愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

学問研究・教育研究の府の名誉にかけて君が代≒国歌、日の丸≒国旗強制の偽造・偽装を暴け!

2015-08-13 | 日の丸・君が代

「国の税金で賄われている政党」は

「お国のための政党」への殺し文句

税金というアメを使って手なずけ!

ムチで思想信条を叩く国家の国旗・国歌とは!

どこかの独裁国家と同じになってきた安倍政権!

学問研究教育の府として

正々堂々と

「日の丸≒国旗」「君が代≒国歌」の偽装・偽造を暴け!

大学は"公共財"であるという意味と国旗国歌  
 ◆ 国立大への国旗国歌「要請」税金拠出者は国民
『東京新聞』(2015/7/3【夕刊】)
池内了(いけうち・さとるー総合研究大学院大名誉教授)
◆ 文科省の「脅迫」
 
過日の国立大学長会議において、文部科学相が国立大学においても卒業式や入学式で国旗掲揚と国歌斉唱をするよう「要請」した。国旗や国歌が国民に定着してきたことと、一九九九年の国旗国歌法の施行が今回の要請の背景にあり、「取り扱いについて適切にご判断いただけるようお願いする」と語ったのである。
 
小中高は学習指導要領で指導(強制?)できたのだが、大学にはそのような典拠になるべきものがないから「各国立大学の自主的な判断にゆだねられている」と述べるしかなく、各大学の自治に任せているような口調ではあるが、国立大学が今置かれている状況を考えれば、この「要請」は「脅迫」に近いといえる。

そもそもの発端は、国会の議論の中で安倍晋三首相が「国の税金で賄われている大学なのだから」との理由で、国立大学が節目の儀式において国旗掲揚と国歌斉唱を行うのが当然とのニュアンスで語ったことにある。
 
この「国の税金…」という言葉が「国の言うことに従うのは当然」との論に直結し、結果として国家を批判する思想が弾圧され、愛国主義が強要されたのが戦前の大学であった。国家に従順な思想と行動を大学人に要求するために税金が持ち出され、その恩義に報いよという論理が組み立てられたのだ。それが今も続いており、国家のスポンサーが政治家や官僚であるかのように振る舞うのが常となっている。

しかし、そこに大きなすり替えがあることは明白だろう。税金の真の拠出者は国民であり、国家(立法であれ行政であれ)は国民に代わってその管理と配分を受任しているにすぎないからだ。
 
国民が国立大学に税金を投入することを認めてきたのは、研究によって得られた学術の成果を文化として共有し、教育によって次世代を担う人間を養成する、そして必要ならば国の方針に異議を唱える、そんな役割を期待しているのである。
だからこそ、学問の自由を最大限に認め、大学の自治を尊重することを当然としてきた。そのような条件が満たされていてこそ、何ものにもとらわれずに研究と教育と自由な言論が全うできるからだ。まさに大学は公共財という意味はそこにある。
 
首相や文科相の言うことに唯々諾々と従うのは国立大学としては恥ずかしい限りと言うべきだろう。
 
◆ 従順度を数値化
 
とはいえ、国立大学は今大きな曲がり角に差しかかっている。二〇〇四年に法人化され、それ以降一般運営費交付金と呼ばれる大学の基本的運営経費は年々削減される一方(法人化以来累計で10%以上削減された)、「選択と集中」政策の下で大学教員は自分の研究費を熾烈な競争で勝ち取らねばならなくなったからだ。
その結果として、論文稼ぎのための安直な論文ばかりが増えて日本の研究力が低下しつつあることが報告されている。
そして、文科省はこのような予算制度を逆用して国立大学の種別化を強行し、さらに人文・社会系分野の縮小を迫つている。その背景には安上がりの高等教育政策があるのだが、それを貫徹するために大学の従順度を数値化しているという。
とすれば、国旗掲揚・国歌斉唱がカウントされることになるのは確実で、こうして大学は嫌々ながら金のために文科省に屈するだろくくうと文科省は高を括っているのだろう。
「国の税金で賄われている大学」は「お国のための大学」への殺し文句なのである。(引用ここまで
 
 
国立大への国旗掲揚・国歌斉唱要請、撤回求め教授ら声明   2015年4月28日19時58分http://www.asahi.com/articles/ASH4X5V9FH4XUTIL03T.html

文部科学省が国立大学に対し、入学式や卒業式で国旗掲揚と国歌斉唱を行うよう要請する方針を示したことは「学問の自由と大学の自治を揺るがしかねない」として、国立大や私立大の教授や作家ら21人が呼びかけ人となり「学問の自由を考える会」を結成した。28日に国会内で記者会見し、文科省に要請の撤回を求める声明を発表した。

「考える会」は声明で「国立大学法人運営費交付金に依存する以上、『要請』が圧力となることは明白」「国旗国歌の強制は知の自律性を否定し、大学の役割を損なう」と主張。代表の広田照幸・日本大教授は「式自体が教育の機会と位置づけられる中、要請は今後、具体的な教育研究の中身に政府が口を出す突破口になりかねない」と話した。今後はネット上で賛同者を集め、夏にもシンポジウムを開く予定という。(編集委員・北野隆一

学問の自由を考える会、国旗・国歌に関する国立大学への要請に反対する声明  2015年05月01日http://university.main.jp/blog8/archives/2015/05/post_716.html

本年4月9日の参議院予算委員会における安倍晋三首相の答弁を機に、文部科学省は国立大学に対して、入学式、卒業式において国旗を掲揚し、国歌を斉唱するよう要請するとされている。これは、日本における学問の自由と大学の自治を揺るがしかねない大きな政策転換であり、看過できない。
そもそも大学は、ヨーロッパにおけるその発祥以来、民族や地域の違いを超えて、人類の普遍的な知識を追究する場として位置付けられてきた。それぞれの国民国家の独自性は尊重されるが、排他的な民族意識につながらないよう慎重さが求められる。現在、日本の大学は世界に開かれたグローバルな大学へと改革を進めているが、政府主導の今回の動きが、そうした方向性に逆行することがあってはならない。
日本近代史を振り返れば、滝川事件、天皇機関説事件、矢内原事件など、大学における研究や学者の言論が、その時代の国家権力や社会の主流派と対立し、抑圧された例は枚挙にいとまがない。その後の歴史は、それらの研究・言論が普遍的な価値にもとづくものであったことを示している。大学が国家権力から距離を置き、独立を保つことは、学問が進展・開花する必要条件である。文部科学省は今回のはたらきかけは要請にすぎないと説明しているが、国立大学法人が運営費交付金に依存する以上、「要請」が圧力となることは明白である。
たしかに教育基本法第二条は、教育目標の一つとして、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する(中略)態度を養う」ことを掲げる。しかし、伝統と文化とは何かを考究すること自体、大学人の使命の一つであり、既存の伝統の問い直しが新しい伝統を生み、時の権力への抵抗が国家の暴走や国策の誤りを食い止めることも多い。教育基本法第七条が「大学については、自主性、自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊重されなければならない」とするゆえんである。政府の権力、権威に基づいて国旗国歌を強制することは、知の自律性を否定し、大学の役割を根底から損なうことにつながる。
以上の理由から、我々は、大学に対する国旗国歌に関する要請を撤回するよう、文部科学省に求める。
2015年4月28日(引用ここまで

国旗掲揚、国歌斉唱の要請 大学自治に影響じわり 対応見直しの動きも 2015/8/8 15:00 http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201508/0008286020.shtml

下村博文文部科学相が6月、全86校の国立大の学長らに対し、入学式や卒業式で国旗掲揚と国歌斉唱を実施するよう要請したことを受け、関西の国立大で対応を見直す動きが出てきた。神戸大(神戸市灘区)が、これまで屋外に置いていた国旗を学位授与する壇上に変更するほか、他大学も今後の対応を検討中。下村氏は「(各大学の)自主的な判断に委ねられている」とし、強要ではないとの姿勢だが、要請は大学の自治にじわりと影響しつつある。(上田勇紀)

「文科相の要請にはそれなりに意味があると受け止めている」

神戸大の武田廣学長は7月24日、定例会見で、要請について問われて答えた。

同大は入学、卒業式を神戸・ポートアイランドのワールド記念ホールで実施。国旗は屋外に掲揚してきた。

だが、6月16日の国立大学長会議での要請を受け、学内の意思決定機関で協議。今後は、国旗を学生の目につきやすい屋内の壇上へ移すことを決めた。一方、国歌は海外からの留学生が多いことを配慮し、これまで通り、斉唱はしないという。

国歌を歌っていない大阪大(大阪府吹田市)は「まだ十分な議論ができていない」。国旗掲揚、国歌斉唱のいずれも実施していない京都大(京都市)をはじめ、取材に対し多くは「検討中」と答えたが、ある大学は「要請を受けて、国歌を歌う方向で検討している」と明かす。

文科省によると86校中、今年3月の卒業式での国旗掲揚は74校、国歌斉唱は14校。

学習指導要領に規定がある小中高校とは違い、大学での実施に法令的根拠はない。憲法上の「学問の自由」に基づく「大学の自治」の侵害につながるのではないか-との批判もある。

上脇博之・神戸学院大教授(憲法学)の話 私立大もそうだが、国立大は特に文部科学省に予算を握られている。少子化の流れの中で交付金が削減され、改革を迫られる中での国旗国歌の要請。「言うとおりにしなければ、交付金が減らされるかもしれない」という考えが働き、大学も要請を突っぱねることができない。事実上の強制と言える。本来、各大学の自治に委ねられるべきだ。安倍政権になり、教育の中身や大学運営などについて、国の介入が激しくなっている。

【国旗国歌の要請】4月の参院予算委員会で、安倍晋三首相が「税金によって(運営が)賄われていることに鑑みれば、教育基本法の方針にのっとって、正しく実施されるべきではないか」と述べた。下村博文文部科学相は6月、東京都内で開かれた国立大学長会議で「国旗と国歌の取り扱いについて、適切にご判断いただきたい」と口頭で要請した。(引用ここまで)

学習指導要領で「指導するものとする」としているが

「日の丸」「君が代」の意味・歴史・果たしてきた役割は教えない!

ただ「口パクでも良いぞ!」と「強制」であることを告白する都知事!

「職務命令」で上司のコマ扱いにするためだけの「国旗」「国歌」!

「命の大切」の「象徴」である「君が代」「太陽信仰」を冒涜するものだ!

