アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

これからの人生、今が一番若いので。

2016年02月17日 | ピアノ
こないだ、フォーレのノクターン四番を練習したときにつくづく思ったんだけど、
「よくこんなの譜読みしたな、過去の自分。」

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これ、中間部は音のたてこみようが半端なくて、シャープやフラットもどっちゃりついてるので、音を拾うだけでも大変。最初にこの曲を弾いたときは、ヤマハをやめる直前で、まだ今ほどそういう和音とかも頭に(耳に)入ってなかったので、もう今よりずっと「一音一音」拾って並べてたと思うんです。

でも、その当時の録音を聞いてみると、中間部よりむしろ前後の、音があまりたてこんでないところが、どうにもサマにならないという欠点(大欠点)はあるものの、ややこしいところは根性で音をちゃんと並べてるところが我ながらすごいと思った。

今回は、二度目だからなんとかできた…まぁ忘れてるといえば忘れてるんだけれども、一回やってみたことって、やっぱりかなりやりやすいでしょう。同じくらいの難易度(音を並べるのが)の曲で、一度も弾いたことない曲だったら、もっとずっと手こずってたはず。

当時だって既に決して若くはなく(笑)
若かったからできた
というのはさすがに語弊がありそうだけど…

それでもね。今より何歳か若いだけでも、やっぱ違う。

当時より老眼が進んでるとか
なんか集中力? 根気?? が衰えてる気がするとか
そんなこんなで違いがあるようです。

…ということを考えると、つまり。

今年、誕生日を迎えるといよいよ50歳になるのですが、
別にそれはいいんですが、
(だって早く定年退職したいんですよ。あと10年!! たのしみ!!)

末永く、めるちゃんと暮らすにあたっても、
一生のうちで弾きたい曲はなるべく早いうちにいったん「手にあてておく」というのが大事なのではないかと。

若いころにある程度ピアノ弾いてた人をみると、
そりゃもちろんピアノ自体がうまいということもあるんですが、
「若いころに弾いたことある曲」
ってのがいっぱいあるのもうらやましい。

今はちょびっとの時間をかけるだけでも、さっと楽しめるというわけです。

うらやましがっててもしょうがないので、
私もこれから「いつか」弾きたい曲は、なるべく「早いうちに」いろいろさわっておきたいな。

とはいえ、「さわっておく」にしても数に限りがあるから、
似た感じの曲はその中からいっこさわっておけばOKみたいなマイルールを作るとして…

手つかずの荒野が広がっているのは、

ベートーベン。
シューベルト。
シューマン。
ドビュッシー。

このへん、ずーっと手をつけないでおくとますます手を出しづらくなっちゃうかも。

特にベト様ですよ。筋トレ(ツェルニー)もしてないから、私にとってはえらく遠い存在。

まぁ一生ベートーベン弾かなくても、いいっちゃいいんだけど(^^;;
弾くなら一回は今年のうちに、手をつけてみよう。

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私はバイリンガルです。

2016年02月16日 | 生活
バイリンガルといっても、英語と日本語とかいうことじゃないんですけど…

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先日、shigさん夜毎屋さんといっしょにお昼ごはんを食べているとき、夜毎屋さんが
「何か取るものいる?」
と聞いた。するとshigさんが
「『何か取るもの』というと、箸なのか皿なのか、はたまた食べるものなのか、三通りの可能性があって絞れないよね?」と言い出した。

私に同意を求めているようだったけど…そこは同意できない。

「いや、私はそのうちここでは『箸』の一択だと思いましたよ」
実際、それで正解だったのだが。

「けどいったいなんで絞れるの?」とshigさん。
「経験かな…!?」と私。

しかし、経験というのも不明確な回答で、そもそも経験から何を拾って結び付けていけば学習できるのか述べていないものね。まじめに考えてみると、シチュエーションとか、夜毎屋さんの微妙な動作とか、目線とか、そういう非言語の手がかりを総合して「すっと通じる」ものだと思うんだけど。そんなに分析的に考えたことはない。

