「決マネ」シリーズの三巻を通して、私の心を最もわしづかみにした科学史ネタは…
←「決マネ」は学習漫画だったのか!?
ジョン・ハンターでした。
誰それ、知らんがな、って、私も「決マネ」読むまでまったく知りませんでしたけど知名度低いですよね??
種痘の発明で有名なジェンナーはハンターの愛弟子です。
ハンターは、まぁ強いていえば外科医なのかな、たとえばこんな手術を考案しています。
当時、馬車を操る御者の職業病みたいになってたのが膝下動脈瘤で、これ、大きくなるのをほっとくと破裂して死ぬし、死ななくても痛くて歩けない(当然仕事にならない)しで、大変なんだけれど治療といったら足の切断(!)しかなくて。しかし、麻酔はもちろん消毒の概念もない時代ですよ。足を切断したらやっぱり死ぬかも。
ハンターは解剖しまくってた人で、体の中の仕組みにはめっぽう詳しかったので、動脈瘤に行く手前の動脈を縛って、その先への血流は側副路が成長するに任せるようにすれば治療できると思ってたんです。けどそうするとたいてい既に脆くなってる血管が破裂しちゃってうまくいかない(つまり死ぬ)。
それで、場所を変えて、足の付け根の血管を縛ったらどうかということで、
切って、動脈を露出させ、その四か所を糸でしばり(だんだんゆるくなるように)、その糸は外へ垂らしたまま、傷口を閉じ、包帯で巻く。
ハンターはこの全工程を5分以内で終わらせた(o_o) 後日、腫れが引いたあと糸を抜き(なんか抜くとこも想像すると怖い、というか痛い)…六週間後に御者は自力歩行して退院し、その半年後には仕事に復帰した。
器用で素早いメスさばき、卓越した観察眼、関連のあることを結びつける洞察力、どこをとっても優れた外科医だけど、彼がすごかったのはそこだけじゃない。
当時、自発的な遺志により死体が提供されることもなかったので、縛り首になった人の死体に外科医関係者が群がるような事態だったのだが、ハンターはそのざっくばらんな(田舎っぽい、ワルっぽい)人柄により、そういう人脈(具体的には墓泥棒)にめっぽう強くて、ハッキリいって死体確保で彼の右に出るものはいなかった(怖)
彼の屋敷には、表通りに面した入口と、裏通りに面した入口があって、表は華やかな社交界に通じていて、裏には夜毎怪しげな荷物(人・動物問わず死体)が運び込まれた。この二面性ある屋敷がジキルとハイドのモデルになったんだとか。
ハイドン先生は、その社交界方面から来て、ハンターの妻の魅力にぞっこんでしょっちゅうこのジキルハイド屋敷に来ていたらしいのだが、彼は持病のポリープが痛くて、それでいったんはハンターの手術を受けるという話になった。でも、さぁ切るぞの最後の瞬間に怖くなって遁走(^^;;
まぁ今の時代だって手術怖いし、この時代の手術はその比ではなく、しかも多少なりともハンターの妻に横恋慕的なゲスい気持ちがあったら怖いどころじゃないよね。
ほかに有名どころでは、アダム・スミスさん(国富論の人)は痔を治してもらって感謝感激だったみたい。
ハンターのおもしろいところは、そんなに切るのがうまいのに、やたら切るのではなくて、自然治癒力を信じ、外科的介入は最小限にすべきという信念を持っていたこと。従軍医師をしていたとき、外科医の仕事といったら傷口を切り開いて異物(弾丸とか)を取り除く手術なんだけど、彼はその、ごたついた環境の中では実は手術をしないほうが生存率が高いということに気が付いた。それで今でいう対照実験みたいなこともして、切るべきでないって主張をして上司ににらまれたり。
あと、この時代の「標準治療」であった「血を抜く」とか「水銀のませる」とかも余計悪くするっていうことを見抜いていて、「水銀飲むと治る」と思われていた病気(それはつまり、何もしなくても治るということだ)に対して今でいうプラシボ(パンを小さく砕いて丸めたもの)を処方したりしてる。
当時の常識にとらわれず、ばさばさと切り開いていった感じですね。なんと今でいう人工授精を成功させたり、お腹の中で赤ちゃんの血がお母さんの血液循環と独立してることを示したり、とにかく人ひとり分とは思えないくらいの仕事をしています。
切り開きついでに、彼は進化論的な見方にもたどり着いています。いろんな生物に「似た器官」が見られることや、突然変異がときに遺伝すること、地層やそこに見られる化石の観察、などなどから、彼の作成した博物館では、生物のはく製や標本が「(今でいう)進化の系統樹」に従って展示されています。
生物が単純なものから複雑なものへと徐々に変化していったこと、その最後らへんに人間もあって、なんと「最初の人類は黒人である」とまでいってた(o_o) そしてそういう変化には長い長い時間がかかるのであって、とてもじゃないけど当時の教会がいうように数千年前に神様が七日間で作ったようなもんじゃないってことも知っていた。
彼の生涯で、一番驚くべきことは、そこまで異端の考え方をしていたのに、ずいぶんな地位も得て、死刑にもならずに平和に病死したこと、自分の死期が迫ってくると結局当時の標準治療(瀉血と水銀)に身を任せたことかもしれない。
(以上は、「解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯(ウェンディ・ムーア)」からの不正確きわまりないまとめです。ぜひ直接読んでみてください)
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(今回もイラストはまたろう)
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ジョン・ハンターでした。
誰それ、知らんがな、って、私も「決マネ」読むまでまったく知りませんでしたけど知名度低いですよね??