石原慎太郎「国歌は歌わない」発言について。- 2014.03.03

https://www.youtube.com/watch?v=3CNFImAa9Ks

石原慎太郎氏「君が代は歌詞を変えて歌う」と発言 

「斉唱が義務」の教員もそんなことが許されるのか?

http://www.j-cast.com/2014/03/04198326.html?p=all

やはり、

強制になるということではないことが望ましいですね

http://fusenmei.cocolog-nifty.com/top/cat8068640/

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日の丸君が代の歴史隠ぺい!「自然」論・「常識」論でスリカエる前に敬意を払うような国旗国歌かどうか!

2015-06-25 | 日の丸・君が代

またまた知的劣化の進行を披露した「産経主張」の

デタラメ・スリカエ・ゴマカシ・大ウソ浮き彫りに!

日の丸・君が代の意味とは何か!語らない・語れない!

日の丸・君が代の歴史を語らない・語れない!

日の丸・君が代がどのような役割を果たしてきたか!

いっさい語らない!語れない!

にもかかわらず

「常識」「敬意」「自然」論でしか語れない!語らない!

歴史も学問の成果も否定する産経の知的退廃浮き彫り!

国旗国歌/敬意払うのが自然な姿だ

産經新聞/2015/6/25 6:00
http://www.sankei.com/column/newslist/../../column/news/150625/clm1506250002-n1.html

国旗、国歌はその国の象徴として大切にされ、互いに尊重するのが国際常識だ。ましてや国民が自国の旗などに敬意を払うのは自然な姿だ。

誰が「象徴」として決めたのか!いっさい不問です。戦前は天皇主権、戦後は国民主権の「象徴」として、二つの歴史を振り返ってみることが必要です。しかし、産経には、そのような思考回路は微塵もありません。

「日の丸・君が代」は、戦後一時期、「軍国主義の象徴」として「禁止」されました。それはポツダム宣言を受け入れからです。そのポツダム宣言を受け入れた結果、現人神であった天皇は「人間宣言」を行いました。教育勅語は国会で失効決議があがりました。

しかし、日本国憲法を押し付けた張本人として、産経の大嫌いなマッカーサーが、「日の丸・君が代」は禁止の解除を行い、その復活を許可。突如、「軍国主義の象徴」が復活しました。

それは、ポツダム宣言を受け入れ、侵略戦争の反省の上に制定された日本国憲法下において、でした。しかし、それは国民が決めたことではありませんでした。

その後自民党政権は、「日の丸・君が代」の浸透を図るために、NHKやオリンピックやスポーツを通して、その既成事実化を謀り、教育現場において強権を発動して、国民の中に「認知」させ、その結果として、今日の「事態」を創りだしました。

ところが、ポツダム宣言を受け入れた天皇制政府によって、また新しい議会によって制定された日本国憲法は、GHQによって「押し付けられた」などと言って、その「改正」を叫び、そのために国家の最高法規である日本国憲法を形骸化する既成事実をつくってきました。その結果が、今日の「事態」を創りだしているのです。

ここにゴマカシがあります。国民不在の歴史をいっさいスリカエています。大ウソが散りばめられています。

万歩譲って、国旗・国歌は日本の象徴として認めるのであれば、国民不在と立憲主義を否定する安全保障法案等を提案する政権、それに基づく国家に敬意を払い、そのような国家は尊重する対象でないことは明らかです。同時に、そのような国家の象徴である国旗国歌に敬意を払うのは自然な姿などということができないことも、また明白です。

侵略戦争を正当化する安倍首相や産経が、侵略戦争の、軍国主義の象徴である日の丸君が代に対して尊敬するのは勝手ですが、それはポツダム宣言にも違反し、それに基づいて制定された日本国憲法にも違反することは明白です。このような歴史の事実を踏まえれば、国旗・国歌を云々する資格などあるはずもありません。

本来であれば、以下のように書かなければなりません!産経の頭はオカシイ!

国家の最高法規である日本国憲法はその国の象徴として大切にされ、互いに尊重するのが国際常識だ。ましてや国民が自国の憲法に敬意を払うのは自然な姿だ。ましてや憲法第99条に憲法尊重擁護の義務が明記されているのだ!明らかに安倍・産経派は憲法違反を行っているのだ。これは国際公約に違反する世界の非常識だ。

 

下村博文文部科学相が、国立大の入学式や卒業式での国旗掲揚、国歌斉唱を適切に行うよう学長会議で要請した。妨げる方がおかしい。学長らは国旗、国歌の重要性を認識し、正常化を進めてほしい。文科省によると、国立大86校のうち今春の卒業式で国旗を掲揚したのは74校、国歌斉唱は14校にとどまっている。東大、京大のように国旗掲揚、国歌斉唱とも行っていない大学が10以上ある。下村文科相は要請にあたって「各国立大の自主的な判断に委ねられている」と配慮したうえで、「大学の自治や学問の自由に抵触するようなことは全くない」と述べた。その通りである。国旗と国歌の適切な取り扱いは、大臣がわざわざ要請する以前に、各大学の学長の判断で行うべきことだ。できないのは一部教職員らの反対を恐れるからだ

 

「各国立大の自主的な判断に委ねられている」「大学の自治や学問の自由に抵触するようなことは全くない」というのであれば、「適切に行うよう」「正常化を進めてほしい」「適切な取り扱いは」「妨げる方がおかしい」とするのは、全くオカシイと言わなければなりません。

まして、「できないのは一部教職員らの反対を恐れるからだ」などという戦前の「非国民」「国賊」のトンデモナイ低次元のレベル、上から目線、権力の横暴、本末・主客転倒です。こうした脅しに対して、国民的反撃を展開する必要があります。軽視することはできません!倍返しが必要です!

これは下村文部科学相が、大学の「自治」「学問・思想信条の自由」を「妨げるのはおかしい」ということにならなければなりません。国家の最高法規である日本国憲法を活かす!ために「正常化を進めてほしい」のは安倍政権です。歴史を偽装・偽造する産経こそ、「正常」な新聞となるように創生すべきです。

スポーツの国際大会で選手、観客とも対戦相手の国旗、国歌を含め敬意を払う態度は自然であり、国旗、国歌に背を向ければ非難される。ところが日本の教育現場では小中高校などの入学、卒業式で国歌斉唱であえて起立せず、国旗掲揚や国歌斉唱を「強制」などと批判する教師らが相変わらずいる。大学での反発が強いことは予想されたことではある。しかし国際的な常識や儀礼を否定してまで、特定の政治的主張を押し通そうとすることこそ、学問の自由などをゆがめるものではないのか。

「スポーツの国際大会」における「ルール」の話と、日本国憲法という国家の最高法規=ルールの下における「日本の教育現場」の話を意図的にごちゃ混ぜにしています。この両者の区別と関連の中で捉えるのではなく、一緒くたにして論じることで、教育現場における「強制」を正当化しています。ここに産経の大ウソ・デタラメ・ゴマカシ・スリカエが浮き彫りになります。

国家の最高法規である憲法という「ルール」を遵守できない、しない産経が、スポーツの「ルール」を云々する資格などあり得ません。そもそも、スポーツこそ、民主主義の象徴、平和の象徴だからです。それは、紛争を暴力・脅しで解決するのではなく、対等平等の敬意を払う態度で解決するということを前提にしているからです。

だからこそ、対戦相手を貶めたり、意図的に対戦相手を脅す、脅威する、威嚇を煽ったりなどということは、極めて問題、ルール違反なのです。だからこそ、スポーツに政治を持ち込むな!互いに尊敬の念をもってフェアーにたたかおう!となるのです。これこそ、「自然」な発露なのです。

こうした考え方は、「ルール」において、対等平等のスポーツにおいては、極めて自然なことなのです。スポーツを通して、平和を希求する。スポーツを通して互いを理解し合う、これこそ、コミュニケーションの本質、対話と交流の本質を示しているのです。

だからこそ、国際紛争を解決する手段として、国家による戦争、武力行使、武力による威嚇を永久に放棄した日本国憲法に明記されている自由・人権と民主主義は、スポーツにおける「ルール」、すなわち「法の支配」と同じなのです。

このことを、産経は全く判っていません!戦前侵略戦争と軍国主義の象徴であった日の丸≒国旗、君が代≒国歌を強制したいがために、そのためにだけに、スポーツにおける「ルール」を捻じ曲げ、利用しているのです。まさに不埒・不道徳と言わなければなりません!

学長のなかには、要請を機会に学内で検討する動きもあるようだ。国旗、国歌を尊重する常識が通らない旧態依然の大学の意識が変わる契機としてもらいたい。

「日の丸・君が代」を踏絵にする産経特有の悪罵と言えます!学問研究・教育研究に携わる人間に対する最大の侮辱と冒涜が、ここに込められています!大学人の反撃を期待します!

東京都教育委員会は中学や高校のスポーツの地区大会などでも国旗掲揚、国歌斉唱を行うことを検討するという。2020年東京五輪に向け、諸外国の人々と交流の機会が増えることから国旗、国歌を尊重する態度を養う一環だ。

日本の歴史において、もともとは、「君が代」は長寿を祝う賀の歌であり、「日の丸」は五穀豊穣を祈願する太陽信仰の象徴として、どちらも「命の大切」を「象徴」するものだったのです。しかし、明治以降、侵略戦争と軍国主義の「象徴」として、殺人と略奪の「象徴」として、天皇制を護持するための「象徴」「装置」として変質させた歴史を今一度確認する必要があります。

また、東京都知事であった石原氏や猪瀬氏自身が、日の丸や君が代の意味などについては、全く問題にしていないこと、単に「上司の命令」に従う装置として、国旗国歌を利用していることは、彼らの発言から浮き彫りです。彼らこそ、「非常識」の権化であることを、東京都教育委員会は反省すべきです。教育を語る資格もありません!あるのは、国民を暴騰するという汚名だけです。

しかも、「日の丸・君が代」は、戦前の天皇制政府でさえも、日本の国旗・国歌としては正式に成立させてはいなかったのです。にもかかわらず、戦後、既成事実化を利用して国旗・国歌法を強行可決したのです。その際には強制はしないという内閣の「公約」まで示したのでした。とても「常識」「自然」などというような言葉を使って、また「一部教職員らの反対」などと、脅すようなことは戒めてはじめて「成立」させたのでした。

しかし、産経のように、また安倍自公政権のように、歴史の偽装・偽造と修正を謀り、国民の多数を獲得する手口を成功させることはできません!そのためにも、彼らの大ウソ・トリックを徹底的に暴いていかなければなりません!判断するのは国民です。

海外から多くの留学生を受け入れる国立大の節目の式で国旗掲揚、国歌斉唱を行わない大学がある現状は恥ずかしい。さまざまな機会を捉え国旗、国歌を大切にしたい引用ここまで

以上を踏まえると「恥ずかしい」のは産経であり安倍首相とその一派です。さまざまな機会を捉えて産経のデマゴギーイデオロギーを暴いて、憲法を活かす政権の樹立をめざしていきたいものです。

このたたかいは、日本の歴史に対する冒涜、民衆の苦難と自由・人権・民主主義を求める戦いに対する無知と無恥、不道徳との闘いです。日本列島に住む名もなき人たちの暮らしをより良くしたいという願いに逆行する、黙殺する産経や安倍首相とその一派を、政権の座から退場させる!そのためにも憲法を活かす!を最大目標に、「錦の御旗」にしていかなければなりません!幕末の、いわゆる「逆賊」は、誰か!明確だからです。 

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違憲の安保法制を強行しようとする自由民主党は本当に保守か!地方の神社仏閣の廃墟化の責任は!