それから、コミュニケーションギャップの話になったり(だいたい話が通じてないことが多いんだよ…でも夫婦間はギャップがあっても愛で乗り越えられるからいいんですよね?? とか)、あと、

男性は会話に情報交換を求め
女性は会話に情動交換を求める

とか。

なんでも、数日前にshigさんたちが五、六人でごはん食べてたとき、shigさんとartomrさんはなんか音楽の小難しい議論をしており、夜毎屋さんほか女性陣プラス男性ひとりが「野菜を小分けにして冷凍する話」で盛り上がっていたんだとか。と、いうことを、shigさんは最初「長ネギを小分けにして冷蔵するとかそんな話」と言っていたのだが私が「それ、たぶん冷蔵じゃなくて冷凍でしょ? 刻んで冷蔵してたらすぐ香りが飛んじゃいますよ」とツッコミ、夜毎屋さんも「そう、冷凍」といっていた。shigさんは「ともかくー、オレはちまちま冷蔵するとか冷凍するとかそういう話にまったく興味がないんだよ!!」

実際のところ、冷凍冷蔵のhint&tipsにどれだけ具体的な興味があるかというのはさておき、なんでもいいからある程度理解できる話題があったら、あとはまぁそれを肴におしゃべりしてるってのが楽しいっていうかね。私も基本はそっち派です。

ピアノとかバイオリンとかは確かに「趣味」だけど、それもこれも結局一番好きなのはアフター××でしゃべるほう。中学受験も趣味といったらおかしいけど、なんだかんだいってある程度共通の話題があって、ノリが合う人であれば、とにかくしゃべるというのが一番好きなことです。

そういう「女子トーク」は、テーマがあるようなないような、飛ぶし混ざるし、結論ないし、あらかたの男性にはけっこう辛いらしい。冷凍冷蔵話に積極的にからんでいた男性一名は、「女子力」高いということで定評があるそうで、たまにそういう人いるよね。

私は基本的に文系資質の持ち主であり、情報交換じゃない「おしゃべり」が大好物なのだけれど、
小学校低学年から、Mさん(子どもたちのピアノの先生のだんなさん)から物理や電気や天文のレクチャーを受けたせいか
バイリンガルに育った(笑)
#ちなみにMさんも、奥さんたちの会話は飛び過ぎでついていけないそうだ(が夫婦仲はよい)

それが高じて大学も理系に進み(←向いてないのに)、そうしたらとてもモテた。
私に直接会ったことがある人なら当然わかると思うけれど、かわいいからモテたわけでも、一般的な意味での「女子力(気働き)」が高いからモテたわけでもまったくなく、
単にバイリンガルで男子ノリの話がいくらでも聞けたからモテた。

そういえば今日たまたま読んでた本(「街場の文体論」内田樹)に「言語は道具ではない」という一節があって、
「外国語の学習というのは、本来、自分の種族には理解できない概念や、存在しない感情、知らない世界の見方を、他の言語集団から学ぶことなんです。」
つまり英語でコミュニケーション、自己表現するとかじゃなくてね。言語は道具です、なんていってるといつまでもトラベル英会話で終わってしまい、外国語を学ぶ一番味わい深いところは出てこない。

「浴びるように「異語」にさらされているうちに、あるとき母語の語彙になく、その外国語にしか存在しない語に自分の身体が同調する瞬間が訪れる。それは、ある意味で、足元が崩れるような経験です。自分が生まれてからずっとそこに閉じ込められていた「種族の思想」の檻の壁に亀裂が入って、そこから味わったことのない感触の「風」が吹き込んでくる。」

私にとって、英語のおもしろさというものはそういうものだったし、そういう意味で私が「語学が得意」であるからこそのバイリンガル体験だったような気がする。

英語と日本語、男と女、理系と文系、ま、どういうくくりでもいいんだけれど、自分の軸足がどちらかにあって、その逆側の言語を学習する。そしてそこから新しい「風」が吹き込むのを感じる。それが人生の醍醐味かなと思う。

