アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

アウシュビッツの中の楽団

2016年03月29日 | バイオリン
「Climb every mountain」で不意を突かれて涙腺崩壊したのは、たまたまそのコンサートへの行きの電車で読んでいた本が「希望のヴァイオリン ホロコーストを生きぬいた演奏家たち」というものだったからというのも理由のひとつだった。

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だって、そんな本と、これから聞くソプラノ&メゾソプラノデュオコンサートと何か関係あると思わないじゃないですか…

アウシュビッツというと、ガス室のような、ひたすら大量虐殺の効率を追求した施設であるというイメージが強いけれども、第一義的には「強制労働」施設であって、人々から労働力として搾り取れるだけの価値を搾取しようという意図があった。

つまり、そこには到着するなりガス室に送られた人のほか、劣悪な環境の中で厳しい労働を強制されている人と、施設を管理する側の人の営みがあって…

そうすると、音楽という営みも切っても切り離せない。ということになる。

アウシュビッツの中の楽団の役割は、たとえば
・門(Arbeit Macht frei)で新入者が到着するときに演奏する
・囚人が、朝労働に出ていくとき、夕に労働から帰るときに演奏する
・施設管理者たちの娯楽のために演奏する
・休日に囚人のために演奏する
・訪問者向けの広報(文化的に運営されている明るい収容所ですよ、みたいな)のために演奏する
などがあった。

極限状態の中にあっても、というか、あるからこそ、音楽の果たす役割というのは大きかったのだろう。良くも悪くも。

生存者の中には、生き続ける勇気をオーケストラの音が与えてくれたという人もいる。
「一日じゅう働いてへとへとに疲れ、よろよろと隊列を組んで戻ってくると、遠くから門のところで演奏するオーケストラの音が聞こえてくる…このおかげで、また足を進めることができた。生存するための勇気とあらたな力が湧いてきた」
「囚人仲間の音楽家たちが名演奏者にふさわしく楽器を通じて語りかけてくるのが、はっきりと聞こえた…『あきらめちゃだめだ、兄弟!ぼくたち全員が死ぬわけじゃないんだぞ!』」

これは音楽の持つ力のよい面であって、それだけなら最悪な事態の中の「いい話」なのだが、受け止め方によっては真逆にもなる。

「(毎日奏でられる音楽は)心に深く刻みこまれ、最後まで忘れられない収容所の記憶となるだろう。冷然たる狂気を耳に聞こえる形で表現した収容所の声であり、わたしたちをあとでじわじわと殺すためにまずは人間性を抹殺しようとする、他者の決意の表れなのだ」

楽団が奏でる音楽は、その演奏者たちの自発によるものではなく、他の労働と同じく強制され、演奏のシチュエーションも曲目も命令に従うほかはないのだから、むしろ後者の受け止め方のほうが自然かもしれない。

ユダヤ人にはことのほか優れた弦楽器奏者が多く、ユダヤ人を追放したら有名オケの弦楽器セクションがすっからかんになったくらいなので、それはもう世界レベルの演奏ができる人までが楽団に組み入れられていた。シチュエーションはともかく、極上の音楽というのは人の心を動かすものだから…

単に収容所職員というような下っ端ではなく、ナチス親衛隊の人間が「音楽に聴き入っているとき、とくに大好きな曲のときには、どういうわけか妙に人間に近くなる。声からはいつもの冷酷さが失われ、急にうちとけた態度になって、ほぼ対等の立場として話すことができる」「ときおり、何かの旋律に大切な人、たとえば長い間会っていない恋人の思い出でも掻き立てられたのか、人間の涙とみまごうものを目に浮かべることがあった。そういう瞬間には、ひょっとして何もかも失われたわけではないような気がして、わたしたちにも希望が湧いてきた」

音楽を愛する人、音楽に心を動かされる人が、同時に、ほかの人間に対して暴虐の限りを尽くせるという皮肉。

楽団員は、少なくとも朝夕の演奏時間分だけ、もっと激しく危険な強制労働の時間を減らすことができたし(さらにうまくすれば音楽専業になることもあった)、追加の食糧や衣服支給にあずかるチャンスもあった。死を免れるわけではないにしても、生存の可能性は増えるという重大な効果があった。

しかし…

優れたバイオリン奏者であったレーオン・ブロールマンは、あるフランスからきた男を絞首刑にする間、「ラ・マルセイエーズ」を弾かされた。つまり、処刑される人をさらになぶりものにするために国歌演奏をさせられたのである。彼は元教え子に「こんなことはそう続けられそうにない」とこぼし、教え子のほうは「逆に考えてみてください」「きょう絞首刑になったその人が最後に耳にしたのは、あなたの美しい演奏だったんですよ」と慰めたけれど、結局、ブロールマンは高圧電線に身を投げて自殺を図り…その直前に射殺された。

また、演奏能力のおかげで生き抜いたとしても、今度はそのため、他の死んでいった人々に対する激しい罪悪感に悩まされる人が多かった。

本のタイトルが「希望のヴァイオリン」であるように、この本は、ヴァイオリンがらみでホロコーストの中を強く生きた(生き抜くことはできなかった人も含めて)様々な人に焦点を当てている。

アウシュビッツの中で生き残った人だけでなく、閉鎖される直前に、国外脱出を果たした人もいる。

考えてみれば、トラップ一家も、脱出組だ。ヒトラーの誕生日を祝うパーティーで演奏するように求められ、それを避けてアメリカへ渡ったのだ。

脱出も、生き残りも、めちゃくちゃハードルが高かったのだけれど、そのハードルを少しだけ低くするのに、手持ちの音楽スキルが役に立ったんだとしたら、それを誇りに思うことはあっても、恥じたり、罪悪感に悩んだりはしないでほしい。と、遠くからは思うけれど。

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