維新の「リセット」と石原の「シャッフル」に惑う若者たち2012年10月29日 15:38
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愛国者の邪論に登場してきた「若者」が語った日本語は、愛国者の邪論が知っている韓国の若者と比べても、低俗で、反道徳的で、反人道的です。こういう言葉を発する「若者」を育ててきてしまったのは何故でしょうか?これが「自由と民主主義の国、ニッポン」なのでしょうか?愛国者の邪論のこころにグサッと突き刺さったのは、このことです。
戦後日本の「民主主義」は、こうした「若者」を育てるために、その理念と活動を営々と営んできたのでしょうか?勿論、このような「若者」だけが、日本の「若者」ではないことは充分承知しています。それにしても、です。戦後の政権を担当してきたのは、自民党政権です。彼らは、このような「若者」を育てるために政権を担当し、政治を行ってきたのでしょうか?
愛国者の邪論に登場してくる「若者」を見る限り、ハッキリ言って支離滅裂です。これだけ情報が手に入れやすいというのに、全く事実を把握していません。彼らが40代、50代、そして定年を迎えたとき、日本という社会に、どう発信していくか、非常に「心もとない」と言わざるを得ません。
しかし、こうした危惧は、「戦前」を体験した「若者」たちが、愛国者の邪論が「若者」であった頃に浴びせた言葉、私たちに寄せた「危惧」と同じレベルの「危惧」であるかもしれないという「安堵感」も、一方ではあります。しかしそうした「体験」と「危惧」を、上回る「老婆心」があるというのも、また事実なのです。
何故か。歴史の動乱の時期は、「規制」を否定する「若者」が、多様に登場してきましたました。ところが、愛国者の邪論に登場している「若者」をみると、まさに「復古的若者」、「規制服」を認める「若者」なのです。これは、まさに「日本的状況」だと思います。勿論、「ネオナチ」のような「若者」が登場してきたドイツのこともあります。しかし、それにしても、です。
ただ、こうした「若者」を扇動し、育ててきた装置に、「若者」自身が気づいた時、歴史は大きく前進するであろうことは、予想できます。「知は力」とはそういうものです。例をあげれば、坂本龍馬が知を求めて既製品である藩を脱藩し、江戸に、そうして資本主義の装置亀山社中をつくり、新たな国家統治、船中八策を提案していったように、「若者」は次の新しい時代を見据えて、提案し、行動し、人生をかけていくものです。
その点で、現代社会はどうでしょうか?坂本龍馬の時代をはるかに超えるマスメディアの発展、それが垂れ流す多様な「事実」をどのように取捨選択し、新しい時代を準備していくか、そのことが、今鋭く問われているのです。愛国者の邪論に登場する「若者」をみていると、そのことを強く感じないわけにはいきません。そのことは愛国者の邪論が「若者」であった時代を見れば明瞭です。
「明治維新」を推進していったのは、坂本龍馬に代表される、今風に言えば「若者」がいました。だが、それだけではありません。世直し一揆や藤村の『夜明け前』、佐藤誠朗『幕末維新の民衆世界』(岩波新書)に登場してくる無名の庶民でした。このことは「明治維新」でなくとも、日本の歴史を診れば明瞭です。
例をあげてみます。網野善彦氏の描いた「日本」に登場してくる庶民、藤木久志『中世民衆の世界』(岩波新書)、黒田基樹『百姓から見た戦国大名』(ちくま新書)、青木直己『幕末単身赴任下級武士の食日記』(生活人新書)、竹山恭二『報道電報検閲秘史』・大江志乃夫『兵士たちの日露戦争』(朝日選書)、一ノ瀬俊也『皇軍兵士の日常生活』(講談社現代新書)などを読むと、名もなき庶民がつつましく、たくましく生きている、それを権力がどのように「目配せ」しながら、利用し権力を維持しているか、想像できます。
そうした視点で、現代社会を見ながら、いつの時代も「若者」のエネルギーは歴史を前に進める原動力だったことを想い起こしながら、現代社会に当てはめると、どうでしょうか?と言う問題意識です。そこで、現代社会を愛国者の邪論の拙い目でみてみます。
アメリカに代表される資本主義が行き詰まり、したたかですが、衰退を目前にしています。またソ連に代表される社会主義が破綻し、社会主義に市場経済を持ち込む中国の試みも、国内の人権と民主主義を発揚するという点で、また平和的外交の推進という点で予断を許しません。
新自由主義からの脱却をめざすEU諸国の試みも、綱引き状態が続いていて前途は多難です。新自由主義と対米従属を克服し、貧困からの脱出と新しい社会主義を目指すとする中南米の試みも、さらには戦後の戦争の惨禍を反省したASEAN・TACの試みも、発展途上です。
国連憲章と日本国憲法の理念にもとづく東アジア平和共同体づくりにとって、これらの動きは大いに参考になるところですが、日米軍事同盟深化派を「多数」とする日本を見ると、「眼中になし」と、軽視されています。そうしたなかで現代日本の現実は、どの道を選択するか、大いに試されているのではないでしょうか?