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言葉のあるレッスンと反論する生徒

2016年02月12日 | ピアノ
こないだ、鳥目さんとの連弾をartomr先生に見てもらったとき、先生がなんかいうと鳥目さんが「ちゃんとやってますし!!」とか反論するのがおかしかった(^^;;

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昨日はおゆき先生のレッスン、お昼を挟んで、くさぴあさんがレッスン受けるところを見てたんだけど、先生がなんかいうとくさぴあさんが「それやってみたけどできません」とか反論するからおかしかった(^^;;

かくいう私は、レッスンで言われたことのうち、自分で気に入ったものをやりたい分だけしか実行しないもんだから、shigさん曰く「アンダンテさんはうまくなるところはすぐうまくなるけど、ならないところは一生ならない」とか(正確な表現は失念)。いやごもっとも。

いずれにせよ、反抗的な主体的に学ぼうとする姿勢の旺盛な生徒たちであるので、先生方もたいへん苦労が多いわけなんだけれども。

昭和のピアノ教室の先生みたいに、
「これ、一日10回弾いてきなさい」
とかいって済むんなら楽な話よね。

それにしても、こうやって日々元気に反論したり取捨選択したりできるのも、
先生が言葉を尽くして説明してくださっているから、
にほかなりません。

ピアノを上手に弾けることと、
どうやれば上手に弾けるかを説明できることは、
まったくもって同じことではないので、

ピアノの技術を十分に持っている先生の中でも、言葉の力がある人とない人がいます。

言葉の力がない先生は、別に悪い先生というわけじゃないんで、
人によってはそのほうが相性がいいかもしれないし、
まぁ好みなんですけどね。

私は言葉で説明してくれるほうがありがたいです。
理解できるし。
納得できるし(納得できなかったらやらないし!!)
記憶(記録)できるし。

初めておゆき先生のレッスンに行ったとき、その直後にその曲を人前で弾いて、そこへくさぴあさんが聞きに来たことがありました。

くさぴあさんがいつもいつも気になっていた、私の演奏の「残念ポイント」がまるっと消えていて、
くさぴあさん曰く「アンダンテさん、今日どうしちゃったの、すごくよかった!!」みたいなこと言われ(笑)

楽譜に残っていたおゆき先生の書き込みを見たら
「あぁなんだ」
と種明かしを見たような顔をされた。いや別に種も仕掛けもありませんで私が実際に弾いたわけですが、それは「言葉」の力で応急処置(ツギ当て)されたものだったのです。

言葉で説明できる先生は、ブランクがあったりとか晩学だったりとかの事情で、ご自身が言葉の力や論理の力を獲得したあとに、(苦労して)ピアノ奏法を学んだ方が多いように思います。


ところで、言葉のおかけで「記憶(記録)できる」と書きましたが、それは、レッスンのあと家に帰ってからその曲を練習する場合には間違いなく大きな助けになっています。

なのに、別の曲を弾くとまた、いつも同じことで注意されるんですよね~

いやーそうだったそうだった
とは思うんですけど。頭では覚えても体では覚えてないというか。
「仏の顔も三度まで」っていいますけど
三度どころではありません。おゆき先生、ずいぶんがんばっていらっしゃいますね(←何様)

私はこれまでのところ、そんなにレッスン中に反論したりはしてません。
だって反論したくなるほど真剣に自分の練習ができていないものね。

よし反論できる生徒になることを目指そう(違)

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上達を目指さないレッスン!?

2016年02月09日 | ピアノ
と、ここまで「いい先生(ピアノ)の探し方について思うこと」の前編後編を書いてみて、自分で読み返してフト思ったんだけど、

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…私の価値基準って見事に「楽しい」しかないっ!!(笑)

私にとっては大人のピアノレッスンの良し悪しを「どれくらい楽しいか」で判断することは、説明するまでもなく当たり前のことなんだけれど、だってねぇ、趣味って楽しいからするんでしょう?

