あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

台湾紀行(46) 鳳山旧城

2013-10-16 | 台湾紀行

            左営大路と鼓山三路の交差点にある「南門」(啓文門)

   蓮池潭の西側一帯 昔 鳳山という集落があった。

   清の時代 清の軍隊が 1722年 ここに築城し東西南北に門を設けた。
   それまでは台湾が海に囲まれていることから 城の建設をおこなわなかったが
   朱一貴の乱の勃発を機に 築城した。
   しかし 1786年の林爽文の乱で落城すると鳳山に移築した。
   その後 再び落城し 1825年に現在の場所に再建されている。
  左営は「鳳山旧城」 鳳山市の方は「鳳山新城」と呼ばれている。

   現在の鳳山旧城は 北門(拱辰門) 東門(鳳儀門) 南門(啓文門)と
   西門(奠海門)の城壁の一部が残っている。

  台湾最初の石造城郭として 保存状態がよく 国家1級古跡に指定されている。
   当方が高雄市内に向かう途中に目にしたのは 南門と城壁であった。

   蓮池潭と共に 清朝の鳳山八景の1つとなっている。

 


台湾紀行(45) 慈済寺

2013-10-15 | 台湾紀行

 

  「龍虎の塔」の真向かい 道を挟んで「慈済宮」が建つ。

  この寺には 医術に優れ 沢山の人を救ったという
  「保生大帝」が祀られている。


  保生大帝は 宋時代の名医で 一生医者として世の人々を救い
 助けた人は無数であった
ことから 後に 神格化され 医神として奉られた。

  また 龍の目に薬をさし 虎の喉の痛みを癒したなどの伝説もあることから
  龍虎塔が建てられている。

  堂内は 鮮やかな朱色の柱が立ち金装飾の祭壇には大帝 
  その両脇には 「曹府千歳」と「朱府千歳」が祀られている。

 


台湾紀行(44) 蓮池潭

2013-10-14 | 台湾紀行

 

 

   ツアーバスは いよいよ高雄市内に入る。
  最初の見学は

   高雄の中心部から北に約10kmの左営区にある 「左営蓮池潭」 

   全長1.4Km 周囲約5km 水域面積は75hもある淡水湖。 

   その湖畔に建つ 一対の7層の「龍虎塔」が 直ぐに目に入ってくる。
   向かって 左側の塔には 大きく口を開けた“龍” 右には“虎”がいる。

   台湾の人は 十二支の中で 「龍が最も良い動物で 虎が最も悪い動物」と
   信じているところから 龍虎塔に入る時は 必ず 龍から入場し
  虎の口ら出たら 善人になれといわれている。

   しかし 生憎 “龍”は お化粧直し中で その姿が見えなかった。

   しだれ柳と 塔の影が湖面に映えて絵になる。

   かつては、池の中にたくさんの蓮の花が植えられ
  夏になると 蓮の花で満開となることから 「蓮花潭」とも呼ばれていた。

   この湖の周囲には、「孔子廟」 「五里亭」や「北極玄天上帝像」なども見える。

 


台湾紀行(43) 加油

2013-10-13 | 台湾紀行


                                新楓港にて


              花蓮にて   

  前回「高速公路」の話題でしたので
  ここでは 車に必要な「ガソリン」の話題を 

   台湾の街角で ガソリンスタンドが最も多く見られたのは「台湾中油」。
   「中油」とは中国石油の中抜きの略称。
 
  また 看板の「加油」は給油で この場合は“がんばれ”ではない。
   台湾では セルフサービスのスタンドを
  見かけなかったので まだ少ないようだ。

  油種は「98」「95」「92」と柴油(ディーゼル用軽油)があり
  数字は ガソリンのオクタン価を表示している。
  日本のレギュラーガソリンに相当するのは「95」で ハイオクは「98」。

  因みに レギラー「34.0」とあるから 3.5円を掛けて 119円ですので
 日本よりはかなり安いですね!



台湾紀行(42) 高速公路

2013-10-12 | 台湾紀行

            

  

     ツアーバスの移動中 高速公路を通って お世話になったので
 
     ここで 台湾の「高速公路」についての話題に。    

     台湾の高速道は 大まかに台北から高雄へ南北に延びている
     主線は奇数とし 
1号線(中山高速道路)と 3号線(フォルモサ高速道路)が
     走っており
 東西方向の道は偶数が また その支線には甲乙丙・・・
     が割り当てられている。

     台湾の高速道は 有料ではあるが 
   日本のように完璧な料金体制ではないようだ。
   出入口に料金所はなく 本線上に料金所がおおよそ40kmに
   1か所設けられている。
 

