あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

東欧旅行(225) オブジェ

2013-07-16 | 東欧5カ国紀行

 

 

 日本は 例年よりも早く 梅雨明けになり 猛暑が続く。

 宿泊先の近くの通り端に 写真のようなオブジェを見る。

 夏の暑さには 子供達に喜ばれそうですね。

 因みに ベオグラードは温厚な大陸性気候で 平均気温は11.7度だが
 30度を越える日は30日ほどあるそうだ。 

 前回 偶像崇拝について話題にしたが

 思えば いままで いろいろな都市に行ったが
 公園や街角には犬や猫の姿がかならずいたものだ。

 しかし 
ここ市内では全然見かけなかった。 
 犬猫の放し飼い等も禁止されてでもいるのかな。

 


東欧旅行(224) マネキン

2013-07-15 | 東欧5カ国紀行

 

            右のマネキンは上半身だが 顔がついていなければよいとも 

 

   ベオグラードで宿泊したホテルの周辺を散歩する中で
  商店にマネキンが飾られていた。

  セルビアでは 三つの宗教があるが その一つ イスラム教では
  偶像崇拝がタブーとなっている。
 

  人形はおろか絵にも厳しく マネキンなどの人の形をしたものは禁止という。

  そのためか下半身のマネキンということのようだ。

  別に マネキンを崇拝するわけでもないのに 我々には少々理解できない。

  先日ニュースでは エジプトでもマネキンは禁止とされ
  デモの一つの理由になっているとも。



東欧旅行(223) VIP

2013-07-14 | 東欧5カ国紀行

 

                 サイレンを流しながら先導するパトカーに続く

  前回 サッカーワルドカップ予選で 警備のことを話題にしたが

  そのことで 我々ツアー一行は 地元警察からVIP並みの警護を受けた。 

  聖サヴァ大聖堂の見学を終え 宿泊先に向かおうとしたのだが 
  この周辺を警備にあたっていた警察官が このバスが
  外国人である日本人が乗り 
しかも試合の行なわれる
  スタジアム周辺を通過するとのことで

  本部と連絡をとり パトカーを手配してくれたのだ。 

  サイレンを鳴らしながら 先導するパトカーの後ろに
  ツアーバスが市内を疾走する。

  沿道の人々は何事か?と振り返る。 ほんのひとときVIP気分を・・・

  こんなバツアーは今までも無かったし これからもないであろう! 

 


東欧旅行(222) FIFAワールドカップ予選 

2013-07-13 | 東欧5カ国紀行

 

  

  我々が ベオグラードを訪れた日は 丁度
  2014年FIFAワールドカップ ブラジル大会・ヨーロッパ予選の
  セルビア 対 ベルギー戦が 市内の レッドスタースタジアム
  で行なわれるということで

  周辺の通りには 警察官が 5mおきに警備にあたっていた。

  試合は ”セルビア  0 対 3  ベルギー” で セリビが負けた。 
  この結果 ベルギーは Aグループ首位に浮上いている。

  しかし これほどの警備が必要なのかは 
  この日と同じ 2010年の10月12日

  イタリア ジェノヴァで行われたイタリアとセルビアの一戦では
  セルビア人サポーターの一部がフェンスによじ登りピッチに
  発炎筒を投げ込むなどしたために
  試合が中止されたことがあったからのようだ。



東欧旅行(221) 連邦宮殿

2013-07-12 | 東欧5カ国紀行

 

 

 車窓から見る ”新市街地”には新しい建物が建ち かつ近代的である。

 旧ユーゴ時代に「連邦宮殿」と呼ばれた国会議事堂が見えた。
 旧ユーゴ時代には必要と思われたこの大きな建物
 ユーゴが崩壊し 各々の国が自立していくことで
 もてあます建物になる。 

 2006年 セリビアからモンテネグロが独立し
 2008年にはセルビアの自治州でありながらコソボが独立を宣言している。

 2009年に セルビアはEUに加盟を申請したが
 EUはコソボとの関係改善が加盟条件とされている。

 そのタイムリミットが今近づいている。

 とういことで ますますセルビアは分割状態になり
 こんな大きな建物は更に必要なくなることに。

 将来は 旧ユーゴ時代の遺産として 世界遺産になるかもしれない。

 