それで、判断基準がソレだったら、良い先生かどうかなんて迷うはずもないんですよ。すぐわかるから。もしレッスンのときによくわかんなくても、家帰ったあとに弾いてみて、どのくらいおもしろさupしたかでわかるでしょう。

でも、人によっては、もしかしたら、「うまくなるかどうか」でレッスン(と先生)の良し悪しを判断したいかもしれないし、
そしたらすぐにはわからないかもしれませんね。ある程度の期間やってみて振り返らないと。

けど、実際のところどうなんですかね、「楽しい」と「うまくなるために役立つ」はすごく近いベクトルにあると思います。
とはいえ同一とはいえないかもしれない。

たとえば、ヤマハの先生が一か月くらいイスラエルに演奏旅行に行ってたとき、ヤマハだからちゃんと代行の先生をつけてくれて、その人(若くてかわいい女性)は、穏やかで明るくてとてもいい人だったけど、レッスン中、
「よくなりましたねぇ」と
「ここはもう少し練習しましょう」くらいしか言わないんですよ?? 具体的なヒントは何もなし。

それじゃおもしろみもなければ、うまくなるために役立つでもないわけで、
やっぱりレッスンが楽しいということは
「おぉそうか!!」「なるほど」「うーん、きれいだ(はぁと)」
こうすると素敵、という気付きがいっぱいあるということで、しかも先生が(このわがままな私に!!)
「ようしそれは試してみよう」「練習してみよう」
という気にさせたということなので、そりゃすごい。そういう力のある先生というのはすなわち、上達させる力のある先生ということでよろしいのではないでしょうか。

ただし、上達を目指す場合の先生の良し悪しっていうのは、上記にプラスして
「的確な長期プランを持ってレッスンを組み立てていること」
というのがあるんだろうと思います。中学受験の面倒見るんだって、ユリ○スで出てくる学生バイトの先生は、いいとこその場できちんと説明できるくらいなんだけど、家庭教師として長期で特定の生徒を持てば、そりゃ受験までの組み立てを考えますよね(でなきゃ詐欺だ)。

私がひしひしと感じるところによれば、おゆき先生は私に対して「長期プラン」を描いてレッスンをしてくださっているらしく、
「いくら長期的な上達につながることでも、刹那的な楽しみを損なうことは一切やらない」ことを信条としている私に対しては
歯がゆくも思い、もったいないとも思っている様子です。

私は確かに上達に十分な努力をしないかもしれないけど、おゆき先生が長期プランを持って接してくださっていることにはとても感謝しているんです。実は、そのことがレッスンを受けることで得る短期的なおもしろさも増やす方向にちゃんと働いていることを感じるから。

ということを考えると、「楽しみを求める」を基準にしても「上達を求める」基準にしても、先生選びにほとんど違いはないような気がするんです。練習の仕方には違いがあると思うけど。


この「将来のために現在を犠牲にしない」態度というのは、不真面目なようですが、これはこれでいいところもあります。
道に迷ったり、変な穴に落ち込んだりしなくて、この演奏が好き、この先生がいいということも鋭敏に察知して食いついていくだけで、なんだかんだ着実にプラスを積み重ねていって人生トータルプラスに持ち込めるので。

何より、いつ万一のことがあってそこで人生が終わりになっても、「あらかじめわかっていたらこうしておくんだった」という後悔はしないですみますし。
(でも早く死ぬのは嫌ですよ。めるちゃんと長く暮らすんだもん)

大人ピアノは趣味だから、「将来のために現在を犠牲にしない」態度を貫いたりなんかしなくても、そんなに危険なことはないんですが、
子どもの中学受験に付き合っているときとかは「将来のために現在を犠牲にしない」ポリシーできちんと一線を引いておくことは安全上とても大切です。たぶん自分の大学受験のときにもすごくこのポリシーは役に立ったと思う。あ、なんの話だっけ。

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いい先生(ピアノ)の探し方について思うこと【後編】

2016年02月08日 | ピアノ
ヤマハをやめたことは結果として大きな転機になりました。

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←結局、演奏が気に入る度にアンサンブル申し込んでるのか?