   その料金 普通車は1kmあたり4円程度(日本は約25円)を支払う。
   しかし 混雑する時間帯は無料としている。

   こういったシステム 日本にもあって欲しいですね。


台湾紀行(41) 台南空港

2013-10-11 | 台湾紀行



   台南空港
は台南市南区に位置する空港。

   中華民国空軍第443戦術戦闘機連隊により管理する軍民共用空港。
   亜洲航空が本拠を置く。
   日本にも軍併用空港があるが 代表は石川・小松空港だ。 

   台北松山空港から約45~60分    
    (復興航空1日6便 遠東航空1日2便)。

   国内線  馬公(立栄):日4便 金門(立栄):日3便

   国際線 香港(チャイナエアライン):週3便

    だが チャーター便の利用が多い。

 


台湾紀行(40) 「双十節」・徴兵制度

2013-10-10 | 台湾紀行

    
       祝!「国慶節」 別名「双十節」
  
今日10月10日は 台湾の建国記念日で祝日
   辛亥革命の発端になった1911年10月10日 国父・孫文が武昌で蜂起したことを記念し
   10が重なることから双十節ともいう。
     因みに 当方の勤め先も ”創立記念日” で今日はお休みしております。

    台南市内を南下 「台南基地」 が右手に見えてきた。
   
   基地と言えば 台湾の兵士は「徴兵制度」による。


   台湾では、中国の軍事的脅威と向き合うため
   18歳以上の男性に兵役の義務がある。

   兵役期間 以前は2年間だったが 現在は1年 
   さらに2015年には徴兵制は廃止となり 

   志願制へ全面的に移行する予定にしている。

   1年では実際に兵士として育つには短く
   「戦える軍隊の機能を有しない」ということから

   志願制になるとはいえ 少子化の影響があって
   本当に集まるかどうか懸念視されている。 

   一方 社会人対象の志願兵採用数2464人のうち
   男女の割合は1対1に近く 
2012年は女性枠800人に対して
   5000人も応募しており

   女性の入隊意欲が高いのは 軍の仕事の待遇のよさと
   将来性があるからだと。      

      この8月3日には 台湾の徴兵男性が7月に上官らによる
      虐待を受けて死亡した事件が分かり
10万人以上が
     台北の台湾総統府前で座り込みのデモを実施したことがあったが
 

      死亡した男性は 部隊の 管理体制を批判し
      上官らの恨みを買ったとみられている。



 


台湾紀行(39) 全台首学

2013-10-09 | 台湾紀行

              「全臺首學」とは「台湾で最初の学校」という意味

    ロータリーから 孔子廟の南門前にさしかかる。 

   孔子廟は 台北市にもあるが 台南の孔子廟は
   オランダ統治から開放された 清朝末期の1666年に
   台湾で最初の孔子廟が鄭成功の息子の鄭経により創設され
   台湾最古で 台湾における儒学の発祥の地でもある。

   敷地内は 市民の憩いの場にもなっている。
   全部で  15ある建造物の一つ「以成書院」に
   大正12年に皇太子時代の昭和天皇が訪れている。

   毎年9月28日には「孔子節」の祭典が古式にのっとって行われている。

   1983年 国家一級古跡に指定された。      

       赤坩楼にもある 「文昌閣」が見える。 こちらは
       1階が四角形 2階が円形 3階が八角形になっている。

 

    


台湾紀行(38) 台南測候所

2013-10-08 | 台湾紀行

   

  前回の「台湾南区気象中心」の右隣に
  気象観測に用いられた建築物「旧台南測候所」がある。

  日本統治時代の初期1898年に作られ
  大型建築物の一つとして知られており

  台湾における現代気象観測の普及の地でもあった。

  正十八角形の建物の中心から高さ6.5mの白色の塔が伸びており
  その形から「胡椒管」とも呼ばれている。
   (塔の最上部まで含めた高さは約11.6m)

  戦後は 「台南気象局」に改められ 1947年観測が再開された。
  その後 複数回の名称変更を経て 
   1977年から中央気象局台南気象站となり

  1998年 実務は新たに隣に建設された新庁舎に移された。

  現在 館内には かつて使用された測候機器や資料が
  多く展示されており 1998年に台南市によって市定古跡に指定され
  2003年には国定古跡になっている。

 


台湾紀行(37) 八八水害

2013-10-07 | 台湾紀行

              台南市にある「交通部中央気象局 台湾南区気象中心」

  先の話題「大地震」に次いで ”自然災害”についての話題になる。

   今日現在も 台風23号が台湾を直撃している 被害が出なければよいのだが。

   丁度  4年前 2009(平成21)年8月 台風第8号(莫拉克・モーラック)
  もたらした豪雨により 台湾南部で大規模な水害が発生し
  死者 681人 行方不明 18人などの被害が出た。
     

  台風は 8月7日深夜 東部の花蓮市付近に上陸。 
  嘉義県阿里山では 8月10日に積算で3000mmを超えるなど
  各地で記録的な雨量に達した。


  高雄県小林村(現小林里)では 
  8月9日早朝 付近の山の“深層崩壊”による土石流で
  川沿いの集落の大部分が流され 
  さらに 天然ダムが発生して決壊し 集落全体が壊滅し

