アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

それで、私の「メシの種」は

2011年04月28日 | 中学生活
例えば、「医者になりたい」と思って、そのためには医学部に入ろう、医学部に入るためには…というふうに、勉強を積み重ねていくのがトップダウン(?)方式だとすれば、これは、確かにストーリーとしてわかりやすいんだけど…

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みんながそういう道にハマるわけじゃないし、ハマるべきなのですらない。

何かのきっかけで、ふと手にした「メシの種」は、たぶん本人も気づかないうちにいくつか手持ちがあって、その中でどれかひとつか二つが、うまく栄養と水を得て育っていく。そしてなんか気が向くほうに漕いでいるうちに、合う仕事にたどり着く(そして、実りを刈り取る)。

そんな人生もありだと思う。というか、こっちのほうが実際には多いんじゃない?? でも、「大きくなったら何になる」というのをはっきり持ってるほうがなんとなく偉いムードがあるんだけどね(^^;;

ま、いいじゃないですか。人は人。

「種」が何だったのかっていうことは、振り返ってようやくわかることが多いんだと思う。

私の場合は、
「中学のときの国語の授業で、文法に感動した」
というのが、いちばん元にある「種」だった(その種を撒いた土壌は、「活字中毒」)。それでいて、理系フレーバーに馴染んでいたところがその後の種の育ち方に大きな影響を与えた格好になっている。

後から考えると、自分の興味・関心と、それから適性とでいえば、「言語学」というあたりがストライクゾーンだったような気がするんだけど、大学にいくときはなにしろ試験科目の都合(*)などから理系にいこうとしてたし、第一「言語学」なんてものの存在は私の視野には入ってなかったから思いつきもしなかった。

もし、思いついていてそっちに進んでいたらどうなっていたのか?? 今となってはまったくわからないし、今実際にやっている仕事から考えると、言語学をきちんと勉強してあるより、なんか怪しげな理系ゴロ(謎)として卒業したのが幸いした部分も多いので、結果オーライとは思っているけど、そっちの道はそっちの道で、別の仕事に流れ着いていたのだろうから、どっちがよかったとかそういう話ではない。

いわば、パラレルワールド!?

そう、なるようになるんだよ、たぶん。冒頭に挙げた例のようなトップダウンタイプと違って、先が見えない分、不安だとは思うけど。「大きくなったら何になる」かがちっともわからなくっても、いつか大きくなって何かになってるから。

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(*)単に、社会が苦手であるということ。
コメント (4)
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