東欧旅行(220) USCEビジネスセンター

2013-07-11 | 東欧5カ国紀行

 
                 高く聳える「USCEビジネスセンター」 手前は「ショッピングセンター」 

  
   ツアーバスは 新市街地をいく。
 全面ガラス張りのモダンなビルが見えてくる。


 しかし このビル 1999年4月21日 NATO軍による
 ミサイルによる空爆により 
炎上し廃墟となってしまった。

 当時 このビルは ミロシェビッチ当時大統領が党首を務める
 旧共産主義者同盟中央委員会が入っていたため
  “ピンポイント” で空爆を受けたようだ。

 現在は 改装され「USCEビジネスセンター」になっている。 

 また この新市街地には 当時 中国大使館があって
 誤爆により被害を受けて 今も破壊されたビルとして残されているとか。

 しかし 当時中国はユーゴスラビアに対し
 影で支援していたともいわれ 誤爆ではなかったのではとも・・・
 

 因みに 現在の日本大使館は この通りの1本南側の通りにある。

 


東欧旅行(219) レオグラード中央駅

2013-07-10 | 東欧5カ国紀行

 

  ベオグラード中央駅」はサバ川の河畔にあって 1884年に開業し

  行き止まりのターミナル駅になっている。
  1888年パリやプラハからベオグラードを通り
  イスタンブルへ行く オリエント急行が開始された。
  
  駅舎は 駅とは思えない東欧の雰囲気の佇まいだが
  ベオグラードの玄関として

  国際列車の発着のみとなっているので旅行客は多いが
  一般市民の利用は少ないようだ。

 


東欧旅行(218) レストラン「?」

2013-07-09 | 東欧5カ国紀行

  
        
             
       パーキング標識の向こうに 「?」のランタンが見える。

   
   「
セルビア正教大聖堂」脇のペータル1世通りに
  
    変わった名の レストラン「?」がある。

       

  
    この建物 ベオグラード旧市街の中でも最も古く

   1823年 ミロシュ・オブレノヴィッチによって 
     貿易相の館とし建てられた。

 
  バルカンスタイルで 
    1階は宿・カフェ 2階は居住用となっていた。
 

  そのカフェの名前は 何度無く変更されてきたが
 1862年に向かいのセルビア大聖堂にちなんで
 「大聖堂のとなり」と名づけたところ 
   聖堂側から “神を冒涜する” といわれ
 
    論争の結果 
    名前を変えることとなったが 適当な名が無いため
 とりあえず  疑問符の「?」としたそうで
 その名が、現在まで続いているとのこと。


 このレストラン 
   共産主義時代に国営になっている。

 しかし 2005年民営化しようとしたが 
 
市民団体の強い反対で中止されたそうだ。

 

 


東欧旅行(217) セルビア正教大聖堂

2013-07-08 | 東欧5カ国紀行

          

 

   前回 「聖サヴァ大聖堂」の話題でしたので 
  ベオグラードでもう一つ見学した「セルビア正教大聖堂」を

  この聖堂は カレメグダン公園の近くにある。

  セルビア正教の総本山で トルコ占領時代の教会建設禁止令が緩んだ際
  1840年に完成している。

  ネオゴシック様式にバロック建築の要素が取り入れられ
  ひときわ目立つ鐘楼は 表面が金で被われ
  セルビア公国の紋章が取り付けられている。

   壁に埋め込まれた「イコン」が印象的に残る。

  また この聖堂の真前には 「セルビア総主教座」がある。
  ここ周辺地域の発展は 旧市内でも最も古く中世時代から
  このベオグラードが発展していったところでもある。

     
              セルビア総主教座


 

   
 

 


東欧旅行(216) 聖サヴァ正教教会

2013-07-07 | 東欧5カ国紀行

 

 

   市内見学も すっかり夜になってしまった。

  今日 最後の見学 ブラチャル丘に そびえる「聖サヴァ正教教会」へ

  聖サヴァ正教教会は 世界最大規模の東方正教会の一つで
  東西92m 南北82m 高さ82mもある。
  ライトアップされ その存在に圧倒されるようだ。

  外観は イスタンブルのアヤソフィアに似ているようにも見える。

  1985年  教会の建設が始ったが 第2次世界大戦
  共産主義政権 旧ユーゴ紛争等と
工事が何度か中断され
  2003年にやっと外装は完成したが

  内部の装飾等の作業は バルセロナのサグラダ・ファミリア
  のように 現在も続いている。
  完成すれば 収容人数1万5000人のセルビア正教の総本山となり
  また「世界最大の正教寺院」になるとのこと。

  因みに セルビア正教会の創始者である 聖サヴァは
  1174年にセルビア王朝ネマニッチの設立者の三男
  ラストコ・ネマニッチとして生まれた。

  その生涯を修道士として過ごし(“サヴァ”は洗礼名)
  “啓蒙師、サヴァ”として セルビア人から崇められ
  学問の守護神としても知られているそうだ。

 

 


東欧旅行(215) 国会議事堂

2013-07-06 | 東欧5カ国紀行

 