  死者約500人 逃げ延びた住民は数十人にとどまった。

  台湾では1959年8月の「八七水災」50年来の
  大規模な水害で 「八八水害」 と言われている。

  日本でも大きく報道されており 当方もその記憶はある。

    


台湾紀行(36) 台湾文学館

2013-10-06 | 台湾紀行

             消防署と違ってこちらは重厚で落ち着いた「国立台湾文学館」 

  市の中央ロータリーに
  台湾初の国家規模の文学博物館「国立台湾文学館」がある。

  この建物は 1916(大正5)年日本統治時期の「台南州庁」として建てられ
  日本の建築家 森山松之助 の手がけた西洋歴史建築様式で
  台湾総督府及び監察院と共に台湾における
  有名な建築の一つで 国定文化遺産になっている。

  本館の大部分は 戦争や老朽化のため 1997年から修復作業が行われ
   2003年に「国立台湾文学館」として開館した。


  台湾文学の発展に関する展示室が設けられている他
  文学図書館 児童文化図書室 文学体験室などが併設されている。

  收書の中には 台湾に影響を与えた文学として
  日本の川端康成から村上春樹まで

  幅広い年代にわたってあるとのこと。

 

 


台湾紀行(35) 消防署

2013-10-05 | 台湾紀行

                                  左屋上に望楼が見える。 

   台南駅から中山路を南西に600mほど進んだところにロータリーがあり
   その周辺には日本統治時代のレトロな建物が目白押しに集まっている。 

   その一つ 「旧台南合同庁舎」 

   日本統治時代の1938(昭13)年に建てられ
   消防署と警察署が入居する合同庁舎だったが
   
現在は 「台南消防署」として健在だ。

   写真では見えないが 正面の望楼には
   「119」の番号が表示されている。

   日本統治時代からの「119番」は 
   今でも台湾の消防署の消防・救急車の番号として生きている。 

   因みに 警察も110番で 中国も同じです。

 


台湾紀行(34) 台南市

2013-10-04 | 台湾紀行

 

  ツアー訪問都市 4番目の台南市 その歴史は

  かつて 台湾南部はオランダに占領されており 台南はその拠点であった。
  当時 台湾北部は スペインに占領されていたが 
  オランダがスペインを台湾から追いだし 台湾を支配する。


  今度は 中国本土から渡ってきた 鄭成功 により
  オランダ人が撃退された結果 その植民地支配は1661年に終結する。
  その後 鄭成功は38歳の若さで死去し 政治は清朝が司ることになる。


  1885年に台湾の首府が台北に移るが
  1661年から1885年までの224年の間 台南が台湾の首府であり
  政治 文化の中心であった。

  台南は 歴史のある古都であり それだけに観光スポットも
  200を超す寺廟や名跡・旧跡が多くある。


  台南は 台北とは異なり 熱帯性気候に属する土地で
  人口約 187万人が暮らし 景観も台北とは違っており
  街の雰囲気は南国ムードが漂う。

 

 


台湾紀行(33) 文昌閣

2013-10-03 | 台湾紀行

   
      赤嵌楼の左隣に「文昌閣」が並んで建っている。

   1886年に建築されたもの。

   屋根が弓なりに曲がった形が 中国式建築様式で
   特に屋根の軒先が緩やか空に向かって延びていくのが特徴。

   戸口の「文昌閣」の額は 清代に台湾知事を務めた 沈受謙 の肉筆。

   堂内には 清代の試験用紙など色々な文物が展示されている。

   2階には 有名な学問の神様「魁星爺」が奉られている。。
   日本でいうところの天神さん「菅原道真」で 
   多くの学生が合格を祈願している。

   日本の文房具店や印刷会社など屋号にも
     この「文昌堂」の名が 多く使われていますね。



 


台湾紀行(32) 羽鳥又男

2013-10-02 | 台湾紀行

                               

 

  赤嵌楼の裏側の軒下に銅像があり 台座に日本語の説明文があった。

  この胸像 日本統治時代の1941(昭16)年から1945年の終戦までの
  最後の台南市長であった「羽鳥又男」(1892~1975)の胸像である。 

  台南は 明代の寧清王の御所であった大天后宮
  台湾最古の孔子廟、鄭成功らを祀る延平郡王祠 五妃廟 
  別荘北園別館 開元寺の釣鐘など数多くの建造物等が残されて
  今 古都・台湾の京都とも呼ばれているのは
  羽鳥又男が戦時中それも末期に 巨額の費用を総督府から引き出させ
  歴史建造物 遺物保存に力を入れ保護したことによる。

  その顕彰としてここに置かれていた。
  ここにも 先の話題にした「八田與一」的 日本人がいたことに驚く。

  しかし 以前は中堂の中に置かれていたようだが
  訪れたときは 堂の裏の軒下に置かれていた・・・。 

  また この像と同一のものが  
  羽鳥の生まれ故郷・群馬県勢多郡富士見村にもある。
  羽鳥の生誕100年を記念して
建てられている。