横棒は鉄道レールのようだ。
絞首刑の様子を被収容者の目に焼きつけ恐怖心を煽るため
ナチスはここで公開絞首刑も行った。
3人の囚人の逃亡を助け
また外部と連絡を取っていたと
疑われた12人のポーランド人が、
この場で1943年7月19日
一緒に絞首刑に処された。
点呼責任者用の番小屋
元被収容者が1973年に描いた
「1941年の点呼の様子」
朝夕出入りした正門ゲート
SS隊員が人数を確認する様子が見える。
収容所は夏:朝4時半・冬:朝5時半から重労働が始まり
日没前に死亡・殺害された仲間の
遺体を担いで収容所に戻ったという。
労働の出入りの際
音楽隊の演奏する行進曲に合わせて行進させ
人数の確認を容易にしていたようだ。