アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

モルダウの伴奏は現場合わせで

2011年08月23日 | バイオリン
昨日は、バイオリンレッスンとアンサンブル練習が続きでありました。

   にほんブログ村 クラシックブログ ヴァイオリンへ←日曜日はカノン+モルダウ

なにしろ、「プレミアム・コンサート」は今度の日曜日ですからね。もう、待ったなしです。

こないだ、パッヘルベルのカノンの初練習をして(その前にも練習はあったんだけど参加できなかった)、昨日は初モルダウ。土曜日に両方の曲の練習をやって、日曜日は本番という、突貫工事の段取りです。

でも、この曲、去年のハッピーアンサンブルで参加した曲なので。つまり、習って一年経ってないときに無謀な挑戦をした曲なのですよ。16分音符のところとかとても苦労しましたけど、とにかく弾けたことがある、はずです。

で、曲を振られたときに私は先生に、「一回やりましたから、楽勝です!!」とか言っちゃったわけですよ。しかも、「2ndでした」とも。

先生ごめんなさい、大嘘でした。始めたてで参加したから当然2ndだっただろうという「思い込み」でした。楽譜を改めてよく見てみると「むむっ、覚えがない」。自分の間違いに気づきました。それに、1stと違って単独では意味のわからない音の並び…

昨日は、「(1)もう一人のモルダウ参加者と自主練習」+「(2)レッスン」+「(3)モルダウ練習」というつながりだったので、私としては「(1)譜読み」+「(2)修正・改善」+「(3)合わせ」という完璧な3ステップでした。でも、なりゆきでつきあわされた「もう一人のモルダウ参加者」にしてみれば、なんでこんな譜読み状態の人の練習につきあわねばならんのか、納得のいかないことだったと思います。申し訳ない。

「(3)モルダウ練習」には、ピアノ伴奏をしてくださる先生が登場しました。今回は、バイオリンばかり五人という参加で、ビオラとチェロが不在。それで、その分をカバーするためピアノ伴奏をつけるって話は聞いていましたが、なんと、某先生が(中川先生じゃないですよ)「(伴奏者に)譜面送っておきました♪」と言い放った譜面の中身は、なんとパート譜だったそうで(-_-;;

ビオラとチェロのパート譜でどうしろと?? ここで断ってもふつーだと思いますが、この先生は、断る代わりに楽譜やさんに走り、スコアを買って帰って、やおらピアノ譜の作成に取り掛かったというわけなんです。

昨日見たのは、スコアをアレンジして真っ赤に書き込みされた楽譜。「今日試してみてから固めようと思って」…いやほんとに、頭が下がります。

そしてここから合わせてみたらば、小節数の数え間違いで尺が合わないとか(^^;; いろんな困難を経て、なんとか「この線でいこう」が固まりました!! かっこいい伴奏です~

…かっこよすぎて、原曲にないおしゃれな和音が出てくるとちょっとびっくりするんですけど…

でも、ぐぐっと合わせやすくなりました。タイミングばっちり。ハッピーアンサンブルのときは、エレクトーン(なんか音が遅れる?)だったので、伴奏が入ると余計合わなくなることが多かったからね。やっぱり伴奏は生ピです。

にほんブログ村 ピアノ  ←ぽちっと応援お願いします
にほんブログ村 ヴァイオリン ←こちらでも
にほんブログ村 中高一貫教育
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シンプルな曲は怖い? (チャイコフスキー「朝の祈り」)

2011年08月21日 | ピアノ
「おろしあおふ」の選曲で、私を含め何人もの人が口にした、チャイコフスキー「子どものためのアルバム」。

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←素敵な曲がいっぱいあるんです

みんな、とりあえず思いつくし、好きだし、弾いてて楽しいし、弾けないことはないし、でも結局、逡巡したあげく弾かない。というか怖くて弾けなくなっちゃう。

そう、シンプルな曲を人前で披露するのってやっぱりかえってどきどきするんだよね。

でも、気になって。今日ちょっと時間があったんで録音してみました。

チャイコフスキー「朝の祈り」(アンダンテ演奏 2011/8/21録音)
「アルバム」の最初に載っている曲です。シンプルでとてもきれいな曲。気持ちが落ち着くような…

けど、こんだけの録音するのに、とても苦労しました。だってね、シンプルといっても、とにかく私はつっかえないで弾くってことができない人でしょ。こういう曲で「ぐちゃっ」とぜんぜん違う和音叩いたりすると、なんかすっごい残念感が漂っちゃう(ような気がする)。

