アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

自分のピアノに指揮して弾く人

2011年05月21日 | ピアノ
鍵盤うさぎさんのブログでいいものみた~(^-^)

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ランランの「熱情」は京劇だ!という記事で。そこの動画が超~おすすめです。
鍵盤うさぎさんの、京劇の絵を重ねるセンスもすばらしいわ。

それで、このパフォーマンス的(ご本人は別にパフォーマンスとしてやってるわけじゃないんだろうけど)熱情を見ていて(←聞いていてといわないあたり)思ったんだけど、ランランは自分のピアノに指揮してますよね。片手が空けばすかさず…という感じで。

同じく、指揮してる人で私が思い出すのが、グールド。私が持っているDVDで、グールドがバッハを録音しているところとか、インタビューとかをまとめたのがあるんだけど、もう、指揮しまくってる。片手が空けば指揮…もちろん歌はずっとうたってるけど(^^;; グールドは、生演奏しているわけでも、テレビ放映しようとしているわけでもなく、まったく「ビジュアル的におもしろく弾こう」と思っているはずはないので、純粋に自分の演奏のために自ら指揮をしているのだろう。

あ、ランランの場合は顔の表情でも指揮してる感じですね。指揮者の人で、指揮棒のほか、顔の表情でも指揮してるタイプの人がいるけど、あんな感じ。

ピアニストでも、こんな無駄な(笑)動きはなくて、しずーかに弾いてる人もいるけれど。とにかく演奏そのものが無表情でたんたんとしているわけではないので、少なくとも頭の中では何か音楽の流れを仕切っているものがあるはず。

指揮だったり、歌だったり、顔だったり…

私の師匠もわりとオーバーアクションな人で、指揮はうまかった(かなり本格的に指揮法も勉強したらしい)ので、私のピアノのノリが悪いときはよく指揮してくれた。先生が指揮してるときはわりといい感じで弾けたりするんだけど、一時力(いっときぢから)というか、指揮がなくなると元の木阿弥なの。自分の中から出たものじゃないからかな。ご自分ではよく何かイメージを描いているといってました。というか、具体的なイメージを描くように、しつこく薦められて…それで私が挫折したともいうけど…

先生はよく植物のイメージを使っているそうで、つる植物かなにかが、こう伸びて…またこう伸びて…みたいな、音と連動して成長するビジュアルイメージがあるそうです。水のイメージを使う人もよくいるとかで、なんでも先生の先生(日本の大学に通ってたころの)は水モノを得意とする人で、わりと生徒にも自分のイメージを押し付けたから、それがトラウマで今も水モノは苦手なんだとか(^^;; それを反面教師にしていたので、私に対しても「こういうイメージで弾け」という押し付けは決してしなかったんだけれど、だからといって「(オリジナルの)何か具体的なイメージを持ちなさい」といわれでもどうしていいかわからなくて困ったというか。

ビジュアルでなくてもストーリーでもいいらしいけど。これまた、先生は非常に詳細な「例」を語ってくださるのだが、こちらは自分で思いつかないっていう問題がひとつと、ストーリーまでは先生作のものをたとえば輸入するにしても、それと弾く行為が結びつかないという問題がひとつ。

だから、イメージとかストーリーとか一気に欲張らなくても、むしろ指揮をするようなつもりで、旋律が上がったり下がったり、和音が明るくなったり暗くなったり、そういうのをあるがままに、線が空間の中を上がり下がりして模様を作っているような抽象的なままでいいから、とにかく今はこんなふうと思って弾く。それだけでも、ぼーっと弾いてるよりはよさそうだってのが、ようやく、ピアノを習わなくなってから思うようになったことです。

ブラームスとかは、それがわりと自然にできたかなぁ…最初にその感触をつかんだのは、一回目のピアノWeb発表会のとき。「見開き二ページの世界」のラベルね。あれは、そのときの私の演奏としては相当マシな部類で、どうマシかというと、別にピアノとしてうまいとかそういうことではまったくなくて、ただほんのちょっと、つまらなくない演奏に向かっている雰囲気かな。

まだ何十年もピアノ弾くと思うし、だんだんと「何か」が演奏に表れたらいいなと思います。

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コメント (4)
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