ガス室/焼却場の見取図
1942年当時(左) 現在(右)
顔色などを見て 働けないと判断されると
シャワーを浴びるようにと指示され、洋服を脱ぎ
シャワー室に見せかけたガス室(図C)
にギュウギュウ詰にされたあと
天井の穴から噴射されたチクロンBで
15分~20分で殺害された。
部屋はカムフラージュのためのシャワーの蛇口まであった。
SS隊員はチクロンの投入後は手を下すことはなく
死体の運搬・焼却は被収容者の中から
選ばれた者にやらせていた。
しかし 彼らも口封じのため順次処分されていた。
また 遺体から金歯や指輪など換金されるものが抜き取られた。
ガス室はガスが抜けるのに時間がかかり効率が悪いと言うので
色々な殺し方を考え実行していたようだ。
焼却炉2基
隣には焼却炉(図d)があり
24時間フル稼働 1日100人もが焼かれた。
終戦間際 ソ連軍の進行が迫ってきたとき破壊されたが
3基のうち2基が 復元されている。