統計的にみれば、貧困の真っ最中にある「若者」が、こうした現代社会にあって、新自由主義と大日本帝国憲法という装置の復活をめざす安倍総裁・橋下日本維新の会・石原新党に一部の「若者」が共感するという「現実」を目の当たりにして、彼らの何に「共感」のメッセージを送るか、そこも大きな課題のような気がします。
その点で言えば、安倍・橋下・石原復古連合の進める国家づくりが、「若者」の未来を豊かなものにするのかどうか、その点を深く掘り下げていく必要があるように思います。彼らの「言質」が、「若者」に共感している根源に何があるか、です。
ところが安倍・橋下・石原復古連合の目指す国家装置は、すでに大きな失敗・過ち犯しています。国際社会においても、その装置は承認されていないでしょう。まさに糞と味噌の違いが判るような現実が、そこにあるのです。しかし、我が日本国内にあっては、糞と味噌は同じように見えているのです。これだけメディアの発達した現代社会にあって、です。
その最大の要因は、アメリカ的思考の土俵でものを見て考える訓練が徹底されていることにあるように思います。
例えば、「マッカーサーに押し付けられた日本国憲法」を変えて「自主憲法を」という反面で、「大東亜戦争は自衛戦争だったとマッカーサーが言っている」という矛盾に気づかないのです。戦前彼らの先輩たちは大東亜戦争を正当化するために「鬼畜米英」を唱え、国民を鼓舞しました。その勢力が、警察予備隊・保安隊・自衛隊という軍隊をつくってもらって、今や「日米同盟」の信奉者となって、「集団的自衛権を使え」と、アメリカが喜ぶ、アメリカの思うままの、卑屈な、屈辱的な態度と行動をとっているのです。そうしながら大日本帝国憲法という装置の復活を夢見ているのです。石原都知事が尖閣の買い取りをアメリカで発言したことに象徴的です。安倍総裁が従軍慰安婦問題でアメリカに言われてコロッと態度を変えたことも、同様です。
愛国者の邪論に登場する「若者」を見ていると、知識の相互関連性、比較など、どうでもいいのです。「その時、その時」なのです。即物的、刹那的思考で発言しているのがよく判ります。
例えば、以下のコメントに象徴的です。
2012-10-31 00:18:02Unknown (jojo)
愛国者の邪論さん 私はスライダーさんほど、タカ派じゃないけど、どうみてもあなたは共産党支持者ですよね。私は共産党のひときらいです。
2012-10-31 06:48:15Unknown (コブラツイスト)
このブログは馬鹿と馬鹿が「ばーーーーーーか!」「ばーーか!」の罵り合い。
はっきり言って、馬鹿バカ言っているおめえら両方バカなんだよ!
幼稚園児が「お前はうんこ!」「お前がうんこ!」と言い合っているのと同次元。最低レベル。発情期の野良猫のけんかと同次元。てめえら両方バカなんだよ!
何党を支持するかどうか、という狭い枠のなかで、ものを見る。問いかけてきたのは、愛国者の邪論に登場する彼らの「思考」でした。
「共産党のひときらいです」など、それは個人の自由です。寅サンが嗤ってますよ!「嫌いで結構、ネコハイダラケ」ってね。
また「罵り合い」と言いますが、愛国者の邪論の言葉をよく読めば、「罵っている」のは、誰か、明瞭です。
ま、HNが判りませんので、同一人物か、別人か、知る由もありませんが、愛国者の邪論が問題にしているのは、パソコン?携帯?を前にして、どんな心理状況で、これを打っているか、彼らの攻撃性はどこからくるか、です。
以上の問題意識を前提にして、この間発信してきました。今後も、この視点を磨きながら、展望を探っていきたいと思います。
最近、碓田 のぼる『石川啄木 風景と言葉』(光陽出版社)を読み、感銘しました。啄木の「時代閉塞の現状」は、高校2年の時、国語の授業の時に教師がプリントして、解説してくれたものです。今でもそのプリントは大切にもっています。
その『石川啄木 風景と言葉』なかで、引用されていた短歌を掲載しておきます。
地図の上朝鮮国に黒々と墨をぬりつヽ秋風を聞く
秋の風我等明治の青年の危機をかなしむ顔撫でヽ吹く
時代閉塞の現状を奈何(いか)にせむ秋に入りてことに斯く思ふかな
新しき明日の来るを信ずるといふ
自分の言葉に
嘘はなかれど――
碓田氏は、敢えて「朝鮮国」と詠んだ啄木の心を語っています。愛国者の邪論に登場する「若者」には、特に、その意味を想像してみてくださいね。と言っておきます。大いに学びました。
ヒントは、以下の文書です。
「朕韓国ノ国号ヲ改メ朝鮮ト称スル件ヲ裁可シ茲ニ之ヲ交付セシム
御名 御璽
明治四十三年八月二十九日
内閣総理大臣 侯爵桂太郎
勅令第三百十八号
韓国ノ国号ハ之ヲ改メ爾今朝鮮ト称ス
附則
本令ハ交付ノ日ヨリ之ヲ施行ス」