Q1)増田さん、新しい元号に改まる改元は5月1日ですが、新しい元号が何になるかは、事前に公表されるそうですね。
A1)そうです。安倍総理は今月4日、年頭の記者会見で、皇位継承に伴う新しい元号を4月1日に閣議決定し、ただちに公表する方針を明らかにしました。皇位継承前に新元号を公表するのは、憲政史上初めてのことです。
安倍総理が、新元号を皇位継承の1か月前に公表する方針を決めたのは、国民生活に影響が及ぶことを避けるためです。
元号を利用している税や社会保障などの行政システムの改修に十分な準備期間を確保する狙いです。
愛国者の邪論 国民生活に影響を及ぼすような「元号」をわざわざ公的機関が使う必要があるのでしょうか?
Q2)その新元号ですが、増田さんは、見当はついているんですか。
A2)正直、わからないんです。実際、政府は、新元号について、情報管理を徹底しています。政府高官は「事前に漏れて報道されるようなことがあれば、必ず差し替える」と強調しています。
ただそれでも、新元号を探るための手がかりはいくつかあります。
それを知るため、そもそも元号とはどういうもので、どのように選ばれてきたのか、歴史的経緯を振り返ってみます。
元号は、紀元前の中国、漢の武帝の時代に始まったとされ、最初の元号は「建元」といわれています。皇帝が領土や領民とともに時間や時代も支配する、その支配の象徴だったんです。中国の影響を受けた日本や朝鮮半島、ベトナムなど、東アジアの漢字文化圏に広まりました。
日本では、西暦645年に孝徳天皇が定めた「大化」が最初の元号です。「大化の改新」の「大化」です。
この大化から今の平成に至るまで、日本では、1370年あまりの間に247の元号が使われてきました。
こちらのようになります。
「大宝律令」の「大宝」、「建武の新政」の「建武」、「応仁の乱」の「応仁」、聞き覚えのある元号も多いと思います。
愛国者の邪論 「元号」は中国文化=中華思想だったこと、支配者が時間や時代も支配するという思想だった!現行憲法下で相応しいのか、否か、問題にしていません!
日本において「中華思想」の影響は骨の髄まで沁みんこんでいます。中国を蔑視し、敵視しているのに!この矛盾に気付いている人は多くありません。例えば天皇の居場所(畿内)に「上る。下る」。中間を「中国」。「上野・下野」。伊能忠敬の地図は、中心を京都だった。「征夷大将軍」「大臣」等の役職。「蛍の光」などなど、
Q3)歴史の教科書に載っていたのを思い出しますね。
A3)現在、元号が使われている国は、世界で唯一、日本だけです。
日本では、かつて、天皇の代替わりだけでなく、自然災害や戦乱などを理由に改元が行われました。幕末の孝明天皇のように、在世中に8つの元号が使われたこともあります。かなり頻繁に改元が行われていたんです。
ただ、明治の改元の際に、こうした慣習は改められ、天皇一代に元号を一つとする「一世一元制」が採用されました。明治22年に制定された皇室典範で「一世一元制」が明記され、42年に公布された「登極令」で、皇位継承後ただちに元号を改めることや、元号は天皇が定めることが法制化されました。
ところが、戦後、日本国憲法が施行されるのにあわせて、旧皇室典範が改正され、登極令も廃止されます。元号は、戦後長らく、法的根拠を失った状態になりました。
愛国者の邪論 「一世一元制」こそ、天皇が時間も時代も支配する思想を具体化したものです。全ては「王政復古の大号令」の中心思想である「諸事神武創業」から始めることで、徳川政権時代にはおよそ、その存在すら知らなかった「天皇・天子」を庶民に浸透させて、徳川政権に代わる薩摩・長州・土佐・肥前の統合権力(藩閥政権)の正当性を強調したものです。
皇室の伝統とか、日本の伝統とかいう場合のほとんどは,天皇権力の正当性を規則化した明治になって制定された「皇室典範・登極令」が根拠となっています。「皇室典範」は大日本帝国憲法制定に、「登極令」は明治天皇=睦仁の寿命を考慮して葬儀などの規定が設けられたのです。神道形式で運営されたのです。庶民の結婚式が神前形式になったのは嘉仁皇太子(大正天皇)の時からです。天皇は、東大寺の大仏建立の聖武天皇などにみるように仏教徒だったのに!天皇家の菩提寺は京都の泉涌寺にお参りに行っています。神武天皇を祀っている奈良の樫原神宮は、明治になってつくられた!お伊勢さん・お伊勢参りの伊勢神宮も江戸時代までのアマテラスさんから天皇家の祖先神として祀り上げられることになった!
