ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

ドラマ“火垂の墓”を見て

2005-11-02 21:35:08 | 映画・ドラマ・小説・マンガ
泣いた。ラストの節子の演技に泣いた。餓死して行く演技の上手さに泣いた。最後の最後まで軍国少年だった清太くんの哀れに泣けた。

松嶋菜々子のおばさんが鬼になって行く気持ちが私には共感出来た。「これが戦争なのよ」。そう戦争は生き残る為には鬼にならなければならないのだ。お母さんを「鬼!」と言った娘も結局、空腹には勝てなくて目を瞑ってしまう。

戦争ドラマで、火垂の墓でもそうだったが、いつも疎開での農家の人達の意地悪が出てくる。年配者達の戦争の思い出というと、疎開先で苛められた話が出てくる。私の家は新潟の農家だが、母に言わせると、戦争の時、どれだけ疎開して来た都会の人達に辛い思いをさせられたか知れないと話していた。

米を作る為にどれだけの苦労をするか、都会の人達は分かっていない。今と違って昔の農家はすべて人力と牛等を使って米作りをしていた。戦争はまず農村からその若い労働力を召集して行く。その上で、戦争だからよけいに田んぼ1反当たりの供出する米を決めて強制的に収めさせる。でも人手がいないから、取れる米も減るのである。よく疎開者が、倉に一杯米があるのに一粒も売ってくれなかったと、農家の人たちを非難する。

米は年に一度しか取れないのである。そして、秋に取れた米は翌年の秋まで食べる為に家族分を保管して置くのである。重労働だからしっかりと米を食べないといけない。また、翌春に蒔くための種籾としての分もある。だから一見、倉には沢山の米があるように見える。それに今と違って、農家では現金収入がなかったから、米がお金がわりに、電気代や諸々の物に使われていた。

母は言っていた。あの頃、農家でも食べるのがやっとだったと。わけもわからない、どこの誰かも分からない人が、都会から来て無理やり住み付き一日中何もせず、泥のように働いている母達に、当然のように食べさせる事を要求していた。

戦争が終わったら、何の感謝も礼も無く、あっというまに居なくなった。そして、中には大切な米を盗まれた家も多かった。種籾まで盗まれた家もあったそうだ。米だけでなく、色々な物が無くなったそうだ。

戦争はどっちの側から見るかによって、景色はかわってくる。火垂の墓も節子達の方から見るか、鬼といわれるおばさんの方から見るかで、違ってくる。ドラマは両方から丁寧に作られていたと思う。

さんまの「さとうきび畑の唄」もそうだったけど、重い戦争ドラマが8月の終戦の頃を外して放送されるのは何か放送局の“思い”があるのだろう。二度と戦争のない平和が続くように祈る。


コメント (2)
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