種痘の発明で有名なジェンナーはハンターの愛弟子です。
ハンターは、まぁ強いていえば外科医なのかな、たとえばこんな手術を考案しています。
当時、馬車を操る御者の職業病みたいになってたのが膝下動脈瘤で、これ、大きくなるのをほっとくと破裂して死ぬし、死ななくても痛くて歩けない(当然仕事にならない)しで、大変なんだけれど治療といったら足の切断(!)しかなくて。しかし、麻酔はもちろん消毒の概念もない時代ですよ。足を切断したらやっぱり死ぬかも。
ハンターは解剖しまくってた人で、体の中の仕組みにはめっぽう詳しかったので、動脈瘤に行く手前の動脈を縛って、その先への血流は側副路が成長するに任せるようにすれば治療できると思ってたんです。けどそうするとたいてい既に脆くなってる血管が破裂しちゃってうまくいかない(つまり死ぬ)。
それで、場所を変えて、足の付け根の血管を縛ったらどうかということで、
切って、動脈を露出させ、その四か所を糸でしばり(だんだんゆるくなるように)、その糸は外へ垂らしたまま、傷口を閉じ、包帯で巻く。
ハンターはこの全工程を5分以内で終わらせた(o_o) 後日、腫れが引いたあと糸を抜き(なんか抜くとこも想像すると怖い、というか痛い)…六週間後に御者は自力歩行して退院し、その半年後には仕事に復帰した。
器用で素早いメスさばき、卓越した観察眼、関連のあることを結びつける洞察力、どこをとっても優れた外科医だけど、彼がすごかったのはそこだけじゃない。
当時、自発的な遺志により死体が提供されることもなかったので、縛り首になった人の死体に外科医関係者が群がるような事態だったのだが、ハンターはそのざっくばらんな(田舎っぽい、ワルっぽい)人柄により、そういう人脈(具体的には墓泥棒)にめっぽう強くて、ハッキリいって死体確保で彼の右に出るものはいなかった(怖)
彼の屋敷には、表通りに面した入口と、裏通りに面した入口があって、表は華やかな社交界に通じていて、裏には夜毎怪しげな荷物(人・動物問わず死体)が運び込まれた。この二面性ある屋敷がジキルとハイドのモデルになったんだとか。
ハイドン先生は、その社交界方面から来て、ハンターの妻の魅力にぞっこんでしょっちゅうこのジキルハイド屋敷に来ていたらしいのだが、彼は持病のポリープが痛くて、それでいったんはハンターの手術を受けるという話になった。でも、さぁ切るぞの最後の瞬間に怖くなって遁走(^^;;
まぁ今の時代だって手術怖いし、この時代の手術はその比ではなく、しかも多少なりともハンターの妻に横恋慕的なゲスい気持ちがあったら怖いどころじゃないよね。
ほかに有名どころでは、アダム・スミスさん(国富論の人)は痔を治してもらって感謝感激だったみたい。
ハンターのおもしろいところは、そんなに切るのがうまいのに、やたら切るのではなくて、自然治癒力を信じ、外科的介入は最小限にすべきという信念を持っていたこと。従軍医師をしていたとき、外科医の仕事といったら傷口を切り開いて異物(弾丸とか)を取り除く手術なんだけど、彼はその、ごたついた環境の中では実は手術をしないほうが生存率が高いということに気が付いた。それで今でいう対照実験みたいなこともして、切るべきでないって主張をして上司ににらまれたり。
あと、この時代の「標準治療」であった「血を抜く」とか「水銀のませる」とかも余計悪くするっていうことを見抜いていて、「水銀飲むと治る」と思われていた病気(それはつまり、何もしなくても治るということだ)に対して今でいうプラシボ(パンを小さく砕いて丸めたもの)を処方したりしてる。
当時の常識にとらわれず、ばさばさと切り開いていった感じですね。なんと今でいう人工授精を成功させたり、お腹の中で赤ちゃんの血がお母さんの血液循環と独立してることを示したり、とにかく人ひとり分とは思えないくらいの仕事をしています。
切り開きついでに、彼は進化論的な見方にもたどり着いています。いろんな生物に「似た器官」が見られることや、突然変異がときに遺伝すること、地層やそこに見られる化石の観察、などなどから、彼の作成した博物館では、生物のはく製や標本が「(今でいう)進化の系統樹」に従って展示されています。
生物が単純なものから複雑なものへと徐々に変化していったこと、その最後らへんに人間もあって、なんと「最初の人類は黒人である」とまでいってた(o_o) そしてそういう変化には長い長い時間がかかるのであって、とてもじゃないけど当時の教会がいうように数千年前に神様が七日間で作ったようなもんじゃないってことも知っていた。
彼の生涯で、一番驚くべきことは、そこまで異端の考え方をしていたのに、ずいぶんな地位も得て、死刑にもならずに平和に病死したこと、自分の死期が迫ってくると結局当時の標準治療(瀉血と水銀)に身を任せたことかもしれない。
(以上は、「解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯(ウェンディ・ムーア)」からの不正確きわまりないまとめです。ぜひ直接読んでみてください)
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