Q4)それでも、元号は使われていましたよね。
A4)はい。慣習として使われていました。
ただ昭和52年に行われた世論調査で、元号制度が「あった方がよい」と回答した人が8割近くを占めたこともあり、政府は、法制化に向けて舵を切ります。昭和54年、「元号は政令で定める」と「元号は皇位の継承があった場合に限り改める」という2つの項からなる「元号法」が成立しました。
ここで重要なことは、1300年にわたり、天皇が最終的に決めることになっていた元号の位置づけが変わったことです。
元号は、政府が法律に基づき、政令で定めることになりました。
そして法律の施行後、政府は「元号制定手続」を閣議報告し、新元号を選ぶ際の基準を明らかにしたんです。
愛国者の邪論 「慣習」ではなく戦後においても政府が西暦に変えなかった!だけの話です。「元号法」についても、天皇元首化政策の一貫として、また西暦が一般化してきて、このままでは「元号」が廃れてしまうことを恐れた自民党政権や天皇崇拝者たちが運動して制定させたものです。このことで学校の卒後証書や公文書において、元号使用が強制されることになりました。
因みに「元号」制定の前に戦前の「紀元節」の復活を狙った「建国記念の日」、制定後に「日の丸・君が代」の「国旗・国歌法」制定があります。徳仁皇太子の妻、雅子妃の結婚にあたって「皇室外交」などという言葉が使われたのも、元首化を謀る天皇の政治利用のためでした。裕仁天皇の葬儀と明仁皇太子・天皇の即位も、天皇元首化を謀る自民党政権と天皇崇拝者たちの謀だったのです。
現在、秋篠宮の発言や一連の天皇皇后の言動は、日本国憲法の人権尊重主義と象徴天皇制は矛盾しながらも、元首化ではなく憲法第1条に基づく主権者国民の総意として決められる天皇の地位の在り方について、皇室なりに問題提起をしているのではないか!と、現行憲法活かす派の愛国者の邪論は考えています。
Q5)どんな基準ですか。
A5)はい。▽国民の理想としてふさわしい良い意味を持つ▽漢字2文字▽読みやすい▽書きやすい▽過去に元号やおくり名として使われていない▽俗用されていないとなっています。
俗用されていないというのは、会社や大学、土地の名前などに使われていないということです。
また「元号制定手続」では、元号には出典が必要だとしています。単に読みやすく書きやすい漢字をパズルのように組み合わせるのではなく、中国や日本の書物など、何がしかの典拠から引いてくる必要があるんです。
愛国者の邪論 元号が中国思想に彩られた制度であることが、ここでも浮き彫りになります。しかし、NHKは、このことに不問です。
元号は中国思想の輸入だったこと、そもそも「天皇」号も、中国の道教思想=北極星信仰であることも、多くの国民は、ほとんど疑問を持つことなく使っている。憲法第1条なのに!その言葉の由来も、ほとんどの国民は考えることなく「習慣」として使っているのです。それでもって自民党は日本の伝統文化に敬意とか、押し付けられれた憲法ではなく国民の自主的憲法の制定などと、ウソをいっているのです。
Q6)かなり厳しい条件ですね。
A6)そうなんです。過去の元号を調べてみると、これまでの247の元号で実際に使われた漢字は72文字だけです。この72文字を、使われた回数が多い順に並べると、▽「永」が最も多く29回、次いで▽「元」と「天」が27回、▽「治」が21回などと続きます。同じ漢字が何度も使われていることから、「よい意味を持ち、読みやすく、書きやすい漢字」というのは、極めて限られていることがわかります。
Q7)ほかに、新元号の手がかりはありますか。
Q7)はい。政府は、新元号を選ぶにあたり、事前に、漢学や東洋史など何人かの学者に候補名を考案するよう極秘に依頼します。これが誰かは明らかにされていませんが、文化功労者クラスの大家といわれています。ちなみに、明治以前は、菅原道真の末裔が考案することが多かったそうです。