2015-06-16 | 日の丸・君が代

安倍派の君が代・日の丸で愛国心を育てるという大ウソ!

全国津々浦々で進行している神社仏閣の廃墟化!

その本当の原因は何か!

日本の歴史と伝統文化の破壊を進行させたのは誰か!

徳島の景徳寺の倒壊は、明日の日本を象徴しているぞ!

全国各地で「景徳寺」現象が起こっているはずだ!

或は、今後雪崩の如く発生するぞ!それでいいのか!

何が「地方創生」「教育再生」だ!

安倍首相の偽装・偽造日本語に

 

「自由」「民主」「保守」を名乗る政党に

鉄槌を加え

日本の崩壊を食い止めるべきではないのか!

 

阿南の景徳寺、老朽化で倒壊 430年前建立   
徳島新聞 2015/6/14 13:37

13日正午すぎ、阿南市富岡町あ王谷の住民から市に「山の方で地響きがして土煙が上がっている」と通報があった。連絡を受けた阿南署員らが現場に駆け付けると、約430年前の戦国時代に建てられたとされる景徳寺(木造平屋約160平方メートル)が倒壊していた。署は老朽化が原因とみている。
 
寺は完全に崩れていたため、市消防署のレスキュー隊員が、下敷きになっている人がいないかを熱感知センサーなどを使って2時間余り捜索したが、誰も発見できなかった。
 
景徳寺は地元で前山と呼ばれている山の中腹にある。篠原寛海住職(68)=同町滝の下=によると、阿南市の牛岐城主だった新開氏が1580年代に建立したという。
 
寺は1960年ごろから無人となり、住職が年に数回訪れて除草など寺の周りの手入れをしていた。近年は廃屋のようになり、住職も2年前から中に入っていなかった。
 
篠原住職は「車が入れないため、改修ができなかった。今後については檀家と相談して決めたい」と話している。
 
 
【写真説明】倒壊した景徳寺で人がいないか調べるレスキュー隊員=阿南市富岡町あ王谷(引用ここまで
 
NHK特集『寺が消える』その後……(聞光寺編)http://iwami.web.fc2.com/diary/teragakieru01.htm

少彦名神社・拝殿~御陵 http://angelcymeeke.web.fc2.com/yana_momi/a_2.html

━滋賀県犬上郡多賀町━  昭和48年廃村http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/haison_all/l_sugi/xyz_hai_l_sugi.html

ダム移転の集落で最後の春祭り 2世帯の上小畑、秋には無住 (2015年2月19日午前7時00分) http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/society/64434.html

 

寺・神社の犯罪事情 http://www.hanzai.net/temple/

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日の丸・君が代の本来の意味を捻じ曲げ税金を適切に使っていない安倍首相・下村文科相は退場!

2015-06-16 | 日の丸・君が代

何が「適切」だ!「脅し」か!「独裁」浮き彫りだな!

国旗・国歌を強制しないというのは内閣の決定事項だ!

国旗・国歌法の強行採決時の公約を黙殺・破棄する!

またまた歴史を偽造・修正する安倍首相・下村文科相!

日の丸・君が代を冒涜するのか!

NHK  文科相 国旗・国歌で適切な判断を要請   6月16日 18時08分http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150616/k10010116581000.html

文科相 国旗・国歌で適切な判断を要請
 
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下村文部科学大臣は、国立大学の学長らを集めた会議に出席し、入学式などでの国旗や国歌の取り扱いについて、「国旗掲揚や国歌斉唱が長年の慣行により広く国民の間に定着している」などと述べたうえで、各大学で適切に判断するよう要請しました。
安倍総理大臣は、先の国会審議で、国立大学の入学式や卒業式で国旗掲揚や国歌斉唱を行っていないケースがあると指摘されたのに対し、「国立大学の運営が税金で賄われていることに鑑みれば、教育基本法の方針にのっとって正しく実施されるべきではないか」などと述べました。
これに関連して、下村文部科学大臣は、16日国立大学の学長らを集めた会議に出席し、入学式などでの国旗や国歌の取り扱いについて、「国旗と国歌はどの国でも国家の象徴として扱われている。国旗掲揚や国歌斉唱が長年の慣行により広く国民の間に定着していることや、平成11年に国旗および国歌に関する法律が施行されたことを踏まえ、各国立大学で適切に判断いただけるようお願いしたい」と述べました。
今回の要請を巡っては、国内の大学教授らで作るグループが「学問の自由と大学の自治を揺るがしかねない」などとして反対する声明を発表しています。
下村大臣は16日の要請のあと記者団に対し、「終的には各大学が判断されることであり、要請が大学の自治や学問の自由に抵触することは全くない。昔と比べると、国旗や国歌に対する国民の意識も変わってきたと思うので、時代の変化を各大学で適切に判断していただきたい」と述べました。(引用ここまで
 
 
愛国者の邪論の検証をよく検討してみろ!
「昔と比べると国旗や国歌に対する国民の意識も変わってきた」
これほどのウソはあり得ない!
君が代・日の丸の元々の意味は何か!
戦前70年の歴史の中で
君が代と日の丸がどのように使われたか!
学校で教えているか!
学校で教わった国民はどれだけいるか!
戦前も戦後も、
国民は考えていない!
国民に考えさせない!
全く同じだぞ!
 
 
安倍・下村さん!
あんたら、良く言えるね!
「税金で賄われていることに鑑みれば」って
オイオイ!
自分の胸に手を当てて
よくよく考えてみなさい!
子どもはよく見ているぞ!
 
「最終的には各大学が判断されること」
であるならば
NHKなどマスコミを使ったパフォーアンスは止めろ!
 
これほど国旗≒日の丸・国歌≒君が代を
冒涜する国家・政権は珍しい!
 
これは産経・松沢議員と安倍派の悪質なシナリオだ!
歴史修正主義者たちの手口は御見通し!
 
 
 
本当に
国旗≒日の丸を礼拝し
国歌≒君が代を斉唱させたいのであれば
意味・由来・歴史・果たしてきた役割を
学校で、メディアで適切に教えろ!討論しろ!
ことは、国旗・国歌だろう!
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君が代指導に服しないとして勤労権をはく奪する暴挙に国民的批判を!憲法を活かした学校の再生を!

2015-05-25 | 日の丸・君が代

「国旗・日の丸」「国歌君が代」問題の本質は何か!

教育論抜きの疑似民主主義の象徴である

合法的命令主義を具体化した職務命令は

教育現場ではなじまない!

これでは自由・人権・民主主義・法の支配は名ばかり!

 【共同通信】君が代訴訟、東京都に賠償命令 不起立で再雇用拒否は違法  2015/05/25 17:05 http://www.47news.jp/news/2015/05/post_20150525170700.html

東京都立高校の元教職員22人が、卒業式や入学式で君が代斉唱時に起立して歌わなかったことを理由に再雇用されなかったのは違法として、1人当たり520万~1300万円の損害賠償を都に求めた訴訟の判決で、東京地裁は25日、「都教育委員会は裁量権を逸脱、乱用した」として、全員にそれぞれ200万円超の賠償を命じた。

吉田徹裁判長は「職務命令違反があったことだけを不当に重視し、教職員としての長年の経験や意欲を全く考慮していない」と述べ、再雇用への期待を違法に侵害したと指摘した。(引用ここまで

 
時事通信 再雇用拒否、都に賠償命令=君が代不起立、元教諭ら勝訴-東京地裁  2015/05/25-18:14 http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2015052500719
卒業式などの君が代斉唱で起立せず処分されたことを理由に定年後の再雇用を拒否されたのは不当として、東京都立高校の元教職員22人が都に計約2億7400万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁(吉田徹裁判長)は25日、都に計約5370万円の賠償を命じた。
吉田裁判長は、再雇用希望者の90~95%が採用されており、式典で立って歌うと定めた都教育委員会の通達(2003年)以前は、不起立が懲戒処分の対象にもなっていなかったと指摘。「都教委の判断は処分を不当に重く扱ったもので、客観的合理性や社会的相当性を欠き、裁量権の逸脱や乱用に当たる」と結論付けた。
一方で、通達や、通達に基づき起立・斉唱を命じた校長の職務命令が憲法違反かどうかは判断しなかった
判決によると、原告らは03~07年度の卒業式や入学式で起立を拒否し、戒告などの処分を受けた。06~08年度に定年退職し、再雇用を申請したところ、不合格となったり、合格を取り消されたりした。
東京都教委の中井敬三教育長の話 大変遺憾。内容を精査して、今後の対応を検討する。(引用ここまで
 
産経 国歌不起立で教員再雇用せず 都に賠償命令 東京地裁判決 2015.5.25 18:42更新http://www.sankei.com/affairs/news/150525/afr1505250022-n1.html

判決によると、都教委は平成15年10月、卒業式などで国旗に向かって起立し、国歌斉唱することを義務づけ、従わない教職員は服務上の責任を負うとする通達を出した。原告らはこれらの職務命令に従わずに戒告などの懲戒処分を受け、再雇用を申請したが不合格となった。

吉田裁判長は「職務命令違反があったことだけを不当に重視し、教職員としての長年の経験や知識などを全く考慮していない」と述べ、再雇用への期待を違法に侵害したと指摘した。再雇用された場合に、原告がそれぞれ得られる1年分の報酬を賠償額と算定した。

同様の再雇用拒否をめぐる訴訟では、1審判決が元教員への賠償を命じたが2審で逆転敗訴。23年に最高裁で敗訴が確定している。

判決後に会見した原告団代表で元教員の泉健二さん(68)は「都教委の行ったことはひどいものだと認めてもらった」と述べた。一方、都の中井敬三教育長は「判決は大変遺憾なことで、内容を精査して今後の対応を検討する」とコメントした。(引用ここまで

職務命令は教師と生徒の人権を侵害できるか!

