2013年11月22日(金)雨 9.4℃~4.1℃
モニターツアーの続きをもう少しアップします。
三津谷の連房式登り窯を見学して熱塩加納町の日中線記念館(近代化産業遺産)へ立寄る。モダンな欧風建築は時間を超えて郷愁を感じさせます。
1938年(昭和13年)に福島県側が開業したものの、典型的な閑散ローカル線であり、廃止時点で各駅に停車する1日3往復の客車列車が朝夕(朝1往復、夕方2往復)に運行されるのみで、「日中走らぬ日中線」「日中は走りま線」とも揶揄された。それらの列車は地元高校生の通学輸送が専らの目的であり、熱塩温泉への宿泊客・湯治客の輸送には全く利用されていなかった。 また、熱塩加納村にあった与内畑鉱山(石膏)・加納鉱山(銀・銅)の貨物線としての役割も担っていたが、1972年(昭和47年)に廃鉱となると貨物収入も減少していった。
機関車に接続した客車で喜多方市観光協会の方から説明を受け、コーヒーの接待を受けた。
固い木製の背もたれのある座席、上げ下げする窓、網棚、煤煙の匂い タイムスプリットしたようで懐かしい。
路線廃止後は会津乗合自動車(会津バス)が「千石沢(日中)線」として、喜多方駅前 - 日中線記念館前 - 千石沢で1日6往復運行していた。会津バスの既存並行路線を拡充する形で代替バスの運行を開始し、転換交付金を利用して新車の投入、増便、バス待合所の新築が行われた。同路線は利用客の減少により2008年(平成20年)12月1日からは全便日祝日運休となり、2012年(平成24年)9月29日の運行をもって全線廃止となった代替バス廃止後は喜多方市が運営するデマンドタクシーが運行されている。
駅舎の荒廃ぶりが話題に上ることもあったが、廃止3年後の1987年から旧・熱塩駅が整備の上、記念館として保存されている。また廃線跡は、旧喜多方市内ではサイクリングロード「日中線記念自転車歩行者道」として整備されている。
モニターツアーの続きをもう少しアップします。
三津谷の連房式登り窯を見学して熱塩加納町の日中線記念館(近代化産業遺産)へ立寄る。モダンな欧風建築は時間を超えて郷愁を感じさせます。
1938年(昭和13年)に福島県側が開業したものの、典型的な閑散ローカル線であり、廃止時点で各駅に停車する1日3往復の客車列車が朝夕(朝1往復、夕方2往復)に運行されるのみで、「日中走らぬ日中線」「日中は走りま線」とも揶揄された。それらの列車は地元高校生の通学輸送が専らの目的であり、熱塩温泉への宿泊客・湯治客の輸送には全く利用されていなかった。 また、熱塩加納村にあった与内畑鉱山(石膏)・加納鉱山(銀・銅)の貨物線としての役割も担っていたが、1972年(昭和47年)に廃鉱となると貨物収入も減少していった。
機関車に接続した客車で喜多方市観光協会の方から説明を受け、コーヒーの接待を受けた。
固い木製の背もたれのある座席、上げ下げする窓、網棚、煤煙の匂い タイムスプリットしたようで懐かしい。
路線廃止後は会津乗合自動車(会津バス)が「千石沢(日中)線」として、喜多方駅前 - 日中線記念館前 - 千石沢で1日6往復運行していた。会津バスの既存並行路線を拡充する形で代替バスの運行を開始し、転換交付金を利用して新車の投入、増便、バス待合所の新築が行われた。同路線は利用客の減少により2008年(平成20年)12月1日からは全便日祝日運休となり、2012年(平成24年)9月29日の運行をもって全線廃止となった代替バス廃止後は喜多方市が運営するデマンドタクシーが運行されている。
駅舎の荒廃ぶりが話題に上ることもあったが、廃止3年後の1987年から旧・熱塩駅が整備の上、記念館として保存されている。また廃線跡は、旧喜多方市内ではサイクリングロード「日中線記念自転車歩行者道」として整備されている。