平成の改元を振り返ると、こうした大家が提案した候補名が、「平成」「修文」「正化」の3つの案に絞られました。この中から、「平成」を選ぶにあたり、アルファベットの頭文字が重要な要素となったことが知られています。「修文」や「正化」は、アルファベットにした時の頭文字が「S」で、「昭和」の「S」と重なってしまい、不都合が起きると指摘されたんです。
今回もこの考え方を踏襲するのであれば、明治のM、大正のT、昭和のS、平成のHと重なる元号は選ばれません。つまり、サ行、タ行、ハ行、マ行以外から始まる元号が採用される可能性が高いんです。そして、もう一つの手がかりは、落選候補です。
Q8)落選候補と言いますと。
A8)はい。過去に新元号の候補として考案されたものの、採用されなかった「未採用元号」のことです。
「日本年号史大事典」を編さんした京都産業大学の所功名誉教授によりますと、実は、「平成」は、幕末の「慶応」という年号が決まった時に15あった案の一つでした。「大正」も「明治」もかつての未採用元号で、大正は5回目、明治は11回目に採用されました。所名誉教授は「過去に出典つきの元号案として提案されながら、採用されなかった案は500以上あり、それらが活用されることもあり得る」としています。
愛国者の邪論 「元号」は使いまわしであることが、ここでも明らかになります。徳川政権時代「明和」という元号が使われていましたが、明和9年になると、「メイワク」となるので、「安永」に変更した。「慶応」から「明治」「大正」「昭和」「平成」に代わってきましたが、時の権力者たちが、その言葉の狙いどおりに、時代が形成されたか!「元号」使用にあたっては、由来・意味・歴史的役割などを、しっかり踏まえ、人権・民主主義・平和主義をいただく現行憲法に照らして総括する必要があるでしょう。政府・学校教育とメディア、政党などの役割は大きい!
Q9)では、実際のところ、新元号は、誰が決めているのでしょう。
A9)これも、正直、はっきりとはわからないんです。
平成の代替わりの際は、昭和天皇が崩御した昭和64年1月7日、当時の小渕官房長官が内閣法制局長官と協議。事前に有識者が極秘に選考していた複数の元号案を3つに絞り込み、竹下総理大臣に報告しました。そして各界の有識者からなる懇談会にかけ、衆参両院の正副議長からも意見を聞き、全閣僚会議と閣議を経て、新元号が決定されました。
この過程で、誰かがイニシアティブを発揮したのか、それとも、「あうんの呼吸」で決まったのかは、よくわかりません。
ただ安倍総理は、新元号を選定するにあたって、この平成の改元の際の手続きを踏襲するとしています。
私は、新しい元号は、次の時代の理想や希望を表明するものであってほしいと思います。今の日本にふさわしい元号を選び出すことができるかどうか、あと2か月、注目したいと思います。(増田 剛 解説委員)
愛国者の邪論 日本国憲法の第1章第1条を踏まえると、このような決め方が相応しいかどうか!今回の「元号」制定に当たって、国民的議論が起こることをねがっています。憲法と「象徴天皇制」とは何か!「天皇元首化」をめざす自民党安倍政権の野望=大日本帝国憲法の復活は止めさせなければなりません。
その点で今国会において安倍晋三首相が所信表明で使った明治天皇の和歌は、安倍晋三首相の狙いが、憲法遵守擁護の義務を果たすことで象徴天皇制を位置づけようとする皇室。その皇室に一定の理解を示している主権者国民と全く乖離していることが、改めて浮き彫りになりました。
明治天皇を持ち出すことで、皇室は否定できないだろうという思惑、そして大日本帝国憲法政治を目指す今回の安倍演説は、現行皇室に対する皮肉であり、侮辱と言えます。同時にアジア諸国に対して、とりわけ朝鮮半島の植民地化を謀った日露戦争の当事国であるロシアに対して挑戦的だったということを、国民は認知しなければならないでしょう。
現行憲法を敵視し大日本帝国憲法の復活を謀る安倍首相のデタラメは、国民運動で終止符を打たなければ、世界から孤立することは明らかです。
安倍式時代錯誤の批判を日本国中に席巻させないと!