やめたタイミングは、バイオリンを始めたタイミングでもあり、先生と合わない(というか、合わなくなった)と感じたのと、バイオリンと両方だと通いきれないというのと両方でした。

でも、ピアノをまったく弾かなくなるのは寂しいので、ピアノサークルを探して出入りするようになって…

自力で弾いてみた曲を、サークルに行って弾く。
ほかの人の演奏を聞く。

こういうモードチェンジをしてみて、まず驚いたのは、
「ピアノレッスンをやめたらピアノがおもしろくなった」
ということ。

他参加者の演奏は、うまいのから下手なのからピンキリだけど、これが実に楽しいんです。うまい人の演奏が好きとも限らず、下手な人の演奏が嫌いともつまらないとも限らない。いろいろ聞いてるうちに、こういうのが好きとか嫌いとかいうのがだんだんはっきりしてきて…

自力で曲を練習して会に持っていくのも、あれこれ試行錯誤してみるのがおもしろくなりました。

これまで、なんだかんだいっても月3回とかレッスンがあったので、曲は先生になんとかしてもらう的なマインドがあったと思うけど、それができなくなったら、突然自分でいろいろ考えるようになったんです。というかこれまで脳みそ使わなすぎ(笑)

そんなころ、ヨーコ先生と二次会でしゃべっていて、「この人に習ってみたい」と突然思い立ちました。定期的に習いにいける目途はたたないけど、スポットなら行ける、行きたいなと思って。

実際にレッスンに行ってみたら、これがとてもよくって、これからのピアノライフこれで行けるっしょ!! というような気分になりました。

私が、レッスンを受けて「よかった」という場合、その中身は、
・レッスン自体が楽しく、興味深く、快適であって、かつ、
・その後にその曲を練習したり、演奏したりするときの楽しみがレベルアップする
ということです。

ヤマハのレッスンの後半では、先生が「好きなように弾いてみて? それでおかしなところあったら直すから」と迫ってきて、私はいったいどう弾きたいのか、どうにも思いつかず往生する、というのが続いていたんだけれど、ヨーコ先生は、悪いところを直すにも、よりよい何かをつくるにも、具体的なアドバイスがあって、楽しさグレードアップが半端なかったのです。

またあるときは、私がどうしてもメントリ一番一楽章(のバイオリン)を弾きたくて、あの音数が超多いピアノを弾ける人は誰だ?? と考えて、思い至ったのがおゆきさんでした。そのころ、おゆきさんが先生をしてるのは知らなかったんだけど、ピアノサークルで聞いてやたらうまい人がいるなってんで目をつけてたので(^^;;

それで伴奏していただいて、本番すんで喫茶店で何時間も話し込み、突然また「この人に習いたい!!」と思い立って現在に至るわけだけれども。

artomrくんの演奏を最初に聞いたのは、確かイロモノ(怪奇幻想)のときだったかと思います。そのとき、単にピアノがうまいってだけじゃなくて、「この人のアンサンブル、めっちゃ好き!!」と思って、も~ゼッタイ連弾申し込もうと思って目をつけていたところ、artomrくんのほうから、私の演奏(大辻ゴン)のペダル使いをちょこっとほめてくれたもんで、「脈あり(!?)」とばかりに(←錯覚かもしれない)実際お願いしてみたわけです。それがフォーレのドリー。

そのあと、「はるさい」レッスンとか、こないだのマメールロアとか、連弾中心にレッスンも何度かお願いしていますが、これまた非常に的確にアドバイスしてくれるんですよね。目から鱗落ちまくりです。

ヨーコ先生でも、おゆき先生でも、artomr先生でも、先生の演奏聞いてみてすごく好きで、
話ししてみて気に入って、
(できれば)アンサンブルしてみてぴったり来て、

それからレッスンをお願いしているわけで、そしたらまぁまずハズレはありません。

だから、ピアノサークルに出入りしてれば、「この人に習いたい!!」という先生は次々見つかると思います。

あるいは、先生というほどうまくはなくても、いい感じの演奏してる人がいたら、その人が習ってる先生を紹介してもらうって手もあります。ほんとは、その先生が教えてる生徒10人くらいの演奏まとめて聞けたら、その先生の教え方が好きかどうかわかると思うんですけどね(だから、発表会を聞きに行ってみればばっちりです)。

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