だから、単に大きくはずしてない録音取るだけで大汗かいたんです。

おっ、やっとOKテイク、と思ったところでなぜだかかけてないつもりのタイマーが鳴り響いたりとか(-_-;; たいへんでしたよ~。どうも、つっかえないコツ(?)は、ただつっかえないで弾こうとがちがちに気にするより、一歩引いて(でも意識はして)ふーっと自然に呼吸に乗せる感じで弾くのがよいらしいです。めっさ難しい。

それで、録音したのを自分で聞いてみて思ったんですが、これってテクニックの差がすごくあらわになりますね。音のつながり、音量のバランス、リズムのごく微妙な揺れ、そんなものが、曲自体シンプルなだけにその差歴然。この曲は、YouTubeとかを漁るとやはり初心者の録音が多いのですが、ピティナのピアノ曲事典にひとつプロの演奏がありました。

チャイコフスキー「朝の祈り」(プロの演奏)
…うーむ(-_-;; やはりテクニック的にどのくらい余裕があるのかの差が露骨に出ちゃうねぇ。

だからみんなが言うとおり、こういう曲を人前で弾くのは怖い!! 確かに。でも、別に上手下手を競っているわけじゃなし、もっと難しい曲を弾くにあたってはそもそも、つっかえまくり音飛びまくりを前提にして弾くんだし。シンプルな曲を自分のできる範囲で弾いてもいいよね別に。

このプロの演奏は、確かにうまいんだけれども、私が「どうでも自分の好きなように」弾けるとしたらこう弾きたいというのとはどこか違う。シンプルな曲で、アラ出まくりになるにしても、「私はこう弾きたい」がわかるように弾けたらそれはそれで幸せなことかも。

にほんブログ村 ピアノ  ←ぽちっと応援お願いします
にほんブログ村 ヴァイオリン ←こちらでも
にほんブログ村 中高一貫教育
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おろしあおふは、ラフマニノフのエレジーで!!

2011年08月20日 | ピアノ
「おろしあおふ」ってなんじゃらほい。

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←ラフマニノフさんの手って、ばかでかかったんだよね

要するに、「ロシア」つながりの選曲でピアノのオフ会をしようという企画なのだが、丁寧語の「御」がついたということらしい(^^;; 目が滑る。

なぜ、今、ロシアなのかよくわからない、というか、ロシアというとかなり狭い(しばりのきつい)テーマのような気がする。例えば私がやってるピアノWeb発表会だったら、とてもじゃないけどそんな狭い…参加できる人だけ参加すりゃいいのよ的なテーマを設定する勇気はないけど、「あの(とってもディープなピアノマニアな人が集まる)」会ならいいんだろうなと思ったり。

最初思いついたのは、最近ちょいと気になっているチャイコフスキーの子どものためのアルバムから二つくらい弾くという安全牌。しかし「私はタワシ」さんのブログをみたらばなんとなくかぶりそうだったのでほかを当たろうかと。

展覧会の絵とか弾けたらいいだろうけど弾けない。あと二十年くらいしたら(?)もういっぺん考えてみよう。

あと、ロシアものでかろうじて弾いたことがあるのはラフマニノフの前奏曲、ただし弾けたというか弾けないというかやや無理目の選曲ではある。いい曲はいっぱいあるが弾けるのはあんまりない。

同じくラフマニノフで気になっている曲がある。エレジーって曲で、発表会とかではそんなに見かけないけど全音ピアノピースで売ってて、別にマイナーな曲ってほどじゃない。

こんなの:
ラフマニノフ/幻想的小品集より第1番エレジーOp.3-1/演奏:鈴木 弘尚
…めっさかっこいいでしょ。暗く冷たい風がびゅーびゅー吹いてるような、もろロシアのイメージだし、ありえないくらい幅広い分散和音がラフマっぽい。

実はこの曲、私は発表会で弾いたことがあるんです。それもだいぶ前に。

大人になって再開したピアノで初回の発表会は、メンデルスゾーンの無言歌より「さすらい人」。もう頭真っ白で崩壊してね。すごかったですよ。それで、翌年の発表会がこれ。我ながら大胆な選曲ですよねぇ…

子どものころのピアノは「エリーゼのために」で止まってるわけだから、「エリーゼのために」→「さすらい人」→「エレジー」ってつながりです。いやつながってないって。

記憶では、初年度と違ってずいぶんふだんどおり、いや一部ふだんよりいい感じで弾けて、先生も大喜びだったんですけど…当時今よりもっとずっと下手で…さっき、ちょっとこの曲のところどころ弾いてみたんだけどけっこう難しいと思うの。なんで、というかどうやって、この曲弾いたんだろう。執念??