都教委と産経の職務命令正当化論は

権力を武器に人権侵害を「合法化」する疑似民主主義!

その誤りは、産経の記事に一目瞭然!

産経の不道徳史観を浮き彫りにした「荒唐無稽な『共同謀議』史観」論は世界に恥を晒す!  2015-05-22 20:24:03 | 戦後70年

【阿比留瑠比の極言御免】「世界征服のための戦争だった」 荒唐無稽な「共同謀議」史観 2015.5.22 06:00更新 http://www.sankei.com/premium/news/150522/prm1505220009-n3.html

志位氏が引用したポツダム宣言第6項は、この東京裁判でもインド代表のパール判事らから数々の反論がなされた荒唐無稽な「共同謀議」史観に貫かれている。どうして今さら、そんな珍妙な認識を日本が認めないといけないのか。

ここで思い出すのは、これまで国会で繰り返されてきた「日本は東京裁判を受諾したのだから、その歴史判断も受け入れなければならない」という議論だ。

国を個人に置き換えて考えてみたい。裁判を経てある判決を言い渡された場合、法治国家の一員である以上、当然、その刑に服さなければならない。

だが同時に、外形的に刑を受け入れても、内心で裁判官の判断を不服に思うのも、自身は実は無罪だと考えるのもその人の自由であるはずだ。憲法19条「思想および良心の自由」を持ち出すまでもない。

東京裁判を受け入れたからといって、その思想や歴史観、政治的背景、各国の都合や思惑を全部ひっくるめて引き受けることなどできようはずもない。

それが可能だと考える人は、他者の内心に容易に手を突っ込み改変できると信じる危険な傾向を持つ人物だということにはならないか。 (政治部編集委員)(引用ここまで

権力者が国民に向かって人権と自由を主張する愚!

安倍首相も産経も重大な間違いをしていることに気づいていない!というか、知っていて知らんぷりしているのかも知れません!それは、権力者と一般国民の権利義務関係を意図的に同列に、逆さまにおいて、立憲主義を否定する、憲法尊重擁護の義務履行を覆すなど、自らの過ちを意図的に正当化していることです。

TBSのニュース番組に出演して、アベノミクスの成果に疑問を呈する国民の声を紹介した報道にクレームをつけて「表現の自由」を主張するとか、政権政党が、テレビ局を呼びつけて「事情調査」を行うとか、「公平な報道」を「要望」する、沖縄県に行政不服審査権を振りかざすなど、威嚇をしていることです。

これは安倍首相の発言を視ると浮き彫りになります。他人のヤジには「静かにしてください」などと言いながら、事実無近の「ヤジ」は平気で飛ばす!そもそも政権として、あるべきは、質問に対して、適格に応える義務があるのにもかかわらず、長々と発言して、テレビを使って政権の宣伝を行い、質問者の時間を浪費する。しかも発言は、抽象的な、それまでも説明してきたことを繰り返しているだけ、など、まともな政権とは言えない!対話力が欠落しているとしか言いようのない国家質疑を行ってきているのです。

サンフランシスコ条約否定はポツダム宣言をも否定する!

産経・安倍派は再度大東亜戦争をするのか!

今回志位氏の質疑に対して、上記のような論理展開をして、サンフランシスコ条約の義務履行を個人のレベルに置き換えて義務履行をサボることを正当化するなどという姑息な思想は、侵略戦争を正当化するためのものであることを告発しておかなければなりません。

個人がサンフランシスコ条約について、侵略戦争について、どのような思想を持とうが、それは、憲法に明記されている基本的人権の問題であり、産経の言うように、全く問題はありません。しかし、ことは国家として、批准した条約について、否定することは、条約の破棄をしなければならなくなります。産経はサンフランシスコ条約を否定するというのであれば、それなりの覚悟をもって、国際社会に自らの意見を主張しなければなりません。再度占領軍の占領統治を認めるのか、それとも、ポツダム宣言を否定して、再度戦争を挑むか、というレベルの話になるのです。

そのようなことはあり得ないことは、日米軍事同盟容認というか、深化派であり、そのことを口実にして憲法を改悪しようとしている産経ができるはずはありません。思想的にも論理的にも自己矛盾を暴露するだけです。このことは、以下の書籍に詳しく書かれています。ご覧ください。

白井聡『永続敗戦論』(太田出版13年3月刊】

産経は、そのようなことを知りながら、敢えて権利義務関係の主客転倒・本末転倒をデマで隠ぺいして、国民の中に沈殿させてきた「反日」感情を焚きつけているのです。

このような手口は、産経が日常的に批判している中国や北朝鮮の、その手口と全く同じであることを強調しておかなければなりません。

教育機関も教師も最大の任務何か!

生徒の人権を尊重し人権拡大の実践者を育てることだ!

「不断の努力」論そのものである!

憲法と子どもの権利条約にこそ根拠を求めるべき!

産経やと都教委にとって最大の根拠は「違法な職務命令」であり、「学習指導要領」です。憲法ではありません。サンフランシスコ条約を否定する際に使った憲法19条「思想および良心の自由」を「持ち出すまでもない」としていることは、そのまま、「日の丸」「君が代」の強制問題に当てはめられると言わなければなりません。産経は、この自己矛盾に気づいていません。それは身勝手思想であるが故の視界狭窄症に墜ちっているからです。

しかも、子どもの権利条約を踏まえるのであれば、教師も学校も、子どもの権利条約を徹底させること、そして国旗国歌を適切に、正しく理解するための教育を徹底していくこと、そして、その判断は、学校の主人公である生徒に任せることです。これこそが自由・人権・民主主義と法の支配を尊重する価値観と言えます。このことが出来なければ、安倍首相が目の敵にしている中国や北朝鮮と同じ価値観に、自らを貶めることになることは明白です。

更に言えば、政府・都教委などが繰り返し強調している「国旗・日の丸」・「国歌・君が代」を指導するとはどのようなことか、について、国家も行政も極めて曖昧です。「指導する」中身をスルーして、単に命令に服従させることのみが強調されていることです。ここに最大のゴマカシ・スリカエ・デタラメ・大ウソのトリックがあります。

このことは「日の丸」が太陽信仰による五穀豊穣=生産を願う信仰を天皇制国家に忠誠を強制し合法的に殺人を履行する装置としてスリカエたこと。「君が代」が長寿を祝う賀の歌であり、民衆の間に、生きることの大切を説いてきた歌であることを、「日の丸」と同様に、天皇制国家に忠誠を強制し合法的に殺人を履行する装置としてスリカエたことを、生徒にどのように教育するか、裁判所は、この問題については、黙殺しているのです。

ここに侵略戦争の反省の上に制定された日本国憲法の平和主義。国際協調主義にも違反する問題であることが浮き彫りになるのです。しかし、基本的人権問題について言及されてはいるものの、これらが戦前どのようにして侵害されてきたか、またそのことが日本国民とアジアや欧米の諸国民にどのような「惨禍」をもたらしたのか、そのような視点から論じられていないところに、この問題のスリカエ・デタラメ・ゴマカシ・大ウソのトリックが浮き彫りになるのです。

そのことは憲法問題を黙殺するばかりか、教育権と教育論を抜いた「日の丸」「君が代」、「国旗」「国歌」問題となっているところに奇妙さが浮き彫りになります。このことについては、この間記事にしてきましたので、ご覧ください。

「平和への権利」が提起する新しい人権観 http://www.hurights.or.jp/archives/newsletter/sectiion3/2011/09/post-148.html

植木枝盛の抵抗権、革命権の保障 http://www.jicl.jp/now/date/map/39.html

「日の丸・君が代」強制拒絶の憲法論 http://article9.jp/wordpress/?p=4217

不正への抵抗・不服従は正義である 2012-04-19 http://d.hatena.ne.jp/asobitarian/20120419/1334809180

国際人権規約と日の丸・君が代強制問題 国際的な人権諸規約にてらしても「日の丸・君が代」強制は異常だ 原告団・国際人権プロジェクトチームhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~yobousoshou/jinkennkiyaku/jinkennkiyaku.html

行政不服審査法 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S37/S37HO160.html

国歌斉唱義務不存在確認等請求訴訟第1審判決の意義(成嶋)http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp/dspace/bitstream/10191/6065/1/18_0037.pdf 

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産経・文科省が国旗・日の丸、国歌・君が代の意味・由来、歴史を教えることに背向ける方が恥ずかしい!

2015-04-14 | 日の丸・君が代

「国旗と国歌に敬意を払う教育」とは、意味・由来・歴史を教えることなのに!

産経の言い分は井戸端談義のレベル・感情論だけだ!

これほど国民を、日の丸・君が代を、日本の歴史と伝統を愚弄する態度はない!

産経が、以下の『主張』を掲載しました。これは松沢氏と安倍首相・下村文科大臣との質疑を批判するいくつかの社説を「批判」する意図を持ったものですが、改めて産経のデタラメさが浮き彫りになりましたので、すでに記事にしてありますが、この『主張』のデタラメさを浮き彫りにするために、また記事にすることにしました。ご覧ください。

「国旗と国歌に敬意を払う教育がなぜいけないのか」と難癖をつける前に、人の心を尊重する心がないことを反省すべきです。

「祝日に国旗を掲げる家庭も少なくなっている」と嘆く前に、何故そうなっているか、国民の心を分析すべきです!

