実に示しています。自民党が各地で獲得した票は、有権者が「信じて」「託し」たものでないことは明らかです。前回の「政権交代」も今回の「政権奪還」も「敵失」が大きな要素であることは明らかです。

 しかも、民主党政権への「大いなる期待を大いなる失望へ変えてしまった」のは、民主党の自民党化による「公約違反」でしたし、その自民党化とは日米軍事同盟容認・深化論であり、米倉経団連応援団政策であったのですが、「朝日」は、このことをいっさい語りません。理由は簡単です。己も同じ立ち居地だからです。

 しかし、二大政党政治を煽る「朝日」は、「自民党の経験と反省のほど信じて」いる「朝日」は「たまさかの圧勝」は「慢心」して「再可決」などすれば「衆院選の次の参院選で信認とりつけに失敗し政治の統治力を失う混迷が再現されかねないと自民党に警告・脅しを発しているようなそぶりを見せながら、実は激励しているのです。

 それは、そうでしょう。今回の「政権奪還」劇は、なによりも「敵失」で起こったのですから、次の安倍自民党政権の「敵失」を恐れる「朝日」が、二大政党政治と小選挙区制を温存するための苦肉の方便として私たち朝日新聞の責務を敢えて強調してみせるのです。

 このことは、「憲法改正など保守の理念改革は身上のものとして、いかに全体の順番と具体の工程を巧みに描き、懐深く野党と合意の多数派をつくるか」と天皇の元首化と人権制限、集団的自衛権行使と国防軍構想の現行憲法「改悪案」をもつ安倍自民党に手練手管の観点を教え、励まし、「不毛な常時対決の政治から豊かな随時合意のそれへ」に向かっての「検証」などと大政翼賛政治を奨励してみせるのです。

 「合意」の中身は、二大政党政治と小選挙区制の温存を前提とした「現行制度の功罪」の検証」というのですから、国民無視もはなはだしい限りと言わざるを得ません。しかも白々しくも「新たな政治の象徴としようではないか」などと「説教」を垂れているのです。そもそも民意を切り捨てる小選挙区制に「功」などがあるはずはありません。そのことは前回、今回の「政権交代」劇で証明されています。

 そのことは、「朝日」の記事が、実はウラを返せば、如実に示しているのです。「政権交代」しても、公約違反をする。二大政党政治とはいうものの、自民政治の枠内でのコップの争いにしか過ぎず、それを「政局報道」で、国民的関心を惹き付け、その枠外からの政策提起はいっさい無視する報道と政治が横行し、政党政治の劣化・マスコミのジャーナリズム精神の劣化が席巻させてきたのです。

 また偽りの争点づくりで過剰な期待を煽ってきたのは誰か!本当の争点を曖昧にしたまま「政局報道」を煽り、過度の失望を頻繁起こさせてきたのは誰か!「政権交代」可能な二大政党政治と小選挙区制温存によって政権を「行き来させようとしてきたのは誰か!そうした「刹那的な政治文化」を国民に振りまいてきたのは誰か!を「検証」すべきは、「朝日」など、マスコミ自身です。

 その「検証」の「解」は、マスコミ自身の「政局報道」と偽りの「世論調査」という「報道姿勢」にあると言えます。その点でいっさいの曖昧さは許されないでしょう。そうしたなかで、有権者の政治離れとしての「無党派層」の増大と投票忌避という事態が進行してきたのです。

 しかし、こうした「劣化」現象も、ウラを返せば、新しい政治を求める前兆と言えます。政治参加の忌避は、反面強固な意思表示でもあるわけですから、いずれはマスコミの立ち居地や日米軍事同盟容認・深化論や米倉経団連擁護派の土俵は必ず打ち破られると思います。

 何故ならば、この土俵は国民の幸福・安全安心を保証しないもの、むしろ国民を犠牲にして、国民の富を搾り取っていく土俵だからです。

 では、記事を掲載しておきます。

  政党と争点が乱立し錯綜したこの衆院選で、有権者が悩みの末に出した解は恐らくこういうことだろう。 その経験と反省のほどを信じてもう一度、自公政権に当面の未来は託そう。ただ、来夏の参院選で信認をめざすなら、まずは本格政権のよさをみせよ、と。 だから新首相に就くだろう自民党の安倍晋三総裁にはなにより、政治の優先順位を正しく見定めるよう望む。 政権交代は、その摩擦熱により世間に過剰な期待感を生む。さきの民主党政権は、普天間基地移転に最大の力を注いで挫折、早々と大いなる期待を大いなる失望へ変えてしまった。 これは失望の反動が生んだ、たまさかの圧勝にすぎないかもしれない与党で再可決できると慢心し民心が離れれば、どうなる。すでに2大政党が過去一度ずつ経験した、衆院選の次の参院選で信認とりつけに失敗し政治の統治力を失う混迷が再現されかねない。 被災地対策と原発のこれから、経済成長と財政再建、対米、対アジアなど外交の再構築。喫緊の課題は数多い。ならば、憲法改正など保守の理念改革は身上のものとして、いかに全体の順番と具体の工程を巧みに描き、懐深く野党と合意の多数派をつくるか。 保守には本来、国民に安心と安定をもたらす責務があろう。その道筋と実績を監視することこそ、私たち朝日新聞の責務である。 民主党は大きく転落、第三極も明暗が分かれた。だが、日銀総裁の同意人事はじめ、参院で多数の野党には、自民党の行き過ぎをチェックする出番も責任も当然ある。公明党の問題意識も同じだろう。 不毛な常時対決の政治から豊かな随時合意のそれへ、たとえば、第9次選挙制度審議会を立ち上げ、現行制度の功罪の検証から始める。それを合意できる新たな政治の象徴としようではないか。 過剰な期待と過度の失望を頻繁に行き来した刹那的な政治文化はもう、過去のことだ。よりましな社会をつくるためには、英雄もブームもいらない。この衆院選はその分岐点でもあった―-。後世そう語られるうになればと願う。(引用ここまで)

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