平成31年1月28日 第百九十八回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説
https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement2/20190128siseihousin.html
平成最後の施政方針演説を、ここに申し述べます。
本年四月三十日、天皇陛下が御退位され、皇太子殿下が翌五月一日に御即位されます。国民こぞって寿(ことほ)ぐことができるよう、万全の準備を進めてまいります。
「内平らかに外成る、地平らかに天成る」
大きな自然災害が相次いだ平成の時代。被災地の現場には必ず、天皇、皇后両陛下のお姿がありました。
阪神・淡路大震災で全焼した神戸市長田の商店街では、皇后陛下が焼け跡に献花された水仙が、復興のシンボルとして、今なお、地域の人々の記憶に刻まれています。
商店街の皆さんは、復興への強い決意と共に、震災後すぐに仮設店舗で営業を再開。全国から集まった延べ二百万人を超えるボランティアも復興の大きな力となりました。かつて水仙が置かれた場所は今、公園に生まれ変わり、子どもたちの笑顔であふれています。
東日本大震災の直後、仙台市の避難所を訪れた皇后陛下に、一人の女性が花束を手渡しました。津波によって大きな被害を受けた自宅の庭で、たくましく咲いていた水仙を手に、その女性はこう語ったそうです。
「この水仙のように、私たちも頑張ります。」
東北の被災地でも、地元の皆さんの情熱によって、復興は一歩一歩着実に進んでいます。平成は、日本人の底力と、人々の絆(きずな)がどれほどまでにパワーを持つか、そのことを示した時代でもありました。
「しきしまの 大和心のをゝしさは ことある時ぞ あらはれにける」
明治、大正、昭和、平成。日本人は幾度となく大きな困難に直面した。しかし、そのたびに、大きな底力を発揮し、人々が助け合い、力を合わせることで乗り越えてきました。
急速に進む少子高齢化、激動する国際情勢。今を生きる私たちもまた、立ち向かわなければならない。私たちの子や孫の世代に、輝かしい日本を引き渡すため、共に力を合わせなければなりません。
平成の、その先の時代に向かって、日本の明日を、皆さん、共に、切り拓いていこうではありませんか。(略)
安倍首相が施政方針演説でも嘘だらけ“アベノミクス
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14202658849
安倍首相が施政方針演説でも嘘だらけ“アベノミクスの成果”を強弁! 戦意高揚の短歌まで読み上げるカルト全開
リテラ 2019.01.28
https://lite-ra.com/2019/01/post-4514.html
ことある時ぞ いま をゝしき大和心もて かたみに人の血を流し 獸の道に死ねよかし 死ぬるが臣下のほまれなり
投稿者 赤かぶ 日時 2019 年 1 月 30 日 00:30:15: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/823.html
毎日新聞 「戦意高揚に使われた」 志位氏、首相の明治天皇の歌引用に抗議 2019/01/28 19:07
https://www.msn.com/ja-jp/news/national
赤旗 日露戦争の戦意高揚の歌を引用/憲法の平和主義に反する/志位委員長が強く批判 [2019.1.29]
天木直人のブログ 明治天皇の歌の引用を共産党しか批判しなかった野党の劣化 2019-01-29
http://kenpo9.com/archives/5527