震災で地域コミュニティーが崩壊した!?
「コミュ」=共同の実態を
情報伝達手段は垂れ流しているか!
沖縄・原発・被災地・ワーキングプアどう解決するか!
未だに避難民が約17万4千人もいる!
日本国民は、この事実とどう向き合うか!
全国の避難者等の数(所在都道府県別・所在施設別の数)
東日本大震災における震災関連死の死者数(平成27年9月30日現在)[平成27年12月25日公表]
地域の人との・被災地以外との
「絆」が弱まったのは何故か!
政治の無能・無策・無責任を
隠ぺいすることはできないだろう!
震災5年 「絆」は強まった? 弱まった? 3月6日 7時10分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160306/k10010433111000.html
私は正直言うとこの言葉が嫌い、というか苦手です。
なんとなく偽善ぽくて自分には馴染みません。
でも3.11震災以降、日本では事あるたびに「絆 きずな」と文字が躍ります。
絆とは、断つことの出来ないヒトとヒトとの結びつき。ほだしとのこと。
この断つことの出来ないって部分が何だか重い。
無理に繋がりを持とうとしているように見えなくも無い。
そんな「不自然な、シガラミ的な繋がり」が私に馴染まないのかもしれません。
そこでスルーするところだった「ほだし」を調べてみると、
- 人の心や行動の自由を縛るもの。自由をさまたげるもの。
- 馬の足をつなぎとめるための縄。
- 手かせや足かせ。
といった更なる締め付けの色が濃いのでした。
■「絆」の由来
由来もそういった締め付けから来ていました。
絆は昔、犬や馬など動物を繋ぎとめておく綱のことをいいました。
古くは平安中期の辞書「和名抄」に、そういった意味で用いられています。
絆はそういった離れないように繋ぎ止める綱から、人と人を離れがたくしている結びつきのことを言うようになったのだそうです。
語源は「頸綱 くびつな」「騎綱 きづな」「繋綱 つなぎつな」といったようにいくつかありますが、「動物を繋ぎとめる綱」という点で一致しています。
我々の生活においては、現代でも犬は重要な位置を占めています。
人間に忠実で頭がよく、しつけ次第では様々な芸や我々の生活の手助けまでしてくれます。
確かに自らの子供のように室内でかわいがる方も多いですが、その関係はやはりペットであり、主人と家来という主従関係。
ですから一般的なルールとして首輪の装着が義務付けされています。
我が家にも犬はおりますが、散歩に連れ出すときあまりいい気分はしません。
それが繋ぐ紐と首輪なのです。なんとなく自由を奪い、無理やり拘束しているように感じるからなんです。
■漢字の由来
更にこの漢字もなんとなく好感が持てません。
なんとなく人と人を繋ぐにはわざとらしい。
糸を半分に切ると書くと、逆に縁を切るようにも感じます。
そこで由来を調べてみると、絆は、糸と八と牛からできていて、いけにえの牛を真ん中で二つにして糸で絡めることを意味しているのだそう。
考えただけでゾッとしますね。
ここまで来ると、縁は縁でも腐れ縁な気もしてきます。
こんなことを書いてなんですが、震災の今年この漢字が今年を表す漢字一文字に選ばれたそうです。
多くの人が選ぶのですからきっと素敵な漢字、失いたくない日本人の心なのでしょう。
私はやっぱり好きになれないし、理解できませんが・・(引用ここまで)
結論からいうと「絆を深める」は間違いではありません。「新明解国語辞典」で「絆」を引くと、「現代のペルー人とその祖先との絆を深める」「日欧間の絆〔=修好〕を深める」「平和への絆〔=連帯〕を強める」などの用例が載っています。「絆を深める」「絆を強める」ともに使えることが分かります。毎日新聞でも両方使われていますが、記事データベースでは「絆を深め」が「絆を強め」の約4倍という件数となっています。
「絆」の語源は「動物をつなぎとめる綱」(新明解国語辞典)とのこと。「綱」だから「深める」ではなく「強める」が正しいとする意見も、それなりに説得力があります。しかし、語源的というなら、「動物をつなぎとめる綱」は取りも直さず「自由を束縛するもの」です。
したがって、かつてはこんな使い方がありました。
「こうした関係から生じる煩悩が原因になり、恐ろしい報いを受けることになりますからな、長い絆が付きまとわることですからな、絶対によろしくないことじゃ」(与謝野晶子訳「源氏物語」夕霧)
「絆」に「長い」が付いていることも興味深いのですが、それよりも、明らかに否定的なニュアンスで使われていることにお気づきでしょう。「長い絆」は源氏物語の原文では「長きほだし」となっています。「ほだし」は「きずな」とは別の「絆」の読みです。今でも「情にほだされ」という形で残っていますね。人情に引きずられて本来やるべきことができないという意味で、薄まったとはいえ「束縛」のニュアンスは残っています。
「絆」とは本来、そのように人を縛り付けるものでした。それが今、親子や親友など、親しい人と人とのつながりの意味に転じました。東日本大震災以降は「絆」が大合唱され、2011年の「今年の漢字」にも選ばれたのは記憶に新しいことと思います。もはや「絆」の本来の意味はほぼ失われ、「結び付き」「一体感」と同義とみなしてよいでしょう。そうであるなら「綱」の原義を重視して「強める」に執着することもなかろうと思います。
「結び付き」をやはり「新明解国語辞典」で引くと「結び付きを深める(強める)」となっています。また、「一体感を強める」と「一体感を深める」の場合、同辞典には用例がありませんが、どちらも使うことは経験上分かっていると思います。ただし、多分に感覚的な違いですが、「強める」の方がやや押しつけがましいと感じる人もいるかもしれません。それと同様、「絆を強める」より「絆を深める」の方がどちらかというと好ましい表現として、今後も使われていくのではないでしょうか。
ただ、東日本大震災に関しては「絆」の使用は減っています。