「他国を尊重する態度」を言う前に、やることがあるのではないでしょうか!対中包囲網ばかりを優先する前にやることがあるはずです!産経こそ、気に入った国=日米軍事同盟締結国アメリカとは仲良く、中国・北朝鮮とは人権と民主主義を価値観として共有できない国として非難する前に、まさに「他国を尊重する態度」を示すべきです。外国の指導者の暗殺コメディーなどを扇動することが「他国を尊重する態度」かどうか、自分の胸に手を当てて考えてみるべきです。

「大学の自主性にも配慮した要請」などというのであれば、「税金」「学習指導」「要領」を持ち出すべきではありません!斉唱率・掲揚率を強制してきた歴史を総括すべきです!どれもこれも身勝手な言い分です。天に唾するようなものです。そもそも「指導要領」という言葉そのものが、「命令」を前提にしています。このことは「軍人勅諭」を視れば一目瞭然です。

軍人勅諭http://www.asahi-net.or.jp/~uu3s-situ/00/Gunzin.tyokuyu.html

(ひとつ)軍人は忠節を尽すを本分とすべし。  軍人は要領をもって本分とすべし!
(ひとつ)軍人は礼儀を正しくすべし。
(ひとつ)軍事は武勇を尚(とうと)ぶべし。
(ひとつ)軍人は信義を重んすへし。
(ひとつ)軍人は質素を旨とすへし。


「国旗と国歌はいずれの国でもその国の象徴として大切にされ、互いに尊重し合うことが常識だ。小学校の学習指導要領解説書にも書かれている」という思想と思考回路こそ問題です。これこそ学校の丸暗記主義教育の弊害そのものです!意味なんて考える前に、とにかく覚えろ!ってヤツなのです。

ところで、文科省や産経などは一貫して、「国旗」=「日の丸」・「国歌」=「君が代」の意味・由来・歴史の中でどのような役割を果たしてきたか、近代以前と近代以後、戦後に分けて、説明していません!これだけ「国旗」「国歌」に執着して言うくせに、このことについての議論を巻き起こすことはしていません!

説明責任を果たせないのは、自信と確信がない証拠です!だいたい先生が、教室で、生徒に質問されたらどう「指導」するのか、そもそも「学習指導」「要領」には書いていません!文部科学省自身が思考停止状態です。これでは科学・学問の精神に反することは明らかです。

「実施できないのは、国旗国歌に背を向ける一部教職員らの反発が根強いからだろう」って、やっぱり、ここですね。言いたいことは!「一部」と「多数」と分けて「正当性」を根拠づけるのは「不偏不党中立」「憲法尊重擁護の義務履行」を標榜するマスコミの理念に反しているのではないでしょうか!強権的本質浮き彫りです!

そもそも「大学の自治」とは、大学の「主権」を意味するもので、これは何ものも阻むことができないものです!学問・思想・信条・研究の自由を否定することは何人たるとも否定できないもので、これこそ世界の「恥」です!それはマスコミにも言えることではないでしょうか!これは言葉を変えて言えば「マスコミの自治」と同じなのです!

産経は韓国政府に何をやり何を言ってきたのか、忘れたとは言わせません!

このことに関して言えば、ここでも産経の身勝手さが浮き彫りになります。それは産経は韓国大統領難癖問題の時、何と言って自己弁護したのか!それと同じです!

勿論、愛国者の邪論は、あの記事は、誹謗中傷だと思っているのですが!本来は事実と違っていたことを意図的に、と言われても仕方のないような引用の仕方で書いた、マスコミの風上に於けない姑息な記事だったのですが、それを訂正も謝罪もしなかった!だから、逮捕され、出国できない措置を取られた!産経は表現の自由と身勝手をはき違えていたことを正当化したのです、権力の弾圧事件としてスリカエたのです。このようなデタラメな事件だったのですが、それを正当化する思考回路に産経が使っているのは何か!そこです。

産経の思考回路を、そのまま、「国旗」「国歌」問題の「大学の自治」に当てはめるとすると、韓国に対しては、日本における国旗・国歌強制に反対する「一部の教師」たちの思考回路を使っているのです。しかし、国内においては、国旗・国歌を強制する側に立つ。産経の思考回路をそのまま使えば、韓国政府と同じ立場に立っているのです。

どうみても産経の主張は身勝手・姑息・傲慢と言わなければなりません!全くどうしようもない新聞だと言っておきます!

「…反対する教職員との板挟みで平成11年に広島県の高校校長が自殺する痛ましい事件が起きた」というのも、文科省の「指導するものとする」として強制していたことを免罪する思想と思考回路です!感情的な言葉である「痛ましい事件」の背景などを記事にしないのです。「一部」を取り上げてスリカエ・ゴマカシ・デタラメ・大ウソは産経のお得意技です!

「人生の節目の行事で国旗を掲揚し、国歌を斉唱することは自然であり、法的根拠を求めるまでもない」など、感情に訴えるのです。このように言えば、読者に支持されると思っている産経の姑息が浮き彫りです。ここでも、「国旗と国歌はいずれの国でもその国の象徴として大切にされ、互いに尊重し合うことが常識だ」などと、産経の記事を視れば、どこが「互いに尊重し合う」などと言えるのか、大ウソを吐くのです。更に言えば、人間の知的営みである学問・教育を否定するのです。これでは井戸端談義と同じです。「風評」で斉唱させ、起立させようとする姑息が浮き彫りです。

実は、こうした産経の「態度」こそ、国家に対する、また国家の土台である国民に対する冒涜・不道徳そのものだということです。そもそも、「君が代」「日の丸」そのものには、産経の言うように「指導」という名の「強制」することそのものがなじまないものなのです、近代以前の歴史を紐解けば!

産経は、こうした歴史をどのように展開すると言うのでしょうか!説明すべきです。それとも、そのようなことはする必要はないとでも言うのでしょうか!

「国歌の斉唱時にあえて起立せず式を混乱させる教員が相変わらずいる」というのも、同じです!「混乱」とは何か!

「自然に敬うことを妨げる動きがあるから」「職務命令が出されている」などいうのも大ウソです。猪瀬前都知事は口パクでもいいのだと言ったのです。職務命令を出していた石原前都知事は、「君が代なんか歌わない」と言っていました!口パクを監視した校長もいました!心を込めて歌うことなど、どうでもよいのです。命令に従うか、否か!だけなのです。ここに、この国旗国歌問題の本質があります。だから、愛国者の邪論は、君が代・日の丸」に対する冒涜・不道徳だと言っているのです。

この思想は産経が、日常的に、よく非難しているどこかの国と同じになるぞ!と言っておきましょう。このようなことを平然と言ってしまっても気づいていない産経は滑稽というか、恐ろしいというか、愚かというか、これも丸暗記型教育の弊害が浮き彫りになった言うべきです。

大学の自主性にも配慮した要請」「法的根拠を求めるまでもない」と言いながら、「長の判断で適切に行ってもらいたい」と「法的根拠」を振りかざして「強制」をそそのかすのです。以下をご覧ください。産経の、感情的・情緒的にそそのかす言い分のデタラメさが浮き彫りになります!

【主張】学長権限の強化 人材得て魅力ある大学を2014.5.1 03:07更新http://www.sankei.com/life/news/140501/lif1405010025-n1.html

 このような状況に国民を持ち込もうとしている姑息な産経の身勝手が、ここでも明らかになったと言うべきです。

産經新聞  国旗国歌/背向ける方が恥ずかしい  2015/4/14 6:00
http://www.sankei.com/column/newslist/../../column/news/150414/clm1504140003-n1.html
国立大学の卒業式や入学式で国旗掲揚と国歌斉唱を適切に行うよう求めることに反発がある。
国旗と国歌に敬意を払う教育がなぜいけないのか。それを妨げる方が問題である。
先週9日の参院予算委員会で次世代の党の松沢成文氏が取り上げた。同氏の求めで文部科学省が各大学に聞き取り調査したところ、今年3月の卒業式で国立大86校のうち、国旗を掲揚したのは74校、国歌を斉唱したのは14校にとどまったという。
これに対し安倍晋三首相は「改正教育基本法の方針にのっとり、正しく実施されるべきではないか」と答弁した。当然である。改正教育基本法では国と郷土を愛し、他国を尊重する態度を育むことを重視している。
下村博文文部科学相は記者会見で「適切な対応が取られるように学長が参加する会議で要請することを検討する」と述べた。文科相は「お願いであり、するかしないかは各大学の判断」とも述べている。大学の自主性にも配慮した要請を批判するのは疑問だ。
大学人にあえて言うまでもないことだが、国旗と国歌はいずれの国でもその国の象徴として大切にされ、互いに尊重し合うことが常識だ。小学校の学習指導要領解説書にも書かれている
人生の節目の行事で国旗を掲揚し、国歌を斉唱することは自然であり、法的根拠を求めるまでもない。まして「大学の自治」を損なうものでもない。
実施できないのは、国旗国歌に背を向ける一部教職員らの反発が根強いからだろう。長の判断で適切に行ってもらいたい。
小中高校での国旗掲揚、国歌斉唱をめぐっては反対する教職員との板挟みで平成11年に広島県の高校校長が自殺する痛ましい事件が起きた。これをきっかけに国旗を日の丸、国歌を君が代と規定した国旗国歌法が制定された。
国旗国歌に敬意を払う国際的な礼儀に背を向け「強制」と批判することこそ恥ずかしい
国歌の斉唱時にあえて起立せず式を混乱させる教員が相変わらずいる自然に敬うことを妨げる動きがあるから東京都などで教職員に起立斉唱する職務命令が出されている
祝日に国旗を掲げる家庭も少なくなっている。普段から国旗と国歌を敬う教育を大切にしたい。(引用ここまで

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やっぱり出た!国立大学の「国歌」斉唱強制質問!次世代の党と産経、安倍首相の見え見えやらせ質疑!

2015-04-09 | 日の丸・君が代

こんなデタラメを学者・研究者が立ち上がらなくてどうするか!

