当時の三段ベッド
ベッドには腐った葉が敷き詰められ
1段につき約8人が寝ていたそうだ。
連続して開いた丸い穴は
“カマド”かと思ったが「トイレ」だった。
トイレの使用は 午前・午後2回に制限されており
仕切りになるものもなく 一斉に使用を強制されていた。
痩せすぎて穴の中に落ちてしまう被収容者もいたそうだ。
上水道も下水道も整備されておらず
掘った溝に流していたようで
チフスや赤痢などの伝染病が蔓延し
これにより死亡した者も多かった。
前回 アンネについて触れたが その後について
1944年11月 ソ連軍の接近に伴いアンネと姉マルゴーは
母エーディトと切り離されて
ベルゲン・ベルゼン強制収容所(ドイツ・プロイセン州)へ
送られることとなり
母エーディトとはここで最期の別れとなった。
到着したベルゲン・ベルゼン強制収容所も
ここビルケナウ収容所以上に不潔で病が大流行していた。
また食料もほとんど与えられず
餓死者と病死者が続出する収容所だった。
こんな中 アンネはチフスに罹患して
1945年2~3月?に命を落としたという。