あかない日記

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ポーランド・ビルケナウ収容所 131 生活とアンネ・フランク 2

2018-08-30 | ポーランド紀行

 

当時の三段ベッド

ベッドには腐った葉が敷き詰められ
1段につき約8人が寝ていたそうだ。


 

 

 

連続して開いた丸い穴は
“カ
マド”かと思ったが「トイレ」だった。

トイレの使用は 午前・午後2回に制限されており
仕切りになるものもなく 一斉に使用を強制されていた。
痩せすぎて穴の中に落ちてしまう被収容者もいたそうだ。

上水道も下水道も整備されておらず
掘った溝に流していたようで

チフスや赤痢などの伝染病が蔓延し 
これにより死亡した者も多かった。



前回 アンネについて触れたが その後について

1944年11月 ソ連軍の接近に伴いアンネと姉マルゴーは
 母エーディトと切り離されて
ベルゲン・ベルゼン強制収容所(ドイツ・プロイセン州)へ
送られることとなり 
母エーディトとはここで最期の別れとなった。

到着したベルゲン・ベルゼン強制収容所も
 ここビルケナウ収容所以上に不潔で病が大流行していた。

また食料もほとんど与えられず
餓死者と病死者が続出する収容所だった。


こんな中 アンネはチフスに罹患して 
1945年2~3月?に命を落としたという。