やっぱり出ました。思ったとおりでした。今日の参議院予算委員会で次世代の党の松沢成文氏が、奈良教育大学付属中学校を非難する産経の記事を踏まえて、さっそく安倍首相に「感想」を言わせ、下村文科大臣に「指導」をお願いし、下村の文科大臣は、わざわざ学習指導要領を読み上げ、「要請」という名の「指導」すなわち、強制をすることを約束しました。全く姑息な手口でした。以下、そのやり取りを報ずる産経をご覧ください。

産経 「国立大で国旗、国歌を」首相、入学式などで  2015.4.9 18:45更新 http://www.sankei.com/politics/news/150409/plt1504090017-n1.html
予算案が可決、成立し、一礼する安倍首相=9日午後
安倍晋三首相は9日の参院予算委員会で、国立大の入学式や卒業式での国旗掲揚、国歌斉唱に関し「税金によって(運営が)賄われていることに鑑みれば、教育基本法の方針にのっとって、正しく実施されるべきではないか」との認識を示した。同時に「学習指導要領がある中学、高校ではしっかり実施されている」と強調した。次世代の党の松沢成文氏が、国立大での実践例がほとんどないと指摘したのに対し答弁した。松沢氏は各国立大に実施するよう指導すべきだ」と下村博文文部科学相に要求。下村氏は「各大学で、適切な対応が取られるよう要請していきたい」と述べた。(引用ここまで

産経 首相「新教育基本法にのっとり実施されるべきではないか」 国立大の国旗掲揚や国歌斉唱 2015.4.9 13:18更新  http://www.sankei.com/politics/news/150409/plt1504090012-n1.html
安倍晋三首相は9日の参院予算委員会で、国立大学の卒業式や入学式での国旗掲揚・国歌斉唱に関して「改正教育基本法の方針にのっとり、正しく実施されるべきではないか」との認識を示した。改正教育基本法では「国を愛する態度」を養うことなどが教育目標に掲げられている。次世代の党の松沢成文幹事長に対する答弁。
松沢氏は国歌斉唱に至ってはほとんどの国立大学が実施していない。税金で賄われている以上、国旗掲揚や国歌斉唱は当たり前だ」と迫った。これに対し、下村博文文部科学相は大学の自主的な判断に委ねられている」と指摘しつつも、「広く国民の間に定着していることなどを踏まえ、各大学で適切な対応が取られるよう要請していきたい」と応じた。松沢氏が示した文科省の資料によると、直近の卒業式で国歌斉唱を実施したのは国立86大学のうち14大学にとどまった。(引用ここまで

税金云々を言うのであれば、政党助成金の使途のデタラメはどうするのか!下村文科大臣に至っては、政党助成金と自信の「政治資金問題」はどうなんだ!勿論、次世代の松沢氏においても!だ。全く呆れるばかりですが、この手の井戸端談義的質疑というか、税金をもらっているのだらか、ちゃんとやれ!式の「当たり前」と言えば「当たり前」なのことを、「学問の自由」「教育の自由」「思想信条の自由」の問題を黙殺して論じるなどということが、あってはならないと言わなければなりません。

この手口は、あの教育勅語の「当たり前」『徳目』を並べることで、実は、最後の『天皇のために死ぬ」ことを強制していった手口と同じです。大いなるスリカエなのです。このことは、すでに記事にしておきましたので、ご覧ください。以下、この質疑そのものが、スリカエ・ゴマカシ・デタラメであることを検証してみます。

全くデタラメ!国歌斉唱を強制するのは教育基本法にも違反しているぞ!

愛国者の邪論は、この教育基本法には反対です。この「改正」教育基本法の前の、旧教育基本法をこそ、学校現場に具体化すべきものだからです。以下をご覧ください。

昭和22年教育基本法制定時の条文:文部科学省 http://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/about/a001.htm

しかし、今日の予算委員会を視ていて、松沢氏も、首相も、下村文科大臣も、この「改正」教育基本法をよくよく読んでいないことが、改めて浮き彫りになりました。彼らが、ごり押しした「改正」教育基本法にすら基づいていない国旗・国歌の「指導」「強制」問題であることを、改めて検証しておきます。以下「改正」教育基本法をご覧ください。

教育基本法  (平成十八年十二月二十二日法律第百二十号)http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H18/H18HO120.html
前文 …我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する引用ここまで

侵略戦争の反省の上に制定された「日本国憲法の精神にのっとり」というのであれば、「日の丸」「君が代」が戦前どのような役割を果たしたのか、明らかにすべきです。そうすれば、この「君が代=国歌」「日の丸=国旗」を使うことすらできないはずです。このことは不問です。歴史的・学問的検証すらしないのです。あるのは「国歌」だから当然だと言うだけです。思考停止そのものです。これでは戦前と同じです。「天皇はカミだ!」で思考停止していた時代に戻るのでしょうか!次です。

(教育の目的) 第一条   教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。 引用ここまで

とするならば、安倍首相派の偏狭なナショナリズムを強制することはできないはずです。この文言と、「君が代=国歌」斉唱と「日の丸=国旗」礼拝が、どこで、どのように関連しているか、明らかにすべきです。全く語っていません!次です。

(教育の目標) 第二条  教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一  幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二  個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三  正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四  生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五  伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。引用ここまで

歴史の真実を教えることを一貫して拒否してきた自民党・文科省!

安倍首相派・文科省は、一貫して、歴史の「真理」「真実」を教えることを拒否してきました。以下をご覧ください。

「国旗・日の丸と国歌・君が代」についての「幅広い知識と教養」「真理を求める態度」を育てることを拒否しています。これで「豊かな情操と道徳心を培う」ことはできません。

「国旗・日の丸と国歌・君が代」を「職務命令」という「指導」に基づいて、教師を脅し、文科省の「指導」「命令」に従わせる教師をつくることで、教師自身が「個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養う」ことができなくなることは明らかです。そのような「個人の価値」を尊重できない教師、「創造性のない教師」「自主及び自律の精神のない教師」が、子どもらに「個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養う」ことができないことは、子どもでも判ることです。

子どもが「個人の価値を尊重することができる」「創造性」と「自主及び自律の精神を養うことができる」ようにするためには、まずもって教師自身は「範」を示ことではないでしょうか!それとも、命令に従い、自分の意見を言わない教師を模範と白!と文科省は言うのでしょうか!安倍首相は言うのでしょうか!松沢氏は、学問の自由と日の丸斉唱の関係をどのように考えているのでしょうか!全くの思考停止議員と言わなければなりません!

戦前侵略戦争に反対した英雄的日本人がいたことを教えない文科省ではないでしょうか。学習指導要領には、このような日本人がいたことは、いっさい黙殺です。こうした学校教育で、人権と民主主義、平和を創造するために「自主及び自律の精神」、そして「正義と責任」を育てることができるでしょうか。

「国旗・日の丸と国歌・君が代」を強制することは、思考停止の教育を強制することです。これでは、人権・民主主義・平和意識を育てることはできません。日本国憲法の「個人の尊厳」、すなわち「男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずる」教育のためには、「国旗・日の丸と国歌・君が代」を強制することは、全く真逆の行為と言わなければなりません。

それは「強制」によって、「自他の敬愛と協力」の精神が育つとは思えないからです。他人のことを尊重することと自分を尊重することは表裏一体です。個人の尊厳を否定して「公共の精神」、「自主及び自律の精神」が育つことはありません。個人を尊重する教育の実践に基づいてはじめて「主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと」ができるはずです。

それは戦前の「臣民」論を視れば明らかです。だからこそ、日本国憲法前文で「主権が国民に存する」と明記したのです。戦前の主権は天皇にあったことを、よもや忘れたとは言わせません。ものごとの最終的決定権、すなわち主権が天皇にあったからこそ、「個人の価値」は「尊重」されなかった。否定されたのです。だから、「自主及び自律の精神」「男女の平等」は勿論のこと、「能力を伸ばし、創造性を培」ことなどあり得なかったのです。

そのことは、「一旦緩急アレバ、義勇公ニ奉ジ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」という思想こそが「教育の精華」「淵源」だったからです。この思想は、「生命を尊び」日本の「伝統と文化を尊重」すること真逆の思想に他なりません、真逆の思想です。以下をご覧ください。
http://www.chukai.ne.jp/~masago/kyouiku.html

教育勅語・日の丸・君が代は殺人装置であり、日本文化の否定だ!

何故か。「日の丸」は民衆の間に培われ、脈々と受け継がれてきた太陽信仰を示していることは誰もが認めるところです。しかし、この太陽信仰は、五穀豊穣を祈願するもので、無病息災を含めて命の大切を願う「庶民のこころ」を象徴しているはずです。しかし、実際は、殺し合いを扇動する装置とされたことは歴史の事実です。

君が代は、古代風土記の中にその源流があり、それが古今和歌集をはじめとして「流達節」の中でも歌われてきたものです。しかも、「君が代」にも庶民の命の大切思想が脈々と息づいているのです。例えば、「巌となりけ」は、「岩」=「石棒」、ほと=「女性性器」、「なりて」=男女の「交合」を意味するとの見解もあります。

このような視点については、すでに紹介してありますが、以下ご覧ください。

杜こなて『「君が代」日本文化史から読み解く」(平凡社新書15年1月刊)
小野恭靖『戦国時代の流行歌 高三流達の世界』(中公新書12年4月刊)
武澤秀一『伊勢神宮と天皇の謎』(文春文庫13年3月刊)
武澤秀一『伊勢神宮の謎を解く―アマテラスと天皇の「発明」』(ちくま新書11年3月刊)
千田稔『伊勢神宮―東アジアのアマテラス』(中公文庫05年1月刊)
千葉慶『アマテラスと天皇<政治シンボル>の近代史』(吉川弘文館11年12月刊)
山田孝雄『君が代の歴史』(宝文館出版昭和31年1月刊)

こうした日本列島に連綿として息づいてきた歴史と「伝統と文化を尊重」するのであれば、教育勅語に示された「殺人装置」としての思想とそれを具体化するために使った「君が代」が、如何に問題であるか、明らかです。こうした事実を黙殺して、「幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培う」ことができないことは明らかです。

日本列島に営まれた庶民の歴史都伝統を、学ぶことすら、一貫して拒否して文科省が、庶民が「はぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」ができないことは当然です。

こうした歴史の真理を避け、庶民の命の大切をスリカエ・ゴマカシ・大ウソをついてきた戦前の教育勅語思想を徹底するために「日の丸」と「君が代」が使われたのです。このことは、歴史の「真理」です。この「真理」を学ぶことこそが、「幅広い知識と教養を身に付け」ることになり、「豊かな情操と道徳心を培う」ことになるはずです。このことをゴマカシてはなりません。

無内容の、強制のみの学習指導要領で

子どもが憲法と教育基本法を具体化できるわけがない!