幅広の分散和音もだけど、中間部とかけっこう難しそうなんだよなー。どの程度弾いてたやら、謎だ(どこか探せば録音が出てくるかも)。

で、今弾いたらどうなんだろうと思ったわけです。おろしあおふは、来年一月なので、今すぐ練習するわけじゃなくって、ただ、今宣言しといて誰かとかぶらないようにしとこうって話ですけど。

にほんブログ村 ピアノ  ←ぽちっと応援お願いします
にほんブログ村 ヴァイオリン ←こちらでも
にほんブログ村 中高一貫教育
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本気を見せてほしい。勉強でなくていいから。

2011年08月18日 | 中学生活
昨日書いた、「母の理想(妄想)」は、(1)熱中しているものがある (2)勉強はそこそこできている、の二本立てなんだけれども…

   にほんブログ村 教育ブログ 中高一貫教育へ←因果はめぐる

どっちに重点があるかといえば、断然(1)のほう。そのために、一貫(高専)に入れたんだし、六年間(中高)なり五年間(高専)なりの少なくとも前半については、非常にゆるくみるつもりはある。自分もそうだったし(^^;;

その時点での成績が良好(例えば上1/4)、そこそこ(例えば1/2)、いまいち(例えば1/4)の違いは何かということを考えると、どのみち後半になって本気になってからどうなるかの問題であるし、まぁあえていえばそのときに、はるかマイナスからのスタートにならないように、数学と英語だけは落ちこぼれてない状態でいてほしいと思うけれども。

勉強をそこそこやってるかどうかってのはつまり、何かに熱中して本気でやっていることとは違うから、得られるものもそれだけのもの(ひととおりの学力)にすぎないわけ。それだって、もちろんないよりあるほうが断然いいし、あるにしてもしっかりしてるほうがなおいいけどね。

それより、熱中したものがあったかなかったか。この違いは、一生もんだと、思っている。

これは、自分自身の反省としていちばん強く感じていること。私は中学時代、勉強はほんの「ツボ」(一夜漬け)程度しかやっておらず、さりとて何か熱中していたものがあったかというと、持てる時間のほとんどを読書と…yoyoさんとのおしゃべりに費やしていただけで、形になったものは何もない。もちろん読書もおしゃべりも意味はあったので、今の私の非常に重要な部分を形作っているとは思うけれど。

本気になる、のめりこむ、なんて体験はそういつまでもできるもんじゃない。中高一貫の六年間(の特に前半)はひとつ重要なチャンス。そして次には大学時代、そして社会人になってからも、若いうち(独身のうち)に仕事に打ち込む人っていうのがいるけど、私はそのときすでに結婚していたのもあって、仕事も「そこそこ」で済ませた体験しかない。

とにかくいついかなるときにも「そこそこ」。良くいえば、バランスをとるのがうまいとか、いろいろ併行してこなす要領がいいとか、そういう面はあるけど、なんのことはない、何かにとことんチャレンジするということができない。

だから、「本気体験をするなら今だよ」というのは、私が子どもに対して心底言ってあげたいアドバイスのひとつ。自分がやらなかったこと、やれなかったこと。

「勉強でなくていいから」というのは「勉強じゃないほうがいいから」とさえ思っている。大学受験ということでいうと、あれはとことんがんばるものではなくて、「要領」「そこそこ」でもぜんぜん問題ないものだ。要するに、行きたいところに合格するように効率よくまとめればいいことで、果てしなく「上」があるものではない。スポーツや芸術とはわけが違うのだ。やり方だって、わけがわかりすぎてて、別におもしろくはない。熱中する先が勉強なのであれば、「大学受験」以外の切り口でやってほしい。

またろうを見ていると、いろんなものに興味はあったり、工夫をする気持ちはあったり、勉強する気持ちだってまったくないわけではないし、と思うのだ。一番足りないものは、「熱中」。何か具体的なもの(英語の勉強とか)が嫌というよりは、とことんがんばる、努力、集中、「上」をめざす、ダメかもしれないことにあえてチャレンジする、そういうことが嫌いなのかなというふうに見える。

