神武創業は紀元前660年なのに
また明治維新によって始まった神武天皇礼賛が、
どのような歴史を形成したか、隠蔽してスリカエるな!
産経は以下の設問に答えなさい!
産經新聞 建国記念の日/連綿と続く歴史祝いたい 2020/2/11
https://www.sankei.com/column/news/200211/clm2002110001-n1.html
令和となって初めて迎えた建国記念の日を、心から祝いたい。連綿と続く日本の歴史を深く心に刻みたい。初代神武天皇が即位したとされる日である。明治の初めに紀元節として祝日となった。
愛国者の邪論 「2月11日」が「日本」という国を「建国」した「日」という根拠を何も示していない!何年の2月11日か、説明してください。
日本国憲法下で廃止された「紀元節」を「記念」する「日」としたのは、いつからでしょうか?それも説明してください。
また何故廃止されたのでしょうか?説明してください。
天皇を戴(いただ)き続けてきた世界でもまれな国柄である。その国に生を受けたことを感謝せずにいられない。
愛国者の邪論 「天皇を戴(いただ)き続けてきた」と言っていますが、いつごろからでしょうか?「天皇」という言葉が使われたのは?
しかも、この「天皇」という言葉は、「日本語」でしょうか?どこでつくられた言葉でしょうか?
特に昨年は天皇陛下のご即位に伴い、即位礼正殿(せいでん)の儀や大嘗祭(だいじょうさい)など古式ゆかしい儀式、祭祀(さいし)が執り行われた。それらを通じて、歴史が今に受け継がれていることを多くの国民が感じたはずである。
愛国者の邪論 これまた「多くの国民が感じたはずである」と、産経の想像を語っているだけです。
「古式ゆかしい儀式、祭祀(さいし)」とはいつごろから行われてきたのか、具体的に示してください。
「即位礼正殿の儀や大嘗祭など古式ゆかしい儀式、祭祀…を通じて、歴史が今に受け継がれている」というのは事実でしょうか?
歴史を受け継いできたのは「天皇だけ」でしょうか?
名もなき民衆は歴史には関係ないとで言うのでしょうか?説明してください。
祝賀御列(おんれつ)の儀ではパレードの沿道に約12万人が集まり天皇、皇后両陛下を祝福した。
愛国者の邪論 「即位礼正の儀や大嘗祭など古式ゆかしい儀式、祭祀」を通じて「連綿と続く日本の歴史」「が今に受け継がれている」とする割には12万人というのは少なすぎるのではありませんか?
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」とする憲法第1条の意味を、実感した人も多かったに違いない。
愛国者の邪論 「象徴」とはどんな意味でしょうか?説明してください。
憲法第一条は「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」とあります。を正確に伝達してください。
「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」である「天皇」の「地位は主権の存する日本国民の総意に基く。」とあります。「天皇の地位は主権者=国民の総意に基づく」とはどのようなことでしょうか?説明をお願いします。
わが国の物語は、はるかな昔にさかのぼっている。「古事記」「日本書紀」はまず、神話を記述する。やがて初代の神武天皇が大和の国、橿原で即位する様子を伝える。古代の「大化」から元号が始まった。明治から天皇お一方に一つの元号が用いられる「一世一元」の制となる。
愛国者の邪論 「わが国の歴史」は「物語」というのでしょうか?
また「わが国の物語は、はるかな昔にさかのぼっている」とは、いつごろまでさかのぼるのでしょうか?
「神話を記述する」「古事記」「日本書紀」は、いつ頃策定されたのでしょうか?その目的・方法を説明してください。
また「神話を記述する」「古事記」「日本書紀」は、「やがて初代の神武天皇が大和の国、橿原で即位する様子を伝える」とありますが、「やがて」というのはいつでしょうか?
「神話の時代」と「初代の神武天皇が大和の国、橿原で即位する」日はいつでしょうか?
2月11日は、このような日本の国柄や歴史的な連続性、現在の国民の統合を自覚する日として祝われるべきものであろう。
愛国者の邪論 「現在の国民の統合」とはどのようなことでしょうか?
また、これを「自覚する」とはどのようなことでしょうか?
「国民の統合」とは、憲法第一条に明記されている言葉ですが、「憲法と天皇の関係」はどのようになっているのでしょうか?以下の憲法条文を踏まえて説明をお願いします。
しかし戦後、この日に批判的な見方が出てきた。日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)は、昭和23年の祝日法でこの日を祝日とすることを認めなかった。日本が独立した後も、建国を軍国主義と結び付けて警戒する風潮が残った。
愛国者の邪論 「戦後、この日に批判的な見方が出てきた」のは何故でしょうか?
何故祝日することを認めなかったのでしょうか?
建国を軍国主義と結び付けたのは何故でしょうか?何故警戒する風潮が残ったのでしょうか?
建国記念の日ができたのは、戦後20年以上もたってである。いまだにこの日に反対する声がある。いいかげんにしたらどうか。
これは国として健全ではない。建国の物語はどの国も大切にすべきものだ。神話や伝承であってもよい。はるかな昔から先人が語り伝えてきた国民の貴重な財産にほかならない。
ご即位を率直に祝福する国民の姿は、このような風潮が過去のものになりつつあることをうかがわせる。それなのに建国記念の日を祝う国の式典は今年も開かれない。残念でならない。
政府は式典を主催し、堂々と祝うべきである。(引用ここまで)
愛国者の邪論 いまだに「この日」に反対する声があるのは何故でしょうか?
何故戦後20年以上もたってしまったのか?
「建国記念日」ではなく「建国記念の日」ができたのは何故でしょうか?
「建国記念の日」「建国の物語」の違いは何か?
「神話や伝承であってもよい。はるかな昔から先人が語り伝えてきた国民の貴重な財産にほかならない」ことと「軍国主義と結び付ける」ことを別モノに扱うのはなぜでしょか?
憲法と天皇の関係
第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
〔内閣の助言と承認及び責任〕
第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
〔天皇の権能と権能行使の委任〕
第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
〔摂政〕
第五条 皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
〔天皇の任命行為〕
第六条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
〔天皇の国事行為〕
第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。
〔財産授受の制限〕
第八条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。
〔皇室財産及び皇室費用〕
第八十八条 すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない。
〔憲法尊重擁護の義務〕
第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。