  
   ツアーバスから 国会議事堂を見る。

  議事堂というよりは 聖堂のように見えたが。

  1906年 建設が始まり 第一次大戦のために
  1936年になってようやく完成し

  古典主義と ルネッサンス を組み合わせた様式となっている。

  建設当初は セルビア王国議会のためであったが
  完成時には クロアチアやスロヴェニアをあわせた
  “ユーゴスラヴィア王国”の議会となった。


  玄関には セルビアの彫刻家ロサンディッチの傑作
  「黒馬が戯れていた」があり

  人間と自然の力比べを 象徴しているといわれている。


東欧旅行(214) テラジイェ通り

2013-07-05 | 東欧5カ国紀行

 

 

  車窓から「Canon」の看板が見えた。

  日本の企業の看板がセルビアで見られるとは。

  ここは 「テラジイェ通り」という。

 ベオグラードの番地は 札幌市と同じように
  街路に沿って番地が割り振られ
 「テラジイェ」に近い側が 若い数字となっているのだそうだ。

  また かつては ここ周辺は 大きな広場で
 サラエボでも紹介したが 
 「水の塔」(トルコ語で“テラジイェの泉”)もあったが
 その後の共産主義体制のもとで 縮小改造され
  広場は 分断しまったそうだ。

 


東欧旅行(213) チトー大統領

2013-07-04 | 東欧5カ国紀行

                                      

                     車道の真中で堂々のキス

 
 「ユーゴと言えば チトー  チトーと言えばユーゴ」といわれ

 チトー大統領は 第二次世界大戦から1980年 87歳その死まで
 最もユーゴスラビアに影響を与えた政治家であり
 また 大統領 ユーゴスラビア共産主義者同盟の指導者であり
 国民の英雄として 統合の象徴として愛された。

 本名は ヨシップ・ブロズ 
 
「チトー(Tito)」という名前は 「お前(Ti)があれ(to)をしろ」

 という文章から取られたもので 冗談のネタにもなっている。 

 そのチトー大統領の墓が 
 ベオグラード市南部、旧市街を見下ろす高台にあり

 「花の家」と呼ばれ 生前彼が愛した温室の中にある。

 チトーが目指した ユーゴスラビアの
 “民族の融和”“自主管理社会主義”などの理想は

 今は過去のもとなり 死後、彼に対する評価は下がり
 人によっては

 旧ユーゴを分立させる原因を作ったのも彼だといわれ
 国内外において その評価は異なっている。

 時代は過ぎ 写真のような風景も見られるように
 
 一般市民からも その存在は 消えつつあるようだ!。

 ツアー一行は 「花の家」のゲートまで行くが とっくに陽がくれ
 時間外で見学はできず 
逆に 衛兵か警察官かに
 ここを去れといわれてしまった。

 


東欧旅行(212) 国連特別代表

2013-07-03 | 東欧5カ国紀行

               
                          前回の写真は不鮮明であったので 資料から

   

   ここで この空爆 5年前の話ではあるが 
  1994年 ユーゴスラビア紛争の収拾のために
  尽くした日本人を思い起こす。

  その人は 明石康 国連の旧ユーゴ問題担当・事務総長特別代表だ。

  国際連合保護軍の最高指揮権を附与されたが
  ボスニアにおいて攻勢を強めるセルビア人勢力への対応について
  国連やNATO軍が反セルビア色が強くなる中で
  中立的な立場で対応したため 十分な活躍を発揮し得なかったようだ。
 

  ガイドの説明では 
  「今のセルビア人は日本に対する親日度はとても良い」とのこと。

  この明石さんの活躍のこともあるのかもしれない。

  しかし 「セルビアには中国人が2万人も居るが
  日本人はまだ100人ほどで

  中国人によく間違われことが多い」とも。 

 


東欧旅行(211) 空爆

2013-07-02 | 東欧5カ国紀行

         

                    写真の写りが悪く申し訳ありません。


  前回の「クネズ・ミロシュ通り」の話題にした 空爆のビルがあった。

  1999年3月24日から6月11日までの78日間に 
  戦闘機約1000機 爆撃回数延べ3万5千回にわたり 
  ここ首都ベオグラードはNATO軍の空爆を受けている。

  その 4月29日には 主に官庁街が標的として
  過去最大規模の空爆があり

  当時 このビルにコソヴォ内の軍や治安部隊を指揮する
  連邦府軍の本部があったことから
 ミサイル攻撃を受けて炎上した。 

  そして 今も 戦争への戒めか 「セリビアの文化遺産」(2005年)として
  街の真ん中に堂々と無残な姿をさらして建っている。