沖縄タイムスが、安倍首相の積極的平和主義について、社説を掲載しました。北海道新聞ともどもアッパレ!です。しかし、そのアッパレ社説を読んでみて、腑に落ちないことがあります。それは、前回の記事の最後に書いたことです。この二社は、日本国憲法の平和主義を具体化するための国民的想像力と創造力をどのように普及していくか、という点で、不十分ではないか、そのことを改めて考えてみました。そこで以下、各紙の社説を一覧しておきます。
朝日 首相国連演説/平和主義と言うのなら 2013/9/28 4:00
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit1?
読売 集団的自衛権/「積極的平和主義」を追求せよ 2013/9/27 2:00
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20130927-OYT1T00007.htm
読売 首相スピーチ/「日本は買い」を確かなものに 2013/9/28 2:00
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20130927-OYT1T01390.htm
産経 首相NY演説 強い対外発信を継続せよ 2013.9.28 03:12[主張]
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130928/plc13092803120001-n1.htm
日経 日本の安保戦略にどう理解を広げるか 2013/9/29 4:00
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO60364920Z20C13A9PE8000/
北海道 首相国連演説 無責任な「国際公約」だ (9月28日)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/494589.html
西日本 積極的平和主義 まず国内の議論が必要だ (2013年09月28日)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/42614
沖縄タイムス 積極的平和主義/それで何がしたいのか 2013/9/29 10:06
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2013-09-29_54643/
そこで、安倍首相の「積極的平和主義」に対して、各紙の主張する「平和主義」の中身について、一覧してみることにしました。
朝日は、
安倍式「積極平和主義」を批判していますが、その安倍式「積極平和主義」に対して、いかのような朝日式「積極平和主義」を主張しています。しかし、日本国憲法の「積極的平和主義」とは、これでしょうか。非常に狭い「積極平和主義」と言えます。ここが朝日の最大の弱点です。
…首相の掲げた「積極的平和主義」とは何を指すのか。念頭にあるのが、国連の「集団安全保障」的な措置ならば、方向性は理解できる。その代表的なものがPKOであり、日本も90年代以降、実績を積み重ねてきた。国連が十分にその機能を発揮していないという現実はあるにせよ、国際貢献をさらに進める道はあるだろう。自衛隊が任務の幅を広げ、より積極的にPKOに参加することはあり得る。戦闘に参加しない方針を明確にしつつ、国連の承認のもと、自衛隊が中立、公平な立場で平和構築にかかわるのは意義深いことだ。…憲法9条のもと、日本は紛争への直接介入とは距離をおく平和主義を掲げてきた。その条件下で自衛隊はPKOに参加し、高い評価を得てきた。こうした平和主義と、集団的自衛権の行使を含めた積極的平和主義は、全く別物である。(引用ここまで)
読売は、
そもそも本質的に安倍首相の応援団ですから、以下のようになるのは当然です。しかし、その読売でさえも、「歯止め」を主張せざるを得ないのは何故でしょうか。百歩譲って考えると、憲法の平和主義を残そうと考えているという評価がでてきます。しかし、本質は、ゴマカシでしょう。何故ゴマカスか、ゴマカサナケレバならないか。それは、国民の中にある憲法平和主義の根深さ・根強さを反映しているからでしょう。ここが激しいつばぜり合いの真っ最中ということでしょう。