それを見ている親としてはたいへん歯がゆいのだが、考えてみればそれはそのまんま私の特徴でもある。さらによく考えてみれば、またろうの資質はよしぞうの引き写しだと思っていたけれど、この、「熱中しない努力しない」性質は明らかに私と瓜二つのものである。しかしまたろうは私にあったもの(要領とか語学力とか)を持っていないわけで、私が自分の体験から得たことをアドバイスしても別に未来はそこにないともいえる。

つまり…私が考えるだけ無駄ということか(-_-;;

にほんブログ村 中高一貫教育  ←ぽちっと応援お願いします
にほんブログ村 ピアノ←こちらでも
にほんブログ村 ヴァイオリン 
コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母の熱意は空回り

2011年08月17日 | 中学生活
高校受験のない、中高一貫の六年間。あるいは、大学受験のない、高専の五年間。

   にほんブログ村 教育ブログ 中高一貫教育へ←糠に釘を打ってみたりとか

受験のときは、どたばたしたけど、なんとか押し込んでしまえば…

子どもは入った部活にすぐのめり込んで、ほとんどの日が部活三昧。
せっかく休みの日があれば、せっせと友だちと出かけていく。
いったい、いつ勉強するつもりかしら。
試験のときは、いつも直前の一週間になってから大慌て。
それでもなんとかつじつまを合わせて、平均点くらいは取ってくるみたいだからしばらく様子を見ようかと。
とにかく毎日楽しそうで、いきいきと学校に通っているから、まぁいいか。

…と、こんなところが、受験を済ませた母の標準的な理想(妄想ともいう)かな。愚痴といえば、早朝のお弁当作りがたいへん、とか、泥だらけの洗濯物が山のよう、とか、せっかく共学に入れたのに義理チョコのひとつももらってこないの、とか。

しかし実際のところ、このパターンにハマらないということはかなりあると推測される。率についてはサンプルが少ないのでわかりません(^^;; 我が家については…あてはまったりあてはまらなかったりしている、とでも言っておこうか…ふっ…

「偏差値30からの中学受験 卒業編 母と子の旅立ち」(鳥居りんこ著)には、この辺の事情が事細かく語られており、成績低迷、帰宅部、いじめ、不登校と事件てんこ盛りの中学生生活、そしてなぜか落ち着いてきて静かに楽しげな(しかし傍から見れば無気力な)高校生生活。

長い夏休み、でかい図体でのべーっと家にずっといられたら、家の空気が淀むしイラつくし(親が)いたたまれない。というので、アグレッシブなりんこさんは、奇想天外な方法で「ねじまき」にかかる。

ひとつ、突然の海外ホームステイ。
ふたつ、サーフィン(o_o;;。
みっつ、ジュノンボーイコンテスト(^^;;

いずれも、いまいち効いたような効かないような、ともかく恒常的に「やる気」を起こさせるようなことはなく、不発に終わった。もちろん、こんなのではなくてふつうの…塾につっこむとか、そういった対策(?)もこの前にやり尽くしてのことだ。

自らのモチベーションを(あまり)持たない子どもを、中学受験につっこんで、実質第一志望に入れるところまで、ということでやれば、りんこさんのパワフルな子育てはいちおう奏功したといえよう。そこでは、説得したり、バトルしたり、投資したり(塾など)ということは無力ではなかったわけだ。

しかし、高校生になった子どもの点火をするってことは、できない。

---- 引用
母は腹を据えて我が子が自力で動き出すのを待つしかないのだろうか。お願い、誰かそれが何月何日の何時何分に動き出すのか教えて欲しい。
----
…激しく共感。

この本は、最近買った本ではない。それでもあえて今朝これを持ち出して読んでいたのは、
「またろうに、母があまり干渉しないことに感謝されたから」。

あれやれこれやれとか言わない(強制しない)し、露骨な人参ぶら下げたりとかしないし。
こじろうやはなひめにはあれやれこれやれとかも言うし、人参作戦よくやってるのに。というのである。

それはね、こじろうやはなひめだと本人からリクエストが来るってのもあるし、実際ぶらさげたら効くしね。キミは、人参やるっていっても断ったでしょうが。。

それに、この夏だってさんざんバイトやら他の手やら、考えては提示してみてことごとく不発に終わって、今はもう弾(タマ)もないんだよ。

私がいちばん露骨に干渉しようとしたのは、実際に全力で干渉してきたのはいちばんキミに対してなんだよ!! 感じてないのはキミのほうなんだよ!!
なんか空しい…(-_-)

にほんブログ村 中高一貫教育  ←ぽちっと応援お願いします
にほんブログ村 ピアノ←こちらでも
にほんブログ村 ヴァイオリン 
コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする