「障害者がいなくなればいいと思った」
「重度の障害者は生きていても仕方がない」
「障害者への無理解や社会の不寛容さを批判する声も相次いでいます」
「日本の社会が障害がある人たちに向けるまなざしそのものだ」
「社会の不寛容さに問題があるのでは」
「健常者も障害者も関係なく」
「すべての人が大切にされる社会を作らなければならない」
何がデタラメ社会を創ったか!全くスルーしている!
障害者への無理解や不寛容の社会
すべての人が大切にされていない社会
「憲法を活かす」社会の構築に向けて
「不断の努力」は実践されているか!
前文 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。○2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。○2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
第三十一条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
容疑者の殺害の仕方・言動を視れば
異常な事件の背景は極めて政治的だ!
政治的背景を
個人の問題に矮小化させ曖昧にすることはできない!
News Up
障害者殺傷事件 痛切な思いに共感広がる
7月27日 18時14分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160727/k10010610911000.html?utm_int=news_contents_news-main_001_relation_001
神奈川県相模原市の知的障害者施設で入所者などが次々に刺され19人が死亡した事件。事件の重大さだけでなく、容疑者の「障害者がいなくなればいいと思った」という趣旨の供述を巡っても波紋が広がっています。インターネットでは知的障害者の家族などで作る団体が出した緊急の声明に多くの共感が集まるとともに、障害者への無理解や社会の不寛容さを批判する声も相次いでいます。
事件を受けて、知的障害がある人と家族で作る「全国手をつなぐ育成会連合会」は緊急の声明を出しました。
声明は「容疑者は、障害のある人の命や尊厳を否定するような供述をしていると伝えられていますが、どのような障害があっても一人ひとりは命を大切に、懸命に生きています。事件で無残にも奪われた一つひとつの命は、かけがえのない存在でした。お互いに人格と個性を尊重しながら共生する社会に向けて共に歩んでいただきますよう心よりお願い申し上げます」と訴えています。
NHKのニュースサイトでは、この声明を伝えたニュースが、ネットでの拡散状況を示す「ソーシャルランキング」で一時トップになり、リツイート件数がおよそ400件に上りました。関係者の痛切な思いが多くの人の共感を呼んだことを示しています。
無理解や不寛容さに異議
ツイッターでも大きく注目された投稿がありました。
「『障害者なんていなくなればいい』という供述に賛同したり理解したりする人が一定数いるけど、障害者と健常者の境界なんて限りなく曖昧。これを許せば『役立たずは死ね』という結論に至るしかない。その『役立たず』にいつか自分も入ることになることには気づかないないままに」
この意見は広く拡散し、27日正午の時点で5000リツイートを超えました。
ツイッターには、このほか、「事件は我々がこれまで障害者をどう扱ってきたかの反映だ」といった投稿や「日本の社会が障害がある人たちに向けるまなざしそのものだ」といったもの、さらに、社会の不寛容さに問題があるのではといった指摘もありました。
障害者からの声も
さらに、障害があるという人たちも声を上げています。
「私は別に障害者として生まれたかったわけじゃないよ」
「私も障害者の1人。この怒り、どこにぶつけるべきでしょうか」
「障害者も頑張ってるし努力しているんです。人より劣ってるかもしれないけど人の何倍も努力しています」
1人1人が輝ける社会を
一方、こんなことばを引用している人もいました。
「この子らを世の光に」
これは、滋賀県にある県立の児童福祉施設「近江学園」の創設者の1人で、昭和43年に亡くなった糸賀一雄さんが残したことばです。
近江学園によりますと、このことばには「障害がある子どもでも、それぞれに個性があり命の輝きがある。それは一見、異質なものに見えるかもしれないし、ほかの人の目には映りにくいものなのかもしれない。しかし、そのささやかな光であっても、1人1人が輝ける社会になってほしい」という思いが込められているということです。
今回の事件について、近江学園の主任専門員、森本創さんは「弱い立場の人が狙われた事件で憤りでいっぱいだ。最近は、地域の人とも交流できるようにオープンな運営を心がけている施設が多く、そうした状況で事件が起きたのは残念だ。健常者も障害者も関係なく、すべての人が大切にされる社会を作らなければならない」と話していました。
抵抗できない障害者を狙った今回の事件。全容の解明はこれからですが、障害のある人もない人も共生できる社会をどう実現していくのか、改めて私たちに課題を突き付けています。(引用ここまで)