自衛隊の活動に地理的制約は設けず、事態の態様に応じて判断すべきだ、との考え方は理にかなっている。例えば、日本の海上交通路(シーレーン)の安全確保のため、自衛隊がペルシャ湾で機雷を除去することが想定される。アフリカで再び邦人が人質になれば、自衛隊を派遣する可能性もあろう。無論、自衛隊の活動に歯止めは必要だが、どんな重大事態が発生するかを予測するのは困難だ。様々な事態に対処できるように、法律上の選択肢は幅広く確保することが安全保障の要諦である。実際に自衛隊が参加するか、どんな活動をするかは、時の政府が総合的に判断し、国会の承認を得るなどの方法で歯止めをかけるのが現実的な対応だろう。国際社会で発言力と影響力を高めることは、日本経済にも良い効果をもたらすだろう。そうした好循環を生み出すことが肝要だ。(引用ここまで)
産経も、
読売と同じです。「中国の軍事費増大のすさまじさを指摘することで右傾化批判に反論するなど、米国民に向けた工夫もみせた」とか、「私を右翼の軍国主義者と呼びたいなら、どうぞそう呼んでください」と語りかけた」ことは、「米紙などによる、いわれのない右傾化批判への反論」と評価するなど、安倍首相が産経を代弁してくれたと、マジに思っています。大激励でしょう。ここに産経の非常識振りが浮き彫りになります。だから、以下のような激励になるのです。
…首相の発言は国際公約となる。「積極的平和主義」や「バイ・マイ・アベノミクス」を宣伝文句に終わらせてはならないが、首相自らがその発信力で世界に存在感を示した意義は大きい。(引用ここまで
日経も
読売・産経と基本的には同じ立場です。安倍首相のいう「こうした現実」にどう対応するか、その対応の仕方が、憲法的対応か、日米軍事同盟的対応か、底が最大のポイント、分岐点であることが、日経によって浮き彫りになっていると思います。アジアが、アメリカが、どのように評価するかではなく、日本国憲法をいただく日本独自の発信力をこそ、問題西なければならないと思います。
…北朝鮮による核開発や中国の軍備増強が進み、アジアの安全保障の環境は厳しくなっている。テロやサイバー攻撃など、国境を越えた脅威も広がっている。自分の国が攻撃されなければ安全という一国平和主義の発想では、日本を守りきれない。こうした現実を踏まえれば、日本が集団的自衛権の憲法解釈を見直し、行使に道を開くのは理にかなっている。だからといって、日本の意図が誤解され、国際社会の疑心暗鬼を招いたら元も子もない。米政府は日本による集団的自衛権行使の解禁を歓迎する意向を示しているが、アジアの国々からも十分、理解を得ていく必要がある…安保戦略の見直しと併せ、日本の発信力も問われる。(引用ここまで)
北海道は、
鋭い視点で、安倍首相を批判しています。アッパレ!です。しかし、最後の部分です。「真の国際貢献は、…憲法の平和主義を厳守してこそ可能になる」というフレーズです。確かに、そのとおりです。しかし、「憲法の平和主義を厳守」することは、現代では「後ろ向き」と評価されます。そうではなく、「憲法の平和主義を厳守から活かすことで、安倍首相らの改憲攻撃から守ることができる」のではないでしょうか。では「憲法の平和主義を活かす」とはどういうことでしょうか。そのことが、いわゆる「護憲」派に求められているのではないでしょうか。「護憲」から「活憲」派というのではないでしょうか。現代は。
…真の国際貢献は、過去の歴史を直視し、その反省から生まれた憲法の平和主義を厳守してこそ可能になることを首相は肝に銘じてほしい。(引用ここまで)
西日本は、
安倍首相の「積極的平和主義」を含めた、いわば当たり前の言葉と現実の違いに「疑念」を浮かべています。「一般的な紛争の予防・収拾」に「今以上に力を発揮すべき」という思想と論理を否定する人はいないでしょう。しかし、憲法の第9条の平和主義に基づく「紛争の予防・収拾」については、何も触れていません。そこで、マスコミが度々使う「国民的、国内的議論を呼びかける」のです。しかし、この論法も全うでしょう。否定する人はいないでしょう。
しかし、憲法9条に基づく「紛争の予防と収拾」とはどのようなことか、具体的にあげてみる必要があるでしょう。これが国民的議論になり、多様な方法と内容が国民的合意になれば、日米軍事同盟は不必要になることでしょう。だからこそ、日米軍事同盟容認派・深化派は、議論を封印し、想定できないように、国民の思考を停止させているのです。ここが最大のポイントです。