それでは、以下をご覧ください。国旗国歌について文科省が学習指導要領の中でどのように「指導」しようとしているか、ご覧ください。呆れるばかりです。このことを徹底して糾していかなければなりません。

国旗及び国歌に関する関係資料集 平成11年9月  文部省初等中等教育局http://www1.jca.apc.org/anti-hinokimi/archive/chronology/sengo2/tsuchi_shiryo.htm

どうだったでしょうか。このような中身のない国旗・国歌の「指導」が公然と学校教育の場で行われているのです。全くデタラメ・ゴマカシ・偽装・偽造・やらせです。安倍首相をはじめとして戦後の自民党・保守勢力と言われている輩の「国旗・国歌」観、「愛国心」の程度が浮き彫りになります。

「日本」がデタラメ国家であることが浮き彫りになります。こんなことで、憲法と教育基本法の「精神」が子どもの中に培われていくはずはありません!ここでも憲法を活かす教育、それを実行できる政権が必要不可欠であることを強調しておきたいと思います。国際社会のハジです。そもそも、「国号」である「日本」の由来、象徴である「天皇」号の由来と意味を、どれだけの日本国民が語ることができるでしょうか!これは、ひとえに、戦後自民党政権・文部省が、本質をゴマカシ、スリカエ、真実を国民に教えなかったからです。このことの象徴的事件が、今日の松沢氏の質問とそれに答える安倍首相、下村文科省だったということです。

こんなデタラメな国会議員、しかも彼らは総理大臣と文科大臣を担当しているのですから、日本国民は、ホントに問題にしなければならないのはないでしょうか!

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君が代斉唱・日の丸礼拝を強制して愛国心は育ったか!日本国はどうなったか!結果は歴然!

2015-04-03 | 日の丸・君が代

産経の難癖にみる日本の独裁国家化!

国旗国歌の意味・由来・歴史的役割を指導もせず強制だけしている!

平成11年に国旗国歌法を制定して、処分者が激減して教育界はどうなったか!

日の丸・君が代の国旗・国歌化でスリカエ・ゴマカシ・デタラメ浮き彫り記事!

産経が、またまた憲法違反を奨励する恫喝記事を掲載しました!そこで、検証してみました。ご覧ください。

1.「学校などへの取材で分かった」などと言っていますが、最初からネラッたものであることは、ビデオを撮影した保護者の声を視ると判ります。「教員養成機関でもある教育大のあり方として議論を呼びそうだ」などと、いつものように第三者ぶった言葉を使っていますが、元大阪府立高校長で、学校現場の国旗・国歌の指導実態をまとめた『学校の先生が国を滅ぼす』著者の一止羊大(いちとめ・よしひろ)さんの話を視れば、産経的結論はすでに出来上がっており、「議論」の余地はありません!

そういう意味で、用意周到に準備をして連携プレーをして、外部から圧力を加えようとしたのではないでしょうか!教育の「自主性」を踏みにじる暴挙と言えます。学校側もビビッてしまって、「改める方向で検討したい」などと屈服してしまったようです。

2.「国は平成11年に国旗国歌法を制定し、学習指導要領でも国旗掲揚と国歌斉唱の指導を明記している」とありますが、その際の議論を視れば産経の言い分が誤りであることは明らかです。以下をご覧ください。

「強制・義務化しない」と言って国旗国歌法を正当化した自民党政権のウソバレバレ!国権の最高機関冒涜! 2013-07-01 15:04:01 | 日記

「日の丸・君が代」の強制は違憲。東京地裁が画期的な判決を言い渡す

http://homepage3.nifty.com/zjr/topics63.htm

3.「昭和60年度から『国旗掲揚、国歌斉唱』に関する項目が新設され、不起立などでの処分者数は平成12年度の265人をピークに25年度は21人にまで減少。公立学校での教職員の国旗掲揚、国歌斉唱をめぐる対応は是正が進んでいる」とあるように、「是正が進んだ」ことで、日本の教育は、改善されたのか、産経は明らかにすべきです。

更に言えば、この言葉こそ、日の丸・君が代を国旗・国歌とすることで、自民党政権が何を狙ったのか、浮き彫りになります!それは、教育現場の自主性を奪い、上意下達の命令に従わせる意図をもった暴挙であったことです。国旗国歌化をすることで、「強制はしない」「生徒の自主性、思想信条表現の自由を尊重する」という原則が、一顧だにされていないことを視れば、この日の丸・君が代がどのような役割を果たしているのか、明らかです。

4.「国立大付属校は都道府県教委の管轄外のため、対応は各法人に委ねられている」とあるように、また「教員養成機関でもある教育大」でもあることから、「是正」が進んだ「公立学校」のように「是正」させていこうと言うことが最大のネライであることは明白です。

5.しかし、そもそも、こうした権力の意図を貫徹させるために、君が代と日の丸を使うという姑息な思想こそ、断罪されなければなりません!そのことは、以下の事例を視れば明らかです。

石原慎太郎氏「君が代は歌詞を変えて歌う」と発言 「斉唱が義務」の教員もそんなことが許されるのか? 2014/3/ 4 18:57 http://www.j-cast.com/2014/03/04198326.html

「歌いたくなかったら口パクやってろ」「君が代」処分で猪瀬都知事 2013年3月30日(土)http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-03-30/2013033004_04_0.html

「君が代斉唱」教職員の口の動きチェック 大阪の高校、「やりすぎ」か「当然」か 2012/3/13 20:32 http://www.j-cast.com/2012/03/13125329.html?ly=cm&p=all

義家ひろゆき - 東京都の猪瀬知事が入学式や卒業式での教職員のhttps://www.facebook.com/h.yoshiie/posts/178376858979097

6.そもそも、日の丸・君が代の意味・由来・歴史をきちんと学習していれば、とてもじゃありませんが、斉唱・礼拝などはできないのではないでしょうか!そもそも、長寿を祝う歌を歌い、五穀豊穣を願うということは、平和を祈願するものです。これを明治期の天皇制政府は人殺しの装置にスリカエ・ゴマカシたのです。この大ウソを学習することを、本来の「指導するものとする」としなければなりません!このような内容を学校で教えないのです!いや教えようとはしないのです。これこそ「自虐的」思想と言わなければなりません!

このようなスリカエ・デタラメ・大ウソが公然と主権在民主義をとる現代日本においても、平然と横行しているのです。産経の果たす役割は、犯罪です。このような殺人装置を反省もせず、強制する産経はメディアとしても憲法違反を教唆扇動するトンデモナイシロモノと言わなければなりません!国民的議論で「是正」を迫っていかなければなりません!

君が代・日の丸の、そもそもの意味、由来、明治期までに果たしてきた役割に対する冒涜と言わなければなりません。日本の歴史と伝統に対する敵対行為、冒涜と言わなければなりません!

五穀豊穣を願う日の丸の礼拝、長寿を祝う賀の歌君が代の斉唱を強制しなければならない成熟国日本を嗤う 2013-09-20 23:44:13 | 日記

 

産経 起立したのは卒業生たった2人…「国歌」着席のまま、曲だけ流す 国立奈良教育大付属中、入学・卒業式  2015.4.2 08:54更新

卒業式の式次第。「君が代」とあるが、斉唱のアナウンスはなかった

国立大学法人・奈良教育大付属中学校(奈良市)の入学・卒業式で、国歌斉唱が行われていないことが1日、学校などへの取材で分かった。式典では生徒らを着席させた上で「君が代」の曲のみを流していた。国は平成11年に国旗国歌法を制定し、学習指導要領でも国旗掲揚と国歌斉唱の指導を明記しているが、同校は過去十数年間にわたり、入学・卒業式での国歌斉唱を実施していない。教員養成機関でもある教育大のあり方として議論を呼びそうだ。

式は生徒が企画…

学校側は産経新聞の取材に「式は生徒が企画、準備するものとして定着しており、開式後に座って(国歌を)聴く形で続いてきた」と説明。「今後はきちんとした形に改めたい」とし、8日の入学式では国歌斉唱を行う考えを示している。

関係者によると、今年3月11日に行われた卒業式には約700人が出席。開式後に全員で起立、礼をして「着席」の号令で全員が席に座り、スピーカーを通じて君が代の曲が流された。その間、学校側は校長と副校長、教育大の学長と副学長のみが起立。生徒2人と保護者2人も、自主的に起立したという。

同校によると、国旗国歌法の制定前は、式典で国歌を流すことさえなかった。国旗掲揚と国歌斉唱の適切な実施を求める文部科学省の通知などを受けて検討した結果、着席しながら曲を聴く形になったという。

奈良教育大教職大学院教授(国語科教育)で付属中の松川利広校長は「付属中の伝統を継承、尊重するということで現在までの方法で続けてきたが、改める方向で検討したい」と述べた。

文科省が公表している公立学校教職員の処分状況では、昭和60年度から「国旗掲揚、国歌斉唱」に関する項目が新設され、不起立などでの処分者数は平成12年度の265人をピークに25年度は21人にまで減少。公立学校での教職員の国旗掲揚、国歌斉唱をめぐる対応は是正が進んでいる。国立大付属校は都道府県教委の管轄外のため、対応は各法人に委ねられている。

アナウンスもなし、唐突に流れる曲だけの国歌

3月11日に行われた奈良教育大付属中学校の卒業式。保護者が撮影したビデオには、異様な光景が写っていた

午前10時ごろ、卒業生が式典会場の体育館に入場。全員が起立し、一礼した。

「ただいまより卒業式を始めます」

開式を告げるアナウンスの後、「着席」の号令で卒業生が席についた。

式次第には「君が代」と書かれている。通常なら、ここで「国歌斉唱」の号令がかかるはずだ。ところが何のアナウンスもない。唐突に歌のない、曲だけの国歌が流された。

校長ら一部をのぞいて、学校関係者も着席したままだ。たまりかねたのか、卒業生2人と保護者2人が自主的に起立した。学校によると、卒業式で国歌を流した際に生徒が起立したのは今回が初めてという。

一方で「校歌」のプログラムでは「校歌を斉唱します。みなさん起立してください」と号令があった。卒業生は一斉に席を立ち、校歌を歌っていた。

ビデオを撮影した保護者は「入学式でもこういう状況だったのに驚き、(国歌斉唱を行うよう)学校に申し入れたが変わらなかった。教育大付属校でこんなことが続いているとは思っていなかった」と話した。

■いまだにこんな学校が

元大阪府立高校長で、学校現場の国旗・国歌の指導実態をまとめた『学校の先生が国を滅ぼす』著者の一止羊大(いちとめ・よしひろ)さんの話

「学習指導要領で卒業式等における国歌斉唱の指導が盛り込まれて20年以上が経過したが、いまだにこんな学校があるとは驚きだ。本来、教員は生徒に『国歌は起立して歌うべきもの』だと指導する立場なのに、座って国歌の曲を聴くだけとはひどい話だ。教育大学がこれでは、良い教員が育つはずがない。教員自ら起立して国歌を斉唱するよう、校長は教員を指導すべきだ」(引用ここまで

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憲法改悪を狙う天皇信奉者たちが「御名御璽」の前に「万歳」を叫んだ!「不敬」?議員失格?!