…集団安全保障とは、多数の国が国際機構をつくることで、国家間の紛争を予防する制度のことだ。国連憲章ではこのシステムに基づき、国連加盟国が武力攻撃を受けた場合、他の加盟国が共同で軍事的な制裁措置をとることができると定めている。集団的自衛権と似ているが、別の考え方である。首相の演説は、日本が国連PKOにさらに幅広く参加するだけでなく、将来的には国連決議を根拠とする多国籍軍や国連軍への参加にも意欲を示したものと受け止められる…首相の唱える「積極的平和主義」が、首相自身が米国の講演で説明したように「世界の平和と安定に、より積極的に貢献する国になる」というものなら、大いに賛同する。冷戦終結後も世界では地域紛争が絶えない。現在もシリアの内戦が泥沼化し、犠牲者は増える一方だ。紛争を予防したり、発生した紛争を収拾したりするために、日本も今以上に力を発揮すべきだ。…世界の平和のために日本がどういう手法をとり、どれだけの負担を担うかは、これから国民の間で十分に議論して決めるべきだ。「国際公約」よりも、まず国内での議論を優先しなければならない。首相の姿勢は前のめりすぎないか。「積極的平和主義」という言葉の印象にとらわれず、その中身を見極めたい。(引用ここまで)
沖縄タイムスは、
米軍基地のある沖縄の地方紙として、全国紙的役割を持った新聞です。護憲派を「消極的平和主義」、改憲派を「積極的平和主義」と色分けするのは判りやすいと思います。本来は、いわゆる「護憲」派こそが、憲法を活かす派として「積極的平和主義」派とすべきです。
安倍首相の提起する「積極的平和主義」こそが、解釈改憲・銘文改悪改憲派の「憲法平和主義否定」派というべきところでしょう。この間の具体的にみれば明瞭ですが、ズバリ指摘するマスコミは、どうでしょうか。曖昧な表現を駆使して、或いは曖昧な表現を弄して、ゴマカス・スリカエるというのが、多数派ではないでしょうか。或いは「中立」を装って。
しかし、この色分けに中立はありません。日本国憲法は日本国の最高法規です。とりわけ政治家やマスコミに、「中立」はありません。あるのは、憲法第99条あるのみです。そうです。「憲法尊重擁護の義務」です。しかし、このことは未だ国民的合意となっていません。この指摘が国民的合意となるためには、活憲派の具体的な行動、或いは憲法を活かして成果をあげていくことでしょう。
「憲法9条を守り平和主義をさらに徹底させる」とは、具体的にはどのようなことか、全国民的合意を創り出せるか、国民運動とマスコミの果たす役割の重要性、大切さが、ますます大きくなってきたと思います。この問題・課題については、今後記事にしていきます。
…字義通り解釈すれば、憲法9条を守り平和主義をさらに徹底させる、という意味に受け取れる…積極的平和主義という言葉は、口当たりのいいスローガンではあるが、中身はあいまいではっきりしない。護憲の立場に立つ平和主義を消極的平和主義だと批判し、具体的な行動を起こすことが重要だと安倍政権は指摘するが、何をもって積極的だと考えるのか、あやふやだ。…積極的平和主義の具体的な内容がはっきりしないだけでなく、安倍首相自身の発言も浮かれ気味で安定性を欠くところがある。侵略の定義や靖国参拝、慰安婦問題などについて、米国から安倍政権の右傾化を懸念する声が上がると、たちどころに持論を引っ込め、発言を修正したり和らげたりする半面、ハドソン研究所での演説では、中国からの反発を念頭に、「私を右翼の軍国主義者とお呼びになりたいならどうぞ」と挑発してみせた。(引用ここまで)
以上の各紙の主張のなかで、実は、重要なことが見逃されています。それは日米軍事同盟との関係が見逃されていることです。日米軍事同盟深化派の意向・安倍首相の意向のみが取り上げられ、説明・解釈されていることです。いわゆる護憲・活憲派の論調と運動は、ほとんど紹介されていません。ここにも、憲法活かす派の大義名分の量的質的広がりの難しさが浮き彫りになってきます。
そこで、何をするか、です。日本国民は巨人戦ばかり見せられているのです。ニュースの各チームの試合結果ではなく、巨人戦ばかりが放映されているようなものです。呆れませんか?抗議し、改善を要求しましょう。