2014-11-21 | 日の丸・君が代

万歳三唱をやり直した天皇信奉者たちのタテマエとホンネを使い分ける狡さ!

今日テレビを視ていて、実に笑ってしまいました。それは「万歳三唱」の場面が違ってしまったからです。恐らく誰かが勘違いして「万歳」を叫んでしまった。それに釣られて、他の議員が付和雷同的に叫んでしまったのではないでしょうか。恐らく、叫んだ自民党議員(自民党議員席だけが万歳をしていたように見えた)は、前回の選挙の時に当選した1年生だったことと、1年生議員が多いため、恐らく、この「万歳」慣例を知らなかったのではないでしょうか。

伊吹議長の困った顔が印象的でした。しかし、過去の議事録を視ると、「御名御璽」の前に「万歳三唱」しているのです。そのことは下記の資料をご覧ください。そうなると、過去の「万歳三唱」が間違っていたことになります。そうなると、どうでしょうか?この「万歳三唱」というものは、実にいい加減なものだったということが判ります。それとも、国会には、この「万歳三唱」の規定があるのでしょうか?それは、恐らくないと思います。そいうことは、これは極めていい加減なものだったということになるのです。

ま、そういうことを考えるまでもなく、伊吹議長が『御名御璽』と読まないうちに「万歳三唱」が起こってしまって、議長は困っていたのが、実に締まらない場面でした。愛国者の邪論は、「万歳」の意味を考えると、そのことそのものをやりません。そこで、こんな「失態」「不祥事」を起こした自民党を皮肉りたくなり、この記事を書いているのです。それは、自民党の改悪憲法は天皇を国家元首とするものです。しかも、昨年沖縄復帰を祝う式典において、最後に、何者かが、「天皇陛下万歳」を唱和して、天皇自身がビックリしていたことを想い出したからです。以下ご覧ください。

天皇陛下万歳? 沖縄切捨て! 別世界に住む日本政府の政治屋と沖縄市民   2013/04/29 に公開 http://www.youtube.com/watch?v=feKGmXQJwhM

主権回復式典「陛下万歳」は「不祥事」なのか 公明・新聞・テレビが批判、韓国からも 2013/5/ 1 19:46  http://www.j-cast.com/2013/05/01174351.html?p=all

「主権回復の日」 天皇のお言葉もなし (田中龍作ジャーナル) - 阿修羅  2013年4月28日 http://www.asyura2.com/13/senkyo146/msg/872.html

「天皇陛下万歳!」に不快感·山口公明代表 - ライブドアブログ - Livedoor  2013年4月29日  http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/52958670.html

ということで、今回の「不敬」「不祥事」事件をNHKがどのように報道したか、ご覧ください。この事件を「反日」として非難する声が巻き起これば、自民党議員はどうするでしょうか?困るか、それとも「すみません。反省します」というのでしょうか?ま、そのようなことがないことの方が良いのです。それは、このような「不祥事」を起こした議員が、学校の「君が代」斉唱・「日の丸」礼拝を強制しないことを願うばかりだからです。「自由」の方が良いに決まっているからです。

NHK 恒例の万歳三唱 「異例」のやり直し  11月21日 18時31分 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141121/t10013396531000.html
衆議院が解散された21日の衆議院本会議で、恒例の万歳三唱をやり直す場面がありました。
衆議院を解散する手続きが行われる本会議では議長が解散詔書を読み上げたあと、本会議場で多くの議員が万歳三唱することが恒例となっています。
午後1時から開かれた衆議院本会議では伊吹議長が事務総長から解散詔書を受け取ったあと全員が起立し、「日本国憲法第7条により、衆議院を解散する」と読み上げたところで、議場から「万歳」という声が上がり、万歳三唱が行われました。
その後、伊吹議長が「御名・御璽、平成26年11月21日、内閣総理大臣・安倍晋三」という部分を読み上げ、「以上です。万歳はここでやってください」と発言し、再び議場から「万歳」の声が上がり、万歳三唱が行われました。
伊吹議長は記者会見で「解散は、あくまで天皇陛下の国事行為として解散詔書が出されてなされるもので、憲法7条によって衆議院を解散することと、天皇陛下の御名・御璽が押されていることを言わなくてはならず、その前に万歳や拍手をしては困る」と述べました。衆議院本会議の議事録によりますと、平成に入ってからの過去8回の解散の際には議長が「衆議院を解散する」と読み上げたところで万歳三唱が始まったということで、国会や与野党の関係者は「万歳三唱のやり直しは、前代未聞で異例のことだ」と話しています。(引用ここまで)

万歳って何?いつから?

万歳 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E6%AD%B3

万歳三唱令 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E6%AD%B3%E4%B8%89%E5%94%B1%E4%BB%A4

ばんざい【万歳】の意味 - 国語辞書 - goo辞書  http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/181181/m0u/

万歳とは - 歴史民俗用語 Weblio辞書  http://www.weblio.jp/content/%E4%B8%87%E6%AD%B3

解散と万歳 https://www.eda-jp.com/books/giin/20.html

衆議院解散!万歳と言うのは何故? http://www.uraken.net/zatsugaku/zatsugaku_66.html
いずれにせよ、こういう起源で万歳という習慣がはじまり、記録によると明治30年の第11回帝国議会解散時、議長が天皇陛下の詔勅を読み上げた際、議場内に「拍手起こり、万歳と呼ぶものあり」というわけで、これ以後、衆議院解散の時に景気づけで言うようになったのではないかと思われます。(引用ここまで

衆議院解散!リストラなのに万歳するのは何故?  更新日: 2014年11月21日  http://matome.naver.jp/odai/2135304934715143901

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ニュージーランド国旗変更国民投票が起こったら、日本のメディアはどう報道するか!日の丸は?

2014-09-23 | 日の丸・君が代

スコットランドから、今度はニュージーランドへ!しかも国旗、再び国家とは何か!が論じられる!

NHKが、以下のニュースを流しました!大変興味深いものでした。それは日本と関係があるからです。スコットランドの「分離独立」を「分裂」と報道した日本のメディアが、この国旗変更国民投票をどのように報道するか、今から楽しみです。

これは国民の歴史認識に係ることですから。どんどんやるべきことです。大英帝国の傘下の国か!それとも先住民アボリジニを尊重した国旗にするか!このことはそのまま、日本の「日の丸」にも当てはまることです。スコットランドの「分離独立」問題と「沖縄独立」論の関係、そして、今度は明治期において、「皇民化」政策を琉球と北海道で強制した天皇制日本が重なります。

命の大切を記していた日の丸を戦争の、人殺しの装置にスリカエた天皇制国家!

同時に、本来、「日の丸」は太陽信仰で、五穀豊穣・無病息災など、平和と安寧を信仰した庶民の「こころ」でしたが、近代になって、皇国史観と結びつかせ、戦争の道具に使った歴史があります。五穀豊穣は生命の尊重、生きるの尊重ですが、それが侵略と人殺しの装置として使ったのです。庶民のこころを人殺しに!スリカエていった歴史!これが鋭く問われることになるでしょう!

そうした歴史が、この二ュ―ジーランドの国旗問題でも問われなければ、日本という国の知的レベルが笑いものになるのではないでしょうか?2010年の東京五輪が恥ずかしいものになるでしょう!ま、ゴマカスことでしょうけれども!以下ご覧ください。

NZ首相 国旗変更の国民投票を  9月22日 20時33分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140922/k10014798841000.html
ニュージーランドのキー首相は、イギリスの国旗・ユニオンジャックが入った現在の国旗について、新しいデザインに変更するかどうかを問う国民投票を来年にも実施したい考えを示しました。
ニュージーランドでは、イギリスとの歴史的なつながりから、国旗のデザインにはイギリスの国旗・ユニオンジャックが入っています。これについて国民の間では、自分たちの国旗が必要ではないかとして、ユニオンジャックを外した新しいデザインに変えるかどうか長年議論となっています。ニュージーランドのキー首相は、22日、ラジオ番組のインタビューで「私は国旗の変更に大賛成だ。来年中にはすべての手続きを済ませたい」と述べて、国旗を新しいデザインに変更するかどうかを問う国民投票を来年にも実施したい考えを示しました。変更を求める国民の間では、スポーツの代表チームのユニフォームにも描かれているニュージーランドの植物、シルバーファーンを使ったデザインにすべきだという意見も出ています。
ただ、退役軍人で作る団体が「この国旗を掲げて戦い、命を落とした兵士たちのためにも変更すべきではない」と主張するなど、反対の声も根強く、今後、議論が過熱しそうです。(引用ここまで)

愛国者の邪論 日本の国旗とニュージーランドの国旗の役割はどうでしょうか?侵略の装置であるという自覚か、自存自衛の装置という自覚があるのはどっちでしょうか?ま、イギリスの国旗が植民地主義の象徴であることは、事実ですが、だからと言って日本も免罪でいるなどという思想と論理は、ドロボー免罪思想でしょう!

ニュージーランド - Wikipedia 
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89
1907年9月26日、イギリス連邦内の自治領となり、事実上独立した。第一次世界大戦では志願兵によるオーストラリア・ニュージーランド軍団 (ANZAC) を結成してガリポリの戦いに参加し、激戦を経験した。1931年にイギリス議会は、ウェストミンスター憲章を定め、自治領の独立を認めたが、ニュージーランド議会が独立を決断したのは第二次世界大戦を挟んだ1947年11月だった。第二次世界大戦では連合国側に立って参戦した。(引用ここまで)

ニュージーランドの国旗 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%97%97

なぜ?ニュージーランド首相が国旗変更を熱望してる 更新日: 2014年02月01日
http://matome.naver.jp/odai/2139104419354090901
ニュージーランドの国旗が変わる?なんでも首相が国民投票をしてでも変えたがっているらしい。でもなんでそんなに変えたいんだろう…(引用ここまで

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